皆様の声・体験談
葉月裕子さん(2020年当時67歳 仮名)の場合
脳腫瘍終末期・緩和ケア・ホスピス
妹様よりお話を伺いました。
「2019年のこと。北陸に住む姉から届くEメールに異変を感じていました。どうも文章が支離滅裂で判読できないのです。そこで、12月に病院で検査を受けてもらうことにしました。診断結果は脳腫瘍で、そこに原因があることが分かりました。
明けて、2020年1月に腫瘍を摘出する手術を受けました。担当医によると『取り切れなかった』ということでした。
また、細胞の検査結果は、膠芽腫(こうがしゅ)で予後が悪く、余命については『一年持たないでしょう』と告げられたのです。膠芽腫というタイプは、悪性で進行が早く、たちが悪いそうです。障害が出ることを聞かされ、家族は、全身介護になるつもりで準備していました。
日本冬虫夏草は手術前から姉に飲ませました。術後の回復はめざましいもので、頭部の腫れの引きも早く、手術による後遺症が歩行と言葉に出たものの、杖をついて歩けるし、食事も排泄も問題なく自立出来ています。担当医も驚いています。
進行が止まっている
この度の頭部画像検査では、『進行が止まっている』ということでした。この小康状態を維持出来たらと願っています。」
2020年7月24日の妹様である佐々木洋子さんのお話より
「8月末、住まいの千葉から北陸の姉のもとに車を走らせました。着くなり、せっせと日本冬虫夏草を飲ませました。
術後の影響で歩行や言葉がぎこちなくなっておりましたが、なぜだか少しずつ顔色も良くなり、急に台所に立ちたがったり、私の運転で近くの雑貨店や洋品店にショッピングに出掛けたりするなど、びっくりするような姿を見せてくれました。
笑顔や笑い声が絶えなく、姉妹水入らずの穏やかで楽しい時間がもてました。」
2020年9月21日のお手紙より
「姉のところに滞在中です。退院時より、しだいに足取りがしっかりしてきました。おもてのポストにせっせと郵便物を取りに出たり、短時間ですが台所にも立つし、礼状なども小まめに書いたりして、つじつまが合ったきちんとした文章が書けるようになりました。
とにかく様々なことをやろうとする意欲がすごい。どうなってるのか不思議な気持ちでおりますが、楽しそうなのが何より嬉しく思っています。明日、新幹線で千葉に帰ります。」
2020年10月4日のお手紙より
「姉は、自宅から10分ぐらいのスーパーマーケットに歩いて出掛けています。入浴もひとりでするし、寝るのもベッドではなくわざわざ自分で布団を敷いて休むのです。杖も必要なくなって、仕舞いには『もう様子を見に来なくていいから!』と言われてしまいました(笑)」
2020年11月5日の妹様のお話より
「今日、病院での検査結果について連絡が入りました。『進行していない』ということでした。QOLも普通で、何より姉の気持ちが穏やかで安定してることが嬉しいです」
2020年12月3日の妹様のお話より
「月に一度の検査を続けていますが、進行が止まっています。生活に支障をきたすことなく暮らせています。『命が一年持たない』といわれた時からその一年を超えました。奇跡です」
2021年3月7日の妹様のお話より
再手術後復活
「4月のはじめに吐き気を催したので検査をすると、手術で取り切れなかった腫瘍から出血していることが分かりました。再手術に臨み、患部を摘出しました。
手術するにあたって医師から『目が見えなくなるかもしれないし、麻痺が残るかもしれない。寝たきりになってもおかしくない』と告げられました。本人もこれが今生の別れと覚悟したようで、ひととおり皆に挨拶を終えてから臨みました。落ち着いていて、取り乱すことは一切ありませんでした。『すごいな』と思いました。
ところがまた復活したのです。歩けるし、会話が出来るし、食事も普段通りです。近くのダイソーにひとりで買い物に出掛けるほどのQOLを保っています。この度検査をしたら『進行していない。小康状態を保っている』といわれました。ありえないことだと思っています。 しばらく滞在して、今、千葉に帰ってきたところです。姉はハードルをまた一つ越えました。」
2021年6月2日の妹様のお話より
「前回同様、定期検査を無事通過しました。姉は、QOLも変わらず、自立した生活が出来ています。『さすがに今年の春は越せないだろう』と思っていましたが、2度目の夏を迎えることができるなんて。
現代医療の現場を垣間見るたび、つくづく実感することがあります。私たちがやってきたことはそれとは次元が違うということです。相容れられないと割り切っています。そんなことから医師には日本冬虫夏草を飲んでいることを伏せております。」
2021年7月15日の妹様のお話より
驚くほど自然な旅立ち
「11月末、姉がついに旅立つ日がやってきました。11月になって入院するまで自宅で動けていたし食事もできていました。QOLは高いまま維持していました。
今度は手術でお世話になった処ではなく、コロナ禍でも24時間面会が可能ということもあり、浄土真宗系の病院を選び入りました。実は、私たち姉妹は浄土真宗のお寺の出です。
痛いところがどこもなく、最期まで鎮痛剤を使うことがありませんでした。直前までゼリーを口に入れれば『ゴクン』と飲み込む力がありました。日本冬虫夏草でゼリーを作って口に運んであげていました。
姉は、浄土真宗の『歎異抄』が好きで枕元に置いてましたので、朗読してあげると静かに聞き入り、涙を流していました。
身体が楽だから、頭もはっきりしているから、こんな風に感情のやり取りができていたのです。だからその日、旅立つとは予想できませんでした。休ませるつもりで姉の夫を帰宅させてしまったぐらいです。
静かに息を『すーっ』と吐いて吸わなくなりました。ビックリするほど自然な息の引き取り方でした。人は誰でも必ずこの時を迎えます。どういう終え方をするかだと思います。約2年間ずっと人間らしくQOLの高い生活が出来たこと、夫婦として、また姉妹として一緒にいる楽しい時間を持てたことに、喪失感よりも感謝の気持ちしかありません。
それから、偶然にも、息を引き取る30分前に御臨末の御書(親鸞聖人が亡くなる直前に発したお言葉)を読んであげていたのです。『あなたを決して一人にはさせない』と心に力が注がれます。
ひとりではないということ、応援されてるということがどんなに心を強くし、安定させるか。ただし、身体の安定=穏やかな闘病生活があってこそです。二つが両輪となって相乗的に回っていたと思います。
姉を通して学ばせてもらったことがいくつもありますが、その中で最も強く感じたのは、つくづく心と身体は一体だったということでした。そして、直接伝えられたのは、肉体は朽ちても心の安定と満足は続き、残り、来世にも続いていくんだよということでした。
こういう人もいたんだということを多くの方に知ってもらえたら嬉しいです。」
2022年5月9日の妹様である佐々木洋子さんのお話より
※佐々木洋子さんのお嬢様は白血病を克服されております。
詳しくはこちらをご参照ください。