皆様の声・体験談

佐々木由美さん(千葉県在住 1998年当時14歳 仮名)の場合

 近況は末尾に加筆してございます。

 温暖な千葉県には珍しくドカ雪が降った1998年の冬のこと。中学校に通う佐々木由美さんは、生理出血が止まらなかったため、病院で検査を受けることになりました。すると止血の役目をする血小板が2千(正常値13万/㎣~35万/㎣)まで減少しており、急性骨髄性白血病と診断されました。

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 赤血球、白血球、血小板を作る工場として骨髄がありますが、造血幹細胞を原料にして、これらの血液細胞を生産しています。しかし、ウイルスや放射線、抗がん剤などの発がん性を持つ薬物などが体内に入ってくると、生産ラインに故障が生じて、まともな製品が作り出せなくなり、工場の内外が不良品であふれかえってしまいます。かといって迅速に工場をストップさせることもできない。それがこの病気で、不良品のことを白血病細胞と呼んでいます。

このように血液細胞のバランスが崩れるために、白血病の判断材料の一つとして末梢血中の白血球数が1万/㎣以上、(白血球が減る場合もあります)赤血球中の血色素量が10g/dl以下、血小板が10万/㎣以下という数値が目安になります。

 由美さんは発病の直前に、インフルエンザに感染し、寝込むという経緯がありました。積雪や厳しい寒さに慣れていない土地柄もあったのでしょうか、中学では防寒着なしで雪はきをさせられたり、一部の生徒の責任問題で教室の暖房を丸一日切られたこともありました。運動部での厳しい練習に耐えるなど肉体的ストレスもあり、免疫力が弱っていたのでしょう。インフルエンザは1週間で治りますが、その間抗生剤と解熱鎮痛剤の使用がありました。

 すぐに入院が決まり、第1回の抗がん剤を投与するまで4、5日ありました。その間、日本冬虫夏草を飲みました。1万6千あった白血球が1万2千まで減りました。母親の洋子さんはこのまま様子をみようかと思ったそうですが、病院の治療と縁を切る勇気はなかったそうです。

 治療は、抗がん剤で不良品の白血病細胞を壊し、工場自体も空っぽにしていくという方法です。その後、正常な細胞が生まれるのを待ち、再び抗がん剤で空っぽにするのを8回ほど繰り返します。この治療は約1年の行程になります。場合によっては骨髄移植もありますが、体とそりが合わず受け入れてもらえないため、拒絶反応に苦しむことも少なくありません。これらの治療は、抗がん剤の副作用で食事がとれずに体重が減少し、治療が終わってようやく食欲が出始める頃に次の治療に入るわけで、太る暇がありません。1年後には骨と皮ばかりになって、退院しても体力的に学業についていけないのが現状だそうです。

母親の洋子さんは周りを見渡したとき、医療現場だけに求めてもこのリスクは回避できないと感じていました。そこで由美さんが1年後に体重減少無く、元気一杯で退院するまで、ある工夫を続けることになりました。

朝日ウィル(北燈社)2000年9月19日号より

病院任せにしない。フォローする。

 抗がん剤というのは、細胞分裂の盛んな骨髄、毛根、腸、胃、精巣、卵巣などにダメージを与えていきます。急性骨髄性白血病の佐々木由美さんも初回の治療で頭髪が抜け始めました。しかしすぐに一転。予想外のスピードで生え出し、旺盛な食欲もすぐに戻り、減少した血小板も予定していた輸血がキャンセルされるほどの回復ぶりで、周囲を驚かせました。問題の白血病細胞は消滅して0になっていましたが、体のどこかに残っている可能性を考えて、治療は8回繰り返すことになります。8回というのは、白血病細胞の再発生の可能性が無くなるかなという目安です。

母親の洋子さんは、この治療は抗がん剤の副作用との戦いであり、ダメージをいかに減らせるか、受けたダメージからいかに早く立ち直せるかが勝敗の鍵を握ると考えていました。初回の出来事は、そのために行った自分のフォローが間違いではなかったと確信させるものでした。

白血病細胞を叩くことだけに集中しがちな現在の治療は片手落ちで、造血機能を活性化するもの、免疫を上げるもの、速やかに血に造り変わる食材、薬剤の代謝を助けるもの、薬剤で死滅した体内の微生物を補うもの、粘膜など正常細胞の傷害を予防し、治すものが抜け落ちている気がします。由美さんは、日本冬虫夏草、落花生種子抽出物、コウボエキス、玄米、丸麦、ヒエ、アワの雑穀類などの自然物を毎日摂取しました。

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 昔の水疱瘡のウイルスが再燃するアクシデントがあったものの、心配していた感染症もなく退院する頃には1年の月日が流れていました。中学2年の丸1年登校していないことになりますが、最近は不登校の生徒が多いせいもあって、中学3年にすんなり進級できました。ただ中学3年になるとすぐに受験態勢に突入するわけで、病院側からは受験勉強するのは無謀、体力的についていけないから無理しないようにと厳重注意されました。

 「実は、娘は入院中もベッドで勉強しておりました。さすがに抗がん剤を投与している最中はできませんでしたが..。体力のことを心配されて、病院側から勉強しないようにと注意を受けることもありました。しかし自分の娘だから良くわかるのですが、子供ですし、気分が悪く、弱っているのであればやる気なんて起きてこないものです。娘は体力が落ちないように数々のテクニックに支えられてたようです」

そして1年後に手紙が届きました。「由美は長い闘病にもかかわらず、学校に復帰してからは寸時を惜しんで勉学に励み、志望校に合格することができました。同じ中学から若干名だけが合格という狭き門でした。思えば闘病中は高校入試が受けられるなどとは思いもよらず、ただ生きていてくれさえすれば何もいらないという思いで看病してまいりました。入学式の写真を送らせていただきます」現在由美さんは生徒会役員で、この度の文化祭でも大活躍だったとか。

その後の血液検査では正常を保っており、母親の洋子さん療法は継続中で、家族の皆が風邪をひいても由美さんだけはひかないというお話を伺いました。

朝日ウィル(北燈社)2000年10月24日号より

 由美さんは、その後再発もなくお元気で、日本冬虫夏草の方も続けています。お母様の洋子さんよりお手紙が届きましたのでご紹介させていただきます。

 「娘はお陰様でとても元気に高校生活を謳歌しております。勉強に、生徒会に、友達との付き合いに、全てに生き生きと明るく・・・(中略)・・・ 三年前、突然の発病に気も動転し、わらをもすがる思いで矢萩先生にお電話をかけたことが、昨日のように蘇ります。まだまだ気の抜けない毎日ですが、精一杯守っていきたいと思っております」

2001年9月7日

 お母様の洋子さんよりお手紙が届きました。
「一応、医者からいわれている退院後5年の目標まであと1年半。気を抜くことなく日々の生活を送らねばと思っております。お陰様で由美は今のところ風邪ひとつひかず元気に過ごしております。現在高3ですが、高1から高3の1学期までの通算の成績が全校で4番でした(生徒数300人中だそうです)。塾等も通わずひとりでコツコツと努力した成果と、娘の頑張りを褒めてやりました。親としては成績よりも体の方に気が向いてしまい、勉強の方はノータッチなのですが、由美は本当にひとりでよく頑張る子に育っております。当初から矢萩先生の励ましがなければ、母子ともにここまでこれなかったと心より感謝いたしております」

2002年7月31日

 早いもので高校3年生ですか。進学するとなると受験勉強が大変ですね。体のことが心配です。

母親の洋子さんのお話:「学校の授業が終わってから塾に通うというのは、体のこともありますからね。これまでやらせてこなかったんです。娘の勉強に関してはノータッチで通していました。その代わり娘は自宅で地道に日々努力していたんですね。この度それが報われまして、推薦を受けて大学に進学となりそうなんです」

無理な受験勉強を避けられたんですね。賢明ですね。日々の努力の積み重ねに優るものはありませんね。

2002年8月25日のお話より

 「退院から3年10か月が経ちました。この間大きな風邪等もひくことなく元気に過ごすことができましたこと、心より嬉しく、皆様のお蔭と手を合わせる毎日です。 また、今年は受験を前に推薦で希望大学への入学を早々と決めることができました」

2002年12月31日のお手紙より

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 4月から大学生となりこれまでと変わらずお元気に過ごされているということです。

2003年8月14日のお話より

 由美さんは変わらず元気に大学生活を送っているそうです。再発もなく4年9か月が経過、まもなく5年を迎えます。

2003年12月9日のお話より

再発なく元気に5年が経過。

 「大学も2年になり、最近は外を飛び回っていて、家に落ち着くということがありません。元気良すぎるくらいです。変わらず元気に過ごしています。目標だった5年がついに経過しました。さらに7年目を目指します。振り返ると発病したときは地獄に突き落とされた思いがしたものです。このような日々が迎えられるとは、想像もできませんでした。感謝の毎日です」

2004年8月5日 お母様の洋子さんのお手紙より

 「大学4年になり、就職活動を精力的に頑張っています。目標の7年を越えました。最近では発病した当時のこと、お世話になった人たちの話を理解できるようになり、感謝の気持ちも生まれてきているようです」

2006年8月11日のお話より

 「実は、娘は医療ソーシャルワーカーを目指して専門学校に通っておりました。お陰様でで来年の4月から病院で働くことになりそうです。もらった命と思っています。今度は病気をかかえる人の相談役として返していけるものがあればと思っています」

2007年12月16日のお母様のお話より

 「娘は親元を離れて暮らし、病院のソーシャルワーカーとして元気に務めを果たしております。再発なく10年が過ぎました。」

2009年9月8日お母様のお話より

 「中学生の頃から今日まで大変お世話になっております。お蔭様で元気に働いています。今、千葉に帰省しています。お正月は両親と一緒に過ごすつもりです」お元気な由美さんご本人の声が聞けました。さわやかなお声でした。とても嬉しかったです。

2009年12月31日のお話より

 「異常に暑い日が続いておりますが、変わらず元気にしています」

2010年9月4日お母様のお話より

 「ソーシャルワーカーの仕事は大変ですが、とてもやりがいがあります。今年も元気で働くことが出来ました。中学生だった当時のことはよく覚えています」

再発無く元気でもう11年の歳月を越えられたのですね。

2010年12月29日の由美さんのお話より

 「娘は、暑さに負けず元気で働いております。再発無く、12年になります」

2011年9月3日お母様のお話より


 「この冬も元気に頑張っています」

2011年12月31日お母様のお話より

 「娘はとても良い方と巡り会うことができまして今年結婚いたしました。幸せに暮らしております」

2012年12月25日お母様のお話より

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元気な男の子を出産。そして第二子も。

 「9月半ばに男の子を無事出産いたしました。母子ともに元気でおります」

2013年9月27日由美さんのお話より

 「孫は、娘の母乳が良く出てますのでたっぷり飲んで大きくなりました。表情も豊かです。白血病の治療で薬を使ってますから、娘が子供を授かることは、これまで考えられませんでしたし、考えていませんでした。また、妊娠が分かって出産するまでずっと心配でした。一方、娘は動じない性格といいますか、のほほんとしてるんです(笑)。15年前の治療の時もそうでした。大人でさえきついといわれる検査でも決して弱音をはかない。入院中は笑顔を絶やすことなく、笑ってばかりで。この性格は誰に似たのか分かりません(笑)」

2013年12月29日のお母様のお話より

 「息子はよちよち歩きができるようになりました。みんな元気でおります」

2015年1月1日の由美さんの年賀状より

 「由美も孫もとても元気に幸せに過ごしております。孫はもうすぐ2歳になります。」

2015年9月14日 お母様の洋子さんのお手紙より

 「由美は今年の2月に第2子を出産いたしました。元気な女の子です。早いもので、長男の方はもうすぐ4歳になります」

2017年7月15日 お母様の洋子さんのお話より

 「2月8日に生まれた女の子に、かけがえのない宝の命を大切に生きてほしいという思いをこめて名前を付けました。今は、7か月になりますが元気にすくすく育っています。矢萩先生には本当にお世話になり、今も心をかけていただき心より感謝しています。病気で入院してたのがウソのように今は二児の母となり...本当に沢山の方々の支えがあってこそ今の自分があります。一日一日を大切に生きていきたいと思います」

2017年9月25日 由美さんのお手紙より抜粋

 「娘の上の男の子は来月で5歳、下の女の子は1歳半になりました。皆変わらず元気にしています」

2018年8月17日 お母様の洋子さんのお話より

 「下の子も2才になります。毎日バタバタしていますが、この時期を楽しみたいと思います」

2019年1月1日の由美さんの年賀状より

 「娘の下の子が手足口病に感染し、高熱が出ました。そういうわけで、ここ数日、手伝いに行っておりました。手足口病も、ヘルパンギーナも全国的に流行し、ピークを迎えているようです。娘は元気でおります」

2019年7月17日 お母様の洋子さんのお話より

 「息子は4月から小学生です。娘もおてんばに成長しています!」

2020年1月1日の由美さんの年賀状より

 「娘は仕事に復帰しております。このコロナ禍で、パパの方は、職場が東京にあるため千葉の自宅でテレワークをしております。その二人のために育児を時々手伝っております。二人の孫とこうやって過ごせる時が来るなんて当時のことを考えると夢のようです。皆、元気にしております」

2020年7月24日 お母様の洋子さんのお話より

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 「コロナ禍で、娘の長男の入学式は6月となりました。ランドセルを背負った写真と下の子の入園式の写真を同封いたします」

かわいらしいお二人の晴れの姿のお写真、ありがとうございます。

2020年9月21日 お母様の洋子さんのお手紙より

 「娘の長男は小学2年生となり、下の子は年中さんになりました。皆元気でやっています」

2021年6月2日 お母様の洋子さんのお話より

 「子供たちもスクスク成長しております...!毎日家の中で鬼ごっこ、元気一杯です。子育て・家事・仕事、自分のペースで頑張っていきたいと思います!」

2022年1月1日の由美さんの年賀状より

 「4月から娘が小学生になります。家族皆、元気に過ごしております!」

2023年1月1日の由美さんの年賀状より

 「娘家族皆、夏バテすることなく元気で過ごしております」

2023年9月2日 お母様の洋子さんのお話より

 「娘家族皆、元気にしております。世の中ではいろいろな家族がいろいろな問題を抱えているのが当たり前ですけど、この家族にとっては例外のようで、連帯力がすごいというか、結束して乗り越えていっているから感心しています」

2023年12月8日 お母様の洋子さんのお話より

N.M.I.
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