皆様の声・体験談

須田為義さん(島根県在住 2005年当時75歳)の場合

 「2005年4月13日のことでした。尿意があっても排泄ができないのです。すぐに病院へ行き、カテーテルを通して出しました。500㏄は溜まっていました。それは鮮血も無くきれいなおしっこでした。  

病名を告げられたのは翌日です。『前立腺がんの末期』ということでした。そして、『骨盤に転移してるので手の施しようがない。2か月の命』とまで言われたのです。確かに腫瘍マーカーPSA値は41.8(正常値3以下)と高く、MRIの画像では、右骨盤の半分にがんが広がっていのが分かりました。治せないけれど延命のためといったところでしょうか。先生からは『ただちに入院して放射線治療をしていきましょう』との提案がありました。

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2012年5月23日。82歳の須田さん

実は、余命宣告にショックを受けることはありませんでした。私は、ぶどう農園を営んでいます。4月からその年の手入れを開始したばかりで、頭の中はぶどうのことでいっぱい。自分のことを考える余地など無かったのです。そこで『入院するのはぶどうの収穫が終わる10月まで待ってください』と申し出ました。すると 先生は黙り込んでしまわれて。『もう勝手にせい』ということだったのでしょうね。

その後、カテーテルを装着したまま、農園で5日間働き続けました。外してみてさらに5日間過ごしました。でも再び排泄が出来なくなり、カテーテルのお世話にならざるを得ませんでした。その際、自分なりに考えてデポカボチャの種を7日間食べることにしました。1か月分の目安量を1週間で食べました。7日目にカテーテルを外しても自然排泄が出来るようになり、その後カテーテルが必要になることは二度と無くなりました。

5月に入ってからもPSA値は43.9と高いまま。6月に入って心配した義弟が私のもとにやってきました。そして、『こういうものがあるらしいよ』とパソコンを開いて見せてくれたのです。それが日本冬虫夏草でした。

MRSでがん消失・骨盤転移消失確認

 6月21日の晩に前出の先生とは異なる、カテーテルを管理してくれていた先生から突然電話が入りました。『MRIより精密なMRSという機械が入ったので検査に来ませんか?』というお誘いです。22日の晩は病院に泊まり、23日に検査を受けることにしました。日本冬虫夏草を飲み始めたのは検査前日の朝からです。病院に持参して検査の直前までちびりちびりと飲み続けました。一日半で875㏄は飲みました。

結果は驚くべきものでした。MRSでは異常はどこにも見つからず、あの骨盤の影がきれいに消えていたのです。

 農園では、既に秋の収穫予想が出ていました。ぶどうの小さな粒が育ち始めるからです。それを見たら例年になく素晴らしい稔りになると確信出来ました。

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私は、長年慈しみ、苦楽を共にしてきたぶどうの木が助けてくれたのだと思いました。あのまま入院して放射線治療をやっていたら農園にも体にもはたして良い結果が得られたのだろうか。運命とは不思議なものです。

『がんは消失した』との診断

その日は経口のホルモン剤(錠剤)を受け取って帰宅しました。服用後、途端に体調に変化が現れました。体がだるくなって力が出ないのです。ぶどうの木の剪定が出来なくなってしまいました。ホルモン剤は10日間服用して止めました。7月のPSA値は6。8月は2.6。9月は2.5と下がり続け、正常値に落ち着きました。9月のMRS検査と生検でも異常なし。がんは消えたままです。翌年2006年3月のMRI、MRS、生検でも変わらず異常なしで『がんは消失した』と診断されました。

それでもホルモン療法の提案はついて回りました。注射を3か月に一度のペースで3年間打ち続ける提案です。やってみるとこの副作用に再びがっかりさせられました。体が太って疲れやすくなり、仕事に支障をきたすのです。だから断ったり延期したりの繰り返し。経口のホルモン剤の処方箋を受け取っても薬局に寄らずに帰ったりもしました。

ホルモン剤が体内から抜けると体がしまり、力が出るようになります。収穫の最盛期にはそうでなければやっていけません。

生活を変えてみる

PSA値には波がありました。安定していた数値が、仕事に精を出し過ぎると上昇するようでした。その都度生活改善を試みました。作業の合間に必ず昼寝を取り入れて習慣にしたり、長い間飲み続けていた薬を止めることもありました。実は、メニエール症候群の薬と肩こりの鎮痛剤を5年間飲み続けていました。それより若干短いのですが、睡眠薬も常用していました。2007年の7月に全てを止めました。そして、止めたからといって、困ることは無かったのです。(薬によっては自己判断で止めると危険なものもあります。医師、薬剤師に相談が必要です)

 2008年4月にPSA値が41.28まで跳ね上がったことがあります。すぐに骨シンチ検査、CT検査を受けましたがどちらも異常無し。この時は大人しくホルモン剤を注射しました。日本冬虫夏草の量を増やして飲みました。翌月検査をすると、15.76まで下降していて、先生は『がんは何処にもないから心配いらないよ。ましてがんがあったらマーカーはこんなふうには下がんないから』と言うのです。そして『何か飲んでるの?』と初めて聞かれました。『何も飲んでない』と答えても良かったのですが、『日本冬虫夏草を飲んでいます』と打明けました。すると『漢方薬で前立腺がんが治ることはないよ』と言われました。

 その後も日本冬虫夏草は続けました。2か月の命と言われてからはや7年が経ちました。力仕事を変わらずこなせています。有難いことです。PSA値も安定しています。周囲の人達は私の顔を見て、『色つやがとてもいいね』とも『10歳~20歳は若く見えるよ』とも言ってくれます。

 『定年退職して、暇になったから人間ドックをやってみた』という話をよく聞きます。病気がひどくなる前に未然に防いでラッキーな人もいれば、その逆の人もいます。がんが見つかってくよくよ悩み続ける人はことさら深刻です。なにせ考える時間が有り余るほどあるのですから。精神状態は免疫力を左右します。落ち込んで免疫力が低下すれば治る病気も治りません。

私には夢中になるものがあり幸運でした。私の心はいつもぶどう農園にあり、毎年毎年、研究と改良を重ね、上を目指した質の高いぶどうを作っていくことに生き甲斐を感じています。アルギット農法はそのために取り組んだ栽培技術で、ノルウェーの海でたくましく育った海藻でミネラル豊かな土壌を作ります。2011年は、申し分のない出来ばえでした。今までにないほど高い評価も受けました。これまでぶどうを食べなかった孫がパクパク食べていたのですから間違いないのでしょう。これだからぶどう作りは奥深くてやめられない。夢中になってしまうのです」

2012年5月29日のお話より

【経 緯】

2005年
4月13日
排尿困難のため病院で検査。
4月14日

末期の前立腺がんと診断。
PSA値は41.8、骨盤にも転移。
2か月の命と告げられる。

5月 デポカボチャの種を7日間食べる。
自然排泄に戻る。
PSA値は43.6。
6月22日 日本冬虫夏草を飲み始める。
検査直前まで875ccを飲む。
6月23日 MRS検査、異常なし。
骨盤への転移も消失。
9月 PSA値は2.5。
MRS、生検、いずれも異常なし。
2006年
3月
MRI、MRS、生検、いずれも異常なし。
がん消失と診断される。

 「暑い日が続いていますが、元気にしております。病院の先生も私のこれまでの経緯に『不思議だなー。不思議だなー』としきりに首をかしげています」

2012年7月21日のお話より

 「お陰様で今年も美味しいぶどうが出来ました。お召し上がりください」

2012年9月2日のお手紙より

 丸々と稔ったぶどうにお手紙が添えてありました。早速、一粒口にすると、目の覚めるような美味しさです。ジューシーで濃厚、酸味と甘み、そして旨味が最高のバランスで調和してると言ったらいいのでしょうか。非常に奥深い味です。このようなぶどうは、正直、店頭ではなかなかお目にかかれません。同じ品種でも作り手によって全く味が違うのですね。須田さんの並々ならぬ情熱と愛情がダイレクトに伝わってきました。

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2013年産のぶどうです。

 「余命2か月と宣告されてからもう8年です。毎年変わらずぶどうを作り続けてきました。32歳の時から50年以上ぶどうの生産組合長をやっています。

私のところには、若手の組合員がさまざまな悩みを抱えて相談に訪れます。しかし、帰る頃には、前向きになって元気な顔つきに変わっています。『心が豊かになる』と言ってくれる部下もいます。

私はあえて、今生きてぶどう作りをしていることが奇跡だという8年前の話をするのです。すると、皆、『自分の悩みは大したことじゃないな。へこたれてちゃいけないな』と思ってくれるようです。今年のぶどうを送りました。召し上がってください」

2013年9月2日のお話より

余命2か月の宣告から元気に10年 

 須田さんが育てた見事なぶどうが届きました。今年もご馳走様です。余命2か月の宣告から10年の歳月が過ぎたそうです。

2015年8月24日のお話より

 「今年5月、作業中に転倒し、頭を打ちました。1か月して病院で検査をしますと背骨にヒビが入ってるとのこと。そのまま入院となり、45日間ベットの上におりました。リハビリをして、現在は杖無しで歩けるまでになりました。前立腺の方は心配なく推移しています。86歳になりました」

2016年7月26日のお話より

 「先日、医師から『前立腺がんの患者さんの余命は7年ぐらいです』と聞きました。私は11年経ちました。この頃は、家の中は杖なしで。外出する際は念のため、杖を使うようにしています。食欲もあり元気です」

2016年11月19日のお話より

 「ついにぶどう作りからの引退を決めました。そういうわけで長い間酷使してきた体を労り、この春はのんびりゆったり過ごしております。元気でおります」

2017年4月8日のお話より

N.M.I.
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