皆様の声・体験談
勉さん(東京都在住 57歳)の場合
胃がん・スキルス胃がん・ポリープ終末期・緩和ケア・ホスピス
パートナーの三江さんよりお話を伺いました。
「勉さんは、とてもよく働く人でした。自営業でしたので土日も休まず働き、休息といえばたまに3~4日かけてキャンプに出掛け、心身をリセットする程度でした。お酒もたばこもやりません。
胃潰瘍の病歴があり、再発しないようにと検査を続けていましたが、多忙のため一年のブランクを開けていました。
2020年1月のことです。気になる症状が続いたので検査をすると、胃がんの末期であり、腹膜播種があり、肝臓にも飛んでいるとのことでした。自覚症状というのは、疲れ易くなったことと、食事量が半分に減ったことです。糖尿病の持病があったのですが、体重が減り、血糖値の方はおのずと正常値になっていきましたので、この点では喜んでいました。
2度目の腸閉塞からの回復が早く、3度目は回避
2020年2月10日~26日の間、病院に入院して抗がん剤治療を受けた後、退院しました。そして、3月6日に1回目の腸閉塞を起こし再入院となり、退院できたのは4月23日でした。この時、いとこから日本冬虫夏草の話を聞き、朝昼晩と飲むようになりました。2回目の腸閉塞は1週間後の4月29日で、再々入院となりました。
ところが、1回目と2回目では明らかな違いがありました。水が飲めるようになるまで1回目のときは2週間かかったのですが、2回目のときは回復が早く2日で水が飲めるようになったのです。
勉さんは、『抗がん剤はもうやりたくない』と訴えていました。その意志を病院側に伝えると、『治療をしないのであれば、ここにいる必要はないですね』とホスピスに移るようにすすめられたのです。
そのころ、世の中は新型コロナウイルス感染拡大の第一波にみまわれていました。身内といえども病室に見舞うのが難しくなってきていました。自宅での訪問看護を選択し、5月18日に退院しました。
訪問診療の先生は週に3回通ってきてくださり、看護師さんはほぼ毎日、そして週に2回はリハビリを施してくださいます。
気がかりは、腸閉塞と発熱でした。日本冬虫夏草は種類を変えて飲ませました。体温が上昇するときがありますが、上がりっぱなしではありません。必ず下がってくれるのです。一方腸閉塞の方は、退院後3度目の兆しがあったものの、初めて回避することが出来ました。
それこそ痛みについては頻繁に尋ねられました。訪問診療の先生は、病院から引き継いだ検査データの数値を見て『相当悪い状態ですので、食欲があって、意識がはっきりしていて、なおかつ痛みがないなんてありえないことですよ』とおっしゃいます。また、リハビリで体をほぐしてくださる看護師さんも『痛みがあったらこんなことできないです。本当に痛くないんですね』とおっしゃる。お二人とも驚き、不思議そうな顔をしていました。
そして、傍らにある日本冬虫夏草に興味を持ってくださり、『冬虫夏草ががんに効くと聞いたことがあります。このおかげですね』とまでおっしゃるのです。(あくまで個人の感想です)
勉さんは、退院してから毎日『あれが食べたい、これが飲みたい』とリクエストをしてくれました。先生は『飲みたい、食べたい、言わない方が普通です』とおっしゃっていました。
手に入れようとしても手に入らない幸福なゴール
退院して30日が経とうとする2020年6月18日。ついにお別れの日がやってきました。前日、会いに来ていた息子夫婦が帰る時、手に力が入らず、足のつま先でバイバイをして送り出しました。そしてその足も力が入らなくなり、翌朝、息を吸って、吐いて、そのまま息を吸わなくなりました。
テレビドラマのような『ピーーー』という機械音もなく、ぜごぜごした苦しい息づかいもない静寂の中での出来事です。
先生は『人の体は内臓も含めて筋肉が動かしています。心肺も筋肉から出来ています。がんが傷めていったのではなく、筋力が弱くなっていったための、老衰の中でも極めて理想的な静かな息の引き取り方です。私は40年間がん患者さんを診てきましたけれど、痛みが無く亡くなられた方は初めてで、奇跡ですよ』としみじみ話されました。
私の兄は、食道がんから他に転移して50代で麻薬系の鎮痛剤を投与しながら亡くなっていきました。その兄と比較して、勉さんは、肌つやがよくとても綺麗なのです。表情に苦痛が表れていません。痰が詰まることもありませんでしたし、病人特有の匂いとも無縁でした。
ある時、妹に『いつも綺麗にしてあげてたのね』と言われました。でも外ではなく内側から綺麗だったので匂いがなかったんだと思います。
その1か月、二人で冗談を言い合ってよく笑いました。看護師さんは、七人の患者さんを受け持っておられて忙しく駆け回っていました。コロナ禍でよけい忙しくなったようでした。
看護師さんの大変さを知って、負担を減らせればと手当てを学び、お手伝い出来ることを一生懸命やりました。勉さん自身は、私からやってもらうことには遠慮はないけれど、他の人にやってもらうのは気が引けるようでした。その看護師さんは、『ここに来ると、お二人に笑わせてもらって、楽しくて元気になります』と言ってくれるので、私たちも嬉しくて幸せな気持ちになりました。
そして、『この雰囲気は、終末期の患者さんがいるご家庭ではありませんね』と私にそっと伝えてくださいました。
勉さんとはいっぱい話をしました。子供たちも集まりました。勉さんは愛情深く、自分のことは二の次でみんなに尽くす人生を選びました。
夢のような楽しい1か月でした。『おはよう』と言えることが幸せでしたし、ごはんを食べさせることも『おやすみ』と言えることも嬉しかったです。
これは全て、痛みが無かったということに尽きると思います。
傍らを離れず寄り添えた時間は、何にも代えがたい宝物となりました。
2021年4月9日のお話より