皆様の声・体験談
富樫美春さん(山形県在住 1977年当時58)の場合
胃がん・スキルス胃がん・ポリープ手術だけで他の治療はないがん血統と考えられた方
お嬢様の富樫えみ子さんよりお話を伺いました。
「1977年のことでした。父が胃がんの手術を受けることになり、看護師でもある姪が手術に立ち会いました。開腹してみると、肝臓や腸にも転移していて手の施しようがない状態です。そのまま閉じるところを執刀医に姪が頼み込んで、胃だけを摘出してもらいました。今であれば、このような胃がんの末期の患者には手術はすすめないかもしれません。
父の死を覚悟したのはいうまでもありません。父の兄弟2人も胃がんで命を取られていましたから。近いうちに親戚縁者が大勢やってくるのに備えて、私は家の中の片付けを始めていました。
銃剣道を地元少年たちに教えた美春さん。 |
すると、ある人物がやってきて矢萩先生の研究の話をするのです。母はすぐにでも『日本冬虫夏草を飲ませたい』と思ったようでした。そもそも何も治療法はないのですから。父は抗がん剤治療も放射線治療も受けることなく退院し、早速、日本冬虫夏草を飲み始めました。
父にはがんであることを隠し、『胃潰瘍で胃を取った』とだけ伝えました。
がんの病巣が消失
母に日本冬虫夏草の話を持ってきたのは、富樫富男さん。彼は幼い頃、自然災害(土砂崩れ)で両親と弟妹を一度に亡くしていました。天涯孤独になったところに手を差し伸べたのが父でした。葬式を出し、富男さんを引き取り、息子として育てたのです。父は同じ町内の誼だけでは測れないほど懐が深く、優しい人間でした。
父は、母にすすめられるまま日本冬虫夏草を毎日飲み続けました。日本冬虫夏草を入れた瓶を常に小脇に抱えるようにして、休み無くちびりちびりと飲んでいたといいます。そして3か月後、病院で検査してみるとがんの病巣が消失していたのです。今度は富男さんが父を助けてくれたのだと思いました。
一度しかない人生とはいうけれど、父は何度も生きたのだと思います。58歳での開腹手術から、晩年は糖尿病を患い、77歳の生涯を閉じるまで、老人ホームに勤務する傍ら地元の少年達に銃剣道も教え、充実した人生を歩みました。父は皆から慕われました。
がんを克服し、老人ホームにて勤務中の富樫美春さん(63歳の頃) |
主治医は、戦争から生還し、再びがんから生還した父のことを丸ごと受け止めてくださいました。大好きな生菓子を差し入れて父を喜ばせてくださるのです。晩年は摂生することなく好きなものを食べました。
甘党の父は食べたいだけ食べれて幸せでした。今は、そんな最期があったっていいのかもしれないと思っています。
どんなに絶望してもあきらめてはいけません。どこかに必ず希望があると父は身をもって教えてくれたのだと思います」
2020年1月23日のお話より