皆様の声・体験談

佐藤紀子さん(東京都在住 仮名)の場合

 お嬢様よりお手紙を頂戴しました。

 「母が急性リンパ性白血病と診断されたのは2012年11月のことでした。風邪でもないのに熱が出たり、下がったりして気になって受診したのです。医師からは、治療をしなければ年を越せるかどうか、『1~2か月の命』といわれました。そういわれても私にはピンときませんでした。母は元気でしたからね。

急いで治療計画が立てられました。年齢が70に近いこともあって骨髄移植は無理、抗がん剤の量も8割に減らして2年間かけて8回投与するという内容です。

投与が始まると、元気だった母に異変が起こりました。3日目から吐き気が始まり、食事ものどを通らなくなったのです。あっという間に母の体重は10キロ近く減りました。これは繰り返しやるものではないなと思いました。

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 母の様子をみて私は必死に何か良いものはないかと探しました。そんな時に日本冬虫夏草との出会いがありました。電話で問い合わせをした際、ちょうどスクリーニングのデーターが上がってきたところで、日本冬虫夏草(ヤハギ株)のある種類が白血病細胞を選んでアタックするが、正常細胞は傷つけなかったというニュースなどをお聞きし、矢萩さんの処では、日本に500種類以上も生息する冬虫夏草や中国の冬虫夏草についても非常によく研究されていることを知りました。

 これなら信頼できると私は直ぐに日本冬虫夏草を母に飲ませることを決めました。その日本冬虫夏草を飲み始めて1か月後、抗がん剤からの回復時期でしょうか。以前の元気を取り戻していきました。

 入院から2か月後、無事に一時退院の許可がでました。2週間ほど自宅で静養して、また第2回目の抗がん剤の治療に備える目的の退院です。家では日本冬虫夏草を朝、昼、晩、夜中(目覚めたとき)としっかりと飲ませました。母はこの2週間でとても元気になりました。
料理の得意な母は、健常者と変わらずキッチンに立ち、無農薬野菜や有機野菜を中心に、玄米食を心掛けました。

 年が明けて2013年1月、再入院の日に病院の先生は母の元気な姿をみて満足げに、『これなら2回目の抗がん剤治療ができそうですね』とおっしゃいましたが、私は先生に『1度目の抗がん剤治療で10キロも体重が落ちてその体重が戻らない内にまた抗がん剤治療をするのはとても心配だ』と訴えました。すると先生は『では、とりあえず入院はしてもらいますが、治療方法については考えてみます』とおっしゃいました。

 母は、急性リンパ性白血病の中でもたちの悪いフィラデルフィア染色体が陽性でした。フィラデルフィア染色体とは、この病気の4人のうち1人に現れる遺伝子の異常だそうです。

 再入院してから数日後、先生から「飲み薬だけでの治療でやってみましょう」とのお話がありました。その飲み薬は、グリベック(イマニチブ)という分子標的薬で、急性リンパ性白血病、フィラデルフィア染色体陽性に有効だとのことでした。ですが、服用を始めて直ぐに具合が悪くなり、湿疹、吐き気など、食事ができなくなりました。

その後、別の分子標的薬の提案がありました。スプリセル(ダサニチブ)というお薬です。事前にグリベックより毒性が強いと聞いていて心配していましたが、副作用のない状態が続きました。血液検査も良好で、白血球、赤血球、血小板ととても良い状態になり、フィラデルフィア染色体も順調に減ってきました。再入院中も病院にはばれないように母に日本冬虫夏草はしっかりと飲ませました。

フィラデルフィア染色体が消失。血液検査でほぼ満点に

 2013年2月、母は抗がん剤の治療をすることなく無事に退院しました。この頃から友人からお土産でいただいたチャガ(カバノアナタケ)も加わります。定期的に通院して血液検査をしていますが、毎回異常なし。2013年5月の血液検査からはほぼ満点で、フィラデルフィア染色体も測定できない数値になりました。

 先生は当初、薬だけの治療では直ぐに再発するだろうと思っていたようです。退院して1年間はずっと首をかしげながら再発しない状態を不思議がっていました。再発がないにも関わらず、抗がん剤の治療の話も何度か出ていました。

初めの1度でひどい目にあっているのでその都度断ってきました。一般的に『断る』といった行為はた易いことではありませんよね。検査の数値が正常値で安定し、自信があったので出来たことだと思っています。そして『再発したらやればいい』という気持ちでいました。先生は不思議がっていますが、私は母が再発もなく元気に過ごしているのは、日本冬虫夏草のおかげだと思っていますので不思議ではありません。

日本冬虫夏草ことは先生にはずっと伏せています。面倒なことになりかねないと思ったのです。病院の先生は自分の処方する薬以外のものを信用しませんし、エビオスでさえダメだと言われたことがありましたから。

 2013年12月、町の健康診断で肺に水が溜まっていることがわかりました。スプリセルの副作用だろうということで服用を2週間休みました。その時、余計元気になりました。強い薬ですからね。私は止めさせたいのですが、母はまじめな性格なので先生の指示通りにきちんと服用しています。

振り返ると介護による睡眠不足やストレスが発病の原因だったように思います。母は、祖母や父に精神誠意尽くしました。その姿を見てきたので母には頭が上がりません。発病の1年前には介護から解放されていましたが、10年という長い介護生活でした。

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余命1~2か月が3年を無事経過。血液検査は満点に

 余命1~2か月と宣告されてから2015年11月で3年になりました。先生は『こんな例は世の中にないのでスプリセルの止め時が分からない』と言っています。あとどのぐらい一緒にいられるのかと不安でいっぱいだった3年前からは想像もつかないぐらいに母はとても元気です。

 2年間の入退院を覚悟したのにも関わらず、結局約3か月間の入院のみでした。嘘のような話ですよね。母は、ダンスなどが組み込まれた体操教室に週に一度通っています。料理はもちろん、繕い物や編み物なども楽しみながら過ごしています。矢萩先生と日本冬虫夏草との出会いが私にとってとても幸運だったのだといつも思い感謝しています。母は毎日宝物のように日本冬虫夏草をありがたくいただいています」

2015年11月9日お嬢様のお手紙より

 「肺に水が溜まったのでスプリセルを2週間休んで対処しました。さすがに2度目ですからね。止めるには至りませんでしたが、減薬まで漕ぎ着けることが出来ました。血液検査の結果は満点。持病のない普通の方でも中々こうはいかないのではと思っています」

2015年12月30日お嬢様のお話より

 「血液検査は満点です。『治ってスプリセルを止めた例が世の中にないので止め時が分からない』と言っていた医師も、『止めてもいいかもしれない』と言い出しました。変わらず元気に過ごしております」

2017年6月29日お嬢様のお話より

 「母の血液検査の数値は私より良いのです。体操も頑張っておりますし、食欲もあって、ふくよかになってきました。元気に過ごしております」

2018年6月14日お嬢様のお話より

 「母は変わらず元気にしております。体操も続けております。ただ、医師によると母のように治った前例はなく、スプリセルを止めた前例もないので止め時を探っていますが、やはり未だ判断が下せないでおられるようです」

2019年6月7日のお嬢様のお話より

 「母は、体操も料理も続けており、元気そのものです。血液検査も満点です」

2020年7月28日のお嬢様のお話より

 「母の体操教室の施設が、新型コロナウイルスの予防接種会場に使用されることになり、準備のために体操教室がお休みです。でも母は相変わらず元気で血液検査のデータも私より良いのです(笑)」 

2021年2月26日のお嬢様のお話より

 「母は、自身で年齢を考慮し、自宅でのストレッチとラジオ体操を日課にして鍛えています。まじめな性格なのでサボることがないのです(笑い)料理も日本冬虫夏草も続けています。『余命1~2か月』と宣告されてから間もなく9年が経過するところです。母も私も夏の疲れが出ることもなく、体調良く過ごしています」

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2021年9月28日のお嬢様のお話より

 「母の血液検査のデータは満点で、私より良い状態が続いています。79歳になりました。『命1~2か月の宣告』からついに10年が経過しました」

2022年12月14日のお嬢様のお話より

N.M.I.
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