皆様の声・体験談

遠藤清さん(秋田県在住)の場合

 秋田県井川町の遠藤清さん(80)は、肝臓がんを克服されて今年で6年目を迎えます。遠藤さんの肝臓にミカン大の腫瘍が見つかったのは1995年の暮れのことでした。それは、7つある大腸ポリープの摘出手術をするために入院した時、たまたま発見されたものでした。

 「それまでの生活は、決して楽ではない農作業の中で、タバコを1日に2箱、3度の食事の時と10時と3時のお茶の時間にコップ酒を飲むのが楽しみで、その習慣が長い間のうちに消化器系や肝臓に無理を重ねることになったのでしょう。毎年、大腸ポリープの手術を繰り返して3年、半年前には喉のポリープ手術も行っていました。大腸ポリープは取っても取ってもまた現れるモグラタタキのモグラのようでした。

 日本冬虫夏草を使用したのは肝臓がんの診断が下ってすぐ。病院側には「番茶を飲んでる」と応えました。病院での治療はカテーテルを用いて肝臓に直接抗がん剤を注入するもので、1回30分の治療でした。しかし、ちょうど入浴が災いして風邪をひいたこともあり、吐き気や発熱の症状が出たため、これは2度目で打ち切りとなりました。それ以外の治療はやっていません。

肝臓がん消失。大腸ポリープも消失

 飲み始めてから1か月後、CTで検査すると、ミカン大あった腫瘍は100円玉大に縮小していました。このとき主治医の先生は『肝臓がんがこのように劇的に縮小するのは滅多に無いこと』と首をかしげて大変不思議がっておられました。『大学病院の先生にこのことを報告させてください』ともおっしゃっていました。そしてそれから1か月後、ついに腫瘍はきれいに消失してしまったのです。

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肝臓がんと大腸ポリープが消失して農作業に励む遠藤さん


 そこで後回しにされていた大腸ポリープの手術に、ようやく取りかかることになりました。しかし内視鏡で、あるはずの患部を探してもどこにも見つからないのです。こちらも7個全てが消失していました。以前手術したところは穴のような跡が残っているのに、今回の自然消滅した場所には何の痕跡もなくなめらかでした。

 悪いところは皆消えて晴れて退院する時、毎日飲むようにと抗がん剤を渡されました。治っているのにどうしてという気持ちと、タバコやお酒であれだけ腸や肝臓を痛めつけてきたのに、いまさら化学合成薬で痛めるわけにはいかないという思いから服用はしませんでした。

  

 当初、私は肝臓がんの告知はされておりませんでした。家族にだけ知らされたようです。家族は、入院中も一向に喫煙を止めようとしない私を見かねて、病名を教えることにしたそうです。わがままな頭と、治そうとしてる体とがバラバラでは、治るものも治らないと考えた末のことでした。

病名を知ってからというもの、自分を管理するようになりました。今までの生活に原因があるとするならばと生活を一転させました。アルコールやタバコを一切排除して、仕事の心配もできるだけしないように心がけました。なるようになると割り切るようにしたのです。

 あれから再発もなく、毎年悩みの種だった大腸ポリープの出現もなく、6年の月日は流れました。日本冬虫夏草は現在も続けています」

【経 緯】

1995年  暮れ 肝臓がんの診断。
ミカン大の腫瘍が一つ。
すぐに日本冬虫夏草を飲み始める。
抗がん剤を肝臓に2度注入するがそこで中止。
1か月後 ミカン大の腫瘍が100円玉大に。
更に1か月後 消失。
7つの大腸ポリープもすべて消失。

 秋になると遠藤さんの育てた新米が私のところに届きます。その美味しさには、惜しみなく注がれた手間暇と、稲作にかける熱意が込められていて、遠藤さんの人柄がしのばれます。

 今年の7月の酷暑が続く中、久しぶりにお電話すると娘さんが出られて「父は田んぼに出てます」というお話。「この暑さの中大丈夫ですか」と心配になりましたが「あれ以来、体の方は何事もなく元気で、周りから驚かれています」という返事。タバコもお酒も以前の量に及びもしないが、最近は少したしなんでいるということでした。それはちょっと気になりますが、それも元気の証拠でしょう。今年も遠藤さんの美味しいお米が無事に実ることを祈っています。

朝日ウィル(北燈社)2001年8月21日号より

 遠藤さんご夫妻と、息子さんにお会いしました。 清さんは再発もなくお元気で、今年で8年目をむかえられ、83歳になられるということです。毎朝3時に起きて田んぼの水を見に出かけ、バイクで走り回っているということです。「何にも束縛されずに、自由にゆったり暮らしている。それがいいんでしょ」清さんの言葉でした。

2003年6月10日ご本人にお会いして

 「父は11年以上がんとは無縁で暮らしておりましたが、2007年6月に町の健康診断で肺がんが見つかったのです。それでも咳止めの薬や去痰薬を服用する程度で畑の仕事も普段通りにやっていました。

 12月半ばになって息苦しくなり入院しましたが、86歳と高齢なため、抗がん剤治療は避けることになり、酸素吸入だけで一旦退院となって、お正月は家族と一緒に過ごしました。

 息苦しさが増したために病院に戻ったのは正月休みが明けてから。痛み止めのモルヒネを投与することになり、それから数日後、2008年1月9日に父は息を引き取りました。

 肝臓がんが消失した時、一時的にタバコを止めていましたが、いつの間にか再開させてしまったことが悔やまれます。あのまま止めていたら肺がんにはならなかったのではと思います。

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 でも父は、やりたいように、思うように生きました。12月までは外に出て家の周りの片付けもやっていました。病院にお世話になったのはほんのわずかでした。旅立つ直前まで働けて、精一杯生きた満足な人生だったと思います」

2008年5月26日お嬢様のお電話より

N.M.I.
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