皆様の声・体験談

片山茂さん(山口県下関在住 1996年当時56歳)の場合

  近況は末尾に加筆してございます。

 「始まりは1994年の前立腺炎だったように思います。ひと月入院して薬で治療しましたが、退院する際、病院側から今後のことをとりたてて警告されるわけでもなかったですし、自分自身も退院できる喜びだけで、病気の原因を振り返ったり反省することもしませんでした。忙しい仕事現場に復帰し、以前と変わらない暮らしを続けました。

それから2年後の1996年1月12日。突然排尿困難になり再び病院を訪ねました。今度は組織検査で前立腺がんと診断されたのです。腹部にメスを入れて前立腺からリンパ腺まで摘出し、人工肛門をつくる大掛かりな手術を薦められました。念のため別の病院でも細胞検査を2回行いましたが、いずれもクロでした。

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 がんと聞いて即座に『命はない』と思いました。でも何ていうのでしょうかね。根っからプラス思考が強いというのでしょうか、『ちょっと待てよ。がん即、死と考えてしまうのは狭い知識のせいではないのか。どこかに治す方法は必ずあるはず』と頭を切り換えることにしました。

私はそれまで尿管や尿道の位置さえ分からず、前立腺の役割さえも知りませんでした。つまずいてしまったけれど、これから先の健康のために知識を得て、このピンチをチャンスに変えようと思いました。

入院するにあたって、夜遅くまで読書をしても周りに迷惑をかけないようにと個室を希望しました。そしたら『1か月以上先まで空きが無い』と言うではないですか。それならばと自宅で待機することにしたのです。

日本冬虫夏草を飲み始めたのはこの頃からです。妻が銀行で順番待ちをしている時、たまたま開いた週刊誌の日本冬虫夏草の記事に目に留まりました。それがきっかけです。

申請していたがん保険もすぐに下りました。他の保険会社の給付金も加算されて、たとえ病院の最高級の特別室を借りたにしても数か月は大丈夫なほどの経済的余裕が生まれたのです。休職のまま情報収集を続けました。

病院の通常療法は、決してがん体質を根本から治してくれるものではないこと。 そういう体の環境を作ったのも自分、治すのも自分ということ。食べ物から体の細胞が作られているけれど、細胞の病気であるがんを治すには食べ物が深く関わっているということ。

さまざまな本を読んでいくうちに頭の中が整理されていって心が静まり、体にとって何が良くて何が悪いのか明確になっていきました。玄米菜食を心掛け、主食であるお米にもこだわって、粘り気のないキヨニシキという品種の無農薬無肥料米を食べました。

 食品添加物のような化学的なものは排除し、食事は家族の分まで1日3食作りました。『薬は毒だ/田村豊幸著(農文協現在廃刊)』(※最近では「薬をやめると病気が治る/安保徹 著(マキノ出版)などがあります)という本に影響を受けて、病院から渡された薬は一切飲まないということもありました。

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実際に渡されたお薬

【経緯(1)】

1996年1月12日 組織検査でがん細胞が見つかり、前立腺がんと診断。
1月25日
〈発見から14日目〉
日本冬虫夏草を飲み始める。食事療法も開始。
おしっこが勢い良く出るようになる。
2月9日 日本冬虫夏草を浣腸してみる。
瞬間的にスッキリしたので続けることに。
2月22日 血便が出る。
2月29日 7日間続いた血便がピタリと止まり、一転きれいな便に。
悪いところが全部出て、ひょっとしたら治ったのではと思う。
3月1日 病院に行き腫瘍マーカー検査。正常値になっている。
日本冬虫夏草を飲み始めてから1か月余り。

今でも記念に取って置いてますが、渡された薬の量は半端ではありませんでした。そして、次第に体に変化が現れ始めました。それから2か月後の手術当日。がんが消失したため、急遽手術が取り止めになるとは。誰も予想してなかったことが起こるのです」

朝日ウイル(北燈社)2002年6月18日号より

 「1996年3月1日のこと。前立腺がんの腫瘍マーカーが、異常値から正常値に下がっても手術の予定が変更されることはありませんでした。先生は『1月の病理組織検査で前立腺がんが確定されていることですし、数値が正常になっても腫瘍マーカーは腫瘍そのものを示すのではないので、予定通り大きな病院で手術しましょう』とおっしゃって、紹介されていた山口大学付属病院の個室が空くのをそのまま待つことになりました。

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片山茂さん

ここ1か月ほどは、前にもお話したように健康やがんに関する本であれば片っ端から読んで、入院まで充分時間があるのだから、黙ってないで自分にできる自然療法をやってみようと、自ら調理して食事療法の研究に取り組んだり、日本冬虫夏草を試したりしました。日本冬虫夏草は1日に700cc飲んで夜中にも飲み、浣腸法も編み出しました。この頃になるとすでにおしっこは勢いよく出るようになっていましたし、病気の自覚症状が全く無くなっていたのです。

 4月16日になってようやく入院となりました。早速、手術日が5月13日に決まり、再び組織検査、骨シンチ検査等、1か月かけて行っていくのです。私が入ることのできた部屋は、ナースセンターのほぼ真向かいにあって、冷蔵庫もテレビも電話もお風呂もトイレも何もかも揃っていて、おそらく大臣が利用するであろうというようなところだったんですよ(笑)。ここでなら自宅でやっていた療法を誰に気兼ねすることなく、そのまま続けられるというものです。

もともと肉や乳製品は食べられないので、その食材の入る病院食にはほとんど手をつけず、妻が自宅から運んでくれる食事を毎日食べていました。ルームランナーを入れて毎日1万歩歩いたり、1階から7階まで、階段の登り降りを毎日2往復したり、ちょっとやり過ぎだったかもしれませんが、とにかく元気だから体を動かしたいし、やったところで疲れるというよりはむしろ快調だったように思います。

がん細胞消失 手術中止

 そんな中、とうとう手術の前日を迎えることになりました。手術が避けられたらという思いできたわけですが、ここまできたら腹をくくるしかありません。翌朝9時からの手術に備えてその晩は早く休み、ぐっすり寝入っていました。夜中の1時を過ぎた頃でしょうか。ぞろぞろと部屋に誰かが入ってくる気配に起こされました。手術チーム5名がベッド脇に並んでいるようです。そして『片山さん、今まで会議してようやく結論が出ました。外部に出していた組織検査の結果から、がん細胞が全く見つからなかったので手術は中止にします』と言うのです。

【経緯(2)】

1996年4月16日 ようやくベットが空き入院。
4月18日 組織検査。(この結果が出るのは5月12日)
その後も検査が続く。
5月13日 組織検査の結果が出て、がん細胞が全く見つからず、
長時間の会議の末、手術当日の未明に手術取り止めとなる。

 治療を何もしないでがんが治ったわけですから不思議な人ということで病院内ではたちまち話題になりました。スタッフの中には『片山さんは何の宗教を信仰しているのですか』と質問する人まで現れて。でも私のような人がいたら、祈ったり気力で立ち向かおうとする前に、少し落ち着いて健康とは何かをぜひ勉強してほしいと思うのです。

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奥様のまきさん

治癒は努力の結果でまぐれ当りではないという証拠に、日本冬虫夏草を飲み、同じように生活した妻は、すぐにでも子宮摘出手術が必要な程、大きな子宮筋腫をかかえていましたが、みるみる縮小し、手術の必要がまったくなくなってしまったのです。この生活をやる以前は、筋腫は赤ん坊の頭程ありました。そして、85歳になる母の白髪が根元から黒くなっていったのはちょっと予想外のことでした。

 私は、大学で声楽を学び、元レコード歌手だったこともあって、自宅でカラオケ教室を営んでいます。生徒さんの中には歌を習う以上に健康談義を楽しみに通う人も多いんですよ。歌うことは横隔膜を動かしてそのバイブレーションで脳を刺激し、がん細胞を掃除する免疫力をアップさせます。ここに通うようになってから健康になったと喜ばれるのは、私にとっていちばんの嬉しいことです。体験を生かして、幸せをお分けできることが自らの幸せと感じています」

朝日ウイル(北燈社)2002年7月16日号より

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日本カラオケ大賞11月大会にて片山さんが熟年部門金賞を受賞なさった記事が「月刊カラオケ大賞2001年2月号」で紹介されました。病気を経験してから、より声にも磨きがかかっていったそうです。

 片山さんから「ぶち元気です」(山口弁で大変元気という意味だそうです)とお電話をいただきました。奥さんのまきさんも、92歳になられたお母様もお元気ということでした。

2003年12月12日のお話より

 お母様は95才の高齢になり、まきさんは退職され、茂さんと共に元気にお母様の介護をされてるそうです。「母は10年前に日本冬虫夏草を飲んだ影響が大きく、何度も元気が復活するので、医師も不思議がってます」

2005年12月16日のお話より

 「国民体育大会がある一方で、国民文化祭というものがあるのをご存知でしょうか。今年で21回目となり、今回は地元の山口県で開催されます。数々のコンクールの中に歌の部門があり、47都道府県の代表が自慢のノドを競い合います。本選の前にオーディションが進められ、すでに47名から20名にしぼられています。

私はその20名に残ることができまして、11月4日の本選(美祢市、芸術村)では「霧の摩周湖」を唄うつもりでいます。生演奏で気持ち良く唄えるのを思い描いて、今からわくわく楽しみにしています。これも元気でいればこそで、健康に感謝しています」

2006年8月4日のお話より

 「11月の国民文化祭は大変盛りあがり、その時応援にかけつけてくれたカラオケ教室の生徒の皆と私の姉夫婦、弟夫婦も加わって、クリスマスパーティを賑やかに開催しました。張り合いを持って楽しく過ごすことができるのも健康であればこそで、先日の基礎検診では血液は100点満点でしたし、骨密度は20代後半という結果でした。58歳の妻にいたっては20歳とまで出てしまって、おかしいから足を2回洗って、3度検査したほどです。妻は、牛乳やヨーグルトなどの乳製品は一切食べませんし、特別カルシウムを意識して摂っているわけでもありません。代謝も若返ったのか、体重も5kg減ったというのです。

我が家では、15種類の野菜を庭の一角に栽培しています。朝食はそれらの採れたての野菜に、玄米黒酢、キダチアロエ、フルーツを加え、ジューサーにかけた飲みものだけで済ませます。他に作ってるのは根こんぶ水とビワ葉酒。毎日摂る水も、こだわって選んだ海洋深層水を使っています。がんが消失してから元気に10年が過ぎました。日本冬虫夏草は現在も続けています」

2006年12月6日のお話より

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片山しげる カラオケ教室

 「母(享年97歳)の四十九日も無事終わり、このごろはボランティア活動に励んでいます。最愛の母と別れた直後は妻と二人で途方に暮れる毎日でした。最期まで母は自宅で過ごしました。12年間の介護もとうとう終わってしまいました。

ボランティア活動とは歌の指導です。ひとりでも多くの人の心が元気になり、心の中に希望が生まれることを願っています。これから先も私は歌と共にあります」

2008年3月12日のお便りより

 「ますます元気にしております。週に3、4日は妻とウォーキングをしています。1回のウォーキングで10000歩歩きます。今年はゴルフコンペで4勝しました。妻も最近ゴルフを始めました。30分の体操から1日が始まります。食事に気を付けたり運動を取り入れたりするようになったのはがんになってからです。前立腺がんが消えてから13年になります」

2009年12月7日のお話より

 「ここ3~4年は若い頃より元気なんです。10000歩のウォーキングを週に5日実践しています。健康に自信を持って生きています。それでも怪我をしたら元も子もありませんからね(笑い)。交通事故には極力気を付けて、私自身も安全運転を心掛けています。前立腺がんが消えてから18年経ちました」

2014年7月7日のお話より

 「76歳になりました。血液検査は満点です。死ぬまで筋肉は鍛えられると思っていて、間接の可動域を広げる運動、股関節や体幹を鍛える運動は朝のルーティンとして欠かしません。ゴルフコースに出て15000歩歩いても疲れや筋肉痛は皆無でよく眠れます。週に5日は料理をして頭の方も鍛えています。『認知症の予防には料理が一番』とはなるほどよく言ったものだと実感しています。前立腺がんが消えてから20年が経過しました」

2016年11月16日のお話より

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 「カラオケ教室をたたみ、兄弟親戚が住む大阪府に引っ越しました。思い切って決断して正解でした。車を運転する必要がなく、自分の足でどこへでも行ける利便性です。また、毎日散歩を欠かしませんが、週に3度は花博記念公園に出掛けます。きちんと整備されていてとても美しい場所です。お陰で毎日夜はぐっすり眠れています。快適な環境で、妻共々ものすごくハッピーな暮らしをしています」

2018年12月2日のお話より

 「はちきれんばかりに元気にしております。来年は80歳になります」

2019年12月4日のお話より

 「妻は普段からおしゃれに気を使う人で、たとえ近所を散歩する際も目いっぱいおしゃれをして出掛けます。私も妻に合わせてファッションにこだわるようになりました。先日、マンションの管理人さんに遭遇した際、『お二人とも素敵な装いでどちらまでお出掛けでしたか?』と尋ねられたので、『そこの郵便局まで』と答えると『ひぇーっ!』とずいぶん驚かれてました(笑)。コロナ禍でもおしゃれを楽しみ、コロナ禍の日常を楽しんでいます。二人ともめちゃくちゃ元気にしています」

2020年7月20日のお話より

 「この度健康診断を受けました。100点満点の結果でした。あと1か月ちょっとで80歳になります。食欲も食事の量も変わりませんし、風邪をひくこともありません。日本冬虫夏草と巡り会ってから、健康にについて人一倍勉強し、研究、実践してきたお蔭だと思っています」

2020年9月20日のお話より

 「もうすぐ82歳になりますが、変わらず元気にしています。早いものですね。がん消失から26年半が経とうとしています。3オクターブの声を保つために始めたストレッチや筋トレも50年くらい続いています。ウオーキングも雨の日以外は毎日。40分~60分は歩きます。若い人と腕相撲しても負けることがないんですよ(笑い)。

でもね。継続が一番難しいことなんですよ。確かに3~4か月は続けられるかもしれないけど、その先に行けるかです。運動と、カロリーを意識した一日三食の食事を基本に、病気に負けない体、3オクターブの声の出る体をつくっています」

2022年8月23日のお話より

autumn-mott-rodeheaver-SPd9CSoWCkY-unsplash.jpg  「大阪に引っ越してから車に乗る必要がなくなりました。ほとんどの用事が徒歩圏内で済みますのでそれが健康に役立っていると思います。天候の悪い日以外はとにかく歩きます。買いだめはしません。用事を作って毎日の外出を心掛けています。今月で83歳になりました。風邪一つひかずとにかく元気です。

 妻がコロナに感染しても自分は陰性で無事でした。今は卒業しましたが、日本冬虫夏草は28年飲み続けました。それで今の身体が出来ていると思っています」

2023年11月20日のお話より

N.M.I.
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