皆様の声・体験談

何傑さん(かけつ 北京市在住)のお父様の場合

 「2015年6月12日のことでした。実家のある江蘇省南通市の病院から連絡が入ったのです。83歳の父が胆管がんで『このままだと一週間の命』という知らせでした。北京から空路で父のもとへ飛びました。面会すると、痩せて黄疸が出ていました。

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 『このところ、何を食べても砂を噛んでいるようでまずいんだ。食事をする気になんかならないよ』とボヤいています。そこで私は、父に日本冬虫夏草を差し出しました。

 実はさかのぼること8か月前、私は肺の腫瘍摘出手術をしていました。日本冬虫夏草は術前から飲み続けていました。検査入院した病院では、肺がんの患者さん3人と知り合いになりましたが、1年経たないうちに皆亡くなって、自分だけピンピンしていたのです。何傑さんご本人のお話はこちらです。

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 『飲みたくない』と子供のように駄々をこねる父に、『日本からいろんな人の手を介して届いたものなんだよ。苦労したんだよ』と説得し続け、口にしてもらいました。傍らで看護していた弟は、半信半疑といった様子でした。医師は、『黄疸の数値が165ではもうここでは何もできないよ』と言いました。そして、上海の病院に転院させる方針でした。一方、日本冬虫夏草を飲ませることには賛同してくれました。そんな医師の言葉を聞いて弟の態度も変わっていったのです。

黄疸が治り、手術が中止に

 受け入れ態勢が整い、上海の病院に移ったのは6月28日です。そこは、肝と胆の専門病院でした。黄疸の数値は135に低下していました。すぐに手術に入ることになりましたが、私は、『2日、待ってほしい』と願い出ました。というのも、年齢的に手術はリスクが大き過ぎると思ったのです。医師も理解を示してくれました。その2日間は、日本冬虫夏草を1日700cc飲ませました。すると数値が110まで低下し、運よく手術が中止になったのです。

 医師は、『がんだったら、数値は上昇していくしかないから不思議だ』と言いました。そして、ついには胆管がんも小さくなって胆汁が通るようになり、食事もおいしく食べられるようになっていったのです。そして、7月15日にはめでたく退院の運びとなったのです。

 実家に戻った父は、お粥は自分で作って食べていました。スープは友人のレストランからいただいて来るようでした。常に油抜きの食事を心がけていました。それ以外は普段通りの暮しです。

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 父は文化人で器用な人でした。書道の腕前もすごかったし、編み物も出来て、私と弟にセーターとズボンを編んでくれたことがあります。まっすぐで勤勉な人でした。『国のお金を頼りにしてはいけないよ。自分の力で頑張るんだ』と常に私たちに言い聞かせました。

 2016年に入って間もなく、トイレで倒れて入院するアクシデントがありましたが、すぐに退院して普段の暮らしに戻っていました。そして再び2016年4月5日にトイレまで歩いて行って、戻るところで倒れました。弟が心臓の鼓動が止まってるのに気付いてすぐに心臓マッサージを施すと、脈を打ち始めました。そのまま救急車で病院に運びましたが、どうしても血圧が50から上がらず、翌朝8:46に心肺停止となりました。

多くの人の手が最高のゴールに導いてくれた

 父は痛くも無く、苦しくも無く、見事な最期を迎えました。幸せな最期と言っていいでしょう。前日まで、美味しく食事をして、排泄も自分で出来て、心地よく眠れてましたからね。一流企業に勤めていたのに、離職して父を見守り続けてくれた弟に感謝しています。

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 また、父のために日本冬虫夏草を運んでくださった方々、食事をサポートして下った方々、息子の私の提案に敬意を払ってくださった病院の先生方など、多くの人の手が父をこのゴールへと導いてくれたのだと思います。心より感謝申し上げます」

2017年6月4日のお話より

N.M.I.
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