皆様の声・体験談

月島さわさん(宮城県在住 仮名)とお嬢様のかれんさんの場合

 「2026年のこと。新年を迎えてすぐ、どうも娘の様子が『おかしい』のです。タイミングをはかって尋ねると、『乳房のしこりに気づいて、検査をしてみたらがん細胞が見つかったの。1月20日に摘出手術の予定が入っているのよ』と打ち明けたのです。

私に心配をかけまいとして黙っていたのでした。1月2日に矢萩さんと少し話をすることができました。しばらく遠のいていた日本冬虫夏草を1月3日から彼女に飲ませました。

いよいよ手術当日です。何泊もするつもりでしっかり入院準備をして臨んでいました。

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がん細胞消失

 手術が終わって、先生から思いがけないことを告げられました。『大丈夫だから帰っていいよ。このあと、何もすることはありませんから』

そう聞いて拍子抜けしてしまいました。がん細胞はどこにも見つからなかったのです。残念な気分になるというのも変ですが(笑)、『もう一泊させてください』と頼み込んで泊めてもらいました。

不思議なことに傷口の痛みは、当日も翌日も全く無いのです。抗がん剤治療の必要がないことにも胸をなでおろしました。

【お嬢様のかれんさんの経緯】

2025年12月はじめ 乳がん細胞見つかる
2026年1月2日 日本冬虫夏草再開
1月20日 患部を摘出するもがん細胞見つからず、消失。

 かれんは2018年に乳がんで反対側の乳房を手術していました。この時も術前から日本冬虫夏草を飲みました。リンパにがん細胞は見つからず、転移はなかったものの細胞分裂が活発でタチの悪いタイプということで、抗がん剤治療をすすめられ、応じました。

副作用が辛く、終盤には投与量を8割ほどに減らしてもらい、なんとかその治療を終えたという経緯がありました。ただ、白血球数が減少しないので、先生はしきりに不思議がっていました。病気を機に仕事は辞めて、リラックスして過ごせるよう生き方を変えました。飲んでた牛乳を豆乳にしたり、食事も変えていきました。

私は、飲む点滴としてブームになった甘酒を大量に作り、冷凍保存してかれんに届け続けました。

母娘でがんを乗り越えてきた

 実は、私も2004年に乳がんの手術を受けています。術前から日本冬虫夏草を飲み、リンパにがん細胞は見つからなかったものの、放射線治療をすすめられ応じました。看護師さんからしきりに『吐き気はないですか?』と尋ねられました。まったく平気なのでとても不思議がられていました。抗がん剤治療はありません。あのとき『この病気は、一生治りませんよ。20年以内の命と思ってください』と告げられました。

そもそも明日の命なんて分かりません。明日、不慮の事故や天災で終りかもしれません。わざわざ命の期限を告げる必要があるのでしょうか?周りは勝手に私の命の品定めをするけれども、自分の命のスポンサーは自分。自分で見切りをつけなければいいのです。

あの頃は、矢萩さんのご両親の信夫先生と禮美子先生からさまざまな研究のお話を伺った思い出があります。心の波が静まって落ち着いていったのを覚えています。

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 それから再発なく20年を越え、22年を迎えました。かれんの方は再発なく無事8年を越えようとしていたところの出来事でした。それでも自分の力で消したのですから、乳がんを克服したといってもよいのかなと思います。

二人に共通する不思議なことが一つあります。手術の際に麻酔が効かなかったことです。量の調整が必要でした。日本冬虫夏草を直前まで飲んでたからかなと考え、この度の手術直前には控えてもらうと、通常量で効きました。

何かに守られているような気がする

 私は9人兄弟姉妹の末っ子として未熟児で生まれました。この時点でもそうだし、百日咳にかかった時も、『手の施しようがない。もうだめです』と告げられ、今年80歳になります。

 乳がんの手術の後、帯状疱疹の罹患に気づかず治癒していたことがあります。体力を付けようとウオーキングを頑張っていて、汗をかいて『かゆいな』と思い、飲んでる冬虫夏草を湿布してみました。衣服が濡れないよう、上からラップでカバーしました。するとかさぶたが出来てはがれて治りました。

たまたま病院で診てもらう機会がありました。先生は驚いて『痛かったでしょう?よく耐えたね』とおっしゃいます。『全然痛みはなかったのです』と答えると『こ、これは帯状疱疹ですよ!』とのけぞっておられました。

 仙台市内に出かけるとき、私はいつも阿武隈急行を利用します。用事を済ませて帰るころには、あたりはすっかり暗くなっていることがほとんどでした。車窓から見える街の灯りや、夜の静けさにも、いつしか慣れていました。

 2011年3月11日、東日本大震災が起きたあの日も、私は仙台市内で過ごしていました。いつもなら、もう少しゆっくりしてから帰るところでした。ところが、その日に限って、ふと「今日は早く帰っちゃおう」と思い立ったのです。自分でも不思議なくらい、何の迷いもなく帰ることにしました。

自宅にたどり着いて間もなく、経験したことのない大きな揺れに襲われました。

もし、あのまま仙台市内にいたらどうなっていたでしょう。インフラは麻痺、信号も止まり、携帯電話もつながらない。帰る手段も、誰かと連絡を取る方法もなく、雪の舞う寒空の下でひとり途方に暮れていたはずです。多くの犠牲者や苦労を思うと今でも胸が痛みます。早く帰ろうと思い立ったことが、どれほどありがたいことだったか。

一方、息子は石巻市に出張していました。普段なら海沿いの道を運転して帰るところ、その日に限って山道を選んだのです。そのおかげで、津波に巻き込まれずに済みました。

私も息子も、あの日、ほんの少し違う選択をしていたら、どうなっていたかわかりません。人生には、自分では説明のつかない不思議な力に導かれることがあるものです。

 2016年には、お腹が痛くて病院から胃腸薬をもらい、痛みが取れたので2か月間普通に過ごしました。また痛みが出たので診てもらうと盲腸が爆発してて、7時間の手術を受けました。その時も回復力が凄まじく、家に戻ってすぐに草取りをしたくらいです。

親子で日本冬虫夏草を飲んでいることは病院の先生たちには伏せてまいりました。

体を酷使した時代

 80年代から90年代、2000年代初めにもなごりが残ってましたが、日本人ががむしゃらに働き、沸いてた時代を通り抜けてきました。夫は、仕事を終えるとそのまま同僚たちと飲みに出かけ、2次会や3次会と称してメンバーが我が家になだれ込みます。

『世話になってるからどーかたのむね』といわれればこちらも全身全霊でもてなさざるを得ません。まだ小さかった子供達には、『ごめんね、夕飯のごちそうをお客様にお出しするから納豆で食べて休んでね』と謝り(笑)、居酒屋のおかみに扮します。その後、カラオケ店の店長をして場を盛り上げ、そして泊まる方のために、宿屋のおかみに扮し、朝、モーニングを用意して会社に送り出します。子供たちもいつものように学校へ送り出さなくてはなりません。

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かれんは、そのことをよく覚えていて『お母さん、あの頃ずーっと睡眠不足だったし、ずいぶん体を酷使してたよね。日本が経済大国といわれた陰でお母さんのように身を削って支えてくれてた人が大勢いたのを忘れちゃいけない』と大人になってから、ねぎらってくれました。

心に効く薬はさまざま

 33歳の時、母親を亡くしました。喪失感で1年は調子が悪かった。猫を飼い始めて、母の椅子にちょこんと座っているのを見てからでした。まるで、そこが自分の居場所であるかのように、何のためらいもなく座っている姿でした。ただそれだけで一気に心が晴れていったというのか、元気になりました。猫の力ってすごいなと思いました。

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 夫に先立たれた時もそうです。ずっと心が沈んでいるというのでしょうか。ある日、『自衛隊の音楽隊がやってくるから行ってみようよ』と友人が誘ってくれました。

素晴らしい演奏でした。音の振動が体の芯に伝わってきて揺り動かされたとでもいうのでしようか?胸の奥をふさいでいた何かが、少しずつはがれ落ちていくように心が晴れ渡っていったのです。音楽の力ってすごいなと思いました。

 時々、ひとりで静寂閑雅なお寺に出かけるのも気分転換のひとつです。住職さんのパートナーさんは、私よりずいぶんお若いのですが、お友達になってくださいました。

 ある日まだハイハイしている1歳くらいのお子さんを連れた女性がお参りにやってきました。先立たれた長女さんの命日だというのです。お話を聞くと、障害を持って生まれたお子さんを育て、そして亡くされて、ずいぶん自分を責めているようでした。

私は、『その子は、あなたを選んできたんですよ』と言葉をかけました。傍らにいる次女さんは、仏壇の周りでよく遊んでるといいます。『その子には見えてるんですよ。亡くなったお姉さんが遊んでくれてるんですよ』と伝えました。そして『長女さんがそうやって助けてくれてるから、何かあれば守ってくれますよ』とも。

表情がやわらいで元気になっていったのが分かりました。『いつかまた会おうね』とグーを差し出したら次女さんがグータッチをしてくれました。お寺の友人は、『友達にも言えないことだから他人の月島さんに話せたことで心の荷が下りましたね』と合掌されました。

 私はいろんな局面で守られ、ここまで生かされてきました。ですから今度は何かの形で恩返ししたいと思っています。絶望の淵にいる人たちの力になれたらこれほど嬉しいことはありません。最後に伝えたい言葉があります。『心が晴れる日は必ずやってきます。そして、心の中に虹のかかる日は必ずやってきます。あきらめることはありませんよ』

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2026年10月26日のお話より

病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。
実名とポートレート(ご自身の写真)、尚且つ実物の検査データや画像を添えて公開して下さった方、苗字を除き名前(実名)だけの方、また仮名の方など、体験者の意向を尊重しております。
特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。

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