皆様の声・体験談

海野光太郎さん(山形県在住  2016年当時64歳 仮名)の場合

 「2016年のことです。健康診断を受けた際に、どうも胃から出血があるらしいとのことで、胃カメラ検査を受けるように促されました。自覚症状は何もありませんでした。

JD158_72A.jpg

検査をすると胃がんであり、ステージはⅡという診断結果でした。胃カメラの画像はモニターに映し出され、先生と一緒に私自身もリアルタイムで見ることができました。病巣は黒っぽく写っていました。

 2016年9月15日に胃の2/3と、リンパ節を摘出する手術をしました。リンパ節は胃の周りのみだけです。

リンパ節の病理検査をすると、一個のリンパ節に8個のがん細胞が入っていて、8個がリンパ節に入る最大数といわれました。そういうわけで、術後の判定はステージⅢに上がりました。

リンパ節に浸潤していたため、TS-1という抗がん剤を渡され、服用することになりました。これは1年以上服用することはできないそうで、1年で終了だそうです。3週間服用して1週間服用を休むというやり方です。

術後は腫瘍マーカーのCEA値が正常値(5以下)まで下がってましたが、半年後の2017年3月には10に上昇。TS-1を服用し続けました。マーカーが安定して5以下になることはありませんでした。

抗がん剤の服用ストップ

 抗がん剤終了の期日が迫ってきたころ、先生から『からだをいじめるのはやめましょうね』といわれ、服用中止となりました。残り2クール分を残し、予定より2か月半早くやめさせてもらいました。『効かなかった』といわれました。

患者である私の顔を見ないで、パソコンの画面だけを眺めているような先生でしたが、通院の度に『副作用がしんどい』と訴える私の気持ちをついに汲んでくれたのです。TS-1を服用している3週間は食欲はないし、吐き気やだるさがありました。休んでいる1週間はそれらから解放され、体調が良くなるのを実感していました。

 『抗がん剤の使用はこれまで』と私個人の限界をみきわめてもらったところで、日本冬虫夏草のことが脳裏に浮かびました。実は、術後1か月半が経った頃、矢萩先生にお会いして学術的なお話を聞くチャンスに恵まれ、その後1か月ほど日本冬虫夏草を飲んだ経緯がありました。それっきりになっていたので本格的に飲んでみようと決めたのです。仕事の現場で棟梁が話してくれたことが、日本冬虫夏草を知るきっかけになりました。

2017年11月27日から日本冬虫夏草を本格的に飲みはじめました。2018年3月末にはマーカーが11でしたが、6月4日には5.9まで下がってきました。

このころになると、電話をかけた知り合いから『声がずいぶん若返って、別人かと思ったよ』と言われました。体調に自信が出てきてこの6月末には仕事にも復帰しました。さらに半年後、2019年1月になると、知り合いから『ふっくらしてきたね』と言われました。そして、5以下にマーカーが安定するようになっていったのです。

経緯

2016年9月15日

手術。術後の腫瘍マーカーは5以下の正常値に。

2016年11月14日 抗がん剤服用開始。1年の期限付き。
2016年11月 日本冬虫夏草を1か月だけ飲む。
2017年8月27日 抗がん剤を2か月半前倒しで終了。効かなかったとの見立て。
2017年9月11日 腫瘍マーカー10.80。
2017年11月27日 腫瘍マーカー10.90。日本冬虫夏草を本格的に開始。
2018年3月 腫瘍マーカー11。
2018年6月4日 腫瘍マーカーが5.9に下がってくる。声が戻る。
2018年6月末 職場復帰。
2019年1月 腫瘍マーカーが5以下の正常値で安定する。太る。

病気の原因を探る

タバコは当の昔(25年前)に止めていたし、お酒だってたくさん飲むわけでもないし、がん家系でもありませんでした。いったい何が自分の病気を作ったのか考えた時、精神的ストレスではないかと思いました。

私は、建設業を生業にしています。工期を守らなくてはいけないので、プレッシャーが胃に重くのしかかるような経験を幾度もしてきました。まずは、社会構造の変化で職人を集めるのが困難になったことが起因しています。その職人たちを動かすのも神経を使います。また、仕事の依頼を断れない自分の性格も起因しています。複数の依頼の工期が重なった時がストレスのピークでした。

AV012_L.jpg

 病気になったおかげで断る勇気が身に付きました。体に無茶をさせれば故障が生じるのは当たり前のことです。大事に大事に使い、長持ちさせようと思いました。

術後は食事を5回に分けて取るようになりました。食事量も1/3以下に減りました。でも、ひとくち50回以上と意識してよく噛み、栄養を残らず取るつもりで「量より質」という考えです。

今は、マーカーは正常値で安定しています。手術から5年が経過しました。先生からは『検査通院は、(公立の大きな総合病院から)お近くのクリニックに移ってもらっても大丈夫そうだね』と言われるまでになりました。日本冬虫夏草のことは先生には話しておりません。これからも日本冬虫夏草と付き合っていくつもりです。」

2021年9月20日のお話より

 「検査を引き継いでもらうクリニックに挨拶に行ってきました。仕事の方は、十分な余裕をもってやっています。本当のところ、私にとって仕事は趣味であり生きがいといえるかもしれません。仕事をしている時は、楽しくて病気だったことも忘れてしまいます。幸福感で満たされるかけがえのない時間を過ごせています」

2021年12月19日のお話より

 「積雪は『こんなもん』と思っていつもと同じ大寒の中を過ごしております。食事はヒトの食べるものだったら何でも(笑い)好き嫌いなくいただいております。17時を回りましたが、今も仕事中です。無理はしないと決めていますが、元気だからついつい頑張ってしまうのがたまにきずです」

2022年1月26日のお話より


 「『大病院での検査卒業』が言い渡され、バトンタッチされて挨拶に行ったクリニックがありましたが、あれから予約を入れることも受診をすることもなく過ごしています。というのも『健康になった』という実感と自信があるから。一日5回に分けていた食事もほぼ3回と普通の人と同じになっていますし、病気になる前より体が軽く、動き回れるのです。嬉しい驚きです」

2023年2月22日のお話より

N.M.I.
聞く