皆様の声・体験談

山内正徳さんとご家族の場合

 山内正徳さん(1998年当時 仙台ホテル・チャイニーズレストラン梅華園料理長)よりお話をうかがいました。(以下、山内氏談)

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 「身内の中から次々とがんになる人が出始めたのは、1995年頃からでした。最初は母親。S字結腸がんでした。次に妹で子宮がん。それから父の尿道・膀胱がんと続きました。私は、何かしてあげれることはないかと思い、当時東北大学で生薬の研究をしておられた近藤嘉和先生のもとを訪ねました。すると日本冬虫夏草の話をしてくださいました。日本冬虫夏草の研究は、まだ誰もやっていない分野で、先生はその先駆者でした。

半分の時間で退院

 私は、腫瘍の臓器圧迫や排泄障害を解消するための手術はやむを得ないと思っていましたが、抗がん剤に対しては賛同できませんでした。それで主治医に掛け合って、家族には抗がん剤を使わないという約束を取り付けたのです。

手術の前から日本冬虫夏草を飲んでもらって、3人に共通したことは、『普通の人の約半分の時間で退院できるもんだな』ということでした。なにしろ術後の感染症に悩まされることもなく、手術の傷も早くきれいに塞がりましたからね。すっかり健康を取り戻し、再発もなく、母は今年で7年。妹と父は5年目を迎えています。日本冬虫夏草は続けていますが、風邪を引くこともなくなって、がんになる前より元気になったようです。皆、私よりずっと元気じゃないですか?(笑)。母や妹は少し太りました。

料理人仲間の家族に心臓膜腫瘍と胆のうポリープ

 それから時期を同じくして、料理人仲間の奥さんが、心臓膜に良性の腫瘍が見つかったとの知らせが入りました。自覚症状が全く無く、気付かないでいたそうですが、実はそれは子どもの頃からあって、加齢とともに大きくなる性質のものらしいです。その時点で子どもの握り拳の大きさにまで成長し、心臓を圧迫し始めていました。たまたま風邪をひいて、胸のレントゲン撮影をしたため発見されたのだそうです。摘出手術の後から私のすすめで日本冬虫夏草を飲んでもらいました。

この話には後日談があります。退院の際に検査をしたら、今度は胆のうにポリープが見つかったそうです。でもそのままにして日本冬虫夏草を続け、1年後に調べたら小さくなっちゃってて、主治医から『もう心配はないよ』と言われたというのです。手術から今年で6年目。50歳を迎えられましたがなお元気で、第一線でバリバリと仕事をされています。やはり風邪をひくこともなくなったそうです。

腎臓結石との付き合い

 一方、その頃の私はというと40歳を越えたぐらいで、持病の腎臓結石の症状が出始めていました。結石のために2度の入退院を経験していますが、この痛みはなった人にしか分からない。とにかく頻繁にやってくるこの痛みに、自分のことも何とかしなくてはいけないなと思い始めていました」

 腎尿管結石の原因は血液の汚れといわれています。この病気でいちばんの問題は激しい痛みです。シュウ酸カルシウム、リン酸カルシウム、マグネシウムアンモニウムリン酸塩、尿酸、シスチンなどが腎で結晶化し、大きいものだと尿管にひっかかり激しい痛みにおそわれるのです。山内さんは、このために何度か病院に運ばれたことがあるといいます。(以下、山内氏談)

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 「初めの発作は1997年のことで、明け方、目が覚めました。普通 、痛みって弱くなったり強くなったり、波がありますでしょ。でもこれは、どんどん一方的に増していくだけ。いつか治まるだろうなんて余裕はないの。

脂汗が出て、うなって、救急車を呼ぼうと思ったけど、マンションに住んでいることもあって、静かにタクシーを呼び、病院まで運んでもらいました。この時は薬剤投与ですぐに石は落ちたんです。

腎臓結石、ストーンと落ちる

 2度目の発作はそれから1年後のことでした。入院して同様の治療を受けて。でも今度は2週間しても石は落ちてこない。そこで最終的に衝撃波を当てて石を砕いて落としたんです。この病気で入院してる人の中には銀行員もいましたし、結婚式を間近に控えた若い女性もいて様々でした。『どんな人でもなる病気なんだなぁ』と思いました。

発作の度に入院していては仕事にならないし、何か打つ手はないかと考えました。日本に生息する冬虫夏草は500種類以上といわれています。両親と妹が飲んでいる日本冬虫夏草の種類ではなく、別の種類を試すことにしたんです。毎日170ccぐらい飲みました。

ある時、腰痛があって『あっ石が動き出したな』と分かりました。10日ぐらいしてから、飲む量を倍以上に増やして集中的に飲むと、3日目に赤い血が出てきました。もう少しだなと思ってコップ2杯の水を飲んでその時を待ちました。いよいよとなり、トイレに行くと、米粒大の四角の角張った石がポロリところがり出たんです。見ると以前、病院の治療で排石されたものより大きいじゃないですか。それなのにあの耐え難い激痛は一切無く、普段どおり仕事をしていたわけですから、『こんな不思議なこともあるもんだ』と狐につままれたようでした。

そして昨年。再び米粒よりやや小さい石が同じように自然排石されました。それだったらと結石で悩んでいる前出の料理人仲間に、同様のものを勧めてみました。すると、やはり目立った痛みが無く自然排石されて。いつも病院に行くしかなかったのにこんなことは初めてだと驚いていました。

 日常的に誰でも小さな結晶は気づかないうちに自然排泄されているものですが、大きな結晶にまで成長させてしまう人がいます。私にとってこういう結晶は1年に1回のペースで動き出し、落ちてくるようです。母のがんに始まり、妹、父のがん。そして私の結石と続きましたが、皆無事に元気に過ごしています。これからも日本冬虫夏草等と付き合っていくつもりでいます」

朝日ウィル(北燈社)2001年4月10日号より

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 仙台ホテルで「山内料理長の究極爆蒸美食」会が催されました。山内さんの本格中国料理の技の数々に感動しました。その中に「山海珍味壺蒸」というスープがありました。冬虫夏草、鹿の角、朝鮮人参、フカヒレ、乾し貝柱、あわび、なまこ等が入っていて美味で絶品。おかわりを何杯もしました。その晩は眠らなくても平気なほど元気で、朝まで仕事をしていたくらいです。その元気は24時間保ちました。24時間目にプツリと切れたのがわかりました。

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 日韓ワールドカップでは、韓国チームが最後の最後まで体力が落ちることなくねばりを出して勝ち進んでいます。選手達は毎日冬虫夏草と朝鮮人参を食べていると聞きました。やっぱりと思いました。日本チームにこのスープを飲ませてあげたいという思いにかられました。

2002年6月24日。「山内料理長の究極爆蒸美食」会に参加して

父の晩年について

 「2008年のこと。母は手術から13年、妹と父は11年、再発なく元気に過ごし、克服し、がんとは縁が切れたと思っていたころ、父の腎臓にがんが見つかり、片腎を摘出する手術を受けました。

それより3年前、2005年から心臓にステントを4本入れる手術をし、心筋梗塞の薬を服用し続けていました。そして、2010年に尿道にがんが見つかった時、『今度も悪いところを手術で取って長生きしてもらいたい』と私は思っていました。しかし、当の本人は『手術はもう結構』と拒んだのです。振り返れば、病院嫌い・医者嫌い・検査嫌い・薬嫌いの父が『よくここまで頑張ってきたもんだ』とつくづく思いました。『自分の人生の幕引きは、自分で決めて思った通りにやる』という父の希望をかなえようと思いました。尊厳を第一に考えようと思ったのです。

家を建て替え、晩年を新しい快適な住まいで過ごさせることができました。父は、痛みが出るようになると麻薬系の鎮痛剤の使用を選択し、安らかに84年の生涯を閉じました。

その後の皆の様子

 一方、母はがんの手術から25年、妹は23年、再発なく元気に過ごしています。母は90歳になりました。食が細くなったための栄養補給と腰痛予防を兼ねる、私が考案した特別なゼリーと羊羹を毎日食べています。

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ゼリーのレシピは、『ノンシュガーの甘酒・日本冬虫夏草・コンドロイチン末・グルコサミン末・朝鮮人参・ゼラチン』です。また、アレンジに『コンドロイチン・グルコサミン・かぼちゃ・さつまいも』もあります。

羊羹のレシピは、『かぼちゃ・ココナッツミルク・ゼラチン』です。いずれも冷凍保存したものを解凍して食べます。 腎結石の発作を繰り返していた私と料理人仲間は、結石で病院にかかることはなくなりました。彼の奥さんも元気にしています」

2020年10月17日のお話より

 「ひとまず、新型コロナウイルスのワクチン接種も終了し、母も妹も私も皆元気で過ごしております」

2021年8月7日のお話より

 「夏ごろに左手指の関節に痛みがありました。切ってほしいと願うぐらいの痛みでした。『リウマチかなぁ』とも思いました。今まで飲んだことのない種類の日本冬虫夏草を飲みました。この度、『痛みはどうですか』と矢萩さんに尋ねられビックリしました。『そういえば痛くない!』いつの間にか治ってました。今年の夏は釣りにはまって、ハゼやウナギなどをよく釣りました」

2021年12月10日のお話より

 「みんな元気にしております。母用オリジナル栄養ゼリーとオリジナル栄養羊羹は継続中です」

2022年2月20日のお話より

 「ここずっと結石の発作はありません。料理人仲間も同様です。母は今年で94歳になります。みんな元気にしております」

2024年2月20日のお話より

N.M.I.
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