皆様の声・体験談

小村幸子さん(宮崎県在住 1995年当時56歳)の場合

 近況は末尾に加筆してございます。

 「1995年の3月末のことでした。濃いワイン色の血尿が出たんです。ずいぶん前に尿管結石をやりましてね。ピンク色の血尿が出たことがあったのですが、明らかにそれとは違ってて、何やら悪い予感がしました。それでも仕事は休めなくて。病院に行くことが出来たのは3日後のことです。

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小村幸子さん

 CT検査をすると片腎の中央にハッキリと影が映し出されていました。先生ががんという言葉を口にするより早く『先生、これは何センチぐらいのがんですか?』と私の方からお尋ねしたんです。すると『4、5ミリありますね。片腎を摘出する手術をした方がいいでしょう』と答えが返ってきました。

私は、この事実をどちらかというと冷静に受け止めていました。というのも20年前に姉が乳がんになり、それを克服。元気に暮らしている姿を見ていたからです。

姉が乳がんを克服

 姉が乳がんだと知った当初はかなりうろたえました。入院した姉を看病しながら、居ても立ってもいられず、自分がしてあげられることはないものかと必死に探しておりました。そして病室で読んだ『主婦の友』に矢萩禮美子先生を紹介した記事があって目に止まったのです。すぐに当時住んでいた神戸から先生のところに向かいました。1975年12月17日のことでした。

 駅に着いたとき、雪が舞っていました。禮美子先生は、翌朝には妹さんの結婚式を控えているというのに夜中まで私の話に付き合ってくださって。結婚式のことは一切おっしゃらなかったんですよね。それを知ったのは後になってから。申し訳ないことをしたと思いました。

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ところで、先生のお母様からおみそ汁をごちそうになりましてね、具だくさんだったので驚きました。野菜をたくさん摂るための工夫だそうです。それ以来、我が家のおみそ汁も具だくさんになりました。

 姉には植物性のキノコを術後すぐに飲ませました。治療はその後放射線を少しあてましたが、抗がん剤等の薬剤は一切与えられませんでした。その後も植物性のキノコに動物性である日本冬虫夏草を加えながらずっと飲み続けてきました。

 さて、私の話に戻りますが、腫瘍発見の日から退院までを日を追って説明することにいたします。

経緯

1995年3月27日 CT検査で初めて腫瘍が発見され、手術をすすめられる。
1995年3月29日
発見から3日目
日本冬虫夏草を飲み始める。
発見から5日目 血尿が止まる。
発見から8日目 手術のため設備の整った別の病院に入院。 日本冬虫夏草をこっそり持ち込む。
4月6日
発見から11日目
MRIで腫瘍を再確認。3人の医師から悪性だからと改めて手術をすすめられる。腎は片方あれば大丈夫と言われたが、両方あるにこしたことがない。できれば切りたくないと思う。
発見から12日目 先生に頼んで何とか外泊許可をもらい帰宅。
発見から13日目 里心がついて病院には戻りたくなくなる。理由をつけて戻れないという電話を入れる。 日本冬虫夏草は1日に700cc〜1050cc。夜中にも飲む。夜中に飲んだ時は腎に染み込む感覚。日本冬虫夏草を胸腺に塗ったり、コンニャクハップで腎を温めたり、病室でできないことも自宅では大胆にやれる。
4月12日
発見から17日目
このまま戻らないわけにもいかず、気を取り直して病院に戻る。CTとMRIで再度検査。するとあったはずの腫瘍がきれいに消失している。 日本冬虫夏草を飲み始めてから15日目。

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1995年3月27日撮影 
左腎臓の中央に腫瘍がある

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1995年4月12日(発見から17日後)撮影
左腎臓の中央の腫瘍が消失。
MRIの写真は病院から1枚1500円で買い取りました。
大学病院では譲ってくれない場合もあるようです。

腎臓がん消失

 1995年4月12日、手術のために入院して10日目(中5日間は、外泊許可をもらい、自宅に戻り独自の手当てを十分に行う)、腫瘍発見から17日目のことです。先生が病室に検査のフィルムを持ってきましてね、『小村さん、不思議なんですよね。影がなくなっているんですよね』と首をひねっていらっしゃるんです。

病院での治療はこれまで一切なかったわけですしね。血管造影検査をさせて欲しいとも頼まれましたが、痛いのや苦しいのは何よりイヤでしたから、消えてるんだし、そのまま退院させてもらいました。

 発病の原因を振り返るとオーバーワークにあると思いました。毎日10時間は立ちっぱなしで働いていましたし、責任あるポジションにいて職場のストレスもありました。食事もきちんと取れてなかったし、接客業ですから思うようにトイレに行けず我慢して、腎臓に負担をかけていました。体は声は出せないけれど、赤い血を出してやりすぎだよと教えてくれてたんですね。

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職場での小村さん

 現在は退職してのんびりと暮らしております。姉と一緒に日本冬虫夏草は今も続けていて、最近は運動不足が気になって、ウォーキングを始めています。宮崎は今、桜が咲いて春本番といったところです」

朝日ウィル(北燈社)2002年3月19日号より

 「宮崎は厳しい残暑が続いていますが、元気でおります。再発なく今年で8年目を迎えました。 この度、結腸がんの知人が人工肛門を免れました。手術で開いてみると患部が小さくなっていたそうです。手術前に日本冬虫夏草を飲んでいます」

2003年9月3日のお話より

 「今年は腎臓移植のスキャンダルが世の中を騒がせましたが、『腎臓は片方あれば大丈夫』と簡単に摘出を勧められた当時のことを思い出しました。間一髪で2つ残せて幸運でした。あれから今日まで私は11年、姉は30年、再発と無縁で暮らしています。日本冬虫夏草は現在も続けています」

2006年12月21日のお話より

 「私が庭で育てた日向夏を送りました。農薬を使っていないので皮もマーマレードにして食べられますよ」

2008年5月26日のお話より

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いただいた日向夏

 「宮崎も、今年の春は寒くてえんどう豆が不作です。大好物なので食べられないのがとても残念です。庭の日向夏の方は無事に実りました。お送りしますね。腎臓がんが消失してから再発なく15年が経過しました。姉は乳がんの手術から再発無く34年です。 日本冬虫夏草とは長い長い付き合いになりました。今も傍らにおいて二人で飲んでいます」

2010年4月29日のお話より

 「早朝、新燃岳の大きな爆発がありました。地震も続いていて、火山灰がひどく、眼が痛いのには困りました。もちろん、空を仰ぐことも洗濯物も干せません。ここは避難勧告が出てないのでまだましですが、非難されて不自由な思いをされてる方々を思うと心が痛みます。1月は宮崎もずいぶん寒かったです。氷も張るし、霜柱も立ちました。 例年だと、2日寒いと3日目がほわんと暖かいのに、今年はそれがありません。噴火が、窓やドアを開け放して暮らすようになる春までにおさまってくれるといいのですが...がんが消失してからこの4月で16年になります」

2011年2月1日のお話より

 「暖かい日差しに恵まれ、姉と二人で窓を開けてドライブしました。今年初めてウグイスの美声を聞くことが出来ました。春を知らせるさえずりです。がんが消失してからこの4月で18年になります」

2013年2月25日のお話より

 「宮崎の暑さは格別です。時々雨は降りますが、けっして涼しくはなりません。湿度が上がってサウナのようになるだけです。暑さと闘ってるような毎日です。農学者の小泉武夫先生は、『甘酒は飲む点滴です』と言っておられます。この夏、私は一旦沸かした甘酒を冷やして飲むのを習慣にしております。なんとか元気で乗り越えられそうな気がします。日本冬虫夏草も一緒に飲んでいます」

2013年8月23日のお話より

 「この頃は姉の介護しながら過ごしております。姉妹共々がんの再発とは無縁でここまでやってきました。海藻が大好きで三陸のワカメを毎日いただきながら過ごしております」

2017年5月21日のお話より

 「姉が要介護3となりまして、私が介護をしております。私自身も要支援1をもらいました。しんどい毎日ですが、介護サービスをやりくりし、三陸のワカメを食べながら頑張っています」

2018年4月18日のお話より

 「緑滴る、この時期の緑陰の心地よさ、安らぎは格別で、他には得難いものがあります。梅雨が近づいています。コインランドリーへと走る直前の季節。 梅雨の時期は洗濯、乾燥をコインランドリーのマシーンに任せる暮しに切り替えます。 どこのお宅もお花の真っ盛りです。老老介護となりますが、姉の介護を頑張っています」

2019年5月13日のお話より

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 「台風の備えを一生懸命やりました。窓ガラスに養生テープを張ったのはもちろん、停電を想定して氷を大量に購入しました。姉のことを考えてホテルに避難しようとしましたが、周辺のホテルはすぐに満室になりました。古い家なので心配でしたが、一夜明けて、台風10号の被害はほとんどありませんでした。再発無く、私は25年。姉は44年が経過しました」

2020年9月7日のお話より

 「姉が86歳6か月、私は82歳になりました。人生の最終章を迎え、お墓を納骨堂に変えたりと終活に動き回っております。」

2021年12月6日のお葉書より

 「ワカメが大好きで、毎日いただいています。寒い日に大根などと炊きますが、やはり絶品です。お味噌汁にもなくてはなりません。三陸のワカメは私たちにとって特別なご馳走です」

2022年1月1日の年賀状より

 「暑中お見舞い申し上げます。酷暑続きで息をしているのみでやっとの毎日です。熱中症にのみ気をつけていますと、もっと恐ろしいコロナが当地でも一千人という数字が出て息がとまりそうです。そんな中でも三陸のワカメを日々いただいて姉と二人ふんばっています」

2022年7月17日のお葉書より

 「姉の介護を老体に鞭打って頑張ってきましたが、老々介護も限界になり、姉は現在、在宅型有料老人ホームでサービスを受けています。私は過労のため食事も1日1食しか食べられないほどだったのですが、今は1日2食にまで戻って体力が少しずつ回復しています。姉より先にダウンしてしまうところを寸でのところで回避できました。頑張りすぎでした。姉とは毎日19時に電話で会話します。お休み前のルーティンとなっています」

2023日5月15日のお話より

 

 「姉が在宅型有料老人ホームに入所してから1年になります。近くに住む妹が、姉の洗濯物を請け負ったり、私はできる限り姉の話し相手になり、分担しながら見守っています。三陸のワカメを毎日いただいて頑張りすぎないように過ごしております」

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2024年1月1日の年賀状より

N.M.I.
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