皆様の声・体験談

関口要久さん(62歳)の場合

 埼玉県在住の関口要久さん(62歳)は、遡ること24年前にがんと診断されました。その頃のお話と、克服されてから今日までを追取材しました。

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関口さんと山のお仲間

 「あれは1978年のことで、私は38歳でした。睾丸が腫れたので、病院で検査してもらうと、がんと診断され、すぐさまがんセンターを紹介されました。告知された時、不思議と恐怖感はなくて、大丈夫という気持ちでいました。でも妻はずいぶん心配したんでしょうね。伯父に相談してるんですよ。

 その1年程前に、親戚に胃がんの方(男性)がおりましてね。開腹手術をしてるんです。開けてみたら、肺や膵臓、肝臓にまで転移していてもはや手遅れだったそうです。手術中、そのまま閉じようという話になった時、介助にあたっていた看護師の姪が『それではあんまりだから、せめて原発巣の胃だけは取ってください』と願い出たそうです。そしてそのとおりにして、治療法はないからと、消化剤だけ処方されて自宅に帰されたということでした。ところが帰宅してからみるみる体力を取り戻し、元気になって、3か月後に検査してみると、肺や膵臓、肝臓の転移の痕跡が全く見当たらなくなったというのです。伯父は、その方の自宅での生活をつぶさに観察していて、毎日お茶代わりに日本冬虫夏草を飲んでいる姿を見ていました。

 妻の勧めで、私も日本冬虫夏草を飲み始めて9日目のことです。がんセンターで片方の睾丸を取り細胞検査をすると、手術チームの中で意見が二つに分かれるという事態が起きました。悪性であるという側と、そうでないとする側にです。結局、悪性の方の意見がとられて、それなら間違いなくリンパ管にも広がっているからと、リンパ管を取る手術が1か月後に予定されました。その間、他に広がらないよう予防のためと言われて、放射線を10回ほどあてました。日本冬虫夏草は毎日飲み続けていました。そして実際に手術で開いてみると、リンパ管はきれいで、どこにも腫瘍は見つからないのです。伯父は私の話を聞いて『やっぱりな』とあまり驚かない様子でした。

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関口要久さん

 私はあれから一度も再発なく元気に暮らしています。24年の間に検査も進歩したし、がんに対する見方も変化してきました。親戚の男性は、あの時、もう命がないと言われてたのに、その後17年生きました。公務員の勤めも果たし、78歳の天寿を全うしました。

 20代、30代の頃は、日本中の誰もがそうであったように、私もガムシャラに働きました。経営者としてのストレスも発病の原因に加わっていったのかもしれません。ただタバコは吸わないし、お酒もあまり飲みませんでした。病気をしてからは一日一日を大切に生きてきました。仕事は悔いが残らないよう、その都度現場で片付けてきました。社員には真剣で本音で向かい合うから、どうしても毒舌できつくなります。それでも理解して受け止めてくれる社員に恵まれたことに感謝しています。仕事の問題は現場解決。家に持ち込まない。愚痴は言わない。逆に妻からたまには仕事の話をしてほしいと言われます。仕事のために休日は遊び、そして休日のために仕事をします。

 空の仲間、海の仲間、山の仲間がいて、土日に誘いがあれば絶対断りません。この歳だから、断ると次から誘われなくなるから、どんなことしてでも行くの(笑)。孫と一緒の空の散歩、潮干狩り、山中での源泉探し、楽しみは尽きません。今度はスカイダイビングに挑戦するつもりです。がん予防には、ストレスを溜めないこと、溜まったら発散すること、治すために恐怖心を持たないということでしょうか。日本冬虫夏草は今も飲み続けています」

朝日ウィル(北燈社)2002年10月22日号より

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ライトプレーンを楽しむ様子

 奥様からお話を伺いました。「大変元気に過ごしております。ライトプレーンでの空の散歩も相変わらず楽しんでやっているようです」

2004年3月18日のお電話より

 「再発なく29年が経ちました。現在は、息子が頼れる存在となって一緒に働いてくれています」

2007年10月31日のお電話より

 「趣味仲間と集い、充実した時間が過ごせるのも、健康なればこそで、元気に飛び回っています」

2008年5月3日のお電話より

N.M.I.
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