皆様の声・体験談
斎藤康夫さん(神奈川県在住 当時72才)の場合
肺がん抗がん剤・放射線治療を受けた人克服しても気を抜かない
神奈川県茅ヶ崎市在住の斉藤康夫さん(72歳)は、肺がんを克服されてから再発もなく、お元気で過ごされています。ご本人にこれまでのお話を伺いました。
「朝、痰の中に赤い血が混ざっているのに気付いたのは、1998年の10月末のことでした。診てもらうために、その日のうちにひとりで病院に出かけました。そしたら入院と言われましてね。一週間、検査入院しました。検査結果 は、私と家族の揃ったところで告げられました。肺と肺のつなぎめのところに腫瘍があって、肺がんということなんです。レントゲン写 真を見ると管のところに影があって、その中の3箇所部分がさらに濃く写 し出されていました。
先生から、『ここは手術のできない場所なんですよね』と言われて。抗がん剤と放射線治療をやるということでした。告知された時、初めはびっくりしましたけど、もともとくよくよしない性格というか、開き直って『まな板の鯉になったつもりで先生にお任せしますよ』と言ったんです。家族は、『お父さんにきちんと告知してくださったということは、治るということだから大丈夫よ』と励ますんです。それでも家内は心配だったのでしょうね。姉に相談したら、姉の提案で、日本冬虫夏草とサルノコシカケを送ってもらうことになったようです。
病院の治療開始と同時に日本冬虫夏草は1日350cc、サルノコシカケは家で煎じたのを病院に持ってきてもらい、1日1リットルは飲みました。病院側には番茶を飲んでるとだけ言ってね。3か月の入院の間に、1日1回の抗がん剤投与が全部で3回、放射線は約30回あてました。こういった治療は副作用がきついはずでしょ。不思議なのは髪の毛が若干抜けた程度で吐き気は一度も無く、弱るというのが全く無かったことです。とにかく元気でしたから退屈で、5階にいた私は、1階の売店まで散歩に出かけたり、病院内をあちこち歩き回っていました。一度だけ動きすぎて熱が出ました(笑)。孫が学校帰りにいつも様子を見に寄ってくれました。入院生活は、毎日気分良く、笑って過ごしたという記憶しかないですね。
開始から20日目。レントゲン写真を見ながら先生は、『進行してないよ。良くなってきてるよ』と言うのです。さらに10日後のことでした。黒いドロッとしたものが口から出てきたのです。これまで時々、きれいな赤い血の混ざった痰は出てきましたが、こんな色のものは初めてでした。それが2、3日続きました。吐き終わったらなんだかとてもすっきりして、体が軽くなったので驚きました。それまでの体調は、自分では気付かなかったけれど、実際のところ本調子ではなかったのでしょうね。その時は、肺の悪いところがはがれて全部吐き出されたんだなと思いました。その後、血痰のでることは二度となくなりました。
それから2か月病院にいて、最終的に言い渡されたのは『斉藤さん、治ったから退院していいよ』という言葉でした。そして2枚のレントゲン写 真を見せてくれました。1枚は一番最初に写したもの。もう1枚は最近のものです。あの影もあの3つの濃い固まりもきれいに取れていました。先生は『治りが早いなあ。信じられないなあ』と驚いていました。そして薬も一切出されることなく退院しました。
斎藤康夫さん |
日本冬虫夏草とサルノコシカケは量を減らして現在も続けています。私は体だけは丈夫でそれまで病気をしたことがなく、薬を飲んだこともありませんでした。ただタバコだけは人一倍吸いました。多い時は1日100本ぐらい。それも国産の一番強いタバコをです。そんなことを40年続けてきたので肺も悲鳴をあげたのでしょうね。病気になってスパッとタバコと縁を切りました。あれから1本も吸ってません。仕事の方は、すでに社長職から退いて、のんびりしていました。仕事の心配をしないで体のことをゆっくり考えられる時間が持てたことは良かったと思います。この病気になって変わったことは、自分を管理するようになったということかもしれません。
大人は、病気は自分で作ったというのを忘れがちで、病気になったら誰かに治してもらおうとばかり考えます。自分で作った病気なんですから自分で治そうという努力なしでは治るものも治りません。そのためには自己反省と自己管理は欠かせません。薬は、助けにはなってくれるかもしれませんが、結局、治すのは自分の力なわけで、体が思う存分自然治癒力を発揮できる環境を整えてあげなければなりません。まな板の鯉ではダメなのです(笑)」
朝日ウィル(北燈社)2002年2月19日号より
「今でも1か月半おきに検査をしておりまして、6月28日にも検査がありました。主治医から『大丈夫、問題なし』と太鼓判を押されました」
2002年7月17日のお電話より