皆様の声・体験談

浜松多津子さん(鳥取県在住)の場合

 1996年5月頃の浜松多津子さん(鳥取県米子市在住)は、毎日体がだるく、特に食後はすぐに横にならなくてはいけないほどで、便秘も続いていました。それでもご本人は、更年期のせいかなぐらいに考えていたといいます。

 「病院で検査してみると、思いもしない答えが返ってきました。『腸が破れて土手ができてますよ』と言うんです。S字結腸がんということでした。これまで痛みや出血は全く無かったんです。さらにリンパ節と肝臓にも転移していて、肝臓には3つの腫瘍のほかに、ポツポツと小さな腫瘍が全体に散らばっていて『肝臓の方は手術はできないよ』と言われました。それからの1週間は、めまぐるしく状況が変化していきました。

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浜松多津子さん

【経 緯】

1996年5月24日(金) 初めての検査 すぐに入院して手術ということに。
5月27日(月) 入院
5月28日(火) 再検査 わずか4日の間に肝臓の上半分の腫瘍が消えていると言われ、手術ができるかもしれないということに。
5月29日(水) 手術 今度は肝臓の腫瘍全てが消失。リンパ節への転移もなしで腸も20cm切除の予定が3cm短い17cmの切除にとどまった。もともとあった子宮筋腫 もついでに摘出。

 日本冬虫夏草を飲み始めたのは術後のことです。主人が週刊誌から切り抜いて、一年前にファイルしていた記事を思い出し、二人で読み直してみたんです。そして飲んでみようということになったんです。悪いところはみな取ったという気持ちで退院という時に、抗がん剤をどうするかという話になりました。主人と私の気持ちは、肝臓に病気を持っていたわけですから抗がん剤は肝臓に悪いし、やりたくないということで断わりました。そして日本冬虫夏草を使っていきたいと話しましたら、さすがに先生の顔色が変わりましたね(笑)。そんな得体の知れないものと思われたんでしょう(笑)。後日、本を読んでもらったところ、納得していただいて、逆に先生の方から『まだ飲んでるの』と声をかけてくださるようになりました。ですから抗がん剤や放射線といった治療は一切やってないんです。

 がんと知った時、驚くというより『ああそうか』という気持ちでいました。『死んだら楽になる』とさえ思ったんです。というのも私は長い間、実母との間に確執を抱えて生きておりました。母は大変ワンマンな性格で厳しい人でした。その両親とは同居していて、私は日常的に感情を抑えてこざるをえなかったのです。どんどんお腹にストレスをため込んでいって、それが次第に病んでいったのでしょう。その頃になるともう限界を越えてました。いろいろなしがらみから開放されたいと願ったのです。でも不思議なもんですね。日がたつうちに死んではいけないと思うようになりました。そして術後、初めて重湯を口にした時、ありがたいことだと思いました。自分を取り戻したという感じでした。病気をしてみて人の温かさにも触れました。ひとりの力ではどうにもならない、感謝しなくてはと思いました。恨むという感情は、心と肉体を蝕んでしまう決して抱いてはいけない感情だと思いました。

 2年半後の1998年11月には、再び肝臓に腫瘍があると言われ、結局何ともないということで手術の前日になって手術がキャンセルされるというアクシデントがあったものの、おかげさまでこれまで一度も再発なく元気に暮らしてこれました。風邪を引くということもありません。本当のことを言いますと、当初日本冬虫夏草を飲むのに、冬虫夏草なんて気味の悪いキノコと思って(笑)抵抗があったんです。でもそれから6年以上飲み続けているんですものね。主人はどこも悪くないのに一緒になって飲んでいます。食事は、肉類はできるだけ食べないようにして、甘いものを控え、野菜をたくさん取るようになりました。以前は油っこいものを好み、甘いものや肉類をたくさん食べていました。食べることでストレスを発散させようとしてたかもしれません。

 病気になったのを機会に両親とは別居することになりました。現在母は80歳。歳を重ねるごとに性格も温和になってきた気がします。週に4日は母のところを訪ねて面倒をみています。毎日穏やかな気持ちで暮らしていけるのも皆さんのおかげと思って感謝の気持ちを忘れずに暮らしています」

朝日ウィル(北燈社)2002年9月17日号より

N.M.I.
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