卵巣がん

卵巣がんを自然消失された方のお話も含まれています。冬虫夏草や自然療法、代替療法にご興味のある方々です。

姉崎トクエさん(1998年当時:92歳)の場合

 お嬢様よりお話を伺いました。

 「1996年春のことでした。以前から母の腹部のしこりに気付いていたのですが、少しづつ大きくなってきているようで、診てもらうと卵巣がんと言われました。加えて『手のくだしようがないですね。90歳と高齢なので手術をしても寝たきりか、痴呆(当時はまだ認知症という言葉は使われてませんでした)になるのが関の山ですから。それなら好きなことをして家族と静かに暮らす方が良いと思います。腹水や痛みが出た時には来てください』と薬を出されることもありませんでした。『このまま過ごして2か月の命』とまで言われたのです。

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2000年初夏。日課にしている山道の散歩途中。フキの葉を頭に乗せておどける94歳のトクエさん。腹水が溜まらなくなった。

 自宅で普段通り過ごす中、6月になって母はフキ刈りに山に 入りました。はけごをいっぱいにして帰宅するなり、『お腹が苦しくてどうにもならないよ』と言うのです。サッカーボールぐらいの水が溜まっていたのです。病院で腹水を抜くと途端に楽になりましたが、3か月後に再び溜ま り、その時も抜いて...。この治療は何度もやるものではないなと思いました。

 母は10回の出産を経験しています。当時は産めよ増やせよの時代でした。慢性の便秘症で、便秘の薬を手放せないことなどいろいろ原因を考えましたが、1年近く何事もなく経過しました。1997年夏、再び腹水が溜まり始めました。

抜かないで何とかならないものかと思いあぐねていた頃、日本冬虫夏草と巡り会います。

 

 

 

 

腹水が引いてしこりも縮小

 日本冬虫夏草を飲み始めてから1年近く経過しましたが、腹水はいつの間にか引いていきましたし、溜まることもありません。しこりも外から触って小さくなっているのが分かります。

母は『苦しい』とも『痛い』とも全く言わないのです。畑を耕したり、山菜を採りに山に入ったり、草履や藁靴やはけごを編んでお店に売ったり、2年前よりずっと元気で、母のことをよく知る近所の人たちは『怪物みたい』とあきれています(笑)。

 今のところ検査してもしょうがないし、とにかく痛いところもなく、ご飯も食べられるんだからこのままでいくつもりです」

 

【経   緯】
1996年 90歳 卵巣がんの末期で2か月の命と診断される。
  高齢のため治療せず自宅で過ごすことに。
6月 腹水が溜まり、抜く。
9月 再び腹水を抜く。
1997年 91歳 腹水が溜まる。日本冬虫夏草を飲む。腹水は抜かず、自然に引いていく。しこりも小さくなる。
1998年 92歳 6月 2年前よりずっと元気で、近所の人たちから怪物と言われることも。
2000年 94歳 6月 山道を歩くのが日課。健脚衰えず。上部写真参照。
2002年 96歳 5月 卵巣がんはもう死んで、大きくならず固まったとの診断。

 

 トクエさんのお宅は4世代同居ですが、身の回りのことは全て自分でやり、面倒を見てもらうことはありません。やりすぎてかえって怒られることもあるそうです。思ったことをハッキリ言い、おべっかも言わず、サッパリした性格。ご家族の皆さんも同じ様です。家族の愛情が一番のお薬というのは今さら言うまでもないことですが、何よりトクエさんご自身が愛されるべき魅力的な人でいらっしゃいます。

朝日ウィル(北燈社)1998年6月2日号より

 

医師から『卵巣がんはもう死んだ』と告げられる

 「母が2か月の命とまで言われてから6年が経過しました。ヒトの命は分らないものですね。2002年5月の検査では『卵巣がんはもう死んで大きくならず固まってしまった』と言われました。それでも半年前から腹水が溜まるようになり、このところ月に1回のペースで抜いています。

 

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2021年6月9日に新たに発見したトクエさんの写真です。記録では「2001年秋、95歳になりました。N.M.I.を訪問され、中庭での撮影」とある。背筋がシャンとされてて95歳とは驚愕。

 抜くと弱りますが、輸血も同時に受けてみるみる元気を取り戻して我が家に帰ります。母の生命力にはつくづく驚かされます」

 2002年11月19日、病院で輸血中のトクエさんを尋ねました。こぢんまりとした清潔な個室でした。70歳近いお嫁さんと40歳の孫嫁さん、近くに住む70歳の実の娘さんとが交代で輸血の管が抜けることのないように見守っていました。

 トクエさんはニコニコと、とってもよい笑顔で私を迎えてくれて冗談を盛んに飛ばしました。私も図に乗って盛んにそれに合わせたので、病室は笑いに包まれました。

 

 トクエさんは山に囲まれた、たいへん美しい地域に大家族で暮らしています。40歳の頃にご主人を心臓で亡くしてから懸命に働き、女手で10人の子を立派に育て上 げました。そのためかとても頑丈な体格をしています。ご自宅に伺うと、採れたての野菜で作った郷土料理がテーブルに所狭しと並んで、家のところどころにトクエさんの元気を支える家族の愛情があふれていて、こちらも自然と温かい気持ちにさせ られます。

 さて病院を後にしようとした時、携帯電話が鳴りました。同じく6年前に乳がんになり、がん治療は一切受けず、病気とうまく付き合いながら今年でとうとう100歳を超えられた女性が、明け方近くに亡くなったという知らせでした。5日前に食べ物にむせて、誤嚥性肺炎になったのが原因だそうです。それでも病院に入らず、自宅での安らかで静かな最後だったといいます。この女性は、優しい息子さんをはじめ、いつも家族の温かい愛情に包まれて、何よりお嫁さんの手料理を毎日楽しみに、旺盛な食欲が衰えず、終生聡明な方でした。肺や骨への転移は全くなかったと後になって聞きました。

 

 がんだからといって、必ずしもがんで命を取られるわけでもないんですね。お二人を見ていると、つまりは命の謎が解けそうで、でもまだまだ難しい。命の火が燃え尽きるその瞬間まで元気で歩ける。最終的にそこに辿り着く研究が、我々の目指すところでもあります。

朝日ウィル(北燈社)2002年12月17日号より

 

天寿をまっとうし満足な最期

 「年が明けて2003年1月6日。母の命が燃え尽きる日がやってきました。意識が薄れていく母に『皆が行くところだからね。こわくもおそろしくもないところだからね。みんなついているからね。ぐっすり眠りなさいね』と声をかけました。頬がピクピクと小刻みに震え、両目から涙がスーッとこぼれました。

 静かな最期でした。看護師さんは『皆に囲まれて、穏やかで、静かで、とても良い最期ですね』と言いました。

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 母とは前日によくおしゃべりをしました。母は1か月も寝ませんでした。最期まで皆に迷惑をかけずに逝きました。十分に生きた人だから、誰にとっても満足な最期でした」

2003年5月4日お嬢様のお話より

 

 

 

 「この度、95歳の頃のトクエさんの写真が資料室より発見されました。可愛らしい笑顔で背筋がまっすぐでシャンとされています。多くの方々に希望と勇気を与えて下さるお写真です」

2021年6月9日

 

【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。
実名とポートレート(ご自身の写真)、尚且つ実物の検査データや画像を添えて公開して下さった方、苗字を除き名前(実名)だけの方、また仮名の方など、体験者の意向を尊重しております。

特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。