子宮ガン
山内正徳さん(51)の場合
山内正徳さん(山形市ホテルキャッスル・チャイニーズダイニング櫻果林料理長)よりお話をうかがいました。(以下、山内氏談)
「身内の中から次々とガンになる人が出始めたのは、1995年の頃からでした。最初は母親。S字結腸ガンでした。次に妹で子宮ガン。それから父の尿道・膀胱ガンと続きました。私は自分に何かできることはないかと思い、当時東北大学で生薬の研究をしておられた近藤嘉和先生に相談を持ち掛けました。すると日本冬虫夏草の話をしてくださって。先生はその主成分である日本冬虫夏草の研究において、世界的な第一人者でしたから。
私は、腫瘍の臓器圧迫や排泄障害を解消するための手術はやむを得ないと思っていましたが、抗ガン剤に対しては賛成できませんでした。それで主治医に掛け合って、家族には抗ガン剤を使わないという約束を取り付けたのです。手術の前から日本冬虫夏草を飲んでもらって、3人の様子を見て思ったことは、普通 の人の約半分の時間で退院できるもんだなということでした。なにしろ術後の感染症に悩まされることもなく、手術の傷も早くきれいに塞がりましたからね。すっかり健康を取り戻し、再発もなく、母は今年で7年。妹と父は5年目を迎えています。日本冬虫夏草は続けていますが、風邪を引くこともなくなって、ガンになる前より元気になったようです。私よりずっと元気じゃないですか?(笑)母や妹は少し太りました。
それから同じ頃、料理人仲間の奥さんが、心臓膜に良性の腫瘍が見つかったことも重なりました。それまで自覚症状が全く無く、気付かないでいたそうですが、実はそれは子どもの頃からあって、加齢とともに大きくなる性質のものらしいです。その時点で子どもの握り拳の大きさにまで成長し、心臓を圧迫し始めていました。たまたま風邪をひいて、胸のレントゲン撮影をしたため発見されたそうです。摘出手術の後から私のすすめで日本冬虫夏草を飲んでもらいました。
この話には続きがあります。退院の際に検査をしたら、今度は胆のうにポリープが見つかったそうです。でもそのままにして日本冬虫夏草を続け、1年後に調べたら小さくなっちゃってて、主治医から『もう心配はないよ』と言われたというんです。手術から今年で6年目。50歳を迎えられましたがなお元気で、第一線でバリバリ仕事をなさってます。やはり風邪をひくこともなくなったそうです。
一方、その頃の私はというと40歳を越えたぐらいで、持病の腎臓結石が出始めていました。結石ために2回の入院をしていますが、この痛みはなった人にしか解らない。とにかく頻繁にやってくるこの痛みに、自分のことも何とかしなくてはいけないなと思い始めていました」
腎尿管結石の原因は血液の汚れといわれています。この病気でいちばんの問題は激しい痛みです。シュウ酸カルシウム、リン酸カルシウム、マグネシウムアンモニウムリン酸塩、尿酸、シスチンなどが腎で結晶化し、大きいものだと尿管にひっかかり激しい痛みにおそわれるのです。
山内さんは、このために何度か病院に運ばれたことがあるといいます。(以下、山内氏談)
「初めの発作は1997年のことで、明け方、目が覚めました。普通 、痛みって弱くなったり強くなったり、波がありますでしょ。でもこれは、どんどん一方的に増していくだけ。いつか治まるだろうなんて余裕はないの。脂汗が出て、うなって、救急車を呼ぼうと思ったけど、マンションに住んでいることもあったから、静かにタクシーを呼び、病院まで運んでもらいました。この時は薬剤投与ですぐに石は落ちたんです。
2回目の発作はそれから1年後でした。入院して同様の治療を受けて。でも今度は2週間しても石は落ちてこない。そこで最終的に衝撃波を当てて石を砕いて落としたんです。この病気で入院してる人には銀行員もいましたし、結婚式を間近に控えた若い女性もいましたから、どんな人でもなる病気なんだなあと思いました。
発作の度に入院では仕事にならないし、何か打つ手はないかと考えて、両親と妹がガンの再発防止と信じて、毎日飲んでいる日本冬虫夏草を試すことにしたんです。日本冬虫夏草を毎日170ccぐらい飲みました。ある時、腰痛があって「あっ石が動き出したな」と分かりました。10日ぐらいしてから、日本冬虫夏草の量 を倍以上に増やして集中的に飲むと、3日目に赤い血が出てきました。もう少しだなと思ってコップ2杯の水を飲んでその時を待ちました。そしてトイレに行くと、米粒大の四角の角張った石がポロリところがり出たんです。見ると以前、病院の治療で排石されたものより大きいじゃないですか。それなのに、あの耐え難い激痛は一切無く、普段どおり仕事をしていたことを考えると、こんな不思議なこともあるもんだと妙な気分でした。
そして昨年。再び米粒よりやや小さい石が同じように自然排石されました。それだったらと結石で悩んでいる前出の料理人仲間に日本冬虫夏草を勧めてみました。すると、やはり目立った痛みが無く自然排石されて。いつも病院に行くしかなかったのに、こんなことは初めてだと驚いていました。
日常的に誰でも、小さな結晶は気づかないうちに自然排泄されているものですが、何かの拍子に大きな結晶にまで成長させてしまう人がいます。これにはバクテリアが関係しているとの説もあります。私にとってこういう結晶は1年に1回のペースで動き出し、落ちてくるようです。 母のガンに始まり、妹、父のガン。そして私の結石と続きましたが、皆無事に元気に過ごしています。これからも日本冬虫夏草と付き合っていくつもりでいます」
朝日ウィル(北燈社)2001年4月10日号より
仙台ホテルで「山内料理長の究極爆蒸美食」会が催されました。山内さんの本格中国料理の技の数々に感動しました。その中に「山海珍味壺蒸」というスープがありました。冬虫夏草、鹿の角、朝鮮人参、フカヒレ、乾し貝柱、あわび、なまこ等が入っていて美味で絶品。おかわりを何杯もしました。その晩は眠らなくても平気なほど元気で、朝まで仕事をしてたくらいです。その元気は24時間保ちました。24時間目にプツリと切れたのがわかりました。
日韓ワールドカップでは、韓国チームが最後の最後に体力が落ちることなくねばりを出して勝ち進んでいます。選手達は毎日冬虫夏草と朝鮮人参を食べていると聞きました。やっぱりと思いました。日本チームにこのスープを飲ませてあげたいという思いにかられました。
2002年6月24日
山内さんのお母様は再発もなく元気に9年目、お父様と妹さんも再発なく元気に7年目を迎えました。日本冬虫夏草は現在も続けているということです。
2003年12月6日
谷川百合さん(仮名)の場合
私のもとに涙ながらの電話が届いたのは、1994年5月17日でした。72歳の母が子宮頸ガンで余命1年と診断されたと言うのです。医師からは「一応化学療法はやりますが、希望があれば何でもお使いになってよろしいです」と、最後ともとれる言葉もあったそうです。そして、日本冬虫夏草をお茶代わりに飲むことになりました。
子宮頸ガンが確実にガン化するまでには、パピローマというウイルスの感染が関係し、さらに外陰ガン、陰茎ガン、さらには肝間周囲ガンにも関係があるともいわれています。ウイルスは細胞の中に入り込み正しい遺伝子情報を間違ったものに変えたりします。しかし細胞の方でもこの間違いをそのまま伝えないように、ガン抑制遺伝子「P53」をつくり出し、正しい情報に直そうとするそうです。
入院し、しばらく化学療法の苦痛に耐えていた谷川さんの母親は、9月に入ってから食欲がなくなってしまいました。放射線はこれまで32回も照射していました。このまま続けて余命を延ばせるものなのか医師に相談すると、「約束できない難問だ」と言われました。72歳の母親は、「抗ガン剤はやめたいよ、退院したいよ」と言いました。娘の百合さんは、このまま体力を落とすことは、自然治癒力もなくしてしまうのではないかと、お母様の決断に賛成したそうです。
谷川さんは、抗ガン剤をお断りし、「いつかは死ぬ のだから痛くなく、気持ち悪くなく快適に過ごそう」と退院しました。74歳という年齢に不足はあっても、孫娘にも恵まれて思い残すことはない。いつお迎えが来てもよいと覚悟をきめたそうです。
病院からはとっくにさじを投げられた谷川さんでしたが、初診から7ヵ月後の1995年1月の診断では、医師が不思議がるほどに回復していました。それから厳寒の北海道で風邪もひかずに3年を過ごしたのです。
谷川さんは、体をいたわりながら3年間自宅で無事に過ごしてから、その後の1年近くは自信も出てきて、少々気を許したかもしれません。日本冬虫夏草も飲むのを忘れていました。そして4年目にまた発ガンしたのです。1994年に谷川さんの娘さんから涙の電話を受けた時のように、再び悲痛な声が届きました。1年もの間、私もうっかりしていた事を口惜しく、反省しました。肺と首のところに発ガンして再び入院し、放射線をあて、首は治り退院しました。日本冬虫夏草も再開しました。その後は抗ガン剤を服用するようになりました。そして歩けなくなっていったのです。骨まで広がっていました。そこで日本冬虫夏草の別の種類のオニゲナを使用することになったのは1998年10月末のコトでした。
一時は寝たきりになった谷川さんでしたが、それから6ヵ月後には杖をついて歩けるまでになったと連絡が入りました。私は本当にそうなのかこの目で確かめたいと思い、半信半疑のまま北海道の谷川さんのお宅に訪ねたのは1999年初夏、6月3日のことでした。日本冬虫夏草を再開してから半年後のことです。青く美しい海に面した街は桜とチューリップとスイセンが同時に咲いていました。
谷川さんは、杖をつくことなく玄関の階段を昇降して、優しい笑顔で私を出迎えてくれました。ずっと以前から知り合いのような懐かしい感じがしました。ご立派な体格の優しいご主人が台所をやってくれているようで、年金生活者の静かな家庭がそこにはありました。
わたしは発ガンのキッカケを探そうと考え、色々とお話を伺いました。その話の中で、血圧の薬を20年間服用し続けてきたことを初めて知りました。疸石が痛むのでその薬も長く服用してましたが、いつの間にか止めたと言います。そして現在は何の薬も服用していないとのことでした。
朝日ウィル(北燈社)1999年より
| 1994年5月17日 | 子宮頸ガンで余命1年と告知される。日本冬虫夏草を飲み始める。 |
| 1994年9月 | 入院して放射線、抗ガン剤やるも食欲がなくなり、本人の意志で退院。 |
| 1995年1月 | 医師が不思議がる程に回復。 |
| 1997年5月 | 日本冬虫夏草休止。 |
| 1998年5月11日 | 肺と首に発ガン。放射線治療で首は治る。抗ガン剤の服用開始。日本冬虫夏草再開。 |
| 7月28日 | 歩けなくなる。骨に転移。抗ガン剤の服用続ける。 |
| 10月10日 | オニゲナという種類を追加して使用。 |
| 1999年4月6日 | 元気になり杖をつけば歩けるようになる。 |
| 5月20日 | 台所仕事ができるまでになる。肺の腫瘍はそのままで大きくなっていない。 |
| 6月3日 | 杖なしで階段の昇降ができるようになる。実際にお会いして、この目で確かめる。 |
小林祥子さんの場合
「2008年9月12日に子宮ガン検診を受けています。結果は異常なし。気になっていた生理不順も更年期のせいかなぐらいに片付けていました。この時、1年間の予定で休職にも入っています。
翌年2009年5月。生理が2ヶ月ぶりにやってきたのですが、普段とは違っていました。出血が1ヶ月経っても一向に止まらないのです。これは何かが起きているなと思い病院で調べてもらうことにしました。
検査したのは6月25日。病院では『後日、結果を報告します』ということで、その日はホルモン剤と鉄剤を受け取って帰りました。実は30年前に遡りますが、ホルモン剤を注射して具合が悪くなり倒れた経験があったのです。そこで鉄剤だけの服用にとどめておくことにしました。
このことを薬剤師をしている友人にも相談しています。彼女は私の症状を聞き、まだ結果が出てないにしろ、すぐにでもなにか対処したほうがいいと考えてくれたようです。その時、日本冬虫夏草の話が出ました。子宮筋腫にしろ、子宮ガンにしろ、自然に治った人が日本冬虫夏草を飲んでたのを知っているというのです。
私も6月30日から日本冬虫夏草を飲み始めました。翌日『元気だな』と感じました。明らかに前日と体調が違います。それから一週間して、過日の結果を聞きに行くと『子宮壁が厚くなっています。子宮体にポリープも見つかりました。これがガンに変化していく可能性があるので経過を観察していきましょう。3ヶ月に1度検査に来て下さい』と言われました。
実家の母に報告すると『悪い方に考えたら悪くなるから良い方に考えたらいいのよ』という言葉が返ってきました。母はとてもポジティブな人間です。子育てで迷っていた時も『いい子いい子と言って育てればいいのよ』といった調子。今になってそれは間違いではなかったと実感しています。この度も、『病気のことをくよくよ考えるのはよそう、忘れて過ごそう』と決めました。
そうしてるうちにいつの間にか出血が止まっていったのです。
9月に入ると予定通り職場に復帰しました。仕事は事務のデスクワーク。9時~5時のフルタイムで働きます。当初『病気を抱えてるし、久々の職場で体が慣れるまでしんどいだろうな』と思っていました。ところが、一日が終わる頃に全く疲れを感じないのです。元気なままなのです。しばらくして仕事量が増えてきてもそれは変わりませんでした。以前働いてた時もこのような感覚はありませんでした。
10月に入ると息子の通う中学校で新型インフルエンザが流行し、学級閉鎖という事態になりました。息子も感染し、症状が出て寝込みました。ところがたちどころに回復していったのです。息子は日本冬虫夏草を350ccは飲んだと思います。私は、息子を隔離することなく、咳をされてもマスクもせず普段通り接してたのですが、発症することなく済みました。何事もなかったかのようにこの危機が通り過ぎて行ってくれました。
そんな諸事情があって、10月は検査のタイミングを逃し、4ヶ月の月日が流れていました。でも『早く病院に行かなくては』とあせる気持ちはなくて、『こんなに元気なんだし、生理も正常に戻ったし、自分は大丈夫』という自信のようなものがあったのです。
当初の『手術と言われたらどうしよう』という心細さは無くなり、同行をお願いした薬剤師の友人にも頼ることなく、11月7日にスケジュールの都合が付き、一人で病院に行きました。検査後、医師から『子宮体にあるポリープが消えて子宮壁の厚さが正常に戻っています。きれいになっていますよ。3ヶ月に1度の検査にはもう来なくていいですよ』と告げられました。予想はしてたものの正直びっくりしました。
病気の原因は何だったのかなと振り返ると、人間関係のストレスが大きかったのではと思います。くよくよ考えずに忘れること。考えるときは物事を良い方向で考えるよう心のコントロールをすること。それらが功を奏したのではと思います。それと日本冬虫夏草を飲んだことぐらいしか思い当たる節がありません。日本冬虫夏草は量を減らして現在も続けています。
この頃は肌の調子も良く、顔がつるつるで柔らかくなった気がします。馴染みの化粧品屋さんを訪ねた際、機械で肌診断をしてもらったら『以前より弾力が増しましたね』と言われました。若返ったということでしょうか。女性にとっては何より嬉しいことです」
2010年2月1日のお電話より
毎年、スギ花粉が飛散する頃になると鼻水やのどのゴロゴロ、涙や目のかゆみに悩まされてきました。花粉症との付き合いは20年間にも及びます。今年も薬をいただき、心の準備をしながら待ち構えておりました。花粉は2月の中旬から飛び始めたと思います。
ところがこの度は、目のゴロゴロを感じるぐらいで他に何も症状が出ないのです。あんなに苦しんでいたのがウソのようにピタリと治まっているのです。薬も飲まず仕舞いです。身近に花粉症の方が結構おりまして、皆さん症状がひどいようですから、私も確実に花粉を浴びているはずです。
子宮ポリープと一緒に花粉症も治ってしまいました。何かやったかと尋ねられれば、日本冬虫夏草を続けてることぐらいです。
2010年2月29日のお電話より
【経緯】
| 2008年 | 9月 | 1年の休職に入る。生理不順有り。 |
|---|---|---|
| 9月12日 | 子宮体ガン子宮頸ガンの検診。異常なし。 | |
| 2009年 | 5月 | 2ヶ月ぶりの生理。出血が止まらない。 |
| 6月25日 | 出血が1ヶ月経っても止まらず病院で検査。結果は後日とのこと。 | |
| 6月30日 | 日本冬虫夏草を飲み始める。 | |
| 7月7日 | 6月25日の検査結果を聞きに行く。子宮壁が厚くなり、子宮体にポリープ見つかる。これがガ ンに変化する可能性有り。3ヶ月に一度経過を観察することに。 | |
| 9月 | 職場に復帰も疲れ知らずで元気なのが不思議。 | |
| 10月 | 息子が新型インフルエンザに感染、発症するが自身は無事。 | |
| 11月7日 | 4ヶ月以上経っての検査。ポリープは消え、子宮壁の厚さも正常きれいになってる。 | |
| 2010年 | 2月1日 | 肌が若返る。 |
| 2月28日 | 20年間悩み続けた花粉症がピタリと治まった。 |
高橋初子さん(57才)の場合
「2000年4月半ば、親戚の不幸が続き、忙しい日々を送っていた頃、多量の不正出血がありました。閉経後3年目のことでした。腹部がひどく痛み、握りこぶし大程のレバーのような固まりが出ました。それでもまもなく正常に戻ったので、気に止めずそのまま過ごしていました。ところが10日程経った頃、ひどいめまいで突然歩けなくなったのです。こうなるとさすがに放っておけなくなり、病院で検査を受けることになりました。そこで子宮体ガンと診断されたのです。
思い起こせば、前年の夏にも少し、この年のお正月にも少し出血がありました。兆候があったんですね。でも忙しくて気にかける余裕はありませんでした。主治医は『子宮体ガンだけだったら手術して治るからね』と言ってくれましたが、精密検査で、子宮頸やリンパ腺にも広がっていることが分かったのです。卵巣も腫れていました。『難しい手術なので万全の態勢で臨みたい。腕の良いスタッフが海外出張から戻るのを待って手術しましょう』というのが、その時の病院側の説明でした。手術まで3週間という時間が与えられました。
自分で何とかしなくては、ここで負けてはいられないと思いました。以前から日本冬虫夏草のことは知っていたので、早速、矢萩先生を尋ねました。悪いことは一切考えないように努め、自宅ではリラックスしながら日本冬虫夏草を毎日飲み続けました。
これまでの自分自身を振り返ると、発病の原因はストレスではないかと思いました。ここ20年間というもの、特に後半の10年は娘の学費のために必死で働きました。もう少しというときに働いていた工場が海外移転し職を失いました。その後はやむなく内職を始め、休むことなく毎日ミシンに向かいました。同じ姿勢も良くなかったですね。工場勤めのときと違い、家に一日中いますから来客も多くなり、断れない性格なので仕事や夕飯の支度をとても気にしながらお付き合いします。さまざまなストレスが次第に自分のいちばん弱いところに歪みを作っていったのかもしれません。肉体的にも精神的にもギリギリでした。ようやく娘を大学院まで出して、やれやれと思った矢先でした。
手術では子宮、卵巣、リンパ腺を1本摘出し、その後3回の抗ガン剤を投与することになりました。周りに同じような治療を受けている女性が4人いました。(4人の方のその後の様子は末尾に記述しております)しばらくすると、その人たちと自分には明らかな差があることに気付きました。皆は抗ガン剤の副作用でツルリと髪が抜けて帽子をかぶっているのに自分は目立った抜け毛がないし、あちこちで吐いているのに自分は一度も吐くこともない。看護師さんからは『初子さんは、どこが悪いのか分からないね』と言われる始末でした。不思議なほど呆気なく以前の健康を取り戻し、あれから8ヵ月が過ぎようとしています」
初子さんは現在、顔色も良くとても元気です。仕事は辞め、大好きな読書をしながらのんびり暮らしているそうです。
朝日ウィル(北燈社)2001年2月13日号より
【経緯】
| 2000年4月半ば | 多量の不正出血。 |
| 10日後 |
子宮体ガンの診断。 手術まで3週間あり。 日本冬虫夏草を飲み始める。 |
| 5月 |
手術後、3回の抗ガン剤投与。 抜け毛もなく、吐き気もなし。 同室の人たちとの違いに病院のスタッフが驚く。 |

「4月に病院で検査を受けて、先生から大変良い状態と褒められました。最近は野山に入り、山菜採りを楽しんでいます」
2002年5月22日のお電話より
「この度の検査でも全く問題なしで、再発もなく元気に3年5ヶ月が過ぎようとしています。日本冬虫夏草は現在でも続けています」
以前より体が引き締まり、さらに健康になられたという印象でした。
2003年10月1日にお会いして
「手術から再発なく6年が経過しました。相変わらず元気で過ごしています」お嬢さんと一緒でした。
2007年1月2日にお会いして
「手術から再発なく7年が経過しました。この夏、心臓に水が溜まり、短期間でしたが入院しました。医師に体重を減らすように言われ、7~8kg落としました。この頃は日本冬虫夏草をわずかしか飲んでいませんでしたが、しばらくは量を増やして飲んでみるつもりです。
一方ガンについては、担当の先生が不思議がるほど完治して、心配はいらないそうです。2000年に手術のために入院した際、私の他に4人の女性が同室でした。皆、同じ病気です。3人は私の前に手術が済んでいて、もう1人の方は私の後に予定が入っていました。先の3人の方は残念ながら全員亡くなられています。もう1人の方の消息は分かりません。生かされていることに感謝しながら、同室で仲間だった皆のためにも健康維持に努め、長生きしなければならないと気持ちを新たにしています」
2007年9月4日のお電話より
「検査が3ヶ月から6ヶ月間隔に伸び、『きれいに治ってるねー』と先生も驚いています。心臓の方も問題なく、日本冬虫夏草を飲みながらのんびりを心掛けて暮らしております」
2008年11月20日のお電話より
西村みどりさんの場合
東京都在住の西村みどりさんは、子宮ガンを克服されてから再発もなくお元気で過ごされています。発病した当時のお話とこれまでを取材しました。
「あれは1996年の9月半ばのことでした。血尿が続いたので病院に行くと、子宮頸ガンであり、膀胱にも転移していることを告げられました。病院を後にしてタクシーに乗り込むと、車中で黙っていられなくなり、運転手さんに『私、ガンなんですって』と打ち明けました。すると思いもしない答えが返ってきました。その運転手さんは『アハハハ』と笑い出し『笑ってれば治るよ』というのです。私もつられて笑ってしまいました。
家族も深刻になることはありませんでした。帰宅して母に話すと『不摂生な生活を改めて早く治せばいいのよ』とあっさり言うだけ。食生活では刺激の強い辛いものを好み、お酒もよく飲みましたし、加工食品のお世話になって野菜不足など思い当たることが数々ありました。それにその年の春には、新しい職場に移動になったため、慣れるまでずいぶん神経を使いました。肉体の疲れを感じることも多く、それでも休まず働くだけ働きました。
翌日、会社に休暇届を出すと、上司は『仕事のことは心配するな。治療に専念しなさい』と励ましてくれました。昼には帰宅。突然降ってわいたロングバケーションという気分。こんな機会は今までもこれからも滅多にないことだからのんびりしようと思いました。そして入院まで3週間の時間があるのだから何か自分ができる療法をやってみようかとも思いました。そこで知人からさまざまな自然療法の本が寄せられることになったのです。
血液や体液が汚れると免疫細胞はそちらの掃除に大忙しで、毎日6000個発生するといわれるガン細胞の掃除まで手が回らなくなります。さらに汚れは正常細胞を傷つけてガン細胞に変化させる原因を作ります。体内の浄化のためには微生物の力を借りようと思いました。試すことにしたのは酵母エキス(コーボン)。それに漢方薬を組み合わせて使いました。すると血尿がピタリと止まりました。そして入院後の検査でも予想通 りというか、膀胱の腫瘍はきれいに消失していたのでした。
お茶ノ水にあるその病院は『病人にとってストレスがいちばん悪いんだから、病人は自由でなければならない。自由に外出しなさい。土・日は家に帰りなさい。ただしお酒とタバコはダメですよ』という所でした。病院の周りはおいしいレストランが立ち並んでいるので、毎日食べ歩きをして過ごしました。いつもお天気がよくて、お日様の光を浴びながらリラックスして入院生活を送るうち、体重が4kgも増えて、これにはさすがに怒られました(笑)『うちの病院は、ガン患者さんに対して放射線治療も抗ガン剤治療もがんばりません。自然療法もやりたかったらやってください』という先生のもと、抗ガン剤も放射線も治療に入ったものの、体調を慎重に観察してどちらもまもなく打ち切りの判断がされました。 それでも入院して2ヵ月の時点で、MRIと細胞診の結果から子宮頚は改善されているものの、子宮の奥や卵巣、リンパ組織まで浸潤しており、Ⅲ・Bの末期寸前という状態でした。そして手術日が翌月に決まったのです。
手術までの1ヵ月余りの時間を自宅で過ごすことになってから、新たな微生物の力を借りようと思いました。日本冬虫夏草を使用したのはそれからです。そして一月後、ガン細胞が皆消失する不思議を目の当たりにすることになるのです」
朝日ウィル(北燈社)2001年11月13日号より
西村みどりさん(東京都在住)は、子宮ガンの手術までおよそひと月の時間を与えられました。
「一旦退院し、自宅で過ごすことになってから、酵母エキス(コーボン)に加えて日本冬虫夏草を飲み始めました。体液を浄化して免疫力を高めるのにさらなる微生物の力を借りようと思ったからです。 手術まであと5日に迫った頃、友人に誘われて千葉の気功の先生のもとを訪ねました。その世界ではジーパンをはいた神様と呼ばれている有名な方らしいのです。みてもらっているうちに先生は『あなたのガンは皆消えてますよ』とおっしゃるんです。そして『手術したらもったいないですよ』とさえ。そう言われても、わずかひと月前にはⅢ・Bの末期寸前と言い渡されたのですから、この短い間に悪いところが全て無くなるとはとても信じられる話ではありませんでした。この期間、病院の治療は一切やっていなかったわけですし、薬剤も一切服用していませんでした。
1997年1月24日。予定通り、子宮、卵巣、リンパ組織の摘出手術を行いました。摘出部はすぐに病理検査にまわされました。そして返ってきた検査結果 は、ガン細胞がどこにも見つからないというものでした。そんなはずはないので必死に探したけれども、摘出部のどこをきざんでもきざんでもガン細胞は出てこなかったというのです。担当の先生からは『追加治療の必要はありません。再発の心配も多分無いでしょう。退院してください』と言われました。気功の先生の言う通 りのことが現実に起きていたのです。
この時から毎日元気で再発もなく、5年が経とうとしています。会社は丸々3年休みました。現在は営業から事務の仕事に変わって、肉体的にはずいぶん楽になりました。通 勤のため毎日1時間は歩いています。当時は職場を移動したばかりで、長期休暇を取るのは大変不本意なことでした。でも、治療しながら仕事をしても全力投球できずに周りに迷惑をかけますし、今にしてみれば潔く休んでよかったと思っています」
ガンになられた方の中には、仕事を続けながら同時に治療にも挑むという人が少なくありません。自分がいないと会社や組織が動かないと思い込んで他人に任すことができず、なんでも自分でやらないと気がすまない人たちです。そしてそれを生き甲斐といって、生き甲斐が無くなったら病気も悪化すると考えています。ガンはもともとこういったがんばりやさんに取りつく病気ですから、ちょっと仕事から離れて時間を作り、静かな気持ちで病気と向き合い、これまでの生き方を反省し、情報収集して静かな気持ちで治療を選び取っていった人の方が良い結果 を導いているように思います。本人の心配をよそに会社や組織は大概はうまく動くもので、早く治して復帰し、さらに良い仕事をやればよいのです。
「現在も酵母エキスや日本冬虫夏草は続けています。これまでの経験を生かし、病気で悩んでいる人がいれば、アドバイス役を買って出ることもあります。便秘をしないで、かつ血液とおしっこがきれいだったらガンにはならないという持論を持っています。毎日気分良く笑って暮らし、高い免疫力を維持することも持論の一つです 」
西村さんは、いつどんなときも明るくハツラツとなさっていて、それがごく自然で、本当に不思議な方です。だいたいは私の方が西村さんから元気をもらっています。
朝日ウィル(北燈社)2001年12月18日号より
2002年3月4日放送『解決!クスリになるテレビ』に西村さんが出演し、発病から治るまでの経緯を語りました。西村さんは相変わらずお元気です。
2002年3月5日
3月に病院で検査を受けてどこも悪いところは無く、お元気ということでした。それから、おいごさんと札幌まで旅行に出かけ、大変楽しい時間をすごされたということです。
2002年3月10日
「私の周囲にガンになる人も多いのですが、皆良くなっているのは不思議です。現在の私の姿を見ると不安が飛んでいってしまうのかもしれません。今年でガン消失から11年が経ちました。最近仕事が忙しいですが、おいしいものを食べたり、お酒をいただいたりするのは気分転換になります。スイーツを食べるのがストレス解消という女性も多いですが、私は甘いものはニガテで食べられないんです。辛党なんですね。変わらず元気でおります」
2008年5月24日のお電話より
「会社の同僚が皆、新型インフルエンザワクチンを接種してる中、私は断り続けています。自分は大丈夫という妙に自信があるから不思議です。日本冬虫夏草を飲み始めてからインフルエンザも風邪もひいたことがありません。旬の野菜をたっぷり摂るということも健康のために心掛けてることのひとつです」
2009年12月13日のお電話より
岸久子さん(48歳)の場合
「1996年の1月から不正出血が続きまして、病院に行ったのは8月になってからのことでした。翌月に細胞検査の結果が出て、子宮ガンと分かり、手術を勧められたんです。
告知を受けた時、これといって動揺はありませんでした。というのも血縁者にガンの人が多くいましてね。その皆が手術後、元気で暮らしているのを見てたからでしょうか。子宮を失ってでも、悪いところは取ってしまえば大丈夫という気持ちでいたんです。性格はもともと楽天的で、くよくよしないタイプと言えるかもしれません。
それでも手術に際して一つだけ条件がありました。この時、季節は実りの秋の真っ只中。私にとっては職場を離れることのできない季節でもありました。田んぼを持っているスタッフが稲刈りで休みを取るため、人手不足になるんです。稲刈りの終わる10月半ばに手術を延ばしてほしいとお願いしたんです。
手術まで1ヵ月余りの時間ができた時、日本冬虫夏草を譲ってくれた知人がいました。私はジュースやお茶などをほとんど口にしないのですが、日本冬虫夏草だけはスンナリ飲め、1ヵ月の間、毎日たっぷりいただきました。
発病までの3年間を振り返ると、ずいぶん体に無理をかけていたようです。父の介護に始まり、実母、主人の母の介護と次々続きました。二人の母を同時に看てたときもあります。仕事を続けながらでしたので、睡眠時間は毎日4~5時間程度。ようやく解放されたという時、たまった疲れがこういう形で現れたのでしょう。ガン血統というのも思いあたりました。
10月26日にいよいよ入院。10月28日に前段階の簡単な手術を行いました。子宮以外にどこまで摘出するか判断するため、局所麻酔をかけて患部をはがして調べるのです。
11月5日、その結果が出てきました。先生は『ガン細胞がどこにも見当たらないんだよね』と不思議がっていました。そして『岸さん、帰っていいよ』と言われてしまったのです。それならばと、さっさと退院させてもらいました。薬は一切飲んでないし、治療も一切やってこなかったですからね。退院する際も、薬の処方はありませんでした。
【経緯】
| 1996年1月 | 不正出血有り。 |
| 8月 |
ようやく病院に行く。 子宮ガンの診断。 日本冬虫夏草を飲み始める。 |
| 10月26日 | 入院。 |
| 28日 | 組織検査。 |
| 11月5日 | ガン細胞がどこにも見当たらず消失。 |
平常の生活に戻って1ヵ月半が過ぎ、やれやれといった頃、今度は主人が町の検診でひっかかり、左肺に影が見つかりました。細胞を取って調べると、腺ガンで悪性ということが分かりました。2.5cmの大きさでした。主人はお酒をたくさん飲みましたし、タバコを1日に3箱も吸う30年来のヘビースモーカーでしたが、翌日からタバコもお酒もピタリと止め、日本冬虫夏草を飲み始めて、患部近くに擦り込んだり、吸入器で吸入したりもしてました。
仕事をしながらできる限りのことをして過ごすうち、患部は次第に小さくなっていったようです。3ヵ月が過ぎた頃には2.5cmから1cmまでに縮小していました。1cmになったところで、患部の摘出手術を行いました。左胸の3ヵ所に小さな穴を開けて内視鏡を使って患部を切り取るもので、従来の手術と比べると、体の負担が極めて少ない方法です。
切り取られた患部を見せてもらうと、白っぽくカッテージチーズのようでもあり、石灰化してました。痕跡は残っていたものの姿が変わり、もはや『ガンではない』と言われたのです。主人も病院の治療は一切やっていませんでした。
【ご主人の経緯】
| 1996年12月 |
ご主人が肺ガンと診断され、日本冬虫夏草を飲み始める。 タバコとお酒をピタリと止める。 |
| 1997年3月 |
患部が2.5cmから1cmに縮小している。 内視鏡手術。患部は石灰化していて「ガンではなくなっている」と言われる。 |
ガンが消失してから二人とも再発なく元気で暮らしています。私が7年目、主人が6年目に入りました。私が気を付けていることといえば、食事は常に腹7、8分目に抑えるということでしょうか。
(写真左)岸さんの趣味はお裁縫だそうで、ローラアシュレイの生地で作った素敵なエプロンをいただきました。
仕事を終えた後、夜中までやってた趣味を最近は控えて、睡眠時間は6時間以上取っています。以前と比べると体をずいぶんいたわってますね。時には仕事から離れて旅行に出かけ、リフレッシュすることも大事にしていることの一つです。
朝日ウィル(北燈社)2003年2月18日号より
「再発なく元気で、13年目に入りました。主人は12年目です。この度、主人が肺炎で入院しまして、実は昨日退院してきたばかりなんです。仕事で頑張りすぎたからだと思います。その病院に同じ症状で入院している方が2人、あっという間に次々に亡くなられてこわくなりました。入院すると同時に日本冬虫夏草を毎日飲むようにしました」
ご主人にお会いしましたが、顔色も良く元気そうなので安心しました。
2008年3月8日お二人にお会いして
【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になったヒトはどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を否定したり、特定の商品について推奨するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。
子宮ガン(子宮頚ガン/子宮体ガン)について
子宮にできる悪性腫瘍の事を総称して子宮ガン(子宮癌)といい、婦人科系のガンのなかでは最も発生頻度の高いガンになります。
子宮は女性の生殖臓器であり、骨盤の中央に位置しています。子宮の出口付近(膣に近い部分)を子宮頚部、子宮の上部、袋の部分を子宮体部と呼び、それぞれの部位に生じるガンを子宮頚部ガンまたは子宮頸ガン(子宮頸癌)、子宮体部ガンまたは子宮体ガン(子宮体癌)とよび、同じ子宮がんでも区別して考えられます。
子宮頸ガン(子宮頚癌)は子宮ガンのうち8割程度を占めますが、最近は子宮体ガンが増加傾向にあります。
子宮頚ガン(子宮頸癌)は30歳代で増え始め40歳~50歳代で最も多くなります。子宮頸部は膣に近い部分にあるため直接観察したり、触ったりすることが可能であり、30歳以上の女性を対象にした子宮頚がんの集団検診が全国で行われています。そのため早期のうちに子宮頸ガンが発見できるケースが大変多くなり子宮頸ガンの死亡率は年々低下しています。
しかし一方で、最近は20歳代の若い女性に子宮頚ガン(子宮頸癌)が増えてきており、この場合進行が早く悪性度も高いため、若いうちから子宮頸ガンの検診を行う地域も徐々に増えてきています。
子宮頚ガン(子宮頸癌)は扁平上皮ガンと腺ガンに分けられます。以前は扁平上皮ガンが多かったのですが、最近は腺ガンが増えてきています。
子宮体部ガンの発生する率は子宮頚部ガンに比べて少なく、以前は10%未満でしたが最近は子宮体部ガンの患者さんが増加傾向にあり子宮ガン全体の2割~3割程度になってきました。特に都心部で生活する女性で発生する割合が高くなっており、ライフスタイルとの関連性が高いとされています。
子宮体ガンは40歳代から増え始め50歳~60歳代で最も多く、閉経期前後から閉経期以降比較的早い時期の疾患であることがわかります。
【子宮ガン(子宮癌)の原因】
子宮体ガンの発生は、閉経後の女性、未婚の女性、妊娠・出産の経験がないまたは少ない女性、動物性脂肪を好む肥満体の女性に多く見られます。これらが当てはまる女性は同時に乳ガンの発生率も高くなることが分かっています。
また乳ガン治療に使われるタモキシフェンというホルモン剤を長期間使っていると子宮体がんになる確率が上昇すると言われています。
子宮体がんの発生には女性ホルモンのエストロゲンが大きく関与していることが分かっています。エストロゲンの主な産生源は卵巣および副腎と脂肪組織になります。
脳の視床下部から放出される黄体形成放出ホルモン(LH-RH)が下垂体前葉を刺激し、性腺刺激ホルモンである黄体形成ホルモン(LH)、卵胞刺激ホルモン(FSH)を分泌させます。そして、これらのホルモンが卵巣を刺激してエストロゲンを分泌させます。一方、視床下部から放出される副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン(CRF)、下垂体前葉からの副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)の分泌を促進し、副腎皮質からのアンドロゲン(男性ホルモン)が産生されます。脂肪組織では副腎由来のアンドロゲンからアロマターゼという酵素の働きによってエストロゲンが産生されます。
閉経前
卵巣から分泌される女性ホルモンのエストロゲンは、排卵後の卵巣や胎盤から分泌される黄体ホルモン(プロゲステロン)というホルモンとともに月経・妊娠・出産をコントロールしています。
しかし何らかの理由によりプロゲステロンが分泌されずエストロゲンが単独で分泌される期間が続くと子宮体がんのリスクが高くなると考えられています。
現代の日本女性は、食生活の欧米化によって発育も体格もよくなりました。そのため初経が昔より早く、逆に閉経は遅くなっています。また未婚の女性が増え出産の機会も減りました。これらはエストロゲンにさらされる期間が長くなったことを意味します。こうした背景から、子宮体がんが発病しやすくなったと考えられています。
閉経後
閉経後は卵巣に代わって、副腎から分泌されるアンドロゲンという男性ホルモンが脂肪組織に豊富に含まれるアロマターゼという酵素の働きによりエストロゲンに変換されてしまいます。そのため閉経後は肥満であることが子宮体ガン発生のリスクを高めることになります。
また肥満である女性は、食生活が脂っこいものが好きであったり、動物性たんぱく質、脂質が好きであったり、甘いものが好きである場合が多く、食生活が欧米女性に近いということもリスクを高めているといえるでしょう。
子宮頸ガンの発生は子宮体ガンとは異なり、性交渉開始年齢が早い人、性交渉の相手が多い人、性交渉の相手が多い男性との性交渉がある人、妊娠・出産の回数が多い人に多く見られます。
最近になって、子宮頚ガンが発生しているほとんどの人に、ヒトパピローマウイルスというウイルスに感染していることが分かってきました。このことからヒトパピローマウイルスが子宮頸ガンの発生原因になっていると考えられるようになってきました。感染は性行為によって発生し、それ以外での感染は極めて稀になります。
【子宮ガン(子宮癌)の症状】
子宮体ガンも他のガンと同様、初期のものほど治る率も高くなるので早期発見・早期治療が大切になります。
子宮体ガンは比較的初期のうちから不正出血が起こります。従って「月経以外におかしな出血が長く続く」、「閉経期のころに月経の上がりが悪い」、「閉経後に不正出血がある」といった場合は、子宮体ガンを疑う必要があります。この不正出血が前ガン状態のシグナルであることもあります。
他に、排尿痛または排尿困難、性交時痛、骨盤領域の痛みなどの症状が現れることがあります。
これらの症状が見られた場合には産婦人科で検査を受けることをお勧めいたします。なお、集団検診で行う「子宮ガン検診」は通常、子宮頚部ガンの検診を指します。子宮体部ガンのリスクを高める要因に当てはまる方は、子宮体部ガンの検診を定期的に受ける事をお勧めいたします。
子宮頚ガンでは早期にはほとんど自覚症状がありません。
子宮頸ガンが進んでくると生理以外の出血(不正出血)や生理の変化(長引く、不順になる)、性交時の出血(接触出血)、黄色いおりものが出るなどの症状が出てくることが多くなります。さらにガンが進行し骨盤にまで達すると腰痛が起こることがあります。

