子宮がん・子宮頸がん

子宮がん・子宮頸がんを自然消失された方のお話も含まれています。冬虫夏草や自然療法、代替療法にご興味のある方々です。

西村みどりさんの場合

※めまいのお話は末尾にございます。

 「あれは1996年の9月半ばのことでした。血尿が続いたので病院に行くと、子宮頸がんであり、膀胱にも転移していることを告げられました。病院を後にしてタクシーに乗り込むと、車中で黙っていられなくなり、運転手さんに『私、がんなんですって』と打ち明けました。すると思わぬ反応をされたのです。その運転手さんは『アハハハ』と笑い出し『笑ってれば治るよ』と言うのです。私もつられて笑ってしまいました。000067-a.jpg

 家族も深刻になることはありませんでした。母は『不摂生な生活を改めて早く治せばいいのよ』とあっさり言うだけ。食生活では刺激の強い辛いものを好み、お酒もよく飲みましたし、加工食品のお世話になって野菜不足など思い当たることが数々ありました。それにその年の春には、新しい職場に移動になったため、慣れるまでずいぶん神経を使いました。肉体の疲れを感じることも多く、それでも休まず働くだけ働きました。

 

 翌日、会社に休暇届を出すと、上司は『仕事のことは心配するな。治療に専念しなさい』と励ましてくれました。昼には帰宅。突然降ってわいたロングバケーションという気分。こんな機会は今までもこれからも滅多にないことだからのんびりしようと思いました。そして入院まで3週間の時間があるのだから何か自分でできる療法をやってみようかとも思いました。知人らに事情を話すと、さまざまな自然療法の本が手元に届くようになりました。

 

 血液や体液が汚れると免疫細胞はそちらの掃除に大忙しで、毎日3000~6000個発生するといわれるがん細胞の掃除まで手が回らなくなります。さらに汚れは正常細胞を傷つけてがん細胞に変化させる原因を作ります。体内の浄化のためには微生物の力を借りようと思いました。試すことにしたのは酵母エキス(コーボン)。それに漢方薬を組み合わせて使いました。すると血尿がピタリと止まりました。そして入院後の検査でも予想通 りというか、膀胱の腫瘍はきれいに消失していたのです。

 

  お茶ノ水にあるその病院は『病人にとってストレスがいちばん悪いんだから、病人は自由でなければならない。自由に外出しなさい。土・日は家に帰りなさい。ただしお酒とタバコはダメですよ』という所でした。病院は美味しいレストランが立ち並んでいるので、毎日食べ歩きをして過ごしました。いつもお天気がよくて、お日様の光を浴びながらリラックスして入院生活を送るうち、体重が4kgも増えて、これにはさすがに怒られました(笑)『うちの病院は、がん患者さんに対して放射線治療も抗がん剤治療もがんばりません。自然療法もやりたかったらやってください』という先生のもと、抗がん剤も放射線も治療に入ったものの、体調を慎重に観察してどちらも間もなく打ち切りの判断がされました。 それでも入院して2か月の時点で、MRIと細胞診の結果から子宮頚は改善されているものの、子宮の奥や卵巣、リンパ組織まで浸潤しており、Ⅲ・Bの末期寸前という状態でした。そして手術日が翌月に決まったのです。

 手術までの1か月余りの時間を自宅で過ごすことになってから、新たな微生物の力を借りようと思いました。日本冬虫夏草を使用したのはそれからです。そしてひと月後、がん細胞が皆消失する不思議を目の当たりにするのです」

朝日ウィル(北燈社)2001年11月13日号より

 

 西村みどりさん(東京都在住)は、手術までおよそひと月の時間を与えられました。

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 「一旦退院し、自宅で過ごすことになってから、酵母エキス(コーボン)に加えて日本冬虫夏草を飲み始めました。体液を浄化して免疫力を高めるのにさらなる微生物の力を借りようと思ったからです。 手術まであと5日に迫った頃、友人に誘われて千葉の気功の先生のもとを訪ねました。その世界ではジーパンをはいた神様と呼ばれている有名な方らしいのです。

 

みてもらっているうちに先生は『あなたのがんは皆消えてますよ』とおっしゃるんです。そして『手術したらもったいないですよ』とさえ。そう言われても、わずかひと月前にはⅢ・Bの末期寸前と言い渡されたのですから、この短い間に悪いところが全て無くなるとはとても信じられる話ではありませんでした。この期間、病院の治療は一切やっていなかったわけですし、薬剤も一切服用していませんでした。

 

どこを探してもがん細胞が見つからない

 1997年1月24日。予定通り、子宮、卵巣、リンパ組織の摘出手術を行いました。摘出部はすぐに病理検査にまわされました。そして返ってきた検査結果 は、がん細胞がどこにも見つからないというものでした。そんなはずはないので必死に探したけれども、摘出部のどこをきざんでもきざんでもがん細胞は出てこなかったというのです。担当の先生からは『追加治療の必要はありません。再発の心配も多分無いでしょう。退院してください』と言われました。気功の先生の言う通 りのことが現実に起きていたのです。

 あれから毎日元気で再発もなく、5年が経とうとしています。会社は丸々3年休みました。現在は営業から事務の仕事に変わって、肉体的にはずいぶん楽になりました。通 勤のため毎日1時間は歩いています。当時は職場を移動したばかりで、長期休暇を取るのは大変不本意なことでした。でも、治療しながら仕事をしても全力投球できずに周りに迷惑をかけますし、今にしてみれば潔く休んでよかったと思っています」

 

 がんになられた方の中には、仕事を続けながら同時に治療にも挑むという人が少なくありません。自分がいないと会社や組織が動かないと思い込んで他人に任すことができず、なんでも自分でやらないと気がすまない人たちです。そしてそれを生き甲斐といって、生き甲斐が無くなったら病気も悪化すると考えています。がんはもともとこういったがんばりやさんに取りつく病気ですから、ちょっと仕事から離れて時間を作り、静かな気持ちで病気と向き合い、これまでの生き方を反省し、情報収集して静かな気持ちで治療を選び取っていった人の方が良い結果 を導いているように思います。本人の心配をよそに会社や組織は大概はうまく動くもので、早く治して復帰し、さらに良い仕事をやればよいのです。

  

 「現在も酵母エキスや日本冬虫夏草は続けています。これまでの経験を生かし、病気で悩んでいる人がいれば、アドバイス役を買って出ることもあります。便秘をしないで、かつ血液とおしっこがきれいだったらがんにはならないという持論を持っています。毎日気分良く笑って暮らし、高い免疫力を維持することも持論の一つです 」

 西村さんは、いつどんなときも明るくハツラツとなさっていて、それがごく自然で、本当に不思議な方です。だいたいは私の方が西村さんから元気をもらっています。

朝日ウィル(北燈社)2001年12月18日号より

 



 2002年3月4日放送『解決!クスリになるテレビ』に西村さんが出演し、発病から治るまでの経緯を語りました。西村さんは相変わらずお元気です。

2002年3月5日

 

 3月に病院で検査を受けてどこも悪いところは無く、お元気ということでした。それから、おいごさんと札幌まで旅行に出かけ、大変楽しい時間をすごされたということです。

2002年3月10日

 

  「私の周囲にがんになる人も多いのですが、皆良くなっているのは不思議です。現在の私の姿を見ると不安な気持ちがが飛んでいって免疫力が上がるからでしょうか。今年でがん消失から11年が経ちました。最近仕事が忙しいですが、美味しいものを食べたり、お酒をいただいたりするのは気分転換になります。スイーツを食べるのがストレス解消という女性も多いですが、私は甘いものはニガテで食べられないんです。辛党なんですね。変わらず元気でおります」

2008年5月24日のお話より

 

 「会社の同僚が皆、新型インフルエンザワクチンを接種してる中、私は断り続けています。自分は大丈夫という妙に自信があるから不思議です。日本冬虫夏草を飲み始めてからインフルエンザも風邪もひいたことがありません。旬の野菜をたっぷり摂るということも健康のために心掛けてることのひとつです」

2009年12月13日のお話より
 

 

めまいとの付き合い

 

 「2011年からめまいに悩まされてきました。そのために病院通いを40日間続けました。毎日の習慣だった飲酒も休まざるを得ませんでした()。結局、原因は分からずじまいで、治ることはありませんでした。

  便秘をしないで、かつ血液とおしっこがきれいだったらがんにはならない』という持論を以前お話したことがありますよね。この頃は油断して手を抜いていました。めまいはがんではないですが、血液を変えてみようと思いました。年末から取り組んだのが血液をサラサラにする食材を摂るということでした。納豆とオニオンスライス、お魚(大抵はお刺身で)を毎日食事に摂り入れました。

 

 

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そしたら、ここ2~3年、100~101を推移していた中性脂肪値が68まで低下したのです。肝機能の数値も改善されました。これは長い休肝日があったからかな。骨密度も低かったのが、標準レベルまで高くなりました。

 

 

納豆にはサラサラ成分のナットウキナーゼの他に、骨を強くするビタミンKとイソフラボンも含まれているそうですね。毎日の食事の積み重ねってバカにできないですね。その逆もあって体を壊す方もいるということですね。めまいも12月にあったきりで約3か月間治まっています」 

                                                                                                                                         

2013年3月18日のお話より

 

   

 「2012年5月。再びめまいにおそわれました。朝目覚めた途端、天井がぐるぐる回り、職場に向かうことはもはや不可能。治まるまで3~4日かかりました。この月はこんなことが2度ありました。

8月も2度のめまいにおそわれました。6~7月はウソのように平常通り過ごしていました。8月の1度目の時、日本冬虫夏草とは違う別の菌類を集中して飲んでみることにしました。この月はいつもより回復が早まりました。

 

 

めまいから解放

 私はあることに気が付きました。めまいの出現には周期があるのではないかということです。2011年の5月、8月、12月と2回ずつ、2012年の5月と8月に2回ずつ起きています。私の場合、季節が大きく変化するとき。気圧が変化するとき。気候的変化が引き金になってるかもしれない。となると、次にやってくるのは12月と予想しました。案の定、9~11月は平常通り過ごせました。12月に入る前から例の日本冬虫夏草を集中して飲みました。

 年末に友人から『めまいはどう?』という電話をもらいました。私はすっかり忘れていました。何も起きていなかったのです。それからさらに4月まで無事に過ごし、昨年の9月から数えて8か月間、めまいとは無縁で過ごせております」

2013年4月21日のお話より

  「鬼門の5月も無事に過ぎました。忙しくしております」

2013年6月9日のお話より

 「あのひどいめまいとは無縁でとても元気です。不思議です。発がんした当時、いろんな方達から守られてるという安心感がありました。病院や地名、先生の名前に縁起の良い漢字が必ず入っていたり、乗り合わせたタクシーの運転手さんから最高のアドバイスをいただいたり、矢萩先生の本の編集を友人が担当してたりと偶然と思えないようなことが重なったのです。まるで用意されてたような。がんが消失してから18年が経過しました」 

2015年4月24日にお会いして

 「めまいがうそのように無くなりました。元気でおります」

2016年8月28日のお話より

 

 「めまいの再発はありません。今年も元気で無事年を越すことが出来ます」

2017年12月25日のお話より

 

 

 

高橋初子さん(57才)の場合

HQ156_L_SP0000.JPG 「2000年4月半ばのことです。親戚の不幸が続いて休養もなく過ごしていました。そんな中、多量の不正出血が起こったのです。閉経後3年目のことでした。そして、腹部がひどく痛み、握りこぶし程のレバーのような固まりが出てきました。でも、まもなく正常に戻ったので、気に止めずそのまま過ごしていました。

 それから10日程経った頃、突然歩けなくなってしまいました。ひどいめまいにおそわれたためです。こうなるとさすがに放っておけなくなり、病院で検査を受けることにしました。そして、子宮体ガンと診断されたのです。

 思い起こせば、前年の夏にも少し、この年のお正月にも少し出血がありました。兆候があったんですね。でも忙しくて気にかける余裕はありませんでした。主治医は『子宮体ガンだけだったら手術して治るからね』と言ってくれましたが、精密検査で、子宮頸やリンパ腺にも広がっていることが分かったのです。卵巣も腫れていました。『難しい手術なので万全の態勢で臨みたい。腕の良いスタッフが海外出張から戻るのを待って手術しましょう』というのが、その時の病院側の説明でした。手術まで3週間という時間が与えられました。

 自分で何とかしなくては、ここで負けてはいられないと思いました。以前から日本冬虫夏草のことは知っていたので、早速、矢萩先生を尋ねました。悪いことは一切考えないように努め、自宅ではリラックスしながら日本冬虫夏草を毎日飲み続けました。


000068-b.jpg これまでの自分自身を振り返ると、発病の原因はストレスではないかと思いました。ここ20年間というもの特に後半の10年は娘の学費のために必死で働きました。もう少しというときに働いていた工場が海外移転をしたため、職を失いました。その後はやむなく内職を始め、休むことなく毎日ミシンに向かいました。同じ姿勢も良くなかったですね。工場勤めのときと違い、家に一日中いますから来客も多くなり、断れない性格なので仕事や夕飯の支度をとても気にしながらお付き合いします。さまざまなストレスが次第に自分のいちばん弱いところに歪みを作っていったのかもしれません。肉体的にも精神的にもギリギリでした。ようやく娘を大学院まで出して、やれやれと思った矢先でした。

 手術では子宮、卵巣、リンパ腺を1本摘出し、その後3回の抗ガン剤を投与することになりました。周りに同じような治療を受けている女性が4人いました。(4人の方のその後の様子は末尾に記述しております)しばらくすると、その人たちと自分には明らかな差があることに気付きました。皆は抗ガン剤の副作用でツルリと髪が抜けて帽子をかぶっているのに自分は目立った抜け毛がないし、あちこちで吐いているのに自分は一度も吐くこともない。看護師さんからは『初子さんは、どこが悪いのか分からないね』と言われる始末でした。不思議なほど呆気なく以前の健康を取り戻し、あれから8ヵ月が過ぎようとしています」

 初子さんは現在、顔色も良くとても元気です。仕事は辞め、大好きな読書をしながらのんびり暮らしているそうです。

朝日ウィル(北燈社)2001年2月13日号より

【経緯】

2000年4月半ば 多量の不正出血。
10日後 子宮体ガンの診断。
手術まで3週間あり。
日本冬虫夏草を飲み始める。
5月 手術後、3回の抗ガン剤投与。
抜け毛もなく、吐き気もなし。
同室の人たちとの違いに病院のスタッフが驚く。

 

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 「4月に病院で検査を受けて、先生から大変良い状態と褒められました。最近は野山に入り、山菜採りを楽しんでいます」

2002年5月22日のお話より

 

 「この度の検査でも全く問題なしで、再発もなく元気に3年5ヶ月が過ぎようとしています。日本冬虫夏草は現在でも続けています」
以前より体が引き締まり、さらに健康になられたという印象でした。

2003年10月1日にお会いして

 

 「手術から再発なく6年が経過しました。相変わらず元気で過ごしています」お嬢さんと一緒でした。

2007年1月2日にお会いして

 

 「手術から再発なく7年が経過しました。この夏、心臓に水が溜まり、短期間でしたが入院しました。医師に体重を減らすように言われ、7~8kg落としました。この頃は日本冬虫夏草をわずかしか飲んでいませんでしたが、しばらくは量を増やして飲んでみるつもりです。

 一方ガンについては、担当の先生が不思議がるほど完治して、心配はいらないそうです。2000年に手術のために入院した際、私の他に4人の女性が同室でした。皆、同じ病気です。3人は私の前に手術が済んでいて、もう1人の方は私の後に予定が入っていました。先の3人の方は残念ながら全員亡くなられています。もう1人の方の消息は分かりません。生かされていることに感謝しながら、同室で仲間だった皆のためにも健康維持に努め、長生きしなければならないという気持ちでおります」

2007年9月4日のお話より

 

 「検査が3ヶ月から6ヶ月間隔に伸び、『きれいに治ってるねー』と先生も驚いています。心臓の方も問題なく、日本冬虫夏草を飲みながらのんびりを心掛けて暮らしております」

2008年11月20日のお話より

 

 「手術から再発なく12年半が経過しました。定期検査も完全に卒業しています。今は全身痛いところも何も無く、健康で暮らしています。最近、自分の愛車を手放しました。歩かざるを得ない状況を作ったのです。老いは足からといいます。コースは違いますが、夫婦でウォーキングも楽しんでいます」                             

                                                                                                                                                                                                                                                2012年10月31日のお話より

                                                             

  心臓にトラブルが生じ、尿毒症のため72年の生涯を閉じました。寝たのは3日間だけで、それ以前はお元気だったそうです。がんについては『きれいに治ってるねー』と太鼓判を押されていました。お心優しく、最期まで多くの方に尽くされた人生でした。ご病気で苦しんでおられる方の力になりたいとご自身のお写真を添えて、体験談を実名で公開してくださいました。多くの方の心を照らしてくださいました。心より感謝申し上げます。ご冥福をお祈りしています。

 2014年8月29日ご訃報より

高橋美里さん(薬剤師 秋田県在住 仮名)の場合

 「年に一度健康診断を受けており、2009年に子宮筋腫が見つかりました。自覚症状はありませんでした。今から思うとおりものが若干気になってたかな。『子宮内膜が厚くなっているね』と言われました。それでも、手術するまでではなく、経過観察扱いになったのです。

 それから2年が経過し、2011年12月。今度は子宮頚から異常な細胞が見つかりました。異形細胞と呼ぶそうで、HPV(ヒトパピローマウィルス)感染が原因で正常細胞が変化したものだそうです。前がん状態で、それが数年から十数年でがん化していくものらしいです。この段階で処置すれば子宮を温存出来ます。たとえがん化してもごく初期の段階でしたら温存は可能だそうです。IMG_1245_SP0001.jpg

しかし、私の場合は子宮筋腫を抱えています。この際、子宮を摘出してしまえば、一挙に解決するということで摘出をすすめられました。

手術に踏み切れば、入院から復帰まで1か月はかかります。仕事は?家庭は?いろいろな人達に迷惑や負担をかけてしまう。自分のことより、そちらの方で頭がいっぱい。すぐに手術に踏み切るという気持ちにはなれませんでした。

 さて、異形細胞がどのレベルにあるのか、検査法によって呼び名が変わってきます。がんになる何ぽ手前なのか、はたしてがんになってはいないのか。アルファベットと難解な日本語で分類されているため、複雑で分かりにくくとまどいました。

検査には①細胞診(検査)②コルポスコープ診(検査))(膣拡大鏡診ともいいます)③組織診(検査)があり、①で注意以上が出ると、②→③と進みます。

①の検査で私は、HSIL(高度扁平上皮内病変)という高いレベルでした。(表①参照)これは(中等度異形性~微小浸潤がんの疑いあり)とされます。③の組織検査に進むと、高度異形性か上皮がんのどちらかであると予想されます。ところが一週間してその検査をすると、CIN1(軽度異形性)とCIN2(中度異形性)レベルの結果がでてきたのです。(表③参照)

少しだけホッとしました。日本冬虫夏草を飲み始めたのは2月からです。

3月になると①細胞診ではLSIL(軽度扁平上皮内病変)で、③組織検査ではCIN1(軽度異形性)のみの結果で明らかにレベルが低くくなっていました。(表③参照)


① 細胞診の分類:ベスダ法(システム)

結果 NILM   ASC-US
(アスカス) 
ASC-H
(アスカス-ハイ) 
LSIL  HSIL   SCC  
日本語の意味   陰性  意義不明な異型扁平上皮細胞   HSILを除外できない異型扁平上皮細胞   軽度扁平上皮内病変  高度扁平上皮内病変  扁平上皮癌 
推定される顕微鏡レベルの異常   腫瘍性の異常はない。炎症のある時がある。  軽い扁平上皮内病変の疑い   高度の扁平上皮病変の疑い   HPV感染軽度異形成  中等度異形成~微少浸潤癌の疑い   扁平上皮癌  
従来のクラス分類  Ⅰ、Ⅱ  Ⅱ~Ⅲa   Ⅲa~Ⅲb   Ⅲa   Ⅲa、Ⅲb、Ⅳ、Ⅴ    

 

③ 組織診の分類

子宮頸がん

取り扱い規約分類
正常 異形成 dysplasia 上皮内がん
(CIS)

経度
(DL)

中等度
(DM)
高度
(DH)
CIN分類 正常
CIN(上皮内腫瘍)

 

 私は、これまでの生活を振り返ることにしました。2009年頃から、娘が中2病となり、神経を使うようになりました。目が離せなくなったのです。受験勉強では常に寄り添いサポートしました。

フルタイムの仕事をしてましたし、夫はさらに忙しい仕事を抱えていましたので家事も一人でこなし、受験勉強もとなると睡眠時間を減らすしかありません。平均睡眠3~4時間ぐらい。4時間眠れば良い方でした。食事にも時間をかけられず、かきこむようにお腹に入れ、常にどこ入っていったか分からない状態でした。

GL139_L.jpgある日、夜中に娘の勉強部屋を出て寝室に向かう時、『こんなことを続けていたらいづれがんになるかも』という予感がよぎったのを覚えています。志望校に合格してからも娘の心は不安定でした。自立を期待する私とこれまでのように関心を持って欲しい娘との間に葛藤が生じました。時間こそが解決してくれると覚悟はするものの、私自身の心が休まることがずっと無かったのです。

ストレスと睡眠不足と栄養不足が原因なのは明白でした。娘のためにも自らの病気を治すことを優先しよう。娘からはいよいよ手を引くことにしました。自分の時間を作り、ニィーチェやパスカルなどの哲学書から仏教の本を読み、NHKの[100分de名著]で紹介されたヴィクトール・フランクルの[夜と霧]に夢中になりました。私は長いことこのような寄り道をしたことがありませんでした。いつの間にか読書に没頭して現実を忘れてる自分に気が付きました。何かに集中して、余計なことを考えない時間は心地よく、充実していました。

健康書も読みました。[10時に寝る法]関連、[病気は自分で治す]関連の複数の書籍はは実践に役立ちました。

ヒトの体は自然と一体になることにより健全に保たれています。普段そう意識して生活してる人はあまりいないでしょうね。私もそうでした。例えばメラトニンは、睡眠を誘導するホルモンであると同時にがんの増殖を抑制する物質ですが、ヒトは朝日を浴びることで、14時間後にメラトニンが脳の松果体から分泌され、眠くなるしくみを持っています。ただし、分泌には日没後の暗闇というもう一つの条件が必要となります。そうやって夜に活発になるというがん細胞への対応も出来ていたのです。光と闇の2つが揃わなければメラトニンは分泌されず、ヒト本来の能力を発揮できない。『太陽の子』というわけなのでしょう。

私は、夜10時にはベッドルームの照明を消して休むことにしました。夜中まで起きていた生活のリズムを一変させるのは気合HJ114_L.jpgだけでは無理でした。この際、リーゼ(精神安定剤)という薬の力を借りることにしました。夜中に目が覚めることなく、朝まで一直線に眠ることが出来ました。眠りの質も良かった。職場では一日中心穏やかでいられました。イライラしてしまう原因に睡眠不足があるのだと気が付いたのは収穫でした。

眠るための薬は、作用する時間の短いもの、いわゆる軽いものほどクセになり、止められなくなります。リーゼはまさにそれで短期勝負です。1錠だと便秘になったので半分にし、その後1/3錠に減らして3か月服用しました。

 ヒントを探しに健康セミナーにも足を運びました。遺伝子レベルでがん予防について学びました。
 ①私達生物は古い細胞を新しい細胞に置き換えながら生き続けますが、新しい細胞を作る時に、細胞の核にある遺伝子のコピーがうまくいかず、どうしてもコピーミスが生じてしまいます。こういう細胞はがんのリスクになりますが、修復能力を持っているので大丈夫。即刻修復されます。ただ、強いストレスがかかると修復しにくくなるといわれています。

 ②P-53のような抑制遺伝子(分ってるだけで30種類)が備わって体内で活躍していますが、これもヘルシーなライフスタイルから遠ざかると働かなくなるそうです。がん遺伝子(120種類以上ある)も持っていますが、むやみに恐れることなく、がん抑制遺伝子や免疫システムにしっかり働いてもらえばいいのです。

 ③がん遺伝子の発現を抑えるにはVC(ビタミンC)の点滴が有効のようです。

 

 ストレス対処とい自然な生活リズム、手作りの自然な食事はなんとか実現出来ていました。(お肉・乳製品・お菓子等はほとんど食べません)私は、早速、VCを取り入れてみようと思いました。野菜や果物だけでは不十分と考え、服用するタイプで顆粒のVC製剤を使いました。実際、体は快調でした。

 さて、2012年4月に思わぬことが起こりました。女性は月経の周期があるために検査の際に隠れて見つからない場合があるそうですが、この時の検査でどうやらこれまで隠れていた小さな子宮のポリープが1個見つかったというものでした。すぐにポリープだけを切除することになりました。手術前、さすがに心細くなりました。どうしょうもなくなって心の内を看護師さんにぶつけました。すると看護師さんは、私の気持ちを温かく受け止めてくれたのです。気持ちが落ち着き、勇気と気力が湧いてきました。この日は日帰り手術でした。白衣の天使とよく言うけれど、自分が患者になって初めてその大きな存在を知りました。

 

異形細胞消失。子宮頸がんの不安から解放。

 それから3か月が過ぎ、2012年7月28日。再び検査です。結果を聞くまで悪くなっていないだろうかといつもドキドキします。こういった思いをしてる人が世の中にどれほどいるのかな。取り越し苦労になるといいのだけれど。

すると結果は呆気ないもので、異常なし。子宮頸に異形細胞は見つからず、正常細胞だけになっていたのです。その日は開放感でいっぱいになり、寄り道をして帰りました。晴れ晴れとした気持ちでショッピングを楽しめたのはずいぶん久しぶりのことでした」

2012年9月1日のお話より

 「その後元気にしています。今日の検査でも無事、異常なし。安堵しています」

2013年4月13日のお話より

 「娘は高校3年生となり、再び受験勉強にいそしんでいます。3年前と比較するとずいぶん落ち着き、大人になりました。私がやってあげれることは『ささえているよ』という雰囲気づくりぐらいかな。今回は自分にブレーキをかけなくてはと肝に銘じています。日本冬虫夏草は量を減らして続けています。子宮筋腫の方も大きくならず、心配はないということで、この度は、先生から『内膜が柔らかくなっていますよ』と言われ、むしろ良い方向に向かっています』

2013年8月17日のお話より

/M_T_001.jpg 「試験まで日数もわずかとなり、娘の気持ちはナーバスになってきています。それを受けとめようとすると、どうしようもなく心が消耗します。そこで私は、無理もないことと割り切って、時間を見つけてはドライブに出掛けることを心掛けています。心をリセットするのです。新鮮な空気を求め、深呼吸。そして、美しくのどかな風景で心を癒します。短時間のひとり旅ですが、これこそが本当の薬なのではないかと思っています」  

 2013年10月13日のお話より

 「経過順調です。定期検査も3か月毎から6か月毎に延びました。油断しないように頑張ります」

2014年1月1日の年賀状のコメントより

 「秋田の桜もやっと咲き始めました。娘の入学式も終わり、やっと自分の時間が持てそうです。睡眠不足も大分続きました。メンテナンスしなくてはと思っています」

2014年4月22日のお手紙より

 「半年に一度の検査がありました。異常なしの結果でした。異型細胞が消失してから無事2年が経過しました」

2014年8月3日のお話より

 「12月に検査がありました。異常なしでした。」

2014年12月26日のお話より

 「この度の検査結果も良好でした。子宮頸がんの原因のHPV(ヒトパピローマウィルス)も全く検出されませんでした。当初、『ウィルス検査をやっても高い数値が出て当たり前だからあえてやりません』と言われていました。よって、半年に一度の検査が一年に延びました」

2015年7月15日のお話より

 「年に一度の検査を無事通過いたしました。昨年の秋は海外旅行の夢が叶いました。ハワイで娘と乗馬体験をしたのです。この秋は、台湾旅行を計画しています。5年前はこんな日が来ることなど考えられませんでした。気を抜かず体を大切にしていくつもりです。日本冬虫夏草も続けています」

2016年8月29日のお話より



 

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※異形細胞を顕微鏡で見たイメージ 

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細胞も比較的大きさが揃っています。
核も大きさが揃っています。全く異常はありません。
次回は1年後の検診で結構です。 

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核がやや大きくなったりします。
炎症があったりホルモンのバランスがくずれたり、ポリープがあったりすると
出てくることがありますが、良性であることは間違いありません。
一応、半年後に再検査を勧められることがあります。 

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基本的にはクラスⅡの仲間ですが、少しクラスⅢaに似ている所がある時があります。
3~6か月後に再検査をうけるように勧められることが多いようです。

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正常細胞ではありません。
やや顔つき(細胞質、核)に異常があります。
細胞に何らかの力が働き(例えばパピローマウイルスなど)活動力がより活発になった可能性があります。このままクラスⅢa→Ⅲb→Ⅳと進みがんに進む可能性は低く、正常に戻る確率の方がずっと高いと考えられております。しかしこれが出た時は定期的(例えば3か月毎)な検診や、念のための精密検査が必要な事もあります。クラスⅡ以下になるまでは通院しましょう。

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クラスⅢaに比べるとやや顔つきが悪くなります。
しかしこの時点では明らかな悪性細胞とはいいきれません。
いわば悪性の予備軍。この状態になると時期の早いか遅いかは別にして約20%の方が将来初期のがんになる可能性があると考えられています。但し注意しなければいけないのは、初期のがんなのにこの分類に入る入ることがある事で、クラスⅢbになったら精密検査は欠かせません。

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初期のがんが疑われる細胞です。
膣拡大鏡診や組織検査をうけて、どの程度のがんか精密検査を受けることが必要です。早期のものであれば子宮を残す手術が可能の時もあります。

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明らかな悪性細胞です。
細胞の大きさや型もいろいろ多彩な形態をとることがあります。病変が子宮にのみ限局しているか周囲に広がっていないか、リンパ腺はどうかなど調べた上で、早期の治療方針を立てることが大切です。

 

 
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小林祥子さんの場合

 ※花粉症は中盤。腎結石のお話は末尾にございます。

 「2008年9月12日に子宮がん検診を受けました。結果は異常なし。気になっていた生理不順も自分の中で『更年期のせいかな』と片付けていました。この時、1年間の予定で休職にも入っています。

 翌年2009年5月。生理が2か月ぶりにやってきたのですが、普段とは違っていました。出血が1か月経っても一向に止まらないのです。これは何かが起きているなと思い病院で調べてもらうことにしました。GK056_L.jpg

検査したのは6月25日。病院では『後日、結果を報告します』ということで、その日はホルモン剤と鉄剤を受け取って帰りました。実は30年前に遡りますが、ホルモン剤を注射して具合が悪くなり倒れた経験があったのです。そこで鉄剤だけの服用にとどめておくことにしました。
  
このことを薬剤師をしている友人にも相談しています。彼女は私の症状を聞き、まだ結果が出てないにしろ、すぐにでもなにか対処したほうがいいと考えてくれたようです。その時、日本冬虫夏草の話が出ました。子宮筋腫にしろ、子宮がんにしろ、自然に治った人が日本冬虫夏草を飲んでたのを知っているというのです。

私も6月30日から日本冬虫夏草を飲み始めました。翌日『元気だな』と感じました。明らかに前日と体調が違います。それから一週間して、過日の結果を聞きに行くと『子宮壁が厚くなっています。子宮体にポリープも見つかりました。これががんに変化していく可能性があるので経過を観察していきましょう。3か月に一度検査に来て下さい』と言われました。

 実家の母に報告すると『悪い方に考えたら悪くなるから良い方に考えたらいいのよ』という言葉が返ってきました。母はとてもポジティブな人間です。子育てで迷っていた時も『いい子いい子と言って育てればいいのよ』といった調子。今になってそれは間違いではなかったと実感しています。この度も、『病気のことをくよくよ考えるのはよそう、忘れて過ごそう』と決めました。

そうしてるうちにいつの間にか出血が止まっていったのです。

 9月に入ると予定通り職場に復帰しました。GK056_L_2.jpg仕事は事務のデスクワーク。9時~5時のフルタイムで働きます。当初『病気を抱えてるし、久々の職場で体が慣れるまでしんどいだろうな』と思っていました。ところが、一日が終わる頃に全く疲れを感じないのです。元気なままなのです。しばらくして仕事量が増えてきてもそれは変わりませんでした。以前働いてた時もこのような感覚はありませんでした。

 10月に入ると息子の通う中学校で新型インフルエンザが流行し、学級閉鎖という事態になりました。息子も感染し、症状が出て寝込みました。ところがたちどころに回復していったのです。息子は日本冬虫夏草を350ccは飲んだと思います。私は、息子を隔離することなく、咳をされてもマスクもせず普段通り接してたのですが、発症することなく済みました。何事もなかったかのようにこの危機が通り過ぎて行ってくれました。

 そんな諸事情があって、10月は検査のタイミングを逃し、4か月の月日が流れていました。でも『早く病院に行かなくては』とあせる気持ちはなくて、『こんなに元気なんだし、生理も正常に戻ったし、自分は大丈夫』という自信のようなものがあったのです。

 

ポリープ消失。手術必要なし。

 当初の『手術と言われたらどうしよう』という心細さは無くなり、同行をお願いした薬剤師の友人にも頼ることなく、11月7日にスケジュールの都合が付き、一人で病院に行きました。検査後、医師から『子宮体にあるポリープが消えて子宮壁の厚さが正常に戻っています。きれいになっていますよ。3か月に一度の検査にはもう来なくていいですよ』と告げられました。予想はしてたものの正直びっくりしました。

 病気の原因は何だったのかなと振り返ると、人間関係のストレスが大きかったのではと思います。くよくよ考えずに忘れること。考えるときは物事を良い方向で考えるよう心のコントロールをすること。それらが功を奏したのではと思います。それと日本冬虫夏草を飲んだことぐらいしか思い当たる節がありません。日本冬虫夏草は量を減らして現在も続けています。

 この頃は肌の調子も良く、顔がつるつるで柔らかくなった気がします。馴染みの化粧品屋さんを訪ねた際、機械で肌診断をしてもらったら『以前より弾力が増しましたね』と言われました。若返ったということでしょうか。女性にとっては何より嬉しいことです」

2010年2月1日のお話より

 

花粉症から解放された。

 「毎年、スギ花粉が飛散する頃になると鼻水やのどのゴロゴロ、涙や目のかゆみに悩まされてきました。花粉症との付き合いは20年間にも及びます。今年も薬をいただき、心の準備をしながら待ち構えておりました。花粉は2月の中旬から飛び始めたと思います。
 ところがこの度は、目のゴロゴロを感じるぐらいで他に何も症状が出ないのです。あんなに苦しんでいたのがウソのようにピタリと治まっているのです。薬も飲まず仕舞いです。身近に花粉症の方が結構おりまして、皆さん症状がひどいようですから、私も確実に花粉を浴びているはずです。
 子宮ポリープと一緒に花粉症も治ってしまいました。何かやったかと尋ねられれば、日本冬虫夏草を続けてることぐらいです」

2010年2月29日のお話より

 

【経緯】

2008年 9月 1年の休職に入る。生理不順有り。
  9月12日 子宮体がん子宮頸がんの検診。異常なし。
2009年 5月 2ヶ月ぶりの生理。出血が止まらない。
  6月25日 出血が1ヶ月経っても止まらず病院で検査。結果は後日とのこと。
  6月30日 日本冬虫夏草を飲み始める。
  7月7日 6月25日の検査結果を聞きに行く。子宮壁が厚くなり、子宮体にポリープ見つかる。これががんに変化する可能性有り。3か月に一度経過を観察することに。
  9月 職場に復帰も疲れ知らずで元気なのが不思議。
  10月 息子が新型インフルエンザに感染、発症するが自身は無事。
  11月7日 4ヶ月以上経っての検査。ポリープは消え、子宮壁の厚さも正常。きれいになっている。
2010年 2月1日 肌が若返る。
  2月29日 20年間悩み続けた花粉症がピタリと治まった。

 

「現在、休職していまして、自宅でのんびりと過ごしております。あれから再発とも無縁で元気にしております」

2012年5月28日のお話より

 

腎結石が再発。前回のような苦痛は無く。

 「2007年に腎結石を経験しました。痛みを表現するとしたら、死ぬほどの痛み。痛み止めを処方されたものの治療は無くて、先生から『水を飲んで治しましょう』と言われ、そうやって治まりました。自然排泄されたのだと思います。『5年後に再発の可能性あるよ』とクギを刺されたのを覚えています。

 HS185_L_SP0000.jpg それからまさに5年後、2012年10月。会社の人間ドックで再び結石が見つかりました。自覚症状は全くありませんでした。ですからほったらかしにしていたのです。痛みが出たのはクリスマスの夜中。病院で調べると尿管にある結石は1㎝以上の大きさで、腎臓内にも複数見つかりました。

衝撃波を当てて破砕する方法を提案されましたが、年末年始は予約でいっぱい。2013年1月4日に何とか予約をすべり込ませました。しばらく休んでいた日本冬虫夏草から別の菌類に変更して飲み始めたのは12月31日からです。破砕治療に備えようと思ったのです。この間、痛み止めの座薬を使ったのは2回だったでしょうか?

 2013年1月4日。45分で2000発の衝撃波を照射して尿管の結石を砕きました。この治療は、輪ゴムで軽くはじかれるような皮膚感覚があるだけです。腎内の結石には当てていません。直後に血尿が出ますが、3回ほどトイレに行った後は正常に戻ってました。5年前は確認できなかったのを反省して、おしっこをビーカーに採って観察することにしました。最初薄っぺらな結晶が現れてから粉状のものが出てくるようになりました。排泄する際、出口でピリッとする痛みがあったのも最初だけです。振り返ると2007年のような耐え難い苦痛は皆無でした。以前より石のサイズが大きかったにもかかわらずです。

破砕治療は1回で終了ではなく、次の予定もありましたが、レントゲンで確認すると全て排泄されたということで1回で済みました。そして腎臓内にあった結石まで消えていたのです。予想外のことでした。

 その頃、主人が会社を早退して帰ってきたことがありました。熱を測ると39度を超えています。すぐさま安静にさせ、自分が飲んでいたものを飲ませました。翌日には病院に行きインフルエンザの診断を受けるのですが、この時すでに平熱に戻って元気になっていたのです。考えられない程の急回復でした。

 私は比較的日中トイレに行かない方ですし、水分もあまり摂らない方だと思います。この頃は再発のないように生活改善に努めております」

2013年4月12日のお話より

 

山内正徳さん(1998年当時仙台ホテル・梅華園料理長)の場合

  腎結石のお話は後半にございます。

 「身内の中から次々とがんになる人が出始めたのは、1995年頃からでした。最初は母親のS字結腸がんから始まり、次に妹が子宮がん。それから父の尿道・膀胱がんと続きました。私は自分に何かできることはないかと思い、当時東北大学で生薬の研究をしておられた近藤嘉和先生に相談を持ち掛けました。すると日本冬虫夏草の話をしてくださって。先生はその当時、その分野の研究で世界的な第一人者でしたから。000054-a.jpg

 私は、腫瘍の臓器圧迫や排泄障害を解消するための手術はやむを得ないと思っていましたが、抗がん剤に対しては賛同できませんでした。それで主治医に掛け合って、家族には抗がん剤を使わないという約束を取り付けたのです。

手術の前から日本冬虫夏草を飲んでもらって、3人の様子を見て思ったことは、『普通 の人の約半分の時間で退院できるもんだな』ということでした。なにしろ術後の感染症に悩まされることもなく、手術の傷も早くきれいに塞がりましたからね。

すっかり健康を取り戻し、再発もなく、母は今年で7年。妹と父は5年目を迎えています。日本冬虫夏草は続けていますが、風邪を引くこともなくなって、がんになる前より元気になったようです。私よりずっと元気じゃないですか?(笑)母や妹は少し太りました。

 そして、同じ料理人の奥さんが、心臓膜に良性の腫瘍が見つかったことも重なりました。それまで自覚症状が全く無く、気付かないでいたそうです。どうやらそれは子どもの頃からあって、加齢とともに大きくなる性質のものらしいです。たまたま風邪をひいて、胸のレントゲン撮影をしたため発見され、その時点で子どもの握り拳の大きさにまで成長し、心臓を圧迫し始めていました。摘出手術の後から私のすすめで日本冬虫夏草を飲んでもらいました。

 この話には続きがあります。退院の際に検査をしたら、今度は胆のうにポリープが見つかったそうです。でもそのままにして日本冬虫夏草を続け、1年後に調べたら小さくなっちゃってて、主治医から『もう心配はないよ』と言われたというのです。手術から今年で6年目。50歳を迎えられましたがなお元気で、第一線でバリバリ仕事をされています。やはり風邪をひくこともなくなったそうです。

 

私の持病

 一方、その頃の私はというと40歳を越えたぐらいで、持病の腎結石の症状が出始めていました。結石ために2回の入院をしていますが、この痛みはなった人にしか分からない。とにかく頻繁にやってくるこの痛みに、自分のことも何とかしなくてはいけないなと思い始めていました」

  腎・尿管結石の原因は血液の汚れといわれています。この病気でいちばんの問題は激しい痛みです。シュウ酸カルシウム、リン酸カルシウム、マグネシウムアンモニウムリン酸塩、尿酸、シスチンなどが腎で結晶化し、大きいものだと尿管にひっかかり激しい痛みにおそわれるのです。

 山内さんは、このために何度か病院に運ばれたことがあるといいます。

 「初めの発作は1997年のことで、明け方、目が覚めました。普通 、痛みって弱くなったり強くなったり、波がありますでしょ。でもこれは、どんどん一方的に増していくだけ。いつか治まるだろうなんて余裕はないの。脂汗が出て、うなって、救急車を呼ぼうと思ったけど、マンションに住んでいることもあって、静かにタクシーを呼び、病院まで運んでもらいました。この時は薬剤投与ですぐに石は落ちたんです。

 2回目の発作はそれから1年後でした。入院して同様の治療を受けて。でも今度は2週間しても石は落ちてこない。そこで最終的に衝撃波を当てて石を砕いて落としたんです。この病気で入院してる人には銀行員もいましたし、結婚式を間近に控えた若い女性もいましたから、『どんな人でもなる病気なんだなぁ』と思いました。

 

腎結石が自然排石された

 発作の度に入院では仕事にならないし、何か打つ手はないかと考えて、両親と妹が飲んでいる日本冬虫夏草とは違う別の菌類を試すことにしたんです。それをを毎日170ccぐらい飲みました。ある時、腰痛があって『あっ石が動き出したな』と分かりました。10日ぐらいしてから、量を倍以上に増やして集中的に飲むと、3日目に赤い血が出てきました。もう少しだなと思ってコップ2杯の水を飲んでその時を待ちました。そしてトイレに行くと、米粒大の四角の角張った石がポロリところがり出たんです。見ると以前、病院の治療で排石されたものより大きいじゃないですか。それなのに、あの耐え難い激痛は一切無く、普段どおり仕事をしていたことを考えると、『こんな不思議なこともあるもんだ』と妙な気分でした。

 

 そして昨年。再び米粒よりやや小さい石が同じように自然排石されました。それだったらと結石で悩んでいる前出の料理人仲間に同じものを勧めてみました。すると、やはり目立った痛みが無く自然排石されて。『いつも病院に行くしかなかったのに、こんなことは初めてだ』と驚いていました。

 日常的には誰でも、小さな結晶は気づかないうちに自然排泄されているものですが、何かの拍子に大きな結晶にまで成長させてしまう人がいます。これにはバクテリアが関係しているとの説もあります。私にとってこういう結晶は1年に1回のペースで動き出し、落ちてくるようです。  母のがんに始まり、妹、父のがん。そして私の結石と続きましたが、皆無事に元気に過ごしています。これからも日本冬虫夏草等と付き合っていくつもりでいます」

朝日ウィル(北燈社)2001年4月10日号より

 

000054-b.jpg 仙台ホテルで「山内料理長の究極爆蒸美食」会が催されました。山内さんの本格中国料理の技の数々に感動しました。その中に「山海珍味壺蒸」というスープがありました。冬虫夏草、鹿の角、朝鮮人参、フカヒレ、乾し貝柱、あわび、なまこ等が入っていて美味で絶品。おかわりを何杯もしました。その晩は眠らなくても平気なほど元気で、朝まで仕事をしてたくらいです。その元気は24時間保ちました。24時間目にプツリと切れたのがわかりました。

 日韓ワールドカップでは、韓国チームが最後の最後に体力が落ちることなくねばりを出して勝ち進んでいます。選手達は毎日冬虫夏草と朝鮮人参を食べていると聞きました。やっぱりと思いました。日本チームにこのスープを飲ませてあげたいという思いにかられました。

2002年6月24日

 

 山内さんのお母様は再発もなく元気に9年目、お父様と妹さんも再発なく元気に7年目を迎えました。日本冬虫夏草等は現在も続けているということです。

2003年12月6日

岸久子さん(48歳)の場合

000066-a.jpg「1996年の1月から不正出血が続きまして、病院に行ったのは8月になってからのことでした。翌月に細胞検査の結果が出て、子宮がんと分かり、手術を勧められたんです。

 告知を受けた時、これといって動揺はありませんでした。というのも血縁者にがんの人が多くいましてね。その皆が手術後、元気で暮らしているのを見てたからでしょう。子宮を失ってでも、悪いところを取ってしまえば大丈夫という気持ちでいたんです。性格はもともと楽天的で、くよくよしないタイプと言えるかもしれません。
 それでも手術に際して一つだけ条件がありました。この時、季節は実りの秋の真っ只中。私にとっては職場を離れることのできない季節でもありました。田んぼを持っているスタッフが稲刈りで休みを取るため、人手不足になるのです。『稲刈りの終わる10月半ばに手術を延ばしてほしい』とお願いしました。

 手術まで1ヵ月余りの時間ができた時、日本冬虫夏草を譲ってくれた知人がいました。普段、ジュースやお茶などをほとんど口にしないのですが、日本冬虫夏草だけはスンナリ飲め、1か月の間、毎日たっぷりいただきました。

000066-b.jpg 発病までの3年間を振り返ると、ずいぶん体に無理をかけていたようです。父の介護に始まり、母、姑の介護と次々続きました。二人の母を同時に看てたときもあります。仕事を続けながらでしたので、睡眠時間は毎日4~5時間程度。ようやく解放されたという時、たまった疲れがこういう形で現れたのでしょう。がん血統というのも思いあたりました。

 10月26日にいよいよ入院。10月28日に前段階の簡単な手術を行いました。子宮以外にどこまで摘出するか判断するため、局所麻酔をかけて患部をはがして調べるのです。

 

がん細胞消失。手術取り止め。

 11月5日、その結果が出てきました。先生は『がん細胞がどこにも見当たらないんだよね』と不思議がっていました。そして『岸さん、帰っていいよ』と言われてしまったのです。それならばと、さっさと退院させてもらいました。薬は一切飲んでないし、治療も一切やってこなかったですからね。退院する際も、薬の処方はありませんでした。

 

【経緯】

1996年1月 不正出血有り。
8月 ようやく病院に行く。
子宮がんの診断。
日本冬虫夏草を飲み始める。
10月26日 入院。
28日 組織検査。
11月5日 がん細胞がどこにも見当たらず消失。

 

 平常の生活に戻って1か月半が過ぎ、やれやれといった頃、今度は主人が町の検診でひっかかり、左肺に影が見つかりました。細胞を取って調べると、腺がんで悪性ということが分かりました。2.5cmの大きさでした。主人はお酒をたくさん飲みましたし、タバコを1日に3箱も吸う30年来のヘビースモーカーでしたが、翌日からタバコもお酒もピタリと止め、日本冬虫夏草を飲み始めて、患部近くに擦り込んだり、吸入器で吸入したりもしてました。

 仕事をしながらできる限りのことをして過ごすうち、患部は次第に小さくなっていったようです。3ヵ月が過ぎた頃には2.5cmから1cmまでに縮小していました。1cmになったところで、患部の摘出手術を行いました。左胸の3ヵ所に小さな穴を開けて内視鏡を使って患部を切り取るもので、従来の手術と比べると、体の負担が極めて少ない方法です。

 

もはやがんではなくなっていた。

 切り取られた患部を見せてもらうと、白っぽくカッテージチーズのようでもあり、石灰化してました。痕跡は残っていたものの姿が変わり、もはや『ガンではない』と言われたのです。主人も病院の治療は一切やっていませんでした。

 

【ご主人の経緯】

1996年12月 ご主人が肺がんと診断され、日本冬虫夏草を飲み始める。
タバコとお酒をピタリと止める。
1997年3月 患部が2.5cmから1cmに縮小している。
内視鏡手術。患部は石灰化していて「がんではなくなっている」と言われる。

 

 がんが消失してから二人とも再発なく元気に暮らしています。私が7年目、主人が6年目に入りました。私が気を付けていることといえば、食事は常に腹7、8分目に抑えるということでしょうか。


000066-c.jpg(写真左)岸さんの趣味はお裁縫だそうで、ローラアシュレイの生地で作った素敵なエプロンをいただきました。

 仕事を終えた後、夜中までやってた趣味を最近は控えて、睡眠時間は6時間以上取っています。以前と比べると体をずいぶん労わっていますね。時には仕事から離れて旅行に出かけ、リフレッシュすることも大事にしていることの一つです。

朝日ウィル(北燈社)2003年2月18日号より

 「再発なく元気で、13年目に入りました。主人は12年目です。この度、主人が肺炎で入院しまして、実は昨日退院してきたばかりなんです。仕事で頑張りすぎたからだと思います。その病院に同じ症状で入院している方が2人、あっという間に次々に亡くなられてこわくなりました。入院すると同時に日本冬虫夏草を毎日飲むようにしました」
 ご主人にお会いしましたが、顔色も良く元気そうなので安心しました。

2008年3月8日お二人にお会いして

 

谷川百合さん(仮名)の場合

 私のもとに涙ながらの電話が届いたのは、1994年5月17日でした。72歳の母が子宮頸ガンで余命1年と診断されたと言うのです。医師からは「一応化学療法はやりますが、希望があれば何でもお使いになってよろしいです」と、最後ともとれる言葉もあったそうです。そして、日本冬虫夏草をお茶代わりに飲むことになりました。
 

 子宮頸ガンが確実にガン化するまでには、パピローマというウイルスの感染が関係し、さらに外陰ガン、陰茎ガン、さらには肝間周囲ガンにも関係があるともいわれています。ウイルスは細胞の中に入り込み正しい遺伝子情報を間違ったものに変えたりします。しかし細胞の方でもこの間違いをそのまま伝えないように、ガン抑制遺伝子「P53」をつくり出し、正しい情報に直そうとするそうです。

 入院し、しばらく化学療法の苦痛に耐えていた谷川さんの母親は、9月に入ってから食欲がなくなってしまいました。放射線はこれまで32回も照射していました。このまま続けて余命を延ばせるものなのか医師に相談すると、「約束できない難問だ」と言われました。72歳の母親は、「抗ガン剤はやめたいよ、退院したいよ」と言いました。娘の百合さんは、このまま体力を落とすことは、自然治癒力もなくしてしまうのではないかと、お母様の決断に賛成したそうです。

 谷川さんは、抗ガン剤をお断りし、「いつかは死ぬ のだから痛くなく、気持ち悪くなく快適に過ごそう」と退院しました。74歳という年齢に不足はあっても、孫娘にも恵まれて思い残すことはない。いつお迎えが来てもよいと覚悟をきめたそうです。

 病院からはとっくにさじを投げられた谷川さんでしたが、初診から7ヵ月後の1995年1月の診断では、医師が不思議がるほどに回復していました。それから厳寒の北海道で風邪もひかずに3年を過ごしたのです。

 谷川さんは、体をいたわりながら3年間自宅で無事に過ごしてから、その後の1年近くは自信も出てきて、少々気を許したかもしれません。日本冬虫夏草も飲むのを忘れていました。そして4年目にまた発ガンしたのです。1994年に谷川さんの娘さんから涙の電話を受けた時のように、再び悲痛な声が届きました。1年もの間、私もうっかりしていた事を口惜しく、反省しました。肺と首のところに発ガンして再び入院し、放射線をあて、首は治り退院しました。日本冬虫夏草も再開しました。その後は抗ガン剤を服用するようになりました。そして歩けなくなっていったのです。骨まで広がっていました。そこで日本冬虫夏草の別の種類のオニゲナを使用することになったのは1998年10月末のコトでした。


000069-a.jpg 一時は寝たきりになった谷川さんでしたが、それから6ヵ月後には杖をついて歩けるまでになったと連絡が入りました。私は本当にそうなのかこの目で確かめたいと思い、半信半疑のまま北海道の谷川さんのお宅に訪ねたのは1999年初夏、6月3日のことでした。日本冬虫夏草を再開してから半年後のことです。青く美しい海に面した街は桜とチューリップとスイセンが同時に咲いていました。

 谷川さんは、杖をつくことなく玄関の階段を昇降して、優しい笑顔で私を出迎えてくれました。ずっと以前から知り合いのような懐かしい感じがしました。ご立派な体格の優しいご主人が台所をやってくれているようで、年金生活者の静かな家庭がそこにはありました。

 わたしは発ガンのキッカケを探そうと考え、色々とお話を伺いました。その話の中で、血圧の薬を20年間服用し続けてきたことを初めて知りました。疸石が痛むのでその薬も長く服用してましたが、いつの間にか止めたと言います。そして現在は何の薬も服用していないとのことでした。

朝日ウィル(北燈社)1999年より

 

1994年5月17日 子宮頸ガンで余命1年と告知される。日本冬虫夏草を飲み始める。
1994年9月 入院して放射線、抗ガン剤やるも食欲がなくなり、本人の意志で退院。
1995年1月 医師が不思議がる程に回復。
1997年5月 日本冬虫夏草休止。
1998年5月11日 肺と首に発ガン。放射線治療で首は治る。抗ガン剤の服用開始。日本冬虫夏草再開。
7月28日 歩けなくなる。骨に転移。抗ガン剤の服用続ける。
10月10日 オニゲナという種類を追加して使用。
1999年4月6日 元気になり杖をつけば歩けるようになる。
5月20日 台所仕事ができるまでになる。肺の腫瘍はそのままで大きくなっていない。
6月3日 杖なしで階段の昇降ができるようになる。実際にお会いして、この目で確かめる。

【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。

当研究所の技術を真似た偽造品やコピー品にご注意下さい。

ご注意下さい