前立腺ガン
眞壁秀夫さんの場合
※前立腺、膵臓ガンは中程。肺ガン、乳ガンは末尾をご覧ください。
「私はもともと胃が弱く、疲れると痔になりやすい体質でした。2001年4月から出血が始まり、いつもの痔と思って暮らしていました。でも一向に良くならないんです。近くの総合病院で診てもらうとあっさり何ともないと言われてしまって。それから釈然としないまま4ヶ月が経過しました。痛みは全くないのですが、出血はさらにひどくなっていきました。
8月30日。いよいよ県内でも有名な肛門科の個人病院で診てもらうことにしました。そこは18年前に痔の手術をしたところでもありました。内視鏡で調べてもらったらモニターに一瞬やけどのただれのような部分が映ったんです。内視鏡はゆっくり移動して、腸壁をモニターに映し出していきますが、どういうわけか肝心な部分にさしかかると先生はさりげなくサササーッとスピードを上げちゃうんですよね(笑)。これは見逃しちゃいけないと思ってね、私も必死です。問題の部分は赤黒く変色していて周囲が白くなっているのが分かりました。細胞検査もやって、すぐに大学病院を紹介されました。
6日後。個人病院の検査をもとに、大学病院でようやく直腸ガンの診断が下りました。『手術で開いてみて、患部が肛門に近ければ人工肛門になるよ』と言われました。
手術までは1ヵ月以上あるので、自宅でやれることはやってみようと思いました。日本冬虫夏草を飲み始めたのは翌日からです。腸に負担をかけないよう、主食をモチ米質の少ない粘り気のない米に切り替えることにしました。それはキヨニシキという銘柄で無農薬無肥料米。日本冬虫夏草の浣腸もやってみました。そして出血量が徐々に減っていくこととなり、開始から25日目、ピタリと止まったのです。それ以降出血は全くありません。
私はこの病気を機に、体の変化についてメモをとるようになりました。
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2001年4月
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出血が見られるようになり、総合病院で検査するが問題ないとのこと。 |
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8月30日
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再び個人病院での検査後、大学病院を紹介される。 |
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9月5日
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大学病院では直腸ガンの診断。 |
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9月6日
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日本冬虫夏草を飲み始める。日本冬虫夏草の浣腸を思いついて試してみる。膿みたいなものが出てくる。 |
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9月8日
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胃の弱いのが気になっていたが、負担が無いようだ。 |
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9月9日
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なんとなく調子がよい。足がポッカポッカと温かくなる。まるで湯たんぽをあててるようだ。夜はすぐに熟睡。朝までぐっすり。 |
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9月11日
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便器いっぱい真っ赤になってたのが、出血が減って真っ赤な血が便に薄くつく程度になった。 |
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9月17日
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便が黄金色になってきた。便には赤茶色の血のスジが入る程度。 |
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9月27日
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腸に負担をかけないよう、粘り気のないキヨニシキという 銘柄の無農薬無肥料米を主食にする。 |
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10月1日
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キヨニシキを食べてから5日目。便に血のスジもなくなった。 |
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10月3日
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入院。相変わらず出血はない。以後出血はなし。主治医は日本冬虫夏草もキヨニシキも自由にやってくださいと言う。 |
10月15日に手術。人工肛門は避けることができました。以前、身内がこの同じ病院で大腸ガンの手術をした際、摘出した部分を見せてもらったことがありました。患部は黒ずんだ紫色で、500g~800gはあったでしょうか。両手でないと収まりきれない量でした。今回はどういうわけか、摘出した部分は家族の誰にも見せてくれませんでした。何センチ切ったのかもわかりません。赤黒くただれていた部分がどう変化したか見たかったですね。
前立腺に異常発見!消失!
手術から5日目。残尿検査を受けていると、CTに影が映ったことがありました。前立腺のところです。腫瘍マーカーは6.5の異常値。あせって日本冬虫夏草の量を増やして毎日700cc~1050cc飲みました。1週間して再びCTを撮ると、今度は影は消失していてマーカーも2.5の正常値。先生は『あれっー。不思議だねー』とずいぶん驚いていました。すぐに『眞壁さん、何飲んだの?』と聞いてくるから、私はドキッとしてとっさに、この泌尿器科の先生には『何も飲んでません』と答えてしまいました。そしてこの2枚の写真のコピーをいただきたいと申し出ると、『病院間でのやり取りで必要があれば出すけど、それ以外はお渡しできない決まりになっています』と断られました。写真を見れば変化が一目瞭然なので、皆さんにお見せできないのが残念です。
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10月15日
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手術。人工肛門を免れる。 |
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10月20日
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前立腺の腫瘍マーカー6.5の異常値で、CT検査で影が見つかる。日本 冬虫夏草の量を2〜3倍に増やす。 |
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10月27日
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腫瘍マーカーは2.5の正常値に下がり、CTの画像から影が消失。3年 越しの低温やけどの患部がきれいに治る。 |
それからもう一つ、不思議なことがありました。私は3年前にカイロで低温やけどを負っていました。足の患部はそれからずっと炎症が治まらないままだったのですが、退院する頃にはきれいに治っていたのです。
他の治療は一切なく、手術から1年が過ぎ、長いこと悩みの種だった胃の調子も良く快便の毎日です。昨年、告知を受けた時、すぐに社長のイスを息子に譲りました。私は10年前にサラリーマンを辞めて現在の会社を興したんです。睡眠時間は毎日4~5時間。とにかく働きました。肉類が好物でよく食べていましたね。病気を治すためにそれを止めて、野菜をたっぷり摂るようにしました。お酒は4、5年前から飲んでませんし、タバコはもともと吸いません。
仕事をやめてから体調のコントロールが利くようになりました。外に出たくない雨の日には終日家で休み、睡眠不足の日は日中自由に眠ることができるわけですから。仕事をしていたら休みたいときに休むことは不可能で、必ず無理をします。これでは自分自身を裏切ってることになりますよね。この病気は痛みがなく、働くこともできますから、あなどってしまうことが非常に怖いんです。
近頃は、野菜を作ったり、魚を釣りに海に出たり、自分のペースでやっています。来年は米作りに挑戦しようかと思っています。最近、腸に良いレシピを発見しました。シシトウの佃煮です。とても良い便がでますよ」
朝日ウィル(北燈社)2002年11月19日号より
「間もなく手術から2年になります。この度のCT、MRI、マーカー、肝機能検査ですべてが正常で、『検査の間隔を伸ばしましょう』と言われました」
2004年9月2日のお話より
「2006年3月の検査でγ-GPT(肝の状態をみる数値:正常値0~50)が200以上あったのが、この度の検査では60まで下がっていました。その他はどこも正常で、主治医から『もう検査に来なくていいよ』と言われました。そう言われてもまた行くつもりです(笑)。
γ-GTPの数値が気になってから、日本冬虫夏草の種類をムラサキクビオレタケに変えて飲みました。又、今年になってからお酢療法を始めて肩こりがなくなりました。
1日1錠の血圧の薬(10年前から)と1日2回2錠ずつの尿酸を下げる薬(20年前から)は続けています。血圧はしばらく安定していて服用を忘れることもしばしばです。もし上昇したとしても肩のあたりが重苦しくなるのですぐ分かります。肩にサロンパスを貼ると血圧がスーッと下がるので不思議です。根を詰めることをするとどうしても血圧は上がるようです。
自分の体とは長い付き合いなので、くせを心得ていてその都度コントロールしているつもりですが、とことんがんばってしまう性格はたまにコントロール不能となり、ここが反省するところなのでしょう」
2006年8月2日のお話より
「ここ1年は疲れるということがありません。ゴルフに行ってもそうです。若いときの体に戻った気がします。今年は同級会がありました。自分で言うのも何ですが、級友たちは顔が皆しわくちゃで、私だけ顔がピチピチしてたので『どうなってるの?』と思いました。
日本冬虫夏草は量を減らしながらも続けています。手術から5年が過ぎました」
2006年11月24日のお話より
「2007年4月に心臓の血管にステントを入れる手術をしました。血管が詰まって倒れたのです。心臓の薬が追加され、一日に服用する薬は7種類となりました。しばらくして、γ-GTP(肝機能数値:正常値0~50)が749まで上昇したので検査を続けていくうち、膵管狭窄と肺に影が見つかります。そしてどちらも治療なしで解決していくのですが、その経緯を報告させていただきたいと思います。
| 【経緯】 | ||
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2007年4月
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ステント手術。これまでの血圧と痛風の薬に心臓の薬が追加され、7種類に。 | |
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6月
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γ-GTPが749まで上昇。 |
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9月10日
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膵臓の内部、膵管に異常発見!
MRIで膵管の狭窄が見つかり、医師から『ここに出るのはまずガンなんだ』と説明を受ける。 |
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11月13日
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消失!
ERP(ERCP)検査を行う。これはファイバースコープを膵管まで通して調べるもの。先端のブラシで狭窄の部分から細 胞を取ることになっていたが、膵管の狭窄がきれいに治っている。 |
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| 11月31日 |
肺に異常発見!
PET検査。右の肺に光るものが見つかった。 |
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12月11日
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旧型のCT機械で撮影。何も写らず。 | |
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12月20日
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レントゲンに影が出る。 | |
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2008年1月30日
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レントゲンでやはり影が写し出される。 『こういうのは間違いなくガンなんだ』と言われる。拡大してみると患部がはっきり浮き出る。それでも前回より薄くなっているようだ。3cmのモミジ形の影 有り。(これは画面から外れてしまう) |
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2月1日
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γ-GTPは78まで低下。肝臓の薬ウルソ出される。 血液データ、その他全て異常なし。 |
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3月12日
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新型のCT機械が導入される。 やはりプチプチと影が写る。 3cmのモミジ形の影もプチプチと点となって散らばり、消えかかっているようだ。 |
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3月26日
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γ-GTPは33の正常値に。 |
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9月16日
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消失! 新型のCT機械で撮影。プチプチが写っていない。 かすかに写っているようにも見えるが、『この程度のものならレントゲンでは全く写らない。異常るなしとの診断になりますよ』と言われ。『次回またCT写し てください』と申し出ると、『このように良い状態だし、CTといっても放射線を浴びることだからそれで刺激されるし、そっとしておきましょう。PETもレ ントゲンも皆放射線です。検査はこれで打ち切りです』と断られた。 |
写真のコピーは入手不可能でしたが、意外にも『家族が心配しているので、携帯のカメラに写させてください。これを見せたら安心すると思います』と申し出ると、快くOKが出たので驚きました。割合きれいに写りましたのでメール送りました。これが証拠写真になります。それから日本冬虫夏草を飲んだことは、先生には伏せております。
昨年来、体中をくまなく検査して全身異常なしのところまで漕ぎ着けました。安堵しているところです」
2008年9月22日のお話より
「一昨年膵管狭窄が治り、昨年は肺の影が消失。それ以来変わらず元気にしています」
2009年3月4日のお話より
「今年は知り合い2人が膵臓ガンと乳ガンになり、手術前から日本冬虫夏草を試しました。両者とも術後元気に仕事をしているというから驚いています。私は、変わらず元気にしています」
2009年12月12日のお電話より
知り合いが末期のすい臓ガンに!末期の乳ガンの女性も現れた!
「変わらず元気に過ごしております。約一年前、知り合いが膵臓ガンの末期と診断され、家族皆『もう助からない』とあきらめていたところ、『私のようなものがいるからあきらめるな』と励まし、手術前に日本冬虫夏草を飲むことになりました。
すぐにおしっこがジャーと出てびっくりしたそうです。膵臓ガンの検査では尿量が重要視されます。おまけに土色だったおしっこも無色透明になりました。
そして、ずっと上がり続けていた腫瘍マーカーが1週間程で下がり始めたのです。吐き気も治まってごはんも食べられるようになりました。術前には痛みも無くなり、鎮痛剤とも縁が切れていました。それでも手術は当初のプラン通り行われました。膵臓と脾臓、十二指腸と胆のう・胆管まで全部取りました。
それなのに現在はトラクターを運転し、農作業に励んでるというから驚きです。無理はして欲しくないですが、具合が悪かったら動けないだろうし、余程体調が良いのだと思います。病院の治療は現在何もしてないそうです。
また、昨夏、乳ガンの末期と診断された知り合いを訪ねたところ『もう助からないと』家族が泣いていました。同様に励まし、日本冬虫夏草を飲むことになりました。手術前のCT画像に変化が現れ、『何か飲んでるの?』と尋ねられました。そこで『何も飲んでません』と面倒を避けるために用意しておいた答でとぼけたそうです。術中の細胞検査で『ガン細胞は陰性』と出て、術後の抗ガン剤、放射線治療はスケジュールから外されました。今年2月の検査では『ガンは体から無くなったよ。どこにも無いよ』と言われたそうです」
2010年4月2日のお話より
「今年の夏は異常に暑かったですね。でも一切バテることなく畑仕事ができたのですから本当に不思議です。私の場合は日本冬虫夏草を飲むと体温が上がってくるようで、気温との差が縮まって暑さが気にならなくなるというか、肉体労働が全く苦にならなかったのです。そのとき蒔いた種がいよいよ育って、大根と白菜の収穫の時期となりました。味には自信があります。こんな幸せなことはないです」
2010年11月12日のお話より
「被災された方々にいくらかでも野菜をお届けしようという思いがあって、趣味だった畑は、作物を増やし本格的になってきています。今年は、6月から暑くなりました。梅雨入りは平年より9日遅く、梅雨明けは平年より16日早くて、観測史上最も短い18日間。平年の4割の長さしか無かったようです。(梅雨期間:6/21~7/9)
8月になると30度を超える日照りが2週間ほど続きました。作物のためには、手間を惜しみません。根元に穴を開け、空気を入れてやります。その後、丹念にじょうろで水を流し込んでいきます。すぐに穴は塞がってしまうので、翌日にはまた一から始めなくてはなりません。その繰り返しです。移植ベラで根切りも行います。根を切ると根を張ろうとがんばってくれます。良い根が地面にはびこり作物が良く実るのです。
昨年もそうでしたが、不思議なことにいくら畑で身体を動かしても疲れを全く感じないのです。畑でやることは毎日新しく出てきて、朝5時から夕方5時まで動きっぱなしの時もあります。海に出掛け、その足で畑の作業という日もあります。健康面での不安は全くありませんでした。
そんな中、8月12日の未明に異変が起きたのです。その日は、パジャマの上着を脱いで何も掛けず窓を開けっ放しでうっかり寝入ってしまいました。そして、40度の熱と体中の痛みで飛び起きたのです。左足も、ふくらはぎからつま先まで驚くほど腫れています。
すぐに病院に行って血液検査をすると、CRP値が19と異常値。白血球も1万を超えていました。感染症、リウマチ、通風、心臓疾患などを疑い、数日かけて消化器内科、整形外科、循環器科、皮膚科専門の個人病院と検査を受けて回りましたが、どこも悪いところが無く、原因がつかめないまま時間が経過していきました。薬剤の投与もありましたし、日本冬虫夏草もいつもより多めに飲みました。
足の腫れはそのままでしたが、15日には平熱に戻り、CRP値も白血球数も下がっていきました。24日にはその数値も正常になりました。この頃には『もう病院に来なくていいから』と言われてしまいました。足の腫れもしだいに引いていきました。
いったい何だったのでしょうね。炎天下で畑をやり過ぎたのですかね。本当は疲れてるのに疲れてる感覚が分からなくなっていたのですかね。結局この件で、CTもMRIも心電図も血液検査もさんざんやったお陰でどこも異常がないというお墨付きをいただきました。もちろんガンの心配も無いということです。自己コントロールが効かず、ついついがんばってしまう性分こそ病気ですかね。これは一生治らないかもしれません」
2011年9月1日のお話より
久保正路さん(仮名)の場合
「久保正路さんは前立腺ガンの治療を続けてきましたが、マーカーが上がり続け、背中にも転移が見つかり、どうしようもなくなって私のところに電話をくれたのが2010年2月末のことでした。
『3月に入ってから手術をする予定ですが、糖尿病の持病があるため、まずは血糖値を下げてから手術ということになります。そのために通常よりかなり強い薬を使うのですが、時折この薬を使っていた経験からするとあまり期待できないといったところです。それから高血圧の持病もあって降圧剤も服用しています』ということでした。
私が日本冬虫夏草を飲んでいると聞いて『是非自分も試してみたい』という相談だったわけです。さっそく日本冬虫夏草の飲料を開始し、初めの報告が入ったのが3月1日。『血圧は2日目で下がりました。血糖値も下がったのです。今まで強い薬をやっても下がらなかったのに不思議です。手術が出来そうです』ということで、日本冬虫夏草は毎日700ccは飲んだそうです。
そして4月2日の検査で患部が小さくなったので『手術は10月まで延期』という報告が続きます。
4月20日の検査では、腫瘍マーカーPSA値は6.7から1.7まで低下。正常値になっていました。ここで日本冬虫夏草を半分の350ccに減らします。
5月に入ると、とにかく明るい声で電話がかかってきました。『背中の転移が消えたよ。アハハ』 初めて久保さんの笑い声を聞きました。『PSA値も0.14とビックリするほど下がって毎月打ってた注射も打ち切りになりました。服用の薬のみになりました。そうゆうわけで手術も取り止めになってしまいました。アハハ。先生は(世の中には)こんな人もいるんだなぁと感心してました。日本冬虫夏草を飲んでたことは話してません』 私は『あなたの勝ちだね』と答えました」
【経緯】
2010年2月末 日本冬虫夏草を飲み始める。
3月 1日 2日で血圧が下がり、血糖値も正常値に。
4月 2日 前立腺の患部が小さくなった。手術は10月まで延期に。
4月20日 PSA値は正常値の1.7まで低下。
5月 7日 PSA値はさらに下がって0.14に。ここで手術は取り止めに。
ずっと気がかりだった背中の転移だけMRで検査。きれいに消。
佐藤和男さん(仮名)の場合
95年の暮れ。佐藤和男さん(仮名)は足腰が痛み、ひとりで車にも乗れなくなり、最終的には車椅子を使うまでになっていた。病院に行き検査をすると、前立腺ガンのステージⅣと判明。骨シンチ検査で首、肩、腰など全部で20﨑所の骨への転移も見つかった。主治医は『告知はやめましょう』と奥さんに言った。そのかわり本人には前立腺の病気だからと話し、ひと月に一度の点滴を続けていくか、睾丸を切除する手術にするか選択させた。和男さんは手術を選んだ。だから抗ガン剤や放射線治療は一切やらなかったことになる。
翌年1月。術後すぐに友人の勧めで日本冬虫夏草を飲み始める。病院からは毎日服用するようにと薬を渡されたが、その後もっとよい薬が出たからと取り替えられた。これが、男性ホルモンの作用を抑える前立腺ガンの薬で、重篤な劇症肝炎を引き起こし、死亡例が8例あったとしてのちにマスコミに取り上げられた薬である。奥さんはニュースを見てはっとしたという。和男さんは2年10ヵ月もの間服用し続けた。悪い所を治そうとしてほかに悪い病気を作ってしまうガンの薬物治療の現実をつきつけられた。幸い和男さんは肝機能に問題は起きなかった。
病気知らずで薬を飲んだこともなく、タバコは15年前にやめ、お酒もほどほど。発病の原因は何だろうと考えてもはじめは思い当たらなかった。ただ次第に責任あるポジションを与えられるようになり、部下の面 倒もよくみる人でがまんすることも多く、肩書に関係なく誰よりも仕事をするような人だったから、知らぬ 間に無理が重なっていったのかもしれない。 そんな人が発病を機に仕事をすべてやめたことで精神的にずっと楽になっていった。また、主食を胚芽麦にするなど食生活も変えていった。
98年8月のCT検査では『どこにも問題はありませんよ』と言われるまでになった。腫瘍マーカーも正常値になっていた。そして骨シンチ検査では骨転移20ヵ所のうち、17ヵ所がきれいに消失していた。3ヵ所だけは影が写 ったが、とても薄く変化していて、ぼんやりとしたものだった。まさに消えかかっているというような感じだった。傷もしばらくは跡が残っているのが当たり前。だから心配はしていない。何よりも歩けなかった和男さんが、前立腺や骨が正常に戻ったことを実証するかのように、現在はスタスタと早足で歩くようになった。「私はおいていかれてしまうの」とうれしそうに奥さんは話す。和男さんは散歩を日課にして、毎日元気ですごしているそうだ。
朝日ウイル(北燈社)1998年11月3日号より
その後、骨シンチの再検査は必要がないということで行っていません。それというのもそれ以降7年間、再び骨が痛むこともなければ歩行困難になることもなく、「あの20ヵ所の転移はすべてきれいに治ったんでしょ」というのが主治医も含めた周囲の見解だそうです。
2000年11月
以前ここで紹介した佐藤和男さん(81歳・仮名)は、ステージⅣの前立腺ガンから生還し、今年で7年目を迎えたそうです。当時は、20ヵ所に及ぶ骨への転移もあり、車椅子のお世話になる程でした。家族の皆は死を覚悟し、それでも諦めきれない奥さんの美知子さんは、ホームドクターとしての役割を担うことになります。今年の6月に和男さんのこれまでの仕事が認められ、表彰されて、その時の晴れやかなお二人の写 真が届きました。そこで、これまでどれほどの苦労と努力があったのか、美知子さんにうかがいました。
「前立腺ガンと知った時、親戚の人の薦めで日本冬虫夏草を試すことにし、いろいろな人の知恵を拝借しました。お酒もタバコも止めてもらいました。でも何より苦労だったのは食事の支度です。胚芽押麦を混ぜた主食に1日30種類の食材を使った料理、海草、納豆、梅干は毎日、持病の糖尿病を抱えていたので、これに食事時間の厳守とカロリー制限が加わります。焼き魚の切り身が半分だけだと見た目が寂しく不機嫌になるので、大きい切り身を並べて、食事中に『半分ちょうだい』と言って分けてもらったり、果 物が大好きで毎日リンゴを3個も食べるような人でしたから、わずかな果 物をヨーグルトに混ぜて量を増やす工夫もしました」
その甲斐あって、骨の黒い影は消失していき、しっかりと歩けるようになり、1日3回のインシュリン注射からも解放されました。同じ病気を持つ人達から『そんなこともあるんだね』と不思議がられました。あれから再発もありません。まだまだ油断できず、美知子さんの任務は続いているわけですが、何が彼女をここまでさせてきたのか知りたいと思いました。
「主人は発病した時、80歳までは生きたいと言いました。それを叶えてあげたいと思いました。インシュリンの注射は見てる方が辛く、早く解放してあげたいと思いました。主人のために良い思い出を作りたいと思いました。今日の日は明日になれば思い出になる。機会があれば逃さず、月に一度は近くの温泉に泊まりに出かけます。二人だけだったり、子どもや孫が参加したり、メンバーは常にバラエティに富んでいます。でもね、これは自分自身のためでもあるのです。あの時ああしてあげればよかった、こうすればよかったと悔いを残したくなかった。それは自分が健康であればこそ叶うもので、病気をして主人やほかの家族に迷惑をかけないためにも、日々緊張感を持って生きています。そのために食生活は深く関わっていて、若くて元気な頃は大概無頓着ですが、これは後で大きな代償を払うことになりかねません」
ガンを克服された人の中には、夫婦や親子、友人など形はさまざまですが、良いパートナーに恵まれていることが多いように思います。一日一日を精一杯生きて、1年の終わりの除夜の鐘を一つ一つ感謝の思いで聞いているうちに7年の月日が流れたというお話でした。
朝日ウイル(北燈社)2000年11月14日号より
片山茂さんの場合
「始まりは1994年の前立腺炎からだったように思います。その時はひと月入院して薬で治療したわけですが、退院する際、病院側から今後のことをとりたてて警告されるわけでもなかったし、自分自身も病気の原因を振り返ったり反省することもありませんでした。退院できる喜びだけで、その後も以前と変わらない暮らしに戻り、忙しい仕事の現場に復帰しました。
それから2年後の1996年1月12日。突然排尿困難になり再び病院を訪ねることになりました。そして組織検査で、今度は前立腺ガンと診断されたのです。腹部にメスを入れて前立腺からリンパ腺まで摘出し、人工肛門をつくる大掛かりな手術を薦められました。その後、念のため病院を変えて細胞検査を2回行いましたが、いづれもクロでした。
ガンと聞いて即座に命はないと思いました。でも何ていうんでしょう。根っからプラス思考が強いというんでしょうか、『ちょっと待てよ。ガン即、死と考えてしまうのは狭い知識のせいではないのか。どこかに治す方法は必ずあるはず』と頭を切り換えることにしたのです。
私はそれまで尿管や尿道の位置さえ分からず、前立腺の役割さえも知りませんでした。つまづいてしまったけれど、これから先の健康のためにも、この病気を知識を得るチャンスに変えようと思うことにしました。入院するにあたって、夜遅くまで本を読んでも周りに迷惑をかけずに済むようにと個室を希望しました。そしたら1ヵ月以上先まで空きが無いと言われて、それまで自宅で待機することになったのです。
日本冬虫夏草を飲み始めたのはこの頃からです。妻が銀行で順番待ちをしている時、たまたま開いた週刊誌に日本冬虫夏草の記事を見つけたのがきっかけです。そして以前から加入していたガン保険がすぐに降りてきました。ほかの保険会社の給付金がプラスされて、数ヵ月はたとえ病院の最高級の特別 室を借りたにしてもあり余るほどの経済的余裕が生まれたのです。仕事を休んで情報収集を続けました。
病院の通常療法は、決してガン体質を根本から治してくれるものではないこと。そういう体の環境を作ったのも自分、治すのも自分ということ。食べ物から体の細胞が作られているけれど、細胞の病気であるガンを治すには食べ物が深く関わっているということ。さまざまな本を読んでいくうちに頭の中が整理されていって心が静まり、体にとって何が良くて何が悪いのか明確になっていきました。
玄米菜食を心掛け、主食であるお米にもこだわって、粘り気のないキヨニシキという品種の無農薬無肥料米を食べました。食品添加物のような化学的なものは排除し、食事は家族の分まで1日3食作りました。『薬は毒だ/田村豊幸著(農文協 現在廃刊)』(※最近では「薬をやめると病気が治る/安保徹著(マキノ出版)などがあります)という本に影響を受けて、病院から渡された薬は一切飲まないということもありました。今も記念に取っておいてますが、渡された薬の量 は半端ではありませんでした。
そして、次第に体に変化が現れ始めました。
| 【経緯1】 | ||
| 1996年1月12日 | 組織検査でガン細胞が見つかり、前立腺ガンと診断。 | |
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1月25日 <発見から14日目> |
日本冬虫夏草を飲み始める。食事療法も開始。おしっこが勢い良く出るようになる。 | |
| 2月9日 | 日本冬虫夏草を浣腸してみる。瞬間的にスッキリしたので続けることに。 | |
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2月22日 |
血便が出る。 | |
| 2月29日 | 7日間続いた血便がピタリと止まり、一転きれいな便に。悪いところが全部出て、ひょっとしたら治ったのではと思う。 | |
| 3月1日 |
病院に行き腫瘍マーカー検査。正常値になっている。 日本冬虫夏草を飲み始めてから1ヶ月余り。 |
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そして、それから2ヵ月後の手術当日。ガンが消失したため、急遽手術が取り止めの事態になるとは。誰も予想してなかったことが起こるんです」
朝日ウイル(北燈社)2002年6月18日号より
1996年3月1日のこと。前立腺ガンの腫瘍マーカーが、異常値から正常値に下がっても手術の予定が変更されることはありませんでした。
「先生は『1月の病理組織検査で前立腺ガンが確定されていることですし、数値が正常になっても腫瘍マーカーは腫瘍そのものを示すのではないので、予定通り大きな病院で手術しましょう』とおっしゃって、紹介されていた山口大学付属病院の個室が空くのをそのまま待つことになりました。
ここ1ヵ月ほどは、前にもお話したように健康やガンに関する本であれば片っ端から読んで、入院まで充分時間があるのだから、黙ってないで自分にできる自然療法をやってみようと、自ら調理して食事療法の研究に取り組んだり、日本冬虫夏草を試したりしました。日本冬虫夏草は1日に700cc飲んで夜中にも飲み、浣腸法も編み出しました。この頃になるとすでにおしっこは勢いよく出るようになっていましたし、病気の自覚症状が全く無くなっていたのです。
4月16日になってようやく入院にこぎつけました。早速、手術日が5月13日に決まり、再び組織検査、骨シンチ検査等、1ヵ月かけて行っていくのです。私が入ることのできた部屋は、ナースセンターのほぼ真向かいにあって、冷蔵庫もテレビも電話もお風呂もトイレも何もかも揃っていて、おそらく大臣が利用するであろうというようなところだったんですよ(笑)。ここでなら自宅でやっていた療法を誰に気兼ねすることなく、そのまま続けられるというものです。もともと肉や乳製品は食べられないので、そのメニューのある病院食にはほとんど手をつけず、妻が自宅から運んでくれる食事を毎日食べていました。ルームランナーを入れて毎日1万歩歩いたり、1階から7階まで、階段の登り降りを毎日2往復したり、ちょっとやり過ぎだったかもしれませんが、とにかく元気だから体を動かしたいし、やったところで疲れるというよりはむしろ快調だったように思います。
そんな中、とうとう手術の前日を迎えることになりました。手術が避けられたらという思いできたわけですが、ここまできたら腹をくくるしかありません。翌朝9時からの手術に備えてその晩は早く休み、ぐっすり寝入っていました。夜中の1時を過ぎた頃でしょうか。ぞろぞろと部屋に誰かが入ってくる気配に起こされました。手術チーム5名がベッド脇に並んでいるようです。そして『片山さん、今まで会議してようやく結論が出ました。外部に出していた組織検査の結果から、ガン細胞が全く見つからなかったので手術は中止にします』と言うのです。
| 【経緯2】 | |
| 4月16日 | ようやくベッドが空き入院。 |
| 4月18日 | 組織検査。5月12日にこの結果が出ることに。その後も検査が続く。 |
| 5月13日 | 組織検査の結果が出て、ガン細胞が全く見つからず、長時間の会議の末、手術日当日の未明に手術取り止めとなる。 |
治療を何もしないでガンが治ったわけですから不思議な人ということで病院内ではたちまち話題になりました。スタッフの中には『片山さんは何の宗教を信仰しているのですか』と質問する人まで現れて。でも私のような人がいたら、祈ったり気力で立ち向かおうとする前に、少し落ち着いて健康とは何かをぜひ勉強してほしいと思うのです。
治癒は努力の結果でまぐれ当りではないという証拠に、日本冬虫夏草を飲み、同じように生活した妻は、すぐにでも子宮摘出手術が必要な程、大きな子宮筋腫をかかえていましたが、みるみる縮小し、手術の必要がまったくなくなってしまったのです。この生活をやる以前は、筋腫は赤ん坊の頭程ありました。そして、85歳になる母の白髪が根元から黒くなっていったのはちょっと予想外のことでした。
私は、大学で声楽を学び、元レコード歌手だったこともあって、自宅でカラオケ教室を営んでいます。生徒さんの中には歌を習う以上に健康談義を楽しみに通う人も多いんですよ。歌うことは横隔膜を動かしてそのバイブレーションで脳を刺激し、ガン細胞を掃除する免疫力をアップさせます。ここに通うようになってから健康になったと喜ばれるのは、私にとっていちばんの嬉しいことで、体験を生かして、人に幸せを分けてあげれることが自分の幸せと感じています」
朝日ウイル(北燈社)2002年7月16日号より
片山さんから「ぶち元気です」(山口弁で大変元気という意味だそうです)とお電話をいただきました。奥さんのまきさんも、92歳になられたお母様もお元気ということでした。
2003年12月12日
お母様は95才の高齢になり、まきさんは退職され、お母様の傍で茂さんと一緒に元気に面倒をみていらっしゃるそうです。「母は10年前に日本冬虫夏草を飲んだ影響が大きく、何度も元気が復活するので、医師も不思議がってます」
2005年12月16日のお電話より
「国民体育大会がある一方で、国民文化祭というものがあるのをご存知でしょうか。今年で21回目となり、今回は地元の山口県で開催されます。数々のコンクールの中に歌の部門があり、47都道府県の代表が自慢のノドを競い合います。本選の前にオーディションが進められ、すでに47名から20名にしぼられています。
私はその20名に残ることができまして、11月4日の本選(美祢市、芸術村)では「霧の摩周湖」を唄うつもりでいます。生演奏で気持ち良く唄えるのを思い描いて、今からわくわく楽しみにしています。これも元気でいればこそで、健康に感謝しています」
2006年8月4日のお電話より
「11月の国民文化祭は大変盛りあがり、その時応援にかけつけてくれた生徒の皆と私の姉夫婦、弟夫婦も加わって、クリスマスパーティを賑やかに開催しました。
張り合いを持って楽しく過ごすことができるのも健康であればこそで、先日の基礎検診では血液は100点満点でしたし、骨密度は20代後半という結果でした。58歳の妻にいたっては20歳とまで出てしまって、おかしいから足を2回洗って、3度検査したほどです。妻は、牛乳やヨーグルトなどの乳製品は一切食べませんし、特別カルシウムを意識して摂っているわけでもありません。代謝も若返ったのか、体重も5kg減ったというのです。
我が家では、15種類の野菜を庭の一角に栽培しています。朝食はそれらの採れたての野菜に、玄米黒酢、キダチアロエ、フルーツを加え、ジューサーにかけた飲みものだけで済ませます。他に作ってるのは根こんぶ水とビワ葉酒。毎日摂る水も、こだわって選んだ海洋深層水を使っています
ガンが消失してから元気に10年が過ぎました。日本冬虫夏草は現在も続けています」
2006年12月6日のお電話より
「母(享年97歳)の四十九日も無事終わり、このごろはボランティア活動に励んでいます。最愛の母と別れた直後は妻と二人で途方に暮れる毎日でした。最期まで母は自宅で過ごしました。十二年間の介護もとうとう終わってしまいました。
ボランティア活動とは歌の指導です。ひとりでも多くの人の心が元気になり、心の中に希望が生まれることを願っています。これから先の私も歌と共にあります」
2008年3月12日のお葉書より
「ますます元気にしております。週に3、4日は妻とウォーキングをしています。1回のウォーキングで1万歩歩きます。今年はゴルフコンペで4勝しました。妻も最近ゴルフを始めました。30分の体操から1日が始まります。食事に気を付けたり運動を取り入れたりするようになったのはガンになってからです。前立腺ガンが消えてから13年になります」
2009年12月7日のお電話より
【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になったヒトはどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を否定したり、特定の商品について推奨するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。
前立腺ガン(前立腺癌)について
前立腺は膀胱の下にある男性にだけある臓器で前立腺液を分泌し精液の一部を作る臓器です。
前立腺にできる悪性腫瘍の事を前立腺ガンといい、欧米では非常に多いガンです。 日本でも社会の高齢化や食生活の欧米化に伴い前立腺ガンの発生は増加傾向にあります。 50歳代から増え始め70歳代、80歳代と発生率は増えていきます。
前立腺ガンは1993年の米国では成人男性に発生するガンのうち第一位の発生率で死亡率は肺ガンに次いで2番目となっています。 日本でも今後ますます前立腺ガンの発生は増加していくことが予想されています。
前立腺ガンは成長速度がおそく、発ガンしてから臨床ガンになるまでに40年近くかかると推定されています。 すなわち、青壮年期にガン細胞が発生し、20~30年経って微少ガンとなり、その後数年以上経って臨床ガンに成長すると考えられます。
前立腺ガンは早期のうちに発見できれば直る率も高くなります。
簡単な血液検査で前立腺ガンの疑いがあるかを調べることができるので、50歳以上の男性は定期的に前立腺ガンの検査を受けることをお勧めいたします。
【前立腺ガンの原因】
前立腺ガンの発生は老化による性ホルモンのバランスのくずれが影響していると考えられています。 実際に前立腺癌の発生は50歳以上から増え始め高齢になるほど多くなります。したがって高齢者は前立腺ガンになる可能性が高いといえます。 男性の平均年齢が上がればそれだけ前立腺ガンの患者さんも増えることになります。
他に食生活の欧米化により、動物性脂肪や動物性タンパク質の摂取量が増えたこと、 繊維質やビタミンAの摂取量が減っていることも影響していると考えられています。
【前立腺ガンの症状】
前立腺は男子の膀胱の出口、尿道のはじまりの部分を取り囲むクルミ大の臓器です。 尿道に接する内側の部分を内線、外側の部分を外線とよびますが、前立腺ガンのほとんどは外線にできます。 一方、高齢者に多い前立腺肥大は内線にできます。
前立腺ガンは外線にできるためすぐに尿道を圧迫することがなく、早期のうちにはほとんど症状がありません。 ガンが大きくなって尿道や膀胱を圧迫するようになると排尿に関連したさまざまな症状が見られるようになります。
例えば尿が出にくくなったり、尿がでるのに時間が掛かる排尿困難や尿の回数が特に夜間に増える頻尿、 排尿後でも尿が残っている感じがする残尿感、尿の勢いが弱い尿線無力などの症状です。
ただし、これらの症状は前立腺肥大症でも起こる症状であり、症状だけでは前立腺癌と区別することはできません。
さらにガンが大きくなり尿道を強くあっパックするようになると排尿困難が進み、 膀胱に尿が溜まっても排尿できなくなる尿閉が起こるようになります。また、 尿道や膀胱内に浸潤した場合にはその部分が出血し血尿が見られることもあります。 膀胱にガンが進むと失禁になります。尿管が詰まる閉塞状態になると腎臓で作られた 尿が膀胱まで流れなくなり腎臓に溜まるようになるため水腎症になり背中に痛みを感じることがあります。
前立腺ガンは骨、特に背骨や腰椎、骨盤に転移しやすく足腰が痛むようになりひどい場合には歩行困難にまでなることがあります。 骨転移を起こした部位の骨が弱くなるため骨折もしやすくなります。
またリンパ節にも転移しやすく、その場合にはリンパ節に疼痛や張り(腫張)が見られ、下半身に浮腫みが現れることもあります。
自覚症状が出たときには既にガンが進行している事が多いため、50歳を過ぎたら泌尿器科で年一回は前立腺ガンの検査を行う事をお勧めいたします。





