前立腺がん

前立腺がんを自然消失された方のお話も含まれています。冬虫夏草や自然療法、代替療法にご興味のある方々です。

須田為義さん(島根県在住 2005年当時75歳)の場合

 「2005年4月13日のことでした。尿意があっても排泄ができないのです。すぐ病院へ行き、カテーテルを通して出しました。500㏄は溜まっていました。それは鮮血も無くきれいなおしっこでした。

 病名を告げられたのは翌日です。『前立腺がんの末期』ということでした。そして、『骨盤に転移してるので手の施しようがない。2か月の命』とまで言われたのです。確かに腫瘍マーカーPSA値は41.8(正常値3以下)と高く、MRIの画像では右骨盤の半分にがんが広がってるのが分かりました。先生からは、治せないけれど延命のためといったところでしょうか。『ただちに入院して放射線治療をしていきましょう』との提案がありました。

 IMG_1333_SP0000.jpg実は、余命宣告にショックを受けることはありませんでした。私は、ぶどう農園を営んでいます。4月からその年の手入れを開始したばかりで、頭の中はぶどうのことでいっぱい。自分のことを考える余地など無かったのです。

そこで『入院するのはぶどうの収穫が終わる10月まで待ってください』と申し出ました。すると先生は黙り込んでしまわれて。『もう勝手にせい』ということだったのでしょうね。

その後、カテーテルを装着したまま、農園で5日間働き続けました。外してみてさらに5日間過ごしました。でも再び排泄が出来なくなり、カテーテルのお世話にならざるを得ませんでした。その際、自分なりに考えてデポカボチャの種を7日間食べることにしました。1か月分の目安量を1週間で食べました。7日目にカテーテルを外してから自然排泄が出来るようになり、その後カテーテルを必要とすることは二度と無くなりました。

 5月に入ってもPSA値は43.9と高いまま。6月に入って心配した義弟が私のもとにやってきました。そして、『こういうものがあるらしいよ』とパソコンを開いて見せてくれたのです。それが日本冬虫夏草でした。

 6月21日の晩に前出の先生とは異なる、カテーテルを管理してくれていた先生から突然電話が入りました。『MRIより精密なMRSという機械が入ったので検査に来ませんか?』というお誘いです。22日の晩は病院に泊まり、23日に検査を受けることにしました。日本冬虫夏草を飲み始めたのは検査前日の朝からです。病院に持参して検査の直前までちびりちびりと飲み続けました。一日半で875ccは飲みました。

 

骨転移が消失

 結果は驚くべきものでした。MRSでは異常はどこにも見つからず、あの骨盤の影がきれいに消えていたのです。農園ではその頃既に秋の収穫予想が出ていました。ぶどうの小さな粒が育ち始めるからす。

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この年は例年になく素晴らしい稔りになると確信出来ました。私は、長年慈しみ、苦楽を共にしてきたぶどうの木が助けてくれたのだと思いました。あのまま入院して放射線治療をやっていたら農園にも体にも良い結果が得られたのだろうか。運命とは不思議なものです。

その日は経口のホルモン剤(錠剤)を受け取って帰宅しました。服用後、途端に体調に変化が現れました。体がだるくなって力が出ないのです。剪定が出来なくなってしまいました。ホルモン剤は10日服用して止めました。

 

がんが消失したと診断

7月のPSA値は6。8月は2.6。9月は2.5と下がり続け、正常値に落ち着きました。9月のMRS検査と生検でも異常なし。がんは消えたままです。翌年2006年3月のMRI、MRS、生検でも変わらず異常なしでがんは消失したと診断されました。それでもホルモン治療はついて回りました。注射を3か月に一度のペースで3年間打ち続ける提案です。やってみるとこの副作用にも再びがっかりさせられました。体が太って疲れやすくなり、仕事に支障をきたすのです。だから断ったり延期したりの繰り返し。経口のホルモン剤の処方箋を受け取っても薬局に寄らずに帰ったりもしました。

(薬によっては自己判断で止めると危険なものもあります。医師、薬剤師に相談が必要です) 

ホルモン剤が体内から抜けると体がしまり、力が出るようになります。収穫の最盛期にはそうでなければやっていけません。

 PSA値には波がありました。安定していた数値が、仕事に精を出し過ぎると上昇するようでした。その都度生活改善を試みました。作業の合間に必ず昼寝を取り入れて習慣にしたり、長い間飲み続けていた薬を止めることもありました。実は、メニエール症候群の薬と肩こりの鎮痛剤を5年間飲み続けていました。それより若干短いのですが、睡眠薬も常用していました。2007年の7月に全て止めました。そして、止めたからといって、困ることは無かったのです。薬によっては自己判断で止めると危険なものもあります。医師、薬剤師に相談が必要です)

2008年4月にPSA値が41.28まで跳ね上がったことがあります。すぐに骨シンチ検査、CT検査を受けましたがどちらも異常無し。この時は大人しくホルモン注射を受けました。日本冬虫夏草の量を増やして飲みました。翌月検査をすると、15.76まで下降していて、『がんは何処にもないから心配いらないよ。ましてがんがあったらマーカーはこんなふうには下がんないから』と言うのです。そして、『何か飲んでるの?』と初めて聞かれました。『何も飲んでない』と答えても良かったのですが、『日本冬虫夏草を飲んでいます』と打明けました。すると『漢方薬で前立腺がんが治ることはないよ』と言われました。

 その後も日本冬虫夏草は続けました。2か月の命と言われてからはや7年が経ちました。力仕事を変わらずこなせています。有難いことです。周囲の人達は私の顔を見て、『色つやがとてもいいね』とも『10歳~20歳は若く見えるよ』とも言ってくれます。 

  『定年退職して、暇になったから人間ドックでもやってみた』という話をよく聞きます。病気を未然に防いでラッキーな人もいれば、その逆の人もいます。がんが見つかってくよくよ悩み続ける人はことさら深刻です。なにせ考える時間が有り余るほどあるのですから。精神状態は免疫力を左右します。落ち込んで免疫力が低下すれば治る病気も治りません。

私には夢中になるものがあり幸運でした。私の心はいつもぶどう農園にあり、研究と改良を重ね、毎年毎年、上を目指した質の高いぶどうを作っていくことに生き甲斐を感じています。アルギット農法はそのために取り組んだ栽培技術で、ノルウェーの海でたくましく育った海藻でミネラル豊かな土壌を作ります。

2011年は、申し分のない出来ばえでした。今までにないほど高い評価も受けました。これまでぶどうの食べなかった孫がパクパク食べいたのですから間違いないのでしょう。これだからぶどう作りは奥深くてやめられない。夢中になってしまうのです」

                                                                 2012年5月29日のお話より

 

                     【  経     緯  】

2005年4月13日  排尿困難のため病院で検査。

            4月14日  末期の前立腺がんと診断。
                              PSA値は41.8、骨盤にも転移。
                              2か月の命と告げられる。

            5月            デポカボチャの種を7日間食べる。
                              自然排泄に戻る。
                              PSA値は43.6。

            6月22日  日本冬虫夏草を飲み始める。
                              検査直前まで875ccを飲む。

            6月23日  MRS検査、異常なし。
                              骨盤への転移も消失

           9月              PSA値は2.5。            
                              MRS、生検、いずれも異常なし。

2006年3月            MRI、MRS、生検、いずれも異常なし。
                             がん消失と診断される。

 

 

 

 「暑い日が続いていますが、元気にしております。病院の先生もこれまでの私の経緯に『不思議だなー。不思議だなー』としきりに首をかしげています」

2012年7月21日のお話より

 

「お陰様で今年も美味しいぶどうが出来ました。お召し上がりください」

2012年9月2日のお手紙より

 

 丸々と稔ったぶどうにお手紙が添えてありました。早速、一粒口にすると、目の覚めるような美味しさです。ジューシーで濃厚、最高にバランスが整った奥深い味です。このようなぶどうは、正直、店頭ではまずお目にかかれません。同じ品種でも作り手によって全く味が違うのですね。須田さんの並々ならぬ情熱と愛情がダイレクトに伝わってきました。

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 「余命2か月と宣告されてからもう8年です。毎年変わらずぶどうを作り続けてきました。32歳の時から50年以上ぶどうの生産組合長をやっています。私のところには、若手の組合員がさまざまな悩みを抱えて相談に訪れます。帰る時は、前向きになって元気な顔つきに変わっています。『心が豊かになる』と言ってくれる部下もいます。私はあえて、今生きてぶどう作りをしていることが奇跡だという8年前の話をするのです。すると、皆、『自分の悩みは大したことじゃないな。へこたれてちゃいけないな』と思ってくれるようです。今年のぶどうを送りました。召し上がってください」

2013年9月2日のお話より

 

 

 須田さんが育てた見事なぶどうが届きました。今年もご馳走様です。余命2か月の宣告から10年の歳月が過ぎたそうです。

2015年8月24日のお話より

 

 「今年5月、作業中に転倒し、頭を打ちました。1か月して病院で検査をしますと背骨にヒビが入ってるとのこと。そのまま入院となり、45日間ベットの上におりました。リハビリをして、現在は杖無しで歩けるまでになりました。前立腺の方は心配なく推移しています。86歳になりました」

2016年7月26日のお話より

 

 「先日、医師から『前立腺がんの患者さんの余命は7年くらいです』と聞きました。私は11年経ちました。この頃は、家の中は杖なしで。外出する際は念のため、杖を使うようにしています。食欲もあり元気です」

2016年11月19日のお話より

 

 「ついにぶどう作りからの引退を決めました。そうゆうわけで長い間酷使してきた体を労り、この春はのんびりゆったり過ごしています。元気でおります」

2017年4月8日のお話より

 

眞壁秀夫さんの場合

※前立腺、膵臓がんは中盤。肺がん、乳がんのお話は末尾にございます。

 「私はもともと胃が弱く、疲れると痔になりやすい体質でした。2001年4月から出血が始まり、いつもの痔と思って暮らしていました。でも一向に良くならないんです。近くの総合病院で診てもらうとあっさり何ともないと言われてしまって。それから釈然としないまま4ヶ月が経過しました。痛みは全くないのですが、出血はさらにひどくなっていきました。

000044-a.jpg 8月30日。いよいよ県内でも有名な肛門科の個人病院で診てもらうことにしました。そこは18年前に痔の手術をしたところでもありました。内視鏡で調べてもらったらモニターに一瞬やけどのただれのような部分が映ったんです。内視鏡はゆっくり移動して、腸壁をモニターに映し出していきますが、どういうわけか肝心な部分にさしかかると先生はさりげなくサササーッとスピードを上げちゃうんですよね(笑)。これは見逃しちゃいけないと思ってね、私も必死です。問題の部分は赤黒く変色していて周囲が白くなっているのが分かりました。細胞検査もやって、すぐに大学病院を紹介されました。

 6日後。個人病院の検査をもとに、大学病院でようやく直腸がんの診断が下りました。『手術で開いてみて、患部が肛門に近ければ人工肛門になるよ』と言われました。
手術までは1ヵ月以上あるので、自宅でやれることはやってみようと思いました。日本冬虫夏草を飲み始めたのは翌日からです。腸に負担をかけないよう、主食をモチ米質の少ない粘り気のない米に切り替えることにしました。それはキヨニシキという銘柄で無農薬無肥料米。日本冬虫夏草の浣腸もやってみました。そして出血量が徐々に減っていくこととなり、開始から25日目、ピタリと止まったのです。それ以降出血は全くありません。

 私はこの病気を機に、体の変化についてメモをとるようになりました。

 

2001年4月
出血が見られるようになり、総合病院で検査するが問題ないとのこと。
8月30日
再び個人病院での検査後、大学病院を紹介される。
9月5日
大学病院では直腸がんの診断。
9月6日
日本冬虫夏草を飲み始める。日本冬虫夏草の浣腸を思いついて試してみる。膿みたいなものが出てくる。
9月8日
胃の弱いのが気になっていたが、負担が無いようだ。
9月9日
なんとなく調子がよい。足がポッカポッカと温かくなる。まるで湯たんぽをあててるようだ。夜はすぐに熟睡。朝までぐっすり。
9月11日
便器いっぱい真っ赤になってたのが、出血が減って真っ赤な血が便に薄くつく程度になった。
9月17日
便が黄金色になってきた。便には赤茶色の血のスジが入る程度。
9月27日
腸に負担をかけないよう、粘り気のないキヨニシキという 銘柄の無農薬無肥料米を主食にする。
10月1日
キヨニシキを食べてから5日目。便に血のスジもなくなった。
10月3日
入院。相変わらず出血はない。以後出血はなし。主治医は日本冬虫夏草もキヨニシキも自由にやってくださいと言う。


000044-b.jpg 10月15日に手術。人工肛門は避けることができました。以前、身内がこの同じ病院で大腸がんの手術をした際、摘出した部分を見せてもらったことがありました。患部は黒ずんだ紫色で、500g~800gはあったでしょうか。両手でないと収まりきれない量でした。今回はどういうわけか、摘出した部分は家族の誰にも見せてくれませんでした。何センチ切ったのかもわかりません。赤黒くただれていた部分がどう変化したか見たかったですね。

 

前立腺に異常発見!消失!

   手術から5日目。残尿検査を受けていると、CTに影が映ったことがありました。前立腺のところです。腫瘍マーカーは6.5の異常値。あせって日本冬虫夏草の量を増やして毎日700cc~1050cc飲みました。1週間して再びCTを撮ると、今度は影は消失していてマーカーも2.5の正常値。先生は『あれっー。不思議だねー』とずいぶん驚いていました。すぐに『眞壁さん、何飲んだの?』と聞いてくるから、私はドキッとしてとっさに、この泌尿器科の先生には『何も飲んでません』と答えてしまいました。そしてこの2枚の写真のコピーをいただきたいと申し出ると、『病院間でのやり取りで必要があれば出すけど、それ以外はお渡しできない決まりになっています』と断られました。写真を見れば変化が一目瞭然なので、皆さんにお見せできないのが残念です。

 

10月15日 
手術。人工肛門を免れる。
10月20日 
前立腺の腫瘍マーカー6.5の異常値で、CT検査で影が見つかる。日本 冬虫夏草の量を2〜3倍に増やす。
10月27日 
腫瘍マーカーは2.5の正常値に下がり、CTの画像から影が消失。3年 越しの低温やけどの患部がきれいに治る。

  それからもう一つ、不思議なことがありました。私は3年前にカイロで低温やけどを負っていました。足の患部はそれからずっと炎症が治まらないままだったのですが、退院する頃にはきれいに治っていたのです。

 他の治療は一切なく、手術から1年が過ぎ、長いこと悩みの種だった胃の調子も良く快便の毎日です。昨年、告知を受けた時、すぐに社長のイスを息子に譲りました。私は10年前にサラリーマンを辞めて現在の会社を興したんです。睡眠時間は毎日4~5時間。とにかく働きました。肉類が好物でよく食べていましたね。病気を治すためにそれを止めて、野菜をたっぷり摂るようにしました。お酒は4、5年前から飲んでませんし、タバコはもともと吸いません。

 仕事をやめてから体調のコントロールが利くようになりました。外に出たくない雨の日には終日家で休み、睡眠不足の日は日中自由に眠ることができるわけですから。仕事をしていたら休みたいときに休むことは不可能で、必ず無理をします。これでは自分自身を裏切ってることになりますよね。この病気は痛みがなく、働くこともできますから、あなどってしまうことが非常に怖いんです。

 

000044-c.jpg 近頃は、野菜を作ったり、魚を釣りに海に出たり、自分のペースでやっています。来年は米作りに挑戦しようかと思っています。最近、腸に良いレシピを発見しました。シシトウの佃煮です。とても良い便がでますよ」

朝日ウィル(北燈社)2002年11月19日号より


 「間もなく手術から2年になります。この度のCT、MRI、マーカー、肝機能検査ですべてが正常で、『検査の間隔を伸ばしましょう』と言われました」

2004年9月2日のお話より


 「2006年3月の検査でγ-GPT(肝の状態をみる数値:正常値0~50)が200以上あったのが、この度の検査では60まで下がっていました。その他はどこも正常で、主治医から『もう検査に来なくていいよ』と言われました。そう言われてもまた行くつもりです(笑)。

 γ-GTPの数値が気になってから、日本冬虫夏草の種類をCY42番に変えて飲みました。又、今年になってからお酢療法を始めて肩こりがなくなりました。

 1日1錠の血圧の薬(10年前から)と1日2回2錠ずつの尿酸を下げる薬(20年前から)は続けています。血圧はしばらく安定していて服用を忘れることもしばしばです。もし上昇したとしても肩のあたりが重苦しくなるのですぐ分かります。肩にサロンパスを貼ると血圧がスーッと下がるので不思議です。根を詰めることをするとどうしても血圧は上がるようです。

 自分の体とは長い付き合いなので、くせを心得ていてその都度コントロールしているつもりですが、とことんがんばってしまう性格はたまにコントロール不能となり、ここが反省するところなのでしょう」

2006年8月2日のお話より


000044-d.jpg 「ここ1年は疲れるということがありません。ゴルフに行ってもそうです。若いときの体に戻った気がします。今年は同級会がありました。自分で言うのも何ですが、級友たちは顔が皆しわくちゃで、私だけ顔がピチピチしてたので『どうなってるの?』と思いました。

 日本冬虫夏草は量を減らしながらも続けています。手術から5年が過ぎました」

2006年11月24日のお話より

 

膵管に異常発見!消失!

 「2007年4月に心臓の血管にステントを入れる手術をしました。血管が詰まって倒れたのです。心臓の薬が追加され、一日に服用する薬は7種類となりました。しばらくして、γ-GTP(肝機能数値:正常値0~50)が749まで上昇したので検査を続けていくうち、膵管狭窄と肺に影が見つかります。そしてどちらも治療なしで解決していくのですが、その経緯を報告させていただきたいと思います。

 

【経緯】
2007年4月
ステント手術。これまでの血圧と痛風の薬に心臓の薬が追加され、7種類に。
6月

γ-GTPが749まで上昇。

9月10日
 

膵臓の内部、膵管に異常発見!

 

MRIで膵管の狭窄が見つかり、医師から『ここに出るのはまずがんなんだ』と説明を受ける。
細胞を取って調べる予定。姉と弟を共に膵臓がんで亡くしている。二人とも54歳の若さだった。医師はこの点を重要視。日本冬虫夏草をこれまでと比べて多め に飲むことに。毎日350ccを1ヶ月は続ける。日本冬虫夏草のCY16番の割合も増やす。

 
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11月13日

消失!

ERP(ERCP)検査を行う。これはファイバースコープを膵管まで通して調べるもの。先端のブラシで狭窄の部分から細 胞を取ることになっていたが、膵管の狭窄がきれいに治っている。
CT写真でも異常なし。大学病院では、写真のコピーをもらうことができないので証拠になるものとして、診断書を書いてもらう。

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※画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます。

 

 

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肺に異常発見!消失!

 

11月31日

肺に異常発見!

PET検査。右の肺に光るものが見つかった。
9月のレントゲン検査では何も写らなかったのに。
肺以外は全身異常なし。
家電屋で吸入器を購入し日本冬虫夏草の吸入も試すことに。

12月11日
旧型のCT機械で撮影。何も写らず。
12月20日
レントゲンに影が出る。
2008年1月30日
レントゲンでやはり影が写し出される。
『こういうのは間違いなくがんなんだ』と言われる。拡大してみると患部がはっきり浮き出る。それでも12月より薄くなっているようだ。3cmのモミジ形の影有り。(これは画面から外れてしまう)
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2月1日
γ-GTPは78まで低下。肝臓の薬ウルソ出される。
血液データ、その他全て異常なし。
3月12日
新型のCT機械が導入される。
やはりプチプチと影が写る。
3cmのモミジ形の影もプチプチと点となって散らばり、消えかかっているようだ。
3月26日

γ-GTPは33の正常値に。

9月16日

消失!

新型のCT機械で撮影。
プチプチが写っていない。
かすかに写っているようにも見えるが、『この程度のものならレントゲンでは全く写らない。異常なしとの診断になりますよ』と言われ。『次回またCT写してください』と申し出ると、『このように良い状態だし、CTといっても放射線を浴びることだからそれで刺激されるし、そっとしておきましょう。PETもレ ントゲンも皆放射線です。検査はこれで打ち切りです』と断られた。

 

 写真のコピーは入手不可能でしたが、意外にも『家族が心配しているので、携帯のカメラに写させてください。これを見せたら安心すると思います』と申し出ると、快くOKが出たので驚きました。割合きれいに写りましたのでメール送りました。これが証拠写真になります。それから日本冬虫夏草を飲んだことは、先生には伏せております。

 昨年来、体中をくまなく検査して全身異常なしのところまで漕ぎ着けました。安堵しているところです」

2008年9月22日のお話より

 

 「一昨年膵管狭窄が治り、昨年は肺の影が消失。それ以来変わらず元気にしています」

2009年3月4日のお話より

 

 「今年は知り合い2人が膵臓がんと乳がんになり、手術前から日本冬虫夏草を試しました。両者とも術後元気に仕事をしているというから驚いています。私は、変わらず元気にしています」

2009年12月12日のお電話より

 

知り合いが末期のすい臓がんに。末期の乳がんの女性も現れ。

 「変わらず元気に過ごしております。約一年前、知り合いが膵臓がんの末期と診断され、家族皆『もう助からない』とあきらめていたところ、『私のようなものがいるからあきらめるな』と励まし、手術前に日本冬虫夏草を飲むことになりました。
 すぐにおしっこがジャーと出てびっくりしたそうです。膵臓がんの検査では尿量が重要視されます。おまけに土色だったおしっこも無色透明になりました。

 そして、ずっと上がり続けていた腫瘍マーカーが1週間程で下がり始めたのです。吐き気も治まってごはんも食べられるようになりました。術前にはGM031_L.jpg痛みも無くなり、鎮痛剤とも縁が切れていました。それでも手術は当初のプラン通り行われました。膵臓と脾臓、十二指腸と胆のう・胆管まで全部取りました。

 それなのに現在はトラクターを運転し、農作業に励んでるというから驚きです。無理はして欲しくないですが、具合が悪かったら動けないだろうし、余程体調が良いのだと思います。病院の治療は現在何もしてないそうです。

 また、昨夏、乳がんの末期と診断された知り合いを訪ねたところ『もう助からないと』家族が泣いていました。同様に励まし、日本冬虫夏草を飲むことになりました。手術前のCT画像に変化が現れ、『何か飲んでるの?』と尋ねられました。そこで『何も飲んでません』と面倒を避けるために用意しておいた答でとぼけたそうです。術中の細胞検査で『がん細胞は陰性』と出て、術後の抗がん剤、放射線治療はスケジュールから外されました。今年2月の検査では『がんは体から無くなったよ。どこにも無いよ』と言われたそうです」

2010年4月2日のお話より

 

 「今年の夏は異常に暑かったですね。でも一切バテることなく畑仕事ができたのですから本当に不思議です。私の場合は日本冬虫夏草を飲むと体温が上がってくるようで、気温との差が縮まって暑さが気にならなくなるというか、肉体労働が全く苦にならなかったのです。そのとき蒔いた種がいよいよ育って、大根と白菜の収穫の時期となりました。味には自信があります。こんな幸せなことはないです」

2010年11月12日のお話より

 「被災された方々にいくらかでも野菜をお届けしようという思いがあって、趣味だった畑は、作物を増やし本格的になってきています。今年は、6月から暑くなりました。梅雨入りは平年より9日遅く、梅雨明けは平年より16日早くて、観測史上最も短い18日間。平年の4割の長さしか無かったようです。(梅雨期間:6/21~7/9)

8月になると30度を超える日照りが2週間ほど続きました。作物のためには、手間を惜しみません。根元に穴を開け、空気を入れてやります。その後、丹念にじょうろで水を流し込んでいきます。すぐに穴は塞がってしまうので、翌日にはまた一から始めなくてはなりません。その繰り返しです。移植ベラで根切りも行います。根を切ると根を張ろうとがんばってくれます。良い根が地面にはびこり作物が良く実るのです。

 昨年もそうでしたが、不思議なことにいくら畑で身体を動かしても疲れを全く感じないのです。畑でやることは毎日新しく出てきて、朝5時から夕方5時まで動きっぱなしの時もあります。海に出掛け、その足で畑の作業という日もあります。健康面での不安は全くありませんでした。 

 そんな中、8月12日の未明に異変が起きたのです。その日は、パジャマの上着を脱いで何も掛けず窓を開けっ放しでうっかり寝入ってしまいました。そして、40度の熱と体中の痛みで飛び起きたのです。左足も、ふくらはぎからつま先まで驚くほど腫れています。

すぐに病院に行って血液検査をすると、CRP値が19と異常値。白血球も1万を超えていました。感染症、リウマチ、通風、心臓疾患などを疑い、数日かけて消化器内科、整形外科、循環器科、皮膚科専門の個人病院と検査を受けて回りましたが、どこも悪いところが無く、原因がつかめないまま時間が経過していきました。薬剤の投与もありましたし、日本冬虫夏草もいつもより多めに飲みました。IMG_0920_SP0000.JPG

足の腫れはそのままでしたが、15日には平熱に戻り、CRP値も白血球数も下がっていきました。24日にはその数値も正常になりました。この頃には『もう病院に来なくていいから』と言われてしまいました。足の腫れもしだいに引いていきました。

 いったい何だったのでしょうね。炎天下で畑をやり過ぎたのですかね。本当は疲れてるのに疲れてる感覚が分からなくなっていたのですかね。結局この件で、CTもMRIも心電図も血液検査もさんざんやったお陰でどこも異常がないというお墨付きをいただきました。もちろんがんの心配も無いということです。自己コントロールが効かず、ついついがんばってしまう性分こそ病気ですかね。これは一生治らないかもしれません」

2011年9月1日のお話より


img020.jpg 「すこぶる元気にしております。検査データーを見て主治医が驚くほどです。『何やってんの?』と聞かれます。この頃は、腕や足に筋肉が付いたのを実感しています。畑作業で出来た筋肉です。ジムで鍛えるのと違い、畑だと野菜というご褒美が出ます。

皆、健康になりたかったら畑をやりなさい。きれいな空気と、筋トレ、ビタミン・ミネラルたっぷりの新鮮野菜。健康になるための要素が揃っています」

2012年6月20日のお話より
 

 「1000~2000坪の畑を一人でやっています。その作業に慣れるまでは大変でした。この頃は45~46才ぐらいの体に戻った気がしています。体重も4kg減って68kgです。健康を実感しております。」

2014年7月3日のお話より

 

 「2011年の夏のようにCRP値が上昇して、3月初めに発熱と下痢で緊急入院しました。コウモリの糞を掃除したのが原因かと考えています。病院の診たては原因不明。今は、元気になり、農耕に精を出しております」

2016年3月29日のお話より

久保正路さん(仮名)の場合

 「久保正路さんは前立腺ガンの治療を続けてきましたが、マーカーが上がり続け、背中にも転移が見つかり、どうしようもなくなって私のところに電話をくれたのが2010年2月末のことでした。

 『3月に入ってから手術をする予定ですが、糖尿病の持病があるため、まずは血糖値を下げてから手術ということになります。そのために通常よりかなり強い薬を使うのですが、時折この薬を使っていた経験からするとあまり期待できないといったところです。それから高血圧の持病もあって降圧剤も服用しています』ということでした。

 私が日本冬虫夏草を飲んでいると聞いて『是非自分も試してみたい』という相談だったわけです。さっそく日本冬虫夏草の飲料を開始し、初めの報告が入ったのが3月1日。『血圧は2日目で下がりました。血糖値も下がったのです。今まで強い薬をやっても下がらなかったのに不思議です。手術が出来そうです』ということで、日本冬虫夏草は毎日700ccは飲んだそうです。

 そして4月2日の検査で患部が小さくなったので『手術は10月まで延期』という報告が続きます。

 4月20日の検査では、腫瘍マーカーPSA値は6.7から1.7まで低下。正常値になっていました。ここで日本冬虫夏草を半分の350ccに減らします。

 5月に入ると、とにかく明るい声で電話がかかってきました。『背中の転移が消えたよ。アFR014_L_SP0000.JPGハハ』 初めて久保さんの笑い声を聞きました。『PSA値も0.14とビックリするほど下がって毎月打ってた注射も打ち切りになりました。服用の薬のみになりました。そうゆうわけで手術も取り止めになってしまいました。アハハ。先生は(世の中には)こんな人もいるんだなぁと感心してました。日本冬虫夏草を飲んでたことは話してません』 私は『あなたの勝ちだね』と答えました」

 

 

               【経緯】

  2010年2月末  日本冬虫夏草を飲み始める。

     3月 1日  2日で血圧が下がり、血糖値も正常値に。

     4月 2日  前立腺の患部が小さくなった。手術は10月まで延期に。

     4月20日  PSA値は正常値の1.7まで低下。

     5月 7日  PSA値はさらに下がって0.14に。ここで手術は取り止めに。

             ずっと気がかりだった背中の転移だけMR検査。きれいに消失。

 

  2010年5月17日 眞壁秀夫さんのお話より
眞壁秀夫さんについてはこちをご覧ください。

片山茂さんの場合

000081-a.jpg  「始まりは1994年の前立腺炎からだったように思います。その時はひと月入院して薬で治療したわけですが、退院する際、病院側から今後のことをとりたてて警告されるわけでもなかったし、自分自身も病気の原因を振り返ったり反省することもありませんでした。退院できる喜びだけで、その後も以前と変わらない暮らしに戻り、忙しい仕事の現場に復帰しました。


 それから2年後の1996年1月12日。突然排尿困難になり再び病院を訪ねることになりました。そして組織検査で、今度は前立腺がんと診断されたのです。腹部にメスを入れて前立腺からリンパ腺まで摘出し、人工肛門をつくる大掛かりな手術を薦められました。その後、念のため病院を変えて細胞検査を2回行いましたが、いづれもクロでした。

 ガンと聞いて即座に命はないと思いました。でも何ていうんでしょう。根っからプラス思考が強いというんでしょうか、『ちょっと待てよ。がん即、死と考えてしまうのは狭い知識のせいではないのか。どこかに治す方法は必ずあるはず』と頭を切り換えることにしたのです。

 私はそれまで尿管や尿道の位置さえ分からず、前立腺の役割さえも知りませんでした。つまづいてしまったけれど、これから先の健康のためにも、この病気を知識を得るチャンスに変えようと思うことにしました。入院するにあたって、夜遅くまで本を読んでも周りに迷惑をかけずに済むようにと個室を希望しました。そしたら1ヵ月以上先まで空きが無いと言われて、それまで自宅で待機することになったのです。

 日本冬虫夏草を飲み始めたのはこの頃からです。妻が銀行で順番待ちをしている時、たまたま開いた週刊誌に日本冬虫夏草の記事を見つけたのがきっかけです。そして以前から加入していたガン保険がすぐに降りてきました。ほかの保険会社の給付金がプラスされて、数ヵ月はたとえ病院の最高級の特別 室を借りたにしてもあり余るほどの経済的余裕が生まれたのです。仕事を休んで情報収集を続けました。


000081-b.jpg 病院の通常療法は、決してがん体質を根本から治してくれるものではないこと。そういう体の環境を作ったのも自分、治すのも自分ということ。食べ物から体の細胞が作られているけれど、細胞の病気であるガンを治すには食べ物が深く関わっているということ。さまざまな本を読んでいくうちに頭の中が整理されていって心が静まり、体にとって何が良くて何が悪いのか明確になっていきました。

 玄米菜食を心掛け、主食であるお米にもこだわって、粘り気のないキヨニシキという品種の無農薬無肥料米を食べました。食品添加物のような化学的なものは排除し、食事は家族の分まで1日3食作りました。『薬は毒だ/田村豊幸著(農文協 現在廃刊)』(※最近では「薬をやめると病気が治る/安保徹著(マキノ出版)などがあります)という本に影響を受けて、病院から渡された薬は一切飲まないということもありました。今も記念に取っておいてますが、渡された薬の量 は半端ではありませんでした。

 そして、次第に体に変化が現れ始めました。

【経緯1】
1996年1月12日 組織検査でがん細胞が見つかり、前立腺がんと診断。
1月25日
<発見から14日目>
日本冬虫夏草を飲み始める。食事療法も開始。おしっこが勢い良く出るようになる。
2月9日 日本冬虫夏草を浣腸してみる。瞬間的にスッキリしたので続けることに。
2月22日 血便が出る。
2月29日 7日間続いた血便がピタリと止まり、一転きれいな便に。悪いところが全部出て、ひょっとしたら治ったのではと思う。
3月1日 病院に行き腫瘍マーカー検査。正常値になっている。
日本冬虫夏草を飲み始めてから1ヵ月余り。

 そして、それから2ヵ月後の手術当日。がんが消失したため、急遽手術が取り止めの事態になるとは。誰も予想してなかったことが起こるんです」

朝日ウイル(北燈社)2002年6月18日号より

 

000081-c.jpg 1996年3月1日のこと。前立腺がんの腫瘍マーカーが、異常値から正常値に下がっても手術の予定が変更されることはありませんでした。

 「先生は『1月の病理組織検査で前立腺ガンが確定されていることですし、数値が正常になっても腫瘍マーカーは腫瘍そのものを示すのではないので、予定通り大きな病院で手術しましょう』とおっしゃって、紹介されていた山口大学付属病院の個室が空くのをそのまま待つことになりました。

 ここ1ヵ月ほどは、前にもお話したように健康やガンに関する本であれば片っ端から読んで、入院まで充分時間があるのだから、黙ってないで自分にできる自然療法をやってみようと、自ら調理して食事療法の研究に取り組んだり、日本冬虫夏草を試したりしました。日本冬虫夏草は1日に700cc飲んで夜中にも飲み、浣腸法も編み出しました。この頃になるとすでにおしっこは勢いよく出るようになっていましたし、病気の自覚症状が全く無くなっていたのです。

 

000081-d.jpg 4月16日になってようやく入院にこぎつけました。早速、手術日が5月13日に決まり、再び組織検査、骨シンチ検査等、1ヵ月かけて行っていくのです。私が入ることのできた部屋は、ナースセンターのほぼ真向かいにあって、冷蔵庫もテレビも電話もお風呂もトイレも何もかも揃っていて、おそらく大臣が利用するであろうというようなところだったんですよ(笑)。ここでなら自宅でやっていた療法を誰に気兼ねすることなく、そのまま続けられるというものです。もともと肉や乳製品は食べられないので、そのメニューのある病院食にはほとんど手をつけず、妻が自宅から運んでくれる食事を毎日食べていました。ルームランナーを入れて毎日1万歩歩いたり、1階から7階まで、階段の登り降りを毎日2往復したり、ちょっとやり過ぎだったかもしれませんが、とにかく元気だから体を動かしたいし、やったところで疲れるというよりはむしろ快調だったように思います。

 そんな中、とうとう手術の前日を迎えることになりました。手術が避けられたらという思いできたわけですが、ここまできたら腹をくくるしかありません。翌朝9時からの手術に備えてその晩は早く休み、ぐっすり寝入っていました。夜中の1時を過ぎた頃でしょうか。ぞろぞろと部屋に誰かが入ってくる気配に起こされました。手術チーム5名がベッド脇に並んでいるようです。そして『片山さん、今まで会議してようやく結論が出ました。外部に出していた組織検査の結果から、がん細胞が全く見つからなかったので手術は中止にします』と言うのです。

【経緯2】
4月16日 ようやくベッドが空き入院。
4月18日 組織検査。5月12日にこの結果が出ることに。その後も検査が続く。
5月13日 組織検査の結果が出て、がん細胞が全く見つからず、長時間の会議の末、手術日当日の未明に手術取り止めとなる。

 治療を何もしないでがんが治ったわけですから不思議な人ということで病院内ではたちまち話題になりました。スタッフの中には『片山さんは何の宗教を信仰しているのですか』と質問する人まで現れて。でも私のような人がいたら、祈ったり気力で立ち向かおうとする前に、少し落ち着いて健康とは何かをぜひ勉強してほしいと思うのです。

 治癒は努力の結果でまぐれ当りではないという証拠に、日本冬虫夏草を飲み、同じように生活した妻は、すぐにでも子宮摘出手術が必要な程、大きな子宮筋腫をかかえていましたが、みるみる縮小し、手術の必要がまったくなくなってしまったのです。この生活をやる以前は、筋腫は赤ん坊の頭程ありました。そして、85歳になる母の白髪が根元から黒くなっていったのはちょっと予想外のことでした。


000081-e.jpg 私は、大学で声楽を学び、元レコード歌手だったこともあって、自宅でカラオケ教室を営んでいます。生徒さんの中には歌を習う以上に健康談義を楽しみに通う人も多いんですよ。歌うことは横隔膜を動かしてそのバイブレーションで脳を刺激し、がん細胞を掃除する免疫力をアップさせます。ここに通うようになってから健康になったと喜ばれるのは、私にとっていちばんの嬉しいことで、体験を生かして、人に幸せを分けてあげれることが自分の幸せと感じています」

朝日ウイル(北燈社)2002年7月16日号より

 

片山さんから「ぶち元気です」(山口弁で大変元気という意味だそうです)とお電話をいただきました。奥さんのまきさんも、92歳になられたお母様もお元気ということでした。

2003年12月12日

 

 お母様は95才の高齢になり、まきさんは退職され、お母様の傍で茂さんと一緒に元気に面倒をみていらっしゃるそうです。「母は10年前に日本冬虫夏草を飲んだ影響が大きく、何度も元気が復活するので、医師も不思議がってます」

2005年12月16日のお話より

 

 「国民体育大会がある一方で、国民文化祭というものがあるのをご存知でしょうか。今年で21回目となり、今回は地元の山口県で開催されます。数々のコンクールの中に歌の部門があり、47都道府県の代表が自慢のノドを競い合います。本選の前にオーディションが進められ、すでに47名から20名にしぼられています。

 私はその20名に残ることができまして、11月4日の本選(美祢市、芸術村)では「霧の摩周湖」を唄うつもりでいます。生演奏で気持ち良く唄えるのを思い描いて、今からわくわく楽しみにしています。これも元気でいればこそで、健康に感謝しています」

2006年8月4日のお話より

 

 「11月の国民文化祭は大変盛りあがり、その時応援にかけつけてくれた生徒の皆と私の姉夫婦、弟夫婦も加わって、クリスマスパーティを賑やかに開催しました。

 張り合いを持って楽しく過ごすことができるのも健康であればこそで、先日の基礎検診では血液は100点満点でしたし、骨密度は20代後半という結果でした。58歳の妻にいたっては20歳とまで出てしまって、おかしいから足を2回洗って、3度検査したほどです。妻は、牛乳やヨーグルトなどの乳製品は一切食べませんし、特別カルシウムを意識して摂っているわけでもありません。代謝も若返ったのか、体重も5kg減ったというのです。

 我が家では、15種類の野菜を庭の一角に栽培しています。朝食はそれらの採れたての野菜に、玄米黒酢、キダチアロエ、フルーツを加え、ジューサーにかけた飲みものだけで済ませます。他に作ってるのは根こんぶ水とビワ葉酒。毎日摂る水も、こだわって選んだ海洋深層水を使っています。

がんが消失してから元気に10年が過ぎました。日本冬虫夏草は現在も続けています」

2006年12月6日のお話より

 

 「母(享年97歳)の四十九日も無事終わり、このごろはボランティア活動に励んでいます。最愛の母と別れた直後は妻と二人で途方に暮れる毎日でした。最期まで母は自宅で過ごしました。12年間の介護もとうとう終わってしまいました。

 ボランティア活動とは歌の指導です。ひとりでも多くの人の心が元気になり、心の中に希望が生まれることを願っています。これから先の私も歌と共にあります」

2008年3月12日のお便りより

 

 「ますます元気にしております。週に3、4日は妻とウォーキングをしています。1回のウォーキングで10000歩歩きます。今年はゴルフコンペで4勝しました。妻も最近ゴルフを始めました。30分の体操から1日が始まります。食事に気を付けたり運動を取り入れたりするようになったのはがんになってからです。前立腺がんが消えてから13年になります」

2009年12月7日のお話より

 「ここ3~4年は若い頃より元気なんです。10000歩のウォーキングを週に5日実践しています。健康に自信を持って生きています。それでも怪我をしたら元も子もありませんからね(笑い)。交通事故には極力気を付けて、私自身も安全運転を心掛けています。前立腺がんが消えてから18年経ちました」 

20014年7月7日のお話より

 「76歳になりました。血液検査は満点です。死ぬまで筋肉は鍛えられると思っていて、間接の可動域を広げる運動、股関節や体幹を鍛える運動は朝のルーティンとして欠かしません。ゴルフコースに出て15000歩歩いても疲れや筋肉痛は皆無でよく眠れます。週に5日は料理をして頭の方も鍛えています。『認知症の予防には料理が一番』とはなるほどよく言ったものだなと実感しています。前立腺がんが消えてから20年が経過しました」

 20016年11月16日のお話より

 「前立腺がんが消えてから来月で22年です。実年齢を告げると『まさかウソでしょう?』といった顔をされます。『若さの秘訣は?』とも良く訪ねられます。これまで運動や食事などいろいろ話してきましたが、つくづく歌はいいと実感しています。歌と共に歩いてきた人生ですからね。この頃は、皆さんには呼吸法を伝えています。『窮地に立った時、是非、深く息を吐いて深く吸ってを繰り返してください。必ずあなたを守ってくれますよ』と悩みやストレスを抱えてる方たちにすすめています」

 20018年4月26日のお話より

佐藤和男さん(仮名)の場合

 95年の暮れ。佐藤和男さん(仮名)は足腰が痛み、ひとりで車にも乗れなくなり、最終的には車椅子を使うまでになっていた。病院に行き検査をすると、前立腺ガンのステージⅣと判明。骨シンチ検査で首、肩、腰など全部で20か所の骨への転移も見つかった。

主治医は『告知はやめましょう』と奥さんに言った。そのかわり本人には前立腺の病気だからと話し、ひと月に一度の点滴を続けていくか、睾丸を切除する手術にするか選択させた。和男さんは手術を選んだ。だから抗ガン剤や放射線治療は一切やらなかったことになる。
 

 翌年1月。術後すぐに友人の勧めで日本冬虫夏草を飲み始める。病院からは毎日服用するようにと薬を渡されたが、その後もっとよい薬が出たからと取り替えられた。これが、男性ホルモンの作用を抑える前立腺ガンの薬で、重篤な劇症肝炎を引き起こし、死亡例が8例あったとしてのちにマスコミに取り上げられた薬である。奥さんはニュースを見てはっとしたという。和男さんは2年10ヵ月もの間服用し続けた。悪い所を治そうとしてほかに悪い病気を作ってしまうガンの薬物治療の現実をつきつけられた。幸い和男さんは肝機能に問題は起きなかった。

 病気知らずで薬を飲んだこともなく、タバコは15年前にやめ、お酒もほどほど。発病の原因は何だろうと考えてもはじめは思い当たらなかった。ただ次第に責任あるポジションを与えられるようになり、部下の面 倒もよくみる人でがまんすることも多く、肩書に関係なく誰よりも仕事をするような人だったから、知らぬ 間に無理が重なっていったのかもしれない。 そんな人が発病を機に仕事をすべてやめたことで精神的にずっと楽になっていった。また、主食を胚芽麦にするなど食生活も変えていった。
 

骨転移の17か所がきれいに消失。3か所も消えかかっている。

 98年8月のCT検査では『どこにも問題はありませんよ』と言われるまでになった。腫瘍マーカーも正常値になっていた。そして骨シンチ検査では骨転移20ヵ所のうち、17か所がきれいに消失していた。3か所だけは影が写 ったが、とても薄く変化していて、ぼんやりとしたものだった。まさに消えかかっているというような感じだった。傷もしばらくは跡が残っているのが当たり前。だから心配はしていない。何よりも歩けなかった和男さんが、前立腺や骨が正常に戻ったことを実証するかのように、現在はスタスタと早足で歩くようになった。「私はおいていかれてしまうの」とうれしそうに奥さんは話す。和男さんは散歩を日課にして、毎日元気ですごしているそうだ。

朝日ウイル(北燈社)1998年11月3日号より

 

 その後、骨シンチの再検査は必要がないということで行っていません。それというのもそれ以降7年間、再び骨が痛むこともなければ歩行困難になることもなく、「あの20か所の転移はすべてきれいに治ったんでしょ」というのが主治医も含めた周囲の見解だそうです。

2000年11月

 

 以前ここで紹介した佐藤和男さん(81歳・仮名)は、ステージⅣの前立腺ガンから生還し、今年で7年目を迎えたそうです。当時は、20か所に及ぶ骨への転移もあり、車椅子のお世話になる程でした。家族の皆は死を覚悟し、それでも諦めきれない奥さんの美知子さんは、ホームドクターとしての役割を担うことになります。

 今年の6月に和男さんのこれまでの仕事が認められ、表彰されて、その時の晴れやかなお二人の写 真が届きました。そこで、これまでどれほどの苦労と努力があったのか、美知子さんにうかがいました。
 

インシュリンの注射からも解放

 「前立腺ガンと知った時、親戚の人の薦めで日本冬虫夏草を試すことにし、いろいろな人の知恵を拝借しました。お酒もタバコも止めてもらいました。でも何より苦労だったのは食事の支度です。胚芽押麦を混ぜた主食に1日30種類の食材を使った料理、海草、納豆、梅干は毎日、持病の糖尿病を抱えていたので、これに食事時間の厳守とカロリー制限が加わります。焼き魚の切り身が半分だけだと見た目が寂しく不機嫌になるので、大きい切り身を並べて、食事中に『半分ちょうだい』と言って分けてもらったり、果 物が大好きで毎日リンゴを3個も食べるような人でしたから、わずかな果 物をヨーグルトに混ぜて量を増やす工夫もしました」

 その甲斐あって、骨の黒い影は消失していき、しっかりと歩けるようになり、1日3回のインシュリン注射からも解放されました。同じ病気を持つ人達から『そんなこともあるんだね』と不思議がられました。あれから再発もありません。まだまだ油断できず、美知子さんの任務は続いているわけですが、何が彼女をここまでさせてきたのか知りたいと思いました。
 

 「主人は発病した時、80歳までは生きたいと言いました。それを叶えてあげたいと思いました。インシュリンの注射は見てる方が辛く、早く解放してあげたいと思いました。主人のために良い思い出を作りたいと思いました。今日の日は明日になれば思い出になる。機会があれば逃さず、月に一度は近くの温泉に泊まりに出かけます。二人だけだったり、子どもや孫が参加したり、メンバーは常にバラエティに富んでいます。でもね、これは自分自身のためでもあるのです。あの時ああしてあげればよかった、こうすればよかったと悔いを残したくなかった。それは自分が健康であればこそ叶うもので、病気をして主人やほかの家族に迷惑をかけないためにも、日々緊張感を持って生きています。そのために食生活は深く関わっていて、若くて元気な頃は大概無頓着ですが、これは後で大きな代償を払うことになりかねません」
 

 ガンを克服された人の中には、夫婦や親子、兄弟姉妹、友人など形はさまざまですが、良いパートナーに恵まれていることが多いように思います。一日一日を精一杯生きて、1年の終わりの除夜の鐘を一つ一つ感謝の思いで聞いているうちに7年の月日が流れたというお話でした。

朝日ウイル(北燈社)2000年11月14日号より

【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。

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