悪性リンパ腫

冬虫夏草や自然療法、代替療法にご興味のある方々です。

大友純一さん(仮名)の場合

000049-a.jpg 「悪性リンパ腫になったことは、衝撃ではありましたけれど、自分自身を見つめ直す良いきっかけになりました。健康で生き抜き、天寿をまっとうするにはどうしたらよいのか。多くの方達が求め続けているテーマですが、私の経験が少しでもお役に立つのであれば、30年前に遡り、お話しさせていただきたいと思います。

 それまで病気らしい病気をしたことのない私に片頭痛というやっかい者がふいにやってきたのは1975年、20歳のときでした。それは左頭部からやってきて右に移り、目の奥へと進んでいきました。そしてついには首の後ろから目頭に向けてヤリを突き刺されるような激痛に変化したのです。食べた物はすべて吐き出し、それでも吐き気は治まらず、胃液だけが何度も出てくる状態で、2日間起き上がることができませんでした。

 それからというもの、片頭痛は週に1度のペースでやって来るようになりました。その頃から私は機械のメンテナンスの仕事をしていましたが、5日間働いては2日間寝て過ごすというような繰り返し。無事である5日間は仕事を挽回しなくてはという焦りもあって、休憩も取らず必死で働きます。そのストレスや疲労がまた片頭痛を呼び込むのでしょうか。今思えば悪循環を自ら作っていたように思います。

 頭部の精密検査も受けましたが、『普通の人の脳よりずっときれいだから心配ないよ』と言われるだけ。病院からは鎮痛剤が出されました。3年間痛みのない日でも毎日服用し続け、結局は改善されなかったので痛み始めのときだけ服用することに勝手に切り替えました。片頭痛の去った後は嵐の去った後と同じ。暗雲が一気に吹き飛び、パァーッと青空が広がるような爽快さ。好きなことのできるありがたさをしみじみ噛み締めます。寝込んでいたのがウソのようにケロリと元気になるのです。

 それから不眠症というやっかい者が加わるのは20年後のこと。1995年、40歳のときでした。社交ダンスの練習を本格的に始めた頃です。競技会の当日、まんじりともできないまま朝を迎えました。全く眠れないなんてそれまでには経験がなかったことです。競技会は無事に終えましたが、2日後に予定より早く片頭痛がやって来ました。眠れない日があるとすぐに片頭痛の発作が出るようになったので、やむなく睡眠薬の力を借りるようになりました。

 ダンスは若い頃から興味を持っていて多少経験がありましたが、本格的に始めてみるとどこまでやっても底の無い魅力にますます惹かれていきました。仕事を終えてからダンススクールに直行して、帰宅が夜11時過ぎになる生活。疲れているとか、体調とかそんなことはどうでもよくて、熱にうなされてるかのように練習に励みました。ダンスに没頭できたのは妻の理解があってこそで、好きなようにさせてくれた妻にはとても感謝しています。意外な自分にも気付きました。人前でダンスを披露することはとても嬉しいことで、観客が少ないと張り合いがありません。つまり目立ちたがり屋だったということですね。(笑)

000049-b.jpg 40歳を越えると体力的な衰えはごまかせません。若い頃と同じような無茶はできなくなり、何かを削って体を労るようになって当たり前なのに、私はより無理をかけていったわけです。体は悲鳴を上げ始めていたはずです。偏頭痛や不眠症をかかえ、薬でなだめながら仕事もダンスもと欲張る。鎮痛剤や睡眠薬は一層手放せなくなりました。

腹部のしこりに気付き、ろ胞性リンパ腫の診断を受けるのはそれから7年後の2002年のことです。『この病気は治らない』と言われました。『この病気になった人の平均余命は7年』とも。(2009年までの命か...)でもしこり以外に自覚症状は無いし、人ごとのように思いました。私のタイプはろ胞性リンパ腫の中でも進行の遅い種類らしく、治療のために入院するのはさらに2年後、2004年5月12日のことになります。しこりが尿道を圧迫するようになり、片方の腎臓が水腎症になったためです。日本冬虫夏草との出会いはその1ヶ月まえでした。

 2004年5月12日。10月まで7クールの抗ガン剤治療のスケジュールが組まれました。1クールは6時間かけて抗ガン剤4種類、吐き気止め1種類を点滴で投与していきます。点滴は1日で終わりです。投与後3週間空けて2クール目に入るのです。

 1回目の抗ガン剤投与後、5日間ぐらい左腎の周囲が痛みました。2回目からはこのような痛みは全く現れずこれっきりでしたので、これは患部が十分に攻撃された痛みで、私はこの1回目で腫瘍が消失したのではと感じていました。4月以来検査はなく、3回目の抗ガン剤投与後にようやくCT検査をするのですが、案の定、腫瘍はきれいに消失していました。それでも残り4クールの治療は続きます」

朝日ウィル(北燈社)2005年8月2日号より

 

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  「抗ガン剤治療は2004年10月まで。抗ガン剤による治療は5ヶ月以上に及びました。何よりありがたかったのは食欲が衰えなかったということです。それから『投与後2週間すると熱が出るよ』と言われていたのにこれが全然無い。抗ガン剤による免疫力低下で何かに感染しても不思議ではないのに、無菌室に入らずとも全く大丈夫。おまけに今まで苦しめられてきた偏頭痛も無くなったのです。

 思えば二十歳のころからずっと、立ち止まることなく走り続けてきたように思います。こんなに長い間のんびり過ごすことはありませんでした。長いバケーションを取って病院にいるように上げ膳据え膳でベッドにのんびり横になって過ごすことでもあったら、入院するほどの一大事は起きなかったかもしれません。ガン患者さんの中には『仕事をしながらがんばって治すぞ!』なんて人もいますが、無茶だと言いたい。何よりも休養が治すための最短の道。日頃から病気の時に十分に休めるための備えをしておくことが必要です。自分一人が欠けても会社は回っていくもの、自らの反省を込めてそう思います。

 

000049-c.jpg(写真右)2005年4月3日撮影の右足の親指。未だ5本の線が残り、指先の違和感も残っている。


 そんな中でも抗ガン剤のリスクが全く出なかったわけではありません。髪の毛は2クール目で抜けましたし、それを掃除しようとわずか1本の細い毛に触れただけでも指先に痛みが走るようになり、爪には7本の横線が刻まれていきました。冬の間、成長が抑えられるためにできる木の年輪のよう。投与の度にダメージを受けていたことを示す印、7クールの治療の記録です。

 そして何よりショックだったのは、点滴で使用した血管が失われるということでした。赤く着色されたアドリアシンという抗ガン剤を投与した際、液が漏れると皮膚がただれて危険なので、動きすぎて点滴を外すことの無いようにと厳重に注意を受けました。

 右手側の太い血管を3クールまで使用しましたが、血液が通っているのを見てとれる青色のスジではなくなり、白いスジに変質してしまいました。あれからもう二度と血液が通うことはありません。4クール目では左の腕に場所を替えましたが、細い血管を使用すると1回でダメになりました。こちらは赤茶けた色に変色しています。そこで太い血管を交互に使うように私の方から頼むようにしました。同様の治療を始める患者仲間にもアドバイスをしました。血管が消えるとこれから先、簡単な採血をするにも一苦労です。

 4クール目からリツキサンという薬剤が加わりました。6時間の抗ガン剤投与に2時間プラスされるので今度は8時間もの長い間点滴につながれたままになります。これは精神的にもしんどいので、リツキサンは翌日に回して2日に分散してほしいと頼みました。

 現場に患者の意志が取り入れられて、医療がより良くなっていくのが理想ですが、現実には意見を言うのに勇気が必要だったり、言えば機嫌を損ねる医師もいますから簡単ではありません。一部では医療改革が進んでいると耳にしますが、患者の我慢や気苦労がまだまだたくさんあることを知りました。

 入院してからも日本冬虫夏草は続けていましたが、差し障りのないようにウーロン茶のペットボトルに移し換えて飲んでいました。病院側にだって立場や言い分はあるでしょう。『健康に留意してこんな所に来なきゃいいでしょ』と言われたら確かにその通りで、私としては二度と腫瘍を作らないために自ら努力をしなくてはなりません。それは退院してからの過ごし方にかかっています」

朝日ウィル(北燈社)2005年9月13日号より

 


 「7クールの抗ガン剤治療がスケジュール通りに終わり、退院できたのは10月27日のことでした。気になっていた我が家の稲刈りも知人に頼み、終えていました。まずまずの収穫でした。本業のメンテナンスの仕事は4ヶ月先まで休みを入れていますので、しばらくは自宅で養生することになります。

 悪性リンパ腫は血液のガンですから、汚れのない健全な血液を造っていくため、自らの工夫が必要と思いました。血液の中には、病原体や異物やガン細胞などを掃除する白血球の仲間たちが働いていますが、私の病気はその中のリンパ球:B細胞という部隊が不良品のまま出動してしまうために問題が生じたものです。

 その不良品を造ってしまう工場は骨髄で、1種類の造血幹細胞を原料にしてさまざまな血液成分を生産しています。ここは細胞分裂がとても盛んでデリケートな場所。放射線やウィルス、薬物などの影響を受けやすいところです。あえて治療に抗ガン剤を使うのは、不良品でガン化したリンパ球:B細胞を破壊し、骨髄自体を破壊して空っぽにし、まともなリンパ球:B細胞が新たに造られるのを待つため。応急的な手法といえます。

 これは一方では素晴らしい力を発揮するけれど、同時に自分自身を切ってしまいかねない両刃の剣。傷つけられた細胞が新たにガン化したり、そのガン細胞を掃除したくても肝腎の白血球の掃除部隊も破壊されているのでは立ち行かなくなります。不良品のリンパ球:B細胞からまともな細胞を造れる体に立て直してくれる万全な方法ではありません。

 私は骨髄にダメージを与える可能性のあるものをできるだけ排除していこうと考えたときに、睡眠薬や鎮痛剤を長年服用してきたことを振り返らないわけにはいきませんでした。睡眠薬は10年、鎮痛剤にいたっては30年間体の中に入れてきたわけですから。それでも鎮痛剤とはちょうど縁が切れたところでした。片頭痛が入院中にウソのように現れなくなったからです。手放せないのは一方の睡眠薬。私は血液を浄化し体質を変えるため、すぐに取りかかれるものとして食事療法を始めました。

 これまで頻繁に食べていたインスタント食品、甘い菓子類、缶ジュース類、肉類や卵、乳製品、そして魚や塩までも排除しました。そしてゲルソン食をお手本にして、穀類と芋類を主食にし、たっぷりの野菜、豆類、豆製品、海草類、黒ゴマ、ニンジンジュース(リンゴ、レモン、野菜を加えたもの)などで献立を考えいきました。入院前から飲んでいた日本冬虫夏草もそのまま続けることにしました。これを始めて4ヶ月目、とうとう睡眠薬と縁の切れる日がやってきました。就寝前に緑茶を飲んでもすんなり眠れるようになったのです。抗ガン剤の後遺症だった貧血も治りました。鉄分補給のサプリメントではパッとしなかったのにです。


000049-d.jpg その後も化学的な薬剤は一切服用していません。治療が終了してからこれまで、腫瘍マーカーは正常値を維持したままです。退院の際『2~3ヶ月後に再発するかも』と言っていた主治医も『2~3年は大丈夫でしょう』と改めたほど。2005年4月、ダンス競技会に不死鳥のごとく(笑)復活しました。

 ダンスの練習は週1回に減らし、仕事の面では1時間早く退社させてもらい、がむしゃらな生き方はもう止めました。今年の我が家の稲刈りも、晴れた日を待ってのんびりやろうと思います」

朝日ウィル(北燈社)2005年10月12日号より

 

 これで終わりではなく、病気との付き合いはその後もしばらく続きます。
 2005年10月に再発し、2006年11月に消失。2008年7月に再々発し、2009年6月に消失については以下の経緯をご覧ください。

 

   大友純一さんの経緯

1975年20歳 片頭痛との付き合い始まる。
週に一度の発作に痛みのない日も鎮痛剤を毎日服用。
3年続けるが改善されず。
その後は自らの判断で痛み始めの時だけ服用することに。
1995年40歳 社交ダンスを本格的に始める。
不眠症になり、睡眠薬を服用も始める。
2000年 腹部の固さに気付く。病院ではたいしたことはないとの診断。
2002年47歳 腹部に野球ボールぐらいのしこり。
腫瘍であり、ろ胞性リンパ腫との診断。
その中でも進行の遅いタイプということで治療せずにそのまま様子を観察することに。
『ろ胞性は治らない』と言われた。『この病気の平均余命は7年』とも。
進行の早いものだと治り易いという。
2004年49歳  
4月19日 腫瘍マーカーが4,800の異常値に。
腫瘍の大きさは20cm。
尿路が圧迫されて片側の腎臓が水腎症になっている。
4月20日 5種類の日本冬虫夏草の混合を飲み始める。
5月19日 入院。
7クールの抗ガン剤治療のスケジュールが組まれる。
1クール終了後すでに腫瘍消失を実感する。
7月5日 3クール目終了後にCTで腫瘍消失を確認。
治療中、食欲も衰えず、発熱もなし。
免疫力を維持できたためか、無菌室に入らずとも感染症にならなかった。
片頭痛も無くなった。
しかし髪の毛が抜け、点滴を入れた血管も強い薬のせいで失った。
爪には抗ガン剤投与回数と同じ7本の横スジが刻まれた。
8月17日 一旦減った体重が戻ってくる。
10月27日 7クールまでスケジュール通り終了し、退院。
腫瘍マーカー580(正常値)
血液の浄化に取り組む。
常用していた鎮痛剤と睡眠薬を止め、食事療法をし、再発防止につなげたい.
ゲルソン食を基本に、かなり厳しい食事療法を行う。インスタント食品などの加工品全般、菓子類、缶ジュース類、肉類、卵、乳製品、魚、塩分:ナトリウムま でも排除するやり方。日本冬虫夏草は継続。
12月 腫瘍マーカー400台(正常値)
2005年  
1月 腫瘍マーカー400台(正常値)
3月 睡眠薬なしで眠れるようになる。就寝前に緑茶を飲んでも眠れるほど。
抗ガン剤治療の後遺症の貧血も治る。
鉄剤の必要なし。
鎮痛剤は入院中からここまで世話になることなく、一切の化学薬剤と縁が切れる。
腫瘍マーカー469(正常値)
3月14日 職場復帰。
 3月28日 『元気すぎてかえって心配』と奥さんの話。
5月15日 妻と息子の手を借りて無事に田植えを終える。
ダンス復帰。競技会出場

 

   腫瘍再発

2005年  
7月 肉体的に好調で何の痛みもなくマーカーも正常値(707)。
ただ再び腹部にしこりを感じるようになる。
8月26日

これまでの日本冬虫夏草に日本冬虫夏草のCY16番を多く加え飲むことに。

9月26日 食事療法、厳格にやり過ぎなのでは。
食べようとすると吐き気をもよおすようになる。
塩分:ナトリウムを摂ってもいいのでは。
ゲルソン食にこだわりすぎず、自分に合った食事療法を確立する必要があるかも。
10月19日 気になっていた腹部のしこり、CTで腫瘍と診断。
画像では尿路が圧迫されて片側の腎臓が再び水腎症になっているように見える。
マーカー(925)も高くないが再び入院して抗ガン剤治療やることに。
肉体的には好調で痛いところ何処もなし。
これを機に退職。
10月31日 6クールの抗ガン剤治療開始。
これまでの日本冬虫夏草にコウボエキス、落花生種皮抽出物を加え治療を乗り切ることに。
12月 2クール目の途中、腹部を触れるとしこりが小さくなっているのを実感する。
2006年  
1月31日 3クール目終了後、腹水溜まり膀胱炎にもなる。
治るまで3週間かかる。
2月 5クール目に頭痛。ゾーミックという薬を服用し、改善。
白血球500に低下。腹痛が6日間続き、抗生物質投与。
半隔離状態。
3月3日 白血球1300に上昇、半隔離から解放。
2005年に比べ抗ガン剤の副作用がきつくなってきている。
抗ガン剤はもうこりごりと思う。
3月8日 マーカー正常値、500台。
しこりも小さくなっているとの診断。
3月17日 抗ガン剤治療終了。
4月20日 退院。
食欲もあり、もりもり食べる。
6月 マーカー430(正常値)
白血球は1,500〜2,000とまだ少ない。
2005年に比べ、抜けた頭髪の回復が遅く気がかり。
8月28日

血液検査で腎臓のデータに問題なし。
他の数値も正常。ただし白血球数は調べない。

 

消失

11月15日 マーカー正常値、700。
白血球数は4,000に増加。
CTとエコー検査。
残っていた腫瘍がきれいに消失しているとの診断。
退院時より良くなっていることに先生の意外そうな顔。
知り合いの美容師さんから教えてもらったシャンプーとリンスを使っていたところ頭髪も戻ってきた。
オリザジュンAOXシャンプー
オリザジュンAOXスカルプパック
(株)リアル 問078-682-8091
神戸市兵庫区御所通1-3-18
2回シャンプーして、マッサージ200回。パックして10分置き、その後洗い流す。
血液浄化のため、福岡県久留米市の病院で医師の指導のもと、断食療法を行う。
1度目は7日間の日程、
2度目は11日間の日程で行った。
2度目の時、3〜4日目に宿便が出る。
ネズミのフンのような黒〜灰色の粒。
手で触れても付着せずサラッとしている。
臭いは全くない。つぶすと砂のようにサラサラしている。
体重は8kg減。
自宅での食生活:1日2食。
以前のような塩断ちは止めて塩分を取るようにする。
玄米菜食、ゲルソン食のニンジンニュースは続ける。
魚、肉、卵、乳製品は食べないが、ジャコは食べる。
12月24日 抗ガン剤をたくさん体に入れたので肝臓の毒消しにコーヒー浣腸を行う。
2007年  
1月22日 かぜをひくことなく元気。
かぜひきさんの隣にいてもうつらない。
時折心配になり腹部にしこりがないか触るが、ないのを確認してホッとする。
6月7日 昔の体に戻った気がする。
昔のように力が出せるようになった。
それでも稲作の仕事は人手を借りて無理をしないことに。
無理をして体調を崩し、周囲の人に迷惑をかけては元も子もない。
11月15日 稲刈りも終了。

 

    腫瘍再々発

2008年  
1月8日 腹部のしこりを感じるようになる。玉子大。
1月28日 腫瘍マーカー、12月の結果が出て、1,210と異常値。
しこりは若干小さくなっているように感じる。
2月15日 日本冬虫夏草の新しい種類、日本冬虫夏草のCY262番を追加。
4月 腫瘍マーカー2,650に上昇。
6月 あわただしい春の農作業終えホッとする間もなく久留米の病院に入る。
腫瘍マーカー3,390。しこりも大きくなる。
6月10日 温熱療法を行っている近くの病院に移り、温熱療法を試すことに。
全国から患者さんが集まってくる。
2つの病院を行ったり来たりして治療する。
検査では悪い状態と出ているが、体調はいつもと変わりなく元気そのもの。
温熱療法を行いながら、通常の1/5〜1/10の量の抗ガン剤を投与するのが一般的だが、白血球数が少ないため抗ガン剤は使用しないことになった。
6月〜8月に12回の温熱療法を受けることに。
温熱療法3回目。
腫瘍マーカー1,800に低下。
7月1日 PET検査。腹部、頸椎〜胸椎、心臓の裏に腫瘍を確認。
7月25日 日本冬虫夏草の種類を日本冬虫夏草のCY262番、CY10番、CY11番の組み合わせに全面的に変更。同じ組み合わせの粉末も使用。
8月27日 温熱療法12回目。
10回目の時の腫瘍マーカーが3,300と知らされる。また上昇。どうしたら良いのか分からなくなって、頭にきて今までやってきたことを全て止めようと思 う。
8月29日 CT検査。しこりがひと回り小さくなったかなとの見立て。
輪切りでみると所々黒く写って、そこはガンではなくなって石灰化しているものだとの説明。
10月 10月〜11月に抗ガン剤なしで5回の温熱療法を受けることに。
11月6日 自宅に戻る。
腫瘍マーカー2,900。
11月30日 ダンス競技、2種目で決勝まで残る。
2009年  
1月21日 久留米の病院に入る。
エコー検査、しこりが6cmから3cmに縮小。
腫瘍マーカーも463と正常値に。
日本冬虫夏草の別の種類CY113番の粉末を追加。
2月18日 腹部のしこりが触っても無くなった。
心臓のうしろにあったしこりも無くなった。
『温熱療法でこんなに良い結果が出るのは珍しい』と先生は驚く。
日本冬虫夏草を飲んでいることは伏せている。
その後温熱療法を3回やる。白血球が上昇したので、ここで初めて微量の抗ガン剤投与。
4月25日 触ってもしこりが全く無くなった。
6月2日

良くなったので温熱療法は1回で打ち切りに。ここでも微量の抗ガン剤投与。

 

6月6日

消失

腫瘍マーカー383(正常値)
PET検査。全身くまなく調べる。
腹部、頸椎〜胸椎、心臓の裏の腫瘍、全て消失を確認。

 

  再々発腫瘍の消失について

 「2008年7月1日にPET検で腹部、頸椎〜胸椎、心臓の裏に腫瘍が確認されてから、翌年6月6日の検査で、腫瘍マーカーは300(正常値)と下がっておりました。再びPET検査を行い、腹部の腫瘍はどうなっているか、他に現れていないか全身くまなく調べましたが、腹部にあったものは全く見あたらなくなり、消失。頸椎~胸椎、心臓の裏にあったものも消失し、他のどこにも腫瘍らしき異常は見つかりませんでした。その証拠データがこちらです。

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 先の、2月の検査でも先生は、『なんでこう良くなったのか分からない。何が効いたのかわからない』、今回も『奇跡としか言いようがない』と申しておりました。『このように良くなられた方は先生のところで何人ぐらいおられますか』と尋ねると『あなたで2人目です』という答えでした。

 この頃は、白血球数も4,200とこれまでになく増えました。リンパ球の割合も3倍になりました。2002年に余命7年と言われ、その年を迎えましたが、このような日が訪れるとは。大変嬉しく思っています。今現在、ガンと向かい合っている多くの方達に『希望を持って』と伝えたいです」

2009年7月13日のお電話より

 


000049-f.jpg大友さんが精魂込めて育てられた枝豆をいただきました。あまりの美味しさにやめられなくなった程です。

2009年9月8日。

 

 「2009年10月から11月にかけて久留米の病院で断食療法を行いましたが、これまでになく楽に終えることができ、大変驚きました。もっと長くやれそうな程、十分に余力が残っていたのです。この度の血液検査ではほぼ満点の結果でした。
血色素量が若干低かったのですが、病気になる前から血小板か血色素量のどちらかが低いというのがあって気にはしてません。今は自宅のある宮城に戻っています」

2009年 11月11日のお電話より

 

 「2010年の2月に左の耳の後ろにしこりを感じました。久留米の病院でも、宮城の病院でも脂肪細胞というとで心配ないとの診断でした。触るとコロコロと動くしこりです。ガンだったら動かないはずだと自分なりに考えてました。しかし気になるので結局、久留米の病院で摘出してもらいました。すると中心だけにガン細胞がわずかにあり、何かでコーティングされてるというか、ガン細胞が封じ込まれてる状態になっていました」

          2010年11月18日のお話より

 「8月の健康診断で異常なしで、9月のCT検査でも異常なしでした。マーカーも正常値を維持しています。この頃は、いくら働いても疲れず、若い頃の体に戻った気がします。日本冬虫夏草は現在も続けています。日本冬虫夏草との付き合いもかれこれ7年半になります」

20011年9月26日のお話より

 



 

【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。

当研究所の技術を真似た偽造品やコピー品にご注意下さい。

ご注意下さい