肺がん

肺がんを自然消失された方のお話も含まれています。冬虫夏草や自然療法、代替療法にご興味のある方々です。

何傑さん(かけつ 北京市在住)の場合

 「2010年頃から肺に影があるのを指摘されていて、検査を続けていたのですが、大きくならずにいたのでそのままにしていました。

2014になると、とうとう医師から『何かあってからでは遅いので、切っておいた方がいいよ』

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と言われてしまい、心穏やかではいられなくなりました。検査入院をしてる間、肺がんの患者さん3名と知り合いになりました。日本冬虫夏草は7月から飲み始めました。

 

 手術する病院は、自分なりにいろいろ考えた末、日本の病院に決めました。 2014年10月に脇の下から胸腔鏡を入れて、開胸することなく腫瘍を摘出しました。

 

手術中に腫瘍の細胞検査をすると、がん細胞があるということでした。そして、一週間後、保管していた腫瘍で再び同様の検査をすると、がん細胞は無く、『がんでは無い』と言われたのです。その後も日本冬虫夏草は飲み続けました。

 

父が胆管がんで一週間の命

 やれやれとひと息ついたのも束の間。今度は『父ががん』という知らせが待っていました。83歳の父が胆管がんで『このままだと一週間の命』という知らせでした。しかし、父はそこから大逆転の人生を辿ることになるのです。 何傑さんのお父様のお話はこちらです。

 

 私の方は、2016年9月の検査結果では異常無しということでした。検査入院の際に知り合った肺がんの患者さんは一年経たないうちに皆無くなりました。

いろいろお世話になりました。感謝しています。たくさんの人に日本冬虫夏草を知ってほしいし、健康の内に飲んでほしい。弱った人、歳とった人も飲んでほしいと思います」

2017年6月4日のお話より

 「2017年9月の検査結果も無事通過。異常無しでした。只今、来日しておりまして、静岡にいます。冬の富士山も綺麗です。元気で仕事をしております」

2018年2月9日のお話より

河原塚 好光さんの場合

HB144_L_SP0000.JPG 「あれは、1995年の夏の出来事でした。電気工事の仕事がかち合って人手が足りなくなり、経営者である私も率先して現場に出ていました。その年はとりわけ暑くて、30度を超える日は連続して38日。そのうち猛暑日が23日。ヒトの体温と変わらない36度を超える日は7日間もあったのです。

 7月、誰もいない工場での天井付近の高所作業は、まるでサウナ風呂に入ってるかのよう。汗ぐっしょりになって水をゴクゴク飲み、またそれが汗となって吹き出るという繰り返し。次第に体力が消耗していくのを感じていました。そして、その頃から少しずつ咳も気になるようになっていきました。

 8月に入ってからも、ゆっくり休むことはできませんでした。伯父が亡くなったことや、町内会の区長代理で行事に参加しなければならず、土日の休日も返上で動き回っていました。8月下旬の炎天下での防災訓練では、とうとう立っているのもしんどくなって、テントの日陰で休ませてもらいました。さすがにこれは尋常じゃないなと思い始めたのは、打ち上げのときでした。タバコの煙に気持ち悪くなり、ビールは苦くて口をつけられないのです。それまでは、タバコは日に15〜16本、お酒も人並み以上に飲めてましたからね。それからが、病院から病院への漂浪の始まりでした。4軒巡っていずれも『夏風邪でしょう』の診断。体調は一向に良くならず、診断に納得できないまま時間だけが過ぎていったのです。

 8月の末、頭の芯までズキズキするひどい頭痛に襲われました。咳も続いていて、痰には赤い血が混じることもありました。ソファで休んでいると、『仕事にまだ行かないのか?』と父の声。フラフラしながら体温を測ると、39度の高熱。5軒目となる個人病院に駆け込みました。ここで初めて血液検査とレントゲン検査を行いました。『先生、これ大変です!』と看護師さんの声が聞こえました。先生は、すぐに肺ガンだとピンときたようです。写真には肺が真っ白に写っていました。そして医師会でやっている大宮の病院を紹介されたのです。

 

img_001.jpg紹介された病院では、先の検査を踏まえ、さらに痰検査を念には念を入れて3度行いました。その結果 、いずれもガン細胞が検出され、肺ガンが決定的になりました。家族には、『肺の中葉部にガン組織があり、肺腺ガンで手術は不可能、余命3ヵ月の末期』と報告がありました。家族は担当医と話し合って、当人には真実を伏せておこうと決めたそうです。

そういうわけで私に告げられたのは、マイコプラズマ型の肺炎という病名でした。私はといえば『肺炎ぐらいだったら自宅療養させてください』とごねて、『ひょっとしてガンなんでしょうか!』と問い詰める始末です。『こじれた肺炎ですから』と説明するのが精一杯だったように思います。

 

 入院して2、3日安静にしていると落ちついて、少しずつ食欲が戻ってきました。間もなくして弟があるものを携えてやってきました。そして体力をつけるものだから毎日飲むようにと差し出したのです。それが私と日本冬虫夏草との出合いでした。  実は、弟は妻を大腸ガンで亡くしています。末期で手遅れでした。それでも痛みはなくて安らかな最後を迎えたのを彼はつぶさに見ていたのです。私は、日本冬虫夏草を使っていたのを聞いて知っていました。私にガンを連想させないようにごまかして渡してくれたのでした。同じものとは気付かず、勧められるまま飲み始めました。1日700ccは飲みました」

朝日ウィル(北燈社)2004年4月27日号より

 

000040-c.jpg 「今思えば抗ガン剤だと思うのですが、身体に入れた瞬間に大変痛い薬剤がありました。痛みを訴えると『辛かったら止めましょう』と言ってくれたので、すぐに中止してもらいました。それでも合計で2本半は投与したと思います。

 

 

 

 

がん消失。黒いレバーのような塊を口から排泄。

 入院から12〜13日目のことです。咳き込むと同時にどす黒いレバーのような固まりが口から出てきたのです。このようなことは3回ありました。その後はつかえていたものが取れたようにスッキリと感じました。そして入院から14日目のこと。ファイバースコープで肺の中を調べる検査がありました。

先生はモニターを見ながら不思議そうに『おかしいなぁー。ここにあるはずなんだけど何もないなぁー』って言うのです。がんが跡形もなく消えてしまったのです。それでも先生は、告知してない私に『がんが消えた』とは言えない。全てのいきさつを家族から聞けたのは退院後のことです。その後、同部屋(入院時)だった人たちに再会する機会がありました。『こういうわけだ』と打ち明けると、皆が『肺がんだって知ってたよ』と言うのです。先生の態度や言葉の端々から読み取れたということでした。退院後の治療は一切ありませんでしたが、先生は『何かあったらすぐに来るように』と1年間は大変心配してくれていました。1ヵ月おきの検査が2ヵ月おきになり、3ヵ月おきになってなって、5年で無罪放免になりました。日本冬虫夏草は量 を減らしながらも5年間飲み続けました。

 

【経   緯】
1995年9月4日 
入院。肺がんで余命3ヵ月と家族に知らされる。氷枕、点滴、午前と午後2回の吸入。
9月6日 
食欲が出てくる。
9月8日 
日本冬虫夏草を飲み始める。
9月11日 
熱がすっかり下がり、平熱に。
9月16日 
咳とともにどす黒いレバーのような塊が吐き出される。
9月17日 
同じく吐き出す。
9月18日 
ファイバースコープで検査。あったはずのがんが見つからず消失。
9月20日 
退院。

 

 それまでの私は、経営者としての責任もありましたし、ずいぶん体を痛めつけて生きてきたと思います。それを振り返って生き方を変えなければまた再発ということになりかねません。40代の頃は、1週間、夜寝ないで働いても大丈夫でした。電気工事は、工場や店舗では夜中に集中して行うため、そういうことも度々でした。

そんな体力も年齢とともに落ちていくのが当たり前なのに、同じようにできると過信していました。つまずいてみて初めて気付かされます。体は自然物だからその自然の流れに逆らえば、その無理は必ず病気となって現れます。年齢とともに仕事のやり方も変えていかなければ...。

思い切って電気工事部門を縮小しました。そして新しい仕事に着手しました。できる限り指示を出すだけの役目に徹し、社員に働いてもらうことにしたのです。不思議なもので仕事は次々と舞い込んでくるようになりました。おかげさまで会社の経営は大変順調にいっています。町内会の区長代理と地域の企業協会の事務局長も辞任しました。がんにならなかったら現在の穏やかな生活はなかったかもしれません。

000040-d.jpg 健康のためにやってることがあるとすれば、犬が3匹いるので朝晩の散歩でしょうか。自宅では他にジュウシマツやインコ、卵を食べて体力をつけるようにと友達がプレゼントしてくれた烏骨鶏がいます。動物とのコミュニケーションは何にもましてリラックスして幸福な気持ちにさせてくれます。食事はあっさりした和食を好んで食べていますね。魚は食べますが、動物性の肉は嫌いになり、食べられなくなりました。自然とこういう食事になっていきました。病気をしてからはタバコの煙がダメになりましたし、お酒も前のようには飲みたいと思わなくなりました。

 周囲にがんの人がいれば、自分の経験を話させてもらっています。すると皆、不思議と治っているのです。これもがんにならなかったら得られなかった喜びですね」

朝日ウィル(北燈社)2004年5月25日号より

 


 

 「がんが消失してから、再発なく元気に今年で10年を迎えます。仕事は忙しいですが、この夏も無理せずできるだけ体をいたわるように心掛けています」

2005年6月26日のお電話より

 

 「埼玉では、本日、気温37度・湿度75%を記録いたしました。職場はまるでサウナに入ったようです。私の身体もすっかり丈夫になり、暑さにも負けずに頑張っております」

2006年6月28日のお便りより

 

 河原塚さんよりご自身で栽培した見事なジャガイモが届きました。「毎日が慌ただしく過ぎていきますが、もうサクランボの季節だったんですね、img_002.jpg私も毎日元気に暮らしておりますのでご安心ください。最近、庭に小さな畑を作り、野菜を育てて楽しんでおります。この度ジャガイモを収穫いたしました。完全な無農薬の有機栽培ですので安心してご賞味いただけますようお届けさせていただきます」

2007 年7月1日のお手紙より

 

 「4月下旬には、卒業から50年目の中学校の同窓会がありました。久しぶりに合った懐かしい友も皆、お爺さん・お婆さんになり白髪頭に禿げ頭が目立ってきました。皆、私生活にゆとりの生まれる時代に入り、私にも良い友が1人増えましimg_003.jpgた。連休には、岐阜に転勤している息子家族が帰宅いたしました。今までは恥ずかしがりやの孫娘も2歳と4ヶ月になり一層可愛さも増し、楽しい日々を過ごしました。体力も弱くなった昨今、仕事はやめようかと思いましたが、周囲から『続けた方がいいよ』との助言もあり、ペースダウンして続けております。ストレスを貯めないよう慌てないでゆったりと過ごしております」

2008年5月15日のお手紙より

 


 

 「連日の暑さは、発病した1995年当時を思い起こさせます。当時と違うのは、無理な仕事はしてないということです。ゆったりと過ごしております。再発なく元気に15年が経とうとしています。

 この頃は余裕ができた分、飛べなくなった野鳥を自然界に返すというボランティア活動(県の委託受けて)をしています。世の中には野鳥を不法飼育してる人がいます。野鳥を捕獲するのも飼育するのも犯罪です。被害にあった野鳥は飛ぶことも自分で餌をとることもできなくなっています。それをリハビリによって復活させるのです。元に戻すまで約1年の時間を要します。

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まずは、狭いカゴに入れられて飛ぶ力がなくなってしまった鳥を徐々に広い小屋に移しながら大空を飛ぶことが出来る様に。そして、野外ではカラスなどの外敵の餌食にされぬ様、素早い行動が取れる様に。人工の餌に慣れてしまった野鳥を虫やミミズなどの自然なものが食べられる様にとリハビリを施していきます。

 

コツは過保護にしないことですね。自然は厳しいですから。自然の中で本来の生活をするのが彼らにとって一番の幸せですからね。私にとってもその門出を見届けるのが何よりの幸せです。

しかしながら全てが野生に戻れる訳ではありません。翼を失ったもの、体が変形したりで野生に戻れずに当家が終の棲家になり、終生飼養になる鳥類の多数いる事に心が悼みます。世話になった世の中に、何かの形で恩返しをしたいという気持ちでやっております」

2010年8月11日のお話より

 

 「2012年6月の中旬に亡き母の一周忌の法要が、親戚・隣組・母の友人など大勢のご臨席を頂きしめやかに執り行われました。命日は7月3日ですが、土日の良い日という事を考慮した結果の日程でした。

葬儀が終わってからも中々外出する気になれないで居りましたが、是を機に母の冥福と家族の健康を願い、坂東三十三観音霊場めぐりを行いました。FN158_L.jpg

神奈川県の杉本寺が圏内最古の寺で、札所の1番寺となっております。この先、埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉と回り、中間に番外ですが巡礼の寺とされている銚子の満願寺を参拝して、結願寺の33番札所は千葉県の館山にある那古寺です。 どの寺も、歴史ある堂々とした佇まいで空気が清々しく、心洗われ、まるで別世界にいるような気がいたしました。

 この旅は単なる観光ではなく、母が無事極楽浄土に行ける様、私が健康で、家族・家庭の安泰を願い、そして社業がますます繁栄するようにと願いを込めた巡礼の旅といたしました。寺院ではまず手水所で自分を清め、般若心経・観音経を唱え、ご本尊である観音様に願い事をいたしました。観音様といっても一人ではなく寺院によって様々です。多く目立つのは十一面観世音菩薩が多く、次いで聖観世音菩薩、千手観世音菩薩です。正観世音菩薩、延命観世音菩薩が一箇所づつでした。

行程は電車・バス・タクシー・車・駅から歩きでと様々で、ガイドブックを片手に、行く先々では地元の皆様に丁寧に道案内をしていただき本当に助かりました。

CR168_L.jpg栃木の大谷観音は、大谷石の岩壁に何体もの仏像が浮き彫りにされて、その岩壁に寺院の建物が建立されておりました。茨城の楽法事では、孔雀が3,4羽放し飼いにされていて参拝客の間を自由に歩いておりました。また、千葉の満願寺の近くには、地球が丸く見える丘公園があり、360度水平線と地平線が見渡せ、『本当に地球は丸い!』と印象的でした。

 1995年に、私が体調を崩して肺がんになったのを機に、町内会の区長代理と地域の企業協会の事務局長を辞任いたしました。それから、間もなく1年が経とうとする頃、父親が末期のがんで闘病生活に入り、昼は母、夜は私が病院に詰めておりました。普段は頑固な父親でしたが、すっかり気弱になり仕事先に『すぐに来て』と頻繁に電話が入るようになりました。弟と妹が居りますが、気難しくて対応ができないみたいでした。日本冬虫夏草を飲ませようとしましたが、体に入っていきませんでした。

7月の町内の祭礼(当時年行事)の翌日。『今日はずっと此処に居るよ』と言ったところ、安心したのでしょうね。安らかな寝息が聞こえてきました。その後、しばらくして痰が絡むようになり、喉がゴロゴロ鳴り出しました。心配になり先生に診察して頂いた所、胃液が逆流して肺の組織を侵している危篤状態とのこと。家族・親戚に連絡を取り父の元に戻ったのが夜の7時過ぎ、昏睡状態でした。

家族・親戚等が身守る中、『爺ちゃん、みんな来てるよ、良くがんばったね、もういいよ』と耳元で囁くと、まるでローソクの火が消えるように静かにスーと息を引き取りました。

 その後、相続問題、社業の方向転換等相当な試練がありました。電気工事でお世話になっているお客さんの所で最新式の効率の良い機械に入れ替えることになり、従来の機械を戴けることになりました。理由は機械の修理・調整を自社でできるので、後々の世話をしないですむからだそうです。この機械はポリエチレン袋の製袋機でスーパー・お店で買い物したときにレジで渡す袋を作る機械です。1台また1台と増え、何時しか一番若く、小さい外注先だった我社が他社に勝るとも劣らぬ会社になりました。

それから数年経ち、親会社の周りには住宅が立ち並び、騒音による苦情が出始めました。市街化区域に指定され、税金の高騰もあり、会社の移転もやむなしとなってしまいました。。親会社は系列の宮城県にある仙台工場と統合されることとなり、当社は埼玉方面のセンター工場となり、材料・資材の中継をすることになりましたが、国会でレジ袋削減の法案が通ると一気に受注が激減してしまいました。当社の機械はレジ袋専用機のため、他の仕事に転用できず廃業に追い込まれました。その後は、アパート・駐車場の運営・管理をしながら電気工事の仕事をしています。

 こうして、仕事が一段落した頃、母を連れて良くドライブに行きました。車で出かけるのはすごく楽しいようでした。『今日は暇?』と尋ねる母に『何処か行く?』と聞くと、『うん』と答えて子供のように喜んでくれました。

そんな母も一昨年体調を崩し通院していましたが、大正生まれの我慢強さが災いして、正直に症状を言わないので病気を見つけられず、判った時には消化器全般にがんが広がり、手術も出来ないほどでした。腸を切り詰め、人工肛門にし、お腹には膿を排出するチューブを挿入された姿を見たときには言葉を失いました。主治医から余命半年と告げられました。

傷口がきれいになり退院する事になりました。施設に行くか自宅に帰るかの選択を求められ、私たちは、訪問介護を受けながらの自宅療養を選びました。少しで間長く傍に居てあげたい。自分のベッドで寝かせてあげたい。どんな看病でもする覚悟で、家族みんなで頑張りました。もはや日本冬虫夏草を飲むことは出来ませんでした。

 ちょうど私の仕事が一段落したときに、二人とも永眠したんですね。このタイミングは仏様の引き合わせでしょうか。悔いることなく看取ることが出来ました。二人とも痛みはなく、安らかな最期でした。

 

img_004.jpg 坂東三十三観音巡りは、10日間ぐらいでしたが、山の上にあり参拝も大変でした。家内と娘を連れて行きましたが、両者とも1日でリタイヤでした。良く結願出来たと我ながら感心しております。幼馴染は『あんたはお母さん子だったからね』と笑っていました。

 

 

 

 私のがんimg_005.jpgが消滅してからすでに17年が経ちますがまだまだ元気でやっております。元気の秘訣は散歩です。毎日朝・夕2回愛犬と歩いております。黒の豆柴です。家では番犬ですが、散歩の時はかわいいワンちゃんです」

2012年11月18日のお手紙より

 

 

 

 

 「今年の3月で同窓生は満70歳(古希)を迎えます。昨年の10月頃より計画しておりましたが、年明けと共に計画が急ピッチで進んでいます。同窓生・恩師を合わせて120名余りおります。目下、『幹事さんご苦労様。楽しみにしております』のメッセージを頂き、十数名の役員と増々張切って準備をしております。会長とは名ばかり。スタッフの皆様方の協力に掛けております」

2013年2月3日のお手紙より

 「庭の甘柿がたわわに実りました。ちょうど食べ頃です。主人にもいでもらって送らせていただきます。家族皆元気でおります。」

 2013年11月9日の奥様のお話より

 とても甘く美味しい柿でした。ご馳走さまでした。

 「地元の神社の要請を受けて、まつりばやしの伝承をすることになりました。子供たちに笛、太鼓、鉦(かね)等の演奏を指導するのです。子供たちと楽しい時間を過ごしています」

2014年7月23日のお話より

 「天候の良い日を選んでお寺巡りをしています。主人はいつも元気に出かけて行きます。がんの消失から19年が経ちました」  

2014年11月20日の奥様のお話より

 「スポーツ吹き矢を始めました。体も鍛えられています。肺活量も増えました。風邪もひかなくなり、すこぶる元気でおります」 

2015年6月19日のお話より

 「スポーツ吹き矢の競技会に頻繁に参加しております。賞品もいただいてきてるようです。プレハブ小屋の2階に練習場を作りました。車4台分が入るスペースで、以前は倉庫として使用してた所を片づけたのです。肺が丈夫でなければできない競技です。余命3か月の肺がんだった人とは思えません」

2015年11月15日の奥様のお話より

 「スポーツ吹き矢に変わらず元気に取り組んでおります」

2016年6月22日の奥様のお話より

  「スポーツ吹き矢の練習は、12時半から15時までほぼ毎日やっています。この2時間半は休みを取らずぶっ続けです。午前中は『一日休むと大変になるから』と言って、庭の掃除や草取り、剪定も毎日欠かすことはありません。8月に白内障の手術をしてから、良く見えるようになり、これまで以上に的に命中するようになりました。来年10月で75歳になります。ますます元気でやっております」

2016年11月18日の奥様のお話より

眞壁秀夫さんの場合

※前立腺、膵臓がんは中盤。肺がん、乳がんのお話は末尾にございます。

 「私はもともと胃が弱く、疲れると痔になりやすい体質でした。2001年4月から出血が始まり、いつもの痔と思って暮らしていました。でも一向に良くならないんです。近くの総合病院で診てもらうとあっさり何ともないと言われてしまって。それから釈然としないまま4ヶ月が経過しました。痛みは全くないのですが、出血はさらにひどくなっていきました。

000044-a.jpg 8月30日。いよいよ県内でも有名な肛門科の個人病院で診てもらうことにしました。そこは18年前に痔の手術をしたところでもありました。内視鏡で調べてもらったらモニターに一瞬やけどのただれのような部分が映ったんです。内視鏡はゆっくり移動して、腸壁をモニターに映し出していきますが、どういうわけか肝心な部分にさしかかると先生はさりげなくサササーッとスピードを上げちゃうんですよね(笑)。これは見逃しちゃいけないと思ってね、私も必死です。問題の部分は赤黒く変色していて周囲が白くなっているのが分かりました。細胞検査もやって、すぐに大学病院を紹介されました。

 6日後。個人病院の検査をもとに、大学病院でようやく直腸がんの診断が下りました。『手術で開いてみて、患部が肛門に近ければ人工肛門になるよ』と言われました。
手術までは1ヵ月以上あるので、自宅でやれることはやってみようと思いました。日本冬虫夏草を飲み始めたのは翌日からです。腸に負担をかけないよう、主食をモチ米質の少ない粘り気のない米に切り替えることにしました。それはキヨニシキという銘柄で無農薬無肥料米。日本冬虫夏草の浣腸もやってみました。そして出血量が徐々に減っていくこととなり、開始から25日目、ピタリと止まったのです。それ以降出血は全くありません。

 私はこの病気を機に、体の変化についてメモをとるようになりました。

 

2001年4月
出血が見られるようになり、総合病院で検査するが問題ないとのこと。
8月30日
再び個人病院での検査後、大学病院を紹介される。
9月5日
大学病院では直腸がんの診断。
9月6日
日本冬虫夏草を飲み始める。日本冬虫夏草の浣腸を思いついて試してみる。膿みたいなものが出てくる。
9月8日
胃の弱いのが気になっていたが、負担が無いようだ。
9月9日
なんとなく調子がよい。足がポッカポッカと温かくなる。まるで湯たんぽをあててるようだ。夜はすぐに熟睡。朝までぐっすり。
9月11日
便器いっぱい真っ赤になってたのが、出血が減って真っ赤な血が便に薄くつく程度になった。
9月17日
便が黄金色になってきた。便には赤茶色の血のスジが入る程度。
9月27日
腸に負担をかけないよう、粘り気のないキヨニシキという 銘柄の無農薬無肥料米を主食にする。
10月1日
キヨニシキを食べてから5日目。便に血のスジもなくなった。
10月3日
入院。相変わらず出血はない。以後出血はなし。主治医は日本冬虫夏草もキヨニシキも自由にやってくださいと言う。


000044-b.jpg 10月15日に手術。人工肛門は避けることができました。以前、身内がこの同じ病院で大腸がんの手術をした際、摘出した部分を見せてもらったことがありました。患部は黒ずんだ紫色で、500g~800gはあったでしょうか。両手でないと収まりきれない量でした。今回はどういうわけか、摘出した部分は家族の誰にも見せてくれませんでした。何センチ切ったのかもわかりません。赤黒くただれていた部分がどう変化したか見たかったですね。

 

前立腺に異常発見!消失!

   手術から5日目。残尿検査を受けていると、CTに影が映ったことがありました。前立腺のところです。腫瘍マーカーは6.5の異常値。あせって日本冬虫夏草の量を増やして毎日700cc~1050cc飲みました。1週間して再びCTを撮ると、今度は影は消失していてマーカーも2.5の正常値。先生は『あれっー。不思議だねー』とずいぶん驚いていました。すぐに『眞壁さん、何飲んだの?』と聞いてくるから、私はドキッとしてとっさに、この泌尿器科の先生には『何も飲んでません』と答えてしまいました。そしてこの2枚の写真のコピーをいただきたいと申し出ると、『病院間でのやり取りで必要があれば出すけど、それ以外はお渡しできない決まりになっています』と断られました。写真を見れば変化が一目瞭然なので、皆さんにお見せできないのが残念です。

 

10月15日 
手術。人工肛門を免れる。
10月20日 
前立腺の腫瘍マーカー6.5の異常値で、CT検査で影が見つかる。日本 冬虫夏草の量を2〜3倍に増やす。
10月27日 
腫瘍マーカーは2.5の正常値に下がり、CTの画像から影が消失。3年 越しの低温やけどの患部がきれいに治る。

  それからもう一つ、不思議なことがありました。私は3年前にカイロで低温やけどを負っていました。足の患部はそれからずっと炎症が治まらないままだったのですが、退院する頃にはきれいに治っていたのです。

 他の治療は一切なく、手術から1年が過ぎ、長いこと悩みの種だった胃の調子も良く快便の毎日です。昨年、告知を受けた時、すぐに社長のイスを息子に譲りました。私は10年前にサラリーマンを辞めて現在の会社を興したんです。睡眠時間は毎日4~5時間。とにかく働きました。肉類が好物でよく食べていましたね。病気を治すためにそれを止めて、野菜をたっぷり摂るようにしました。お酒は4、5年前から飲んでませんし、タバコはもともと吸いません。

 仕事をやめてから体調のコントロールが利くようになりました。外に出たくない雨の日には終日家で休み、睡眠不足の日は日中自由に眠ることができるわけですから。仕事をしていたら休みたいときに休むことは不可能で、必ず無理をします。これでは自分自身を裏切ってることになりますよね。この病気は痛みがなく、働くこともできますから、あなどってしまうことが非常に怖いんです。

 

000044-c.jpg 近頃は、野菜を作ったり、魚を釣りに海に出たり、自分のペースでやっています。来年は米作りに挑戦しようかと思っています。最近、腸に良いレシピを発見しました。シシトウの佃煮です。とても良い便がでますよ」

朝日ウィル(北燈社)2002年11月19日号より


 「間もなく手術から2年になります。この度のCT、MRI、マーカー、肝機能検査ですべてが正常で、『検査の間隔を伸ばしましょう』と言われました」

2004年9月2日のお話より


 「2006年3月の検査でγ-GPT(肝の状態をみる数値:正常値0~50)が200以上あったのが、この度の検査では60まで下がっていました。その他はどこも正常で、主治医から『もう検査に来なくていいよ』と言われました。そう言われてもまた行くつもりです(笑)。

 γ-GTPの数値が気になってから、日本冬虫夏草の種類をCY42番に変えて飲みました。又、今年になってからお酢療法を始めて肩こりがなくなりました。

 1日1錠の血圧の薬(10年前から)と1日2回2錠ずつの尿酸を下げる薬(20年前から)は続けています。血圧はしばらく安定していて服用を忘れることもしばしばです。もし上昇したとしても肩のあたりが重苦しくなるのですぐ分かります。肩にサロンパスを貼ると血圧がスーッと下がるので不思議です。根を詰めることをするとどうしても血圧は上がるようです。

 自分の体とは長い付き合いなので、くせを心得ていてその都度コントロールしているつもりですが、とことんがんばってしまう性格はたまにコントロール不能となり、ここが反省するところなのでしょう」

2006年8月2日のお話より


000044-d.jpg 「ここ1年は疲れるということがありません。ゴルフに行ってもそうです。若いときの体に戻った気がします。今年は同級会がありました。自分で言うのも何ですが、級友たちは顔が皆しわくちゃで、私だけ顔がピチピチしてたので『どうなってるの?』と思いました。

 日本冬虫夏草は量を減らしながらも続けています。手術から5年が過ぎました」

2006年11月24日のお話より

 

膵管に異常発見!消失!

 「2007年4月に心臓の血管にステントを入れる手術をしました。血管が詰まって倒れたのです。心臓の薬が追加され、一日に服用する薬は7種類となりました。しばらくして、γ-GTP(肝機能数値:正常値0~50)が749まで上昇したので検査を続けていくうち、膵管狭窄と肺に影が見つかります。そしてどちらも治療なしで解決していくのですが、その経緯を報告させていただきたいと思います。

 

【経緯】
2007年4月
ステント手術。これまでの血圧と痛風の薬に心臓の薬が追加され、7種類に。
6月

γ-GTPが749まで上昇。

9月10日
 

膵臓の内部、膵管に異常発見!

 

MRIで膵管の狭窄が見つかり、医師から『ここに出るのはまずがんなんだ』と説明を受ける。
細胞を取って調べる予定。姉と弟を共に膵臓がんで亡くしている。二人とも54歳の若さだった。医師はこの点を重要視。日本冬虫夏草をこれまでと比べて多め に飲むことに。毎日350ccを1ヶ月は続ける。日本冬虫夏草のCY16番の割合も増やす。

 
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11月13日

消失!

ERP(ERCP)検査を行う。これはファイバースコープを膵管まで通して調べるもの。先端のブラシで狭窄の部分から細 胞を取ることになっていたが、膵管の狭窄がきれいに治っている。
CT写真でも異常なし。大学病院では、写真のコピーをもらうことができないので証拠になるものとして、診断書を書いてもらう。

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肺に異常発見!消失!

 

11月31日

肺に異常発見!

PET検査。右の肺に光るものが見つかった。
9月のレントゲン検査では何も写らなかったのに。
肺以外は全身異常なし。
家電屋で吸入器を購入し日本冬虫夏草の吸入も試すことに。

12月11日
旧型のCT機械で撮影。何も写らず。
12月20日
レントゲンに影が出る。
2008年1月30日
レントゲンでやはり影が写し出される。
『こういうのは間違いなくがんなんだ』と言われる。拡大してみると患部がはっきり浮き出る。それでも12月より薄くなっているようだ。3cmのモミジ形の影有り。(これは画面から外れてしまう)
000044-h.jpg
2月1日
γ-GTPは78まで低下。肝臓の薬ウルソ出される。
血液データ、その他全て異常なし。
3月12日
新型のCT機械が導入される。
やはりプチプチと影が写る。
3cmのモミジ形の影もプチプチと点となって散らばり、消えかかっているようだ。
3月26日

γ-GTPは33の正常値に。

9月16日

消失!

新型のCT機械で撮影。
プチプチが写っていない。
かすかに写っているようにも見えるが、『この程度のものならレントゲンでは全く写らない。異常なしとの診断になりますよ』と言われ。『次回またCT写してください』と申し出ると、『このように良い状態だし、CTといっても放射線を浴びることだからそれで刺激されるし、そっとしておきましょう。PETもレ ントゲンも皆放射線です。検査はこれで打ち切りです』と断られた。

 

 写真のコピーは入手不可能でしたが、意外にも『家族が心配しているので、携帯のカメラに写させてください。これを見せたら安心すると思います』と申し出ると、快くOKが出たので驚きました。割合きれいに写りましたのでメール送りました。これが証拠写真になります。それから日本冬虫夏草を飲んだことは、先生には伏せております。

 昨年来、体中をくまなく検査して全身異常なしのところまで漕ぎ着けました。安堵しているところです」

2008年9月22日のお話より

 

 「一昨年膵管狭窄が治り、昨年は肺の影が消失。それ以来変わらず元気にしています」

2009年3月4日のお話より

 

 「今年は知り合い2人が膵臓がんと乳がんになり、手術前から日本冬虫夏草を試しました。両者とも術後元気に仕事をしているというから驚いています。私は、変わらず元気にしています」

2009年12月12日のお電話より

 

知り合いが末期のすい臓がんに。末期の乳がんの女性も現れ。

 「変わらず元気に過ごしております。約一年前、知り合いが膵臓がんの末期と診断され、家族皆『もう助からない』とあきらめていたところ、『私のようなものがいるからあきらめるな』と励まし、手術前に日本冬虫夏草を飲むことになりました。
 すぐにおしっこがジャーと出てびっくりしたそうです。膵臓がんの検査では尿量が重要視されます。おまけに土色だったおしっこも無色透明になりました。

 そして、ずっと上がり続けていた腫瘍マーカーが1週間程で下がり始めたのです。吐き気も治まってごはんも食べられるようになりました。術前にはGM031_L.jpg痛みも無くなり、鎮痛剤とも縁が切れていました。それでも手術は当初のプラン通り行われました。膵臓と脾臓、十二指腸と胆のう・胆管まで全部取りました。

 それなのに現在はトラクターを運転し、農作業に励んでるというから驚きです。無理はして欲しくないですが、具合が悪かったら動けないだろうし、余程体調が良いのだと思います。病院の治療は現在何もしてないそうです。

 また、昨夏、乳がんの末期と診断された知り合いを訪ねたところ『もう助からないと』家族が泣いていました。同様に励まし、日本冬虫夏草を飲むことになりました。手術前のCT画像に変化が現れ、『何か飲んでるの?』と尋ねられました。そこで『何も飲んでません』と面倒を避けるために用意しておいた答でとぼけたそうです。術中の細胞検査で『がん細胞は陰性』と出て、術後の抗がん剤、放射線治療はスケジュールから外されました。今年2月の検査では『がんは体から無くなったよ。どこにも無いよ』と言われたそうです」

2010年4月2日のお話より

 

 「今年の夏は異常に暑かったですね。でも一切バテることなく畑仕事ができたのですから本当に不思議です。私の場合は日本冬虫夏草を飲むと体温が上がってくるようで、気温との差が縮まって暑さが気にならなくなるというか、肉体労働が全く苦にならなかったのです。そのとき蒔いた種がいよいよ育って、大根と白菜の収穫の時期となりました。味には自信があります。こんな幸せなことはないです」

2010年11月12日のお話より

 「被災された方々にいくらかでも野菜をお届けしようという思いがあって、趣味だった畑は、作物を増やし本格的になってきています。今年は、6月から暑くなりました。梅雨入りは平年より9日遅く、梅雨明けは平年より16日早くて、観測史上最も短い18日間。平年の4割の長さしか無かったようです。(梅雨期間:6/21~7/9)

8月になると30度を超える日照りが2週間ほど続きました。作物のためには、手間を惜しみません。根元に穴を開け、空気を入れてやります。その後、丹念にじょうろで水を流し込んでいきます。すぐに穴は塞がってしまうので、翌日にはまた一から始めなくてはなりません。その繰り返しです。移植ベラで根切りも行います。根を切ると根を張ろうとがんばってくれます。良い根が地面にはびこり作物が良く実るのです。

 昨年もそうでしたが、不思議なことにいくら畑で身体を動かしても疲れを全く感じないのです。畑でやることは毎日新しく出てきて、朝5時から夕方5時まで動きっぱなしの時もあります。海に出掛け、その足で畑の作業という日もあります。健康面での不安は全くありませんでした。 

 そんな中、8月12日の未明に異変が起きたのです。その日は、パジャマの上着を脱いで何も掛けず窓を開けっ放しでうっかり寝入ってしまいました。そして、40度の熱と体中の痛みで飛び起きたのです。左足も、ふくらはぎからつま先まで驚くほど腫れています。

すぐに病院に行って血液検査をすると、CRP値が19と異常値。白血球も1万を超えていました。感染症、リウマチ、通風、心臓疾患などを疑い、数日かけて消化器内科、整形外科、循環器科、皮膚科専門の個人病院と検査を受けて回りましたが、どこも悪いところが無く、原因がつかめないまま時間が経過していきました。薬剤の投与もありましたし、日本冬虫夏草もいつもより多めに飲みました。IMG_0920_SP0000.JPG

足の腫れはそのままでしたが、15日には平熱に戻り、CRP値も白血球数も下がっていきました。24日にはその数値も正常になりました。この頃には『もう病院に来なくていいから』と言われてしまいました。足の腫れもしだいに引いていきました。

 いったい何だったのでしょうね。炎天下で畑をやり過ぎたのですかね。本当は疲れてるのに疲れてる感覚が分からなくなっていたのですかね。結局この件で、CTもMRIも心電図も血液検査もさんざんやったお陰でどこも異常がないというお墨付きをいただきました。もちろんがんの心配も無いということです。自己コントロールが効かず、ついついがんばってしまう性分こそ病気ですかね。これは一生治らないかもしれません」

2011年9月1日のお話より


img020.jpg 「すこぶる元気にしております。検査データーを見て主治医が驚くほどです。『何やってんの?』と聞かれます。この頃は、腕や足に筋肉が付いたのを実感しています。畑作業で出来た筋肉です。ジムで鍛えるのと違い、畑だと野菜というご褒美が出ます。

皆、健康になりたかったら畑をやりなさい。きれいな空気と、筋トレ、ビタミン・ミネラルたっぷりの新鮮野菜。健康になるための要素が揃っています」

2012年6月20日のお話より
 

 「1000~2000坪の畑を一人でやっています。その作業に慣れるまでは大変でした。この頃は45~46才ぐらいの体に戻った気がしています。体重も4kg減って68kgです。健康を実感しております。」

2014年7月3日のお話より

 

 「2011年の夏のようにCRP値が上昇して、3月初めに発熱と下痢で緊急入院しました。コウモリの糞を掃除したのが原因かと考えています。病院の診たては原因不明。今は、元気になり、農耕に精を出しております」

2016年3月29日のお話より

斎藤康夫さん(72)の場合

000041-a.jpg 神奈川県茅ヶ崎市在住の斉藤康夫さん(72歳)は、肺ガンを克服されてから再発もなく、お元気で過ごされています。ご本人にこれまでのお話を伺いました。

 「朝、痰の中に赤い血が混ざっているのに気付いたのは、1998年の10月末のことでした。診てもらうために、その日のうちにひとりで病院に出かけました。そしたら入院と言われましてね。一週間、検査入院しました。検査結果 は、私と家族の揃ったところで告げられました。肺と肺のつなぎめのところに腫瘍があって、肺ガンということなんです。レントゲン写 真を見ると管のところに影があって、その中の3箇所部分がさらに濃く写 し出されていました。

 先生から、『ここは手術のできない場所なんですよね』と言われて。抗ガン剤と放射線治療をやるということでした。告知された時、初めはびっくりしましたけど、もともとくよくよしない性格というか、開き直って『まな板の鯉になったつもりで先生にお任せしますよ』と言ったんです。家族は、『お父さんにきちんと告知してくださったということは、治るということだから大丈夫よ』と励ますんです。それでも家内は心配だったのでしょうね。姉に相談したら、姉の提案で、日本冬虫夏草とサルノコシカケを送ってもらうことになったようです。

 病院の治療開始と同時に日本冬虫夏草は1日350cc、サルノコシカケは家で煎じたのを病院に持ってきてもらい、1日1リットルは飲みました。病院側には番茶を飲んでるとだけ言ってね。3ヵ月の入院の間に、1日1回の抗ガン剤投与が全部で3回、放射線は約30回あてました。こういった治療は副作用がきついはずでしょ。不思議なのは髪の毛が若干抜けた程度で吐き気は一度も無く、弱るというのが全く無かったことです。とにかく元気でしたから退屈で、5階にいた私は、1階の売店まで散歩に出かけたり、病院内をあちこち歩き回っていました。一度だけ動きすぎて熱が出ました(笑)。孫が学校帰りにいつも様子を見に寄ってくれました。入院生活は、毎日気分良く、笑って過ごしたという記憶しかないですね。

 開始から20日目。レントゲン写真を見ながら先生は、『進行してないよ。良くなってきてるよ』と言うのです。さらに10日後のことでした。黒いドロッとしたものが口から出てきたのです。これまで時々、きれいな赤い血の混ざった痰は出てきましたが、こんな色のものは初めてでした。それが2、3日続きました。吐き終わったらなんだかとてもすっきりして、体が軽くなったので驚きました。それまでの体調は、自分では気付かなかったけれど、実際のところ本調子ではなかったのでしょうね。その時は、肺の悪いところがはがれて全部吐き出されたんだなと思いました。その後、血痰のでることは二度となくなりました。

 それから2ヵ月病院にいて、最終的に言い渡されたのは『斉藤さん、治ったから退院していいよ』という言葉でした。そして2枚のレントゲン写 真を見せてくれました。1枚は一番最初に写したもの。もう1枚は最近のものです。あの影もあの3つの濃い固まりもきれいに取れていました。先生は『治りが早いなあ。信じられないなあ』と驚いていました。そして薬も一切出されることなく退院しました。

 日本冬虫夏草とサルノコシカケは量を減らして現在も続けています。私は体だけは丈夫でそれまで病気をしたことがなく、薬を飲んだこともありませんでした。ただタバコだけは人一倍吸いました。多い時は1日100本ぐらい。それも国産の一番強いタバコをです。そんなことを40年続けてきたので肺も悲鳴をあげたのでしょうね。病気になってスパッとタバコと縁を切りました。あれから1本も吸ってません。仕事の方は、すでに社長職から退いて、のんびりしていました。仕事の心配をしないで体のことをゆっくり考えられる時間が持てたことは良かったと思います。この病気になって変わったことは、自分を管理するようになったということかもしれません。

 大人は、病気は自分で作ったというのを忘れがちで、病気になったら誰かに治してもらおうとばかり考えます。自分で作った病気なんですから自分で治そうという努力なしでは治るものも治りません。そのためには自己反省と自己管理は欠かせません。薬は、助けにはなってくれるかもしれませんが、結局、治すのは自分の力なわけで、体が思う存分自然治癒力を発揮できる環境を整えてあげなければなりません。まな板の鯉ではダメなのです(笑)」

朝日ウィル(北燈社)2002年2月19日号より

 


 

 「今でも1ヶ月半おきに検査をしておりまして、6月28日にも検査がありました。主治医から『大丈夫、問題なし』と太鼓判を押されました」

2002年7月17日のお電話より

 


清水洋一さん(仮名・50代)の場合

000042-a.jpg 清水洋一さん(仮名・50代)は、1ヵ月程前から食欲がなくなり、咳をすると胸が痛み、階段を登ると息が乱れるといった自覚症状が続いていました。それでも当時、重要な仕事を手掛けていたために体調不良を感じながらも仕事を続け、さまざまな会合にも頻繁に出席していたといいます。

 「仕事が完成した時、まず喉に異常を感じたので、耳鼻咽喉科で検査をしてもらうことにしました。そしたら『たいしたことないよ』と言われて。でもどうも釈然としません。そこでレントゲンを撮ってほしいと頼み、肺に影を見つけてもらったんです。大きさは握り拳大。組織検査をすると、悪性の腫瘍であることが分かりました。手術は無理と言われました。

 2001年11月21日、内科に入院となりました。治療のスケジュールは、初めに抗ガン剤を4クール。そして放射線を35回。肺ガンが治ったところで頭部にさらに15回の放射線をあてるというものでした。頭部にあてるのは、肺ガンの人の再発は脳に出るらしく、事前に放射線で予防しておくということらしいです。

 私はこういう病気になるのも無理もないことだなと考えていました。ずいぶん長い間、肉体を痛めつけてきましたから。睡眠は毎日3~4時間。普通 の人が2~3日でやる仕事を1日でこなすようなことをしていました。また、ヘビースモーカーでもありました。1日に40本~60本のタバコを吸っていました。お酒も量 はいける方でした。ですから病名を告げられた時、肉体にかかるストレスをゆるめて、いたわってあげたら治るだろうと確信のようなものがあったんです。今までの生活の対極に身を置いて、とにかく治せばいいんだからと落ち込むこともありませんでした。

 抗ガン剤投与が開始されると同時に、中国パセリ、エーコーシーに加えて、肺ガンを治したという知人の紹介で日本冬虫夏草を毎日飲むことになりました。そして1ヵ月後、抗ガン剤の1回目が終わった時点で、肺の影が9割方消失するということが起こったのです。気がつけば胸の痛みはなくなり、食欲も普通 に戻っていました。肺の音も正常になって呼吸が楽になり、これまでになくスッキリとした気分でした。残った影は、かさぶたのようなものがCTに映し出されることはよくあるので、腫瘍マーカーが正常値になったことで、最終的にそっちの方でしょうと言われました。CTや骨シンチ検査で体中を調べましたが、脳も含めてどこにも転移は見つかっていません。

000042-b.jpg 初め『髪がばっさり抜けますよ』と治療の副作用を聞かされていたんです。でもそんなことは起こらず『あら抜けませんね』と不思議がられました。ですから副作用が出たために治療が中断したり延期したりすることもなくスケジュール通 り進んでいきました。現在は会社に復帰して、通院しながら最終段階に入っています。船酔い現象が起こりますが、ちょうど5回目の頭部への放射線照射が終わったところです。日本冬虫夏草を風呂上がりに頭にすり込んでみてはどうかと試しています。肺の治療の時は胸と背中にすり込んでいました。

 4ヵ月余りの入院中、朝食後に毎日朝寝をしました。これまでの生活からは考えられないことでした。その後2時間、病室で仕事をして、夕方にも社員を呼んで2~3時間仕事をしました。仕事がストレスの人は逆効果 ですが、体を安静にしながら病気のことを忘れて、精神は静かに仕事に集中していましたから、免疫力も維持できたのではないかと思うのです。不安や恐怖が生まれたら免疫力は低下しますしね。仕事がやれたのも毎日気分よく元気だったおかげです。 病気を機会にタバコもお酒もやめました。仕事も2分の1に減らしています。最近は食欲がありすぎて太ってしまって。でも残りの放射線がありますから体力がないと持たないと思いましてね。終了したらダイエットするつもりでいるんです(笑)」

朝日ウィル(北燈社)2002年5月21日号より

 

【経   緯】
2001年10月 
食欲不振、胸の痛み、息の乱れなど自覚症状が現れる。
11月12日 
肺に握り拳大の悪性腫瘍が見つかり入院。手術は無理と言われる。
抗ガン剤と放射線治療のスケジュールが組まれる。
治療開始と同時に中国パセリ、エーコーシー、
日本冬虫夏草を飲み始める。
12月 
飲み始めてから1ヶ月後、1クール目の抗がん剤治療済みの時点でCT検 査。
すると、腫瘍の9割が消失。
腫瘍マーカーが正常値になったことで残りの影はかさぶたのようなものとして診断される。
2002年5月23日 
スケジュール通り、治療が終了。

 

 


 

  奥様から、洋一さんの最近の様子をうかがいました。「昨年の5月23日に放射線治療が無事終了してから、これまで再発もなく元気に暮らしています。仕事の方も以前のような無理はしなくなりました。今まで長距離を自分で運転してたところを、運転手さんに代わってもらっています。睡眠時間は9時間。以前の2倍以上取っています。野菜をよく食べるようになり、お肉が好きな人ですが、これからは肉より魚。いわし等を献立に頻繁に取り入れていくつもりです。夜遅い食事も避けるようになりました。9時に帰宅して食事がまだのときは食べないで休みます。日々、自分の体をいたわってあげてるようです」

2003年1月10日奥様のお電話より
 


「この度、仕事で海外へ出掛けることができるのも健康であればこそ。再発もなく元気にここまできました」

2003年12月11日のお電話より

 

「治療が終了してから再発なく元気に3年以上が経ちました。この度、仕事で海外進出の計画がありましたが、体のことを考えて断念しました。この選択は間違っていないと思っています」

2005年7月12日の連絡より

 

「治療が終了してから再発なく元気に5年以上が経ちました。主人は相変わらず仕事熱中人ですが、毎日遅くとも11時には就寝し、睡眠時間を多く確保し、食生活では野菜をよく取るよう心掛けています。他県に出張で帰宅が遅い日は、夕食用のお弁当を手作りします。仕事に夢中になると外食する時間ももったいなくて、食べなかったりするものですから。これまでの血液検査は正常でいうことなしです。日本冬虫夏草は現在も続けています」

2007年8月3日奥様のお話より

 

 「変わらず元気にしています。昨年、主治医から完治のお墨付をいただきました。ここまで来るのにがんばったという感じはないですね」がんばらなかったのが良かったのかもしれませんね。

2008年5月25日のお電話より

 


岸久子さんのご主人様の場合

※後半にご主人様のお話がございます。

 山形県在住の岸久子さんは、子宮ガンが治られてから再発もなくお元気で、今年で8年目を迎えられます。発病当時のお話とこれまでを追取材しました。

000043-a.jpg 「1996年の1月から不正出血が続きまして、病院に行ったのは8月になってからのことでした。翌月に細胞検査の結果 が出て、子宮ガンと分かり、手術を勧められたんです。

 告知を受けた時、これといって動揺はありませんでした。というのも血縁者にガンの人が多くいましてね。その皆が手術後、元気で暮らしているのを見てたからでしょうか。子宮を失ってでも、悪いところは取ってしまえば大丈夫という気持ちでいたんです。性格はもともと楽天的で、くよくよしないタイプと言えるかもしれません。

 それでも手術に際して一つだけ条件がありました。この時、季節は実りの秋の真っ只中。私にとっては職場を離れることのできない季節でもありました。田んぼを持っているスタッフが稲刈りで休みを取るため、人手不足になるんです。稲刈りの終わる10月半ばに手術を延ばしてほしいとお願いしたんです。

 手術まで1ヵ月余りの時間ができた時、日本冬虫夏草を譲ってくれた知人がいました。私はジュースやお茶などをほとんど口にしないのですが、日本冬虫夏草だけはスンナリ飲め、1ヵ月の間、毎日たっぷりいただきました。

000043-b.jpg  発病までの3年間を振り返ると、ずいぶん体に無理をかけていたようです。父の介護に始まり、実母、主人の母の介護と次々続きました。二人の母を同時に看てたときもあります。仕事を続けながらでしたので、睡眠時間は毎日4~5時間程度。ようやく解放されたという時、たまった疲れがこういう形で現れたのでしょう。ガン血統というのも思いあたりました。

 10月26日にいよいよ入院。10月28日に前段階の簡単な手術を行いました。子宮以外にどこまで摘出するか判断するため、局所麻酔をかけて患部をはがして調べるのです。11月5日、その結果 が出てきました。先生は『ガン細胞がどこにも見当たらないんだよね』と不思議がっていました。そして『岸さん、帰っていいよ』と言われてしまったのです。それならばと、さっさと退院させてもらいました。薬は一切飲んでないし、治療も一切やってこなかったですからね。退院する際も、薬の処方はありませんでした。

 

【経   緯】
1996年1月  不正出血有り。
8月  ようやく病院に行く。
子宮ガンの診断。
日本冬虫夏草を飲み始める。
10月26日  入院。
28日  組織検査。
11月5日  ガン細胞がどこにも見当たらず消失。 

 

 平常の生活に戻って1ヵ月半が過ぎ、やれやれといった頃、今度は主人が町の検診でひっかかり、左肺に影が見つかりました。細胞を取って調べると、腺ガンで悪性ということが分かりました。2.5cmの大きさでした。主人はお酒をたくさん飲みましたし、タバコを1日に3箱も吸う30年来のヘビースモーカーでしたが、翌日からタバコもお酒もピタリと止め、日本冬虫夏草を飲み始めて、患部近くに擦り込んだり、吸入器で吸入したりもしてました。

 仕事をしながらできる限りのことをして過ごすうち、患部は次第に小さくなっていったようです。3ヵ月が過ぎた頃には2.5cmから1cmまでに縮小していました。1cmになったところで、患部の摘出手術を行いました。左胸の3ヵ所に小さな穴を開けて内視鏡を使って患部を切り取るもので、従来の手術と比べると、体の負担が極めて少ない方法です。切り取られた患部を見せてもらうと、白っぽくカッテージチーズのようでもあり、石灰化してました。痕跡は残っていたものの姿が変わり、もはや『ガンではない』と言われたのです。主人も病院の治療は一切やっていませんでした。

 

【ご主人の経 緯】
1996年12月  ご主人が肺ガンと診 断され、日本冬虫夏草を飲み始める。
タバコとお酒をピタリと止める。
1997年3月  患部が2.5cmから1cmに縮小している。
内視鏡手術。患部は石灰化していて「ガンではなくなっている」と言われる

 

000043-d.jpg あの日から二人とも再発なく元気で暮らしています。私が気を付けていることといえば、食事は常に腹7、8分目に抑えるということでしょうか。仕事を終えた後、夜中までやってた趣味を最近は控えて、睡眠時間は6時間以上取っています。以前と比べると体をずいぶんいたわってますね。時には仕事から離れて旅行に出かけ、リフレッシュすることも大事にしていることの一つです。

朝日ウィル(北燈社)2003年2月18日号より

 


 

 「再発なく元気で、13年目に入りました。主人は12年目です。この度、主人が肺炎で入院しまして、実は昨日退院してきたばかりなんです。仕事で頑張りすぎたからだと思います。その病院に同じ症状で入院している方が2人、あっという間に次々に亡くなられてこわくなりました。入院すると同時に日本冬虫夏草を毎日飲むようにしました」
 ご主人にお会いしましたが、顔色も良く元気そうなので安心しました。 

2008年3月8日お二人にお会いして

 

 


【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。

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ご注意下さい