肺ガン
眞壁秀夫さんの場合
※前立腺、膵臓ガンは中程。肺ガン、乳ガンは末尾をご覧ください。
「私はもともと胃が弱く、疲れると痔になりやすい体質でした。2001年4月から出血が始まり、いつもの痔と思って暮らしていました。でも一向に良くならないんです。近くの総合病院で診てもらうとあっさり何ともないと言われてしまって。それから釈然としないまま4ヶ月が経過しました。痛みは全くないのですが、出血はさらにひどくなっていきました。
8月30日。いよいよ県内でも有名な肛門科の個人病院で診てもらうことにしました。そこは18年前に痔の手術をしたところでもありました。内視鏡で調べてもらったらモニターに一瞬やけどのただれのような部分が映ったんです。内視鏡はゆっくり移動して、腸壁をモニターに映し出していきますが、どういうわけか肝心な部分にさしかかると先生はさりげなくサササーッとスピードを上げちゃうんですよね(笑)。これは見逃しちゃいけないと思ってね、私も必死です。問題の部分は赤黒く変色していて周囲が白くなっているのが分かりました。細胞検査もやって、すぐに大学病院を紹介されました。
6日後。個人病院の検査をもとに、大学病院でようやく直腸ガンの診断が下りました。『手術で開いてみて、患部が肛門に近ければ人工肛門になるよ』と言われました。
手術までは1ヵ月以上あるので、自宅でやれることはやってみようと思いました。日本冬虫夏草を飲み始めたのは翌日からです。腸に負担をかけないよう、主食をモチ米質の少ない粘り気のない米に切り替えることにしました。それはキヨニシキという銘柄で無農薬無肥料米。日本冬虫夏草の浣腸もやってみました。そして出血量が徐々に減っていくこととなり、開始から25日目、ピタリと止まったのです。それ以降出血は全くありません。
私はこの病気を機に、体の変化についてメモをとるようになりました。
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2001年4月
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出血が見られるようになり、総合病院で検査するが問題ないとのこと。 |
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8月30日
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再び個人病院での検査後、大学病院を紹介される。 |
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9月5日
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大学病院では直腸ガンの診断。 |
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9月6日
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日本冬虫夏草を飲み始める。日本冬虫夏草の浣腸を思いついて試してみる。膿みたいなものが出てくる。 |
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9月8日
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胃の弱いのが気になっていたが、負担が無いようだ。 |
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9月9日
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なんとなく調子がよい。足がポッカポッカと温かくなる。まるで湯たんぽをあててるようだ。夜はすぐに熟睡。朝までぐっすり。 |
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9月11日
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便器いっぱい真っ赤になってたのが、出血が減って真っ赤な血が便に薄くつく程度になった。 |
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9月17日
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便が黄金色になってきた。便には赤茶色の血のスジが入る程度。 |
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9月27日
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腸に負担をかけないよう、粘り気のないキヨニシキという 銘柄の無農薬無肥料米を主食にする。 |
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10月1日
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キヨニシキを食べてから5日目。便に血のスジもなくなった。 |
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10月3日
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入院。相変わらず出血はない。以後出血はなし。主治医は日本冬虫夏草もキヨニシキも自由にやってくださいと言う。 |
10月15日に手術。人工肛門は避けることができました。以前、身内がこの同じ病院で大腸ガンの手術をした際、摘出した部分を見せてもらったことがありました。患部は黒ずんだ紫色で、500g~800gはあったでしょうか。両手でないと収まりきれない量でした。今回はどういうわけか、摘出した部分は家族の誰にも見せてくれませんでした。何センチ切ったのかもわかりません。赤黒くただれていた部分がどう変化したか見たかったですね。
前立腺に異常発見!消失!
手術から5日目。残尿検査を受けていると、CTに影が映ったことがありました。前立腺のところです。腫瘍マーカーは6.5の異常値。あせって日本冬虫夏草の量を増やして毎日700cc~1050cc飲みました。1週間して再びCTを撮ると、今度は影は消失していてマーカーも2.5の正常値。先生は『あれっー。不思議だねー』とずいぶん驚いていました。すぐに『眞壁さん、何飲んだの?』と聞いてくるから、私はドキッとしてとっさに、この泌尿器科の先生には『何も飲んでません』と答えてしまいました。そしてこの2枚の写真のコピーをいただきたいと申し出ると、『病院間でのやり取りで必要があれば出すけど、それ以外はお渡しできない決まりになっています』と断られました。写真を見れば変化が一目瞭然なので、皆さんにお見せできないのが残念です。
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10月15日
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手術。人工肛門を免れる。 |
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10月20日
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前立腺の腫瘍マーカー6.5の異常値で、CT検査で影が見つかる。日本 冬虫夏草の量を2〜3倍に増やす。 |
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10月27日
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腫瘍マーカーは2.5の正常値に下がり、CTの画像から影が消失。3年 越しの低温やけどの患部がきれいに治る。 |
それからもう一つ、不思議なことがありました。私は3年前にカイロで低温やけどを負っていました。足の患部はそれからずっと炎症が治まらないままだったのですが、退院する頃にはきれいに治っていたのです。
他の治療は一切なく、手術から1年が過ぎ、長いこと悩みの種だった胃の調子も良く快便の毎日です。昨年、告知を受けた時、すぐに社長のイスを息子に譲りました。私は10年前にサラリーマンを辞めて現在の会社を興したんです。睡眠時間は毎日4~5時間。とにかく働きました。肉類が好物でよく食べていましたね。病気を治すためにそれを止めて、野菜をたっぷり摂るようにしました。お酒は4、5年前から飲んでませんし、タバコはもともと吸いません。
仕事をやめてから体調のコントロールが利くようになりました。外に出たくない雨の日には終日家で休み、睡眠不足の日は日中自由に眠ることができるわけですから。仕事をしていたら休みたいときに休むことは不可能で、必ず無理をします。これでは自分自身を裏切ってることになりますよね。この病気は痛みがなく、働くこともできますから、あなどってしまうことが非常に怖いんです。
近頃は、野菜を作ったり、魚を釣りに海に出たり、自分のペースでやっています。来年は米作りに挑戦しようかと思っています。最近、腸に良いレシピを発見しました。シシトウの佃煮です。とても良い便がでますよ」
朝日ウィル(北燈社)2002年11月19日号より
「間もなく手術から2年になります。この度のCT、MRI、マーカー、肝機能検査ですべてが正常で、『検査の間隔を伸ばしましょう』と言われました」
2004年9月2日のお話より
「2006年3月の検査でγ-GPT(肝の状態をみる数値:正常値0~50)が200以上あったのが、この度の検査では60まで下がっていました。その他はどこも正常で、主治医から『もう検査に来なくていいよ』と言われました。そう言われてもまた行くつもりです(笑)。
γ-GTPの数値が気になってから、日本冬虫夏草の種類をムラサキクビオレタケに変えて飲みました。又、今年になってからお酢療法を始めて肩こりがなくなりました。
1日1錠の血圧の薬(10年前から)と1日2回2錠ずつの尿酸を下げる薬(20年前から)は続けています。血圧はしばらく安定していて服用を忘れることもしばしばです。もし上昇したとしても肩のあたりが重苦しくなるのですぐ分かります。肩にサロンパスを貼ると血圧がスーッと下がるので不思議です。根を詰めることをするとどうしても血圧は上がるようです。
自分の体とは長い付き合いなので、くせを心得ていてその都度コントロールしているつもりですが、とことんがんばってしまう性格はたまにコントロール不能となり、ここが反省するところなのでしょう」
2006年8月2日のお話より
「ここ1年は疲れるということがありません。ゴルフに行ってもそうです。若いときの体に戻った気がします。今年は同級会がありました。自分で言うのも何ですが、級友たちは顔が皆しわくちゃで、私だけ顔がピチピチしてたので『どうなってるの?』と思いました。
日本冬虫夏草は量を減らしながらも続けています。手術から5年が過ぎました」
2006年11月24日のお話より
「2007年4月に心臓の血管にステントを入れる手術をしました。血管が詰まって倒れたのです。心臓の薬が追加され、一日に服用する薬は7種類となりました。しばらくして、γ-GTP(肝機能数値:正常値0~50)が749まで上昇したので検査を続けていくうち、膵管狭窄と肺に影が見つかります。そしてどちらも治療なしで解決していくのですが、その経緯を報告させていただきたいと思います。
| 【経緯】 | ||
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2007年4月
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ステント手術。これまでの血圧と痛風の薬に心臓の薬が追加され、7種類に。 | |
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6月
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γ-GTPが749まで上昇。 |
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9月10日
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膵臓の内部、膵管に異常発見!
MRIで膵管の狭窄が見つかり、医師から『ここに出るのはまずガンなんだ』と説明を受ける。 |
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11月13日
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消失!
ERP(ERCP)検査を行う。これはファイバースコープを膵管まで通して調べるもの。先端のブラシで狭窄の部分から細 胞を取ることになっていたが、膵管の狭窄がきれいに治っている。 |
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| 11月31日 |
肺に異常発見!
PET検査。右の肺に光るものが見つかった。 |
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12月11日
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旧型のCT機械で撮影。何も写らず。 | |
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12月20日
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レントゲンに影が出る。 | |
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2008年1月30日
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レントゲンでやはり影が写し出される。 『こういうのは間違いなくガンなんだ』と言われる。拡大してみると患部がはっきり浮き出る。それでも前回より薄くなっているようだ。3cmのモミジ形の影 有り。(これは画面から外れてしまう) |
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2月1日
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γ-GTPは78まで低下。肝臓の薬ウルソ出される。 血液データ、その他全て異常なし。 |
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3月12日
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新型のCT機械が導入される。 やはりプチプチと影が写る。 3cmのモミジ形の影もプチプチと点となって散らばり、消えかかっているようだ。 |
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3月26日
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γ-GTPは33の正常値に。 |
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9月16日
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消失! 新型のCT機械で撮影。プチプチが写っていない。 かすかに写っているようにも見えるが、『この程度のものならレントゲンでは全く写らない。異常るなしとの診断になりますよ』と言われ。『次回またCT写し てください』と申し出ると、『このように良い状態だし、CTといっても放射線を浴びることだからそれで刺激されるし、そっとしておきましょう。PETもレ ントゲンも皆放射線です。検査はこれで打ち切りです』と断られた。 |
写真のコピーは入手不可能でしたが、意外にも『家族が心配しているので、携帯のカメラに写させてください。これを見せたら安心すると思います』と申し出ると、快くOKが出たので驚きました。割合きれいに写りましたのでメール送りました。これが証拠写真になります。それから日本冬虫夏草を飲んだことは、先生には伏せております。
昨年来、体中をくまなく検査して全身異常なしのところまで漕ぎ着けました。安堵しているところです」
2008年9月22日のお話より
「一昨年膵管狭窄が治り、昨年は肺の影が消失。それ以来変わらず元気にしています」
2009年3月4日のお話より
「今年は知り合い2人が膵臓ガンと乳ガンになり、手術前から日本冬虫夏草を試しました。両者とも術後元気に仕事をしているというから驚いています。私は、変わらず元気にしています」
2009年12月12日のお電話より
知り合いが末期のすい臓ガンに!末期の乳ガンの女性も現れた!
「変わらず元気に過ごしております。約一年前、知り合いが膵臓ガンの末期と診断され、家族皆『もう助からない』とあきらめていたところ、『私のようなものがいるからあきらめるな』と励まし、手術前に日本冬虫夏草を飲むことになりました。
すぐにおしっこがジャーと出てびっくりしたそうです。膵臓ガンの検査では尿量が重要視されます。おまけに土色だったおしっこも無色透明になりました。
そして、ずっと上がり続けていた腫瘍マーカーが1週間程で下がり始めたのです。吐き気も治まってごはんも食べられるようになりました。術前には痛みも無くなり、鎮痛剤とも縁が切れていました。それでも手術は当初のプラン通り行われました。膵臓と脾臓、十二指腸と胆のう・胆管まで全部取りました。
それなのに現在はトラクターを運転し、農作業に励んでるというから驚きです。無理はして欲しくないですが、具合が悪かったら動けないだろうし、余程体調が良いのだと思います。病院の治療は現在何もしてないそうです。
また、昨夏、乳ガンの末期と診断された知り合いを訪ねたところ『もう助からないと』家族が泣いていました。同様に励まし、日本冬虫夏草を飲むことになりました。手術前のCT画像に変化が現れ、『何か飲んでるの?』と尋ねられました。そこで『何も飲んでません』と面倒を避けるために用意しておいた答でとぼけたそうです。術中の細胞検査で『ガン細胞は陰性』と出て、術後の抗ガン剤、放射線治療はスケジュールから外されました。今年2月の検査では『ガンは体から無くなったよ。どこにも無いよ』と言われたそうです」
2010年4月2日のお話より
「今年の夏は異常に暑かったですね。でも一切バテることなく畑仕事ができたのですから本当に不思議です。私の場合は日本冬虫夏草を飲むと体温が上がってくるようで、気温との差が縮まって暑さが気にならなくなるというか、肉体労働が全く苦にならなかったのです。そのとき蒔いた種がいよいよ育って、大根と白菜の収穫の時期となりました。味には自信があります。こんな幸せなことはないです」
2010年11月12日のお話より
「被災された方々にいくらかでも野菜をお届けしようという思いがあって、趣味だった畑は、作物を増やし本格的になってきています。今年は、6月から暑くなりました。梅雨入りは平年より9日遅く、梅雨明けは平年より16日早くて、観測史上最も短い18日間。平年の4割の長さしか無かったようです。(梅雨期間:6/21~7/9)
8月になると30度を超える日照りが2週間ほど続きました。作物のためには、手間を惜しみません。根元に穴を開け、空気を入れてやります。その後、丹念にじょうろで水を流し込んでいきます。すぐに穴は塞がってしまうので、翌日にはまた一から始めなくてはなりません。その繰り返しです。移植ベラで根切りも行います。根を切ると根を張ろうとがんばってくれます。良い根が地面にはびこり作物が良く実るのです。
昨年もそうでしたが、不思議なことにいくら畑で身体を動かしても疲れを全く感じないのです。畑でやることは毎日新しく出てきて、朝5時から夕方5時まで動きっぱなしの時もあります。海に出掛け、その足で畑の作業という日もあります。健康面での不安は全くありませんでした。
そんな中、8月12日の未明に異変が起きたのです。その日は、パジャマの上着を脱いで何も掛けず窓を開けっ放しでうっかり寝入ってしまいました。そして、40度の熱と体中の痛みで飛び起きたのです。左足も、ふくらはぎからつま先まで驚くほど腫れています。
すぐに病院に行って血液検査をすると、CRP値が19と異常値。白血球も1万を超えていました。感染症、リウマチ、通風、心臓疾患などを疑い、数日かけて消化器内科、整形外科、循環器科、皮膚科専門の個人病院と検査を受けて回りましたが、どこも悪いところが無く、原因がつかめないまま時間が経過していきました。薬剤の投与もありましたし、日本冬虫夏草もいつもより多めに飲みました。
足の腫れはそのままでしたが、15日には平熱に戻り、CRP値も白血球数も下がっていきました。24日にはその数値も正常になりました。この頃には『もう病院に来なくていいから』と言われてしまいました。足の腫れもしだいに引いていきました。
いったい何だったのでしょうね。炎天下で畑をやり過ぎたのですかね。本当は疲れてるのに疲れてる感覚が分からなくなっていたのですかね。結局この件で、CTもMRIも心電図も血液検査もさんざんやったお陰でどこも異常がないというお墨付きをいただきました。もちろんガンの心配も無いということです。自己コントロールが効かず、ついついがんばってしまう性分こそ病気ですかね。これは一生治らないかもしれません」
2011年9月1日のお話より
河原塚 好光さんの場合
「あれは、1995年の夏の出来事でした。電気工事の仕事がかち合って人手が足りなくなり、経営者である私も率先して現場に出ていました。その年はとりわけ暑くて、30度以上の真夏日の連続記録が38日。そのうち猛暑日が23日。ヒトの体温と変わらない 36度を超える日は7日間もあったのです。
7月、誰もいない工場での天井付近の作業は、まるでサウナ風呂に入ってるかのよう。汗ぐっしょりとなって水をゴクゴク飲み、またそれが汗となって吹き出るという繰り返し。次第に体力が消耗していくのを感じていました。その頃から少しずつ咳も気になるようになっていました。
8月に入ってからも、ゆっくりはできませんでした。伯父が亡くなったことや、町内会の区長代理で行事に参加しなければならず、土日の休日も返上で動き回っていました。8月下旬の炎天下での防災訓練では、とうとう立っているのもしんどくなって、テントの日陰で休ませてもらいました。さすがにこれは尋常じゃないなと思い始めたのは、打ち上げのときでした。タバコの煙に気持ち悪くなり、ビールは苦くて口をつけられないのです。それまでは、タバコは日に15〜16本、お酒も人並み以上に飲めてましたからね。それからが、病院から病院への漂浪の始まりでした。4軒巡って、いずれも『夏風邪でしょう』の診断。体調は一向に良くならず、診断に納得できないまま時間だけが過ぎていったのです。
8月の末、頭の芯までズキズキするひどい頭痛に襲われました。咳も続いていて、痰には赤い血が混じることもありました。フラフラしながら体温を測ると、 39度の高熱。5軒目となる個人病院に駆け込みました。ここで初めて血液検査とレントゲン検査を行いました。先生は、すぐに肺ガンだとピンときたようです。写 真には肺が真っ白に写っていました。そして医師会でやっている大宮の病院を紹介されたのです。
写真中央が河原塚
さん
紹介された病院では、先の検査を踏まえ、さらに痰検査を念には念を入れて3度行いました。その結果 、いずれもガン細胞が検出され、肺ガンが決定的になりました。家族には、肺の中葉部にガン組織があり、肺腺ガンで手術は不可能。余命3ヵ月の末期と報告がありました。家族は担当医と話し合って、当人には真実を伏せておこうと決めたそうです。
そういうわけで私に告げられたのは、肺炎という病名でした。私はというと『肺炎ぐらいだったら自宅療養させてください』とごねて、『ひょっとして肺ガンなんでしょう!』と問い詰める始末です。『こじれた肺炎ですから』と説明するのが精一杯だったと思います。
入院して2、3日安静にしていると、落ちていた食欲が戻ってきました。間もなくして弟があるものを携えてやってきました。そして体力をつけるものだから毎日飲むようにと差し出したのです。それが私と日本冬虫夏草との出合いでした。 実は、弟は妻を大腸ガンで亡くしています。末期で手遅れでした。それでも痛みはなくて安らかな最後を迎えたのを彼はつぶさに見ていたのです。私は、日本冬虫夏草を使っていたのを聞いて知っていました。私にガンを連想させないようにごまかして渡してくれたのでした。同じものとは気付かず、勧められるまま飲み始めました。1日700ccは飲みました」
朝日ウィル(北燈社)2004年4月27日号より
「今思えば抗ガン剤だと思うのですが、身体に入れた瞬間に大変痛い薬剤がありました。痛みを訴えると『辛かったら止めましょう』と言ってくれたので、すぐに中止してもらいました。それでも合計で2本半は投与したと思います。
入院から12〜13日目のことです。咳き込むと同時にどす黒いレバーのような固まりが口から出てきたことがありました。このようなことは3回ありました。その後はつかえていたものが取れたようにスッキリと感じました。そして入院から14日目のこと。ファイバースコープで肺の中を調べる検査がありました。
先生はモニターを見ながら不思議そうに『おかしいなぁー。ここにあるはずなんだけど何もないなぁー』って言うのです。ガンが跡形もなく消えてしまったのです。それでも先生は、告知してない私に『ガンが消えた』とは言えない。全てのいきさつを家族から聞けたのは退院後のことです。その後、同部屋(入院時)だった人たちに再会する機会があろました。『こういうわけだ』と打ち明けると、皆が『肺ガンだって知ってたよ』と言うのです。先生の態度や言葉の端々から読み取れたということでした。退院後の治療は一切ありませんでしたが、先生は『何かあったらすぐに来るように』と1年間は大変心配してくれていました。1ヵ月おきの検査が2ヵ月おきになり、3ヵ月おきになってなって、5年で無罪放免になりました。日本冬虫夏草は量 を減らしながらも5年間飲み続けました。
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【経 緯】
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1995年9月4日
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入院。肺ガンで余命3ヵ月と家族に知らされる。氷枕、点滴、午前と午後2回の吸入。 |
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9月6日
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食欲が出てくる。 |
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9月8日
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日本冬虫夏草を飲み始める。 |
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9月11日
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熱がすっかり下がり、平熱に。 |
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9月16日
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咳とともにどす黒いレバーのような固まりが吐き出される。 |
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9月17日
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同じく吐き出す。 |
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9月18日
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ファイバースコープで検査。あったはずのガンが見つからず消失。 |
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9月20日
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退院。 |
それまでの私は、経営者としての責任もありましたし、ずいぶん体を痛めつけてきていました。それを振り返って生き方を変えなければまた再発ということになりかねません。40代の頃は、1週間、夜寝ないで働いても大丈夫でした。電気工事は、工場や店舗では夜中に集中して行うため、そういうことも度々でした。
そんな体力も年齢とともに落ちていくのが当たり前なのに、同じようにできると過信していました。つまずいてみて初めて気付かされます。体は自然物だからその自然の流れに逆らえば、その無理は必ず病気となって現れます。年齢とともに仕事のやり方も変えていかなければ...。
思い切って電気工事部門を縮小しました。そして新しい仕事に着手しました。できる限り指示を出すだけの役目に徹し、社員に働いてもらうことにしたのです。不思議なもので仕事は次々と舞い込んでくるようになりました。おかげさまで会社の経営は大変順調にいってます。ガンにならなかったら現在の穏やかな生活はなかったかもしれません。
健康のためにやってることがあるとすれば、犬が3匹いるので朝晩の散歩でしょうか。自宅では他にジュウシマツやインコ、卵を食べて体力をつけるようにと友達がプレゼントしてくれた烏骨鶏がいます。動物とのコミュニケーションは何にもましてリラックスして幸福な気持ちにさせてくれます。食事はあっさりした和食を好んで食べていますね。魚は食べますが、動物性の肉は嫌いになり、食べられなくなりました。自然とこういう食事になっていきました。病気をしてからはタバコの煙がダメになりましたし、お酒も前のようには飲みたいと思わなくなりました。
周囲にガンの人がいれば、自分の経験を話させてもらっています。すると皆、不思議と治っているのです。これもガンにならなかったら得られなかった喜びですね」
朝日ウィル(北燈社)2004年5月25日号より
「ガンが消失してから、再発なく元気に今年で10年を迎えます。仕事は忙しいですが、この夏も無理せずできるだけ体をいたわるように心掛けています」
2005年6月26日のお電話より
「埼玉では、今日の気温37度・湿度75%を記録いたしました。職場はまるでサウナに入ったようです。私の身体もすっかり丈夫になり、暑さにも負けずに頑張っております。
2006年6月28日のお便りより
河原塚さんよりご
自身で栽培した見事なジャガイモが届きました。「毎日が慌ただしく過ぎていきますが、もうサクランボの季節だったんですね、私も毎日元気に暮らしておりますのでご安心ください。最近、庭に小さな畑を作り、野菜を育てて遊んでおります。この度ジャガイモを収穫いたしました。完全な無農薬の有機栽培ですので安心してご賞味いただけますよう、お届けさせていただきます」
2007 年7月1日のお手紙より
「4月下旬には、卒業から50年目の中学校の同窓会がありました。久しぶりに合った懐かしい友も皆、お爺さん・お婆さんになり白髪頭に禿げ頭が目立ってきました。皆、私生活にゆとりの生まれる時代に入り、私にも良い友が1人増えました。連休には、岐阜に転勤している息子家族が帰宅いたしました。今までは恥ずかしがりやの孫娘も2歳と4ヶ月になり一層可愛さも増し、楽しい日々を過ごしました。体力も弱くなった昨今、仕事はやめようかと思いましたが、周囲から『続けた方がいいよ』との言葉もあり、ペースダウンして続けております。ストレスを貯めないよう慌てないでゆったりと過ごしております」
2008年5月15日のお手紙より
「連日の暑さは、発病した1995年当時を思い起こさせます。当時と違うのは、無理な仕事はしてないということです。ゆったりと過ごしております。再発なく元気に15年が経とうとしています。
この頃は余裕ができた分、飛べなくなった野鳥を自然界に返すというボランティア活動(県の委託受けて)をしています。世の中には野鳥を不法飼育してる人がいます。野鳥を捕獲するのも飼育するのも犯罪です。被害にあった野鳥は飛ぶことも自分で餌をとることもできなくなっています。それをリハビリによって復活させるのです。元に戻すまで約1年の時間を要します。
コツは過保護にしないことですね。自然は厳しいですから。自然の中で本来の生活をするのが彼らにとって一番の幸せですからね。私にとってもその門出を見届けるのが何よりの幸せとなっています。
しかしながら全てが野生に戻れる訳ではありません。翼を失ったもの、体が変形したりで野生に戻れずに当家が終の棲家になり、終生飼養になる鳥類の多数いる事に心が悼みます。
世話になった世の中に、何かの形で恩返しをしたいという気持ちでやっております」
2010年8月11日のお話より
斎藤康夫さん(72)の場合
神奈川県茅ヶ崎市在住の斉藤康夫さん(72歳)は、肺ガンを克服されてから再発もなく、お元気で過ごされています。ご本人にこれまでのお話を伺いました。
「朝、痰の中に赤い血が混ざっているのに気付いたのは、1998年の10月末のことでした。診てもらうために、その日のうちにひとりで病院に出かけました。そしたら入院と言われましてね。一週間、検査入院しました。検査結果 は、私と家族の揃ったところで告げられました。肺と肺のつなぎめのところに腫瘍があって、肺ガンということなんです。レントゲン写 真を見ると管のところに影があって、その中の3箇所部分がさらに濃く写 し出されていました。
先生から、『ここは手術のできない場所なんですよね』と言われて。抗ガン剤と放射線治療をやるということでした。告知された時、初めはびっくりしましたけど、もともとくよくよしない性格というか、開き直って『まな板の鯉になったつもりで先生にお任せしますよ』と言ったんです。家族は、『お父さんにきちんと告知してくださったということは、治るということだから大丈夫よ』と励ますんです。それでも家内は心配だったのでしょうね。姉に相談したら、姉の提案で、日本冬虫夏草とサルノコシカケを送ってもらうことになったようです。
病院の治療開始と同時に日本冬虫夏草は1日350cc、サルノコシカケは家で煎じたのを病院に持ってきてもらい、1日1リットルは飲みました。病院側には番茶を飲んでるとだけ言ってね。3ヵ月の入院の間に、1日1回の抗ガン剤投与が全部で3回、放射線は約30回あてました。こういった治療は副作用がきついはずでしょ。不思議なのは髪の毛が若干抜けた程度で吐き気は一度も無く、弱るというのが全く無かったことです。とにかく元気でしたから退屈で、5階にいた私は、1階の売店まで散歩に出かけたり、病院内をあちこち歩き回っていました。一度だけ動きすぎて熱が出ました(笑)。孫が学校帰りにいつも様子を見に寄ってくれました。入院生活は、毎日気分良く、笑って過ごしたという記憶しかないですね。
開始から20日目。レントゲン写真を見ながら先生は、『進行してないよ。良くなってきてるよ』と言うのです。さらに10日後のことでした。黒いドロッとしたものが口から出てきたのです。これまで時々、きれいな赤い血の混ざった痰は出てきましたが、こんな色のものは初めてでした。それが2、3日続きました。吐き終わったらなんだかとてもすっきりして、体が軽くなったので驚きました。それまでの体調は、自分では気付かなかったけれど、実際のところ本調子ではなかったのでしょうね。その時は、肺の悪いところがはがれて全部吐き出されたんだなと思いました。その後、血痰のでることは二度となくなりました。
それから2ヵ月病院にいて、最終的に言い渡されたのは『斉藤さん、治ったから退院していいよ』という言葉でした。そして2枚のレントゲン写 真を見せてくれました。1枚は一番最初に写したもの。もう1枚は最近のものです。あの影もあの3つの濃い固まりもきれいに取れていました。先生は『治りが早いなあ。信じられないなあ』と驚いていました。そして薬も一切出されることなく退院しました。
日本冬虫夏草とサルノコシカケは量を減らして現在も続けています。私は体だけは丈夫でそれまで病気をしたことがなく、薬を飲んだこともありませんでした。ただタバコだけは人一倍吸いました。多い時は1日100本ぐらい。それも国産の一番強いタバコをです。そんなことを40年続けてきたので肺も悲鳴をあげたのでしょうね。病気になってスパッとタバコと縁を切りました。あれから1本も吸ってません。仕事の方は、すでに社長職から退いて、のんびりしていました。仕事の心配をしないで体のことをゆっくり考えられる時間が持てたことは良かったと思います。この病気になって変わったことは、自分を管理するようになったということかもしれません。
大人は、病気は自分で作ったというのを忘れがちで、病気になったら誰かに治してもらおうとばかり考えます。自分で作った病気なんですから自分で治そうという努力なしでは治るものも治りません。そのためには自己反省と自己管理は欠かせません。薬は、助けにはなってくれるかもしれませんが、結局、治すのは自分の力なわけで、体が思う存分自然治癒力を発揮できる環境を整えてあげなければなりません。まな板の鯉ではダメなのです(笑)」
朝日ウィル(北燈社)2002年2月19日号より
「今でも1ヶ月半おきに検査をしておりまして、6月28日にも検査がありました。主治医から『大丈夫、問題なし』と太鼓判を押されました」
2002年7月17日のお電話より
清水洋一さん(仮名・50代)の場合
清水洋一さん(仮名・50代)は、1ヵ月程前から食欲がなくなり、咳をすると胸が痛み、階段を登ると息が乱れるといった自覚症状が続いていました。それでも当時、重要な仕事を手掛けていたために体調不良を感じながらも仕事を続け、さまざまな会合にも頻繁に出席していたといいます。
「仕事が完成した時、まず喉に異常を感じたので、耳鼻咽喉科で検査をしてもらうことにしました。そしたら『たいしたことないよ』と言われて。でもどうも釈然としません。そこでレントゲンを撮ってほしいと頼み、肺に影を見つけてもらったんです。大きさは握り拳大。組織検査をすると、悪性の腫瘍であることが分かりました。手術は無理と言われました。
2001年11月21日、内科に入院となりました。治療のスケジュールは、初めに抗ガン剤を4クール。そして放射線を35回。肺ガンが治ったところで頭部にさらに15回の放射線をあてるというものでした。頭部にあてるのは、肺ガンの人の再発は脳に出るらしく、事前に放射線で予防しておくということらしいです。
私はこういう病気になるのも無理もないことだなと考えていました。ずいぶん長い間、肉体を痛めつけてきましたから。睡眠は毎日3~4時間。普通 の人が2~3日でやる仕事を1日でこなすようなことをしていました。また、ヘビースモーカーでもありました。1日に40本~60本のタバコを吸っていました。お酒も量 はいける方でした。ですから病名を告げられた時、肉体にかかるストレスをゆるめて、いたわってあげたら治るだろうと確信のようなものがあったんです。今までの生活の対極に身を置いて、とにかく治せばいいんだからと落ち込むこともありませんでした。
抗ガン剤投与が開始されると同時に、中国パセリ、エーコーシーに加えて、肺ガンを治したという知人の紹介で日本冬虫夏草を毎日飲むことになりました。そして1ヵ月後、抗ガン剤の1回目が終わった時点で、肺の影が9割方消失するということが起こったのです。気がつけば胸の痛みはなくなり、食欲も普通 に戻っていました。肺の音も正常になって呼吸が楽になり、これまでになくスッキリとした気分でした。残った影は、かさぶたのようなものがCTに映し出されることはよくあるので、腫瘍マーカーが正常値になったことで、最終的にそっちの方でしょうと言われました。CTや骨シンチ検査で体中を調べましたが、脳も含めてどこにも転移は見つかっていません。
初め『髪がばっさり抜けますよ』と治療の副作用を聞かされていたんです。でもそんなことは起こらず『あら抜けませんね』と不思議がられました。ですから副作用が出たために治療が中断したり延期したりすることもなくスケジュール通 り進んでいきました。現在は会社に復帰して、通院しながら最終段階に入っています。船酔い現象が起こりますが、ちょうど5回目の頭部への放射線照射が終わったところです。日本冬虫夏草を風呂上がりに頭にすり込んでみてはどうかと試しています。肺の治療の時は胸と背中にすり込んでいました。
4ヵ月余りの入院中、朝食後に毎日朝寝をしました。これまでの生活からは考えられないことでした。その後2時間、病室で仕事をして、夕方にも社員を呼んで2~3時間仕事をしました。仕事がストレスの人は逆効果 ですが、体を安静にしながら病気のことを忘れて、精神は静かに仕事に集中していましたから、免疫力も維持できたのではないかと思うのです。不安や恐怖が生まれたら免疫力は低下しますしね。仕事がやれたのも毎日気分よく元気だったおかげです。 病気を機会にタバコもお酒もやめました。仕事も2分の1に減らしています。最近は食欲がありすぎて太ってしまって。でも残りの放射線がありますから体力がないと持たないと思いましてね。終了したらダイエットするつもりでいるんです(笑)」
朝日ウィル(北燈社)2002年5月21日号より
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【経 緯】
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2001年10月
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食欲不振、胸の痛み、息の乱れなど自覚症状が現れる。 |
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11月12日
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肺に握り拳大の悪性腫瘍が見つかり入院。手術は無理と言われる。 抗ガン剤と放射線治療のスケジュールが組まれる。 治療開始と同時に中国パセリ、エーコーシー、 日本冬虫夏草を飲み始める。 |
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12月
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飲み始めてから1ヶ月後、1クール目の抗がん剤治療済みの時点でCT検 査。 すると、腫瘍の9割が消失。 腫瘍マーカーが正常値になったことで残りの影はかさぶたのようなものとして診断される。 |
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2002年5月23日
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スケジュール通り、治療が終了。 |
奥様から、洋一さんの最近の様子をうかがいました。「昨年の5月23日に放射線治療が無事終了してから、これまで再発もなく元気に暮らしています。仕事の方も以前のような無理はしなくなりました。今まで長距離を自分で運転してたところを、運転手さんに代わってもらっています。睡眠時間は9時間。以前の2倍以上取っています。野菜をよく食べるようになり、お肉が好きな人ですが、これからは肉より魚。いわし等を献立に頻繁に取り入れていくつもりです。夜遅い食事も避けるようになりました。9時に帰宅して食事がまだのときは食べないで休みます。日々、自分の体をいたわってあげてるようです」
2003年1月10日奥様のお電話より
「この度、仕事で海外へ出掛けることができるのも健康であればこそ。再発もなく元気にここまできました」
2003年12月11日のお電話より
「治療が終了してから再発なく元気に3年以上が経ちました。この度、仕事で海外進出の計画がありましたが、体のことを考えて断念しました。この選択は間違っていないと思っています」
2005年7月12日の連絡より
「治療が終了してから再発なく元気に5年以上が経ちました。主人は相変わらず仕事熱中人ですが、毎日遅くとも11時には就寝し、睡眠時間を多く確保し、食生活では野菜をよく取るよう心掛けています。他県に出張で帰宅が遅い日は、夕食用のお弁当を手作りします。仕事に夢中になると外食する時間ももったいなくて、食べなかったりするものですから。これまでの血液検査は正常でいうことなしです。日本冬虫夏草は現在も続けています」
2007年8月3日奥様のお話より
「変わらず元気にしています。昨年、主治医から完治のお墨付をいただきました。ここまで来るのにがんばったという感じはないですね」がんばらなかったのが良かったのかもしれませんね。
2008年5月25日のお電話より
岸久子さんのご主人の場合
※後半にご主人の話がございます。
山形県在住の岸久子さんは、子宮ガンが治られてから再発もなくお元気で、今年で8年目を迎えられます。発病当時のお話とこれまでを追取材しました。
「1996年の1月から不正出血が続きまして、病院に行ったのは8月になってからのことでした。翌月に細胞検査の結果 が出て、子宮ガンと分かり、手術を勧められたんです。
告知を受けた時、これといって動揺はありませんでした。というのも血縁者にガンの人が多くいましてね。その皆が手術後、元気で暮らしているのを見てたからでしょうか。子宮を失ってでも、悪いところは取ってしまえば大丈夫という気持ちでいたんです。性格はもともと楽天的で、くよくよしないタイプと言えるかもしれません。
それでも手術に際して一つだけ条件がありました。この時、季節は実りの秋の真っ只中。私にとっては職場を離れることのできない季節でもありました。田んぼを持っているスタッフが稲刈りで休みを取るため、人手不足になるんです。稲刈りの終わる10月半ばに手術を延ばしてほしいとお願いしたんです。
手術まで1ヵ月余りの時間ができた時、日本冬虫夏草を譲ってくれた知人がいました。私はジュースやお茶などをほとんど口にしないのですが、日本冬虫夏草だけはスンナリ飲め、1ヵ月の間、毎日たっぷりいただきました。
発病までの3年間を振り返ると、ずいぶん体に無理をかけていたようです。父の介護に始まり、実母、主人の母の介護と次々続きました。二人の母を同時に看てたときもあります。仕事を続けながらでしたので、睡眠時間は毎日4~5時間程度。ようやく解放されたという時、たまった疲れがこういう形で現れたのでしょう。ガン血統というのも思いあたりました。
10月26日にいよいよ入院。10月28日に前段階の簡単な手術を行いました。子宮以外にどこまで摘出するか判断するため、局所麻酔をかけて患部をはがして調べるのです。11月5日、その結果 が出てきました。先生は『ガン細胞がどこにも見当たらないんだよね』と不思議がっていました。そして『岸さん、帰っていいよ』と言われてしまったのです。それならばと、さっさと退院させてもらいました。薬は一切飲んでないし、治療も一切やってこなかったですからね。退院する際も、薬の処方はありませんでした。
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【経 緯】
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| 1996年1月 | 不正出血有り。 | |
| 8月 |
ようやく病院に行く。 子宮ガンの診断。 日本冬虫夏草を飲み始める。 |
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| 10月26日 | 入院。 | |
| 28日 | 組織検査。 | |
| 11月5日 | ガン細胞がどこにも見当たらず消失。 | |
平常の生活に戻って1ヵ月半が過ぎ、やれやれといった頃、今度は主人が町の検診でひっかかり、左肺に影が見つかりました。細胞を取って調べると、腺ガンで悪性ということが分かりました。2.5cmの大きさでした。主人はお酒をたくさん飲みましたし、タバコを1日に3箱も吸う30年来のヘビースモーカーでしたが、翌日からタバコもお酒もピタリと止め、日本冬虫夏草を飲み始めて、患部近くに擦り込んだり、吸入器で吸入したりもしてました。
仕事をしながらできる限りのことをして過ごすうち、患部は次第に小さくなっていったようです。3ヵ月が過ぎた頃には2.5cmから1cmまでに縮小していました。1cmになったところで、患部の摘出手術を行いました。左胸の3ヵ所に小さな穴を開けて内視鏡を使って患部を切り取るもので、従来の手術と比べると、体の負担が極めて少ない方法です。切り取られた患部を見せてもらうと、白っぽくカッテージチーズのようでもあり、石灰化してました。痕跡は残っていたものの姿が変わり、もはや『ガンではない』と言われたのです。主人も病院の治療は一切やっていませんでした。
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【ご主人の経 緯】
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| 1996年12月 |
ご主人が肺ガンと診 断され、日本冬虫夏草を飲み始める。 タバコとお酒をピタリと止める。 |
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| 1997年3月 |
患部が2.5cmから1cmに縮小している。 内視鏡手術。患部は石灰化していて「ガンではなくなっている」と言われる |
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あの日から二人とも再発なく元気で暮らしています。私が気を付けていることといえば、食事は常に腹7、8分目に抑えるということでしょうか。仕事を終えた後、夜中までやってた趣味を最近は控えて、睡眠時間は6時間以上取っています。以前と比べると体をずいぶんいたわってますね。時には仕事から離れて旅行に出かけ、リフレッシュすることも大事にしていることの一つです。
朝日ウィル(北燈社)2003年2月18日号より
「再発なく元気で、13年目に入りました。主人は12年目です。この度、主人が肺炎で入院しまして、実は昨日退院してきたばかりなんです。仕事で頑張りすぎたからだと思います。その病院に同じ症状で入院している方が2人、あっという間に次々に亡くなられてこわくなりました。入院すると同時に日本冬虫夏草を毎日飲むようにしました」
ご主人にお会いしましたが、顔色も良く元気そうなので安心しました。
2008年3月8日お二人にお会いして
【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になったヒトはどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を否定したり、特定の商品について推奨するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。
肺ガン(小細胞ガン/腺ガン/扁平上皮ガン/大細胞ガン)について
肺ガン(肺癌)は1998年に胃ガンを抜いて日本人のガンでもっとも死亡率の高いガンになりました。男女比は3:1で男性に多く見られます。
年間に発症する率では胃ガンのほうが高いのですが、それにもかかわらず肺ガン(肺癌)の方が死亡率が高いということはそれだけ肺ガンが治りにくい ガンであることが理解いただけると思います。
肺ガン(肺癌)の主な原因としてはなんといっても喫煙が挙げられます。タバコを吸う人ほど肺ガンにかかりやすくなり、 一般に重喫煙者(1日に吸う本数×喫煙年数=600以上の人)は肺ガンの高リスク群といわれています。
毎日喫煙する人は非喫煙者と比較して4.5倍程肺ガンを患うリスクが高くなります。また、 喫煙開始年齢(タバコを吸い始める年齢)が低いほど肺ガンのリスクは高くなり 20歳以下で喫煙を開始すると肺ガンになるリスクは6倍程度までになるといわれています。
※米国における喫煙とガン死亡についての調査によれば相対リスクは男性で22倍、女性で12倍になると発表されています。
副流煙にも発ガン性の物質はたくさん含まれています。タバコを吸い始める年齢が低いほど肺ガンのリスクは高くなります。 親が喫煙する場合子供が喫煙者となる率も高くなります。
禁煙してから10年程度で吸わない人とほとんど変わらないくらいまでリスクを少なくすることができます。
肺ガンの原因は他に大気汚染や放射性物質、アスベストなどの関連性もあるといわれています。
【肺ガン(肺癌)の分類】
肺ガンは「小細胞ガン」と「非小細胞ガン」の2つの型に大きく分類されます。
非小細胞ガンはさらに「腺ガン」「扁平上皮ガン」「大細胞ガン」の3タイプに分類され、 それぞれのタイプによって発生する部位がある程度決まっています。
「小細胞肺ガン」と「扁平上皮ガン」は特に喫煙との関係が濃厚であると考えられており、患者さんの多くは喫煙者になります。
気管から枝分かれした太い主気管支は分岐を繰り返して肺の奥まで伸びています。気管支の太い部分を肺門部、細い部分を肺野部と呼びます。
小細胞ガンと扁平上皮ガンは肺門部に、腺ガンと大細胞ガンは肺野部にできやすい肺ガンになります。
日本では肺腺ガンの発生頻度がもっとも高く、男性の40%、女性では70%程度を占めます。 続いて扁平上皮ガンが男性の40%、女性の15%程度、小細胞ガンが肺ガン全体の15%程度を占め、大細胞ガンは5%程になります。
小細胞肺ガンは細胞の増殖スピードが速く、脳や骨、リンパ節、肝臓、副腎などに転移がしやすい悪性度の高いガンですが、 他の肺ガンと違い抗ガン剤や放射線療法が効きやすいガンになります。
大細胞ガンは増殖スピードが速いのですが、症状が出にくいために肺ガンと診断されたときにはガンが大きくなっていることも珍しくありません。
【肺ガン(肺癌)の症状】
肺ガン(肺癌)は早期では症状が起こりにくく、そのため発見が遅れてしまい見つかったときには肺癌がかなり進行しているという特徴があります。 特に肺の奥の部分(肺野部)にできるガンは、さらに症状が現れにくくなります。つまり、日本人に多い肺腺ガンは症状が現れにくいということあり、進行してしまうことが多くなります。
肺ガンの症状として多く見られるのは、咳や痰、血痰です。他に胸痛や喘鳴(ぜいめい:呼吸時のぜーぜー音)、 息切れ、呼吸困難、声のかすれなどが見られることもあります。
小細胞ガンや扁平上皮ガンは比較的早い段階から症状が出ることが多いのですが、 腺ガンなど肺野にできるガンではがんが進行してから症状が出るようになります。
肺ガン(肺癌)は脳や骨に転移しやすいため、脳転移による頭痛や骨転移による腰痛、背骨や肩の痛みなどが続くことで気が付く場合もあります。
食欲不振や体重減少なども起こります。
小細胞肺ガンでは、ガン細胞が種々のホルモンを産生するため稀にムーンフェース(顔が丸くなる)や肥満、 血圧が高くなる、血糖値が高くなるなどの症状が出ることがあります。





