白血病

冬虫夏草や自然療法、代替療法にご興味のある方々です。

佐藤 紀子さん(仮名 東京都在住 2012年当時69歳)の場合

 お嬢様よりお話を伺いました。

 「母が急性リンパ性白血病と診断されたのは2012年11月のことでした。風邪でもないのに熱が出たり、下がったりして気になって受診したのです。医者からは、治療をしなければ年を越せるかどうか、『1~2か月の命』といわれました。そういわれても私にはピンときませんでした。母は元気でしたからね。

 急いで治療計画が立てられました。年齢が70に近いこともあって骨髄移植は無理、抗がん剤の量も8割に減らして2年間かけて8回投与するという内容です。

投与が始まると、元気だった母に異変が起こりました。3日目から吐き気が始まり、食事ものどを通らなくなったのです。あっという間に母の体重は10キロ近く減りました。これは繰り返しやるものではないなと思いました。

 母の様子をみて私は必死に何かよいものはないかと探しました。そんな時に日本冬虫夏草との出会いがありました。電話で問い合わせをした際、矢萩さんの処では何より冬虫夏草について非常によく研究されていることを知りました。これなら信頼できると私は直ぐに日本冬虫夏草を母に飲ませることを決めました。飲み始めて1か月後、抗がん剤からの回復時期でしょうか。以前の元気を取り戻していきました。HQ146_L_SP0001.jpg

 入院から2か月後、無事に一時退院の許可がでました。2週間ほど自宅で静養して、また第2回目の抗がん剤の治療に備える目的の退院です。家では冬虫夏草を朝、昼、晩、夜中(目覚めたとき)としっかりと飲ませました。母はこの2週間でとても元気になりました。

 

料理の得意な母は、健常者と変わらずキッチンに立ち、無農薬野菜や有機野菜を中心に、玄米食を心掛けました。

 

 年が明けて2013年1月、再入院の日に病院の先生は母の元気な姿をみて満足げに、これなら2回目の抗がん剤治療ができそうですね。とおっしゃいましたが、私は先生に『1度目の抗がん剤治療で10キロも体重が落ちてその体重が戻らない内にまた抗がん剤治療をするのはとても心配だ』と訴えました。すると先生は『では、とりあえず入院はしてもらいますが、治療方法については考えてみます』とおっしゃいました。 

母は、「急性リンパ性白血病」の中でもたちの悪いフィラデルフィア染色体が陽性でした。フィラデルフィア染色体とは、この病気の4人のうち1人に現れる遺伝子の異常だそうです。

再入院してから数日後、先生から『飲み薬だけでの治療でやってみましょう』とのお話がありました。その飲み薬は、グリベック(イマニチブ)という分子標的薬で、急性リンパ性白血病、フィラデルフィア染色体陽性に有効だとのことでした。ですが、服用を始めて直ぐに具合が悪くなり、湿疹、吐き気など、食事ができなくなりました。その後、別の分子標的薬の提案がありました。スプリセル(ダサニチブ)というお薬です。事前にグリベックより毒性が強いと聞いていて心配していましたが、副作用のない状態が続きました。血液検査も良好で、白血球、赤血球、血小板ととても良い状態になり、フィラデルフィア染色体も順調に減ってきました。再入院中も病院にはばれない様に母に日本冬虫夏草はしっかりと飲ませました。

 

フィラデルフィア染色体が消失。血液検査でほぼ満点に。

 

 2013年2月、母は抗がん剤の治療をすることなく無事に退院しました。この頃から友人からお土産でいただいたチャガ(カバノアナタケ)も加わります。定期的に通院して血液検査をしていますが、毎回異常なし。2013年5月の血液検査からはほぼ満点で、フィラデルフィア染色体も測定できない数値になりました。

 先生は当初、薬だけの治療では直ぐに再発するだろうと思っていたようです。退院して1年間はずっと首をかしげながら再発しない状態を不思議がっていました。再発がないにも関わらず、抗がん剤の治療の話も何度か出ていました。初めの1度でひどい目にあっているのでその都度断ってきました。一般的に『断る』といった行為はた易いことではありませんよね。検査の数値が正常値で安定し、自信があったので出来たことだと思っています。そして『再発したらやればいい』という気持ちでいました。先生は不思議がっていますが、私は母が再発もなく元気に過ごしているのは、日本冬虫夏草のおかげだと思っていますので不思議ではありません。

日本冬虫夏草ことは先生にはずっと伏せています。面倒なことになりかねないと思ったのです。病院の先生は自分の処方する薬以外のものを信用しませんし、エビオスでさえダメだと言われたことがありましたから。

2013年12月、町の健康診断で肺に水が溜まっていることがわかりました。スプリセルの副作用だろうということで服用を2週間休みました。その時、余計元気になりました。強い薬ですからね。私は止めさせたいのですが、母はまじめな性格なので先生の指示通りにきちんと服用しています。

 

 振り返ると介護による睡眠不足やストレスが発病の原因だったように思います。母は、祖母や父に誠心誠意尽くしました。その姿を見てきたので母には頭が上がりません。発病の1年前には介護から解放されていましたが、10年という長い介護生活でした。

 

 

余命1~2か月が3年を無事経過。血液検査は満点に。

余命1~2か月と宣告されてから2015年11月で3年になりました。JA177_350A_SP0000.jpg先生は『こんな例は世の中にないのでスプリセルの止め時がわからない』と言っています。あとどのぐらい一緒にいられるのかと不安でいっぱいだった3年前からは想像もつかないぐらいに母はとても元気です。

 

2年間の入退院を覚悟したのにも関わらず、結局約3か月の入院のみでした。嘘のような話ですよね。母は、ダンスなどが組み込まれた体操教室に週に一度通っています。料理はもちろん繕い物や編み物なども楽しみながら過ごしています。矢萩先生と日本冬虫夏草との出会いが私にとってとても幸運だったのだといつも思い感謝しています。母は毎日宝物のように日本冬虫夏草をありがたくいただいています」

 2015年11月9日のお嬢様のお話より

 

 「肺に水が溜まったのでスプリセルを2週間休んで対処しました。さすがに2度目ですからね。止めるには至りませんでしたが、減薬まで漕ぎ着けることが出来ました。血液検査の結果は満点。持病のない普通の方でも中々こうはいかないのではと思っています」

2015年12月30日のお嬢様のお話より

 

佐々木由美さん(1998年当時14才・仮名)の場合

000092-a.jpg 温暖な千葉県には珍しくドカ雪が降った1998年の冬のこと。中学校に通う佐々木由美さん(14歳・仮名)は、生理出血が止まらなかったため、病院で検査を受けることになりました。すると止血の役目をする血小板が2千(正常値13万/mm3~35万/mm3)まで減少しており、急性骨髄性白血病と診断されました。

 赤血球、白血球、血小板を作る工場として骨髄がありますが、造血幹細胞を原料にして、これらの血液細胞を生産しています。しかし、ウイルスや放射線、抗ガン剤などの発ガン性を持つ薬物などが体内に入ってくると、生産ラインに故障が生じて、まともな製品が作り出せなくなり、工場の内外が不良品であふれかえってしまいます。かといって迅速に工場をストップさせることもできない。それがこの病気で、不良品のことを白血病細胞と呼んでいます。

このように血液細胞のバランスが崩れるために、白血病の判断材料の一つとして末梢血中の白血球数が1万/mm3以上、(白血球が減る場合もあります)赤血球中の血色素量が10g/dl以下、血小板が10万/mm3以下という数値が目安になります。

 由美さんは発病の直前に、インフルエンザに感染し、寝込むという経緯がありました。積雪や厳しい寒さに慣れていない土地柄もあったのでしょうか、中学では防寒着なしで雪はきをさせられたり、一部の生徒の責任問題で教室の暖房を丸一日切られたこともありました。運動部での厳しい練習に耐えるなど肉体的ストレスもあり、免疫力が弱っていたのでしょう。インフルエンザは1週間で治りますが、その間抗生剤と解熱鎮痛剤の使用がありました。

 すぐに入院が決まり、第1回の抗ガン剤を投与するまで4、5日ありました。その間、日本冬虫夏草を飲みました。すると1万6千あった白血球が1万2千まで減ったので、母親の洋子さんはこのまま様子をみようかと思ったそうですが、病院の治療と縁を切る勇気はなかったそうです。

 治療は、抗ガン剤で不良品の白血病細胞を壊し、工場自体も空っぽにしていくという方法です。その後、正常な細胞が生まれるのを待ち、再び抗ガン剤で空っぽにするのを約8回ほど繰り返します。この治療は約1年の行程になります。場合によっては骨髄移植もありますが、体とそりが合わず受け入れてもらえないため、拒絶反応に苦しむことも少なくありません。これらの治療は、抗ガン剤の副作用で食事がとれずに体重が減少し、治療が終わってようやく食欲が出始める頃に次の治療に入るわけで、太る暇がありません。1年後には骨と皮ばかりになって、退院しても体力的に学業についていけないのが現状だそうです。

母親の洋子さんは周りを見渡したとき、医療現場だけに求めてもこのリスクは回避できないと感じていました。そこで由美さんが1年後に体重減少なく元気一杯で退院するまで、ある工夫を続けることになりました。

朝日ウィル(北燈社)2000年9月19日号より

 

病院任せにしない。フォローする。

 抗ガン剤というのは、細胞分裂の盛んな骨髄、毛根、腸、胃、精巣、卵巣などにダメージを与えていきます。急性骨髄性白血病の佐々木由美さん(14歳・仮名)も初回の治療で頭髪が抜け始めました。しかしすぐに一転。予想外のスピードで生え出し、旺盛な食欲もすぐに戻り、減少した血小板も予定していた輸血がキャンセルされるほどの回復ぶりで、周囲を驚かせました。問題の白血病細胞は消滅して0になっていましたが、体のどこかに残っている可能性を考えて、治療は8回繰り返すことになります。8回というのは、白血病細胞の再発生の可能性が無くなるかなという目安です。

母親の洋子さんは、この治療は抗ガン剤の副作用との戦いであり、ダメージをいかに減らせるか、受けたダメージからいかに早く立ち直せるかが勝敗の鍵を握ると考えていました。初回の出来事は、そのために行った自分のフォローが間違いではなかったと確信させるものでした。


000092-c.jpg 白血病細胞を叩くことだけに集中しがちな現在の治療は片手落ちで、造血機能を活性化するもの、免疫を上げるもの、速やかに血に造り変わる食材、薬剤の代謝を助けるもの、薬剤で死滅した体内の微生物を補うもの、粘膜など正常細胞の傷害を予防し、治すものが抜け落ちている気がします。由美さんは、日本冬虫夏草、コウボエキス、玄米、丸麦、ヒエ、アワの雑穀類などの自然物を毎日摂取しました。

 昔の水疱瘡のウイルスが再燃するアクシデントがあったものの、心配していた感染症もなく退院する頃には1年の月日が流れていました。中学2年の丸1年登校していないことになりますが、最近は不登校の生徒が多いせいもあって、中学3年にすんなり進級できました。ただ中学3年になるとすぐに受験態勢に突入するわけで、病院側からは受験勉強するのは無謀、体力的についていけないから無理しないようにと厳重注意されました。

 「実は娘は、入院中もベッドで勉強しておりました。さすがに抗ガン剤を投与している最中はできませんでしたが...。体力のことを心配されて、病院側から勉強しないようにと注意を受けることもありました。しかし自分の娘だから良くわかるのですが、子供ですし、気分が悪く、弱っているのであればやる気なんて起きてこないものです。娘は体力が落ちないように数々のテクニックに支えられてたようです」

 そして1年後に手紙が届きました。「由美は長い闘病にもかかわらず、学校に復帰してからは寸時を惜しんで勉学に励み、志望校に合格することができました。同じ中学から若干名だけが合格という狭き門でした。思えば闘病中は高校入試が受けられるなどとは思いもよらず、ただ生きていてくれさえすれば何もいらないという思いで看病してまいりました。入学式の写真を送らせていただきます」

 現在由美さんは生徒会役員で、この度の文化祭でも大活躍だったとか。その後の血液検査では正常を保っており、母親の洋子さん療法は継続中で、家族の皆が風邪をひいても由美さんだけはひかないというお話をうかがいました。

朝日ウィル(北燈社)2000年10月24日号より

 

 由美さんは、その後再発もなくお元気で、日本冬虫夏草の方も続けています。お母様の洋子さんよりお手紙が届きましたのでご紹介させていただきます。「娘はお陰様でとても元気に高校生活を謳歌しております。勉強に、生徒会に、友達との付き合いに、全てに生き生きと明るく・・・(中略)・・・ 三年前、突然の発病に気も動転し、わらをもすがる思いで矢萩先生にお電話をかけたことが、昨日のように蘇ります。まだまだ気の抜けない毎日ですが、精一杯守っていきたいと思っております」

2001年9月7日

 

 お母様の洋子さんよりお手紙が届きました。
「一応、医者から言われている退院後5年の目標まであと1年半。気を抜くことなく日々の生活を送らねばと思っております。お陰様で由美は今のところ風邪ひとつひかず元気に過ごしております。現在高3ですが、高1から高3の1学期までの通算の成績が全校で4番でした(生徒数300人中だそうです)。塾等も通わずひとりでコツコツと努力した成果と、娘の頑張りを褒めてやりました。親としては成績よりも体の方に気が向いてしまい、勉強の方はノータッチなのですが、由美は本当にひとりでよく頑張る子に育っております。当初から矢萩先生の励ましがなければ、母子ともにここまでこれなかったと心より感謝いたしております」

2002年7月31日

 

 早いもので高校3年生ですか。進学するとなると受験勉強が大変ですね。体のことが心配です。
母親の洋子さんの話:「学校の授業が終わってから塾に通うというのは、体のこともありますからね。これまでやらせてこなかったんです。娘の勉強に関してはノータッチで通していました。その代わり娘は自宅で地道に日々努力していたんですね。この度それが報われまして、推薦を受けて大学に進学となりそうなんです」 無理な受験勉強を避けられたんですね。賢明ですね、日々の努力の積み重ねに優るものはありませんね。

2002年8月25日のお電話より

 

 「退院から3年10ヶ月が経ちました。この間大きな風邪等もひくことなく元気に過ごすことができましたこと、心より嬉しく、皆様のお蔭と手を合わせる毎日です。 また、今年は受験を前に推薦で希望大学への入学を早々と決めることができました」

2002年12月31日のお手紙より

 

000092-d.jpg 4月から大学生となりこれまでと変わらずお元気に過ごされているということです。

2003年8月14日のお電話より

 

 由美さんは変わらず元気に大学生活を送っているそうです。再発もなく4年9ヶ月が経過、まもなく5年を迎えます。

2003年12月9日のお電話より

 

再発なく元気に5年が経過。

 「大学も2年になり、最近は外を飛び回っていて、家に落ち着くということがありません。元気良すぎるくらいです。変わらず元気に過ごしています。目標だった5年がついに経過しました。さらに7年目を目指します。振り返ると発病したときは地獄に突き落とされた思いがしたものです。このような日々が迎えられるとは、想像もできませんでした。感謝の毎日です」

2004年8月5日 お母様の洋子さんのお手紙より

 

 「大学4年になり、就職活動を精力的に頑張っています。目標の7年を越えました。最近では発病した当時のこと、お世話になった人たちの話を理解できるようになり、感謝の気持ちも生まれてきているようです」

2006年8月11日のお電話より

 

 「実は、娘は医療ソーシャルワーカーを目指して専門学校に通っておりました。お陰様でで来年の4月から病院で働くことになりそうです。もらった命と思っています。今度は病気をかかえる人の相談役として返していけるものがあればと思っています」

2007年12月16日のお母様のお電話より

 

 「娘は親元を離れて暮らし、病院のソーシャルワーカーとして元気に務めを果たしております。再発なく10年が過ぎました。」

2009年9月8日お母様のお電話より

  「中学生の頃から今日まで大変お世話になっております。お蔭様で元気に働いています。今、千葉に帰省しています。お正月は両親と一緒に過ごすつもりです」  お元気な由美さんご本人の声が聞けました。さわやかなお声でした。とても嬉しかったです。

2009年12月31日のお話より

 「異常に暑い日が続いておりますが、変わらず元気にしています」     

2010年9月4日お母様のお話より

 「ソーシャルワーカーの仕事は大変ですが、とてもやりがいがあります。今年も元気で働くことが出来ました。中学生だった当時のことはよく覚えていますよ」   再発無く元気でもう11年の歳月を越えられたのですね。            

2010年12月29日の由美さんのお話より

 「娘は、暑さに負けず元気で働いております。再発無く、12年になります」                          

  2011年9月3日お母様のお話より

 「この冬も元気に頑張っています」        

     2011年12月31日お母様のお話より

          GQ078_L.jpg                           

 「娘はとても良い方と巡り会うことができまして今年結婚いたしました。幸せに暮らしております。」

2012年12月25日お母様のお話より

 

 

元気な男の子を出産。

 「9月半ばに無事男の子を出産いたしました。母子ともに元気でおります」

2013年9月27日の由美さんのお話より

 「孫は、娘の母乳が良く出てますのでたっぷり飲んで大きくなりました。表情も豊かです。白血病の治療で薬を使ってますから、娘が子供を授かることは、これまで考えられませんでしたし、考えていませんでした。また、妊娠が分かって出産するまでずっと心配でした。一方、娘は動じない性格といいますか、のほほんとしてるんです(笑)。15年前の治療の時もそうでした。大人でさえきついといわれる検査でも決して弱音をはかない。入院中は笑顔を絶やすことなく、笑ってばかりで。この性格は誰に似たのか分かりません(笑)」

2013年12月29日のお母様のお話より

 

 「息子はよちよち歩きができるようになりました。みんな元気でおります」

2015年1月1日の由美さんの年賀状より 

 

 「由美も孫もとても元気に幸せに過ごしております。孫はもうすぐ2歳になります。」

2015年9月14日 お母様の洋子さんのお手紙より

 「由美は今年の2月に第2子を出産いたしました。元気な女の子です。早いもので、長男の方はもうすぐ4歳になります」

2017年7月15日 お母様の洋子さんのお話より

【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。

当研究所の技術を真似た偽造品やコピー品にご注意下さい。

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