喉頭ガン

佐藤満さんの場合

※大腸ガンについては後半をご覧ください。

000077-a.jpg 「私がノドに異常を感じたのは1992年1月のことでした。町内会の集まりでカラオケをやっていると、突然声が出なくなったのです。これは普通ではないと思い、病院で診てもらうと、やはり声帯に異常があるということでした。

 それからしばらくの間通院が続きました。最終的には喉頭ガンの診断が下り、患部を2度ほどレーザー光線で焼く治療を行いました。それでも良くなる気配は一向に見えてきません。そんな折、心配する友人たちが、矢萩先生の研究している日本冬虫夏草の話をしてくれたのです。

 日本冬虫夏草を飲み始めたのは1993年の2月半ばからです。初診から1年以上が経っていました。初め飲むのに抵抗がありましたが、お茶だと思って飲みました。他に薬草茶も作り、それにブレンドして毎日飲みました。山から採ってきたサルノコシカケ、ドクダミ、オトギリソウ、ヨモギを土瓶で煎じて。

 2週間後、主治医からある決断を迫られました。患部の摘出手術の話で、それは声帯まで全部取り、ノドには穴が開いたまま二度と声が出せないというリスクを伴うものでした。

 妻はそれを聞いたとき、『お父さんにとって声を失うことがどんなに不自由なことか、なんとしても声帯を残してあげなくちゃ』と思ったそうです。とはいってもどうしたらいいものか...。理容師の仕事をしている妻はたまりかねて、あるお客さんに私の病気を打ち明けたそうです。

 すると思いがけない答えが返ってきたのです。『私の娘は千葉県柏市の国立ガンセンターで看護婦長をしております。その分野の名医がいると聞いてますから娘に相談してみましょう』なんでも娘さんは看護の勉強のために海外留学までされた方で、名医とは、海老原医師です。声帯を少しでも残せる可能性があるならそれにかけてみよう。心が決まりました。

 一方で、主治医にこのことを話したら、かなりもめるのではないか、妻がけんかする覚悟で面談に出掛けたのは1週間後のことです。すると結果はあっけないものでした。『海老原先生は、私たちなど及ぶ相手ではなく、日本で1、2位の腕を持つ方です。どのような方法で知りましたか?誰の紹介ですか?』と逆に尋ねられて、あっさり紹介状を書いてくださいました。『治療後、帰られたら一度私に診察させてください』とまで言ってくれました。

 柏市国立ガンセンターに向かったのは1993年4月1日。前日には県の退職者辞令交付式典があり、夫婦で出席しました。定年のこの日まで勤め上げた満足感でいっぱいになり、幸せな一日でした。そこで矢萩先生夫妻にもお目にかかり、記念撮影などもご一緒して、誠に不思議な縁を感じました。


000077-b.jpg 上野駅でそれまで止められなかったタバコを捨てました。病院に到着し、その建造物を目の前にしたとき、はたして生きて帰れるものやらと心細さが募りました。それでも婦長たちスタッフが玄関先まで出迎えてくださっていて、その笑顔にすくわれる思いがしました。

 執刀してくださるのは海老原医師。俳優の中村錦之助さんや勝新太郎さんの手術も手がけられています。私の病状を11名が診て、一人一人が所見を述べ、それをもとに大先生が最終決断をするという方針でした。そして『できるだけ声帯は残して欲しい』という妻の切実な申し出に『分かりました。半分残しましょう』と約束してくれたのです。

 主治医は浅井医師が担当となりました。今まで服用していた薬は全部取り上げられましたが、日本冬虫夏草だけはこっそり飲み続けました。

 4月16日に手術。大成功ということで1ヵ月余りで退院。声を失うことは一度もありませんでした。ただノドには穴が開いており、これは再発を確認する窓穴といったところで、数ヵ月このままで過ごさなければなりません。

【佐藤 満さんの経緯】

1992年1月 カラオケ中に声が出なくなる。通院開始。喉頭ガンの診断。1年の間に2度のレーザー治療を行う。
1993年2月半ば 日本冬虫夏草を飲み始める。薬草茶も合わせて飲む。
3月 主治医から、患部の摘出手術の話があり、声帯は残せず声も失うとのこと。声帯を一部でも残したい一念で他の病院を探す。
3月31日 定年退職の日。県の退職者辞令交付式典に夫婦で出席。
4月1日 千葉県の国立がんセンターに向かう。
タバコを止める。
4月16日 手術。声帯の半分が残り、声も失わず。

 その頃の私は、無傷のときと違って世間に見せる自分の姿や気持ちが未練がましく思え、人に会うことができませんでした。でも日が経つにつれて、そういった思いは薄れていき、観念のようなものが生まれていったのです。

 8月。術後の経過が順調だったことで穴を閉じる手術が行われました。これまでの治療には、抗ガン剤や放射線など手術以外の治療は一切なく、薬も術後に鎮痛剤を使用した以外は何もありません。

 発病は、原因が3つ重なって起こったのだと思います。(1)タバコ、(2)仕事上責任あるポジションでストレスを感じていたこと、(3)環境の悪い職場で長年汚れた空気を吸ってきたことなどです。県立病院の四方に窓のない、わずかに空調だけの職場でクリーニングの仕事を30年間勤めてきました。後に県の病院管理課に掛け合って改善を求め、現在は、たいへん理想的な職場に姿を変えています。

 手術から今年で9年目。再発もなく、めったに風邪をひくこともなく、週に何日かはハイテク会社の運転手の仕事をしています。日本冬虫夏草と薬草茶は続けており、晴れた日はできるだけ野山に出かけ、新鮮な空気を吸うことを心がけています」

朝日ウィル(北燈社)2001年7月17日号より

 

「手術から14年が経とうとしています。術後3年目で『もう心配いらないよ』と医師から太鼓判を押されましたが、念の為5年目までは検査してもらいました。

 ここまで再発なく、元気で過ごしてきました。今年で74歳となります。仕事は辞めましたが、妻と一緒に幼い孫の面倒をみてますから、毎日とても忙しく、体力も使います。その孫も来月から保育園に入園するので、これからはゆっくりする時間も取れると思います。

 当時を振り返ると、病気を一人でかかえこまず、周囲の人たちに打ちあけて相談したのが良かったと思います。経験者もいるし、必ず何らかのヒントやアドバイスをもらえるものです。妻にも感謝しています。彼女のお客さんからの提案で私の運命も変わりました。これは妻が長い間、確かな技術で温かく誠実な接客サービスを心掛けてきてくれたおかげだと思っています。どのように生きてきたかという真価が問われるのは、こういう瞬間なのかもしれません。

 これまでずっと薬草茶と日本冬虫夏草が傍らにありました。最近は健康に自信がついてきたものですから、あまり飲まなくなりました。妻からは『お父さん、飲んでくださいよ』と言われています」

2007年3月2日のお電話より

 
 大腸ガン

 「2007年12月29日に下血があり、明けて2008年1月22日に大学病院で大腸ガンと診断されました。翌日から日本冬虫夏草を再開し、1日400ccを飲み、主食は無農薬無肥料のキヨニシキ玄米、お酒と肉は止め、日本冬虫夏草の浣腸も試してみました。生活を変えてから1週間もすると便がきれいになっていったので良い方向に変化しているなと感じました。

 手術は2月13日のことです。大腸を20cm切りました。摘出部分は黒ずんでいたということです。リンパ腺に転移しているかどうか、この時点ではまだ分かりません。術後、私の回復力のすごさに担当の先生も看護師さんも目を丸くしてたまげていました。『もう少し置いてください』と申し出ると『何ともない人は帰ってください』と言われ、2月24日に退院しました。

 その後も自己管理を続けました。キヨニシキ玄米にはすっかりはまってしまい、おいしくておかずがいらない程です。一時期5kg減った体重もみるみる戻っていきました。
 4月15日にようやくリンパ腺への転移なしとの検査結果が返ってきました。抗ガン剤投与の話は入院当初からずっと持ち上がっていましたが、5月13日になると『75歳になるし、抗ガン剤は止めておきましょう』と言われ、15年前の喉頭ガンのときと同様、手術のみの治療で終了しました。7月22日のCT検査でも、異常なしとの診断が下りました。
 振り返ると3人の息子のことで幸せを願うばかりに心を痛めた時期がありました。思うようにならないことにいら立ったりしました。そして毎日、ビールと焼酎と日本酒のちゃんぽんで晩酌を欠かすことはありませんでした。先生にお酒のことを尋ねたことがあります。『お酒は飲んでも構わないよ』と言いますが、大腸ガンになったことをきっかけにスッパリ止めました。ガンを経験した人は、止めるに越したことはないと思います。止めるに勝る薬なしです。
 2度のガンを経験して神経が大分図太くなったように思います。この先何があろうとドンと来いといったような。それでも何もないようにと食事療法を中心として、体の改革に努力し続けておりますので、どうぞご安心ください」

2008年8月18日のお話より

2007年12月29日 下血。
2008年1月22日 大腸ガンの診断。
1月23日 日本冬虫夏草を再開。主食は無農薬無肥料のキヨニシキ玄米。お酒と肉は止める。日本冬虫夏草の浣腸を試す。
1月29日 便がきれいになってくる。
2月13日 手術。20cm切除。
2月24日 退院。
4月15日 リンパ腺への移転なしと分かる。
5月13日 抗がん剤投与はやらないことに決定。
7月22日 CT検査、異常なし。

 

 「秋田県の玉川温泉で1週間の湯治を体験してきました。鍋釜持参の炊事でテレビ・ラジオ無しの生活、岩盤浴に明け暮れて不思議な世界を肌で感じました。九州から北海道まで何かしら体の悪い方々が毎日500人の出入りがあり、異様なお山の景観を拝してきました。家内も体が軽くなったと言っていました。現在私は服用している薬も一切無く、全く元気に過ごしております」

2008年11月4日のお手紙より

 

 「服用している薬も一切無く、変わらず元気に過ごしております」

2009年4月2日のお手紙より

 

 「大腸ガンの手術から間もなく3年が経とうとしています。再発や転移とは無縁で、すこぶる元気に過ごしております。1月5日から毎日雪が降り続いております。毎日雪かきです。でも主なところは息子にやってもらってますので、頑張り過ぎることなく力を抜いて続けています」

                                            2010年1月24日の奥様のお話より           

【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になったヒトはどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を否定したり、特定の商品について推奨するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。

喉頭ガン(喉頭ガン/声門上ガン/声門ガン/声門下ガン)について

喉頭ガン(癌)は頭頸部ガンの一種です。

喉頭はのどぼとけに位置する機関で食道と気道(気管への通り道)が分離する箇所にあり、この部分に出来るガンを総称して喉頭ガン(喉頭癌)と呼びます。

食べ物が気管に入ることを防ぐ誤嚥防止の機能と、声帯を振動させて声を出すための機能が喉頭の役目になります。

喉頭ガン(喉頭癌)は声帯から上にできる声門上ガン、声帯にできる声門ガン、声帯より下にできる声門下ガンに分類して扱われます。

喉頭ガンのうち、声門ガンの発生が最も多く60~65%程度、次いで声門上ガンが30~35%程度、声門下ガンはほとんどなく1~2%程度となります。

【喉頭ガン(喉頭癌)の原因】

喉頭ガン(喉頭癌)の発生原因はタバコ、お酒といわれています。 また喉頭ガンは圧倒的に男性に多く発生(4~10倍)するがんで、年齢的には60歳代~70歳代に多く発生します。 米国におけるガン死亡についての調査によれば男性の喫煙者が咽頭ガンや口腔ガンになる率は非喫煙者と比較して30倍近くとなっています。 女性でも5.6倍ほどになっています。

喉頭ガン(喉頭癌)では明らかにタバコは危険因子となります。喉頭ガンにかかった方の喫煙率は9割以上になります。

また、地域的に強いお酒を好む地方に喉頭がんは多いためお酒も喉頭ガンの危険因子と考えられています。

熱い食べ物や辛い刺激の強い食べ物を好んで食べる人にも喉頭ガン(喉頭癌)の発生は多いようです。

これらの食べ物を好む方に喉頭ガンの発生が多いのは、喉頭の粘膜細胞が常に傷つき、細胞の遺伝子(DNA)ががん化しやすいためで、タバコやお酒、 刺激のあるものを食べる機会が多い方は遺伝子を傷つける可能性が高く、喉頭ガンの発生リスクが高まります。

食生活や嗜好品などの生活習慣に気をつけていれば食道ガンや喉頭ガン、咽頭ガン、舌がんなどの発生リスクは大幅に低下しますので、予防のために気を配ることが大切です。

【喉頭がん(喉頭癌)の症状】
喉頭ガン(喉頭癌)では声門上ガン、声門ガン、声門下ガンそれぞれで症状や転移率、治療方などが異なります。

<声門上ガン(癌)>(喉頭ガンの症状)

喉頭ガンのうち声門上がん(癌)の初期症状としては食べ物を飲み込んだときの異物感、痛み、いがらっぽさなどになります。

ガンが進行して大きくなり声帯にまで拡がると声がかれるようになります。さらに進行すると呼吸困難が生じてきます。

また、首のリンパ節(頚部リンパ節)へ転移しやすいため首のリンパ節が腫れて気が付くこともあります。

<声門ガン(癌)>(喉頭ガンの症状)

喉頭ガンのうち声門ガン(癌)の初期症状としては声がかれる嗄声(させい)がおこります。長期にわたり嗄声が続く場合には医療機関を受診する必要があります。がんが進行するとさらに嗄声がひどくなったり、声門が狭くなって呼吸困難になることがあります。血痰がでることもあります。

<声門下ガン(癌)>(喉頭ガンの症状)

喉頭ガンのうち声門下ガン(癌)の場合には初期症状がほとんどありません。進行すると嗄声や呼吸困難などが発生します。