C型肝炎ウイルス

がんやC型肝炎ウイルスを自然消失された方のお話も含まれています。冬虫夏草や自然療法、代替療法にご興味のある方々です。

尾原正芳さんの場合

 「C型肝炎ウイルスに感染したのは19歳の時でした。肺結核を患いましてね。手術の際に受けた輸血が原因なんです。肺結核の方は完治しまして、10年間は何事もなく過ごしました。

 30歳になって、肝機能の検査データに異常が出始めた時、『A型肝炎ウイルスでもなければ、B型肝炎ウイルスでもないね。それでも確かに何者かが住みついてますね』という非A非B型という診断をされたんです。まだ世の中でC型ウイルスが発見されてなかった頃ですからね。C型ウイルスと確定されたのはそれから15年後の1992年のことです。


000052-a.jpg C型のキャリアーとわかってから長野県に転勤になり、単身赴任を余儀なくされました。茨城の自宅は新築したばかり、子どもたちは受験を控えていて経済的にも一番きつい時期でもありました。

 1996年初夏。とうとう肝臓に2センチ大の腫瘍が発生しました。患部は手術によって切除されましたが、これが1回目の手術となります。以前からインターフェロンの勧めはありました。でもうつ病等、精神的な副作用も出るきつい治療というでしょう。単身赴任の身の上であったし、避けて通ってたんです。

 手術から3ヵ月して、やむにやまれずインターフェロンの投与をスタートさせました。皮膚に薬疹が出て、痒みに悩まされましたが、私の場合はC型ウイルスの中でもインターフェロンが効き易い2b型ということで、3ヵ月でウイルスは陰性になりました。ウイルスがいなくなってもすでに肝細胞のあちこちが傷ついてるということなんでしょうね。手術から1年後に再び肝臓の5ヵ所に腫瘍が現れました。妻の勧めもあって、日本冬虫夏草を飲み始めたのはこの直後のことです。

 2度目の手術は10時間以上を要しました。朝8時に病室を出て戻れたのは夜中の12時。『手術はこれが最後。3度目はできないよ』と言われました。そんな中、不思議なことが一つありました。切除した5ヵ所のうち3ヵ所からガン細胞が全く見つからなかったというのです。大変な手術だったにもかかわらず、傷口の治り具合も前回より早いように思いました。

 このとき、同じように入院して手術をされた方が3名おりました。ところが1~2年の間に全員亡くなられたそうです。それを知ったときはとても残念で、手術だけでは不十分なのかなと思いました。

 その後もミリ単位~数センチ大の腫瘍が1年ごとに発生しますが、その都度、肝動脈塞栓術、エタノール注入、放射線治療で対応し、仕事を続けながらその場を切り抜けてきました。

 ところで、塞栓術では抗ガン剤も使用されますが、約2週間の治療の間、副作用がとても少なく、スケジュール通りの治療ができたことに主治医もビックリしていました。妻は『仕事の代わりはいくらでもいるんだから休んじゃえばいいのよ』と言っていましたね。私は典型的な仕事人間で帰宅するのはいつも10時~11時。結婚当初からそうでした。たまに8時、9時に帰宅したものなら子どもたちから『お父さん、今日は早いけどどうしたの?』と不思議がられる始末です。妻はせめて単身赴任がなかったら発ガンは避けられたのではないかと思ってたようです。 
 

病院の治療を一切やらずに消失

000052-b.jpg 2001年6月。5~6ミリ大の腫瘍がまたしても現れました。そして、『3ヵ月後に再検査して、それから治療しましょう』ということになったのです。その頃私は、単身赴任から解放されて、いいかげんだった食生活を妻の考案した健肝食にガラリと変えていました。無農薬野菜、玄米、自家製のシジミエキス、ゴマ等の種子類、海草類です。肉は1ヵ月に1回食べるかどうかです。また、一人の時と違って、家族と一緒ですと仕事上の責任や対人関係のトラブルからくるストレスもずいぶん軽くなるんですね。飲んでいた日本冬虫夏草の内容を変えたこともありました。

そうしたら3ヵ月してMRIで再検査をすると、『あれっ、この辺にあったのに見当たらないね』と言われて。あったはずの腫瘍がきれいに消えていたのです。この間、病院の治療は一切ありません。それからというもの、再発とは無縁で今日に至っています。私は、タバコとお酒は全くやりませんが、仕事中毒はやめられないようです。それでもストレス解消、日本冬虫夏草、妻の健肝食にささえられて再発しない記録をこれから先ものばしていきたいと思ってます」

朝日ウィル(北燈社)2002年4月16日号より

 

【経緯】

1966年 19歳
肺結核の手術。輸血あり。
肺結核は完治。
1977年 30歳
輸血から肝炎ウィルスに感染したことを知る。
ウィルスの型は非A非B型とされた。
1992年 45歳
C型肝炎ウィルスのキャリアーと確定。
1996年6月 49歳
肝臓に2cmの腫瘍。
9月17日
1回目の手術。切除。
12月20日
インターフェロン投与開始。
1997年3月
C型肝炎ウィルスがなくなり、陰性。
6月20日
インターフェロン投与終了。
9月2日 50歳
肝臓に5つの腫瘍。
「手術は最後、3度目はできないよ」と言われる。
9月6日
日本冬虫夏草を飲み始める。
10月7日
2回目の手術。
切除した5ヶ所のうち3ヶ所からガン細胞見つからず。
1998年〜2000年
その後も1年ごとに腫瘍発生。
肝動脈塞栓術、エタノール注入、放射線治療で対処。
塞栓術では抗ガン剤も使用するが、副作用がとても少なくスケジュール通りの治療ができたことにビックリされる。
2001年6月 53歳
5〜6ミリ大の腫瘍発生。
食事を健肝食に変更。
飲んでいた日本冬虫夏草の内容を変える。
9月
MRI検査で腫瘍消滅。
この腫瘍に限り病院の治療一切なし。

 


 

「腫瘍が消失してから再発なく5年8ヶ月が経過しました。仕事人間の主人も来年3月で定年を迎えます。元気でやっております」

2007年5月30日奥様のお電話より

 

「6年以上再発がなく、定年まで残り1ヶ月となった2008年2月。CT検査で2cmの腫瘍が見つかり、5月にラジオ波での治療を行いました。これはお腹を切る必要がなく、ラジオ波の熱でもって患部を焼く治療です。(エコー画像を見ながら)患部まで針を通す必要がありますが、痛みはなく、1時間で終了しました。

 時代とともにさまざまな治療法を試してきました。外科手術に肝動脈塞栓術(ガンの兵糧攻め)、エタノール注入に放射線照射。肝臓ガンの治療法は進歩を続けていて、ラジオ波は現時点で最先端の方法といえます。

 先生は『焼き残しがあるかな』と何度か言ってましたけど、2008年10月のCT検査ではきれいに消失していました。2009年1月末の検査ではγ-GTPの数値が高い以外は肝機能のデーターは全て正常、腫瘍マーカーも正常です。

 振り返ると再発の直前には必ず大きなストレスがありました。休日も携帯で呼び出されることは珍しくなく、休みなく働きました。2008年3月に定年を迎えてからも同じ職場に通い、仕事を手伝っていますが以前とは全く違います。責任が外れて精神的にずいぶん楽になりました。ようやく肝臓に良い環境となりました。

 先生からは『あなた2回死んでてもおかしくないよ』と言われています。仕事しながらここまでこれたのは、事あるごとに日本冬虫夏草が側にあったからでしょうか。今は不思議なくらい疲れないし、何の自覚症状もなく元気で働いています」

2009年2月1日のお電話より

 


田辺裕一さん(仮名)の場合

 「私は長い間、『病気とは無縁な人間だ』と思っていました。会社の健康診断ではいつも満点、言うことなし。たった一度だけ、単身赴任中に高脂血症(2007年に脂質異常症と改名された)の一歩手前と注意された時も、脂っこいものや魚卵類・鶏卵を控え、ウォーキングを続けることですぐに数値が正常値に戻りました。『タバコが止められなくたってそれくらいではびくともしない、他の人とは体のデキが違うんだ』という確固たる自信をもっていたのです。

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 その自信が揺らぎ始めたのは60歳の時、2000年の暮れ、友人の送別会に出席した時のことでした。私はビールを飲みながら、話に夢中になり、長いことトイレを我慢していました。ようやく席を立ってトイレに行くと、おしっこが赤く染まっているのです。どういう色かといえば、郵便ポストの色。『ずいぶん酔っ払ったもんだな。こんなに眼がおかしくなっちゃって』と思い、天井のライトを見上げればそれはいつもと変わらぬ色。そこでようやく異変に気付きました。

しかし、血尿は翌日には治まっていて、その後かすかな出血が2日続いてそれっきり。病院で検査してもなかなか原因がつかめません。右の腎臓に豆粒ぐらいの腫瘍があると分かったのは年が明けた2001年1月19日のこと。右の腎臓から尿管にかけて全摘手術をすすめられました。それを知った兄は慌てて酵素という飲みものを抱えてやって来ました。精神的にずいぶん弱っていましたから兄の提案に勇気をもらい、酵素を飲み始めました。

 

 手術は2001年2月26日に行いました。細胞を調べると悪性度がレベル2で、最終的な病名は右腎孟がんとなりました。その後は3か月かけて3クールの抗がん剤治療を受けました。薬の副作用で髪の毛は若干抜けたものの食欲もそこそこで、術後の回復は早く、周囲を驚かせました。酵素飲料は6月まで続けていましたが、とても甘いものでしたし、検査で血糖値が高く出たため続けることが出来なくなりました。それと入れ替わるように同じ病室のお隣さんの話から、アガリクスの粉末を飲むことにしました。

入院中、主治医に『やっぱりタバコは止めた方がいいですよね』と尋ねたことがあります。すると『私も吸ってるから何とも言えないよ』という返事。そのまま毎日喫煙室に通い続けました。ちょっと前まで世の中はタバコには寛容で、病院の食堂でも患者さんが堂々と吸っていました。タバコを取り巻く環境がガラリと変わったのはここ2、3年のことと思います。2002年ぐらいからですかね。

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主治医は退院する際も、『お酒やビールは少しなら大丈夫。何を食べても構わないよ』と言ってくれました。それとは対照的に後に訪れた漢方薬局では、タバコはもちろんアルコール類はダメ、動物性の脂肪や肉類は止めて、穀類を中心とした食事にするなど厳しいアドバイスで、私はこの際できる限り摂生してみようという気持ちになり、主食は白米から、玄米を1/2と1分づきを1/2混ぜたものに替え、タバコは2001年8月13日にスッパリと止めました。

 

病院では、いずれ膀胱に転移することを想定してるようでした。そして手術から11か月後、膀胱に4個のポリープが現れました。電気メスで患部を切除し、抗がん剤を4クール膀胱内に注入する治療を行いました。続けていたアガリクスの粉末はこの頃に止め、煎じて飲む乾燥アガリクスと、13種類の生薬を組み合わせた漢方薬に替えています。その漢方薬は有名な政治家も飲んでいるとのことでした。松葉、クマ笹、朝鮮人参も飲み始めています。

 そしてそのポリープからわずか5か月後、今度は膀胱内にカリフラワー状の悪性腫瘍が見つかったのです。膀胱がんです。これは再発の間隔がだんだん縮まっていくという話を聞きました。なんとかこの間隔を伸ばせないものか。できれば再発の心配なく暮らしたい。そんな頃出会ったのが日本冬虫夏草でした。

朝日ウィル(北燈社)2005年11月8日号より

 

【経   緯】
1997年
人間ドックでC型肝炎ウィルスのキャリアーだと知るが、たいしたことではないと思ったし、自覚症状もなく、以降手術をするまで全く忘れて暮らすこ とに。
2000年
12月20日
友人の送別会に出席、血尿が出る。
12月21日
血尿止まる。
12月22日
かすかに血尿。
12月23日
かすかに血尿。それ以降血尿なし。
2001年
1月19日
右の腎臓に豆粒大の腫瘍見つかる。
1月28日
酵素飲み始める。
1月30日
入院。
2月26日
右の腎臓から尿管まで全摘手術。術後、抗がん剤治療4クール。
3月15日
細胞検査の結果出る。腫瘍はレベル2の悪性で、病名は右腎孟がんとなる。
6月21日
血糖値上昇。酵素止める。アガリクス粉末を飲み始める。
6月30日
退院。
8月13日
タバコを止める。主食を玄米1/2、1分づき1/2の混合米にする。
2002年
1月
膀胱にポリープ4個現れる。
2月4日
電気メスで手術。
2月23日
漢方薬(13種の生薬)を飲み始める。
3月16日
アガリクス粉末止める。
3月17日
乾燥アガリクスを煎じて飲むものに替える。
3月22日
松葉、クマ笹、朝鮮人参を飲み始める。
6月20日
膀胱がんが見つかる。
6月24日
日本冬虫夏草を飲み始める。

 

 「膀胱がんの手術は2002年7月1日のこと。カリフラワー状の腫瘍をひとつ電気メスで切除しました。その後BCGを膀胱内に注入する治療を受けています。これは計6回の注入で、1回終わるごとに7日間の休みを入れてひと月半かけて行うのです。事前に、主治医からは『この治療のリスクは、耐性を持ったがん細胞がしばらくして出てくるという可能性があることです。このたちの悪いがんが現れたら大変です』という話がありました。ただ、排尿痛や白血球上昇といった治療中の副作用は全く現れませんでした。日本冬虫夏草は手術の前から飲み続けていました。煎じて飲む乾燥アガリクスと漢方薬、松葉、クマ笹、朝鮮人参はそのまま継続していました。

000048-c.jpg 手術と治療を終えて退院してから、リフレッシュするつもりで玉川温泉に出かけました。そして3日間のんびりと過ごしました。森林浴もできました。再発のことなど考えないで暮らせたらどんなにいいだろうと思いましたが、主治医は私以上に再発が念頭にあるようでした。検査も頻繁にありますから病気のことを忘れる時間がありません。
  

 その後は2年余り再発なく過ごしました。途中、ゴマ粒ぐらいのイボが出たり、ポリープが現れたりはしたもののいずれもがん細胞が出てくることはなく、そろそろがんとは縁が切れたかなと思い始めた矢先のこと。2004年8月12日、短い縫糸のようなものが現れ、とうとうがん細胞が見つかったのです。9月には、波状放射状に急速に広がっていく、悪性度が最高レベルであるグレード3の膀胱上皮がんと診断されました。前回の腫瘍はつまめば取れるものでしたから、横にどんどん這っていく今回のものとは人相がまるで違います。

 

病院の治療を一切やらずに膀胱がんが自然消失

 治療法をどうするか、じっくりと話し合うことになりました。私は、2002年にポリープ切除後、抗がん剤を注入し、5か月後に膀胱がんになっているので、その頃から『抗がん剤の治療はもうやりたくない』と断っていました。BCG注入後も、結果的このようになっているので、それも選択しにくい。そうなると膀胱そのものを摘出する手術しか残っていません。乾燥アガリクスや漢方薬も止めていましたし、もう何もかも頭にきて日本冬虫夏草も止めようと思いました。
 それでもキッパリ止めてしまう前に、種類の全く違う日本冬虫夏草のCY16番を、これまで飲んでいた知名度の高いCY11番に加えて飲んでみようという気持ちになったのです。日本冬虫夏草は国内に350種以上生息するといわれています。松葉、クマ笹、朝鮮人参も続けることにしました。手術まで2か月あります。その間、病院の治療は一切ありません。

 2004年12月13日、膀胱の摘出手術を行いました。摘出部はすぐに細胞検査にまわされました。そしてその結果は驚くべきものでした。どこを探してもがん細胞が見つからないというのです。探しても探してもどこにも無いということです。それから検査は続けてますが、がん細胞がどこかに現れるということもありません。
 そもそも発がんの原因は何だったのでしょう。思い当たるのは長年の喫煙です。1日25本、40年間休まず吸い続けてきたのです。タバコを止めたからといって、すぐに発がんのリスクが消えるものでないのも分かっています。ただ仕事の面では週に2日ほど職場に出かける程度ですから、ここ5年間は無理をせず、のんびり暮らせたのはとても良かったと思います。食事は、自家栽培の野菜をたくさん食べるようになりました。農薬をほとんど使用せず、有機肥料を使って20種類ぐらいの野菜を楽しみながら作っています。

 笑うと免疫力が上がると聞いて、コメディ映画やお笑い番組を見たことがありますが、どうしても笑えない。時代劇や西部劇のような痛快活劇の方が気持ちがスカッとして私には合うのも分かりました。心にためたりしないで言いたいこと、質問したいことを病院側にズバズバ言いました。注射が得意でない医師がいれば、『ヘタクソ、自分達で練習してから出直してこい』なんて言ったこともあります。我慢して陰で文句を言っている患者さんがよくいますが、これはお互いの為にならないと思うのです。そんな私にも病院のスタッフの皆さんはいつも親切で、丁寧でした。面倒な質問にもとことん答えてくれました。注射のヘタだった先生も、仲間内で練習していました。その先生が数年後には偉くなって戻ってきたのは、ちょっと予想外のことでした。

000048-d.jpg 2005年のお正月は、大きな手術の後だけあって、養生の為、子供や孫達に遠慮してもらって妻と二人だけで過ごしました。手術では、膀胱を取り出して小腸の一部を膀胱の替わりにしました。それは月日とともに体になじんできてますが、排尿の回数はまだ多くて不便もあります。本来の膀胱がある時と完全に同じ様には戻らないのもいたしかたないことです。がんが消失してから何事も無く、1年が経ちました。来年のお正月は子供や孫たちがやってきて、いつものように賑やかな正月となりそうです。
 引き続き、体に溜めてた毒を出し、新たに体に入れないよう食事でもって浄化に務めています。松葉、クマ笹、朝鮮人参と日本冬虫夏草は現在も続けています」

朝日ウィル(北燈社)2005年12月13日号より

 

【経   緯】
2002年
6月24日
日本冬虫夏草を飲み始める。
7月1日
膀胱がんの手術。その後BCGの治療。
7月17日
乾燥アガリクス止める。
10月15日
テレビモニターで膀胱内壁を見る。手術跡も消え、なめらかできれい。日本冬虫夏草は飲む量を減らす。
2003年
3月20日
膀胱の入り口が赤く腫れる。細胞検査をするが問題なし。
6月29日
手術から1年。日本冬虫夏草の量をさらに減らす。
8月15日
同じ漢方薬を飲んでた政治家が肺がんで世を去ったことを知る。その後、漢方薬を止める。
9月4日
ゴマ粒ぐらいのイボが現れる。細胞検査するが問題なし。
12月19日
日本冬虫夏草の量を増やす。
2004年
1月15日
3つのポリープ現れ、手術前
1月26日
血液検査、HCV(C型肝炎ウィルス)抗体陽性。3つのポリープ切除。
8月12日
短い縫糸のようなもの現れる。がん細胞見つかり、膀胱がんの手術から2年余りで再発。血液検査、 HCV(C型肝炎ウィルス)抗体陽性。
9月10日
通院で縫糸のようなもの切除。
9月13日
波状放射状に広がる進行の速い、悪性度が最高レベルのグレード3のがんとわかり、膀胱上皮がんとの診断が下る。
10月14日
これまで飲んでたのは日本冬虫夏草の中のCY11番という種。種類の違う日本冬虫夏草のCY16番を加えて飲み始める。
12月3日
血液検査、HCV(C型肝炎ウィルス)抗体陽性。
12月13日
膀胱摘出手術。がん細胞はどこにも見当たらず、消失。

 

 「なかなか簡単にはいきませんが、病気を治す環境を作るとしたら、心を解放することと、夢を持つことのように思います。

000048-e.jpg 私にとって心休まる場所がどこかといえば、森の中といえるかもしれません。森林組合が行ってる事業に山林オーナー制というものがあります。住まいの近くに1haの山林を区分し、一般の人に貸し出してる場所があり、私は年2万円の契約料で300坪の山林オーナーとなりました。

 木を伐採してもいいし、小屋を建てるのも自由です。そこでナラの木を切ってキノコ栽培を始めることにしました。10年かけてキノコの森に育てていくつもりです。
 森の中は、心が穏やかになり、免疫力が高まるように思います。そして自然の中で育った採れたてのキノコを食べ、さらに元気をもらうつもりでいます。私の夢も広がります」

000048-f.jpg 森の中を散策することは、病気を防ぎ、健康を保つ効果があるとして、自然療法の1つとして確立され、健康保険の中に組み込んでる国があります。森林療法セラピーの先進国はドイツです。日本でも森林の効力を軽視できなくなり、林野庁等によって全国31カ所の候補地の中から『森林セラピー基地』の選定が始まりました。
「2006年2月16日に、血液、尿、レントゲン、CT検査を行いました。レントゲン検査は、結核の検査で使用している簡単なものではなく、全身を写せる大がかりなものです。

 

(1)あおむけにレントゲン撮影
 ↓
(2)造影剤投与
 ↓
(3)CT撮影
 ↓
(4)再びレントゲン撮影の行程 で行いました。

 


 

 1か月後、その結果を聞きに行きました。どこにも異常は認められず、何も心配ないとのことでした。この冬も一度も風邪をひくことなく、元気で過ごせました」

2006年3月20日のお話より

 

 「2004年12月の手術から再発、転移もなく、2年半が経とうとしています。5年を目標にしていますので、折り返し地点にちょうど立ったところです。その最後の手術からは、日本冬虫夏草は量を減らさず毎日続けてきました。キノコの森作りは着実に進行していまして、ナメコ、シイタケ、マイタケの植菌を済ませ、この秋初めての収穫となります」

2007年5月12日のお話より

 

C型肝炎ウイルスが自然消滅

 「1997年に人間ドックに入って血液検査をした時、C型肝炎ウイルスに感染していることを知りました。いつ感染したのかは不明です。たいしたことではないと思ったし、それまでも、それ以降も自覚症状は全くなかったものですから、すっかり忘れて暮らしてきました。

 でも2002年の膀胱がんの手術日には、手術の順番が最後に回され、C型肝炎ウイルスのキャリアーだったことを思い知らされました。私を最後に手術するのは他の人に感染させないようにという病院側の配慮だったわけです。

 ところが2006年の夏の人間ドックで、ウイルスが陰性と出て、2007年の夏にも同様の検査で陰性と出たのです。内科の医師は『こんなことはめったにないことだなぁ』と信じられない様子でした。ワンランク上の定性分析検査を行いました。現在のところこれ以上精度の高い方法はないそうです。その結果が出てきまして、やはりすべて陰性ということでした。そのデータをお送りします。膀胱がんの手術でがん細胞が消失しているのを確認してからまもなく3年が経とうとしています。食事療法をしながら、松葉、クマ笹、朝鮮人参と日本冬虫夏草は今も続けています」

2007年10月15日のお話より

 

田辺裕一さんのHCV抗体検査の推移

検体(血液)採取日
HCV(C型肝炎ウイルス)抗体
 
1997年日付不明
陽性
人間ドック
2004年1月15日
陽性
手術前検査
8月12日
陽性
手術前検査
12月3日
陽性
手術前検査
2006年8月10日
陰性
人間ドック
2007年8月6日
陰性
人間ドック
9月18日
陰性
最終確認

 

 

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 「再発なく無事に4年が経とうとしています。手作りのキノコの森でなめこを収穫しました。稔りの秋を楽しんでいます」

2008年11月4日のお話より

 

 「2月3日のCT検査でも異常なし、2月10日の血液検査と膀胱鏡検査でも異常なしでがん細胞の消失から何事もなく無事に4年2か月が経ちました。日本冬虫夏草も変わらず続けています」

2009年2月12日のお話より

 

 「がんを経験し、自分の健康を考えた時、自分の口に入る野菜は自分で作ろうと思いました。虫が付いてもいいから無農薬で。野菜作りをするようになって毎日張り合いと楽しみが生まれました。この気持ちが免疫力を高めるのに一役かってくれてるようです。
退職して『今日は何をしていいかわからない』という人がいます。それはもったいないことだと思います。野菜作りは今日はこの作業、明日はこの作業、と次々とやることが出てきます。
でも年齢とともに手入れする面積を縮小することが必要と思っています。同じようにやり続ければ必ず無理をします。それでは健康のために始めたのにもとも子もありません。
 12月13日で膀胱がんの消失から5年、C型肝炎ウイルスの自然消滅から2年、何事もなく過ぎました。腎盂がんや膀胱がんは克服したといって良いでしょう。病院からは、検査の間隔を2倍に延ばされました。今後は日本冬虫夏草の量を1/2に減らして続けていくつもりです。ますます元気に過ごしております」

2009年12月29日 のお話より

 「私ががんになった時、友人達は病気に無縁で元気そのもの。うらやましいと思ったものでした。それからというもの私は健康のために努力を続けてきました。今は、痛いところも悪いところも何もありません。幸せな毎日です。一方、元気だった友人達は皆、体のあちこちが悪いとボヤいています。彼らは体に自信があって努力するきっかけが無かったのでしょう。努力の差は長い年月をかけるとはっきり出てくるものなんですね。毎日の努力の積み重ねとはこわいものです。

 膀胱がんの焼失から5年半、C型肝炎ウィルスの自然消滅から2年半、再発なく元気に経過しました。日本冬虫夏草は今も続けています」                                      

2010年6月22日のお話より

 「この度の検査でどこにも異常が無く、この12月で膀胱がんの消失から7年が経とうとしています。C型肝炎ウィルスの自然消滅からは4年が経ちました。この頃は年に4回の検査を続けていましたが、『これからは、年に1回(CT、膀胱鏡、血液検査、尿検査)にしましょう』と言われました。来年の9月13日に予約を入れてきました。

 無農薬、有機肥料の野菜作りを続けています。食べてくれる友人達は『甘くて、特別旨いよ!』と絶賛してくれます。孫達も野菜嫌いの者はおらず、バクバク食べてくれます。私の食生活は完全和食です。お肉は滅多に口にしません。それでも鶏肉だけはたまに食べます。薬を使わない採れたての新鮮野菜と完全和食が、私に正常な細胞1コ1コを作ってくれてると思っています。日本冬虫夏草も続けています」

2011年10月1日のお話より

 

胃がんの再発がストップ

 「2年続けて胃壁にがん細胞が見つかり、2012年8月と2013年10月に削り取る手術をしました。2012年の2月にはすでにピロリ菌の除菌は済ませていました。

 冬虫夏草属の胃がん細胞に対するスクリーニングの結果が出てきたのは2013年に入ってからです。日本冬虫夏草CY157番が胃がん細胞に選択的に働いたというものでした。これまで飲んでいた日本冬虫夏草の一部をCY157番に切り替えることにしました。2014年の秋と2015年の秋の検査では異常無しで、再発無く3年目を迎えています。

 耳鼻咽喉科の先生に聞いたところ、タバコをやめてもその影響は長く残るということらしく、肺の場合は一生だそうです。他の臓器は、禁煙してから15年経てば、吸ってない人と同じになるそうです。私が止めたのは、2001年8月13日のことでした。

 さて、今年も野菜作りを元気に続けていますが、畑をやっていると思わぬ窮地に陥ることがあります。自分にとってどの辺が限度なのか分からなくなってくるのです。作物の種類がどんどん増え、耕作地も広げ、収穫した野菜を親しい人に配れば、大層喜ばれるものですからますます没頭していきます。特に夏場、天候が悪くても作業をし、体力を擦り減らすようになります。

 限界はどこで見極めればいいのでしょうか?朝の目覚めが悪い場合や体重が増えてないのに体が重く感じて機敏な動作に苦痛が伴うようになったら、そこで悟らなくてはなりません。

 後期高齢者といわれる75歳が節目かなと思います。農作業の一つ一つがスローペースになっていくのを実感し、一畝を作るにしても3度の休憩が必要となりました。持久力がなくなるのですね。

 そしたら思い切って縮小するのです。私はいよいよとなったと感じ、『体力が持たなくなりまして、来年は期待しないでください』と最後の野菜を届けて回りました。

 今は、夫婦二人が食べる分だけ育てております。畑は小高い山間地にあり、これといった作業の無い日にも出掛けていきます。そこには一本の大木があり、その木陰に腰を下ろして風にあたります。真夏でも涼しく、とても心地よい風なのです。エアコンの風とは全く違います。澄んだ空気が体に入ってきます。こんな時、この素晴らしい自然環境に自分は守られているのを感じずにはいられません。

 畑の恩恵は様々ありますが、血液検査は満点で、薬を飲むことは一切無くなりました。

 日本人の高齢者が寝たきりになる原因は認知症、脳卒中、転倒・骨折の3つが大きな比率を占めるそうで、起きてから寝るまで一日の合計歩数が8000歩、その中に早歩き20分が組み込まれていれば多くの病気を予防出来、寝たきりも防げるとされています。私の一日の歩数は約7000歩になります。畑までの傾斜地を登り下りするので8000歩の効果は出ていると思っています」

2016年9月21日のお話より


 

【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。

当研究所の技術を真似た偽造品やコピー品にご注意下さい。

ご注意下さい