子宮筋腫

がんを自然消失された方のお話も含まれています。冬虫夏草や自然療法、代替療法にご興味のある方々です。

今村晴美さん(宮城県在住)の場合

「下腹部に尋常ではない痛みが走り、病院に行ったのは1999年(37歳)春のことです。この時、『他にも悪いところがないか、この際だから全身くまなく検査しましょう』という話になり承諾しました。すると次々と異常が見つかっていったのです。まずは乳房にしこり、そして甲状腺に腫瘍、さらに腸骨に影...。

 

 乳房のしこりは良性と悪性の中間レベル、グレーといったところで、すぐに摘出。甲状腺の腫瘍はクロ。広がっていたリンパも含めて摘出しました。腸骨の影はシロの判断でした。

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 今はどうか分かりませんが、当時の検査は肉体的、精神的負担が伴いました。手術よりしんどかったかな。私は、その病院で幸運にも心の支えになってくれる素晴らしい看護師さんと巡り会っていました。生検の際は病院側に頼み込み、その看護師さんに担当で付いてもらいました。検査中ずっと手を握ってもらっていたほどです。白衣の天使って本当にいるのですね。彼女がいなければ、次から次に起こる現実を乗り越えられなかったと思います。

 

 さて、唯一症状が出ていた子宮内膜症の話に戻りますが、片方の卵巣と卵管を摘出しました。子宮には筋腫が3個ありましたが、残して経過観察していくことになりました。甲状腺の術後も、抗がん剤の投与等無かったですし、投薬されたものといえば退院後の鉄剤とホルモン剤ぐらいですかね。

 

 その後しばらくして、副鼻腔炎の手術もやっています。このように、次々とやってくる大病に休み無く立ち向かっていかなくてはなりませんでした。

 

   2001年になると、今度は息子の肺にがんが見つかりました。当時18歳。転移ガンでした。手術の前に抗がん剤を投与し、患部を小さくしてから根っこを手術で摘出するというプランに沿い、抗がん剤投与が始まりました。すると全身の毛が抜けました。眉毛もです。並外れた食いしん坊だったのに食事はできず、飲み物さえ受け付けない。胃の中は空っぽなのに吐くのですから見てられませんでした。自分のことより辛かったです。

 

 そこにある人物が見舞いに訪れました。山内正徳さんという方です。そして『これ飲んでみて』と何か差し出したのです。それが日本冬虫夏草と私の初めての出会いでした。

 

 覚悟を決めた息子は、ひとくち口にしました。すると食べ物も飲み物も一切受け付けなかったのにスンナリ飲めたではないですか。それから先も他の物は無理でも日本冬虫夏草だけは飲めるということでした。不思議な物があるもんだわと思いました。

 

 その後、息子の手術は成功し、再発や転移と無縁で今日まで元気に過ごしています。日本冬虫夏草は現在も続けています。

 

  さて、2005年の話になります。仕事中のことでした。ずいぶん前から左耳が聞こえずらいなと思っていたのですが、秋になって、電話の受話器を持った時、発信音が全く聞こえなくなったのです。右耳にあてるGH127_L_SP0001.JPGと確かに発信音は鳴っています。音の種類によって全く聞こえない音とかすかに聞こえる音があるようでした。

 

 すぐに耳鼻科で診てもらうと『耳自体は何ともない。耳の裏も問題ない。他に問題があるのではないか』ということでMRIで頭部を調べると『何かあるね』と言われたのです。頭の中が真っ白になりました。診察が終わったらデパートに寄って帰ろう。そんなあたり前の日常が一遍に吹っ飛んでしまったようでした。老舗デパートが閉店セールをやっていた時だったのでよく覚えてます。1129日のことでした。

 

 そんな時、あの日本冬虫夏草を思い出したのです。再び山内正徳さんに相談し、私も早速日本冬虫夏草を試すことになりました。病院からは『腫瘍が耳の神経と顔面神経と三叉神経にかかっていますので手術のリスクがかなり大きく、万が一神経が切れてしまうと。顔の半分が落ちてくるでしょう』と言われました。そして、脳外科医の福島孝徳先生に執刀してもらうように手配してくれました。福島先生は海外で活躍されていて、鍵穴手術で癒着や神経を巻き込んだ腫瘍を上手く剥がす技術をもっている方らしく、来日する2週間の間に45件もの手術をするといわれています。その代わり、手術を1年近く待たなければなりませんでした。

 

 手術の準備として貧血を改善しなければならず、鉄剤を渡されました。日本冬虫夏草は無理なく続けられました。フルタイムで働くのを止め、時間をセーブして仕事を続けました。

 

  半年後の20065月。脳腫瘍の診断直後からあった頭痛が無くなっていました。血液検査をすると、『貧血が良くなってる』と言われました。『子宮筋腫も大きくなっていない』ということでした。頭痛は、『ここに腫瘍がある』という精神的なものに起因した痛みだったのかなとも思います。20069月には、貧血は改善され、子宮筋腫も大きくならず止まったまま。子宮筋腫の方は『このまま手術なしでいけそう』との診断。難聴はまだありました。

 

  20061027日、脳腫瘍の摘出手術の日です。前もって『腫瘍は神経に絡まっているので元のように聞こえるようにはならないよ』と釘を刺されていました。病室を朝9時前に出て、手術室から戻ったのが夜の8時。手術は10時間に及びました。後で知ったのですが、この日は私のために10名程の親戚縁者が駆けつけ、見守ってくれてたそうです。術後、頭の中に空気が入ったために起こる頭痛が続きました。そのため1か月は薬を服用しています。薬はそれだけです。

 

 

戻らないと言われていた耳が元に戻った

 

しだいに頭の重苦しさや痛みから解放されていきました。そして、なんと左耳が昔の耳に戻ったのです。電話の受話器をあて、普通に会話が出来るようになったのです。耳は元には戻らないと覚悟してましたから、信じられないことでした。

 

 私の感想ですが、腫瘍が神経から剥がれ易くなってたのではないかと思うのです。手術まで長い時間がありました。その間、日本冬虫夏草をはGW115_L_SP0001.JPGじめ、食事に気をつけたり、仕事をセーブしたり、できるだけ体をいたわる事に努めました。乳製品断ちもしました。それまではチーズが大好物で頻繁に食べていました。これらの試みが無駄ではなかったのだと思いました。仕事はひと月休んだだけで、復帰することができました。

 

  20077月。持病の子宮筋腫にも変化が現れました。

筋腫3個がそれぞれ小さくなっているのです。先生も『このまま閉経していけば大きくなることはありませんし、手術の心配はもうありませんよ』と言ってくれました。血液の状態も『献血できるほどです』と言われました。この年の暮れには転職してフルタイムで働き始めています。

 

 持病の子宮筋腫はさらに小さくなっていき、2010年の夏から週に1度スポーツジムに通い始めました。40分のランニングが出来るほどの体力が身につきました。私の実年齢を知った人が『えっー!若い!』と驚いてくれます。孫と一緒にいると母親と勘違いされることもしばしばです。日本冬虫夏草との付き合いも5年を超えました。2006年の脳腫瘍の手術が終わってから手術を必要とするような大病が全く無くなりました。暮らしの中にはいつも日本冬虫夏草があります。

 

 

 

  振り返ると、経済的問題を抱えていて、それが引き金になったかなと思います。20年間苦しみました。がむしゃらに働き続けなくてはなりませんでした。休んだという記憶がほとんどありません。体が悲鳴を上げるはずです。今では全てが片付き楽になりました。一方で人に恵まれました。健康を取り戻せたのは周囲の温かい方々に支えてもらったお陰だと思っています。

 

私は、自分の事情や悩みを隠したり、ひとりで抱え込んだりしない性格です。それゆえ、皆からヒントやアドバイスを貰えたのかなと思います。皆、色々な経験や知識を必ずお持ちです。今度は私が病気で苦しんでる方の力になり、世の中にお返したいと思いました。私の経験が役立ってくれたらこんな嬉しいことはありません。そのため実名のまま、隠さず話させていただいたつもりです」

 

                                                                       201124日のお話より

 

 

 

【経   緯】
1999年  日付記録無し 乳房のしこり摘出。
   4月15日 子宮内膜症で卵巣・卵管摘出手術。子宮筋腫は残す。
   5月11 左腸骨腫瘍生検。
   5月24 甲状腺がん手術
2000年  10月30 副鼻腔炎手術。
2005年  11月29 脳腫瘍見つかる。
2006年  5月 脳腫瘍の診断直後からあった頭痛が解消。
子宮筋腫の大きさはそのまま。貧血改善方向へ。
   9月 子宮筋腫の大きさはそのまま。貧血改善。
   10月27 脳腫瘍摘出手術。本来の聴力に戻る。
2007年  7 子宮筋腫が縮小し、完全に手術の必要無くなる。
2010年  10月 子宮筋腫がさらに縮小。

 

 「立ちくらみのようなめまいがしたので、検査をするとコレステロールと中性脂肪の数値が高いことが分かりました。CT画像には脳梗塞の跡が写っていると言われました。いつ起こったのか気が付きませんでした。こういうことは多くの方にあるようです。体調に自信があったので、ここしばらくは、食事に気をつけることも無く、自由に食べてました。気を抜いて油断してました。職場の同僚に健康アドバイザーがおりまして、コレステロールを下げる食材、血液をサラサラにする食材を教えてもらいました。運動と組み合わせて、体質改善に努める決意を新たにしています」

 

                                2011年2月10日のお話より

                                               

 

 

3.11東日本大震災で次男家族が九死に一生を得ました。

            

 「巨大地震の直後、名取市閖上(ゆりあげ)に住む次男家族の安否が気になりました。海沿いの街ですから津波によって壊滅したという話です。連絡も取れず、一部の望みも無いとあきらめかけてたその時、当人達が現れました。孫を抱きしめて号泣しました。地震から3日目のことです。IMG_0797_SP0001.JPG

 

我家は今、非難してきた他の親族も合わせて10人暮らし。次男は職場が流され、仕事を失った状態ですが、目下のところ大所帯で賑やかに過ごしております」

            2011年3月16日のお話より

 

 

 

名取市にある仙台空港ターミナルの様子。津波によって運ばれた瓦礫の山。止まったままの電車が見える。329日撮影。瓦礫の撤去が急ピッチで進められていた。米軍200人が作業にあたり413日に一部国内線で運行再開。当初、開港に一年といわれていた。驚異の速さに世界中が驚いた。


 

 

 「疲れがでたのでしょうか?首に痛みが出たので脳外科で診察してもらうと、帯状疱疹と分かりました。発疹が出る前だったのですぐに治療し、事なきを得ました。次男は新しい仕事に就き、再スタートを切りました。今は5人所帯となり、日常生活も落ち着きを取り戻しつつあります」

                               2011年6月3日のお話より

 

 


 

 市の乳ガン検診で『影のようなものがある』とのことで再検査に行ってきました。正直ちょっと心配でしたが...今日の検査で異常なし。安心して帰ってきました。めまいからは解放され、血糖値だけ高く、今、本気で食事療法を始めたので体調が良いです。息子は私より日本冬虫夏草を多く飲んでいて元気にしています」                           

2012年5月8日のメールより

 今日、検査のため病院に行ってきました。2か月前から薬は出されていたのですが正常値に届かず、ここにきてついに血糖値が正常になりました。真面目に食事療法に取り組んだ成果だと思います。コレステロール値もOK!嬉しいです」

                                                                 2012年6月28日のメールより

 「両親や孫たちと大所帯で楽天と日ハムのゲーム観戦に行ってきました。延長戦にはなるし、孫たちは飽きてくるし、冷えてくるし、途中で帰宅して正解でした。無理をせず、家族でイベントを楽しみながら過ごしています。脳腫瘍の手術から8年が経過しました。元気で過ごしております」

 2015年5月21日のお話より

 

肺がんを克服した長男が結婚

  「昨年11月末に副鼻腔炎になり、ポリープも一つみつかったため手術しました。その後 、大晦日に40度、1月末にも38度の高熱が出ました。病院での検査で、インフルエンザでないことが分かっています。でもそれからなんですよね。体の調子が良くなったのは。発熱の産物かもしれません。

EN166_L.jpgこの度、肺がんを克服した長男が良縁に恵まれ結婚いたしました。9月には子供も生まれます。18歳の時に抗がん剤を大量投与してましたから、子宝に恵まれることなど考えていませんでした。驚いています。みんな元気で働いております」

 2016年5月3日のお話より

 

「予定より一か月早く孫が産まれました。2400gと小さめでしたが元気な男の子です。私のところにお嫁さんが里帰りしたようなかたちになっていましたが、今日から本来の住まいに戻り、3人の生活が始まります」

 2016年9月18日のEメールより

 

 

足立吹喜代さんの場合

群馬県前橋市の足立吹喜代さん(子宮筋腫)からの手紙

拝啓 

  毎日厳しい暑さが続きますね。いつも大変お世話になります。 遅くなりましたが治療中の記録をお送りいたします。 私は本を読み、「そうだ私も日本冬虫夏草で治してみよう」手術は絶対にしたくないと思いました。 治療経過は別紙のとおりですが、治療中は時にはくじけそうに なったこともありましたが、おかげさまで健康になることができました。そして、手術もしなくてすみました。本当に夢のようです。

 健康ほどありがたいものはありません。私は健康になることができましたが、私の周りにもガンで苦しみ若い命を失った人がたくさんいました。(私の甥もそうでした。病気が発見されてから5ヶ月あまりの命でした。) 本人はもちろん、残された家族にもこんな辛いことはありません。かける言葉もありませんでした。

 一日も早く日本冬虫夏草がガンを治せる薬として完成されることを願っています。どうか皆さん頑張ってください。 そして、私の一年くらいの記録ですが少しでも皆さんのお役に立てば幸いに存じます。 暑さ厳しき折くれぐれもお体をお大事になさいましてお仕事にお励みください。

  まずはお礼まで。

かしこ

 

病名 子宮筋腫
年齢 58歳(体重58Kg)

⟨1999年8月2日⟩病院にて筋腫の大きさ8cmと診断される。(実はここまで大きくなって いるのに気づかなかったのは症状があまり出てなかったということと,年齢的に更年期ということからです。) 医師は手術をする大きさとさかんに言う。私は年齢が年齢ですから手術は避けられるものならと医師に相談する。では少し様子を見ましょうということで次回検査は3ヶ月後。

⟨9月1日⟩日本冬虫夏草を1日600CCずつ5回に分けて飲み始める。

⟨11月18日⟩検診
まだ少量の出血あり、筋腫の大きさ医師に聞いてもはっきり言わないが、かなり大きそう。

⟨11月25日⟩
¥カルシウムマグネシウムを加えて飲み始める。

⟨12月6日⟩検診 MRI検査
筋腫の大きさ8cmと診断、医師より特別変わったことがなければ次回検査は6ヶ月後。

⟨2000年2月1日⟩
大分体調も良いので(出血もなく)今月より1日350ccに減らす。70ccずつ5回。

⟨3月15日⟩
日ごとに良くなっていくので量を少しずつ減らす。一日280cc、1回70ccを4回。

⟨4月22日⟩15本購入
1日180cc、60ccずつ3回。

⟨5月23日⟩
1日180cc、60ccずつ3回。とても体調が良くなったので上記のように飲んでいる。

⟨6月22日⟩検診
特別変わったことがなければ手術もしなくて良いとの事。6ヶ月後に検診にもう一回。

⟨6月22日⟩30本購入
1日180cc、60ccずつ3回。現在も上記のように飲んでいますが、疲れたときは多めに、先日は海外旅行に水筒に入れて持っていき、元気に旅行ができました。

飲み始めてからの体の変化
○いつも肩こりがあり、少しの書き仕事でも目が疲れていたが、飲み始め10日くらいより、肩こりも目も楽になったのがはっきりわかる。
○疲れてとても体が辛い時飲むと、とても元気になる。
○花粉症で毎年医院で薬をもらって飲んでいましたが、今年は薬も必要なく日本冬虫夏草だ けで楽に過ごすことができました。
○胃、下痢などの時も日本冬虫夏草で治していました。今年は薬らしい薬は飲まなかったような気がいたします。

足立さんはその後一日90cc程度を毎日飲んでいます。

片山茂さんの場合

000081-a.jpg  「始まりは1994年の前立腺炎からだったように思います。その時はひと月入院して薬で治療したわけですが、退院する際、病院側から今後のことをとりたてて警告されるわけでもなかったし、自分自身も病気の原因を振り返ったり反省することもありませんでした。退院できる喜びだけで、その後も以前と変わらない暮らしに戻り、忙しい仕事の現場に復帰しました。


 それから2年後の1996年1月12日。突然排尿困難になり再び病院を訪ねることになりました。そして組織検査で、今度は前立腺がんと診断されたのです。腹部にメスを入れて前立腺からリンパ腺まで摘出し、人工肛門をつくる大掛かりな手術を薦められました。その後、念のため病院を変えて細胞検査を2回行いましたが、いづれもクロでした。

 ガンと聞いて即座に命はないと思いました。でも何ていうんでしょう。根っからプラス思考が強いというんでしょうか、『ちょっと待てよ。がん即、死と考えてしまうのは狭い知識のせいではないのか。どこかに治す方法は必ずあるはず』と頭を切り換えることにしたのです。

 私はそれまで尿管や尿道の位置さえ分からず、前立腺の役割さえも知りませんでした。つまづいてしまったけれど、これから先の健康のためにも、この病気を知識を得るチャンスに変えようと思うことにしました。入院するにあたって、夜遅くまで本を読んでも周りに迷惑をかけずに済むようにと個室を希望しました。そしたら1ヵ月以上先まで空きが無いと言われて、それまで自宅で待機することになったのです。

 日本冬虫夏草を飲み始めたのはこの頃からです。妻が銀行で順番待ちをしている時、たまたま開いた週刊誌に日本冬虫夏草の記事を見つけたのがきっかけです。そして以前から加入していたガン保険がすぐに降りてきました。ほかの保険会社の給付金がプラスされて、数ヵ月はたとえ病院の最高級の特別 室を借りたにしてもあり余るほどの経済的余裕が生まれたのです。仕事を休んで情報収集を続けました。


000081-b.jpg 病院の通常療法は、決してがん体質を根本から治してくれるものではないこと。そういう体の環境を作ったのも自分、治すのも自分ということ。食べ物から体の細胞が作られているけれど、細胞の病気であるガンを治すには食べ物が深く関わっているということ。さまざまな本を読んでいくうちに頭の中が整理されていって心が静まり、体にとって何が良くて何が悪いのか明確になっていきました。

 玄米菜食を心掛け、主食であるお米にもこだわって、粘り気のないキヨニシキという品種の無農薬無肥料米を食べました。食品添加物のような化学的なものは排除し、食事は家族の分まで1日3食作りました。『薬は毒だ/田村豊幸著(農文協 現在廃刊)』(※最近では「薬をやめると病気が治る/安保徹著(マキノ出版)などがあります)という本に影響を受けて、病院から渡された薬は一切飲まないということもありました。今も記念に取っておいてますが、渡された薬の量 は半端ではありませんでした。

 そして、次第に体に変化が現れ始めました。

【経緯1】
1996年1月12日 組織検査でがん細胞が見つかり、前立腺がんと診断。
1月25日
<発見から14日目>
日本冬虫夏草を飲み始める。食事療法も開始。おしっこが勢い良く出るようになる。
2月9日 日本冬虫夏草を浣腸してみる。瞬間的にスッキリしたので続けることに。
2月22日 血便が出る。
2月29日 7日間続いた血便がピタリと止まり、一転きれいな便に。悪いところが全部出て、ひょっとしたら治ったのではと思う。
3月1日 病院に行き腫瘍マーカー検査。正常値になっている。
日本冬虫夏草を飲み始めてから1ヵ月余り。

 そして、それから2ヵ月後の手術当日。がんが消失したため、急遽手術が取り止めの事態になるとは。誰も予想してなかったことが起こるんです」

朝日ウイル(北燈社)2002年6月18日号より

 

000081-c.jpg 1996年3月1日のこと。前立腺がんの腫瘍マーカーが、異常値から正常値に下がっても手術の予定が変更されることはありませんでした。

 「先生は『1月の病理組織検査で前立腺ガンが確定されていることですし、数値が正常になっても腫瘍マーカーは腫瘍そのものを示すのではないので、予定通り大きな病院で手術しましょう』とおっしゃって、紹介されていた山口大学付属病院の個室が空くのをそのまま待つことになりました。

 ここ1ヵ月ほどは、前にもお話したように健康やガンに関する本であれば片っ端から読んで、入院まで充分時間があるのだから、黙ってないで自分にできる自然療法をやってみようと、自ら調理して食事療法の研究に取り組んだり、日本冬虫夏草を試したりしました。日本冬虫夏草は1日に700cc飲んで夜中にも飲み、浣腸法も編み出しました。この頃になるとすでにおしっこは勢いよく出るようになっていましたし、病気の自覚症状が全く無くなっていたのです。

 

000081-d.jpg 4月16日になってようやく入院にこぎつけました。早速、手術日が5月13日に決まり、再び組織検査、骨シンチ検査等、1ヵ月かけて行っていくのです。私が入ることのできた部屋は、ナースセンターのほぼ真向かいにあって、冷蔵庫もテレビも電話もお風呂もトイレも何もかも揃っていて、おそらく大臣が利用するであろうというようなところだったんですよ(笑)。ここでなら自宅でやっていた療法を誰に気兼ねすることなく、そのまま続けられるというものです。もともと肉や乳製品は食べられないので、そのメニューのある病院食にはほとんど手をつけず、妻が自宅から運んでくれる食事を毎日食べていました。ルームランナーを入れて毎日1万歩歩いたり、1階から7階まで、階段の登り降りを毎日2往復したり、ちょっとやり過ぎだったかもしれませんが、とにかく元気だから体を動かしたいし、やったところで疲れるというよりはむしろ快調だったように思います。

 そんな中、とうとう手術の前日を迎えることになりました。手術が避けられたらという思いできたわけですが、ここまできたら腹をくくるしかありません。翌朝9時からの手術に備えてその晩は早く休み、ぐっすり寝入っていました。夜中の1時を過ぎた頃でしょうか。ぞろぞろと部屋に誰かが入ってくる気配に起こされました。手術チーム5名がベッド脇に並んでいるようです。そして『片山さん、今まで会議してようやく結論が出ました。外部に出していた組織検査の結果から、がん細胞が全く見つからなかったので手術は中止にします』と言うのです。

【経緯2】
4月16日 ようやくベッドが空き入院。
4月18日 組織検査。5月12日にこの結果が出ることに。その後も検査が続く。
5月13日 組織検査の結果が出て、がん細胞が全く見つからず、長時間の会議の末、手術日当日の未明に手術取り止めとなる。

 治療を何もしないでがんが治ったわけですから不思議な人ということで病院内ではたちまち話題になりました。スタッフの中には『片山さんは何の宗教を信仰しているのですか』と質問する人まで現れて。でも私のような人がいたら、祈ったり気力で立ち向かおうとする前に、少し落ち着いて健康とは何かをぜひ勉強してほしいと思うのです。

 治癒は努力の結果でまぐれ当りではないという証拠に、日本冬虫夏草を飲み、同じように生活した妻は、すぐにでも子宮摘出手術が必要な程、大きな子宮筋腫をかかえていましたが、みるみる縮小し、手術の必要がまったくなくなってしまったのです。この生活をやる以前は、筋腫は赤ん坊の頭程ありました。そして、85歳になる母の白髪が根元から黒くなっていったのはちょっと予想外のことでした。


000081-e.jpg 私は、大学で声楽を学び、元レコード歌手だったこともあって、自宅でカラオケ教室を営んでいます。生徒さんの中には歌を習う以上に健康談義を楽しみに通う人も多いんですよ。歌うことは横隔膜を動かしてそのバイブレーションで脳を刺激し、がん細胞を掃除する免疫力をアップさせます。ここに通うようになってから健康になったと喜ばれるのは、私にとっていちばんの嬉しいことで、体験を生かして、人に幸せを分けてあげれることが自分の幸せと感じています」

朝日ウイル(北燈社)2002年7月16日号より

 

片山さんから「ぶち元気です」(山口弁で大変元気という意味だそうです)とお電話をいただきました。奥さんのまきさんも、92歳になられたお母様もお元気ということでした。

2003年12月12日

 

 お母様は95才の高齢になり、まきさんは退職され、お母様の傍で茂さんと一緒に元気に面倒をみていらっしゃるそうです。「母は10年前に日本冬虫夏草を飲んだ影響が大きく、何度も元気が復活するので、医師も不思議がってます」

2005年12月16日のお話より

 

 「国民体育大会がある一方で、国民文化祭というものがあるのをご存知でしょうか。今年で21回目となり、今回は地元の山口県で開催されます。数々のコンクールの中に歌の部門があり、47都道府県の代表が自慢のノドを競い合います。本選の前にオーディションが進められ、すでに47名から20名にしぼられています。

 私はその20名に残ることができまして、11月4日の本選(美祢市、芸術村)では「霧の摩周湖」を唄うつもりでいます。生演奏で気持ち良く唄えるのを思い描いて、今からわくわく楽しみにしています。これも元気でいればこそで、健康に感謝しています」

2006年8月4日のお話より

 

 「11月の国民文化祭は大変盛りあがり、その時応援にかけつけてくれた生徒の皆と私の姉夫婦、弟夫婦も加わって、クリスマスパーティを賑やかに開催しました。

 張り合いを持って楽しく過ごすことができるのも健康であればこそで、先日の基礎検診では血液は100点満点でしたし、骨密度は20代後半という結果でした。58歳の妻にいたっては20歳とまで出てしまって、おかしいから足を2回洗って、3度検査したほどです。妻は、牛乳やヨーグルトなどの乳製品は一切食べませんし、特別カルシウムを意識して摂っているわけでもありません。代謝も若返ったのか、体重も5kg減ったというのです。

 我が家では、15種類の野菜を庭の一角に栽培しています。朝食はそれらの採れたての野菜に、玄米黒酢、キダチアロエ、フルーツを加え、ジューサーにかけた飲みものだけで済ませます。他に作ってるのは根こんぶ水とビワ葉酒。毎日摂る水も、こだわって選んだ海洋深層水を使っています。

がんが消失してから元気に10年が過ぎました。日本冬虫夏草は現在も続けています」

2006年12月6日のお話より

 

 「母(享年97歳)の四十九日も無事終わり、このごろはボランティア活動に励んでいます。最愛の母と別れた直後は妻と二人で途方に暮れる毎日でした。最期まで母は自宅で過ごしました。12年間の介護もとうとう終わってしまいました。

 ボランティア活動とは歌の指導です。ひとりでも多くの人の心が元気になり、心の中に希望が生まれることを願っています。これから先の私も歌と共にあります」

2008年3月12日のお便りより

 

 「ますます元気にしております。週に3、4日は妻とウォーキングをしています。1回のウォーキングで10000歩歩きます。今年はゴルフコンペで4勝しました。妻も最近ゴルフを始めました。30分の体操から1日が始まります。食事に気を付けたり運動を取り入れたりするようになったのはがんになってからです。前立腺がんが消えてから13年になります」

2009年12月7日のお話より

 「ここ3~4年は若い頃より元気なんです。10000歩のウォーキングを週に5日実践しています。健康に自信を持って生きています。それでも怪我をしたら元も子もありませんからね(笑い)。交通事故には極力気を付けて、私自身も安全運転を心掛けています。前立腺がんが消えてから18年経ちました」 

20014年7月7日のお話より

 「76歳になりました。血液検査は満点です。死ぬまで筋肉は鍛えられると思っていて、間接の可動域を広げる運動、股関節や体幹を鍛える運動は朝のルーティンとして欠かしません。ゴルフコースに出て15000歩歩いても疲れや筋肉痛は皆無でよく眠れます。週に5日は料理をして頭の方も鍛えています。『認知症の予防には料理が一番』とはなるほどよく言ったものだなと実感しています。前立腺がんが消えてから20年が経過しました」

 20016年11月16日のお話より

 「前立腺がんが消えてから来月で22年です。実年齢を告げると『まさかウソでしょう?』といった顔をされます。『若さの秘訣は?』とも良く訪ねられます。これまで運動や食事などいろいろ話してきましたが、つくづく歌はいいと実感しています。歌と共に歩いてきた人生ですからね。この頃は、皆さんには呼吸法を伝えています。『窮地に立った時、是非、深く息を吐いて深く吸ってを繰り返してください。必ずあなたを守ってくれますよ』と悩みやストレスを抱えてる方たちにすすめています」

 20018年4月26日のお話より

【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。

当研究所の技術を真似た偽造品やコピー品にご注意下さい。

ご注意下さい