子宮筋腫

がんを自然消失された方のお話も含まれています。冬虫夏草や自然療法、代替療法にご興味のある方々です。

高橋美里さん(薬剤師 秋田県在住 仮名)の場合

 「年に一度健康診断を受けており、2009年に子宮筋腫が見つかりました。自覚症状はありませんでした。今から思うとおりものが若干気になってたかな。『子宮内膜が厚くなっているね』と言われました。それでも、手術するまでではなく、経過観察扱いになったのです。

 それから2年が経過し、2011年12月。今度は子宮頚から異常な細胞が見つかりました。異形細胞と呼ぶそうで、HPV(ヒトパピローマウィルス)感染が原因で正常細胞が変化したものだそうです。前がん状態で、それが数年から十数年でがん化していくものらしいです。この段階で処置すれば子宮を温存出来ます。たとえがん化してもごく初期の段階でしたら温存は可能だそうです。IMG_1245_SP0001.jpg

しかし、私の場合は子宮筋腫を抱えています。この際、子宮を摘出してしまえば、一挙に解決するということで摘出をすすめられました。

手術に踏み切れば、入院から復帰まで1か月はかかります。仕事は?家庭は?いろいろな人達に迷惑や負担をかけてしまう。自分のことより、そちらのことで頭がいっぱい。すぐに手術に踏み切るという気持ちにはなれませんでした。

 さて、異形細胞がどのレベルにあるのか、検査法によって呼び名が変わってきます。がんになる何歩手前なのか、はたしてがんにはなっていないのか。アルファベットと難解な日本語で分類されているため、複雑で分かりにくくとまどいました。

検査には①細胞診(検査)②コルポスコープ診(検査)(膣拡大鏡診ともいいます)③組織診(検査)があり、①で注意以上が出ると、②→③と進みます。

①の検査で私は、HSIL(高度扁平上皮内病変)という高いレベルでした。(表①参照)これは(中等度異形性~微小浸潤がんの疑いあり)とされます。③の組織検査に進むと、高度異形性か上皮がんのどちらかであると予想されます。ところが一週間してその検査をすると、CIN1(軽度異形性)とCIN2(中度異形性)レベルの結果がでてきたのです。(表③参照)

少しだけホッとしました。日本冬虫夏草を飲み始めたのは2月からです。

3月になると①細胞診ではLSIL(軽度扁平上皮内病変)で(表①参照)、③組織検査ではCIN1(軽度異形性)のみの結果で明らかにレベルが低くくなっていました。(表③参照)


① 細胞診の分類:ベスダ法(システム)

結果 NILM   ASC-US
(アスカス) 
ASC-H
(アスカス-ハイ) 
LSIL  HSIL   SCC  
日本語の意味   陰性  意義不明な異型扁平上皮細胞   HSILを除外できない異型扁平上皮細胞   軽度扁平上皮内病変  高度扁平上皮内病変  扁平上皮癌 
推定される顕微鏡レベルの異常   腫瘍性の異常はない。炎症のある時がある。  軽い扁平上皮内病変の疑い   高度の扁平上皮病変の疑い   HPV感染軽度異形成  中等度異形成~微少浸潤癌の疑い   扁平上皮癌  
従来のクラス分類  Ⅰ、Ⅱ  Ⅱ~Ⅲa   Ⅲa~Ⅲb   Ⅲa   Ⅲa、Ⅲb、Ⅳ、Ⅴ    

 

③ 組織診の分類

子宮頸がん

取り扱い規約分類
正常 異形成 dysplasia 上皮内がん
(CIS)

経度
(DL)

中等度
(DM)
高度
(DH)
CIN分類 正常
CIN(上皮内腫瘍)

 

 私は、これまでの生活を振り返ることにしました。2009年頃から、娘が中二病となり、神経を使うようになりました。目が離せなくなったのです。受験勉強では常に寄り添いサポートしました。

フルタイムの仕事をしてましたし、夫はさらに忙しい仕事を抱えていましたので家事も一人でこなし、受験勉強もとなると睡眠時間を減らすしかありません。平均睡眠3~4時間ぐらい。4時間眠れば良い方でした。食事にも時間をかけられず、かきこむようにお腹に入れ、常にどこ入っていったか分からない状態でした。

GL139_L.jpgある夜、娘の勉強部屋を出て寝室に戻る時、『こんなことを続けていたらいつかがんになる』という予感がよぎったのを覚えています。志望校に合格してからも娘の心は不安定でした。自立を期待する私とこれまでのように関心を持って欲しい娘との間に葛藤が生じました。時間こそが解決してくれると覚悟はするものの、私自身の心が休まることがずっと無かったのです。

ストレスと睡眠不足と栄養不足が原因なのは明白でした。娘のためにも自らの病気を治すことを優先しよう。娘からはいよいよ手を引くことにしました。自分の時間を作り、ニィーチェやパスカルなどの哲学書から仏教の本を読み、NHKの[100分de名著]で紹介されたヴィクトール・フランクルの[夜と霧]に夢中になりました。私は長いことこのような寄り道をしたことがありませんでした。いつの間にか読書に没頭して現実を忘れてる自分に気が付きました。何かに集中して、余計なことを考えない時間は心地よく、充実していました。

健康書も読みました。[10時に寝る法]関連、[病気は自分で治す]関連の複数の書籍はは実践に役立ちました。

ヒトの体は自然と一体になることにより健全に保たれています。普段そう意識して生活してる人はあまりいないでしょうね。私もそうでした。例えばメラトニンは、睡眠を誘導するホルモンであると同時にがんの増殖を抑制する物質ですが、ヒトは朝日を浴びることで、14時間後にメラトニンが脳の松果体から分泌され、眠くなるしくみを持っています。ただし、分泌には日没後の暗闇というもう一つの条件が必要となります。そうやって夜に活発になるというがん細胞への対応も出来ていたのです。光と闇の2つが揃わなければメラトニンは分泌されず、ヒト本来の能力を発揮できない。『太陽の子』というわけなのでしょう。

私は、夜10時にはベッドルームの照明を消して休むことにしました。夜中まで起きていた生活のリズムを一変させるのは気合HJ114_L.jpgだけでは無理でした。この際、リーゼ(精神安定剤)という薬の力を借りることにしました。夜中に目が覚めることなく、朝まで一直線に眠ることが出来ました。眠りの質も良かった。職場では一日中心穏やかでいられました。イライラしてしまう原因に睡眠不足があるのだと気が付いたのは収穫でした。

眠るための薬は、作用する時間の短いもの、いわゆる軽いものほどクセになり、止められなくなります。リーゼはまさにそれで短期勝負です。1錠だと便秘になったので半分にし、その後1/3錠に減らして3か月服用しました。

 ヒントを探しに健康セミナーにも足を運びました。遺伝子レベルでがん予防について学びました。
 ①私達生物は古い細胞を新しい細胞に置き換えながら生き続けますが、新しい細胞を作る時に、細胞の核にある遺伝子のコピーがうまくいかず、どうしてもコピーミスが生じてしまいます。こういう細胞はがんのリスクになりますが、修復能力を持っているので大丈夫。即刻修復されます。ただ、強いストレスがかかると修復しにくくなるといわれています。

 ②P-53のような抑制遺伝子(現在分ってるだけで100個程度)が備わっていて体内で活躍していますが、これもヘルシーなライフスタイルから遠ざかると働かなくなるそうです。がん遺伝子(現在分ってるだけで数百個)も持っていますが、むやみに恐れることなく、がん抑制遺伝子や免疫システムにしっかり働いてもらえばいいのです。

 ③がん遺伝子の発現を抑えるにはVC(ビタミンC)の点滴が有効のようです。

 

 ストレス対処と自然な生活リズム、手作りの自然な食事はなんとか実現出来ていました。(お肉・乳製品・お菓子等はほとんど食べません)私は、早速、VCを取り入れてみようと思いました。野菜や果物だけでは不十分と考え、服用するタイプで顆粒のVC製剤を使いました。実際、体は快調でした。

 さて、2012年4月に思わぬことが起こりました。女性は月経の周期があるために検査の際に隠れて見つからない場合があるそうですが、この時の検査でどうやらこれまで隠れていた小さな子宮のポリープが1個見つかったというものでした。すぐにポリープだけを切除することになりました。手術前、さすがに心細くなりました。どうしょうもなくなって心の内を看護師さんにぶつけました。すると看護師さんは、私の気持ちを温かく受け止めてくれたのです。気持ちが落ち着き、勇気と気力が湧いてきました。この日は日帰り手術でした。白衣の天使とはよく言うけれど、自分が患者になって初めてその大きな存在を知りました。

 

異形細胞消失。子宮頸がんの不安から解放。

 それから3か月が過ぎ、2012年7月28日。再び検査です。結果を聞くまで悪くなっていないだろうかといつもドキドキします。こういった思いをされてる人が世の中にどれほどいるのかな。取り越し苦労になるといいのだけれど。

すると結果は呆気ないもので、異常なし。子宮頸に異形細胞は見つからず、正常細胞だけになっていたのです。その日は解放感でいっぱいになり、寄り道をして帰りました。晴れ晴れとした気持ちでショッピングを楽しめたのはずいぶん久しぶりのことでした」

2012年9月1日のお話より

 「その後元気にしています。今日の検査でも無事、異常なし。安堵しています」

2013年4月13日のお話より

 「娘は高校3年生となり、再び受験勉強にいそしんでいます。3年前と比較するとずいぶん落ち着き、大人になりました。私がやってあげれることは『ささえているよ』という雰囲気づくりぐらいかな。今回は自分にブレーキをかけなくてはと肝に銘じています。日本冬虫夏草は量を減らして続けています。子宮筋腫の方も大きくならず、心配はないということで、この度は、先生から『内膜が柔らかくなっていますよ』と言われ、むしろ良い方向に向かっています。

 実は、眠るために使用していたリーゼという薬ですが、クセになり止められなくなりました。受験が終わるまでというつもりですが、その後の苦労は覚悟しています」

2013年8月17日のお話より

/M_T_001.jpg 「試験まで日数もわずかとなり、娘の気持ちはナーバスになってきています。それを受けとめようとすると、どうしようもなく心が消耗します。そこで私は、無理もないことと割り切って、時間を見つけてはドライブに出掛けることを心掛けています。心をリセットするのです。新鮮な空気を求め、深呼吸。そして、美しくのどかな風景で心を癒します。短時間のひとり旅ですが、これも大切な薬なのではないかと思っています」  

 2013年10月13日のお話より

 「経過順調です。定期検査も3か月毎から6か月毎に延びました。油断しないように頑張ります」

2014年1月1日の年賀状のコメントより

 「秋田の桜もやっと咲き始めました。娘の入学式も終わり、やっと自分の時間が持てそうです。睡眠不足も大分続きました。メンテナンスしなくてはと思っています」

2014年4月22日のお手紙より

 「半年に一度の検査がありました。異常なしの結果でした。異型細胞が消失してから無事2年が経過しました」

2014年8月3日のお話より

 「12月に検査がありました。異常なしでした」

2014年12月26日のお話より

 

ウィルス消失。さらに子宮頸がんの不安から解放

 「この度の検査結果も良好でした。子宮頸がんの原因のHPV(ヒトパピローマウィルス)も全く検出されませんでした。当初、『ウィルス検査をやっても高い数値が出て当たり前だからあえてやりません』と言われていました。よって、半年に一度の検査が一年に延びました」

2015年7月15日のお話より

 「年に一度の検査を無事通過いたしました。昨年の秋は海外旅行の夢が叶い、ハワイで娘と乗馬体験などをして過ごしました。この秋は、台湾旅行を計画しています。5年前はこんな日が来ることなど考えられませんでした。気を抜かず体を大切にしていくつもりです。日本冬虫夏草も続けています」

2016年8月29日のお話より

 「健康に感謝しながらこの一年を振り返っております。健康は宝もの、財産とは良く言ったものです。他には代え難いものですね」

2016年12月17日のお話より

 「心も体も安定しています。アカデミー賞作品の映画をひとりで観に出掛けたりしてリフレッシュしています。充実した生活を送っています。異形細胞の消失から間もなく5年が経過します」

2017年7月8日にお会いして

 この夏、台風が頻繁に発生しましたね。日本海側はフェーン現象にみまわれ、秋田県も異例の高温が続きました。年に一度の検査も無事通過しましたが、少々夏の疲れが出たのか、だるさがあります。これから涼しさも徐々に戻ってくると思いますので、メンテナンスに努めたいと思います」

2018年8月26日のお話より

 「元気でおります。幼いころからがまんする性格でした。育った環境もあると思います。現在も周囲に相談出来ずにストレスを抱えてしまう癖があります。 性格を変えるのは難しいところがありますね。そうゆうわけで、ストレス発散、リフレッシュのために行動を起こすしかないと思っています。この度のゴールデンウイークは香港で過ごす計画を立てました。文化や言語の違う場所に行くと覚醒して、自分自身のリハビリにもなるといった別の実益もあります。楽しんできます」

2019年3月17日のお話より

 「2011年の12月に子宮頸がんの検診で高度異型性が見つかり、子宮摘出手術を覚悟しました。そんな時に日本冬虫夏草と出会いました。

落ち着いてゆっくり飲むようにしました。今までのハードな生活を見直して睡眠時間を十分に確保し、心の在り方にも気を配るように、まず自分を肯定して、自分に優しくするように心掛けました。

日本冬虫夏草を飲んでからの検査では、経過は、軽度異型性へと改善し、その後何回目からは異常無しとなりました。その後、半年ごとの検診から年1回の検診での経過観察と感覚が延び、今も異常無しが続いています。

 あれは何だったのかと振り返るとともに、今後の生き方に対する考え方も変わりました。

とにかく、元気なうちにやりたいことをやる。行動する。

旅行もその一つです。今年のゴールデンウイークに香港に行ってきました。香港は2回目だったのですが、ただでさえ人口密度の高い香港なのに、今回はさらに混雑していた上に、雨期に入ったのか、霧と雨で100万ドルの夜景は60万ドルの夜景になってしまいましたが、それでも旅は、私のリハビリだと思っています。

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ブクトリア・ピークからの夜景

(ご本人による撮影)

香港のジェントルマンに優しくされ、力強く主張してくる食べ物屋さん、危ない感じのインド系の人… 皆、私の中の常識を180度変えてくれました。

こうして生きている実感があるのも、健康が基盤になっているからですね。心からありがとうと感謝しています」

2019年5月14日お手紙より

 

 

 「検査を無事通過しました。今年も厳しい夏でしたね。一年のうちで最も弱るのは、夏だなと実感しています。暑さも落ち着いてくると思いますので、これからは体のメンテナンスに集中できると思います。日本冬虫夏草も多めに飲むつもりです」

2019年9月8日のお話より

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※異形細胞を顕微鏡で見たイメージ 

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細胞も比較的大きさが揃っています。
核も大きさが揃っています。全く異常はありません。
次回は1年後の検診で結構です。 

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核がやや大きくなったりします。
炎症があったりホルモンのバランスがくずれたり、ポリープがあったりすると
出てくることがありますが、良性であることは間違いありません。
一応、半年後に再検査を勧められることがあります。 

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基本的にはクラスⅡの仲間ですが、少しクラスⅢaに似ている所がある時があります。
3~6か月後に再検査をうけるように勧められることが多いようです。

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正常細胞ではありません。
やや顔つき(細胞質、核)に異常があります。
細胞に何らかの力が働き(例えばパピローマウイルスなど)活動力がより活発になった可能性があります。このままクラスⅢa→Ⅲb→Ⅳと進みがんに進む可能性は低く、正常に戻る確率の方がずっと高いと考えられております。しかしこれが出た時は定期的(例えば3か月毎)な検診や、念のための精密検査が必要な事もあります。クラスⅡ以下になるまでは通院しましょう。

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クラスⅢaに比べるとやや顔つきが悪くなります。
しかしこの時点では明らかな悪性細胞とはいいきれません。
いわば悪性の予備軍。この状態になると時期の早いか遅いかは別にして約20%の方が将来初期のがんになる可能性があると考えられています。但し注意しなければいけないのは、初期のがんなのにこの分類に入る入ることがある事で、クラスⅢbになったら精密検査は欠かせません。

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初期のがんが疑われる細胞です。
膣拡大鏡診や組織検査をうけて、どの程度のがんか精密検査を受けることが必要です。早期のものであれば子宮を残す手術が可能の時もあります。

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明らかな悪性細胞です。
細胞の大きさや型もいろいろ多彩な形態をとることがあります。病変が子宮にのみ限局しているか周囲に広がっていないか、リンパ腺はどうかなど調べた上で、早期の治療方針を立てることが大切です。

 

 
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今村晴美さん(宮城県在住)の場合

「下腹部に尋常ではない痛みが走り、病院に行ったのは1999年(37歳)春のことです。この時、『他にも悪いところがないか、この際だから全身くまなく検査しましょう』という話になり承諾しました。すると次々と異常が見つかっていったのです。まずは乳房にしこり、そして甲状腺に腫瘍、さらに腸骨に影...。

 

 乳房のしこりは良性と悪性の中間レベル、グレーといったところで、すぐに摘出。甲状腺の腫瘍はクロ。広がっていたリンパも含めて摘出しました。腸骨の影はシロの判断でした。

 

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 今はどうか分かりませんが、当時の検査は肉体的、精神的負担が伴いました。手術よりしんどかったかな。私は、その病院で幸運にも心の支えになってくれる素晴らしい看護師さんと巡り会っていました。生検の際は病院側に頼み込み、その看護師さんに担当で付いてもらいました。検査中ずっと手を握ってもらっていたほどです。白衣の天使って本当にいるのですね。彼女がいなければ、次から次に起こる現実を乗り越えられなかったと思います。

 

 さて、唯一症状が出ていた子宮内膜症の話に戻りますが、片方の卵巣と卵管を摘出しました。子宮には筋腫が3個ありましたが、残して経過観察していくことになりました。甲状腺の術後も、抗がん剤の投与等無かったですし、投薬されたものといえば退院後の鉄剤とホルモン剤ぐらいですかね。

 

 その後しばらくして、副鼻腔炎の手術もやっています。このように、次々とやってくる大病に休み無く立ち向かっていかなくてはなりませんでした。

 

 2001年になると、今度は息子の肺にがんが見つかりました。当時18歳。転移ガンでした。手術の前に抗がん剤を投与し、患部を小さくしてから根っこを手術で摘出するというプランに沿い、抗がん剤投与が始まりました。すると全身の毛が抜けました。眉毛もです。並外れた食いしん坊だったのに食事はできず、飲み物さえ受け付けない。胃の中は空っぽなのに吐くのですから見てられませんでした。自分のことより辛かったです。

 

 そこにある人物が見舞いに訪れました。山内正徳さんという方です。そして『これ飲んでみて』と何か差し出したのです。それが日本冬虫夏草と私の初めての出会いでした。

 

 覚悟を決めた息子は、ひとくち口にしました。すると食べ物も飲み物も一切受け付けなかったのにスンナリ飲めたではないですか。それから先も他の物は無理でも日本冬虫夏草だけは飲めるということでした。不思議な物があるもんだわと思いました。

 

 その後、息子の手術は成功し、再発や転移と無縁で今日まで元気に過ごしています。日本冬虫夏草は現在も続けています。

 

 さて、2005年の話になります。仕事中のことでした。ずいぶん前から左耳が聞こえずらいなと思っていたのですが、秋になって、電話の受話器を持った時、発信音が全く聞こえなくなったのです。右耳にあてるGH127_L_SP0001.JPGと確かに発信音は鳴っています。音の種類によって全く聞こえない音とかすかに聞こえる音があるようでした。

 

 すぐに耳鼻科で診てもらうと『耳自体は何ともない。耳の裏も問題ない。他に問題があるのではないか』ということでMRIで頭部を調べると『何かあるね』と言われたのです。頭の中が真っ白になりました。診察が終わったらデパートに寄って帰ろう。そんなあたり前の日常が一遍に吹っ飛んでしまったようでした。老舗デパートが閉店セールをやっていた時だったのでよく覚えてます。1129日のことでした。

 

 そんな時、あの日本冬虫夏草を思い出したのです。再び山内正徳さんに相談し、私も早速日本冬虫夏草を試すことになりました。病院からは『腫瘍が耳の神経と顔面神経と三叉神経にかかっていますので手術のリスクがかなり大きく、万が一神経が切れてしまうと。顔の半分が落ちてくるでしょう』と言われました。そして、脳外科医の福島孝徳先生に執刀してもらうように手配してくれました。福島先生は海外で活躍されていて、鍵穴手術で癒着や神経を巻き込んだ腫瘍を上手く剥がす技術をもっている方らしく、来日する2週間の間に45件もの手術をするといわれています。その代わり、手術を1年近く待たなければなりませんでした。

 

 手術の準備として貧血を改善しなければならず、鉄剤を渡されました。日本冬虫夏草は無理なく続けられました。フルタイムで働くのを止め、時間をセーブして仕事を続けました。

 

 半年後の20065月。脳腫瘍の診断直後からあった頭痛が無くなっていました。血液検査をすると、『貧血が良くなってる』と言われました。『子宮筋腫も大きくなっていない』ということでした。頭痛は、『ここに腫瘍がある』という精神的なものに起因した痛みだったのかなとも思います。20069月には、貧血は改善され、子宮筋腫も大きくならず止まったまま。子宮筋腫の方は『このまま手術なしでいけそう』との診断。難聴はまだありました。

 

 20061027日、脳腫瘍の摘出手術の日です。前もって『腫瘍は神経に絡まっているので元のように聞こえるようにはならないよ』と釘を刺されていました。病室を朝9時前に出て、手術室から戻ったのが夜の8時。手術は10時間に及びました。後で知ったのですが、この日は私のために10名程の親戚縁者が駆けつけ、見守ってくれてたそうです。術後、頭の中に空気が入ったために起こる頭痛が続きました。そのため1か月は薬を服用しています。薬はそれだけです。

 

 

戻らないと言われていた耳が元に戻った

 

しだいに頭の重苦しさや痛みから解放されていきました。そして、なんと左耳が昔の耳に戻ったのです。電話の受話器をあて、普通に会話が出来るようになったのです。耳は元には戻らないと覚悟してましたから、信じられないことでした。

 

 私の感想ですが、腫瘍が神経から剥がれ易くなってたのではないかと思うのです。手術まで長い時間がありました。その間、日本冬虫夏草をはGW115_L_SP0001.JPGじめ、食事に気をつけたり、仕事をセーブしたり、できるだけ体をいたわる事に努めました。乳製品断ちもしました。それまではチーズが大好物で頻繁に食べていました。これらの試みが無駄ではなかったのだと思いました。仕事はひと月休んだだけで、復帰することができました。

 

 20077月。持病の子宮筋腫にも変化が現れました。

筋腫3個がそれぞれ小さくなっているのです。先生も『このまま閉経していけば大きくなることはありませんし、手術の心配はもうありませんよ』と言ってくれました。血液の状態も『献血できるほどです』と言われました。この年の暮れには転職してフルタイムで働き始めています。

 

 持病の子宮筋腫はさらに小さくなっていき、2010年の夏から週に1度スポーツジムに通い始めました。40分のランニングが出来るほどの体力が身につきました。私の実年齢を知った人が『えっー!若い!』と驚いてくれます。孫と一緒にいると母親と勘違いされることもしばしばです。日本冬虫夏草との付き合いも5年を超えました。2006年の脳腫瘍の手術が終わってから手術を必要とするような大病が全く無くなりました。暮らしの中にはいつも日本冬虫夏草があります。

 

 振り返ると、経済的問題を抱えていて、それが引き金になったかなと思います。20年間苦しみました。がむしゃらに働き続けなくてはなりませんでした。休んだという記憶がほとんどありません。体が悲鳴を上げるはずです。今では全てが片付き楽になりました。一方で人に恵まれました。健康を取り戻せたのは周囲の温かい方々に支えてもらったお陰だと思っています。

 

 私は、自分の事情や悩みを隠したり、ひとりで抱え込んだりしない性格です。それゆえ、皆からヒントやアドバイスを貰えたのかなと思います。皆、色々な経験や知識を必ずお持ちです。今度は私が病気で苦しんでる方の力になり、世の中にお返したいと思いました。私の経験が役立ってくれたらこんな嬉しいことはありません。そのため実名のまま、隠さず話させていただいたつもりです」

 

201124日のお話より

 

 

 

【経   緯】
1999年  日付記録無し 乳房のしこり摘出。
   4月15日 子宮内膜症で卵巣・卵管摘出手術。子宮筋腫は残す。
   5月11 左腸骨腫瘍生検。
   5月24 甲状腺がん手術
2000年  10月30 副鼻腔炎手術。
2005年  11月29 脳腫瘍見つかる。
2006年  5月 脳腫瘍の診断直後からあった頭痛が解消。
子宮筋腫の大きさはそのまま。貧血改善方向へ。
   9月 子宮筋腫の大きさはそのまま。貧血改善。
   10月27 脳腫瘍摘出手術。本来の聴力に戻る。
2007年  7 子宮筋腫が縮小し、完全に手術の必要無くなる。
2010年  10月 子宮筋腫がさらに縮小。

 

 「立ちくらみのようなめまいがしたので、検査をするとコレステロールと中性脂肪の数値が高いことが分かりました。CT画像には脳梗塞の跡が写っていると言われました。いつ起こったのか気が付きませんでした。こういうことは多くの方にあるようです。体調に自信があったので、ここしばらくは、食事に気をつけることも無く、自由に食べてました。気を抜いて油断してました。職場の同僚に健康アドバイザーがおりまして、コレステロールを下げる食材、血液をサラサラにする食材を教えてもらいました。運動と組み合わせて、体質改善に努める決意を新たにしています」

 

                                2011年2月10日のお話より

 

 

 

3.11東日本大震災で次男家族が九死に一生を得ました。

            

 「巨大地震の直後、名取市閖上(ゆりあげ)に住む次男家族の安否が気になりました。海沿いの街ですから津波によって壊滅したという話です。連絡も取れず、一部の望みも無いとあきらめかけてたその時、当人達が現れました。孫を抱きしめて号泣しました。地震から3日目のことです。IMG_0797_SP0001.JPG

 

我家は今、非難してきた他の親族も合わせて10人暮らし。次男は職場が流され、仕事を失った状態ですが、目下のところ大所帯で賑やかに過ごしております」

            2011年3月16日のお話より

 

 

 

名取市にある仙台空港ターミナルの様子。津波によって運ばれた瓦礫の山。止まったままの電車が見える。329日撮影。瓦礫の撤去が急ピッチで進められていた。米軍200人が作業にあたり413日に一部国内線で運行再開。当初、開港に一年といわれていた。驚異の速さに世界中が驚いた。

 

 

 「疲れがでたのでしょうか?首に痛みが出たので脳外科で診察してもらうと、帯状疱疹と分かりました。発疹が出る前だったのですぐに治療し、事なきを得ました。次男は新しい仕事に就き、再スタートを切りました。今は5人所帯となり、日常生活も落ち着きを取り戻しつつあります」

2011年6月3日のお話より

 

 

 市の乳ガン検診で『影のようなものがある』とのことで再検査に行ってきました。正直ちょっと心配でしたが...今日の検査で異常なし。安心して帰ってきました。めまいからは解放され、血糖値だけ高く、今、本気で食事療法を始めたので体調が良いです。息子は私より日本冬虫夏草を多く飲んでいて元気にしています」

2012年5月8日のメールより

 

 今日、検査のため病院に行ってきました。2か月前から薬は出されていたのですが正常値に届かず、ここにきてついに血糖値が正常になりました。真面目に食事療法に取り組んだ成果だと思います。コレステロール値もOK!嬉しいです」

2012年6月28日のメールより

 

 「両親や孫たちと大所帯で楽天と日ハムのゲーム観戦に行ってきました。延長戦にはなるし、孫たちは飽きてくるし、冷えてくるし、途中で帰宅して正解でした。無理をせず、家族でイベントを楽しみながら過ごしています。脳腫瘍の手術から8年が経過しました。元気で過ごしております」

2015年5月21日のお話より

 

肺がんを克服した長男が結婚

  「昨年11月末に副鼻腔炎になり、ポリープも一つみつかったため手術しました。その後 、大晦日に40度、1月末にも38度の高熱が出ました。病院での検査で、インフルエンザでないことが分かっています。でもそれからなんですよね。体の調子が良くなったのは。発熱の産物かもしれません。

EN166_L.jpgこの度、肺がんを克服した長男が良縁に恵まれ結婚いたしました。9月には子供も生まれます。18歳の時に抗がん剤を大量投与してましたから、子宝に恵まれることなど考えていませんでした。驚いています。みんな元気で働いております」

2016年5月3日のお話より

 

 「予定より一か月早く孫が産まれました。2400gと小さめでしたが元気な男の子です。私のところにお嫁さんが里帰りしたようなかたちになっていましたが、今日から本来の住まいに戻り、3人の生活が始まります」

2016年9月18日のEメールより

 

 「職場店舗の移転に伴って退職し、しばらくバケーションのつもりで過ごしておりましたが、働いてる方が自分らしくいられると再認識し、再就職しました。目下元旦しか休みが取れないという忙しい職場です。のんびり過すのは性に合いませんね。いずれにしても元気に働いていますのでご安心ください。ただ、血液検査で血糖値が高めでしたので、日本冬虫夏草の液の他に粉末を加えて様子をみることにしています」

2018年12月8日のお話より

 

 「長男夫婦から第二子妊娠の知らせが届きました。9月に誕生の予定です。18歳の時に肺がんの治療で抗がん剤を大量投与した長男が、再び子宝に恵まれるとは!常識を覆すことが続いています」

2019年3月25日のメールより

 

 「長男の第2子が8月23日に無事誕生しました。今度は女の子です。私のところにお嫁さんが里帰りしたようなかたちになって一気に7人家族となり、1か月間賑やかに過ごしました。少しくたびれました。これからメンテナンスしていこうと思います」

2019年9月1日のお話より

片山茂さんの場合

GA189_L_image.jpg  「始まりは1994年の前立腺炎からだったように思います。ひと月入院して薬で治療しましたが、退院する際、病院側から今後のことをとりたてて警告されるわけでもなかったですし、自分自身も退院できる喜びだけで、病気の原因を振り返ったり反省することもしませんでした。忙しい仕事現場に復帰し、以前と変わらない暮らしを続けました。

それから2年後の1996年1月12日。突然排尿困難になり再び病院を訪ねました。今度は組織検査で前立腺がんと診断されたのです。腹部にメスを入れて前立腺からリンパ腺まで摘出し、人工肛門をつくる大掛かりな手術を薦められました。念のため別の病院でも細胞検査を2回行いましたが、いづれもクロでした。

 がんと聞いて即座に『命はない』と思いました。でも何ていうのでしょうかね。根っからプラス思考が強いというのでしょうか、『ちょっと待てよ。がん即、死と考えてしまうのは狭い知識のせいではないのか。どこかに治す方法は必ずあるはず』と頭を切り換えることにしました。

私はそれまで尿管や尿道の位置さえ分からず、前立腺の役割さえも知りませんでした。つまずいてしまったけれど、これから先の健康のために知識を得て、このピンチをチャンスに変えようと思いました。

入院するにあたって、夜遅くまで読書をしても周りに迷惑をかけないようにと個室を希望しました。そしたら『1か月以上先まで空きが無い』と言うではないですか。それならばと自宅で待機することにしたのです。

日本冬虫夏草を飲み始めたのはこの頃からです。妻が銀行で順番待ちをしている時、たまたま開いた週刊誌の日本冬虫夏草の記事に目が留まりました。それがきっかけです。

申請していたがん保険もすぐに下りました。他の保険会社の給付金も加算されて、たとえ病院の最高級の特別室を借りたにしても数か月は大丈夫なほどの経済的余裕が生まれたのです。休職のまま情報収集を続けました。

病院の通常療法は、決してがん体質を根本から治してくれるものではないこと。そういう体の環境を作ったのも自分、治すのも自分ということ。食べ物から体の細胞が作られているけれど、細胞の病気であるがんを治すには食べ物が深く関わっているということ。

さまざまな本を読んでいくうちに頭の中が整理されていって心が静まり、体にとって何が良くて何が悪いのか明確になっていきました。玄米菜食を心掛け、主食であるお米にもこだわって、粘り気のないキヨニシキという品種の無農薬無肥料米を食べました。

 食品添加物のような化学的なものは排除し、食事は家族の分まで1日3食作りました。『薬は毒だ/田村豊幸著(農文協:現在廃刊)』(※最近では「薬をやめると病気が治る/安保徹著(マキノ出版)などがあります)という本に影響を受けて、病院から渡された薬は一切飲まないということもありました。

 今でも記念に取って置いてますが、渡された薬の量は半端ではありませんでした。そして、次第に体に変化が現れ始めました。

 

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実際に渡されたお薬

 

【経緯1】
1996年1月12日 組織検査でがん細胞が見つかり、前立腺がんと診断。
1月25日
<発見から14日目>
日本冬虫夏草を飲み始める。食事療法も開始。おしっこが勢い良く出るようになる。
2月9日 日本冬虫夏草を浣腸してみる。瞬間的にスッキリしたので続けることに。
2月22日 血便が出る。
2月29日 7日間続いた血便がピタリと止まり、一転きれいな便に。悪いところが全部出て、ひょっとしたら治ったのではと思う。
3月1日 病院に行き腫瘍マーカー検査。正常値になっている。
日本冬虫夏草を飲み始めてから1ヵ月余り。

それから2か月後の手術当日。がんが消失したため、急遽手術が取り止めになるとは。誰も予想してなかったことが起こるのです」

朝日ウイル(北燈社)2002年6月18日号より

1996年3月1日のこと。前立腺がんの腫瘍マーカーが、異常値から正常値に下がっても手術の予定が変更されることはありませんでした。

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片山茂さん

先生は『1月の病理組織検査で前立腺がんが確定されていることですし、数値が正常になっても腫瘍マーカーは腫瘍そのものを示すのではないので、予定通り大きな病院で手術しましょう』とおっしゃって、紹介されていた山口大学付属病院の個室が空くのをそのまま待つことになりました。

ここ1ヵ月ほどは、前にもお話したように健康やがんに関する本であれば片っ端から読んで、入院まで充分時間があるのだから、黙ってないで自分にできる自然療法をやってみようと、自ら調理して食事療法の研究に取り組んだり、日本冬虫夏草を試したりしました。日本冬虫夏草は1日に700cc飲んで夜中にも飲み、浣腸法も編み出しました。この頃になるとすでにおしっこは勢いよく出るようになっていましたし、病気の自覚症状が全く無くなっていたのです。

 4月16日になってようやく入院となりました。早速、手術日が5月13日に決まり、再び組織検査、骨シンチ検査等、1か月かけて行っていくのです。私が入ることのできた部屋は、ナースセンターのほぼ真向かいにあって、冷蔵庫もテレビも電話もお風呂もトイレも何もかも揃っていて、おそらく大臣が利用するであろうというようなところだったんですよ(笑)。ここでなら自宅でやっていた療法を誰に気兼ねすることなく、そのまま続けられるというものです。

もともと肉や乳製品は食べられないので、その食材の入る病院食にはほとんど手をつけず、妻が自宅から運んでくれる食事を毎日食べていました。ルームランナーを入れて毎日1万歩歩いたり、1階から7階まで、階段の登り降りを毎日2往復したり、ちょっとやり過ぎだったかもしれませんが、とにかく元気だから体を動かしたいし、やったところで疲れるというよりはむしろ快調だったように思います。

 

がん細胞消失。手術中止。

 そんな中、とうとう手術の前日を迎えることになりました。手術が避けられたらという思いできたわけですが、ここまできたら腹をくくるしかありません。翌朝9時からの手術に備えてその晩は早く休み、ぐっすり寝入っていました。夜中の1時を過ぎた頃でしょうか。ぞろぞろと部屋に誰かが入ってくる気配に起こされました。手術チーム5名がベッド脇に並んでいるようです。そして『片山さん、今まで会議してようやく結論が出ました。外部に出していた組織検査の結果から、がん細胞が全く見つからなかったので手術は中止にします』と言うのです。

 

【経緯2】
1996年4月16日 ようやくベッドが空き入院。
4月18日 組織検査。(この結果が出るのは5月12日) その後も検査が続く。
5月13日 組織検査の結果が出て、がん細胞が全く見つからず、長時間の会議の末、手術当日の未明に手術取り止めとなる。

 

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奥様のまきさん

 治療を何もしないでがんが治ったわけですから不思議な人ということで病院内ではたちまち話題になりました。スタッフの中には『片山さんは何の宗教を信仰しているのですか』と質問する人まで現れて。でも私のような人がいたら、祈ったり気力で立ち向かおうとする前に、少し落ち着いて健康とは何かをぜひ勉強してほしいと思うのです。

治癒は努力の結果でまぐれ当りではないという証拠に、日本冬虫夏草を飲み、同じように生活した妻は、すぐにでも子宮摘出手術が必要な程、大きな子宮筋腫をかかえていましたが、みるみる縮小し、手術の必要がまったくなくなってしまったのです。この生活をやる以前は、筋腫は赤ん坊の頭程ありました。そして、85歳になる母の白髪が根元から黒くなっていったのはちょっと予想外のことでした。

 私は、大学で声楽を学び、元レコード歌手だったこともあって、自宅でカラオケ教室を営んでいます。生徒さんの中には歌を習う以上に健康談義を楽しみに通う人も多いんですよ。歌うことは横隔膜を動かしてそのバイブレーションで脳を刺激し、がん細胞を掃除する免疫力をアップさせます。ここに通うようになってから健康になったと喜ばれるのは、私にとっていちばんの嬉しいことです。体験を生かして、幸せをお分けできることが自分の幸せと感じています」

朝日ウイル(北燈社)2002年7月16日号より

 

img_kata002.jpg日本カラオケ大賞11月大会にて片山さんが熟年部門金賞を受賞なさった記事が「月刊カラオケ大賞2001年2月号」で紹介されました。病気を経験してから、より声にも磨きがかかっていったそうです。

 

 片山さんから「ぶち元気です」(山口弁で大変元気という意味だそうです)とお電話をいただきました。奥さんのまきさんも、92歳になられたお母様もお元気ということでした。

2003年12月12日のお話より

 

 お母様は95才の高齢になり、まきさんは退職され、茂さんと共に元気にお母様の介護をされてるそうです。「母は10年前に日本冬虫夏草を飲んだ影響が大きく、何度も元気が復活するので、医師も不思議がってます」

2005年12月16日のお話より

 

 「国民体育大会がある一方で、国民文化祭というものがあるのをご存知でしょうか。今年で21回目となり、今回は地元の山口県で開催されます。数々のコンクールの中に歌の部門があり、47都道府県の代表が自慢のノドを競い合います。本選の前にオーディションが進められ、すでに47名から20名にしぼられています。

私はその20名に残ることができまして、11月4日の本選(美祢市、芸術村)では「霧の摩周湖」を唄うつもりでいます。生演奏で気持ち良く唄えるのを思い描いて、今からわくわく楽しみにしています。これも元気でいればこそで、健康に感謝しています」

2006年8月4日のお話より

 

 「11月の国民文化祭は大変盛りあがり、その時応援にかけつけてくれた生徒の皆と私の姉夫婦、弟夫婦も加わって、クリスマスパーティを賑やかに開催しました。

 張り合いを持って楽しく過ごすことができるのも健康であればこそで、先日の基礎検診では血液は100点満点でしたし、骨密度は20代後半という結果でした。58歳の妻にいたっては20歳とまで出てしまって、おかしいから足を2回洗って、3度検査したほどです。妻は、牛乳やヨーグルトなどの乳製品は一切食べませんし、特別カルシウムを意識して摂っているわけでもありません。代謝も若返ったのか、体重も5kg減ったというのです。

我が家では、15種類の野菜を庭の一角に栽培しています。朝食はそれらの採れたての野菜に、玄米黒酢、キダチアロエ、フルーツを加え、ジューサーにかけた飲みものだけで済ませます。他に作ってるのは根こんぶ水とビワ葉酒。毎日摂る水も、こだわって選んだ海洋深層水を使っています。

がんが消失してから元気に10年が過ぎました。日本冬虫夏草は現在も続けています」

2006年12月6日のお話より

 

 「母(享年97歳)の四十九日も無事終わり、このごろはボランティア活動に励んでいます。最愛の母と別れた直後は妻と二人で途方に暮れる毎日でした。最期まで母は自宅で過ごしました。12年間の介護もとうとう終わってしまいました。

 

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片山しげる カラオケ教室

ボランティア活動とは歌の指導です。ひとりでも多くの人の心が元気になり、心の中に希望が生まれることを願っています。これから先も私は歌と共にあります」

2008年3月12日のお便りより

 

 「ますます元気にしております。週に3、4日は妻とウォーキングをしています。1回のウォーキングで10000歩歩きます。今年はゴルフコンペで4勝しました。妻も最近ゴルフを始めました。30分の体操から1日が始まります。食事に気を付けたり運動を取り入れたりするようになったのはがんになってからです。前立腺がんが消えてから13年になります」

2009年12月7日のお話より

 

 「ここ3~4年は若い頃より元気なんです。10000歩のウォーキングを週に5日実践しています。健康に自信を持って生きています。それでも怪我をしたら元も子もありませんからね(笑い)。交通事故には極力気を付けて、私自身も安全運転を心掛けています。前立腺がんが消えてから18年経ちました」 

2014年7月7日のお話より

 

 「76歳になりました。血液検査は満点です。死ぬまで筋肉は鍛えられると思っていて、関節の可動域を広げる運動、股関節や体幹を鍛える運動は朝のルーティンとして欠かしません。ゴルフコースに出て15000歩歩いても疲れや筋肉痛は皆無でよく眠れます。週に5日は料理をして頭の方も鍛えています。『認知症の予防には料理が一番』とはなるほどよく言ったものだと実感しています。前立腺がんが消えてから20年が経過しました」

 2016年11月16日のお話より

 

 「前立腺がんが消えてから来月で22年です。実年齢を告げると『まさかウソでしょう?』といった顔をされます。『若さの秘訣は?』とも良く訪ねられます。これまで運動や食事などいろいろ話してきましたが、つくづく歌はいいと実感しています。歌と共に歩いてきた人生ですからね。この頃は、皆さんには呼吸法を伝えています。『窮地に立った時、是非、深く息を吐いて深く吸ってを繰り返してください。必ずあなたを守ってくれますよ』と悩みやストレスを抱えてる方たちにすすめています」

 2018年4月26日のお話より

 

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イメージ。花博記念公園ではありません。

 「カラオケ教室をたたみ、兄弟親戚が住む大阪府に引っ越しました。思い切って決断して正解でした。車を運転する必要がなく、自分の足でどこへでも行ける利便性です。また、毎日散歩を欠かしませんが、週に3度は花博記念公園に出掛けます。きちんと整備されていてとても美しい場所です。

お陰で毎日夜はぐっすり眠れています。快適な環境で、妻共々ものすごくハッピーな暮らしをしています。」

 2018年12月2日のお話より

足立吹喜代さんの場合

群馬県前橋市の足立吹喜代さん(子宮筋腫)からの手紙

拝啓 

  毎日厳しい暑さが続きますね。いつも大変お世話になります。 遅くなりましたが治療中の記録をお送りいたします。 私は本を読み、「そうだ私も日本冬虫夏草で治してみよう」手術は絶対にしたくないと思いました。 治療経過は別紙のとおりですが、治療中は時にはくじけそうに なったこともありましたが、おかげさまで健康になることができました。そして、手術もしなくてすみました。本当に夢のようです。

 健康ほどありがたいものはありません。私は健康になることができましたが、私の周りにもガンで苦しみ若い命を失った人がたくさんいました。(私の甥もそうでした。病気が発見されてから5ヶ月あまりの命でした。) 本人はもちろん、残された家族にもこんな辛いことはありません。かける言葉もありませんでした。

 一日も早く日本冬虫夏草がガンを治せる薬として完成されることを願っています。どうか皆さん頑張ってください。 そして、私の一年くらいの記録ですが少しでも皆さんのお役に立てば幸いに存じます。 暑さ厳しき折くれぐれもお体をお大事になさいましてお仕事にお励みください。

  まずはお礼まで。

かしこ

 

病名 子宮筋腫
年齢 58歳(体重58Kg)

⟨1999年8月2日⟩病院にて筋腫の大きさ8cmと診断される。(実はここまで大きくなって いるのに気づかなかったのは症状があまり出てなかったということと,年齢的に更年期ということからです。) 医師は手術をする大きさとさかんに言う。私は年齢が年齢ですから手術は避けられるものならと医師に相談する。では少し様子を見ましょうということで次回検査は3ヶ月後。

⟨9月1日⟩日本冬虫夏草を1日600CCずつ5回に分けて飲み始める。

⟨11月18日⟩検診
まだ少量の出血あり、筋腫の大きさ医師に聞いてもはっきり言わないが、かなり大きそう。

⟨11月25日⟩
¥カルシウムマグネシウムを加えて飲み始める。

⟨12月6日⟩検診 MRI検査
筋腫の大きさ8cmと診断、医師より特別変わったことがなければ次回検査は6ヶ月後。

⟨2000年2月1日⟩
大分体調も良いので(出血もなく)今月より1日350ccに減らす。70ccずつ5回。

⟨3月15日⟩
日ごとに良くなっていくので量を少しずつ減らす。一日280cc、1回70ccを4回。

⟨4月22日⟩15本購入
1日180cc、60ccずつ3回。

⟨5月23日⟩
1日180cc、60ccずつ3回。とても体調が良くなったので上記のように飲んでいる。

⟨6月22日⟩検診
特別変わったことがなければ手術もしなくて良いとの事。6ヶ月後に検診にもう一回。

⟨6月22日⟩30本購入
1日180cc、60ccずつ3回。現在も上記のように飲んでいますが、疲れたときは多めに、先日は海外旅行に水筒に入れて持っていき、元気に旅行ができました。

飲み始めてからの体の変化
○いつも肩こりがあり、少しの書き仕事でも目が疲れていたが、飲み始め10日くらいより、肩こりも目も楽になったのがはっきりわかる。
○疲れてとても体が辛い時飲むと、とても元気になる。
○花粉症で毎年医院で薬をもらって飲んでいましたが、今年は薬も必要なく日本冬虫夏草だ けで楽に過ごすことができました。
○胃、下痢などの時も日本冬虫夏草で治していました。今年は薬らしい薬は飲まなかったような気がいたします。

足立さんはその後一日90cc程度を毎日飲んでいます。

【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。