大腸がん

大腸がんを自然消失された方のお話も含まれています。冬虫夏草や自然療法、代替療法にご興味のある方々です。

眞壁秀夫さんの場合

※前立腺、膵臓がんは中盤。肺がん、乳がんのお話は末尾にございます。

 「私はもともと胃が弱く、疲れると痔になりやすい体質でした。2001年4月から出血が始まり、いつもの痔と思って暮らしていました。でも一向に良くならないんです。近くの総合病院で診てもらうとあっさり何ともないと言われてしまって。それから釈然としないまま4ヶ月が経過しました。痛みは全くないのですが、出血はさらにひどくなっていきました。

000044-a.jpg 8月30日。いよいよ県内でも有名な肛門科の個人病院で診てもらうことにしました。そこは18年前に痔の手術をしたところでもありました。内視鏡で調べてもらったらモニターに一瞬やけどのただれのような部分が映ったんです。内視鏡はゆっくり移動して、腸壁をモニターに映し出していきますが、どういうわけか肝心な部分にさしかかると先生はさりげなくサササーッとスピードを上げちゃうんですよね(笑)。これは見逃しちゃいけないと思ってね、私も必死です。問題の部分は赤黒く変色していて周囲が白くなっているのが分かりました。細胞検査もやって、すぐに大学病院を紹介されました。

 6日後。個人病院の検査をもとに、大学病院でようやく直腸がんの診断が下りました。『手術で開いてみて、患部が肛門に近ければ人工肛門になるよ』と言われました。
手術までは1ヵ月以上あるので、自宅でやれることはやってみようと思いました。日本冬虫夏草を飲み始めたのは翌日からです。腸に負担をかけないよう、主食をモチ米質の少ない粘り気のない米に切り替えることにしました。それはキヨニシキという銘柄で無農薬無肥料米。日本冬虫夏草の浣腸もやってみました。そして出血量が徐々に減っていくこととなり、開始から25日目、ピタリと止まったのです。それ以降出血は全くありません。

 私はこの病気を機に、体の変化についてメモをとるようになりました。

 

2001年4月
出血が見られるようになり、総合病院で検査するが問題ないとのこと。
8月30日
再び個人病院での検査後、大学病院を紹介される。
9月5日
大学病院では直腸がんの診断。
9月6日
日本冬虫夏草を飲み始める。日本冬虫夏草の浣腸を思いついて試してみる。膿みたいなものが出てくる。
9月8日
胃の弱いのが気になっていたが、負担が無いようだ。
9月9日
なんとなく調子がよい。足がポッカポッカと温かくなる。まるで湯たんぽをあててるようだ。夜はすぐに熟睡。朝までぐっすり。
9月11日
便器いっぱい真っ赤になってたのが、出血が減って真っ赤な血が便に薄くつく程度になった。
9月17日
便が黄金色になってきた。便には赤茶色の血のスジが入る程度。
9月27日
腸に負担をかけないよう、粘り気のないキヨニシキという 銘柄の無農薬無肥料米を主食にする。
10月1日
キヨニシキを食べてから5日目。便に血のスジもなくなった。
10月3日
入院。相変わらず出血はない。以後出血はなし。主治医は日本冬虫夏草もキヨニシキも自由にやってくださいと言う。


000044-b.jpg 10月15日に手術。人工肛門は避けることができました。以前、身内がこの同じ病院で大腸がんの手術をした際、摘出した部分を見せてもらったことがありました。患部は黒ずんだ紫色で、500g~800gはあったでしょうか。両手でないと収まりきれない量でした。今回はどういうわけか、摘出した部分は家族の誰にも見せてくれませんでした。何センチ切ったのかもわかりません。赤黒くただれていた部分がどう変化したか見たかったですね。

 

前立腺に異常発見!消失!

   手術から5日目。残尿検査を受けていると、CTに影が映ったことがありました。前立腺のところです。腫瘍マーカーは6.5の異常値。あせって日本冬虫夏草の量を増やして毎日700cc~1050cc飲みました。1週間して再びCTを撮ると、今度は影は消失していてマーカーも2.5の正常値。先生は『あれっー。不思議だねー』とずいぶん驚いていました。すぐに『眞壁さん、何飲んだの?』と聞いてくるから、私はドキッとしてとっさに、この泌尿器科の先生には『何も飲んでません』と答えてしまいました。そしてこの2枚の写真のコピーをいただきたいと申し出ると、『病院間でのやり取りで必要があれば出すけど、それ以外はお渡しできない決まりになっています』と断られました。写真を見れば変化が一目瞭然なので、皆さんにお見せできないのが残念です。

 

10月15日 
手術。人工肛門を免れる。
10月20日 
前立腺の腫瘍マーカー6.5の異常値で、CT検査で影が見つかる。日本 冬虫夏草の量を2〜3倍に増やす。
10月27日 
腫瘍マーカーは2.5の正常値に下がり、CTの画像から影が消失。3年 越しの低温やけどの患部がきれいに治る。

  それからもう一つ、不思議なことがありました。私は3年前にカイロで低温やけどを負っていました。足の患部はそれからずっと炎症が治まらないままだったのですが、退院する頃にはきれいに治っていたのです。

 他の治療は一切なく、手術から1年が過ぎ、長いこと悩みの種だった胃の調子も良く快便の毎日です。昨年、告知を受けた時、すぐに社長のイスを息子に譲りました。私は10年前にサラリーマンを辞めて現在の会社を興したんです。睡眠時間は毎日4~5時間。とにかく働きました。肉類が好物でよく食べていましたね。病気を治すためにそれを止めて、野菜をたっぷり摂るようにしました。お酒は4、5年前から飲んでませんし、タバコはもともと吸いません。

 仕事をやめてから体調のコントロールが利くようになりました。外に出たくない雨の日には終日家で休み、睡眠不足の日は日中自由に眠ることができるわけですから。仕事をしていたら休みたいときに休むことは不可能で、必ず無理をします。これでは自分自身を裏切ってることになりますよね。この病気は痛みがなく、働くこともできますから、あなどってしまうことが非常に怖いんです。

 

000044-c.jpg 近頃は、野菜を作ったり、魚を釣りに海に出たり、自分のペースでやっています。来年は米作りに挑戦しようかと思っています。最近、腸に良いレシピを発見しました。シシトウの佃煮です。とても良い便がでますよ」

朝日ウィル(北燈社)2002年11月19日号より


 「間もなく手術から2年になります。この度のCT、MRI、マーカー、肝機能検査ですべてが正常で、『検査の間隔を伸ばしましょう』と言われました」

2004年9月2日のお話より


 「2006年3月の検査でγ-GPT(肝の状態をみる数値:正常値0~50)が200以上あったのが、この度の検査では60まで下がっていました。その他はどこも正常で、主治医から『もう検査に来なくていいよ』と言われました。そう言われてもまた行くつもりです(笑)。

 γ-GTPの数値が気になってから、日本冬虫夏草の種類をCY42番に変えて飲みました。又、今年になってからお酢療法を始めて肩こりがなくなりました。

 1日1錠の血圧の薬(10年前から)と1日2回2錠ずつの尿酸を下げる薬(20年前から)は続けています。血圧はしばらく安定していて服用を忘れることもしばしばです。もし上昇したとしても肩のあたりが重苦しくなるのですぐ分かります。肩にサロンパスを貼ると血圧がスーッと下がるので不思議です。根を詰めることをするとどうしても血圧は上がるようです。

 自分の体とは長い付き合いなので、くせを心得ていてその都度コントロールしているつもりですが、とことんがんばってしまう性格はたまにコントロール不能となり、ここが反省するところなのでしょう」

2006年8月2日のお話より


000044-d.jpg 「ここ1年は疲れるということがありません。ゴルフに行ってもそうです。若いときの体に戻った気がします。今年は同級会がありました。自分で言うのも何ですが、級友たちは顔が皆しわくちゃで、私だけ顔がピチピチしてたので『どうなってるの?』と思いました。

 日本冬虫夏草は量を減らしながらも続けています。手術から5年が過ぎました」

2006年11月24日のお話より

 

膵管に異常発見!消失!

 「2007年4月に心臓の血管にステントを入れる手術をしました。血管が詰まって倒れたのです。心臓の薬が追加され、一日に服用する薬は7種類となりました。しばらくして、γ-GTP(肝機能数値:正常値0~50)が749まで上昇したので検査を続けていくうち、膵管狭窄と肺に影が見つかります。そしてどちらも治療なしで解決していくのですが、その経緯を報告させていただきたいと思います。

 

【経緯】
2007年4月
ステント手術。これまでの血圧と痛風の薬に心臓の薬が追加され、7種類に。
6月

γ-GTPが749まで上昇。

9月10日
 

膵臓の内部、膵管に異常発見!

 

MRIで膵管の狭窄が見つかり、医師から『ここに出るのはまずがんなんだ』と説明を受ける。
細胞を取って調べる予定。姉と弟を共に膵臓がんで亡くしている。二人とも54歳の若さだった。医師はこの点を重要視。日本冬虫夏草をこれまでと比べて多め に飲むことに。毎日350ccを1ヶ月は続ける。日本冬虫夏草のCY16番の割合も増やす。

 
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11月13日

消失!

ERP(ERCP)検査を行う。これはファイバースコープを膵管まで通して調べるもの。先端のブラシで狭窄の部分から細 胞を取ることになっていたが、膵管の狭窄がきれいに治っている。
CT写真でも異常なし。大学病院では、写真のコピーをもらうことができないので証拠になるものとして、診断書を書いてもらう。

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肺に異常発見!消失!

 

11月31日

肺に異常発見!

PET検査。右の肺に光るものが見つかった。
9月のレントゲン検査では何も写らなかったのに。
肺以外は全身異常なし。
家電屋で吸入器を購入し日本冬虫夏草の吸入も試すことに。

12月11日
旧型のCT機械で撮影。何も写らず。
12月20日
レントゲンに影が出る。
2008年1月30日
レントゲンでやはり影が写し出される。
『こういうのは間違いなくがんなんだ』と言われる。拡大してみると患部がはっきり浮き出る。それでも12月より薄くなっているようだ。3cmのモミジ形の影有り。(これは画面から外れてしまう)
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2月1日
γ-GTPは78まで低下。肝臓の薬ウルソ出される。
血液データ、その他全て異常なし。
3月12日
新型のCT機械が導入される。
やはりプチプチと影が写る。
3cmのモミジ形の影もプチプチと点となって散らばり、消えかかっているようだ。
3月26日

γ-GTPは33の正常値に。

9月16日

消失!

新型のCT機械で撮影。
プチプチが写っていない。
かすかに写っているようにも見えるが、『この程度のものならレントゲンでは全く写らない。異常なしとの診断になりますよ』と言われ。『次回またCT写してください』と申し出ると、『このように良い状態だし、CTといっても放射線を浴びることだからそれで刺激されるし、そっとしておきましょう。PETもレ ントゲンも皆放射線です。検査はこれで打ち切りです』と断られた。

 

 写真のコピーは入手不可能でしたが、意外にも『家族が心配しているので、携帯のカメラに写させてください。これを見せたら安心すると思います』と申し出ると、快くOKが出たので驚きました。割合きれいに写りましたのでメール送りました。これが証拠写真になります。それから日本冬虫夏草を飲んだことは、先生には伏せております。

 昨年来、体中をくまなく検査して全身異常なしのところまで漕ぎ着けました。安堵しているところです」

2008年9月22日のお話より

 

 「一昨年膵管狭窄が治り、昨年は肺の影が消失。それ以来変わらず元気にしています」

2009年3月4日のお話より

 

 「今年は知り合い2人が膵臓がんと乳がんになり、手術前から日本冬虫夏草を試しました。両者とも術後元気に仕事をしているというから驚いています。私は、変わらず元気にしています」

2009年12月12日のお電話より

 

知り合いが末期のすい臓がんに。末期の乳がんの女性も現れ。

 「変わらず元気に過ごしております。約一年前、知り合いが膵臓がんの末期と診断され、家族皆『もう助からない』とあきらめていたところ、『私のようなものがいるからあきらめるな』と励まし、手術前に日本冬虫夏草を飲むことになりました。
 すぐにおしっこがジャーと出てびっくりしたそうです。膵臓がんの検査では尿量が重要視されます。おまけに土色だったおしっこも無色透明になりました。

 そして、ずっと上がり続けていた腫瘍マーカーが1週間程で下がり始めたのです。吐き気も治まってごはんも食べられるようになりました。術前にはGM031_L.jpg痛みも無くなり、鎮痛剤とも縁が切れていました。それでも手術は当初のプラン通り行われました。膵臓と脾臓、十二指腸と胆のう・胆管まで全部取りました。

 それなのに現在はトラクターを運転し、農作業に励んでるというから驚きです。無理はして欲しくないですが、具合が悪かったら動けないだろうし、余程体調が良いのだと思います。病院の治療は現在何もしてないそうです。

 また、昨夏、乳がんの末期と診断された知り合いを訪ねたところ『もう助からないと』家族が泣いていました。同様に励まし、日本冬虫夏草を飲むことになりました。手術前のCT画像に変化が現れ、『何か飲んでるの?』と尋ねられました。そこで『何も飲んでません』と面倒を避けるために用意しておいた答でとぼけたそうです。術中の細胞検査で『がん細胞は陰性』と出て、術後の抗がん剤、放射線治療はスケジュールから外されました。今年2月の検査では『がんは体から無くなったよ。どこにも無いよ』と言われたそうです」

2010年4月2日のお話より

 

 「今年の夏は異常に暑かったですね。でも一切バテることなく畑仕事ができたのですから本当に不思議です。私の場合は日本冬虫夏草を飲むと体温が上がってくるようで、気温との差が縮まって暑さが気にならなくなるというか、肉体労働が全く苦にならなかったのです。そのとき蒔いた種がいよいよ育って、大根と白菜の収穫の時期となりました。味には自信があります。こんな幸せなことはないです」

2010年11月12日のお話より

 「被災された方々にいくらかでも野菜をお届けしようという思いがあって、趣味だった畑は、作物を増やし本格的になってきています。今年は、6月から暑くなりました。梅雨入りは平年より9日遅く、梅雨明けは平年より16日早くて、観測史上最も短い18日間。平年の4割の長さしか無かったようです。(梅雨期間:6/21~7/9)

8月になると30度を超える日照りが2週間ほど続きました。作物のためには、手間を惜しみません。根元に穴を開け、空気を入れてやります。その後、丹念にじょうろで水を流し込んでいきます。すぐに穴は塞がってしまうので、翌日にはまた一から始めなくてはなりません。その繰り返しです。移植ベラで根切りも行います。根を切ると根を張ろうとがんばってくれます。良い根が地面にはびこり作物が良く実るのです。

 昨年もそうでしたが、不思議なことにいくら畑で身体を動かしても疲れを全く感じないのです。畑でやることは毎日新しく出てきて、朝5時から夕方5時まで動きっぱなしの時もあります。海に出掛け、その足で畑の作業という日もあります。健康面での不安は全くありませんでした。 

 そんな中、8月12日の未明に異変が起きたのです。その日は、パジャマの上着を脱いで何も掛けず窓を開けっ放しでうっかり寝入ってしまいました。そして、40度の熱と体中の痛みで飛び起きたのです。左足も、ふくらはぎからつま先まで驚くほど腫れています。

すぐに病院に行って血液検査をすると、CRP値が19と異常値。白血球も1万を超えていました。感染症、リウマチ、通風、心臓疾患などを疑い、数日かけて消化器内科、整形外科、循環器科、皮膚科専門の個人病院と検査を受けて回りましたが、どこも悪いところが無く、原因がつかめないまま時間が経過していきました。薬剤の投与もありましたし、日本冬虫夏草もいつもより多めに飲みました。IMG_0920_SP0000.JPG

足の腫れはそのままでしたが、15日には平熱に戻り、CRP値も白血球数も下がっていきました。24日にはその数値も正常になりました。この頃には『もう病院に来なくていいから』と言われてしまいました。足の腫れもしだいに引いていきました。

 いったい何だったのでしょうね。炎天下で畑をやり過ぎたのですかね。本当は疲れてるのに疲れてる感覚が分からなくなっていたのですかね。結局この件で、CTもMRIも心電図も血液検査もさんざんやったお陰でどこも異常がないというお墨付きをいただきました。もちろんがんの心配も無いということです。自己コントロールが効かず、ついついがんばってしまう性分こそ病気ですかね。これは一生治らないかもしれません」

2011年9月1日のお話より


img020.jpg 「すこぶる元気にしております。検査データーを見て主治医が驚くほどです。『何やってんの?』と聞かれます。この頃は、腕や足に筋肉が付いたのを実感しています。畑作業で出来た筋肉です。ジムで鍛えるのと違い、畑だと野菜というご褒美が出ます。

皆、健康になりたかったら畑をやりなさい。きれいな空気と、筋トレ、ビタミン・ミネラルたっぷりの新鮮野菜。健康になるための要素が揃っています」

2012年6月20日のお話より
 

 「1000~2000坪の畑を一人でやっています。その作業に慣れるまでは大変でした。この頃は45~46才ぐらいの体に戻った気がしています。体重も4kg減って68kgです。健康を実感しております。」

2014年7月3日のお話より

 

 「2011年の夏のようにCRP値が上昇して、3月初めに発熱と下痢で緊急入院しました。コウモリの糞を掃除したのが原因かと考えています。病院の診たては原因不明。今は、元気になり、農耕に精を出しております」

2016年3月29日のお話より

遠藤清さん(80)の場合

000051-a.jpg 秋田県井川町の遠藤清さん(80)は、肝臓がんを克服されて今年で6年目を迎えます。遠藤さんの肝臓にミカン大の腫瘍が見つかったのは1995年の暮れのことでした。それは、7つある大腸ポリープの摘出手術をするために入院した時、たまたま発見されたものでした。

 「それまでの生活は、決して楽ではない農作業の中で、タバコを1日に2箱、3度の食事の時と10時と3時のお茶の時間にコップ酒を飲むのが楽しみで、その習慣が長い間のうちに消化器系や肝臓に無理を重ねることになったのでしょう。毎年、大腸ポリープの手術を繰り返して3年、半年前には喉のポリープ手術も行っていました。大腸ポリープは取っても取ってもまた現れるモグラタタキのモグラのようでした。

 日本冬虫夏草を使用したのは肝臓がんの診断が下ってすぐ。病院側には「番茶を飲んでる」と応えました。病院での治療はカテーテルを用いて肝臓に直接抗ガン剤を注入するもので、1回30分の治療でした。しかし、ちょうど入浴が災いして風邪をひいたこともあり、吐き気や発熱の症状が出たため、これは2度目で打ち切りとなりました。それ以外の治療はやっていません。
 

肝臓がん消失

飲み始めてから1ヵ月後、CTで検査すると、ミカン大あった腫瘍は100円玉 大に縮小していました。このとき主治医の先生は、肝臓がんがこのように劇的に縮小するのは滅多に無いことと頭をかしげて大変不思議がっておられました。大学病院の先生にこのことを報告させてくださいともおっしゃっていました。そしてそれから1ヵ月後、ついに腫瘍はきれいに消失してしまったのです。

 そこで後回しにされていた大腸ポリープの手術に、ようやく取りかかることになりました。しかし内視鏡で、あるはずの患部を探してもどこにも見つからないのです。こちらも7個全てが消失していました。以前手術したところは穴のような跡が残っているのに、今回の自然消滅した場所には何の痕跡もなくなめらかでした。

 悪いところは皆消えて晴れて退院する時、毎日飲むようにと抗ガン剤を渡されました。治っているのにどうしてという気持ちと、タバコやお酒であれだけ腸や肝臓を痛めつけてきたのに、いまさら化学合成薬で痛めるわけにはいかないという思いから服用はしませんでした。

 当初、私は肝臓がんの告知はされておりませんでした。家族にだけ知らされたようです。家族は、入院中も一向に喫煙を止めようとしない私を見かねて、病名を教えることにしたそうです。わがままな頭と、治そうとしてる体とがバラバラでは、治るものも治らないと考えた末のことでした。病名を知ってからというもの、自分を管理するようになりました。今までの生活に原因があるとするならばと生活を一転させました。アルコールやタバコを一切排除して、仕事の心配もできるだけしないように心がけました。なるようになると割り切るようにしたのです。あれから再発もなく、毎年悩みの種だった大腸ポリープの出現もなく、6年の月日は流れました。日本冬虫夏草は現在も続けています」

 秋になると遠藤さんの育てた新米が私のところに届きます。その美味しさには、惜しみなく注がれた手間暇と、稲作にかける熱意が込められていて、遠藤さんの人柄がしのばれます。

 今年の7月の酷暑が続く中、久しぶりにお電話すると娘さんが出られて「父は田んぼに出てます」というお話。「この暑さの中大丈夫ですか」と心配になりましたが「あれ以来、体の方は何事もなく元気で、周りから驚かれています」という返事。タバコもお酒も以前の量 に及びもしないが、最近は少したしなんでいるということでした。それはちょっと気になりますが、それも元気の証拠でしょう。今年も遠藤さんの美味しいお米が無事に実ることを祈っています。 

朝日ウィル(北燈社)2001年8月21日号より

 


 

 遠藤さんご夫妻と、息子さんにお会いしました。
清さんは再発もなくお元気で、今年で8年目をむかえられ、83歳になられるということです。毎朝3時に起きて田んぼの水を見に出かけ、バイクで走り回っているということです。「何にも束縛されずに、自由にゆったり暮らしている。それがいいんでしょ」清さんの言葉でした。

2003年6月10日


山内正徳さん(1998年当時仙台ホテル・梅華園料理長)の場合

  腎結石のお話は後半にございます。

 「身内の中から次々とがんになる人が出始めたのは、1995年頃からでした。最初は母親のS字結腸がんから始まり、次に妹が子宮がん。それから父の尿道・膀胱がんと続きました。私は自分に何かできることはないかと思い、当時東北大学で生薬の研究をしておられた近藤嘉和先生に相談を持ち掛けました。すると日本冬虫夏草の話をしてくださって。先生はその当時、その分野の研究で世界的な第一人者でしたから。000054-a.jpg

 私は、腫瘍の臓器圧迫や排泄障害を解消するための手術はやむを得ないと思っていましたが、抗がん剤に対しては賛同できませんでした。それで主治医に掛け合って、家族には抗がん剤を使わないという約束を取り付けたのです。

手術の前から日本冬虫夏草を飲んでもらって、3人の様子を見て思ったことは、『普通 の人の約半分の時間で退院できるもんだな』ということでした。なにしろ術後の感染症に悩まされることもなく、手術の傷も早くきれいに塞がりましたからね。

すっかり健康を取り戻し、再発もなく、母は今年で7年。妹と父は5年目を迎えています。日本冬虫夏草は続けていますが、風邪を引くこともなくなって、がんになる前より元気になったようです。私よりずっと元気じゃないですか?(笑)母や妹は少し太りました。

 そして、同じ料理人の奥さんが、心臓膜に良性の腫瘍が見つかったことも重なりました。それまで自覚症状が全く無く、気付かないでいたそうです。どうやらそれは子どもの頃からあって、加齢とともに大きくなる性質のものらしいです。たまたま風邪をひいて、胸のレントゲン撮影をしたため発見され、その時点で子どもの握り拳の大きさにまで成長し、心臓を圧迫し始めていました。摘出手術の後から私のすすめで日本冬虫夏草を飲んでもらいました。

 この話には続きがあります。退院の際に検査をしたら、今度は胆のうにポリープが見つかったそうです。でもそのままにして日本冬虫夏草を続け、1年後に調べたら小さくなっちゃってて、主治医から『もう心配はないよ』と言われたというのです。手術から今年で6年目。50歳を迎えられましたがなお元気で、第一線でバリバリ仕事をされています。やはり風邪をひくこともなくなったそうです。

 

私の持病

 一方、その頃の私はというと40歳を越えたぐらいで、持病の腎結石の症状が出始めていました。結石ために2回の入院をしていますが、この痛みはなった人にしか分からない。とにかく頻繁にやってくるこの痛みに、自分のことも何とかしなくてはいけないなと思い始めていました」

  腎・尿管結石の原因は血液の汚れといわれています。この病気でいちばんの問題は激しい痛みです。シュウ酸カルシウム、リン酸カルシウム、マグネシウムアンモニウムリン酸塩、尿酸、シスチンなどが腎で結晶化し、大きいものだと尿管にひっかかり激しい痛みにおそわれるのです。

 山内さんは、このために何度か病院に運ばれたことがあるといいます。

 「初めの発作は1997年のことで、明け方、目が覚めました。普通 、痛みって弱くなったり強くなったり、波がありますでしょ。でもこれは、どんどん一方的に増していくだけ。いつか治まるだろうなんて余裕はないの。脂汗が出て、うなって、救急車を呼ぼうと思ったけど、マンションに住んでいることもあって、静かにタクシーを呼び、病院まで運んでもらいました。この時は薬剤投与ですぐに石は落ちたんです。

 2回目の発作はそれから1年後でした。入院して同様の治療を受けて。でも今度は2週間しても石は落ちてこない。そこで最終的に衝撃波を当てて石を砕いて落としたんです。この病気で入院してる人には銀行員もいましたし、結婚式を間近に控えた若い女性もいましたから、『どんな人でもなる病気なんだなぁ』と思いました。

 

腎結石が自然排石された

 発作の度に入院では仕事にならないし、何か打つ手はないかと考えて、両親と妹が飲んでいる日本冬虫夏草とは違う別の菌類を試すことにしたんです。それをを毎日170ccぐらい飲みました。ある時、腰痛があって『あっ石が動き出したな』と分かりました。10日ぐらいしてから、量を倍以上に増やして集中的に飲むと、3日目に赤い血が出てきました。もう少しだなと思ってコップ2杯の水を飲んでその時を待ちました。そしてトイレに行くと、米粒大の四角の角張った石がポロリところがり出たんです。見ると以前、病院の治療で排石されたものより大きいじゃないですか。それなのに、あの耐え難い激痛は一切無く、普段どおり仕事をしていたことを考えると、『こんな不思議なこともあるもんだ』と妙な気分でした。

 

 そして昨年。再び米粒よりやや小さい石が同じように自然排石されました。それだったらと結石で悩んでいる前出の料理人仲間に同じものを勧めてみました。すると、やはり目立った痛みが無く自然排石されて。『いつも病院に行くしかなかったのに、こんなことは初めてだ』と驚いていました。

 日常的には誰でも、小さな結晶は気づかないうちに自然排泄されているものですが、何かの拍子に大きな結晶にまで成長させてしまう人がいます。これにはバクテリアが関係しているとの説もあります。私にとってこういう結晶は1年に1回のペースで動き出し、落ちてくるようです。  母のがんに始まり、妹、父のがん。そして私の結石と続きましたが、皆無事に元気に過ごしています。これからも日本冬虫夏草等と付き合っていくつもりでいます」

朝日ウィル(北燈社)2001年4月10日号より

 

000054-b.jpg 仙台ホテルで「山内料理長の究極爆蒸美食」会が催されました。山内さんの本格中国料理の技の数々に感動しました。その中に「山海珍味壺蒸」というスープがありました。冬虫夏草、鹿の角、朝鮮人参、フカヒレ、乾し貝柱、あわび、なまこ等が入っていて美味で絶品。おかわりを何杯もしました。その晩は眠らなくても平気なほど元気で、朝まで仕事をしてたくらいです。その元気は24時間保ちました。24時間目にプツリと切れたのがわかりました。

 日韓ワールドカップでは、韓国チームが最後の最後に体力が落ちることなくねばりを出して勝ち進んでいます。選手達は毎日冬虫夏草と朝鮮人参を食べていると聞きました。やっぱりと思いました。日本チームにこのスープを飲ませてあげたいという思いにかられました。

2002年6月24日

 

 山内さんのお母様は再発もなく元気に9年目、お父様と妹さんも再発なく元気に7年目を迎えました。日本冬虫夏草等は現在も続けているということです。

2003年12月6日

浜松多津子さんの場合

000074-a.jpg 1996年5月頃の浜松多津子さん(鳥取県米子市在住)は、毎日体がだるく、特に食後はすぐに横にならなくてはいけないほどで、便秘も続いていました。それでもご本人は、更年期のせいかなぐらいに考えていたといいます。

 「病院で検査してみると、思いもしない答えが返ってきました。『腸が破れて土手ができてますよ』と言うんです。S字結腸ガンということでした。これまで痛みや出血は全く無かったんです。さらにリンパ節と肝臓にも転移していて、肝臓には3つの腫瘍のほかに、ポツポツと小さな腫瘍が全体に散らばっていて『肝臓の方は手術はできないよ』と言われました。それからの1週間は、めまぐるしく状況が変化していきました。

1996年5月24日(金) 初めての検査 すぐに入院して手術ということに。
5月27日(月) 入院  
5月28日(火) 再検査 わずか4日の間に肝臓の上半分の腫瘍が消えていると言われ、手術ができるかもしれないということに。
5月29日(水) 手術 今度は肝臓の腫瘍全てが消失。リンパ節への転移もなしで腸も20cm切除の予定が3cm短い17cmの切除にとどまった。もともとあった子宮筋腫 もついでに摘出。

 日本冬虫夏草を飲み始めたのは術後のことです。主人が週刊誌から切り抜いて、一年前にファイルしていた記事を思い出し、二人で読み直してみたんです。そして飲んでみようということになったんです。悪いところはみな取ったという気持ちで退院という時に、抗ガン剤をどうするかという話になりました。主人と私の気持ちは、肝臓に病気を持っていたわけですから抗ガン剤は肝臓に悪いし、やりたくないということで断わりました。そして日本冬虫夏草を使っていきたいと話しましたら、さすがに先生の顔色が変わりましたね(笑)。そんな得体の知れないものと思われたんでしょう(笑)。後日、本を読んでもらったところ、納得していただいて、逆に先生の方から『まだ飲んでるの』と声をかけてくださるようになりました。ですから抗ガン剤や放射線といった治療は一切やってないんです。

 ガンと知った時、驚くというより『ああそうか』という気持ちでいました。『死んだら楽になる』とさえ思ったんです。というのも私は長い間、実母との間に確執を抱えて生きておりました。母は大変ワンマンな性格で厳しい人でした。その両親とは同居していて、私は日常的に感情を抑えてこざるをえなかったのです。どんどんお腹にストレスをため込んでいって、それが次第に病んでいったのでしょう。その頃になるともう限界を越えてました。いろいろなしがらみから開放されたいと願ったのです。でも不思議なもんですね。日がたつうちに死んではいけないと思うようになりました。そして術後、初めて重湯を口にした時、ありがたいことだと思いました。自分を取り戻したという感じでした。病気をしてみて人の温かさにも触れました。ひとりの力ではどうにもならない、感謝しなくてはと思いました。恨むという感情は、心と肉体を蝕んでしまう決して抱いてはいけない感情だと思いました。

 2年半後の1998年11月には、再び肝臓に腫瘍があると言われ、結局何ともないということで手術の前日になって手術がキャンセルされるというアクシデントがあったものの、おかげさまでこれまで一度も再発なく元気に暮らしてこれました。風邪を引くということもありません。本当のことを言いますと、当初日本冬虫夏草を飲むのに、冬虫夏草なんて気味の悪いキノコと思って(笑)抵抗があったんです。でもそれから6年以上飲み続けているんですものね。主人はどこも悪くないのに一緒になって飲んでいます。食事は、肉類はできるだけ食べないようにして、甘いものを控え、野菜をたくさん取るようになりました。以前は油っこいものを好み、甘いものや肉類をたくさん食べていました。食べることでストレスを発散させようとしてたかもしれません。

 病気になったのを機会に両親とは別居することになりました。現在母は80歳。歳を重ねるごとに性格も温和になってきた気がします。週に4日は母のところを訪ねて面 倒をみています。毎日穏やかな気持ちで暮らしていけるのも皆さんのおかげと思って感謝の気持ちを忘れずに暮らしています」

朝日ウィル(北燈社)2002年9月17日号より

鈴木ひろ子さん(当時66才・仮名)の場合

000075-a.jpg 「排便時に時々出血がみられるようになったのは、1994年の暮れのことでした。出血がなかなかおさまらなくて。2ヵ月ぐらいして病院で検査を受けました。すると肛門から10cm奥のところに2cm大の腫瘍が見つかったのです。直腸ガンという診断でした。担当の先生は『すぐにでも手術して人工肛門をつけましょう』と言います。その時私は、人工肛門でも元気で活躍されている人はたくさんいるけれども、できることなら人工肛門は避けたいという思いでいました。側にいた娘も同感でした。

 そんな折、卵巣ガンをすっかり治したという人の話を偶然聞く機会がありました。そこで日本冬虫夏草のことも知ったのです。娘と話し合って、手術までの時間があるわけだし、黙っていないで自分のやれる自然療法をできるだけ試してみようということになったのです。

 1995年、3月に入ってすぐ日本冬虫夏草を毎日700ccずつ飲み始めました。それから10日余り経って手術前日の3月13日。内視鏡で再検査を行いました。すると主治医は『あれっ』と驚くのです。『山がないね。山がつぶれてる。頭の方からはがれてきてますよ』という説明。

 そこで急遽、局部麻酔をかけて肛門から内視鏡を入れ患部をはがす簡単な手術を行いました。そして、その先生は『全部除去できたとはいえないので、きちんと開腹手術をして人工肛門にすべきですね』と言い残したまま術後すぐに病院を辞めてしまったのです。私もお彼岸の日を避けて退院しました。

 4月に入って病院に行くと、新しい先生は前任の先生の人工肛門手術の意向を受け継いでおられるようでした。しかし、その時の検査結果は、腫瘍マーカーも正常値で他のデータにも問題はなく、元気な人の血液と全く変わりないもので、再手術の話はなくなりました。それでも信じられない様子で『念のため抗ガン剤を出しときましょうか』とまでおっしゃる。母娘とも頑張ってそれだけは勘弁してもらいました。5月に入ると確認のためCT検査を行いました。腸にも肝臓にも悪いところは一切見つからず、結局この時点で完治の診断をいただいたのです。

 あれから再発もなく、今年で7年目を迎えました。内視鏡で自分の腸壁の画像を見ることもありました。手術の跡もなく、なめらかでとてもきれいです。定期的に検診は続けていましたが、今年の6月には『鈴木さん、病院は卒業だよ。もう来なくていいよ』と言われてしまいました。


000075-b.jpg 日本冬虫夏草は現在も続けています。この7年間を振り返ると、病気の時も含めて仕事を休んだという記憶が無いんですよ。73歳になった現在も、自分で車を運転して化粧品のセールスの仕事をしております。免疫力を高めることといったらカラオケで、お腹の底から大きな声を出して、何もかも忘れ、歌うことに熱中することでしょうか。カラオケ教室には20年間通 っています。

そういった仲間や友人と2、3日の旅行に行くのも楽しみの一つとなっています。車で出かけて夜中じゅう走って朝現地に到着なんてこともよくあります。旅行するにはとても良い季節になりました。今も、一泊旅行から帰ってきたばかりです。

 これからも再発しないように体に気をつけて、できる限り仕事の方は続けていくつもりでいます」

朝日ウィル(北燈社)2001年10月16日号より

【経緯】
1994年12月末 排便時に出血。
1995年2月 直腸ガンの診断。
3月初め 日本冬虫夏草を飲み始める。
3月13日 患部が剥がれているのでそのまま除去。
5月 検査結果より完治の診断下る。

 

 「完治と言われてから、再発なく11年以上が経ちました。1年ほど前から認知症の症状が現れ、MRI等の検査で初期~中期位と診断されました。それでもこの1年は、進行していない状態を維持しています」

2007年2月5日お嬢様からのお手紙より

 

 「ちょっと今のことを忘れてしまう傾向があるようですが、家族や親戚のことは認識できますし、身の回りのことも全て自分でできています。体は至って健康です」

2008年6月4日お嬢様のお電話より

 

「これまで12年間、再発なく元気に過ごしてきました」

2008年6月9日のお電話より

佐藤満さんの場合

※大腸がんについては後半をご覧ください。近況は末尾にございます。  

 「私がノドに異常を感じたのは1992年1月のことでした。町内会の集まりでカラオケをやっていると、突然声が出なくなったのです。これは普通ではないと思い、病院で診てもらうと、やはり声帯に異常があるということでした。

 それからしばらくの間通院が続きました。最終的には喉頭がんの診断が下り、患部を2度ほどレーザー光線で焼く治療を行いました。img114_SP0001.jpgそれでも良くなる気配は一向に見えてきません。そんな折、心配する友人たちが、矢萩先生の研究している日本冬虫夏草の話をしてくれたのです。

 日本冬虫夏草を飲み始めたのは1993年の2月半ばからです。初診から1年以上が経っていました。初め飲むのに抵抗がありましたが、お茶だと思って飲みました。他に薬草茶も作り、それにブレンドして毎日飲みました。山から採ってきたサルノコシカケ、ドクダミ、オトギリソウ、ヨモギを土瓶で煎じて。

 2週間後、主治医からある決断を迫られました。患部の摘出手術の話で、それは声帯まで全部取り、ノドには穴が開いたまま二度と声が出せないというリスクを伴うものでした。

 妻はそれを聞いたとき、『お父さんにとって声を失うことがどんなに不自由なことか、なんとしても声帯を残してあげなくちゃ』と思ったそうです。とはいってもどうしたらいいものか...。理容師の仕事をしている妻はたまりかねて、あるお客さんに私の病気を打ち明けたそうです。

 すると思いがけない答えが返ってきたのです。『私の娘は千葉県柏市の国立がんセンターで看護婦長をしております。その分野の名医がいると聞いてますから娘に相談してみましょう』なんでも娘さんは看護の勉強のために海外留学までされた方で、名医とは、海老原医師です。声帯を少しでも残せる可能性があるならそれにかけてみよう。心が決まりました。

 一方で、主治医にこのことを話したら、かなりもめるのではないか、妻がけんかする覚悟で面談に出掛けたのは1週間後のことです。すると結果はあっけないものでした。『海老原先生は、私たちなど及ぶ相手ではなく、日本で1、2位の腕を持つ方です。どのような方法で知りましたか?誰の紹介ですか?』と逆に尋ねられて、あっさり紹介状を書いてくださいました。『治療後、帰られたら一度私に診察させてください』とまで言ってくれました。

 柏市国立がんセンターに向かったのは1993年4月1日。前日には県の退職者辞令交付式典があり、夫婦で出席しました。定年のこの日まで勤め上げた満足感でいっぱいになり、幸せな一日でした。そこで矢萩先生夫妻にもお目にかかり、記念撮影などもご一緒して、誠に不思議な縁を感じました。


000077-b.jpg 上野駅でそれまで止められなかったタバコを捨てました。病院に到着し、その建造物を目の前にしたとき、はたして生きて帰れるものやらと心細さが募りました。それでも婦長たちスタッフが玄関先まで出迎えてくださっていて、その笑顔にすくわれる思いがしました。

 執刀してくださるのは海老原医師。俳優の中村錦之助さんや勝新太郎さんの手術も手がけられています。私の病状を11名が診て、一人一人が所見を述べ、それをもとに大先生が最終決断をするという方針でした。そして『できるだけ声帯は残して欲しい』という妻の切実な申し出に『分かりました。半分残しましょう』と約束してくれたのです。

 主治医は浅井医師が担当となりました。今まで服用していた薬は全部取り上げられましたが、日本冬虫夏草だけはこっそり飲み続けました。

 4月16日に手術。大成功ということで1ヵ月余りで退院。声を失うことは一度もありませんでした。ただノドには穴が開いており、これは再発を確認する窓穴といったところで、数ヵ月このままで過ごさなければなりません。

【佐藤 満さんの経緯】

1992年1月 カラオケ中に声が出なくなる。通院開始。喉頭がんの診断。1年の間に2度のレーザー治療を行う。
1993年2月半ば 日本冬虫夏草を飲み始める。薬草茶も合わせて飲む。
3月 主治医から、患部の摘出手術の話があり、声帯は残せず声も失うとのこと。声帯を一部でも残したい一念で他の病院を探す。
3月31日 定年退職の日。県の退職者辞令交付式典に夫婦で出席。
4月1日 千葉県の国立がんセンターに向かう。
タバコを止める。
4月16日 手術。声帯の半分が残り、声も失わず。

 その頃の私は、無傷のときと違って世間に見せる自分の姿や気持ちが未練がましく思え、人に会うことができませんでした。でも日が経つにつれて、そういった思いは薄れていき、観念のようなものが生まれていったのです。

 8月。術後の経過が順調だったことで穴を閉じる手術が行われました。これまでの治療には、抗がん剤や放射線など手術以外の治療は一切なく、薬も術後に鎮痛剤を使用した以外は何もありません。

 発病は、原因が3つ重なって起こったのだと思います。(1)タバコ、(2)仕事上責任あるポジションでストレスを感じていたこと、(3)環境の悪い職場で長年汚れた空気を吸ってきたことなどです。県立病院の四方に窓のない、わずかに空調だけの職場でクリーニングの仕事を30年間勤めてきました。後に県の病院管理課に掛け合って改善を求め、現在は、たいへん理想的な職場に姿を変えています。

 手術から今年で9年目。再発もなく、めったに風邪をひくこともなく、週に何日かはハイテク会社の運転手の仕事をしています。日本冬虫夏草と薬草茶は続けており、晴れた日はできるだけ野山に出かけ、新鮮な空気を吸うことを心がけています」

朝日ウィル(北燈社)2001年7月17日号より

 

「手術から14年が経とうとしています。術後3年目で『もう心配いらないよ』と医師から太鼓判を押されましたが、念の為5年目までは検査してもらいました。

 ここまで再発なく、元気で過ごしてきました。今年で74歳となります。仕事は辞めましたが、妻と一緒に幼い孫の面倒をみてますから、毎日とても忙しく、体力も使います。その孫も来月から保育園に入園するので、これからはゆっくりする時間も取れると思います。

 当時を振り返ると、病気を一人でかかえこまず、周囲の人たちに打ちあけて相談したのが良かったと思います。経験者もいるし、必ず何らかのヒントやアドバイスをもらえるものです。妻にも感謝しています。彼女のお客さんからの提案で私の運命も変わりました。これは妻が長い間、確かな技術で温かく誠実な接客サービスを心掛けてきてくれたおかげだと思っています。どのように生きてきたかという真価が問われるのは、こういう瞬間なのかもしれません。

 これまでずっと薬草茶と日本冬虫夏草が傍らにありました。最近は健康に自信がついてきたものですから、あまり飲まなくなりました。妻からは『お父さん、飲んでくださいよ』と言われています」

2007年3月2日のお電話より


                 大腸がん                    

 「2007年12月29日に下血があり、明けて2008年1月22日に大学病院で大腸がんと診断されました。翌日から日本冬虫夏草を再開し、1日400ccを飲み、主食は無農薬無肥料のキヨニシキ玄米、お酒と肉は止め、日本冬虫夏草の浣腸も試してみました。生活を変えてから1週間もすると便がきれいになっていったので良い方向に変化しているなと感じました。

 手術は2月13日のことです。大腸を20cm切りました。摘出部分は黒ずんでいたということです。リンパ腺に転移しているかどうか、この時点ではまだ分かりません。術後、私の回復力のすごさに担当の先生も看護師さんも目を丸くしてたまげていました。『もう少し置いてください』と申し出ると『何ともない人は帰ってください』と言われ、2月24日に退院しました。GA050_L.jpg

 その後も自己管理を続けました。キヨニシキ玄米にはすっかりはまってしまい、おいしくておかずがいらない程です。一時期5kg減った体重もみるみる戻っていきました。

4月15日にようやくリンパ腺への転移なしとの検査結果が返ってきました。抗がん剤投与の話は入院当初からずっと持ち上がっていましたが、5月13日になると『75歳になるし、抗がん剤は止めておきましょう』と言われ、15年前の喉頭がんのときと同様、手術のみの治療で終了しました。

実は、抗がん剤の話が出る度、『やりたくない』と意向を伝えていたのです。それでも『(自宅で服用する)抗がん剤を出しますか?』と再び話が持ち上がった時は、妻に加勢してもらって意志を貫きました。7月22日のCT検査でも、異常なしとの診断が下りました。
 

 振り返ると3人の息子のことで幸せを願うばかりに心を痛めた時期がありました。思うようにならないことにいら立ったりしました。そして毎日、ビールと焼酎と日本酒のちゃんぽんで晩酌を欠かすことはありませんでした。先生にお酒のことを尋ねたことがあります。『お酒は飲んでも構わないよ』と言いますが、大腸がんになったことをきっかけにスッパリ止めました。がんを経験した人は、止めるに越したことはないと思います。止めるに勝る薬なしです。
 2度のがんを経験して神経が大分図太くなったように思います。この先何があろうとドンと来いといったような。それでも何もないようにと食事療法を中心として、体の改革に努力し続けておりますので、どうぞご安心ください」

2008年8月18日のお話より

2007年12月29日 下血。
2008年1月22日 大腸がんの診断。
1月23日 日本冬虫夏草を再開。主食は無農薬無肥料のキヨニシキ玄米。お酒と肉は止める。日本冬虫夏草の浣腸を試す。
1月29日 便がきれいになってくる。
2月13日 手術。20cm切除。
2月24日 退院。
4月15日 リンパ腺への移転なしと分かる。
5月13日 抗がん剤投与はやらないことに決定。
7月22日 CT検査、異常なし。

 

 FJ310012_SP0001.jpg「秋田県の玉川温泉で1週間の湯治を体験してきました。鍋釜持参の炊事でテレビ・ラジオ無しの生活、岩盤浴に明け暮れて不思議な世界を肌で感じました。九州から北海道まで何かしら体の悪い方々が毎日500人の出入りがあり、異様なお山の景観を拝してきました。家内も体が軽くなったと言っていました。現在私は服用している薬も一切無く、全く元気に過ごしております」

2008年11月4日のお手紙より

 

 「服用している薬も一切無く、変わらず元気に過ごしております」

2009年4月2日のお手紙より



 「大腸がんの手術から間もなく3年が経とうとしています。再発や転移とは無縁で、すこぶる元気に過ごしております。1月5日から毎日雪が降り続いております。毎日雪かきです。でも主なところは息子にやってもらってますので、頑張り過ぎることなく力を抜いて続けています」

2010年1月24日の奥様のお話より



 「変わらず元気にしております。検査からも卒業できました。山菜採りの季節になりました。天気の良い日は、新鮮な山の空気を吸いに出かけるつもりです」

2013年5月7日のお話より


 

【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。

当研究所の技術を真似た偽造品やコピー品にご注意下さい。

ご注意下さい