脳腫瘍

今村晴美さん(宮城県在住)の場合

13東日本大震災で次男家族が九死に一生を得ました。このお話は末尾にございます。

 

  「下腹部に尋常ではない痛みが走り、病院に行ったのは1999年(37)春のことです。この時、『他にも悪いところがないか、この際だから全身くまなく検査しましょう』という話になって承諾しました。すると次々と異常が見つかっていったのです。まずは乳房にしこり、そして甲状腺に腫瘍、さらに腸骨に影...。

 

 乳房のしこりは良性と悪性の中間レベル、グレーといったところで、すぐに摘出。甲状腺の腫瘍はクロ。広がっていたリンパも含めて摘出しました。腸骨の影はシロの判断でした。

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 今はどうか分かりませんが、当時の検査は肉体的、精神的負担が伴いました。手術よりしんどかったかな。私は、その病院で幸運にも心の支えになってくれる素晴らしい看護師さんと巡り会っていました。生検の際は病院側に頼み込み、その看護師さんに担当で付いてもらいました。検査中ずっと手を握ってもらっていたほどです。白衣の天使って本当にいるのですね。彼女がいなければ、次から次に起こる現実を乗り越えられなかったと思います。

 

 さて、唯一症状が出ていた子宮内膜症の話に戻りますが、片方の卵巣と卵管を摘出しました。子宮には筋腫が3個ありましたが、残して様子を見ていくことになりました。甲状腺の術後も、抗ガン剤投与等なかったですし、投薬されたものといえば退院後の鉄剤とホルモン剤ぐらいですかね。

 

 その後しばらくして、副鼻腔炎の手術もやっています。このように、次々とやってくる大病に休み無く立ち向かっていかなくてはなりませんでした。

 

   2001年になると、今度は息子の肺にガンが見つかりました。当時18歳。転移ガンでした。手術の前に抗ガン剤を投与し、患部を小さくしてから根っこを手術で摘出するというプランに沿い、抗ガン剤投与が始まりました。すると全身の毛が抜けました。眉毛もです。並外れた食いしん坊だったのに食事はできず、飲み物さえ受け付けない。胃の中は空っぽなのに吐くのですから見てられませんでした。自分のことより辛かったです。

 

 そこにある人物が見舞いに現れました。山内正徳さんという方です。(山内正徳さんについては こちら をご覧ください)そして『これ飲んでみて』と何か差し出したのです。それが日本冬虫夏草との始めての出会いでした。

 

 覚悟を決めた息子は、ひとくち口にしました。すると食べ物も飲み物も一切受け付けなかったのにスンナリ飲めたではないですか。それから先も他の物は無理でも日本冬虫夏草だけは飲めるということでした。不思議な物があるもんだわと思いました。

 

 その後、息子の手術は成功し、再発や転移と無縁で今日まで元気に過ごしています。日本冬虫夏草は現在も続けています。

 

  さて、2005年の話になります。仕事中のことでした。ずいぶん前から左耳が聞こえずらいなと思っていたのですが、秋になって、電話の受話器を持った時、発信音が全く聞こえなくなったのです。右耳にあてるGH127_L_SP0001.JPGと確かに発信音は鳴っています。音の種類によって全く聞こえない音とかすかに聞こえる音があるようでした。

 

 すぐに耳鼻科で診てもらうと『耳自体は何ともない。耳の裏も問題ない。他に問題があるのではないか』ということでMRIで頭部を調べると『何かあるね』と言われたのです。頭の中が真っ白になりました。診察が終わったらデパートに寄って帰ろう。そんなあたり前の日常が一遍に吹っ飛んでしまったようでした。老舗デパートが閉店セールをやっていた時だったのでよく覚えてます。1129日のことでした。

 

 そんな時、あの日本冬虫夏草を思い出したのです。再び山内正徳さんに相談し、私も早速日本冬虫夏草を試すことになりました。病院からは『腫瘍が耳の神経と顔面神経と三叉神経にかかっていますので手術のリスクがかなり大きく、万が一神経が切れてしまうと。顔の半分が落ちてくるでしょう』と言われました。そして、脳外科医の福島孝徳先生に執刀してもらうように手配してくれました。福島先生は海外で活躍されていて、鍵穴手術で癒着や神経を巻き込んだ腫瘍を上手く剥がす技術をもっている方らしく、来日する2週間の間に45件もの手術をするといわれています。その代わり、手術を1年近く待たなければなりませんでした。

 

 手術の準備として貧血を改善しなければならず、鉄剤を渡されました。日本冬虫夏草は無理なく続けられました。フルタイムで働くのを止め、時間をセーブして仕事を続けました。

 

  半年後の20065月。脳腫瘍の診断直後からあった頭痛が無くなっていました。血液検査をすると、『貧血が良くなってる』と言われました。『子宮筋腫も大きくなっていない』ということでした。頭痛は、『ここに腫瘍がある』という精神的なものに起因した痛みだったのかなとも思います。20069月には、貧血は改善され、子宮筋腫も大きくならず止まったまま。子宮筋腫の方は『このまま手術なしでいけそう』との診断。難聴はまだありました。

 

  20061027日、脳腫瘍の摘出手術の日です。前もって『腫瘍は神経に絡まっているので元のように聞こえるようにはならないよ』と釘を刺されていました。病室を朝9時前に出て、手術室から戻ったのが夜の8時。手術は10時間に及びました。後で知ったのですが、この日は私のために10名程の親戚縁者が駆けつけ、見守ってくれてたそうです。術後、頭の中に空気が入ったために起こる頭痛が続きました。そのため1ヵ月は薬を服用しています。薬はそれだけです。

 

しだいに頭の重苦しさや痛みから解放されていきました。そして、なんと左耳が昔の耳に戻ったのです。電話の受話器をあて、普通に会話が出来るようになったのです。耳は元には戻らないと覚悟してましたから、信じられないことでした。

 

 私の感想ですが、腫瘍が神経から剥がれ易くなってたのではないかと思うのです。手術まで長い時間がありました。その間、日本冬虫夏草をはGW115_L_SP0001.JPGじめ、食事に気をつけたり、仕事をセーブしたり、できるだけ体をいたわる事に努めました。乳製品断ちもしました。それまではチーズが大好物で頻繁に食べていました。これらの試みが無駄ではなかったのだと思いました。仕事はひと月休んだだけで、復帰することができました。

 

  20077月。持病の子宮筋腫にも変化が現れました。筋腫3個がそれぞれ小さくなっているのです。先生も『このまま閉経していけば大きくなることはありませんし、手術の心配はもうありませんよ』と言ってくれました。血液の状態も『献血できるほどです』と言われました。この年の暮れには転職してフルタイムで働き始めています。

 

 持病の子宮筋腫はさらに小さくなっていき、2010年の夏から週に1度スポーツジムに通い始めました。40分のランニングが出来るほどの体力が身につきました。私の実年齢を知った人が『えっー!若い!』と驚いてくれます。孫と一緒にいると母親と勘違いされることもしばしばです。日本冬虫夏草との付き合いも5年を超えました。2006年の脳腫瘍の手術が終わってから手術を必要とするような大病が全く無くなりました。暮らしの中にはいつも日本冬虫夏草があります。

 

 

 

  振り返ると、経済的問題を抱えていて、それが引き金になったかなと思います。20年間苦しみました。がむしゃらに働き続けなくてはなりませんでした。休んだという記憶がほとんどありません。体が悲鳴を上げるはずです。今では全てが片付き楽になりました。一方で人に恵まれました。健康を取り戻せたのは周囲の温かい方々に支えてもらったお陰だと思っています。

 

私は、自分の事情や悩みを隠したり、ひとりで抱え込んだりしない性格です。それゆえ、皆からヒントやアドバイスを貰えたのかなと思います。皆、色々な経験や知識を必ずお持ちです。今度は私が病気で苦しんでる方の力になり、世の中にお返したいと思いました。私の経験が役立ってくれたらこんな嬉しいことはありません。そのため実名のまま、隠さず話させていただいたつもりです」

 

                                                                       201124日のお話より

 

 

            【 経   緯 】

 

 

1999年 415       子宮内膜症で卵巣・卵管摘出手術。子宮筋腫は残す。              

      511    左腸骨腫瘍生検。       

 

2000年 1030    副鼻腔炎手術。

 

2005年 11月29日  脳腫瘍見つかる。

2006年  5         脳腫瘍の診断直後からあった頭痛が解消。
                 
子宮筋腫の大きさはそのまま。貧血改善方向へ。

9月       子宮筋腫の大きさはそのまま。貧血改善。 

 

20061027   脳腫瘍摘出手術。本来の聴力に戻る。

2007  7        子宮筋腫が縮小し、完全に手術の必要無くなる。

 

2010年 10月         子宮筋腫がさらに縮小。

 

 

立ちくらみのようなめまいがしたので、検査をするとコレステロールと中性脂肪の数値が高いことが分かりました。CT画像には脳梗塞の跡が写っていると言われました。いつ起こったのか気が付きませんでした。こういうことは多くの方にあるようです。体調に自信があったので、ここしばらくは、食事に気をつけることも無く、自由に食べてました。気を抜いて油断してました。職場の同僚に健康アドバイザーがおりまして、コレステロールを下げる食材、血液をサラサラにする食材を教えてもらいました。運動と組み合わせて、体質改善に努める決意を新たにしています。

 

                                2011年2月10日のお話より

                                               

 

 

 

_東日本大震災______________________________________________

            

 「巨大地震の直後、名取市閖上(ゆりあげ)に住む次男家族の安否が気になりました。海沿いの街ですから津波によって壊滅したという話です。連絡も取れず、一部の望みも無いとあきらめかけてたその時、当人達が現れました。孫を抱きしめて号泣しました。地震から3日目のことです。

 

我家は今、非難してきた他の親族IMG_0797_SP0001.JPGも合わせて10人暮らし。次男は職場が流され、仕事を失った状態ですが、目下のところ大所帯で賑やかに過ごしております」

                2011年3月16日のお話より

名取市にある仙台空港ターミナルの様子。津波によって運ばれた瓦礫の山。止まったままの電車が見える。329日撮影。瓦礫の撤去が急ピッチで進められていた。4月13日から一部国内線で運行再開予定。

 

    natoなな

  

 

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【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になったヒトはどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を否定したり、特定の商品について推奨するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。