乳がん

乳がんを自然消失された方のお話も含まれています。冬虫夏草や自然療法、代替療法にご興味のある方々です。

黒坂 和子さん(アトランタ在住 2005年当時77歳)の場合

kurosaka_1.jpg※近況は末尾にございます。

 「アメリカに住んで50年以上になります。2005年6月16日のの話になりますが、メモグラム検査で『乳がんの疑いがある』といわれたのです。左の乳房にごく小さなケシ粒のようなしこりが散らばってるということでした。

 

夫婦で娘が住むアトランタに引っ越す前は、ウィスコン州のグリーンベイに住んでいました。当時から年に一度はメモグラムの検査を受けていて、一回だけ検査に引っかかり、バイアプシー検査(生検)までやったことがあります。その時は苦痛を感じることもなく、がん細胞も見つかりませんでした。跡が残るということもありませんでした。

 

その経験がありましたから、再びアトランタでバイアプシー検査をすすめられた際も、気楽にひとりで出かけていったのです。

 

がん細胞見つかる

 ところが、部分麻酔をかけて針の先のような道具でしこりをとっていく間、女医さんのおしゃべりが止まりません。スタッフのひとりと話に夢中で集中してない様子でした。案の定、見当はずれのところを2,3回取り間違えたり、以前は経験のなかった痛みも感じたのです。たまらずその真摯でない姿勢に中断を申し出ました。(この時の傷はしばらく残ることになります)そして、取り除いたしこりの一部からがん細胞が見つかったのです。私は、彼女のボスに掛け合って、後日改めて残りのしこりを取り除く約束を取り付けました。担当医はボスです。

 自宅に戻り、『またがん細胞が見つかるのかな。どうしよう』と考えてると、ふと以前耳にした日本冬虫夏草のことを思い出しました。日本冬虫夏草を飲んだのは残りのしこりを取る2日前。正確には1日半、粉末にしたものを飲みました。

 

がん細胞がどこからも検出されない

 77日、今度は娘に同伴してもらい、残りのしこりを取り除きました。家族がいれば、いやがうえにも相手にプレッシャーがかかります。いい加減には出来ないというのがあるかもしれません。全身麻酔をかけ、メスを使った昔の方法でやってもらいました。前回のような痛みはなく、跡も細いかすかな線が残っただけ。そして細胞を調べると今度はどこからもがん細胞が出てこないのです。『キモ(抗がん剤治療)する必要はありませんからこれで終了です』と言われました。

それから半年に一度の検査を続け、2008年からは検査は1年に一度でよくなりました。日本冬虫夏草はずっと続けています。あれから胸に再びしこりが現れることなく順調に5年が経過しています。

 

 さてもうひとつ、自分に降りかかった大きな事件の話をしなければなりません。

がんより困難。転倒による後遺症

 20061021日のことでした。どん底につき落とされる出来事が起きたのです。友人宅でのパーティーに呼ばれた時のことでした。キッチンにまるめて置いてあったカーペットにつまずいて大転倒してしまったのです。床に後頭部をガツンとぶつけました。すぐに救急病院に行き検査をし、翌日も念を入れて調べましたがこれといった異常はありませんでした。症状も何も出てません。

 

ところが転倒から3日目、急激に気持ちが悪くなって立っていられなくなったのです。しだいに両手両足がしびれ出し、ひどい船酔い現象におそわれ、食欲もなくなり、眠ることすら出来なくなっていきました。脚気になったように自分の手なのにどこに置いたらいいか分からない。自分の体であって自分の体でないような感覚、こればっかりはなってみた人でないと分からない。あちこちの病院で診てもらいましたが、一向に異常な場所は特定できず、治療法もわからずじまいで良くなる気配もないまま闇の中を数カ月の間さ迷い続けることになるのです。がんの方がまだましだと思いました。その間、夫は毎日手足のマッサージを続けてくれました。

 

 年が明けて2007124日。これまで頭部ばかり検査していましたが、首はどうなのか調べることになりました。そしたら首の骨のスパイン(椎骨)6個がずれていることがわかりました。そのうち1つは細くもろくなっているようでした。

 ドクターから『このスパインに補強材入れたら現在の症状がなくなるかもしれない。手術には半身不随になるリスクが伴います』と言われました。高すぎるリスクです。グリーンベイに腕のいい友人のドクターがいたので相談すると『手術できるかもしれないよ』という返事。ただこの季節、この状態で極寒のグリーンベイに行く自信は無く、躊躇せざるをえませんでした。

 

劇的な回復

 2月に入ってすぐ、これまで飲んでいた日本冬虫夏草とは違う別の菌類に変えてみることにしました。その頃から変化が現れてきました。

img023_SP0001.JPGまずはじめに両手のしびれが取れてきました。そして次に肩こりが取れてきて、次に両足のしびれが治ってきたのです。223日にはウォーターエキササイズを15分やれるまでに回復していました。その後、チャーチで食事の準備を手伝いながら4時間もの間平気で立っていられたのです。大好きな庭の手入れも出来るようになりました。急激な回復でした。

 

 アトランタには毎年ジャパニーズフェスティバルという催しがあります。私は、アトランタで花水木ガーデンクラブに所属してるのですが、そのフェステバルで仲間と盆踊りを披露しました。20083月のことです。あの時のことがウソのように思えました。右はその写真です。

 200912月の血液検査でも20103月の血液検査でも満点の成績でした。薬を服用してもかんばしくなかったコレステロール値もミドルからロウに良くなっていました。自分で言うのもなんですが、若く見られることが多く、高齢者のサービスを受けようとすると『あなたはまだその資格ない』と注意されるのです。身分証明書を見せて私の本当の年齢を知ってもらうと相手の方は信じられないといった様子で目を丸くします(笑い)。

2010年6月12日のお話より

 

 「このところエキササイズは週に5日やっております。日本の文化を広めるために大学やハイスクールで盆踊りを教えております。日本冬虫夏草なども続けております。明日からバケーションで娘が出掛けます。そのため犬を預かることになり、ちょうど今、犬の散歩から帰ってきたところです。元気でやっています」

201083日のお話より

 

  「この度、年に一度のメモグラム検査があり、結果は異常なしでした。お陰様で乳がんとは無縁で5年が経過しました。日本冬虫夏草は現在も続けています」

2010年9月23日のお話より

 

 「昨年12月、ベットに横になってる時、左の腰の辺りを後ろから誰かに押されてるような違和感があり、CT検査をしたところ、『膵臓が腫れてるようですね。3ヶ月経ってさらに異変があったらバイアプシー検査をしましょう』と言われました。いつも思うことなんですが、このドクターは大げさなんです。いつの間にか横になった際の違和感は消えていったし、食欲も排泄も普段どおり、ウォーターエキササイズも週に4、5日は無理なくこなして快調そのもの。3ヶ月経って膵臓の大きさはそのままでしたが、全く気にしてません。バイアプシー検査なんてもってのほかと思っています。

 

 日本の震災に心を痛めています。仲間で義援金を募り日本に送りました。日本の被災地の映像を見る度、涙があふれます。そんな折、こちらでも天災に見舞われました。427日~428日にかけて、アメリカ南部6州を竜巻と暴風雨が襲ったのです。一晩で150もの竜巻が発生。340人の尊い命が犠牲になりました。被害現場は瓦礫の山と化しており、メディアでは『日本の被災地を見るようだ』と伝えています。オバマ大統領は29日には現地に入り『これほどの惨状は今まで見たことがない。胸が張り裂けそうだ』と語りました。

 

嬉しいニュースもありました。1970年代、ニューヨーク州のシラキュース市に住んでいた頃、根岸英一夫妻と親しくしていました。人間的に素晴らしいご夫婦でした。夜の10時頃、突然電話が入ったのです。奥さんのすみれさんからでした。『黒坂さんお久しぶりです。今アトランタに来ています』江戸っ子で気取らず気さくなところが昔と全く変わっていませんでした。根岸さんが2つの有機化合物をひとつにつなげて新しい化学物質を作り出す合成技術(カップリング技術)で2010年のノーベル化学賞を受賞したらしいのですが、私はそれを長いこと知りませんでした。アメリカでは日本のようにメディアで派手に報じられることが無いものですから。あの根岸さんがね...。この一年は夫婦そろって世界各地を講演して回らなくてはならないそうで、スケジュールがびっしり。自由な時間が取れないとぼやいてました。ノーベル賞なんて滅多に取れるもんじゃないですよね。自分のことのようにすごく嬉しかったです」

 

2011年5月2日のお話より

 

pool.jpg 「9月に年に一度のメモグラム検査があり、結果は異常なしでした。血液検査の結果も満点でした。週に5日のウォーターエクササイズも変わらず続けています。乳がんとは無縁で6年が経過しました。お陰様で何の心配もなく新しい年を迎えられます。日本冬虫夏草は現在も続けています。」

2011年12月22日のお話より

 

  「12月の末にメモグラム検査があり、結果は異常なしでした。それより前の血液検査ではコレステロール値が若干高いものの、80項目ある数値は皆正常値。元気で新年を迎えました。今年の3月3日で87歳になります。」

2015年1月3日のお話より

 

 「庭では50~60本の水仙がつぼみをつけて、いよいよ春めいてきました。庭木に鳥の餌をぶら下げて野鳥観察をしています。穀物の種や牛脂などを4か所に設置しています。毎日窓から鳥をながめながらの朝食は至福のひとときです。ブルージェィやカーデナルがよくやってきます。ときには、リスが餌をうばっていくこともあります。朝食の後はウォーターエキササイズに出かけます」

    2015年2月18日のお話より

 「春の嵐がやってきました。庭の木々からは枯れ枝がちぎれ飛び、地面に山となりました。それを一人で片づけました。2~3時間はかかったと思います。『あの年で良くやるなぁ!』と周囲の人たちは驚いています。乳がん細胞が消えてから再発無く10年、転倒の後遺症から解放されて9年が経ちました。時差があるのでこちらはまだ3月3日の雛祭り。私の誕生日です。88歳になりました」

2016年3月4日のお話より

 「先日、病院でストレスチェックなるものを受け、3分間走らされました。気が付くと人垣が出来ていて『89歳だなんて信じられない!!』と賛辞が飛び交い、自分自身はしんどいという感覚もなかったので、そのような反応に驚いてしまいました。お陰さまで未だ背筋も真っすぐなままです」

2018年1月3日のお話より

 「根岸英一夫妻の交通事故の連絡が入りました。お二人で空港に向かう途中のことらしいです。すみれさんという大切な友人を失いました。英一さんのご回復を祈るばかりです。私はこの3月3日にとうとう90歳の大台に乗りました。すみれさんは、まだ80歳とお若かったのに残念でなりません」

2018年3月15日のお話より

川部双葉さん(東京都在住)の場合

 「2016年、2月に入ってまもなくのことでした。毎年行っている区の検診でマンモグラフィーと超音波の検査をして、今年も『異常ありません』と乳腺専門クリニックからお墨付きを頂きました。

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その月末には、時々逆流性胃炎になり、萎縮性胃炎を起こすので心配になり、北里研究所のアミノインデックスという5種類のがんの血液検査も受けています。

結果は、乳がんはA、B、C、の判定のAであり、『再検査の必要はない』ということでした。

 

 その後、安心しきって生活をしていましたが、5月末にりそな銀行を訪れた際、店頭に乳がん撲滅早期発見の為のデモンストレーション用のレプリカの乳房を見つけました。3か所にがんが作ってあり、『乳がんとはこんなものです。触ってご自分の胸もチェックしてください』と説明がありました。

 早速、家に帰り自分の胸を触ってみると、左胸の脇にそのレプリカと同様のしこりに触れてビックリしました。しかし2月に検査したばかりです。まさかと思い、『来年また検査しよう』と7月までほっておいたのです。

 

 7月の半ばになると、友人が遊びに来てその話をしました。すると、『直ぐに病院に行った方が良い、私の姉は3年であっという間に逝ってしまったの』と強くすすめるのです。

 

再度、検診した病院に行き、超音波で見るなり先生は『アッ!』と慌てて『念の為に細胞診をさせてください』とおっしゃいました。

 8月3日には、『悪性です。大きな病院に行ってください』と診断が下りました。その日は奇しくも自分の誕生日でした。信じられない思いで、友人にすすめられるまま乳がんでは一番と名高い○○がんセンターに向かい、検査漬けの日々がスタートしました。

この頃から、以前妹が子宮がんでお世話になった日本冬虫夏草の事を思い出して早速飲み始めました。(妹様である西村みどりさんのお話はこちらです)検査の途中でも『私はがんではない、乳がんと間違いやすい繊維線種であればよい』とか、『これは間違いだわ』とか何度も自分に言い聞かせていましたが、検査の結果私のがんは2.1ミリで脇のリンパ節には転移していませんでしたが、『乳輪乳頭まで細かく散らばっていてステージは1ですが乳房は残すことはできません。全摘となります』と言われた時には『なぜ?』と納得がいきませんでした。

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 『ただただ切りたくない、全摘ではなく部分摘出にしてほしい』と懇願しましたが先生との意見は食い違い、『命と胸とどちらが大切ですか!』とあきれられました。

そんなことで『とてもこの先生の元では全摘したくない』と思い、どうしても全摘しなければならないのなら神の御許が良いということで、直ぐ近くにあるクリスチャンのS病院へ駆け込み転院いたしました。

 

 S病院では女性の医師が多く、私の胸を失う不安に対してもよく理解してくださりました。『歌う時(声楽家)にはドレスも着るでしょうから、貴女の場合は同時再建しましょう』とテキパキとスケジュールを組んでくださり、S病院では60パーセント以上の人に行われているという同時再建をすすめられました。

 『日本一の同時再建の先生がいるから安心して身をまかせられます』とのことでした。この間もずっと日本冬虫夏草は飲み続けて、時には日本冬虫夏草の粉末を琵琶のエキスで溶いて胸に貼り、11月11日の手術に向けて日本冬虫夏草を頼りに手術を待ち続けておりました。

 

術後、放射線も抗がん剤も免れた。脇の下のリンパも残った。

 手術の一週間前には右の胸も疑われて至急細胞診をとりましたが、右の胸の細胞は石灰化していて今のところ大丈夫でした。今後経過観察ということでした。それも日本冬虫夏草のお陰さまだと思っております。

 手術の結果は7月中旬2.1ミリだったがんの元は11月の手術までの約4か月の間にその間冬虫夏草以外何の治療もしていないので2.5ミリとなっていましたが、これは先生の図り方により多少の誤差がでていたと思います。仮に0.4ミリ成長していたにもかかわらず、手術中に切り取って検査するセンチネルリンパにもまったく転移がなかったため、これも改めて日本冬虫夏草のお陰さまだと思いました。

乳房のがん細胞が最初に流れていく入口が、センチネルリンパというところです。浸潤がんの人は、手術中に検査をします。私の場合は、センチネルリンパにがん細胞が到達しておらず、脇の下のリンパの摘出を回避できたということです。

少し大きくはなってはいても免疫力が高まり他への転移はなかったので、同時再建のエキスパンダも入れることが出来、手術が終わって目が覚めると胸のなくなってしまった喪失感もなく、エキスパンダを入れたので放射線もせず、本当は術後半年は抗がん剤をするものなのだそうですが、がんの増殖率をみるKi67という数値も1.2と低かったため1.4以下は抗がん剤もしなくて良いということでした。

ホルモン剤の副作用とのつきあい

 私のがんはルミナルAというごく一般的な型でホルモンに反応するがんで、今後の治療法としてはレトロゾールというホルモン剤治療のみということで初めは喜んでおりました。しかし飲み始めて1か月ほどすると副作用で身体の節々の関節がいたくなり、寝返りをうつのもままならない日々となりました。

FM118_L.jpgそんな時耳にした日本冬虫夏草のある種類(日本に生息する冬虫夏草は500種類以上で、その中の1つ):CY113を思い浮かべましたが、何にせよがんになったのに放射線も抗がん剤も他の治療は何もしていないので少し怖くなり、辛いのにこのホルモン剤をやめるわけにはいかないとずっとがんばってきました。しかし膝や肩や腰や腕のいたる所の関節痛に我慢できずに先生に相談したところ、今度はタモキシフェンという別のホルモン剤に変えてくださいました。

しかしそれもままなりませんでした。『この薬のデメリットは子宮体がんになりやすいので、必ず自分で定期的に検査してください』というしろものでした。それでも試してみたらしばらくは痛みもなく喜んでいたのです。

しかしながら、1か月した頃、同じように関節痛が出始めてしまいました。そして同じ痛みならまだレトロゾールの方が子宮体がんの確立が低いのでましかもしれないと思い、元に戻してもらいましたが、やはり寝ていても身体のあちこちが痛みます。

 膝などは骨肉腫になったのではと思うほどに寝ていても痛みます。インターネットの乳がんのブログなど読むとやはり皆、関節痛や倦怠感や物忘れや鬱などに悩まされて、仕事にも支障をきたす為、お医者さんと相談し納得の上ホルモン剤治療をやめてしまう人もいるそうです。今私はホルモン剤も飲まないよりはましかと思い、前に胸に張りつけていたCY113の粉末をホルモン剤と一日おきに交互に飲んでいます。

ラッキーに過ごせていることに心より感謝

 そして乳がんになっても皆様のお陰さまで痛いながらもこんなにラッキーに過ごせていることに心より感謝しております。

ただ一つだけ気になる問題があります。それは手術の時点では全てきれいに採ってしまったので心配ないのですが、私の乳がんは乳輪や乳頭にまでちらばって血管から破れて血管の外に流れてしまっている浸潤がんだったので、手術前に血管から流れて骨、肺、肝臓、などに小さな遠隔転移などしていないかと時々心配になります。

病気の原因

 原因は更年期障害の治療のためにホルモン剤を長く服用していたことが思い当ります。10年に及びます。服用すると元気が出るから止められなかった。『止めなくてはいけないよ』と先生からも忠告されていました。そして、仕事上のストレス。

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現在も自宅と仕事場が一緒の生活ではストレスがたまりやすいので、思い切って新しい生活設計をたて、ストレスが無くゆっくり暮らせる家の所得と今の家の売却、そして引っ越しなど、今の私は精神的にも肉体的にも大変な重荷を抱えております。

 

乳がんは全身病と言われております。いつどんな時期にどんなところへ再発するかわかりませんので常に免疫力を高め抵抗力をつけていなければなりません。

そんな訳で私は日本冬虫夏草のCY113とCY10に期待しております。こんなに忙しいのですからなんとか遠隔転移や再発などがないように免疫力を高めてホルモンを抑えて5年から10年頑張って過ごして行きたいと思っております」

2017年12月15日のお手紙より

 「ホルモン剤の副作用であちらこちら痛みますが、好きなことに夢中になっていると痛みを感じなくなるから不思議です。楽しい気分にもっていったり、リラックスさせたり、心のコンディションを良好に保つようにしています。大好きな音楽を聴きに行った時は、とても体調がいいです。 自分自身が舞台で歌うのはまだ先になりそうですね。アスリートと同じで、大変なトレーニングが課せられます。今はその余裕がありません。それでも、いつか舞台に立つ日のために毎日の喉のトレーニングは欠かさずやっていくつもりです」

2018年5月11日のお話より

 

眞壁秀夫さんの場合

※前立腺、膵臓がんは中盤。肺がん、乳がんのお話は末尾にございます。

 「私はもともと胃が弱く、疲れると痔になりやすい体質でした。2001年4月から出血が始まり、いつもの痔と思って暮らしていました。でも一向に良くならないんです。近くの総合病院で診てもらうとあっさり何ともないと言われてしまって。それから釈然としないまま4ヶ月が経過しました。痛みは全くないのですが、出血はさらにひどくなっていきました。

000044-a.jpg 8月30日。いよいよ県内でも有名な肛門科の個人病院で診てもらうことにしました。そこは18年前に痔の手術をしたところでもありました。内視鏡で調べてもらったらモニターに一瞬やけどのただれのような部分が映ったんです。内視鏡はゆっくり移動して、腸壁をモニターに映し出していきますが、どういうわけか肝心な部分にさしかかると先生はさりげなくサササーッとスピードを上げちゃうんですよね(笑)。これは見逃しちゃいけないと思ってね、私も必死です。問題の部分は赤黒く変色していて周囲が白くなっているのが分かりました。細胞検査もやって、すぐに大学病院を紹介されました。

 6日後。個人病院の検査をもとに、大学病院でようやく直腸がんの診断が下りました。『手術で開いてみて、患部が肛門に近ければ人工肛門になるよ』と言われました。
手術までは1ヵ月以上あるので、自宅でやれることはやってみようと思いました。日本冬虫夏草を飲み始めたのは翌日からです。腸に負担をかけないよう、主食をモチ米質の少ない粘り気のない米に切り替えることにしました。それはキヨニシキという銘柄で無農薬無肥料米。日本冬虫夏草の浣腸もやってみました。そして出血量が徐々に減っていくこととなり、開始から25日目、ピタリと止まったのです。それ以降出血は全くありません。

 私はこの病気を機に、体の変化についてメモをとるようになりました。

 

2001年4月
出血が見られるようになり、総合病院で検査するが問題ないとのこと。
8月30日
再び個人病院での検査後、大学病院を紹介される。
9月5日
大学病院では直腸がんの診断。
9月6日
日本冬虫夏草を飲み始める。日本冬虫夏草の浣腸を思いついて試してみる。膿みたいなものが出てくる。
9月8日
胃の弱いのが気になっていたが、負担が無いようだ。
9月9日
なんとなく調子がよい。足がポッカポッカと温かくなる。まるで湯たんぽをあててるようだ。夜はすぐに熟睡。朝までぐっすり。
9月11日
便器いっぱい真っ赤になってたのが、出血が減って真っ赤な血が便に薄くつく程度になった。
9月17日
便が黄金色になってきた。便には赤茶色の血のスジが入る程度。
9月27日
腸に負担をかけないよう、粘り気のないキヨニシキという 銘柄の無農薬無肥料米を主食にする。
10月1日
キヨニシキを食べてから5日目。便に血のスジもなくなった。
10月3日
入院。相変わらず出血はない。以後出血はなし。主治医は日本冬虫夏草もキヨニシキも自由にやってくださいと言う。


000044-b.jpg 10月15日に手術。人工肛門は避けることができました。以前、身内がこの同じ病院で大腸がんの手術をした際、摘出した部分を見せてもらったことがありました。患部は黒ずんだ紫色で、500g~800gはあったでしょうか。両手でないと収まりきれない量でした。今回はどういうわけか、摘出した部分は家族の誰にも見せてくれませんでした。何センチ切ったのかもわかりません。赤黒くただれていた部分がどう変化したか見たかったですね。

 

前立腺に異常発見!消失!

   手術から5日目。残尿検査を受けていると、CTに影が映ったことがありました。前立腺のところです。腫瘍マーカーは6.5の異常値。あせって日本冬虫夏草の量を増やして毎日700cc~1050cc飲みました。1週間して再びCTを撮ると、今度は影は消失していてマーカーも2.5の正常値。先生は『あれっー。不思議だねー』とずいぶん驚いていました。すぐに『眞壁さん、何飲んだの?』と聞いてくるから、私はドキッとしてとっさに、この泌尿器科の先生には『何も飲んでません』と答えてしまいました。そしてこの2枚の写真のコピーをいただきたいと申し出ると、『病院間でのやり取りで必要があれば出すけど、それ以外はお渡しできない決まりになっています』と断られました。写真を見れば変化が一目瞭然なので、皆さんにお見せできないのが残念です。

 

10月15日 
手術。人工肛門を免れる。
10月20日 
前立腺の腫瘍マーカー6.5の異常値で、CT検査で影が見つかる。日本 冬虫夏草の量を2〜3倍に増やす。
10月27日 
腫瘍マーカーは2.5の正常値に下がり、CTの画像から影が消失。3年 越しの低温やけどの患部がきれいに治る。

  それからもう一つ、不思議なことがありました。私は3年前にカイロで低温やけどを負っていました。足の患部はそれからずっと炎症が治まらないままだったのですが、退院する頃にはきれいに治っていたのです。

 他の治療は一切なく、手術から1年が過ぎ、長いこと悩みの種だった胃の調子も良く快便の毎日です。昨年、告知を受けた時、すぐに社長のイスを息子に譲りました。私は10年前にサラリーマンを辞めて現在の会社を興したんです。睡眠時間は毎日4~5時間。とにかく働きました。肉類が好物でよく食べていましたね。病気を治すためにそれを止めて、野菜をたっぷり摂るようにしました。お酒は4、5年前から飲んでませんし、タバコはもともと吸いません。

 仕事をやめてから体調のコントロールが利くようになりました。外に出たくない雨の日には終日家で休み、睡眠不足の日は日中自由に眠ることができるわけですから。仕事をしていたら休みたいときに休むことは不可能で、必ず無理をします。これでは自分自身を裏切ってることになりますよね。この病気は痛みがなく、働くこともできますから、あなどってしまうことが非常に怖いんです。

 

000044-c.jpg 近頃は、野菜を作ったり、魚を釣りに海に出たり、自分のペースでやっています。来年は米作りに挑戦しようかと思っています。最近、腸に良いレシピを発見しました。シシトウの佃煮です。とても良い便がでますよ」

朝日ウィル(北燈社)2002年11月19日号より


 「間もなく手術から2年になります。この度のCT、MRI、マーカー、肝機能検査ですべてが正常で、『検査の間隔を伸ばしましょう』と言われました」

2004年9月2日のお話より


 「2006年3月の検査でγ-GPT(肝の状態をみる数値:正常値0~50)が200以上あったのが、この度の検査では60まで下がっていました。その他はどこも正常で、主治医から『もう検査に来なくていいよ』と言われました。そう言われてもまた行くつもりです(笑)。

 γ-GTPの数値が気になってから、日本冬虫夏草の種類をCY42番に変えて飲みました。又、今年になってからお酢療法を始めて肩こりがなくなりました。

 1日1錠の血圧の薬(10年前から)と1日2回2錠ずつの尿酸を下げる薬(20年前から)は続けています。血圧はしばらく安定していて服用を忘れることもしばしばです。もし上昇したとしても肩のあたりが重苦しくなるのですぐ分かります。肩にサロンパスを貼ると血圧がスーッと下がるので不思議です。根を詰めることをするとどうしても血圧は上がるようです。

 自分の体とは長い付き合いなので、くせを心得ていてその都度コントロールしているつもりですが、とことんがんばってしまう性格はたまにコントロール不能となり、ここが反省するところなのでしょう」

2006年8月2日のお話より


000044-d.jpg 「ここ1年は疲れるということがありません。ゴルフに行ってもそうです。若いときの体に戻った気がします。今年は同級会がありました。自分で言うのも何ですが、級友たちは顔が皆しわくちゃで、私だけ顔がピチピチしてたので『どうなってるの?』と思いました。

 日本冬虫夏草は量を減らしながらも続けています。手術から5年が過ぎました」

2006年11月24日のお話より

 

膵管に異常発見!消失!

 「2007年4月に心臓の血管にステントを入れる手術をしました。血管が詰まって倒れたのです。心臓の薬が追加され、一日に服用する薬は7種類となりました。しばらくして、γ-GTP(肝機能数値:正常値0~50)が749まで上昇したので検査を続けていくうち、膵管狭窄と肺に影が見つかります。そしてどちらも治療なしで解決していくのですが、その経緯を報告させていただきたいと思います。

 

【経緯】
2007年4月
ステント手術。これまでの血圧と痛風の薬に心臓の薬が追加され、7種類に。
6月

γ-GTPが749まで上昇。

9月10日
 

膵臓の内部、膵管に異常発見!

 

MRIで膵管の狭窄が見つかり、医師から『ここに出るのはまずがんなんだ』と説明を受ける。
細胞を取って調べる予定。姉と弟を共に膵臓がんで亡くしている。二人とも54歳の若さだった。医師はこの点を重要視。日本冬虫夏草をこれまでと比べて多め に飲むことに。毎日350ccを1ヶ月は続ける。日本冬虫夏草のCY16番の割合も増やす。

 
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11月13日

消失!

ERP(ERCP)検査を行う。これはファイバースコープを膵管まで通して調べるもの。先端のブラシで狭窄の部分から細 胞を取ることになっていたが、膵管の狭窄がきれいに治っている。
CT写真でも異常なし。大学病院では、写真のコピーをもらうことができないので証拠になるものとして、診断書を書いてもらう。

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肺に異常発見!消失!

 

11月31日

肺に異常発見!

PET検査。右の肺に光るものが見つかった。
9月のレントゲン検査では何も写らなかったのに。
肺以外は全身異常なし。
家電屋で吸入器を購入し日本冬虫夏草の吸入も試すことに。

12月11日
旧型のCT機械で撮影。何も写らず。
12月20日
レントゲンに影が出る。
2008年1月30日
レントゲンでやはり影が写し出される。
『こういうのは間違いなくがんなんだ』と言われる。拡大してみると患部がはっきり浮き出る。それでも12月より薄くなっているようだ。3cmのモミジ形の影有り。(これは画面から外れてしまう)
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2月1日
γ-GTPは78まで低下。肝臓の薬ウルソ出される。
血液データ、その他全て異常なし。
3月12日
新型のCT機械が導入される。
やはりプチプチと影が写る。
3cmのモミジ形の影もプチプチと点となって散らばり、消えかかっているようだ。
3月26日

γ-GTPは33の正常値に。

9月16日

消失!

新型のCT機械で撮影。
プチプチが写っていない。
かすかに写っているようにも見えるが、『この程度のものならレントゲンでは全く写らない。異常なしとの診断になりますよ』と言われ。『次回またCT写してください』と申し出ると、『このように良い状態だし、CTといっても放射線を浴びることだからそれで刺激されるし、そっとしておきましょう。PETもレ ントゲンも皆放射線です。検査はこれで打ち切りです』と断られた。

 

 写真のコピーは入手不可能でしたが、意外にも『家族が心配しているので、携帯のカメラに写させてください。これを見せたら安心すると思います』と申し出ると、快くOKが出たので驚きました。割合きれいに写りましたのでメール送りました。これが証拠写真になります。それから日本冬虫夏草を飲んだことは、先生には伏せております。

 昨年来、体中をくまなく検査して全身異常なしのところまで漕ぎ着けました。安堵しているところです」

2008年9月22日のお話より

 

 「一昨年膵管狭窄が治り、昨年は肺の影が消失。それ以来変わらず元気にしています」

2009年3月4日のお話より

 

 「今年は知り合い2人が膵臓がんと乳がんになり、手術前から日本冬虫夏草を試しました。両者とも術後元気に仕事をしているというから驚いています。私は、変わらず元気にしています」

2009年12月12日のお電話より

 

知り合いが末期のすい臓がんに。末期の乳がんの女性も現れ。

 「変わらず元気に過ごしております。約一年前、知り合いが膵臓がんの末期と診断され、家族皆『もう助からない』とあきらめていたところ、『私のようなものがいるからあきらめるな』と励まし、手術前に日本冬虫夏草を飲むことになりました。
 すぐにおしっこがジャーと出てびっくりしたそうです。膵臓がんの検査では尿量が重要視されます。おまけに土色だったおしっこも無色透明になりました。

 そして、ずっと上がり続けていた腫瘍マーカーが1週間程で下がり始めたのです。吐き気も治まってごはんも食べられるようになりました。術前にはGM031_L.jpg痛みも無くなり、鎮痛剤とも縁が切れていました。それでも手術は当初のプラン通り行われました。膵臓と脾臓、十二指腸と胆のう・胆管まで全部取りました。

 それなのに現在はトラクターを運転し、農作業に励んでるというから驚きです。無理はして欲しくないですが、具合が悪かったら動けないだろうし、余程体調が良いのだと思います。病院の治療は現在何もしてないそうです。

 また、昨夏、乳がんの末期と診断された知り合いを訪ねたところ『もう助からないと』家族が泣いていました。同様に励まし、日本冬虫夏草を飲むことになりました。手術前のCT画像に変化が現れ、『何か飲んでるの?』と尋ねられました。そこで『何も飲んでません』と面倒を避けるために用意しておいた答でとぼけたそうです。術中の細胞検査で『がん細胞は陰性』と出て、術後の抗がん剤、放射線治療はスケジュールから外されました。今年2月の検査では『がんは体から無くなったよ。どこにも無いよ』と言われたそうです」

2010年4月2日のお話より

 

 「今年の夏は異常に暑かったですね。でも一切バテることなく畑仕事ができたのですから本当に不思議です。私の場合は日本冬虫夏草を飲むと体温が上がってくるようで、気温との差が縮まって暑さが気にならなくなるというか、肉体労働が全く苦にならなかったのです。そのとき蒔いた種がいよいよ育って、大根と白菜の収穫の時期となりました。味には自信があります。こんな幸せなことはないです」

2010年11月12日のお話より

 「被災された方々にいくらかでも野菜をお届けしようという思いがあって、趣味だった畑は、作物を増やし本格的になってきています。今年は、6月から暑くなりました。梅雨入りは平年より9日遅く、梅雨明けは平年より16日早くて、観測史上最も短い18日間。平年の4割の長さしか無かったようです。(梅雨期間:6/21~7/9)

8月になると30度を超える日照りが2週間ほど続きました。作物のためには、手間を惜しみません。根元に穴を開け、空気を入れてやります。その後、丹念にじょうろで水を流し込んでいきます。すぐに穴は塞がってしまうので、翌日にはまた一から始めなくてはなりません。その繰り返しです。移植ベラで根切りも行います。根を切ると根を張ろうとがんばってくれます。良い根が地面にはびこり作物が良く実るのです。

 昨年もそうでしたが、不思議なことにいくら畑で身体を動かしても疲れを全く感じないのです。畑でやることは毎日新しく出てきて、朝5時から夕方5時まで動きっぱなしの時もあります。海に出掛け、その足で畑の作業という日もあります。健康面での不安は全くありませんでした。 

 そんな中、8月12日の未明に異変が起きたのです。その日は、パジャマの上着を脱いで何も掛けず窓を開けっ放しでうっかり寝入ってしまいました。そして、40度の熱と体中の痛みで飛び起きたのです。左足も、ふくらはぎからつま先まで驚くほど腫れています。

すぐに病院に行って血液検査をすると、CRP値が19と異常値。白血球も1万を超えていました。感染症、リウマチ、通風、心臓疾患などを疑い、数日かけて消化器内科、整形外科、循環器科、皮膚科専門の個人病院と検査を受けて回りましたが、どこも悪いところが無く、原因がつかめないまま時間が経過していきました。薬剤の投与もありましたし、日本冬虫夏草もいつもより多めに飲みました。IMG_0920_SP0000.JPG

足の腫れはそのままでしたが、15日には平熱に戻り、CRP値も白血球数も下がっていきました。24日にはその数値も正常になりました。この頃には『もう病院に来なくていいから』と言われてしまいました。足の腫れもしだいに引いていきました。

 いったい何だったのでしょうね。炎天下で畑をやり過ぎたのですかね。本当は疲れてるのに疲れてる感覚が分からなくなっていたのですかね。結局この件で、CTもMRIも心電図も血液検査もさんざんやったお陰でどこも異常がないというお墨付きをいただきました。もちろんがんの心配も無いということです。自己コントロールが効かず、ついついがんばってしまう性分こそ病気ですかね。これは一生治らないかもしれません」

2011年9月1日のお話より


img020.jpg 「すこぶる元気にしております。検査データーを見て主治医が驚くほどです。『何やってんの?』と聞かれます。この頃は、腕や足に筋肉が付いたのを実感しています。畑作業で出来た筋肉です。ジムで鍛えるのと違い、畑だと野菜というご褒美が出ます。

皆、健康になりたかったら畑をやりなさい。きれいな空気と、筋トレ、ビタミン・ミネラルたっぷりの新鮮野菜。健康になるための要素が揃っています」

2012年6月20日のお話より
 

 「1000~2000坪の畑を一人でやっています。その作業に慣れるまでは大変でした。この頃は45~46才ぐらいの体に戻った気がしています。体重も4kg減って68kgです。健康を実感しております。」

2014年7月3日のお話より

 

 「2011年の夏のようにCRP値が上昇して、3月初めに発熱と下痢で緊急入院しました。コウモリの糞を掃除したのが原因かと考えています。病院の診たては原因不明。今は、元気になり、農耕に精を出しております」

2016年3月29日のお話より

ラミーレス メンレス ナタリアさんの場合

今回は、宮井重則さん(メキシコ在住)のお話を紹介します。

000084-a.jpg 「私の住むティファナ市は、アメリカ・サンディエゴ市のすぐ隣。国境を挟んでメキシコ側にあります。ここはガンの自然療法の病院が数多くあり、ガンを患ったアメリカ人が、国境を越えて大勢やってきます。メキシコ人は所得が低いため、割高なこの治療はなかなか受けられません。日本からもやってきます。

 私はハイスクールで日本語の教師をしていることから、病院から通 訳を頼まれることも多く、力になれればとお手伝いしています。私の顔を初めて見た時、皆さんは一様にホッとした表情を浮かべます。病気になった時、不安は付きものですが、ましてや異国の地でのこと。心細さや不安は、自然治癒力を引き出すのにマイナスになる感情ですから、それを取り除いて自信を持って穏やかな気持ちで過ごしてもらえたらと思っています。ティファナのいずれの病院も、気持ちや精神のケアを肉体と同等に重要と考え、治療の柱としています。

 60年代から80年代にかけて、ガン学会が公認していない代替療法に対してアメリカでは規制が厳しく、自然療法の需要をまかなうためには、医師は規制のゆるいメキシコに渡るしかなく、国境沿いのティファナ市にこういった病院が作られていきました。ところが90年代に入ると、アメリカ政府は、成果 の上がらないガン研究に巨額の国費が無駄遣いされていると、ガン治療の見直しを迫られることになり、OAM(アメリカ国立公衆衛生院代替療法調査部)を発足させて、代替療法を寛容に受け入れる態勢に方向転換していきました。レーガン元大統領が在任中、ガンになった際、手術以外の病院の治療は一切断わり、ティファナ式の自然療法を選択したことは有名な話です。最近では、メキシコからアメリカ本土に戻る病院も出てきています。

 さて、2001年2月のことになりますが、IBC(インターナショナルバイオケア)病院の院長が、日本の沖縄を視察することになりました。この時、通 訳として同行してほしいと私にも声がかかったのです。日本は世界一の長寿国です。『長寿ということは、病気をしないから長生きできるということ。病気をしないことは、免疫力を高める食生活が担っているところが大きい。長い間受け継がれてきた独特な日本の食習慣は、免疫力が高まり、ガンの予防・治療食につながる』

 実際、日本の伝統食とティファナの病院のガン治療食とに共通 する点が非常に多いのです。日本の中でも沖縄は、さらに長寿県として知られていますね。ところが長寿を誇ってきた沖縄県も、米軍基地があることから、脂肪分の多い食品が入り込むことになり、若い世代に食の欧米化が進み、男性の平均寿命で90年にはトップの座を長野県に明け渡したということでした。日本では欧米化と伝統食の見直しがせめぎ合っているところではないでしょうか。少子高齢化が予想以上のスピードで進んでいますが、伝統食が行き渡り、さらに探求し続けることができれば日本は元気に働くお年寄りであふれ、活気に満ち、今までどこの国も経験したことのない豊かさを手に入れるかもしれません。

 日本の食習慣の中で興味深いのは、多種のキノコを食べること。キノコの研究においても世界をリードしています。キノコは、木や土の養分で生育しますが、虫を養分として生育するものまである。秦の始皇帝の時代から不老長寿の薬として珍重されてきた中国の冬虫夏草は知っていましたが、日本にもその仲間が生息しているのをこの旅で初めて知りました。それが日本冬虫夏草でした」

朝日ウィル(北燈社)2004年9月28日号より

 

 宮井重則さん(メキシコ・ティファナ市在住)は2001年2月、ガンの自然療法病院であるIBC(インターナショナルバイオケア)の院長が沖縄を視察する際に通 訳として同行しました。その旅で初めて日本冬虫夏草を知ることになります。

 「日本冬虫夏草は大変希少で見つけにくく、一つの大きな山から1本の針を探し出すようなもの。350~400種あり、その中の200種の人工培養に成功した人物がいる。偶然の縁が重なって、矢萩先生を訪ねることになったのは帰国の2日前。スケジュールを急遽変更してのことでした。原生林の中に佇む野生のものを見てみたい。そう願いましたが、山は雪に覆われていたので無理な注文でした。代わりにたくさんの標本を見せてもらいました。世の中にはこんな不思議な生き物がいるんだなあ。それを世の中に役立てようと研究する人も変わってるなあ。この訪問は、日本の食の懐の深さや神秘を知る旅の締めくくりとしてふさわしいものでした。

 帰国して4ヵ月が経った頃、妻が珍しく悲しい顔をしているのに気が付きました。心配になり尋ねると、姉のナタリアが乳ガンになったというではありませんか。早速ナタリアに会うと、悪いところはできるだけ早く取ってしまいたい、手術と抗ガン剤治療を選択するということでした。私と妻は、手術の前にティファナ式の自然療法をやってみたらどうか提案しましたが、彼女の決意は固いものでした。

 

000084-b.jpg 発ガンは、二つ以上の要因が重なって起こります。血統以外にだって何かあるはずと踏んで話を聞いているうち、これまで夫の浮気に悩んできたことを打ち明けたのです。私は『ナタリアを殺す気か!』と夫に向かって激しく怒りました。そして彼女には『所詮、男の浮気は本気ではないんだから。根に持ったり恨む感情は病気を悪化させるだけだから、許しなさい』と言いました。彼はずいぶん反省して、妻をいたわる優しい夫に戻ってくれました。

 メキシコの食習慣は、油分を結構摂り、辛いものを好み、甘いコーラ等が水代わりに大量 に消費されます。ナタリアは肉や乳製品、甘いものを控え、野菜を多く摂る食事に切り替えました。

 2001年8月10日、右乳房の全摘手術は成功しました。そして抗ガン剤の投与開始と同時に日本冬虫夏草を飲むことにしました。初めは体がだるそうだった彼女も『副作用は面 白いほど出ないよ。食事は以前より食べられるようになった』というのです。薬で赤い血を造る骨髄が破壊されるので、大概の人は真っ白い顔をしているものですが、頬に赤みがさしているのには、私も驚きました。そしていつも寒がりだった彼女が『体がホカホカする』と言い出したのです。

 抗ガン剤治療は無事終わり、飲み薬をもらうこともなく、再発なく元気なまま3年が過ぎました。日本冬虫夏草は今も続けています。現在は私や妻よりずっと元気で、夫婦仲も良好です。

  悩みを一人で抱え込む人より、困った困ったと周囲に話せる人の方が治っているように思います。いろいろなヒントをもらえるし、頭も整理がつき判断力が生まれます。欲を言えばナタリアが家庭での悩みをもっと早く打ち明けてくれていたらと思います。彼女が我が家にやって来ると、家族皆で冗談を言って笑わせることを心掛けてきました。そしてのんびりと海岸の散歩を楽しみます。まずは心を開放させること。治療の本当のスタートはそこからだと思うのです」

朝日ウィル(北燈社)2004年10月26日号より

 

 「手術から5年5ヶ月が過ぎました。ナタリアはいつだって元気そのもの。再発とは無縁でここまで来ました。食事は相変わらず気をつけているようです」

2007年1月12日義兄である宮井さんの電話より

 

 「家族でナタリアだけ日本冬虫夏草を飲んでいます。家族の皆がかぜをひいてもナタリアだけひきません。いつもピンピンしています」

2008年6月9日宮井さんの電話より

 

 「新型インフルエンザの件でメキシコのニュースが頻繁に流れていると思いますが、日本はちょっと大げさすぎるようですね。こちらメキシコはもう峠を過ぎました。学校も始まりました。

 ところでナタリアはめちゃくちゃ元気で食欲もすごいです。実は私の妻は1週間に一度は病院通いをする程体調が悪かったのです。日本冬虫夏草を粉末にしたものを1年半飲み続けました。現在妻は血液データで悪いところが何もなくなり、病院に行くのも月に一度となりました。以前は白血球も少なく、血圧も高かったのです。最高のコンディションのまま暮らすことができています」

2009年5月5日宮井さんのメールより

 

 「ナタリアも妻も変わらず元気にしています。ナタリアは再発なく手術から8年が経過しました。私も日本冬虫夏草の粉末を飲んでいます。気候の良いメキシコに住んでいながら以前はよく寒気がしたり、頭が痛くなったりしていたんです。それがこのところぜんぜん無いのです。快適に過ごしています」

2010年1月3日宮井さんのお電話より

山川さゆりさん(仮名)の場合

 「私が左の乳房のしこりに気付き、宇都宮の病院で検査を受けたのは1995年10月のことでした。結果 が出るのは1週間後。不安でしかたなく、すぐに母親のところに走りました。というのも、以前母が人間ドックで肺に異常が見つかった時、日本冬虫夏草を取り寄せ飲んでいたのを思い出したからです。早速譲ってもらって飲み始めました。(母はその後異常なしとの診断をもらっています。影は幼少の頃からあったものだそうです)

000085-a.jpg 矢萩さんにも電話をしました。すると『山川さん、ちょっと仕事を休んで、好きな時に寝て、好きな時に食べて、好きな時にお風呂に入って自由にのんびりやればいいんですよ』とおっしゃる。その頃の私は、ガンというものの本質が分かってなくて『いったいこの人は何を言ってんだろう?』と理解に苦しんだのを覚えています(笑)

 1週間後、結果を聞きに行くと『乳ガン。2cmと4cmくらいの腫瘍』と診断されました。そこで乳房を全摘してリンパも取る手術を勧められたのです。手術は3週間後と決まりました。女性なら誰でも願うように乳房は失いたくないと思いました。手術まで時間があるので、ガンに関わるものであれば、本でも雑誌でも何でも読みあさりました。ガンというものはどうしてできるのか、どうすれば消えるのか、病院の治療は、治った人はどういう道を辿っていったか、経験者からも遠慮なく話を聞きました。

 日本冬虫夏草は毎日350cc、チビリチビリと飲み続けました。それは私のお守りのような存在でした。間もなくして、長い間悩んでいた便秘が解消されていることに気付きました。また、私は昔から手首に脂肪の固まりのコブを持っていて、久しぶりに会った伯母が『どうしたの?コブが小さくなってるよ』と言うのです。食事療法も始めました。主食は玄米、野菜をよく摂って、乳製品と白砂糖の入った甘いものは食べないようにしました。それから血行をよくしなければと、スタイルを意識して身に付けてたボディスーツを脱ぎ捨てました。

000085-b.jpg 休暇届を出して自宅療養と決め込みましたが、夜はなかなか寝付かれず、眠りに就くのが12時過ぎ、朝は5時には目が覚めてしまいます。でも、主人と息子たちに朝食の用意をして、送り出して、日本冬虫夏草を飲むとようやくリラックスして眠くなってきます。そこから朝風呂に入って、テレビを見ながらご飯をゆっくりいただきます。そして日本冬虫夏草を胸にシップして9時から昼まで朝寝をするのです。誰にもわずらわされずにこのようにリラックスしてひとりの時間を持てるとは、今までの生活からは考えられないことでした。

 その頃の私は、4月に転勤となってから、新しい職場での上司や同僚との確執に、家庭での夫やその親戚 との確執が加わり、毎日イライラして仲の良い友人ともうまくいかなくなっていました。まさに八方ふさがりの中、心休まる場所はどこにもなく、そのストレスが免疫力を低下させて発病の引き金になったのでしょう。突然手に入った日中のひとりの時間は、かけがえのないものに思えました。

 日本冬虫夏草を飲み始めてから2週間目、胸のしこりを自分でチェックしてみると、二つあった腫瘍のうち2cmのものはどこにもなく、4cmのものもよく探さないと分からないほど小さくなっていました。

 いよいよ手術前日という時、診察室で私は主治医に頼みました。わずかに残った患部だけを摘出して乳房は温存してもらえないかと。でも『予定通 りやります。乳房やリンパは今後転移する可能性が高いので事前にとってしまった方が安全ですから』と取り合ってくれませんでした。転移どころか実際に患部の一つは消えて、もう一つは小さくなっているのに、これから転移すると言われてもピンときません。父と主人は『胸の一つや二つより命の方が大事』と説得にかかります。私を心配する気持ちはとてもよく分かりました。

 虚しい気持ちで病室に戻ると、私に面会したい人がロビーで待っていると連絡が入りました。その人は、この病気がきっかけで友達になった同じ病気をもつ女性でした。下に降りていくとご主人と一緒にたたずんでいました。それは私が真夜中に病院を脱走する12時間前の出来事でした」(2003年4月15日号に続く)

朝日ウィル(北燈社)2003年3月18日号より

 

「彼女は手術の跡を見せてくれました。明日、私が同様の手術をすることを知って駆けつけてくれたのです。『転移や再発がないようにと、乳房もリンパも取り、ホルモン注射を続け、検査のために何度もレントゲンを当て、その結果 がこの度の再発です』私のようになってはいけないよ。彼女の思いが伝わってきました。

 心は揺れました。夜が明ければ手術です。眠れるはずもなく、病室の薄明りの中でパラパラと週刊誌をめくっていました。すると乳房温存療法に取り組んでいる病院の記事が目に飛び込んできたのです。自分の望む治療をやってくれる病院はある。もうここにはいられない。ようやく決心がつきました。そのまま病院を抜け出しました。

 1995年11月4日、午前2時のことでした。そして4時間後には東京行きの電車に乗っていました。週刊誌に載っていた病院に向かうためです。私は、車中であろうとプラットホームであろうと、日本冬虫夏草のビンを抱えて始終チビチビ飲んでいました。周囲からどう見られようと、そんなの関係ないの。今思えば、近寄るのをためらうようなちょっと異様な姿だったと思いますよ(笑)

 病院は大塚にありました。受け付けを済ませて主人に電話を入れると、私宛てにFAXが入っていると言うんです。それは温存療法に取り組んでいる病院のリストでした。送り主は、いつも私のことを心配し、励ましてくれている人です。私がそういった病院を探しているのを知って、見つけてくれたのでした。すぐに電話を入れ、大塚の病院に来ていることを告げると『そこはダメ、温存療法をやらないどころか抗ガン剤も一所懸命使うところ。すぐに出てK病院に行きなさい』診察室から呼ばれる寸前でした。保険証を奪い取るようにして病院を出、電車に飛び乗りました。2度目の危機一髪でした。

000085-c.jpg 3番目に辿り着いた病院は、土曜の午後ということもあって診察はもう終わりでした。予約を入れて1週間後に改めて診てもらうことになりました。地下に売店があったので、担当してくれる先生の書かれた本を購入して帰りました。電車の中で本を開くと、私の中で釈然としなかった数々の疑問が、明確に解かれていました。私の考えは間違っていない、そう思ったら急に涙があふれてきました。長い長い1日でした。黄昏の車中で、何度も涙を拭きました。とうとう念願の温存療法をしてくれる病院に行き着いたのです。

  ここに至るまで、良いという療法があれば何でも試しました。音楽で病気が癒されると聞いて錦糸町にも行きました。食事療法やカイロプラクティックも試しました。習志野にある香澄診療所へも伺いました。日本冬虫夏草を治療の中に取り入れていると聞いたからです。

 何回かの治療の中で廣瀬薫先生は、私に、本人から許可を得た1枚のカルテを差し出しました。乳ガンの末期患者で、ガンセンターに見放されたという女性のものでした。ところが日本冬虫夏草を飲み続け、元気だというのです。死と向かい合っていた私に、光が差し込みました。明るい幕張の海岸沿いの風景を眺めながら、心の迷いが消えて、自分らしく歩き出せることの幸せをかみしめていました。

000085-d.jpg 1995年12月7日。希望通り、患部だけを取る手術を行いました。乳房は残りました。形もほとんど変わりません。その病院には、乳房を残したいという一心で、探し当ててやってきた女性ばかり9人が入院していました。 その後、その方たちとの会話の中から、いろいろなことを学んでいくことになるのです」

朝日ウィル(北燈社)2003年4月15日号より

 

 左の乳房に2cmと4cmの腫瘍がありましたが、手術の前には2cmのものはすでに消失して、4cmのものはよく探さないと分からないまでに小さくなっていました。さらにその患部はやわらかく変化していました。

 「手術は3時間を要したものの痛みもなく、次の日には外出できるほどの簡単なものでした。何とか乳房はそのまま残すことができました。実は摘出した患部は見てないんですよ。うっかりしました。頼んで見せてもらえばよかったですね。ひょっとしたらガンではなくなっていたかもしれません。

 その病院には、乳房を残したいという一心で、全国から集まってきた女性ばかり9人が入院していました。彼女たちは食事療法はやっていて当たり前、教養があってパワフルで、病気や治療についてかなり勉強されてるという印象でした。ぼんやりしてる人は誰ひとりいなかった。治すことに決して受け身じゃないんです。『うゎ~、先生にそこまで要求しちゃうわけ?』と驚くこともありました。私は相変わらず日本冬虫夏草のビンを抱えてチビチビやってましたから『冬虫夏草の山川さん』と皆に呼ばれていました(笑)

 できるだけ自然療法でと思っていた私も、術後の25回の放射線照射は避けられませんでした。それでも抗ガン剤投与は、1回やったところで断りました。そのためには少々知恵を絞らなくてはなりませんでした。同じ病院でも、先生によって考え方が少しずつ違うということが判ったからです。私を担当してくださった先生は、実際には本の著者とは違う先生で、抗ガン剤をよく使われていました。完全に西洋医学寄りで、病室で自然療法や食事療法などの本を見つけた時なんかは、一言皮肉を言って帰られましたから。直接断っても無理と判断し、東洋医学や食事療法の理解ある助手の先生に相談したんです。そしたらスンナリ抗ガン剤は中止となりました。

 入院中に皆と明らかに違うと感じたのは、生理が普通にやってきた時です。他の人は皆止まりましたからね。10人中9人が止まったのです。また抗ガン剤を投与した回数に関わらず、抗ガン剤の最後の投与が終わった時点から3週間目になって、皆さん髪が抜け始めるのでした。『お風呂の排水溝に髪の毛が詰まるわよ』と言われて、髪を洗わないでおこうと思いました。でもさすがに我慢できなくなって洗うと、これが抜けてこなかったんですよ。髪が抜けた人たちは揃って真っ白い顔をしていました。それでも皆で言いたい放題おしゃべりして笑っていたからでしょうか。比較的元気でした。

 ガン仲間であり、現在も交友を続けているSさんが、乳ガンの女性の共通 点を分析していました。明るい人も、太っている人も痩せている人も胸の大きい人も小さい人も関係なくガンになっている。共通 点はなかなか見つからない。そんな中でようやく掴んだのは、皆さんが発病する前に『眠れない日が続いた』ということでした。心の平穏をしばらく失っていた時期があるのです。

000085-e.jpg 外泊も含めて入院生活は2ヵ月に及びましたが、歳いった人から若い人まで全国津々浦々からやってきた女性たちとの出会いがあり、どの方のお話も大変興味深く、毎日ワクワクして過ごしました。素晴らしい女性たちばかりでした。あの時ほど面 白かったことは生涯ないかもしれません。病院に運んでくれた東武電車を見かける度、今でも懐かしさと楽しさが込み上げてきます。治療を探し求めて歩く旅もとても幸福な時間でした。私にとってはバケーションそのものだったのです。

 あれから再発もなく元気で、今年で8年目を迎えました。仕事に忙しい毎日ですが、追い詰められた状況にしないこと、食べ物に気を付けること、そして何よりもクヨクヨしないようにと心がけています。

 病気になったことで得たものは多く、ガンは克服できること、治す力は誰にでもあって、引き出せるかどうかは自分次第、諦めてはいけないこと、そして何事にも感謝する心を持つことを学びました。病気で悩んでいる人がいれば、できるだけ力になりたい。

  私は今、職場の管理職試験を受けようと頑張っています。また書道の師範の資格も取ろうと思っています。健康に不安があっても日本冬虫夏草があるという安心感は、私の何よりのお守りだと思っています。もしかしたらその安心感が私を健康にさせてくれるのかもしれませんね」

朝日ウィル(北燈社)2003年5月20日号より

【経緯】
1995年10月13日 片方の乳房のしこりに気付き、検査に行く。
日本冬虫夏草を飲み始める。
10月19日 検査結果が出て乳ガンと告げられる。
2cmと4cmの腫瘍。
10月26日 2cmの腫瘍はどこにもなく、4cmのものはよく探さないとわからない程小さくなる。
11月3日 入院先で、主治医に乳房温存療法を願い出るも聞いてもらえず。
11月4日 手術日。未明に病院から抜け出す。
K病院に行く。
12月7日 患部だけの摘出手術。乳房は残る。
その後25回の放射線照射。
抗ガン剤投与1回終わった時点で中断。

 昨年9月に父が脳梗塞で倒れ、介護の一年を送っていました。医師からは何度も危篤状態を告げられましたが、その度に父は復活し、その生命力には驚かれます。それでも先月は、肺炎に加えて腸からの下血があり、『再び出血したら命はないでしょう』と言われ、親族を呼び寄せる事態となりました。腸が壊死しているということでした。でも不思議なことに父に面会した皆は『顔色いいよね』と口々に言うのです。それを主治医に話すと『体の外と内は違いますからね』と言い返されました。

 それでもあきらめきれなくて、知り合いの気功の先生を頻繁に病室に呼んで気をあててもらったり、飲ませていた日本冬虫夏草を今度は浣腸してみることにしました。市販のイチジク浣腸の中身を捨てて代わりに日本冬虫夏草を入れて。一番多い時(危篤時)で1日4回、2本ずつ浣腸しました。『お父さん、これで良くなるからね』と常に声をかけながら...。床ずれした部分にはオトギリソウをつけてあげました。39度まで熱が上昇した時も、めげずに自分でやれることを続けました。すると次第に、酸素マスクが外され、鼻にあてる簡単なものになり、それも外され、水枕も取れて楽になっていったのです。肺炎も治り、床ずれも治っていきました。

 そしてこの度のCT検査。腸の画像を見て、主治医は大変驚いていました。『壊死した部分が治っている』と言うのです。そのことを気功の先生に話すと、『人間の体には信じられない程の治す力があって、まだ科学では解明されていないことが多いのです。つまりまだ見えていないものの中にこそ真実があるのです。その力を抑えるのではなく、引き出せる環境であるといいですね』と励ましてくださいました。

「私は手術から再発なく12年が過ぎました。ここを元気で乗り越えて行かなくてはなりません。日本冬虫夏草は父と一緒に飲んでいます」

2007年10月11日のお電話より

 

「がんばっていた父でしたが、とうとう旅立つ日がやってきました。2008年4月19日のことです。最愛の父との別れにひどく取り乱す自分を想像したこともありましたが、悲しみは全くなく、不思議なほど静かに受け止めることができました。1年前の自分だったらこうはいきませんでした。IMGP1632_SP0000.JPG

 そういう心の境地に導いてくれたのは父の力です。ここまで到達するのを力を振りしぼって待ってくれたのだと思います。私も仕事と介護の両方に力を振りしぼって振りしぼってもう何もでないところまできていました。二人で精一杯やった先に辿り着くこのように静かで穏やかな場所があるとは考えもしないことでした。

 私は何の宗教も信じていませんが、これまでの人生を振り返ると出会いや出来事ががすべて組み込まれているのではないかと思えて仕方がないのです。すべてが完璧なタイミングで現れて、その意味を後になって知るというような繰り返し。苦難も苦労も有難く思えてきます。

 最期に父と交わした言葉は『ご苦労さん、ありがとう』でした」

2008年5月25日のお電話より

中嶋栄子さんの場合

 中嶋裕幸・栄子ご夫妻(仮名・山形県米沢市在住)が訪ねてこられたのは1994年の4月のことでした。栄子さんは乳ガンの手術をなさって退院して4日目ということで、ご主人が奥様をいたわりながら歩かれていました。その雨の中の二人の情景を今でも忘れることができません。あれから栄子さんは再発もなくお元気で、今年で9年目を迎えられました。これまでのことをご主人にお聞きすることができました。

 「1991年に、しこりに気付いて、妻は一度検査を受けているんです。その時は『何ともないから気にしなくていいよ』と言われて。根っからの病院嫌いでもありましたから、その後3年間は検査をすることもなく放っておいたんです。それが悪性に変化していったんですねぇ。妻は、とにかく働き者で、常に体を動かしてないとすまない人間です。その3年間は働きすぎるくらい働いたし、二人の息子の受験も続いて、心配が絶えなかったと思います。少し休めばいいのにと思うこともあって、働き者の奥さんをもらって、私は幸か不幸か分かりません(笑)

 初めは、患部だけ摘出する手術を行ったんです。これで終わりと一息ついたところ『ほかにも散らばっているから、左の乳房の全てとリンパ腺を取らなくてはいけない』と言われて。この時は二人ともがっかりしましたね。日本冬虫夏草を飲み始めたのは、1度目の手術の後からです。これから先、再発のないように、妻にしてあげられることはないかと思って情報収集をしていたときに、週刊誌の日本冬虫夏草の記事が目に止まったのです。2度目の手術の後、抗ガン剤を投与されましたが、相部屋で同じ治療をしている人たちと妻が明らかに違うことに驚きました。皆さんはツルリと髪が抜けているのに妻だけがほとんど抜けていないのです。吐き気もないし、弱るということが全くありませんでした。退院する際に自宅で服用するようにと抗ガン剤を渡されましたが、今まで正常にあった生理出血が止まってしまい、こんな悪さをする強い薬ではと、自らの判断で服用を止めたようです。それ以外の治療は一切ありません。

 それから5ヵ月して、今度は私の方が手術することになりまして。下痢が続いて風邪がなかなか治らなかったものですから、検査をしてもらうと、大動脈炎症候群という何万人かにひとりの珍しい病気が見つかったのです。心臓の弁と大動脈を人工のものと取り換える大手術をしました。術後、一時は意識不明の危篤に陥ったこともありました。妻は50日の間付き添ってくれて、私のベッドの脇で寝起きしました。この時は妻のガンが再発するのではと自分のこと以上に心配しました。代わりに息子が泊まってくれることもありました。下の息子はその時高3の受験生。成績がガタッと落ちて担任の先生にはずいぶん心配をかけたようです。家庭の事情を話すようなことをしない子ですからね。妻は、日本冬虫夏草だけは病院の中でも毎日欠かさず飲んでました。私も、手術から1年は飲みました。振り返ればこの1年は、我が家にとって試練の連続でした。

 大の温泉好きの妻は、左の乳房を失ってからというもの、家族や社員旅行で出かけても、堂々と温泉に入ることができなくなり、寂しい思いをしていたようです。私はそれを知っていましたので何とかしてやりたいという思いで、人工乳房をオーダーメイドしてくれる中村ブレイスという会社をネット上で探しあてました。その人工乳房は、温泉に入っても実際の肌と同じように赤く発色する精巧なものです。この夏、オーダーのため二人で上京する予定です。これから先、温泉も海水浴もどんどん楽しんでもらいたいと思います。

 あの日、列車で二人、矢萩先生のところへ向かいました。北上するにつれて風景はどんどん寂しくなっていくし、暗雲がたれこめてついに雨は降り出すし、二人でこんなとこまで来てしまった(笑)とたいへん不安になったのを憶えています。あの時受験生だった息子は無事大学に入り、今は社会人となっています。妻はパートで仕事に復帰しています。働きすぎは今でも心配の種ですが、ここ最近は風邪をひくこともありませんね。日本冬虫夏草は9年目となりましたが、これからも続けていくつ もりでいます」

朝日ウィル(北燈社)2002年8月20日号より


(おまけのおはなし)
 「我々夫婦は野菜と魚中心の食生活で、肉はほとんど食べません。バターやマーガリン等は使わないし、油はノンコレステロールのものを使ってます。野菜ジュースは毎日飲みます。

 病と向き合う時に大切なのは、自分の体なんだから、誰よりも体のことを知るために勉強することだと思うのです。私も努力してずいぶん詳しくなりました。専門の先生から目を丸くされることもあります。患者でなければわからないこともあるし、医療の進歩に患者だからこそ貢献できることがあると思うのです。知識をもって主治医とよくコミュニケーションが取れるようになれば、医療もより良く変わっていくのではないでしょうか 。

手紙をいただきました。 『夫婦ともども元気にしております。再発もなく無事に、まもなく10年になります』

2003年12月10日

海野秀美さんの場合

ガン再発させない!
全身転移した末期の乳ガンから短期間で生還

Ⅳ期(末期)の乳ガンで手術不能骨転移し足腰が立たない

 海野秀美さんがステージ(進行病期)?期の乳ガンと診断されたのは一昨年の7月、36歳のときでした。右の乳房にできたガンが左の乳房や背骨、骨盤、股関節、膝、さらに肝臓や右の腎臓、肺など、全身へ転移していたのです。

「典型的な末期ガンです。手術もできない状態なので、あと3ヶ月くらいの余命だと思います」海野さんの夫と両親は麻田総合病院(香川県丸亀市)の佐藤幸雄医師から、こう告げられました。実際、海野さんの右の乳房は腫瘍のために硬くなり、左の乳房のしこりは直径6cmという大きさでした。加えて、腫瘍に冒された背骨や骨盤などが脆くなり、異常な変形を遂げていたのです。「私自身が右の乳房のしこりに気づいたのは、乳ガンと診断される1年くらい前からです。当初は乳腺線維線腫のような良性腫瘍と思っていました。しかし、そのうちに腰が痛くなり、歩くのもしんどくなりました。身体もどんどん痩せていったので、『これはガンが全身に転移してるからではないか』と思い始めたのです」と海野さんは振り返ります。

 実は、海野さんは、20代のとき看護婦をしており、最初に勤務した病院ではガン病棟に配属されていたのです。そこでは、手術や抗ガン剤等の積極的治療を受けなければもっと長く生きられたと思われるケースや、術後の障害や薬の副作用に苦しまずに済んだと考えられるケースを目の当たりにしてきました。そのため自分がガンになったときは、一切そうした治療は受けまいと決めていたのです。

「身体の調子が悪くなるに従い、内心『これはガンだ』と確信しましたが、治療を受けないと決めた以上、夫や実の両親にも何も話さないでいたのです」(海野さん)ところが、ガンが腰骨へ転移し激しい腰痛から足腰が立たなくなったことから、とうとう麻田総合病院で精密検査を受けることになったのです。その結果 、末期の乳ガンと診断されたことは先述した通りです。

 

抗ガン剤の副作用が楽に!

 海野さんは現代医学による積極的治療は受けないと決めたものの、主治医の佐藤医師と母親の幸子さんのたっての勧めに折れ、化学療法を受けることを了解しました。エンドキサン+アドリシアン+5FUの三種類の抗ガン剤を使用するCAF療法です。CAF療法は1クール28日間で、初日に三種類の抗ガン剤を静脈へ点滴投与し、合計6クール行うのが通 常の方法です。

 母親の幸子さんが娘に抗ガン剤治療を勧めたのは、「『治るかもしれない』という強い希望を持てば、余命が延び、あと6ヶ月くらいもつかもしれません」と佐藤医師からアドバイスされたからです。いずれにしてもわずかな余命ですが、その間、なんとか愛娘を助ける治療法を探し出そうという思いから勧めたのです。

「末期ガンには『日本冬虫夏草』というよいものがありますよ」大腸ガンを患ったことのある東京の知人から、こんな朗報が本人のもとに届いたのは間もなくのことでした。「私は抗ガン剤の副作用で髪が抜け、激しい吐き気と嘔吐に繰り返し襲われていました。ところが『日本冬虫夏草』を飲み始めた途端、そうした副作用が軽減し、毎日、楽に過ごせるようになったのです」(海野さん)

 佐藤医師が驚いたのは、白血球の増加現象です。通常、抗ガン剤を投与されると、その副作用から骨髄機能は低下し白血球数が減少します。しかし、海野さんの場合、それとはまったく逆に、白血球の数が次第に増えていったのです。血液をつくる骨髄機能が強くなっていることは明らかでした。もっと大きな変化は、骨転移によって生じていた腰痛が軽くなっていったことです。それまで日々強まる腰痛にモルヒネ(MSコンチン)の増量 で対応していた佐藤医師は、痛みを口にしなくなった海野さんに戸惑ってしまいました。モルヒネをどれだけ増やせばいいのか、その目安がつかなくなったからです。

「秀美さんは痛いのに痛いと言わなくなりました。我慢しているに違いない。本当はどのくらい痛いのか、お母さんから聞いてください」佐藤医師は母の幸子さんに、こう頼んだこともありましたが、しかし、「日本冬虫夏草」を飲み始めてから、痛みが日々軽くなっていったのは事実以外のなにものでもありません。実際、飲み始めて2ヶ月後の9月末、モルヒネの服用を一切やめることも可能になったのです。

 

全身の転移巣が消失し10ヶ月後に退院

 抗ガン剤によるCAF療法を受ける一方、「日本冬虫夏草」を毎日飲み続けた海野さんの病状は日一日ごとに改善していきました。「乳房のしこりが縮小し始めたことに気づいたのは飲み始めて1ヶ月後の9月上旬です。5ヶ月後の12月には直径6cmもあった左の乳房のしこりが完全に消えてしまったのです」(海野さん)12月に受けたレントゲンとCT検査では、骨盤の変形がまだ少し認められるものの、左乳房や肝臓、肺、頸骨への転移巣が消失していました。急速な病抗の改善が「日本冬虫夏草」によるものだと確信した海野さんは、6クール目のCAF療法をやめ、「日本冬虫夏草」だけで治療することを決意しましたが、病状はその後も改善し続け、3月にはベッドから起きあがり、再び立って歩けるようになったのです。

 そして、5月のレントゲンとCT検査では、原発巣の右乳房の陰を除いて、すべての転移巣が消失していました。そして、6月には退院し、勤め先の現場への復帰も果 たしたのです。実際、自分の眼で確認しないことには、にわかに信じられない驚異的な回復ぶりといえます。

 

2週間~1ヶ月で判別できる

 海野さんは昨年の6月に退院して以降、食欲が増大し、一時36kgまで減った体重が元の40kgを超えて44kgに増えました。「普通 の日常生活を送れるようになり夢のようです」(海野さん)

  現在、海野さんは月に1回、岡山の柴田病院で治療と定期検査を受けています。乳ガンの再発と骨転移の予防のための薬を注射し、乳ガンと骨腫瘍の腫瘍マーカーを検査しているのは、右の乳房にまだ小さなしこりが残っているからです。しかし、退院後、一度も腫瘍マーカーは上昇していません。「末期ガンから奇跡の生還を果 たせたのは「日本冬虫夏草のおかげです」と力強く海野さんは語ります。

「さわやか元気」2002年3月号より

【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。

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