膀胱がん

膀胱がんを自然消失された方のお話も含まれています。冬虫夏草や自然療法、代替療法にご興味のある方々です。

高橋光威さん(神奈川県在住)の場合

 「日本の若い人気俳優が膀胱がんに倒れたとき、そのニュースがマスコミで盛んに取り上げられましてね。お気の毒なことと思いまし

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た。私がブドウ酒色の血尿が出たのもこの頃です。息子たちは連日のマスコミ報道を見ていて心配になったんでしょうね。検査を熱心にすすめるんです。それならばと病院に行き、内視鏡で調べていきました。すると、カリフラワーの形をした大豆大の腫瘍が1つ見つかったのです。膀胱がんということでした。

 自覚症状は血尿が出るまでは何もなかったんですよね。治療は患部をレーザーで焼く手術だけで、抗ガン剤や放射線といった治療は一切ありませんでした。1990年(48歳)のことです。それからというもの、定期的に検査を行うようになりました。

 仕事をしながら3年半が過ぎた頃です。再び腫瘍が現れました。最初の再発です。前回と同じようにレーザー処置だけ行うと、主治医から『これから再発までの間隔は短くなるけど、長くはならないよ』と言われたんです。案の定、2度目の再発は1年10ヶ月後にやってきました。腫瘍は3個。レーザーで処置しましたが、今度は術後2ヶ月経ってもウーロン茶色したおしっこがきれいにならないんです。

 心配した義兄が、日本冬虫夏草研究の第一人者である近藤嘉和先生に日本冬虫夏草の話を聞きに行ってくれました。義兄は東北大学の理工学部にいて、近藤先生も大学で研究しておいででした。そのような縁で日本冬虫夏草を飲むに至ったのです。

 飲み始めて2週間目、どういうわけかおしっこの色が透明に澄んできました。そしてこれまで検査の度にモニターに手術傷が消えずに写 っていたものですが、飲み始めて6ヶ月もすると5個あった手術痕は無くなり、全く写 らなくなっていったのです。

 さらに変化は続きました。実は日本冬虫夏草を飲む以前は、血圧は上が170以上、下が125以上常にあったんです。そのせいで頭痛もあり、医師から『今死んでもおかしくないよ』と言われてました。私は東北の生まれで、30歳ぐらいまでは塩辛いものを好んで食べてましてね。父は脳いっ血で亡くしています。その血圧が上135、下85まで下がっていたのです。体重も74kgから62kgまで減っていきました。

 でも体重がこれ程まで減ってしまうと、他の臓器に転移してるのではないかと急に心配になるものです。東京の慈恵医大の先生に診てもらいました。すると『あんたが病気だったら、国民1億2千万人皆が病気だよっ!』と言われてしまいました。

 代謝異常ががんの原因のひとつといわれてますが、食欲が増して以前よりよく食べるのに、新陳代謝が活発で体重が減っていくというのであれば、がん体質から遠ざかっていることになります。新陳代謝の良かった、こんな病気とは無縁であった20代の頃の体型に戻り、洋服がどれもぶかぶかになってしまいました。50代になったのに、外見で30代後半に間違われることもありました。

 私の仕事は、親御さんから大切な息子さんたちを預かる会社の独身寮の責任者で、身の上相談までも引き受ける、いわゆる25人の息子の東京のおやじをやっていました。息子が25人もいるというのは大変ですよ。寮の中ではけんかはあるし、裁判所の人はやってくるし、パトカーもやって来るし、警報装置はなるわ...でいつでも飛び出せるようにとパジャマで寝たためしがありませんでした。1本の髪の毛がはらりと顔に落ちただけでも目が覚める程、ある種の緊張を保ってなければならなかったのです。あと1ヶ月したらこの仕事はやめよう、子供が高校を卒業したらやめようなどという思いを繰り返しているうち、25年の歳月が流れてました。

 そして周囲に惜しまれながら、ようやく退職にこぎつけました。精一杯やってきたので未練はありませんね。現在、とてもリラックスして過ごしています。検査ではどこの内臓も正常で、モニターに映る膀胱内壁は相変わらずなめらかできれいです。最後の再発から2年3ヶ月が過ぎ、再発しない記録を更新中。そしてついに主治医から、しばらく検査に来なくても良いと言われてしまいました」

朝日ウィル(北燈社)1998年1月新春合併号より

 

4年6か月で再発

 2001年3月、高橋光威さん(神奈川県・59歳)は、膀胱がんの最後の手術から再発もなく、元気に4年6か月を迎えていました。主治医から『5年再発しなかったらもう大丈夫』と言われてあと一歩というところ、検査でマッチ棒の頭よりひとまわり小さい腫瘍が見つかったのです。

000053-b.jpg 「日本冬虫夏草を最近飲むのを2年ぐらい休んだでしょうか、今年の3月に再発したのです。再発しない4年半は夢のようでした。先月から日本冬虫夏草を再開。再び5年再発なしに挑戦です。この度の再発は、おかしいなと思える自覚症状が全くなく、心身ともに充実していて、術後も病院内を持ち前の芸で沸かせて『夕日のガンマン・タカハシ、病気でないのにどうしてここにいる?』と皆に不思議がられました」

 がんのステージに関わらず、がんになっても治りの早い人とそうでない人との分かれ目には生活スタイルが深く関わっているような気がします。高橋さんは自分の食生活のことをキリギリスのようだと表現しています。野菜中心で、魚は食べますが動物性の肉類はまず食べません。年に1度、奥さんが作ったハンバーグを猫のこぶしぐらい食べるか食べないかで、牛乳などの乳製品やインスタント食品などの加工食品も摂らないし、白砂糖の入った甘いものも一切食べません。

 高橋さんは、健康のために意識して食べているのではないと言います。体の内なる声を聞いていたら自然とそうなったと言うのです。肉や甘いものは食べたくないから食べないのであって、30歳を過ぎた頃から塩分も自然に控えるようになりました。若さが保たれて外見上は40代に間違われることもあるそうです。

 「がんなんかでヒトは簡単に死にはしません。私と同じ手術を20回繰り返した人はもうお亡くなりになりましたが、死因はガンではなく、天寿を全うした老衰でした。それでも主治医はこの病気のことを『これは怖い病気でないから怖いんだ』と言います。なめてかかるなということでしょう。

 現在は再就職して老人ホームの調理師の仕事をしています。早番の時は朝5時半に家を出て、休憩なしで8時間働きます。体もよく動くし、疲れるということがありません。でも私の最大の武器は、落ち込んでも5分でケロッとする性格でしょうかね」と陽気に話してくださいました。

朝日ウィル(北燈社)2001年9月1日号より

 


 「3月の検査では、どこにも異常は見つからず、元気にしています」とお電話をいただきました。

2002年5月のお話より

 


「テレビは主人も私も拝見させていただき、素晴らしい研究の場面 を知ることができました。主人は毎日元気にしております」

2002年12月10日お便りより

 



「桜の花が満開で、もっとも美しい季節となりました。日本冬虫夏草を続け、主人は元気で暮らしています。 3度目の再発から何事もなく2年が経ちました」

2003年4月5日お便りより

 

「主人はパートの仕事を辞め、家におります。食欲が少し落ちたこともありましたが、この頃は食欲も出てきております。いずれにしても日本冬虫夏草のお陰で病気の方は心配ないのがうれしいです」

2004年3月11日お便りより

 

000053-c.jpg 「日本冬虫夏草を再開してから4年が経ちました。そして、再発なく元気に4年5ヶ月を迎えました。5年まであと少しです」 奥様から手作りの押し花の暑中見舞いカードが届きました。

2005年7月31日

 

 

 

目標の5年を超えた

 「再発なく元気に目標の5年がとうとう過ぎました。64歳になって、いろいろな場所でシルバー料金のサービスを受けられるようになりましたが、白髪もないし、40代ぐらいに見られるものですから、しょっちゅう疑われてます(笑)。身分証明書を出して納得してもらわなくてはなりません。

 だいたいがプラス思考で、心配しても仕方がないという性格ゆえかもしれませんね。これは母親譲りです。母から戦後のひどい混乱の中、中国から引き揚げた時の話を聞きました。子供の中で末っ子の私を養子に欲しいと中国人から懇願されたといいます。それでも母は、何とかなるさというような性格だから、私を抱いて帰国したということです。母の性格がマイナス思考だったら、私は残留孤児になっていたかもしれません。亡くなった両親や先祖には、毎晩感謝し、手を合わせてから就寝します。元気で生かされていることに感謝しています。日本冬虫夏草は今後も続けていくつもりです」

2006年6月6日のお話より

 

 「73kgあった体重が、日本冬虫夏草との出会いを経て65歳になった現在は51kg台で安定しています。体の切れはいいですよ。炊事、洗濯、お風呂掃除、何でもやります。じっとしてると、人生サボってる気がするんです。そして『奥さんは床の間に飾ってる』と答えることにしています(笑)。

 最近になってようやく、『寮の管理人の仕事はきつかった』と、あの頃のことを妻に話せるようになりました。北海道から九州までそれぞれ全く違う教育を親御さんから受けてきた人間の集合体ですからね。それぞれのタイプに合わせて接しなければなりません。それでも社会人として外れた行為をした時は容赦はしません。もう鬼になって怒ります。心底その子のおやじになってね。毎日が真剣勝負の繰り返しでした。

 寮を卒業してからおやじとして慕ってくれることはうれしいことです。もうひとりの東京に住むおやじとして、しょっちゅう結婚式に接待されるものだから、管理人仲間から『そんな人はめずらしい』とうらやましがられました。

 当時を懐かしく、静かな気持ちで振り返ることができるのも、再発の心配をせず、健康で穏やかな暮らしがあればこそで、感謝しています。最近は近所の幼い子供たちに、ドラえもんのモノマネやイナバウアー等あれこれ披露して、いかにウケるかを励みにして暮らしています(笑)」

2007年2月9日のお話より

 

000053-d.jpg 「5月27日は江ノ島海岸にボランティアでゴミ拾いに行きました。今年は五百世帯の住宅の生活環境部長になり毎日忙しくしております。主人もおかげ様で毎日元気に暮らしております」奥様から手作りの押し花のおはがきが届きました。     

2007年6月5日

 「もう7年出てないんですよ。先生から『膀胱がんは取っても取っても現れて、その間隔がだんだん狭くなっていくものなのに、再発がなくてこんなに元気で、あんた1億円の宝くじ当てたのと同じだよ』と言われました。

夜8時に就寝、4時には起きてウォーキングをしています。台風と大雪以外は毎日です。歩かないとヒザの調子も悪いように思います。出会うのは猫と新聞配達の人、キジ、ヘビ、食用蛙たち。この辺は神奈川県でも特に緑の多いところ。小動物に話しかけながら、澄んだ空気と雑音のない静かな街をひとりじめする贅沢を満喫しています」

2008年7月1日のお話より

 

再発無く、ついに10年を超えた

  「再発無く、無事に10年が過ぎました。8月で70才になりました。夫婦共々暑さに負けず元気で暮らしております。泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生、だから二人で笑う方を選びました。3月の震災では、人生でこんなことが起きるのかという事が現実になってしまいました。被災地の方々の事を考えると頭が下がります。この度の事で人間の力強さ、人間の素晴らしさを学んだ気がします。命の日本冬虫夏草、これからも続けていきます」

                                                                   2011年9月2日のお話より

  「2013年は、血糖値が上昇して1ヶ月間程入院しました。当初、1日4回、インシュリンを打っていましたが、今は1日1回となり、9割9分元に戻ってきています。甘いものは食べませんが、お酒の飲み過ぎでした。ウィスキー、日本酒、ビール、焼酎、オールマイティで何でもござれ。侮っていました。役者やったり、調理師やってたり、お酒の飲む環境に長年身を置いてましたからね。反省しています。
 

入院中に泌尿器科の看護師さんに『がんで4回程入院したよ』と言うと、『本当にがんだったんですか!』とビックリされました。最後の再発から12年以上もがんは出ていません。前にもお話しましたが、医師からは再び『一億円拾ったと思いなさい』 と言われるくらい珍しいことのようです。治療には笑いが最高の薬と思っていますので、病院内をジョークで湧かせて人気者でした(笑)。看護師さんからも『退院しないでください』と惜しまれた程です(笑)。

 現在は1日40分のウォーキングを続けています。出会った人達、動物達に挨拶して、さんざん笑顔を振り撒いております(笑い)。日本冬虫夏草も続けています」

                                                                                            2013年12月2日のお話より

 「主人は再発が止まってから13年。がんとは無縁で暮らしています」

2014年6月24日の奥様のお話より

  「再発が止まってから15年以上経ちました。がんとは無縁で暮らしています。出来るだけ外に出て笑顔を振りまいております(笑い)」

 2016年12月12日のお話より

 

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 「お世話になっております。おかげ様で二人とも元気に暮らしております」奥様より絵手紙年賀状が届きました。

2017年1月1日

 

 

 

 

 

「再発が止まってから16年以上がんと無縁で暮らしています。糖尿病の方も小康状態で推移しています」

 2017年12月13日の奥様のお話より

田辺裕一さん(仮名)の場合

 「私は長い間、『病気とは無縁な人間だ』と思っていました。会社の健康診断ではいつも満点、言うことなし。たった一度だけ、単身赴任中に高脂血症(2007年に脂質異常症と改名された)の一歩手前と注意された時も、脂っこいものや魚卵類・鶏卵を控え、ウォーキングを続けることですぐに数値が正常値に戻りました。『タバコが止められなくたってそれくらいではびくともしない、他の人とは体のデキが違うんだ』という確固たる自信をもっていたのです。

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 その自信が揺らぎ始めたのは60歳の時、2000年の暮れ、友人の送別会に出席した時のことでした。私はビールを飲みながら、話に夢中になり、長いことトイレを我慢していました。ようやく席を立ってトイレに行くと、おしっこが赤く染まっているのです。どういう色かといえば、郵便ポストの色。『ずいぶん酔っ払ったもんだな。こんなに眼がおかしくなっちゃって』と思い、天井のライトを見上げればそれはいつもと変わらぬ色。そこでようやく異変に気付きました。

しかし、血尿は翌日には治まっていて、その後かすかな出血が2日続いてそれっきり。病院で検査してもなかなか原因がつかめません。右の腎臓に豆粒ぐらいの腫瘍があると分かったのは年が明けた2001年1月19日のこと。右の腎臓から尿管にかけて全摘手術をすすめられました。それを知った兄は慌てて酵素という飲みものを抱えてやって来ました。精神的にずいぶん弱っていましたから兄の提案に勇気をもらい、酵素を飲み始めました。

 

 手術は2001年2月26日に行いました。細胞を調べると悪性度がレベル2で、最終的な病名は右腎孟がんとなりました。その後は3か月かけて3クールの抗がん剤治療を受けました。薬の副作用で髪の毛は若干抜けたものの食欲もそこそこで、術後の回復は早く、周囲を驚かせました。酵素飲料は6月まで続けていましたが、とても甘いものでしたし、検査で血糖値が高く出たため続けることが出来なくなりました。それと入れ替わるように同じ病室のお隣さんの話から、アガリクスの粉末を飲むことにしました。

入院中、主治医に『やっぱりタバコは止めた方がいいですよね』と尋ねたことがあります。すると『私も吸ってるから何とも言えないよ』という返事。そのまま毎日喫煙室に通い続けました。ちょっと前まで世の中はタバコには寛容で、病院の食堂でも患者さんが堂々と吸っていました。タバコを取り巻く環境がガラリと変わったのはここ2、3年のことと思います。2002年ぐらいからですかね。

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主治医は退院する際も、『お酒やビールは少しなら大丈夫。何を食べても構わないよ』と言ってくれました。それとは対照的に後に訪れた漢方薬局では、タバコはもちろんアルコール類はダメ、動物性の脂肪や肉類は止めて、穀類を中心とした食事にするなど厳しいアドバイスで、私はこの際できる限り摂生してみようという気持ちになり、主食は白米から、玄米を1/2と1分づきを1/2混ぜたものに替え、タバコは2001年8月13日にスッパリと止めました。

 

病院では、いずれ膀胱に転移することを想定してるようでした。そして手術から11か月後、膀胱に4個のポリープが現れました。電気メスで患部を切除し、抗がん剤を4クール膀胱内に注入する治療を行いました。続けていたアガリクスの粉末はこの頃に止め、煎じて飲む乾燥アガリクスと、13種類の生薬を組み合わせた漢方薬に替えています。その漢方薬は有名な政治家も飲んでいるとのことでした。松葉、クマ笹、朝鮮人参も飲み始めています。

 そしてそのポリープからわずか5か月後、今度は膀胱内にカリフラワー状の悪性腫瘍が見つかったのです。膀胱がんです。これは再発の間隔がだんだん縮まっていくという話を聞きました。なんとかこの間隔を伸ばせないものか。できれば再発の心配なく暮らしたい。そんな頃出会ったのが日本冬虫夏草でした。

朝日ウィル(北燈社)2005年11月8日号より

 

【経   緯】
1997年
人間ドックでC型肝炎ウィルスのキャリアーだと知るが、たいしたことではないと思ったし、自覚症状もなく、以降手術をするまで全く忘れて暮らすこ とに。
2000年
12月20日
友人の送別会に出席、血尿が出る。
12月21日
血尿止まる。
12月22日
かすかに血尿。
12月23日
かすかに血尿。それ以降血尿なし。
2001年
1月19日
右の腎臓に豆粒大の腫瘍見つかる。
1月28日
酵素飲み始める。
1月30日
入院。
2月26日
右の腎臓から尿管まで全摘手術。術後、抗がん剤治療4クール。
3月15日
細胞検査の結果出る。腫瘍はレベル2の悪性で、病名は右腎孟がんとなる。
6月21日
血糖値上昇。酵素止める。アガリクス粉末を飲み始める。
6月30日
退院。
8月13日
タバコを止める。主食を玄米1/2、1分づき1/2の混合米にする。
2002年
1月
膀胱にポリープ4個現れる。
2月4日
電気メスで手術。
2月23日
漢方薬(13種の生薬)を飲み始める。
3月16日
アガリクス粉末止める。
3月17日
乾燥アガリクスを煎じて飲むものに替える。
3月22日
松葉、クマ笹、朝鮮人参を飲み始める。
6月20日
膀胱がんが見つかる。
6月24日
日本冬虫夏草を飲み始める。

 

 「膀胱がんの手術は2002年7月1日のこと。カリフラワー状の腫瘍をひとつ電気メスで切除しました。その後BCGを膀胱内に注入する治療を受けています。これは計6回の注入で、1回終わるごとに7日間の休みを入れてひと月半かけて行うのです。事前に、主治医からは『この治療のリスクは、耐性を持ったがん細胞がしばらくして出てくるという可能性があることです。このたちの悪いがんが現れたら大変です』という話がありました。ただ、排尿痛や白血球上昇といった治療中の副作用は全く現れませんでした。日本冬虫夏草は手術の前から飲み続けていました。煎じて飲む乾燥アガリクスと漢方薬、松葉、クマ笹、朝鮮人参はそのまま継続していました。

000048-c.jpg 手術と治療を終えて退院してから、リフレッシュするつもりで玉川温泉に出かけました。そして3日間のんびりと過ごしました。森林浴もできました。再発のことなど考えないで暮らせたらどんなにいいだろうと思いましたが、主治医は私以上に再発が念頭にあるようでした。検査も頻繁にありますから病気のことを忘れる時間がありません。
  

 その後は2年余り再発なく過ごしました。途中、ゴマ粒ぐらいのイボが出たり、ポリープが現れたりはしたもののいずれもがん細胞が出てくることはなく、そろそろがんとは縁が切れたかなと思い始めた矢先のこと。2004年8月12日、短い縫糸のようなものが現れ、とうとうがん細胞が見つかったのです。9月には、波状放射状に急速に広がっていく、悪性度が最高レベルであるグレード3の膀胱上皮がんと診断されました。前回の腫瘍はつまめば取れるものでしたから、横にどんどん這っていく今回のものとは人相がまるで違います。

 

病院の治療を一切やらずに膀胱がんが自然消失

 治療法をどうするか、じっくりと話し合うことになりました。私は、2002年にポリープ切除後、抗がん剤を注入し、5か月後に膀胱がんになっているので、その頃から『抗がん剤の治療はもうやりたくない』と断っていました。BCG注入後も、結果的このようになっているので、それも選択しにくい。そうなると膀胱そのものを摘出する手術しか残っていません。乾燥アガリクスや漢方薬も止めていましたし、もう何もかも頭にきて日本冬虫夏草も止めようと思いました。
 それでもキッパリ止めてしまう前に、種類の全く違う日本冬虫夏草のCY16番を、これまで飲んでいた知名度の高いCY11番に加えて飲んでみようという気持ちになったのです。日本冬虫夏草は国内に350種以上生息するといわれています。松葉、クマ笹、朝鮮人参も続けることにしました。手術まで2か月あります。その間、病院の治療は一切ありません。

 2004年12月13日、膀胱の摘出手術を行いました。摘出部はすぐに細胞検査にまわされました。そしてその結果は驚くべきものでした。どこを探してもがん細胞が見つからないというのです。探しても探してもどこにも無いということです。それから検査は続けてますが、がん細胞がどこかに現れるということもありません。
 そもそも発がんの原因は何だったのでしょう。思い当たるのは長年の喫煙です。1日25本、40年間休まず吸い続けてきたのです。タバコを止めたからといって、すぐに発がんのリスクが消えるものでないのも分かっています。ただ仕事の面では週に2日ほど職場に出かける程度ですから、ここ5年間は無理をせず、のんびり暮らせたのはとても良かったと思います。食事は、自家栽培の野菜をたくさん食べるようになりました。農薬をほとんど使用せず、有機肥料を使って20種類ぐらいの野菜を楽しみながら作っています。

 笑うと免疫力が上がると聞いて、コメディ映画やお笑い番組を見たことがありますが、どうしても笑えない。時代劇や西部劇のような痛快活劇の方が気持ちがスカッとして私には合うのも分かりました。心にためたりしないで言いたいこと、質問したいことを病院側にズバズバ言いました。注射が得意でない医師がいれば、『ヘタクソ、自分達で練習してから出直してこい』なんて言ったこともあります。我慢して陰で文句を言っている患者さんがよくいますが、これはお互いの為にならないと思うのです。そんな私にも病院のスタッフの皆さんはいつも親切で、丁寧でした。面倒な質問にもとことん答えてくれました。注射のヘタだった先生も、仲間内で練習していました。その先生が数年後には偉くなって戻ってきたのは、ちょっと予想外のことでした。

000048-d.jpg 2005年のお正月は、大きな手術の後だけあって、養生の為、子供や孫達に遠慮してもらって妻と二人だけで過ごしました。手術では、膀胱を取り出して小腸の一部を膀胱の替わりにしました。それは月日とともに体になじんできてますが、排尿の回数はまだ多くて不便もあります。本来の膀胱がある時と完全に同じ様には戻らないのもいたしかたないことです。がんが消失してから何事も無く、1年が経ちました。来年のお正月は子供や孫たちがやってきて、いつものように賑やかな正月となりそうです。
 引き続き、体に溜めてた毒を出し、新たに体に入れないよう食事でもって浄化に務めています。松葉、クマ笹、朝鮮人参と日本冬虫夏草は現在も続けています」

朝日ウィル(北燈社)2005年12月13日号より

 

【経   緯】
2002年
6月24日
日本冬虫夏草を飲み始める。
7月1日
膀胱がんの手術。その後BCGの治療。
7月17日
乾燥アガリクス止める。
10月15日
テレビモニターで膀胱内壁を見る。手術跡も消え、なめらかできれい。日本冬虫夏草は飲む量を減らす。
2003年
3月20日
膀胱の入り口が赤く腫れる。細胞検査をするが問題なし。
6月29日
手術から1年。日本冬虫夏草の量をさらに減らす。
8月15日
同じ漢方薬を飲んでた政治家が肺がんで世を去ったことを知る。その後、漢方薬を止める。
9月4日
ゴマ粒ぐらいのイボが現れる。細胞検査するが問題なし。
12月19日
日本冬虫夏草の量を増やす。
2004年
1月15日
3つのポリープ現れ、手術前
1月26日
血液検査、HCV(C型肝炎ウィルス)抗体陽性。3つのポリープ切除。
8月12日
短い縫糸のようなもの現れる。がん細胞見つかり、膀胱がんの手術から2年余りで再発。血液検査、 HCV(C型肝炎ウィルス)抗体陽性。
9月10日
通院で縫糸のようなもの切除。
9月13日
波状放射状に広がる進行の速い、悪性度が最高レベルのグレード3のがんとわかり、膀胱上皮がんとの診断が下る。
10月14日
これまで飲んでたのは日本冬虫夏草の中のCY11番という種。種類の違う日本冬虫夏草のCY16番を加えて飲み始める。
12月3日
血液検査、HCV(C型肝炎ウィルス)抗体陽性。
12月13日
膀胱摘出手術。がん細胞はどこにも見当たらず、消失。

 

 「なかなか簡単にはいきませんが、病気を治す環境を作るとしたら、心を解放することと、夢を持つことのように思います。

000048-e.jpg 私にとって心休まる場所がどこかといえば、森の中といえるかもしれません。森林組合が行ってる事業に山林オーナー制というものがあります。住まいの近くに1haの山林を区分し、一般の人に貸し出してる場所があり、私は年2万円の契約料で300坪の山林オーナーとなりました。

 木を伐採してもいいし、小屋を建てるのも自由です。そこでナラの木を切ってキノコ栽培を始めることにしました。10年かけてキノコの森に育てていくつもりです。
 森の中は、心が穏やかになり、免疫力が高まるように思います。そして自然の中で育った採れたてのキノコを食べ、さらに元気をもらうつもりでいます。私の夢も広がります」

000048-f.jpg 森の中を散策することは、病気を防ぎ、健康を保つ効果があるとして、自然療法の1つとして確立され、健康保険の中に組み込んでる国があります。森林療法セラピーの先進国はドイツです。日本でも森林の効力を軽視できなくなり、林野庁等によって全国31カ所の候補地の中から『森林セラピー基地』の選定が始まりました。
「2006年2月16日に、血液、尿、レントゲン、CT検査を行いました。レントゲン検査は、結核の検査で使用している簡単なものではなく、全身を写せる大がかりなものです。

 

(1)あおむけにレントゲン撮影
 ↓
(2)造影剤投与
 ↓
(3)CT撮影
 ↓
(4)再びレントゲン撮影の行程 で行いました。

 


 

 1か月後、その結果を聞きに行きました。どこにも異常は認められず、何も心配ないとのことでした。この冬も一度も風邪をひくことなく、元気で過ごせました」

2006年3月20日のお話より

 

 「2004年12月の手術から再発、転移もなく、2年半が経とうとしています。5年を目標にしていますので、折り返し地点にちょうど立ったところです。その最後の手術からは、日本冬虫夏草は量を減らさず毎日続けてきました。キノコの森作りは着実に進行していまして、ナメコ、シイタケ、マイタケの植菌を済ませ、この秋初めての収穫となります」

2007年5月12日のお話より

 

C型肝炎ウイルスが自然消滅

 「1997年に人間ドックに入って血液検査をした時、C型肝炎ウイルスに感染していることを知りました。いつ感染したのかは不明です。たいしたことではないと思ったし、それまでも、それ以降も自覚症状は全くなかったものですから、すっかり忘れて暮らしてきました。

 でも2002年の膀胱がんの手術日には、手術の順番が最後に回され、C型肝炎ウイルスのキャリアーだったことを思い知らされました。私を最後に手術するのは他の人に感染させないようにという病院側の配慮だったわけです。

 ところが2006年の夏の人間ドックで、ウイルスが陰性と出て、2007年の夏にも同様の検査で陰性と出たのです。内科の医師は『こんなことはめったにないことだなぁ』と信じられない様子でした。ワンランク上の定性分析検査を行いました。現在のところこれ以上精度の高い方法はないそうです。その結果が出てきまして、やはりすべて陰性ということでした。そのデータをお送りします。膀胱がんの手術でがん細胞が消失しているのを確認してからまもなく3年が経とうとしています。食事療法をしながら、松葉、クマ笹、朝鮮人参と日本冬虫夏草は今も続けています」

2007年10月15日のお話より

 

田辺裕一さんのHCV抗体検査の推移

検体(血液)採取日
HCV(C型肝炎ウイルス)抗体
 
1997年日付不明
陽性
人間ドック
2004年1月15日
陽性
手術前検査
8月12日
陽性
手術前検査
12月3日
陽性
手術前検査
2006年8月10日
陰性
人間ドック
2007年8月6日
陰性
人間ドック
9月18日
陰性
最終確認

 

 

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 「再発なく無事に4年が経とうとしています。手作りのキノコの森でなめこを収穫しました。稔りの秋を楽しんでいます」

2008年11月4日のお話より

 

 「2月3日のCT検査でも異常なし、2月10日の血液検査と膀胱鏡検査でも異常なしでがん細胞の消失から何事もなく無事に4年2か月が経ちました。日本冬虫夏草も変わらず続けています」

2009年2月12日のお話より

 

 「がんを経験し、自分の健康を考えた時、自分の口に入る野菜は自分で作ろうと思いました。虫が付いてもいいから無農薬で。野菜作りをするようになって毎日張り合いと楽しみが生まれました。この気持ちが免疫力を高めるのに一役かってくれてるようです。
退職して『今日は何をしていいかわからない』という人がいます。それはもったいないことだと思います。野菜作りは今日はこの作業、明日はこの作業、と次々とやることが出てきます。
でも年齢とともに手入れする面積を縮小することが必要と思っています。同じようにやり続ければ必ず無理をします。それでは健康のために始めたのにもとも子もありません。
 12月13日で膀胱がんの消失から5年、C型肝炎ウイルスの自然消滅から2年、何事もなく過ぎました。腎盂がんや膀胱がんは克服したといって良いでしょう。病院からは、検査の間隔を2倍に延ばされました。今後は日本冬虫夏草の量を1/2に減らして続けていくつもりです。ますます元気に過ごしております」

2009年12月29日 のお話より

 「私ががんになった時、友人達は病気に無縁で元気そのもの。うらやましいと思ったものでした。それからというもの私は健康のために努力を続けてきました。今は、痛いところも悪いところも何もありません。幸せな毎日です。一方、元気だった友人達は皆、体のあちこちが悪いとボヤいています。彼らは体に自信があって努力するきっかけが無かったのでしょう。努力の差は長い年月をかけるとはっきり出てくるものなんですね。毎日の努力の積み重ねとはこわいものです。

 膀胱がんの焼失から5年半、C型肝炎ウィルスの自然消滅から2年半、再発なく元気に経過しました。日本冬虫夏草は今も続けています」                                      

2010年6月22日のお話より

 「この度の検査でどこにも異常が無く、この12月で膀胱がんの消失から7年が経とうとしています。C型肝炎ウィルスの自然消滅からは4年が経ちました。この頃は年に4回の検査を続けていましたが、『これからは、年に1回(CT、膀胱鏡、血液検査、尿検査)にしましょう』と言われました。来年の9月13日に予約を入れてきました。

 無農薬、有機肥料の野菜作りを続けています。食べてくれる友人達は『甘くて、特別旨いよ!』と絶賛してくれます。孫達も野菜嫌いの者はおらず、バクバク食べてくれます。私の食生活は完全和食です。お肉は滅多に口にしません。それでも鶏肉だけはたまに食べます。薬を使わない採れたての新鮮野菜と完全和食が、私に正常な細胞1コ1コを作ってくれてると思っています。日本冬虫夏草も続けています」

2011年10月1日のお話より

 

胃がんの再発がストップ

 「2年続けて胃壁にがん細胞が見つかり、2012年8月と2013年10月に削り取る手術をしました。2012年の2月にはすでにピロリ菌の除菌は済ませていました。

 冬虫夏草属の胃がん細胞に対するスクリーニングの結果が出てきたのは2013年に入ってからです。日本冬虫夏草CY157番が胃がん細胞に選択的に働いたというものでした。これまで飲んでいた日本冬虫夏草の一部をCY157番に切り替えることにしました。2014年の秋と2015年の秋の検査では異常無しで、再発無く3年目を迎えています。

 耳鼻咽喉科の先生に聞いたところ、タバコをやめてもその影響は長く残るということらしく、肺の場合は一生だそうです。他の臓器は、禁煙してから15年経てば、吸ってない人と同じになるそうです。私が止めたのは、2001年8月13日のことでした。

 さて、今年も野菜作りを元気に続けていますが、畑をやっていると思わぬ窮地に陥ることがあります。自分にとってどの辺が限度なのか分からなくなってくるのです。作物の種類がどんどん増え、耕作地も広げ、収穫した野菜を親しい人に配れば、大層喜ばれるものですからますます没頭していきます。特に夏場、天候が悪くても作業をし、体力を擦り減らすようになります。

 限界はどこで見極めればいいのでしょうか?朝の目覚めが悪い場合や体重が増えてないのに体が重く感じて機敏な動作に苦痛が伴うようになったら、そこで悟らなくてはなりません。

 後期高齢者といわれる75歳が節目かなと思います。農作業の一つ一つがスローペースになっていくのを実感し、一畝を作るにしても3度の休憩が必要となりました。持久力がなくなるのですね。

 そしたら思い切って縮小するのです。私はいよいよとなったと感じ、『体力が持たなくなりまして、来年は期待しないでください』と最後の野菜を届けて回りました。

 今は、夫婦二人が食べる分だけ育てております。畑は小高い山間地にあり、これといった作業の無い日にも出掛けていきます。そこには一本の大木があり、その木陰に腰を下ろして風にあたります。真夏でも涼しく、とても心地よい風なのです。エアコンの風とは全く違います。澄んだ空気が体に入ってきます。こんな時、この素晴らしい自然環境に自分は守られているのを感じずにはいられません。

 畑の恩恵は様々ありますが、血液検査は満点で、薬を飲むことは一切無くなりました。

 日本人の高齢者が寝たきりになる原因は認知症、脳卒中、転倒・骨折の3つが大きな比率を占めるそうで、起きてから寝るまで一日の合計歩数が8000歩、その中に早歩き20分が組み込まれていれば多くの病気を予防出来、寝たきりも防げるとされています。私の一日の歩数は約7000歩になります。畑までの傾斜地を登り下りするので8000歩の効果は出ていると思っています」

2016年9月21日のお話より


 

山内正徳さん(1998年当時仙台ホテル・梅華園料理長)の場合

  腎結石のお話は後半にございます。

 「身内の中から次々とがんになる人が出始めたのは、1995年頃からでした。最初は母親のS字結腸がんから始まり、次に妹が子宮がん。それから父の尿道・膀胱がんと続きました。私は自分に何かできることはないかと思い、当時東北大学で生薬の研究をしておられた近藤嘉和先生に相談を持ち掛けました。すると日本冬虫夏草の話をしてくださって。先生はその当時、その分野の研究で世界的な第一人者でしたから。000054-a.jpg

 私は、腫瘍の臓器圧迫や排泄障害を解消するための手術はやむを得ないと思っていましたが、抗がん剤に対しては賛同できませんでした。それで主治医に掛け合って、家族には抗がん剤を使わないという約束を取り付けたのです。

手術の前から日本冬虫夏草を飲んでもらって、3人の様子を見て思ったことは、『普通 の人の約半分の時間で退院できるもんだな』ということでした。なにしろ術後の感染症に悩まされることもなく、手術の傷も早くきれいに塞がりましたからね。

すっかり健康を取り戻し、再発もなく、母は今年で7年。妹と父は5年目を迎えています。日本冬虫夏草は続けていますが、風邪を引くこともなくなって、がんになる前より元気になったようです。私よりずっと元気じゃないですか?(笑)母や妹は少し太りました。

 そして、同じ料理人の奥さんが、心臓膜に良性の腫瘍が見つかったことも重なりました。それまで自覚症状が全く無く、気付かないでいたそうです。どうやらそれは子どもの頃からあって、加齢とともに大きくなる性質のものらしいです。たまたま風邪をひいて、胸のレントゲン撮影をしたため発見され、その時点で子どもの握り拳の大きさにまで成長し、心臓を圧迫し始めていました。摘出手術の後から私のすすめで日本冬虫夏草を飲んでもらいました。

 この話には続きがあります。退院の際に検査をしたら、今度は胆のうにポリープが見つかったそうです。でもそのままにして日本冬虫夏草を続け、1年後に調べたら小さくなっちゃってて、主治医から『もう心配はないよ』と言われたというのです。手術から今年で6年目。50歳を迎えられましたがなお元気で、第一線でバリバリ仕事をされています。やはり風邪をひくこともなくなったそうです。

 

私の持病

 一方、その頃の私はというと40歳を越えたぐらいで、持病の腎結石の症状が出始めていました。結石ために2回の入院をしていますが、この痛みはなった人にしか分からない。とにかく頻繁にやってくるこの痛みに、自分のことも何とかしなくてはいけないなと思い始めていました」

  腎・尿管結石の原因は血液の汚れといわれています。この病気でいちばんの問題は激しい痛みです。シュウ酸カルシウム、リン酸カルシウム、マグネシウムアンモニウムリン酸塩、尿酸、シスチンなどが腎で結晶化し、大きいものだと尿管にひっかかり激しい痛みにおそわれるのです。

 山内さんは、このために何度か病院に運ばれたことがあるといいます。

 「初めの発作は1997年のことで、明け方、目が覚めました。普通 、痛みって弱くなったり強くなったり、波がありますでしょ。でもこれは、どんどん一方的に増していくだけ。いつか治まるだろうなんて余裕はないの。脂汗が出て、うなって、救急車を呼ぼうと思ったけど、マンションに住んでいることもあって、静かにタクシーを呼び、病院まで運んでもらいました。この時は薬剤投与ですぐに石は落ちたんです。

 2回目の発作はそれから1年後でした。入院して同様の治療を受けて。でも今度は2週間しても石は落ちてこない。そこで最終的に衝撃波を当てて石を砕いて落としたんです。この病気で入院してる人には銀行員もいましたし、結婚式を間近に控えた若い女性もいましたから、『どんな人でもなる病気なんだなぁ』と思いました。

 

腎結石が自然排石された

 発作の度に入院では仕事にならないし、何か打つ手はないかと考えて、両親と妹が飲んでいる日本冬虫夏草とは違う別の菌類を試すことにしたんです。それをを毎日170ccぐらい飲みました。ある時、腰痛があって『あっ石が動き出したな』と分かりました。10日ぐらいしてから、量を倍以上に増やして集中的に飲むと、3日目に赤い血が出てきました。もう少しだなと思ってコップ2杯の水を飲んでその時を待ちました。そしてトイレに行くと、米粒大の四角の角張った石がポロリところがり出たんです。見ると以前、病院の治療で排石されたものより大きいじゃないですか。それなのに、あの耐え難い激痛は一切無く、普段どおり仕事をしていたことを考えると、『こんな不思議なこともあるもんだ』と妙な気分でした。

 

 そして昨年。再び米粒よりやや小さい石が同じように自然排石されました。それだったらと結石で悩んでいる前出の料理人仲間に同じものを勧めてみました。すると、やはり目立った痛みが無く自然排石されて。『いつも病院に行くしかなかったのに、こんなことは初めてだ』と驚いていました。

 日常的には誰でも、小さな結晶は気づかないうちに自然排泄されているものですが、何かの拍子に大きな結晶にまで成長させてしまう人がいます。これにはバクテリアが関係しているとの説もあります。私にとってこういう結晶は1年に1回のペースで動き出し、落ちてくるようです。  母のがんに始まり、妹、父のがん。そして私の結石と続きましたが、皆無事に元気に過ごしています。これからも日本冬虫夏草等と付き合っていくつもりでいます」

朝日ウィル(北燈社)2001年4月10日号より

 

000054-b.jpg 仙台ホテルで「山内料理長の究極爆蒸美食」会が催されました。山内さんの本格中国料理の技の数々に感動しました。その中に「山海珍味壺蒸」というスープがありました。冬虫夏草、鹿の角、朝鮮人参、フカヒレ、乾し貝柱、あわび、なまこ等が入っていて美味で絶品。おかわりを何杯もしました。その晩は眠らなくても平気なほど元気で、朝まで仕事をしてたくらいです。その元気は24時間保ちました。24時間目にプツリと切れたのがわかりました。

 日韓ワールドカップでは、韓国チームが最後の最後に体力が落ちることなくねばりを出して勝ち進んでいます。選手達は毎日冬虫夏草と朝鮮人参を食べていると聞きました。やっぱりと思いました。日本チームにこのスープを飲ませてあげたいという思いにかられました。

2002年6月24日

 

 山内さんのお母様は再発もなく元気に9年目、お父様と妹さんも再発なく元気に7年目を迎えました。日本冬虫夏草等は現在も続けているということです。

2003年12月6日

【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。

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