CASE10 : 証拠データーを病院からいただいた方

山下邦雄さん(薬剤師 東京都在住)の場合

 「我が家は両親および兄、妹の身内4人が、がん死(4人とも胃摘出手術をうけ、内3人は胃がんが直接の死因)するというがん家系らしく、私も用心して20年以上毎年胃検診(X線、又は胃内視鏡)を受けてきました。2009年は胃X線透視後要精密検査といわれ、内視鏡検査を受け、異常なしとなりました。2010年は要精密検査なしで済みました。

001.jpg2011年は、6月初旬に直接内視鏡検査を受けたところ肉眼でも胃がんといわれ、病理組織検査では印環細胞がん、即ち未分化のスキルスタイプと診断されました。通常がんと診断されると、一瞬頭の中が真っ白になって呆然とするといわれていますが、私の場合には、いよいよ来るものが来たかという冷静な受け止め方ができました。

発見者はごく近隣の久米川病院の内科医でしたが、すぐに、近くの公的病院の外科を紹介されました。外科の諸検査の結果、ステージⅠaの早期胃がんと診断されて、手術の準備をされました。しかし、私は新潟大学の安保徹教授の教えに従って、内視鏡手術(ESD)なら受けるが、開腹手術は辞退したい旨を申し出て、内科の内視鏡手術医を紹介してもらいました。

ところがこの内科医は理由も明らかにすることなく、いきなりこの症例は外科手術適応として有無をいわさない剣幕で外科逆送と独断で決めようとしました。私はステージⅠaの早期胃がんであるなら、内視鏡手術を受けた後、足りない部分を自律神経免疫療法と日本冬虫夏草を2本柱とし、その他多くの代替療法で療養するつもりでおりました。

 

 実は胃内視鏡手術の適応にはガイドラインがあります。それは①分化型細胞がんであること、②潰瘍又は潰瘍痕がないこと、③腫瘍が2cm未満であることなどです。私の場合は、未分化型がんであることからこのガイドラインから外れていることが、後程判明しました。私は自分の信奉する代替療法を続けながら、この公的病院との意見の相違等のため、当該病院での手術を断念し、結局最初の久米川病院に戻される形となりました。

この時、発見から約4ヶ月の月日が流れていました。病院での治療はやってませんので、自分の実行する療法がどうだったか確認するつもりで再度胃内視鏡検査を受けたところ、医師は先入観があったせいか、前回と同様の診断結果を出し、改めて2つ目の公的病院外科を紹介しました。

その紹介状には未分化型のスキルスタイプの胃がんと記されておりました。通常スキルスタイプの胃がんは進行が早く、早期の手術が必要と医学書には書かれています。

 

 私が行なってきた代替療法は先の2つに加えて、漢方薬の補中益気湯と十全大補湯、ビタミンCの大量内服(10g/日)、健康食品のフコイダン、抗潰瘍剤ガスロンN(4mg 1T/日)、ビワの葉罨法(あんぽう)と生姜湯湿布、足湯、それに飲尿療法です。

飲尿療法はがん発見直後から朝一番の尿約30ccを一気に飲み干すものです。日本冬虫夏草の飲用は少し遅れて始めています。数日してそれまでの無味だった尿がすごく塩辛くなって、飲めなくなりました。これは日本冬虫夏草の新しい作用機序ではなかろうかと思います。尿中に体中の塩分が排泄されることは無塩食事療法で有名なゲルソン療法に通じる作用効果で、この療法では体内の細胞内のNaをすべてKにおき代えることを目的にしています。

私の実践した代替療法
01.日本冬虫夏草
02.補中益気湯エキス
03.十全大補湯エキス
04.フコイダン
05.ビタミンC
06.ガスロンN
07.自律神経免疫療法
08.ビワの葉罨法
09.生姜湿布
10.足湯
11.飲尿療法

日本冬虫夏草は液体で、2か月間毎日180mLを分4で飲用しましたが、2か月で一応飲用を中止して、飲尿を再開すると数日後から尿の塩辛さが全て無くなったことから、日本冬虫夏草が原因であったことが明確になりました。

 

スキルス胃がん細胞消失。外科手術必要なし。

 2011年10月6日。2つ目の公的病院でも外科には受診せず内科を受診し、ここでも内視鏡手術が駄目なら外科手術も止むを得ないと観念して、5回目の内視鏡検査を受けました。その結果が10月14日に判明しました。

 医師は首をかしげて不思議そうな面持ちで『がん細胞が見当たらない』と発言。外科に送るためには、再確認のため、もう1回内視鏡検査を実施したいとの意向で6回目の内視鏡検査とCT検査を受けました。勿論組織を採っての病理検査も併行して行われました。その結果が判明したのは10月24日。やはり、がん細胞は見つかりませんでした。ですから外科手術も必要ありません。

私が勉強し、信奉してきた各種の代替療法の勝利です。天にも昇る心地というのはこのようなことを言うのでしょうか。

002.jpgこの4か月以上にわたって4、5名の医師より早期の外科手術をすすめられてきたのを何とか先延ばしにしてきました。

一部の臓器でも手術で切除されたらQOLが低下し、一生死ぬまで何らかの身体的不具合を感じながらの生活となったでしょう。望外の喜びです。その場に同席していた家内も大変な喜びようで、その夜は赤飯を炊いて二人で祝杯を挙げました。

 

 

 

 

生き方を変えてみる

 一度がんにかかって治癒した人はがんを経験したことのない人に比べて8~16倍も他の部位臓器のがんにかかり易いという統計もあるようです。過去の生活環境、性格、食事、考え方等あらゆる面で反省し、改善し、ストレスをためないように心掛けようと思いました。

その後は、①漢方薬の補中益気湯7.5g/日分3、②抗潰瘍剤ガスロンN1T/日、③ビタミンC原末5g/日分1、④日本冬虫夏草を粉末に変えて1g/日分2、⑤Se 30.2μgを含むマルチミネラル3T/日分1、⑥ウコン100%3g/日分3、⑦ニューフットウェル使用による手足指先の微小振動刺戟(しげき)を利用した自律神経免疫療法1日2回毎回手足指各2分、⑧ビワの葉罨法(あんぽう)1日1回30分、⑨生姜湿布1日1回30分、⑩湯タンポ使用による就寝時の足指先保温、⑪毎日の入浴、⑫その他発がん防止が期待される玄米菜食、塩分控え目食、獣肉控え目食、緑茶、みかん、ヨーグルト、各種野菜の多食、大豆製品の多食、ニンニク・生姜の常食、茸類の多食、精製白糖・三温糖の使用制限等の食事療法を実践してきました。

 最近、精神・神経・免疫腫瘍学(英語ではPsycho-neuro-immuno-oncology)という学問が急展開して、がんには精神的要素が大きく関わっていることが分かってきました。心の持ち方次第では自然治癒もありうるし、奇跡ではないのです。精神的にゆとりのある毎日を愉快に、朗らかに、明るく笑って感謝の日々を送ることが、がんにかかり難く、かかっても治り易く、高い生存率が得られることが分かってきました。

名古屋に末期がんから生還した元がん患者の数百人規模の「いずみの会」という会があるそうです。その会合に出席する人々はとても元がん患者とは思えないほど、明るい表情で活発な発言をし、大きく笑い、周囲に対する思いやりの深い方ばかりで、年間のがん死亡率が数パーセントだそうで、多くの方が天寿を全うするそうです。

発がんの大きな原因の一つに精神的、肉体的ストレスがあります。そのストレスがなくなればがんが消滅することは自然の道理であります。また、適度な運動は発がん抑制とがん治療の一翼を担っています。私の場合2011年8 月半ばで退職したために、人間関係のストレスから解放されたのは、治るために良い条件でした。そして運動ですが、従来より実行していた水泳、アスレチック運動を継続しています。

 先の1つ目の公的病院で乱暴な対応をした内科医には後日談があります。それは私が『内視鏡手術で足りない部分は自律神経免疫療法その他の代替療法で補足したい』と発言した途端に不快感を示し、『免疫療法でがんが治癒する実例があるのか』と反問して来たことです。西洋医学一辺倒の病院の医師はあらゆる代替療法に不信感を抱き、反感を持っていることが見て取れました。その後の私の経緯は直接その内科医には通知していませんが、内科のナースにはがん細胞発見せずとの文書を提供しています。

 

既製概念にとらわれず、自ら情報収集、自ら選択

 本稿の教訓は定期的な健診と西洋医学の三大療法(手術・抗がん剤・放射線の通常療法)に頼らない治療法です。従って、がんが発見されても病院の医師の指示、発言に惑わされずに、独自の情報網を使って、多くの情報を集め、003.jpg多くの選択肢の中から最適の治療法を自分が選ぶことでしょう。医師からの情報も必要な場合があるかも知れませんが、それを盲信せず、独自の判断で情報を選択することでしょう。

 早期の胃がんでは腫瘍マーカー(CA19-9とCEA)はほとんど陰性で、診断の決め手にはなり得ず、やはり胃内視鏡と組織の病理検査が決め手です。今回の私の場合、最終診断に至るまでには6回も検査を重ねました。最初の4回では胃がん陽性、5回と6回目で陰性と出たわけですが、3つの病院でそれぞれ2回ずつ行ったことになります。費用も馬鹿になりません。公的保険でカバーされている部分はたかが知れています。自律神経免疫療法と健康食品も高価で、かなりのダメージでしたが、命には代えられません。

 

スキルス胃がんの通常療法について

 2011年の当時の専門雑誌から引用すると、スキルス胃がんは胃がん全体の7~10%を占め、比較的若い女性に発症例が多いという。早期発見は困難で、腹膜に転移しやすいという。スキルス胃がんと診断された患者の半数余りは既に腹膜に転移した進行がんというデータもある。スキルス胃がんが発見された時に腹膜播種等の転移がなければ治療の基本は手術。術後に腹膜播種の形で再発のケースが多いという。手術時腹膜播種が肉眼で見えないケースでも、微小転移が既に起きていて、時間の経過とともに大きく増殖する。

スキルス胃がんの病院での標準治療は普通の胃がんと同様、転移がなければ、胃切除。その後一年間は再発予防のためTS-1を経口投与。術後の化学療法で、普通の胃がんの場合、3年生存率70~80%、5年生存率60~70%。スキルス胃ガンでは3年生存が20~30%、5年生存はデータがないので10~20%と推定。最新のスキルス胃がんの治療法は手術+術後のTS-1とシスプラチン、タキソールの併用。

既に転移陽性例や術後再発例ではTS-1とシスプラチンの併用が標準治療とされている。この治療での生存期間の中央値は13か月とされている。但し術前にTS-1とシスプラチンを1クール実施して手術すると、根治の可能性もあるという。タキソール(iv)は消化器毒性が低く、術直後からの使用も可。一般的に術後化学療法は6週後から始めるという。

以上のようにスキルス胃がんは予後不良例が多いようです。これらの治療を一切受けなかった私のようなケースは非常に稀ではないかと思われます」

山下邦雄さん2011年執筆の原稿より

 

カルチノイド腫瘍消失

  「その後の経緯ですが、2012年12月14日にカルチノイド腫瘍細胞が見つかりました。通常の胃がん細胞とは性質が異なり、穏やかで成長も遅いことからカルチノイド(がんもどき)と呼ばれています。治療としては、所在場所の関係から内視鏡手術は不可能であり、内科的薬物療法もなく、外科手術のみだそうです。

 私が実行した代替療法は以下の通り、3か月間継続しました。2013年4月5日の病理組織検査ではカルチノイド腫瘍細胞が見つからず、この件についても医師からは『ありえないこと』と不思議がられました」

Ⅰ 医薬品
(1)本草十全大補湯エキス顆粒           9g/日 分3
(2)本草補中益気湯エキス顆粒          7.5g/日 分3
(3)カイトロン 10mg                   3T/日 分3
(4)セレガスロン 4mg                  1T/日 分1
(5)バイアスピリン 100mg               1T/日 分1
(6)ビタミンC純末                    10g/日 分2

Ⅱ 健康食品
(1)日本冬虫夏草粉末                 2g/日 分2
(2)Se30.2μgを含むマルチミネラル         3T/日 分1
(3)ウコン100%粉末                  3g/日 分3

私の実践した代替療法
01.十全大補湯エキス
02.補中益気湯エキス
03.カイトロン
04.セレガスロン
05.バイアスピリン
06.ビタミンC
07.日本冬虫夏草粉末
08.マルチミネラル
09.ウコン

Ⅲ 物理療法
(1)自律神経免疫療法として両手指爪もみ 各指         各10回 1日数回
(2)自律神経免疫療法として両手指先電気微振動刺戟     1回2分 1日1回
(3)ヘルストロン全身通電 6000V                  1日1回20分 1週4~5日

Ⅳ 運動療法
水泳とアスレチック                       1回2時間夫々週2回

Ⅴ ストレス解消のための精神療法
(1)薬局における調剤と患者服薬指導           1日約6時間 週2回
(2)詩吟練習                             1日30分 毎日
(3)デイサービスにおける高齢者対象のボランティア活動 1回2時間 週1回
(4)音楽と絵書画鑑賞                       随時
(5)お笑い(TVとCD等による落語、漫才等)          随時

Ⅵ 食事療法
玄米菜食、低塩味付け、ヨーグルトとにんにく多食、豆乳飲用、緑茶葉の徹底利用、獣肉と精白糖排除、完全咀嚼、生水の飲用禁止

Ⅶ 温熱療法
湯たんぽ使用による足温、生姜紅茶飲用
追記:3月中旬より瘀血対策と冷え対策目的の本草桂枝茯苓丸エキス顆粒
    7.5g/日 分3

私の実践した代替療法 つづき
10.両手指爪もみ
11.両手指先電気微振動刺激
12.ヘルストロン全身通電
13.水泳とアスレチック
14.仕事
15.詩吟
16.ボランティア活動
17.音楽と絵書画鑑賞
18.落語、漫才
19.食事療法
20.湯たんぽ足温
21.生姜紅茶
22.桂枝茯苓丸エキス

山下邦雄さん2013年執筆の原稿より抜粋

 

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あとがき

 「身内4人の胃がんの治療は、病院での一般的な(通常)療法でした。医師に全ておまかせでした。代替療法なるものは全くやってなかったのです。そんなことがあって、私は、高齢を意識するようになった頃、世の中にあるあらゆる療法を試してみようと思いました。

 知識の土台が無いと、いざ『がん』と告知された時、パニックになり、落ち込み、頼みの綱である免疫力まで下げてしまう。いざという時、取り乱さず、静かな姿勢で立ち向かいたい。努力をしたいと思ったのです。そのための準備というわけです。

 病院の通常療法は、治そうとする自分に対して、悪いところを切り取ってくれたり、小さくしてくれたり、あくまで手助けに過ぎません。最終的に病気を治すのは自分の力だということ。そして、その力を引き出すには努力が欠かせないこと。そんな原理原則を理解している人が非常に少ないように思います。

 私は、スキルス胃がんになる1~2年前に図書館で日本冬虫夏草の本と出合い、知識の一つとして備えていました。

CX138_L.jpg水泳やアスレチック、自転車の運動は10年以上続けています。水泳は週に2度、合計4000mは泳ぎます。一日で体重が0.5~1kg減ります。

肉体を鍛えることによって思わぬ副産物がありました。自信というものが身に付きました。信念を貫く強さも身に付いたのです。

人間は本来弱いものです。周囲から否定されたり、様々な意見に翻弄されたりして、簡単に心が揺れ動いてしまいます。思わぬ攻撃にも合います。信念を貫くことほど難しいことはありません。肉体を鍛えてるかどうかは、大きな差です。運命が変わってしまいます。

 胃がんの原因にピロリ菌やタバコが取り沙汰されますが、2003年頃、検査でピロリ菌陽性と分かり除菌治療を受けました。でも除菌しきれなかったのです。除菌治療も万全ではありません。2011年にピロリ菌が指摘されましたが、その後は触れられることはありませんでした。タバコは25~26歳の頃に葉巻をくゆらした程度でした。

 病名を告げられた時もそうですが、自覚症状は全く無く、これまで食欲が落ちたことは一度もありません。毎日晩酌も欠かしませんし、日本酒なら一合程度いただきます。お気に入りの地酒を求め、年に一度蔵元まで赴くのを楽しみにしています。常に美味しく食事をしてきました。幸せなことです。

 2013年12月12日。訪問看護師さん主催の『がんカフェ』で私の闘病記を配布し、概略の説明をしました。聞き手は、元がん患者さんと医療関係者の方々です。病気になった時、慌てないように準備しておくことの大切さを説いています。準備とは知識の土台と肉体の鍛錬です。

 週に一度は老人ホームやデイケアセンターでボランティア活動をしています。紙芝居をしたり、本を朗読したり、肩もみをさせていただいたりです。この頃はお世話になった社会にお返しすることが私の生きがいとなっております。

2014年2月10日のお話より

 2月24日に病理検査を受けました。8検体いずれからも悪性細胞なしとの判定をいただきました。

2014年3月11日のお便りより

004.jpg 山下邦雄氏1934生。1957年3月千葉大学薬学部卒。20年間製薬会社に勤務後 管理薬剤師として複数の商事会社、医薬品販売会社等勤務。1961年通訳案内 士資格(英)取得、2003年ケアマネジャー資格取得。現在は調剤薬局に週2日パート勤務。2013年には全国の病院や調剤薬局で読まれている専門誌「ファーマ トリビューン」に自身の『薬剤師の闘病記』が掲載され大きな反響を呼ぶ。→ 008.jpg

 

 

眞壁秀夫さんの場合

※前立腺、膵臓がんは中盤。肺がん、乳がんのお話は末尾にございます。

 「私はもともと胃が弱く、疲れると痔になりやすい体質でした。2001年4月から出血が始まり、いつもの痔と思って暮らしていました。でも一向に良くならないんです。近くの総合病院で診てもらうとあっさり何ともないと言われてしまって。それから釈然としないまま4ヶ月が経過しました。痛みは全くないのですが、出血はさらにひどくなっていきました。

000044-a.jpg 8月30日。いよいよ県内でも有名な肛門科の個人病院で診てもらうことにしました。そこは18年前に痔の手術をしたところでもありました。内視鏡で調べてもらったらモニターに一瞬やけどのただれのような部分が映ったんです。内視鏡はゆっくり移動して、腸壁をモニターに映し出していきますが、どういうわけか肝心な部分にさしかかると先生はさりげなくサササーッとスピードを上げちゃうんですよね(笑)。これは見逃しちゃいけないと思ってね、私も必死です。問題の部分は赤黒く変色していて周囲が白くなっているのが分かりました。細胞検査もやって、すぐに大学病院を紹介されました。

 6日後。個人病院の検査をもとに、大学病院でようやく直腸がんの診断が下りました。『手術で開いてみて、患部が肛門に近ければ人工肛門になるよ』と言われました。
手術までは1ヵ月以上あるので、自宅でやれることはやってみようと思いました。日本冬虫夏草を飲み始めたのは翌日からです。腸に負担をかけないよう、主食をモチ米質の少ない粘り気のない米に切り替えることにしました。それはキヨニシキという銘柄で無農薬無肥料米。日本冬虫夏草の浣腸もやってみました。そして出血量が徐々に減っていくこととなり、開始から25日目、ピタリと止まったのです。それ以降出血は全くありません。

 私はこの病気を機に、体の変化についてメモをとるようになりました。

 

2001年4月
出血が見られるようになり、総合病院で検査するが問題ないとのこと。
8月30日
再び個人病院での検査後、大学病院を紹介される。
9月5日
大学病院では直腸がんの診断。
9月6日
日本冬虫夏草を飲み始める。日本冬虫夏草の浣腸を思いついて試してみる。膿みたいなものが出てくる。
9月8日
胃の弱いのが気になっていたが、負担が無いようだ。
9月9日
なんとなく調子がよい。足がポッカポッカと温かくなる。まるで湯たんぽをあててるようだ。夜はすぐに熟睡。朝までぐっすり。
9月11日
便器いっぱい真っ赤になってたのが、出血が減って真っ赤な血が便に薄くつく程度になった。
9月17日
便が黄金色になってきた。便には赤茶色の血のスジが入る程度。
9月27日
腸に負担をかけないよう、粘り気のないキヨニシキという 銘柄の無農薬無肥料米を主食にする。
10月1日
キヨニシキを食べてから5日目。便に血のスジもなくなった。
10月3日
入院。相変わらず出血はない。以後出血はなし。主治医は日本冬虫夏草もキヨニシキも自由にやってくださいと言う。


000044-b.jpg 10月15日に手術。人工肛門は避けることができました。以前、身内がこの同じ病院で大腸がんの手術をした際、摘出した部分を見せてもらったことがありました。患部は黒ずんだ紫色で、500g~800gはあったでしょうか。両手でないと収まりきれない量でした。今回はどういうわけか、摘出した部分は家族の誰にも見せてくれませんでした。何センチ切ったのかもわかりません。赤黒くただれていた部分がどう変化したか見たかったですね。

 

前立腺に異常発見!消失!

   手術から5日目。残尿検査を受けていると、CTに影が映ったことがありました。前立腺のところです。腫瘍マーカーは6.5の異常値。あせって日本冬虫夏草の量を増やして毎日700cc~1050cc飲みました。1週間して再びCTを撮ると、今度は影は消失していてマーカーも2.5の正常値。先生は『あれっー。不思議だねー』とずいぶん驚いていました。すぐに『眞壁さん、何飲んだの?』と聞いてくるから、私はドキッとしてとっさに、この泌尿器科の先生には『何も飲んでません』と答えてしまいました。そしてこの2枚の写真のコピーをいただきたいと申し出ると、『病院間でのやり取りで必要があれば出すけど、それ以外はお渡しできない決まりになっています』と断られました。写真を見れば変化が一目瞭然なので、皆さんにお見せできないのが残念です。

 

10月15日 
手術。人工肛門を免れる。
10月20日 
前立腺の腫瘍マーカー6.5の異常値で、CT検査で影が見つかる。日本 冬虫夏草の量を2〜3倍に増やす。
10月27日 
腫瘍マーカーは2.5の正常値に下がり、CTの画像から影が消失。3年 越しの低温やけどの患部がきれいに治る。

  それからもう一つ、不思議なことがありました。私は3年前にカイロで低温やけどを負っていました。足の患部はそれからずっと炎症が治まらないままだったのですが、退院する頃にはきれいに治っていたのです。

 他の治療は一切なく、手術から1年が過ぎ、長いこと悩みの種だった胃の調子も良く快便の毎日です。昨年、告知を受けた時、すぐに社長のイスを息子に譲りました。私は10年前にサラリーマンを辞めて現在の会社を興したんです。睡眠時間は毎日4~5時間。とにかく働きました。肉類が好物でよく食べていましたね。病気を治すためにそれを止めて、野菜をたっぷり摂るようにしました。お酒は4、5年前から飲んでませんし、タバコはもともと吸いません。

 仕事をやめてから体調のコントロールが利くようになりました。外に出たくない雨の日には終日家で休み、睡眠不足の日は日中自由に眠ることができるわけですから。仕事をしていたら休みたいときに休むことは不可能で、必ず無理をします。これでは自分自身を裏切ってることになりますよね。この病気は痛みがなく、働くこともできますから、あなどってしまうことが非常に怖いんです。

 

000044-c.jpg 近頃は、野菜を作ったり、魚を釣りに海に出たり、自分のペースでやっています。来年は米作りに挑戦しようかと思っています。最近、腸に良いレシピを発見しました。シシトウの佃煮です。とても良い便がでますよ」

朝日ウィル(北燈社)2002年11月19日号より


 「間もなく手術から2年になります。この度のCT、MRI、マーカー、肝機能検査ですべてが正常で、『検査の間隔を伸ばしましょう』と言われました」

2004年9月2日のお話より


 「2006年3月の検査でγ-GPT(肝の状態をみる数値:正常値0~50)が200以上あったのが、この度の検査では60まで下がっていました。その他はどこも正常で、主治医から『もう検査に来なくていいよ』と言われました。そう言われてもまた行くつもりです(笑)。

 γ-GTPの数値が気になってから、日本冬虫夏草の種類をCY42番に変えて飲みました。又、今年になってからお酢療法を始めて肩こりがなくなりました。

 1日1錠の血圧の薬(10年前から)と1日2回2錠ずつの尿酸を下げる薬(20年前から)は続けています。血圧はしばらく安定していて服用を忘れることもしばしばです。もし上昇したとしても肩のあたりが重苦しくなるのですぐ分かります。肩にサロンパスを貼ると血圧がスーッと下がるので不思議です。根を詰めることをするとどうしても血圧は上がるようです。

 自分の体とは長い付き合いなので、くせを心得ていてその都度コントロールしているつもりですが、とことんがんばってしまう性格はたまにコントロール不能となり、ここが反省するところなのでしょう」

2006年8月2日のお話より


000044-d.jpg 「ここ1年は疲れるということがありません。ゴルフに行ってもそうです。若いときの体に戻った気がします。今年は同級会がありました。自分で言うのも何ですが、級友たちは顔が皆しわくちゃで、私だけ顔がピチピチしてたので『どうなってるの?』と思いました。

 日本冬虫夏草は量を減らしながらも続けています。手術から5年が過ぎました」

2006年11月24日のお話より

 

膵管に異常発見!消失!

 「2007年4月に心臓の血管にステントを入れる手術をしました。血管が詰まって倒れたのです。心臓の薬が追加され、一日に服用する薬は7種類となりました。しばらくして、γ-GTP(肝機能数値:正常値0~50)が749まで上昇したので検査を続けていくうち、膵管狭窄と肺に影が見つかります。そしてどちらも治療なしで解決していくのですが、その経緯を報告させていただきたいと思います。

 

【経緯】
2007年4月
ステント手術。これまでの血圧と痛風の薬に心臓の薬が追加され、7種類に。
6月

γ-GTPが749まで上昇。

9月10日
 

膵臓の内部、膵管に異常発見!

 

MRIで膵管の狭窄が見つかり、医師から『ここに出るのはまずがんなんだ』と説明を受ける。
細胞を取って調べる予定。姉と弟を共に膵臓がんで亡くしている。二人とも54歳の若さだった。医師はこの点を重要視。日本冬虫夏草をこれまでと比べて多め に飲むことに。毎日350ccを1ヶ月は続ける。日本冬虫夏草のCY16番の割合も増やす。

 
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11月13日

消失!

ERP(ERCP)検査を行う。これはファイバースコープを膵管まで通して調べるもの。先端のブラシで狭窄の部分から細 胞を取ることになっていたが、膵管の狭窄がきれいに治っている。
CT写真でも異常なし。大学病院では、写真のコピーをもらうことができないので証拠になるものとして、診断書を書いてもらう。

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肺に異常発見!消失!

 

11月31日

肺に異常発見!

PET検査。右の肺に光るものが見つかった。
9月のレントゲン検査では何も写らなかったのに。
肺以外は全身異常なし。
家電屋で吸入器を購入し日本冬虫夏草の吸入も試すことに。

12月11日
旧型のCT機械で撮影。何も写らず。
12月20日
レントゲンに影が出る。
2008年1月30日
レントゲンでやはり影が写し出される。
『こういうのは間違いなくがんなんだ』と言われる。拡大してみると患部がはっきり浮き出る。それでも12月より薄くなっているようだ。3cmのモミジ形の影有り。(これは画面から外れてしまう)
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2月1日
γ-GTPは78まで低下。肝臓の薬ウルソ出される。
血液データ、その他全て異常なし。
3月12日
新型のCT機械が導入される。
やはりプチプチと影が写る。
3cmのモミジ形の影もプチプチと点となって散らばり、消えかかっているようだ。
3月26日

γ-GTPは33の正常値に。

9月16日

消失!

新型のCT機械で撮影。
プチプチが写っていない。
かすかに写っているようにも見えるが、『この程度のものならレントゲンでは全く写らない。異常なしとの診断になりますよ』と言われ。『次回またCT写してください』と申し出ると、『このように良い状態だし、CTといっても放射線を浴びることだからそれで刺激されるし、そっとしておきましょう。PETもレ ントゲンも皆放射線です。検査はこれで打ち切りです』と断られた。

 

 写真のコピーは入手不可能でしたが、意外にも『家族が心配しているので、携帯のカメラに写させてください。これを見せたら安心すると思います』と申し出ると、快くOKが出たので驚きました。割合きれいに写りましたのでメール送りました。これが証拠写真になります。それから日本冬虫夏草を飲んだことは、先生には伏せております。

 昨年来、体中をくまなく検査して全身異常なしのところまで漕ぎ着けました。安堵しているところです」

2008年9月22日のお話より

 

 「一昨年膵管狭窄が治り、昨年は肺の影が消失。それ以来変わらず元気にしています」

2009年3月4日のお話より

 

 「今年は知り合い2人が膵臓がんと乳がんになり、手術前から日本冬虫夏草を試しました。両者とも術後元気に仕事をしているというから驚いています。私は、変わらず元気にしています」

2009年12月12日のお電話より

 

知り合いが末期のすい臓がんに。末期の乳がんの女性も現れ。

 「変わらず元気に過ごしております。約一年前、知り合いが膵臓がんの末期と診断され、家族皆『もう助からない』とあきらめていたところ、『私のようなものがいるからあきらめるな』と励まし、手術前に日本冬虫夏草を飲むことになりました。
 すぐにおしっこがジャーと出てびっくりしたそうです。膵臓がんの検査では尿量が重要視されます。おまけに土色だったおしっこも無色透明になりました。

 そして、ずっと上がり続けていた腫瘍マーカーが1週間程で下がり始めたのです。吐き気も治まってごはんも食べられるようになりました。術前にはGM031_L.jpg痛みも無くなり、鎮痛剤とも縁が切れていました。それでも手術は当初のプラン通り行われました。膵臓と脾臓、十二指腸と胆のう・胆管まで全部取りました。

 それなのに現在はトラクターを運転し、農作業に励んでるというから驚きです。無理はして欲しくないですが、具合が悪かったら動けないだろうし、余程体調が良いのだと思います。病院の治療は現在何もしてないそうです。

 また、昨夏、乳がんの末期と診断された知り合いを訪ねたところ『もう助からないと』家族が泣いていました。同様に励まし、日本冬虫夏草を飲むことになりました。手術前のCT画像に変化が現れ、『何か飲んでるの?』と尋ねられました。そこで『何も飲んでません』と面倒を避けるために用意しておいた答でとぼけたそうです。術中の細胞検査で『がん細胞は陰性』と出て、術後の抗がん剤、放射線治療はスケジュールから外されました。今年2月の検査では『がんは体から無くなったよ。どこにも無いよ』と言われたそうです」

2010年4月2日のお話より

 

 「今年の夏は異常に暑かったですね。でも一切バテることなく畑仕事ができたのですから本当に不思議です。私の場合は日本冬虫夏草を飲むと体温が上がってくるようで、気温との差が縮まって暑さが気にならなくなるというか、肉体労働が全く苦にならなかったのです。そのとき蒔いた種がいよいよ育って、大根と白菜の収穫の時期となりました。味には自信があります。こんな幸せなことはないです」

2010年11月12日のお話より

 「被災された方々にいくらかでも野菜をお届けしようという思いがあって、趣味だった畑は、作物を増やし本格的になってきています。今年は、6月から暑くなりました。梅雨入りは平年より9日遅く、梅雨明けは平年より16日早くて、観測史上最も短い18日間。平年の4割の長さしか無かったようです。(梅雨期間:6/21~7/9)

8月になると30度を超える日照りが2週間ほど続きました。作物のためには、手間を惜しみません。根元に穴を開け、空気を入れてやります。その後、丹念にじょうろで水を流し込んでいきます。すぐに穴は塞がってしまうので、翌日にはまた一から始めなくてはなりません。その繰り返しです。移植ベラで根切りも行います。根を切ると根を張ろうとがんばってくれます。良い根が地面にはびこり作物が良く実るのです。

 昨年もそうでしたが、不思議なことにいくら畑で身体を動かしても疲れを全く感じないのです。畑でやることは毎日新しく出てきて、朝5時から夕方5時まで動きっぱなしの時もあります。海に出掛け、その足で畑の作業という日もあります。健康面での不安は全くありませんでした。 

 そんな中、8月12日の未明に異変が起きたのです。その日は、パジャマの上着を脱いで何も掛けず窓を開けっ放しでうっかり寝入ってしまいました。そして、40度の熱と体中の痛みで飛び起きたのです。左足も、ふくらはぎからつま先まで驚くほど腫れています。

すぐに病院に行って血液検査をすると、CRP値が19と異常値。白血球も1万を超えていました。感染症、リウマチ、通風、心臓疾患などを疑い、数日かけて消化器内科、整形外科、循環器科、皮膚科専門の個人病院と検査を受けて回りましたが、どこも悪いところが無く、原因がつかめないまま時間が経過していきました。薬剤の投与もありましたし、日本冬虫夏草もいつもより多めに飲みました。IMG_0920_SP0000.JPG

足の腫れはそのままでしたが、15日には平熱に戻り、CRP値も白血球数も下がっていきました。24日にはその数値も正常になりました。この頃には『もう病院に来なくていいから』と言われてしまいました。足の腫れもしだいに引いていきました。

 いったい何だったのでしょうね。炎天下で畑をやり過ぎたのですかね。本当は疲れてるのに疲れてる感覚が分からなくなっていたのですかね。結局この件で、CTもMRIも心電図も血液検査もさんざんやったお陰でどこも異常がないというお墨付きをいただきました。もちろんがんの心配も無いということです。自己コントロールが効かず、ついついがんばってしまう性分こそ病気ですかね。これは一生治らないかもしれません」

2011年9月1日のお話より


img020.jpg 「すこぶる元気にしております。検査データーを見て主治医が驚くほどです。『何やってんの?』と聞かれます。この頃は、腕や足に筋肉が付いたのを実感しています。畑作業で出来た筋肉です。ジムで鍛えるのと違い、畑だと野菜というご褒美が出ます。

皆、健康になりたかったら畑をやりなさい。きれいな空気と、筋トレ、ビタミン・ミネラルたっぷりの新鮮野菜。健康になるための要素が揃っています」

2012年6月20日のお話より
 

 「1000~2000坪の畑を一人でやっています。その作業に慣れるまでは大変でした。この頃は45~46才ぐらいの体に戻った気がしています。体重も4kg減って68kgです。健康を実感しております。」

2014年7月3日のお話より

 

 「2011年の夏のようにCRP値が上昇して、3月初めに発熱と下痢で緊急入院しました。コウモリの糞を掃除したのが原因かと考えています。病院の診たては原因不明。今は、元気になり、農耕に精を出しております」

2016年3月29日のお話より

小村幸子さん(宮崎県在住 1995年当時51歳)の場合

000046-a.jpg 「1995年の3月末のことでした。濃いワイン色の血尿が出たんです。ずいぶん前に尿管結石をやりまして、淡いピンク色の血尿が出たことがあったんですが、明らかにそれとは違ってて、何やら悪い予感がしたんです。それでも仕事は休めなくて。病院に行ったのは3日後のことでした。

 CT検査をすると片腎の中央にハッキリと影が映し出されていました。先生がガンという言葉を口にするより早く『先生、これは何センチぐらいのガンですか?』と私の方からお尋ねしたんです。すると『4、5ミリありますね。片腎を摘出する手術をした方がいいでしょう』と答えが返ってきました。私は、この事実をどちらかというと冷静に受け止めていました。というのも20年前に姉が乳ガンになり、それを克服。元気に暮らしている姿を見ていたからです。

 姉が乳ガンだと知った当初はかなりうろたえました。入院した姉を看病しながら、居ても立ってもいられず、自分がしてあげられることはないものかと必死に探しておりました。そして病室で読んだ『主婦の友』に矢萩先生を紹介した記事があって目に止まったのです。

000046-b.jpg すぐに当時住んでいた神戸から矢萩先生のところに向かいました。1975年12月17日のことでした。駅に着いたとき、雪が舞っていました。翌朝には妹さんの結婚式を控えているというのに、夜中まで私の話に付き合ってくださって。結婚式のことは一切おっしゃらなかったんですよね。それを知ったのは後になってからで、申し訳ないことをしたと思いました。先生のお母様からおみそ汁をごちそうになりましてね、具だくさんだったので驚きました。野菜をたくさん摂るための工夫だそうです。それ以来、我が家のおみそ汁も具だくさんになりました。

 姉にはサルノコシカケを術後すぐに飲ませました。治療はその後放射線を少しあてましたが、抗ガン剤等の薬剤は一切与えられませんでした。その後もサルノコシカケに日本冬虫夏草を加えながらずっと飲み続けてきました。

 さて、私の話に戻りますが、腫瘍発見の日から退院までを日を追って説明することにいたします。

 

【経   緯】
1995年3月27日 CT検査で初めて腫瘍が発見され、手術をすすめられる。
3月29日
<発見から3日目>
日本冬虫夏草を飲み始める。
<発見から5日目> 血尿が止まる。
<発見から8日目> 手術のため設備の整った別の病院に入院。日本冬虫夏草をこっそり持ち込む。
4月6日
<発見から11日目>
MRIで腫瘍を再確認。3人の医師から悪性だからと改めて手術をすすめられる。腎は片方あれば大丈夫と言われたが、両方あるにこしたことがない。 できれば切りたくないと思う。
<発見から12日目> 先生に頼んで何とか外泊許可をもらい帰宅。
<発見から13日目> 里心がついて病院には戻りたくなくなる。理由をつけて戻れないという電話を入れる。 日本冬虫夏草は1日に700cc〜1050cc。夜中にも飲む。夜中に飲んだ時は腎に染み込む感覚。日本冬虫夏草を胸腺に塗ったり、コンニャクハップで腎 を温めたり、病室でできないことも自宅では大胆にやれる。
4月12日
<発見から17日目>
このまま戻らないわけにもいかず、気を取り直して病院に戻る。CTとMRIで再度検査。するとあったはずの腫瘍がきれいに消失している。 日本冬虫夏草を飲み始めてから15日目。

 

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000046-d.jpg 先生が病室に検査のフィルムを持ってきましてね、『小村さん、不思議なんですよね。影がなくなっているんですよね』と首をひねっていらっしゃるんです。病院での治療はこれまで一切なかったわけですしね。血管造影検査をさせて欲しいとも頼まれましたが、痛いのや苦しいのは何よりイヤでしたから、消えてるんだし、そのまま退院させてもらいました。

 発病の原因を振り返るとオーバーワークにあると思いました。毎日10時間は立ちっぱなしで働いていましたし、責任あるポジションにいて職場のストレスもありました。食事もきちんと取れてなかったし、接客業ですから思うようにトイレに行けず我慢して、腎臓に負担をかけていました。体は声は出せないけれど、赤い血を出してやりすぎだよと教えてくれてたんですね。

 

 

 現在は退職してのんびりと暮らしております。姉と一緒に日本冬虫夏草は今も続けていて、最近は運動不足が気になって、ウォーキングを始めています。宮崎は今、桜が咲いて春本番といったところです」

朝日ウィル(北燈社)2002年3月19日号より

 

 

 

 「宮崎は厳しい残暑が続いていますが、元気でおります。再発なく今年で8年目を迎えました。 この度、結腸ガンの知人が人工肛門を免れました。手術で開いてみると患部が小さくなっていたそうです。手術前に日本冬虫夏草を飲んでいます」

2003年9月3日のお話より

 

 「今年は腎臓移植のスキャンダルが世の中を騒がせましたが、『腎臓は片方あれば大丈夫』と簡単に摘出を勧められた当時のことを思い出しました。間一髪で2つ残せて幸運でした。あれから今日まで私は11年、姉は30年、再発と無縁で暮らしています。日本冬虫夏草は現在も続けています」

2006年12月21日のお話より

 

000046-e.jpg 「私が庭で育てた日向夏を送りました。農薬を使っていないので皮もマーマレードにして食べられますよ」

2008年5月26日のお話より

 

 「宮崎も、今年の春は寒くてえんどう豆が不作です。大好物なので食べられないのがとても残念です。庭の日向夏の方は無事に実りました。お送りしますね。腎臓ガンが消失してから再発なく15年が経過しました。姉は乳ガンの手術から再発無く34年です。日本冬虫夏草とは長い長い付き合いになりました。今も傍らにおいて二人で飲んでいます」

                        2010年4月29日のお話より

 「早朝、新燃岳の大きな爆発がありました。空震も続いていて、火山灰がひどく、眼が痛いのには困りました。もちろん、空を仰ぐことも洗濯物も干せません。ここは避難勧告が出てないのでまだましですが、非難されて不自由な思いをされてる方々を思うと心が痛みます。1月は宮崎もずいぶん寒かったです。氷も張るし、霜柱も立ちました。例年だと、2日寒いと3日目がほわんと暖かいのに、今年はそれがありません。噴火が、窓やドアを開け放して暮らすようになる春までにおさまってくれるといいのですが...。ガンが消失してからこの4月で16年になります」

                                     2011年2月1日のお話より

 「暖かい日差しに恵まれ、姉と二人で窓を開けてドライブしました。今年初めてウグイスの美声を聞くことが出来ました。春を知らせるさえずりです。ガンが消失してからこの4月で18年になります」                     

2013年2月25日のお話より

 「宮崎の暑さは格別です。時々雨は降りますが、けっして涼しくはなりません。湿度が上がってサウナのようになるだけです。暑さとたたかってるような毎日です。農学者の小泉武夫先生は、『甘酒は飲む点滴です』と言っておられます。この夏、私は一旦沸かした甘酒を冷やして飲むのを習慣にしております。なんとか元気で乗り越えられそうな気がします。日本冬虫夏草も一緒に飲んでいます」

                       2013年8月23日のお話より

  「この頃は姉の介護しながら過ごしております。姉妹共々がんの再発とは無縁でここまでやってきました。海藻が大好きで三陸のワカメを毎日いただきながら過ごしております」

                       2017年5月21日のお話より

 

田辺裕一さん(仮名)の場合

 「私は長い間、『病気とは無縁な人間だ』と思っていました。会社の健康診断ではいつも満点、言うことなし。たった一度だけ、単身赴任中に高脂血症(2007年に脂質異常症と改名された)の一歩手前と注意された時も、脂っこいものや魚卵類・鶏卵を控え、ウォーキングを続けることですぐに数値が正常値に戻りました。『タバコが止められなくたってそれくらいではびくともしない、他の人とは体のデキが違うんだ』という確固たる自信をもっていたのです。

000048-a.jpg 

 その自信が揺らぎ始めたのは60歳の時、2000年の暮れ、友人の送別会に出席した時のことでした。私はビールを飲みながら、話に夢中になり、長いことトイレを我慢していました。ようやく席を立ってトイレに行くと、おしっこが赤く染まっているのです。どういう色かといえば、郵便ポストの色。『ずいぶん酔っ払ったもんだな。こんなに眼がおかしくなっちゃって』と思い、天井のライトを見上げればそれはいつもと変わらぬ色。そこでようやく異変に気付きました。

しかし、血尿は翌日には治まっていて、その後かすかな出血が2日続いてそれっきり。病院で検査してもなかなか原因がつかめません。右の腎臓に豆粒ぐらいの腫瘍があると分かったのは年が明けた2001年1月19日のこと。右の腎臓から尿管にかけて全摘手術をすすめられました。それを知った兄は慌てて酵素という飲みものを抱えてやって来ました。精神的にずいぶん弱っていましたから兄の提案に勇気をもらい、酵素を飲み始めました。

 

 手術は2001年2月26日に行いました。細胞を調べると悪性度がレベル2で、最終的な病名は右腎孟がんとなりました。その後は3か月かけて3クールの抗がん剤治療を受けました。薬の副作用で髪の毛は若干抜けたものの食欲もそこそこで、術後の回復は早く、周囲を驚かせました。酵素飲料は6月まで続けていましたが、とても甘いものでしたし、検査で血糖値が高く出たため続けることが出来なくなりました。それと入れ替わるように同じ病室のお隣さんの話から、アガリクスの粉末を飲むことにしました。

入院中、主治医に『やっぱりタバコは止めた方がいいですよね』と尋ねたことがあります。すると『私も吸ってるから何とも言えないよ』という返事。そのまま毎日喫煙室に通い続けました。ちょっと前まで世の中はタバコには寛容で、病院の食堂でも患者さんが堂々と吸っていました。タバコを取り巻く環境がガラリと変わったのはここ2、3年のことと思います。2002年ぐらいからですかね。

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主治医は退院する際も、『お酒やビールは少しなら大丈夫。何を食べても構わないよ』と言ってくれました。それとは対照的に後に訪れた漢方薬局では、タバコはもちろんアルコール類はダメ、動物性の脂肪や肉類は止めて、穀類を中心とした食事にするなど厳しいアドバイスで、私はこの際できる限り摂生してみようという気持ちになり、主食は白米から、玄米を1/2と1分づきを1/2混ぜたものに替え、タバコは2001年8月13日にスッパリと止めました。

 

病院では、いずれ膀胱に転移することを想定してるようでした。そして手術から11か月後、膀胱に4個のポリープが現れました。電気メスで患部を切除し、抗がん剤を4クール膀胱内に注入する治療を行いました。続けていたアガリクスの粉末はこの頃に止め、煎じて飲む乾燥アガリクスと、13種類の生薬を組み合わせた漢方薬に替えています。その漢方薬は有名な政治家も飲んでいるとのことでした。松葉、クマ笹、朝鮮人参も飲み始めています。

 そしてそのポリープからわずか5か月後、今度は膀胱内にカリフラワー状の悪性腫瘍が見つかったのです。膀胱がんです。これは再発の間隔がだんだん縮まっていくという話を聞きました。なんとかこの間隔を伸ばせないものか。できれば再発の心配なく暮らしたい。そんな頃出会ったのが日本冬虫夏草でした。

朝日ウィル(北燈社)2005年11月8日号より

 

【経   緯】
1997年
人間ドックでC型肝炎ウィルスのキャリアーだと知るが、たいしたことではないと思ったし、自覚症状もなく、以降手術をするまで全く忘れて暮らすこ とに。
2000年
12月20日
友人の送別会に出席、血尿が出る。
12月21日
血尿止まる。
12月22日
かすかに血尿。
12月23日
かすかに血尿。それ以降血尿なし。
2001年
1月19日
右の腎臓に豆粒大の腫瘍見つかる。
1月28日
酵素飲み始める。
1月30日
入院。
2月26日
右の腎臓から尿管まで全摘手術。術後、抗がん剤治療4クール。
3月15日
細胞検査の結果出る。腫瘍はレベル2の悪性で、病名は右腎孟がんとなる。
6月21日
血糖値上昇。酵素止める。アガリクス粉末を飲み始める。
6月30日
退院。
8月13日
タバコを止める。主食を玄米1/2、1分づき1/2の混合米にする。
2002年
1月
膀胱にポリープ4個現れる。
2月4日
電気メスで手術。
2月23日
漢方薬(13種の生薬)を飲み始める。
3月16日
アガリクス粉末止める。
3月17日
乾燥アガリクスを煎じて飲むものに替える。
3月22日
松葉、クマ笹、朝鮮人参を飲み始める。
6月20日
膀胱がんが見つかる。
6月24日
日本冬虫夏草を飲み始める。

 

 「膀胱がんの手術は2002年7月1日のこと。カリフラワー状の腫瘍をひとつ電気メスで切除しました。その後BCGを膀胱内に注入する治療を受けています。これは計6回の注入で、1回終わるごとに7日間の休みを入れてひと月半かけて行うのです。事前に、主治医からは『この治療のリスクは、耐性を持ったがん細胞がしばらくして出てくるという可能性があることです。このたちの悪いがんが現れたら大変です』という話がありました。ただ、排尿痛や白血球上昇といった治療中の副作用は全く現れませんでした。日本冬虫夏草は手術の前から飲み続けていました。煎じて飲む乾燥アガリクスと漢方薬、松葉、クマ笹、朝鮮人参はそのまま継続していました。

000048-c.jpg 手術と治療を終えて退院してから、リフレッシュするつもりで玉川温泉に出かけました。そして3日間のんびりと過ごしました。森林浴もできました。再発のことなど考えないで暮らせたらどんなにいいだろうと思いましたが、主治医は私以上に再発が念頭にあるようでした。検査も頻繁にありますから病気のことを忘れる時間がありません。
  

 その後は2年余り再発なく過ごしました。途中、ゴマ粒ぐらいのイボが出たり、ポリープが現れたりはしたもののいずれもがん細胞が出てくることはなく、そろそろがんとは縁が切れたかなと思い始めた矢先のこと。2004年8月12日、短い縫糸のようなものが現れ、とうとうがん細胞が見つかったのです。9月には、波状放射状に急速に広がっていく、悪性度が最高レベルであるグレード3の膀胱上皮がんと診断されました。前回の腫瘍はつまめば取れるものでしたから、横にどんどん這っていく今回のものとは人相がまるで違います。

 

病院の治療を一切やらずに膀胱がんが自然消失

 治療法をどうするか、じっくりと話し合うことになりました。私は、2002年にポリープ切除後、抗がん剤を注入し、5か月後に膀胱がんになっているので、その頃から『抗がん剤の治療はもうやりたくない』と断っていました。BCG注入後も、結果的このようになっているので、それも選択しにくい。そうなると膀胱そのものを摘出する手術しか残っていません。乾燥アガリクスや漢方薬も止めていましたし、もう何もかも頭にきて日本冬虫夏草も止めようと思いました。
 それでもキッパリ止めてしまう前に、種類の全く違う日本冬虫夏草のCY16番を、これまで飲んでいた知名度の高いCY11番に加えて飲んでみようという気持ちになったのです。日本冬虫夏草は国内に350種以上生息するといわれています。松葉、クマ笹、朝鮮人参も続けることにしました。手術まで2か月あります。その間、病院の治療は一切ありません。

 2004年12月13日、膀胱の摘出手術を行いました。摘出部はすぐに細胞検査にまわされました。そしてその結果は驚くべきものでした。どこを探してもがん細胞が見つからないというのです。探しても探してもどこにも無いということです。それから検査は続けてますが、がん細胞がどこかに現れるということもありません。
 そもそも発がんの原因は何だったのでしょう。思い当たるのは長年の喫煙です。1日25本、40年間休まず吸い続けてきたのです。タバコを止めたからといって、すぐに発がんのリスクが消えるものでないのも分かっています。ただ仕事の面では週に2日ほど職場に出かける程度ですから、ここ5年間は無理をせず、のんびり暮らせたのはとても良かったと思います。食事は、自家栽培の野菜をたくさん食べるようになりました。農薬をほとんど使用せず、有機肥料を使って20種類ぐらいの野菜を楽しみながら作っています。

 笑うと免疫力が上がると聞いて、コメディ映画やお笑い番組を見たことがありますが、どうしても笑えない。時代劇や西部劇のような痛快活劇の方が気持ちがスカッとして私には合うのも分かりました。心にためたりしないで言いたいこと、質問したいことを病院側にズバズバ言いました。注射が得意でない医師がいれば、『ヘタクソ、自分達で練習してから出直してこい』なんて言ったこともあります。我慢して陰で文句を言っている患者さんがよくいますが、これはお互いの為にならないと思うのです。そんな私にも病院のスタッフの皆さんはいつも親切で、丁寧でした。面倒な質問にもとことん答えてくれました。注射のヘタだった先生も、仲間内で練習していました。その先生が数年後には偉くなって戻ってきたのは、ちょっと予想外のことでした。

000048-d.jpg 2005年のお正月は、大きな手術の後だけあって、養生の為、子供や孫達に遠慮してもらって妻と二人だけで過ごしました。手術では、膀胱を取り出して小腸の一部を膀胱の替わりにしました。それは月日とともに体になじんできてますが、排尿の回数はまだ多くて不便もあります。本来の膀胱がある時と完全に同じ様には戻らないのもいたしかたないことです。がんが消失してから何事も無く、1年が経ちました。来年のお正月は子供や孫たちがやってきて、いつものように賑やかな正月となりそうです。
 引き続き、体に溜めてた毒を出し、新たに体に入れないよう食事でもって浄化に務めています。松葉、クマ笹、朝鮮人参と日本冬虫夏草は現在も続けています」

朝日ウィル(北燈社)2005年12月13日号より

 

【経   緯】
2002年
6月24日
日本冬虫夏草を飲み始める。
7月1日
膀胱がんの手術。その後BCGの治療。
7月17日
乾燥アガリクス止める。
10月15日
テレビモニターで膀胱内壁を見る。手術跡も消え、なめらかできれい。日本冬虫夏草は飲む量を減らす。
2003年
3月20日
膀胱の入り口が赤く腫れる。細胞検査をするが問題なし。
6月29日
手術から1年。日本冬虫夏草の量をさらに減らす。
8月15日
同じ漢方薬を飲んでた政治家が肺がんで世を去ったことを知る。その後、漢方薬を止める。
9月4日
ゴマ粒ぐらいのイボが現れる。細胞検査するが問題なし。
12月19日
日本冬虫夏草の量を増やす。
2004年
1月15日
3つのポリープ現れ、手術前
1月26日
血液検査、HCV(C型肝炎ウィルス)抗体陽性。3つのポリープ切除。
8月12日
短い縫糸のようなもの現れる。がん細胞見つかり、膀胱がんの手術から2年余りで再発。血液検査、 HCV(C型肝炎ウィルス)抗体陽性。
9月10日
通院で縫糸のようなもの切除。
9月13日
波状放射状に広がる進行の速い、悪性度が最高レベルのグレード3のがんとわかり、膀胱上皮がんとの診断が下る。
10月14日
これまで飲んでたのは日本冬虫夏草の中のCY11番という種。種類の違う日本冬虫夏草のCY16番を加えて飲み始める。
12月3日
血液検査、HCV(C型肝炎ウィルス)抗体陽性。
12月13日
膀胱摘出手術。がん細胞はどこにも見当たらず、消失。

 

 「なかなか簡単にはいきませんが、病気を治す環境を作るとしたら、心を解放することと、夢を持つことのように思います。

000048-e.jpg 私にとって心休まる場所がどこかといえば、森の中といえるかもしれません。森林組合が行ってる事業に山林オーナー制というものがあります。住まいの近くに1haの山林を区分し、一般の人に貸し出してる場所があり、私は年2万円の契約料で300坪の山林オーナーとなりました。

 木を伐採してもいいし、小屋を建てるのも自由です。そこでナラの木を切ってキノコ栽培を始めることにしました。10年かけてキノコの森に育てていくつもりです。
 森の中は、心が穏やかになり、免疫力が高まるように思います。そして自然の中で育った採れたてのキノコを食べ、さらに元気をもらうつもりでいます。私の夢も広がります」

000048-f.jpg 森の中を散策することは、病気を防ぎ、健康を保つ効果があるとして、自然療法の1つとして確立され、健康保険の中に組み込んでる国があります。森林療法セラピーの先進国はドイツです。日本でも森林の効力を軽視できなくなり、林野庁等によって全国31カ所の候補地の中から『森林セラピー基地』の選定が始まりました。
「2006年2月16日に、血液、尿、レントゲン、CT検査を行いました。レントゲン検査は、結核の検査で使用している簡単なものではなく、全身を写せる大がかりなものです。

 

(1)あおむけにレントゲン撮影
 ↓
(2)造影剤投与
 ↓
(3)CT撮影
 ↓
(4)再びレントゲン撮影の行程 で行いました。

 


 

 1か月後、その結果を聞きに行きました。どこにも異常は認められず、何も心配ないとのことでした。この冬も一度も風邪をひくことなく、元気で過ごせました」

2006年3月20日のお話より

 

 「2004年12月の手術から再発、転移もなく、2年半が経とうとしています。5年を目標にしていますので、折り返し地点にちょうど立ったところです。その最後の手術からは、日本冬虫夏草は量を減らさず毎日続けてきました。キノコの森作りは着実に進行していまして、ナメコ、シイタケ、マイタケの植菌を済ませ、この秋初めての収穫となります」

2007年5月12日のお話より

 

C型肝炎ウイルスが自然消滅

 「1997年に人間ドックに入って血液検査をした時、C型肝炎ウイルスに感染していることを知りました。いつ感染したのかは不明です。たいしたことではないと思ったし、それまでも、それ以降も自覚症状は全くなかったものですから、すっかり忘れて暮らしてきました。

 でも2002年の膀胱がんの手術日には、手術の順番が最後に回され、C型肝炎ウイルスのキャリアーだったことを思い知らされました。私を最後に手術するのは他の人に感染させないようにという病院側の配慮だったわけです。

 ところが2006年の夏の人間ドックで、ウイルスが陰性と出て、2007年の夏にも同様の検査で陰性と出たのです。内科の医師は『こんなことはめったにないことだなぁ』と信じられない様子でした。ワンランク上の定性分析検査を行いました。現在のところこれ以上精度の高い方法はないそうです。その結果が出てきまして、やはりすべて陰性ということでした。そのデータをお送りします。膀胱がんの手術でがん細胞が消失しているのを確認してからまもなく3年が経とうとしています。食事療法をしながら、松葉、クマ笹、朝鮮人参と日本冬虫夏草は今も続けています」

2007年10月15日のお話より

 

田辺裕一さんのHCV抗体検査の推移

検体(血液)採取日
HCV(C型肝炎ウイルス)抗体
 
1997年日付不明
陽性
人間ドック
2004年1月15日
陽性
手術前検査
8月12日
陽性
手術前検査
12月3日
陽性
手術前検査
2006年8月10日
陰性
人間ドック
2007年8月6日
陰性
人間ドック
9月18日
陰性
最終確認

 

 

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 「再発なく無事に4年が経とうとしています。手作りのキノコの森でなめこを収穫しました。稔りの秋を楽しんでいます」

2008年11月4日のお話より

 

 「2月3日のCT検査でも異常なし、2月10日の血液検査と膀胱鏡検査でも異常なしでがん細胞の消失から何事もなく無事に4年2か月が経ちました。日本冬虫夏草も変わらず続けています」

2009年2月12日のお話より

 

 「がんを経験し、自分の健康を考えた時、自分の口に入る野菜は自分で作ろうと思いました。虫が付いてもいいから無農薬で。野菜作りをするようになって毎日張り合いと楽しみが生まれました。この気持ちが免疫力を高めるのに一役かってくれてるようです。
退職して『今日は何をしていいかわからない』という人がいます。それはもったいないことだと思います。野菜作りは今日はこの作業、明日はこの作業、と次々とやることが出てきます。
でも年齢とともに手入れする面積を縮小することが必要と思っています。同じようにやり続ければ必ず無理をします。それでは健康のために始めたのにもとも子もありません。
 12月13日で膀胱がんの消失から5年、C型肝炎ウイルスの自然消滅から2年、何事もなく過ぎました。腎盂がんや膀胱がんは克服したといって良いでしょう。病院からは、検査の間隔を2倍に延ばされました。今後は日本冬虫夏草の量を1/2に減らして続けていくつもりです。ますます元気に過ごしております」

2009年12月29日 のお話より

 「私ががんになった時、友人達は病気に無縁で元気そのもの。うらやましいと思ったものでした。それからというもの私は健康のために努力を続けてきました。今は、痛いところも悪いところも何もありません。幸せな毎日です。一方、元気だった友人達は皆、体のあちこちが悪いとボヤいています。彼らは体に自信があって努力するきっかけが無かったのでしょう。努力の差は長い年月をかけるとはっきり出てくるものなんですね。毎日の努力の積み重ねとはこわいものです。

 膀胱がんの焼失から5年半、C型肝炎ウィルスの自然消滅から2年半、再発なく元気に経過しました。日本冬虫夏草は今も続けています」                                      

2010年6月22日のお話より

 「この度の検査でどこにも異常が無く、この12月で膀胱がんの消失から7年が経とうとしています。C型肝炎ウィルスの自然消滅からは4年が経ちました。この頃は年に4回の検査を続けていましたが、『これからは、年に1回(CT、膀胱鏡、血液検査、尿検査)にしましょう』と言われました。来年の9月13日に予約を入れてきました。

 無農薬、有機肥料の野菜作りを続けています。食べてくれる友人達は『甘くて、特別旨いよ!』と絶賛してくれます。孫達も野菜嫌いの者はおらず、バクバク食べてくれます。私の食生活は完全和食です。お肉は滅多に口にしません。それでも鶏肉だけはたまに食べます。薬を使わない採れたての新鮮野菜と完全和食が、私に正常な細胞1コ1コを作ってくれてると思っています。日本冬虫夏草も続けています」

2011年10月1日のお話より

 

胃がんの再発がストップ

 「2年続けて胃壁にがん細胞が見つかり、2012年8月と2013年10月に削り取る手術をしました。2012年の2月にはすでにピロリ菌の除菌は済ませていました。

 冬虫夏草属の胃がん細胞に対するスクリーニングの結果が出てきたのは2013年に入ってからです。日本冬虫夏草CY157番が胃がん細胞に選択的に働いたというものでした。これまで飲んでいた日本冬虫夏草の一部をCY157番に切り替えることにしました。2014年の秋と2015年の秋の検査では異常無しで、再発無く3年目を迎えています。

 耳鼻咽喉科の先生に聞いたところ、タバコをやめてもその影響は長く残るということらしく、肺の場合は一生だそうです。他の臓器は、禁煙してから15年経てば、吸ってない人と同じになるそうです。私が止めたのは、2001年8月13日のことでした。

 さて、今年も野菜作りを元気に続けていますが、畑をやっていると思わぬ窮地に陥ることがあります。自分にとってどの辺が限度なのか分からなくなってくるのです。作物の種類がどんどん増え、耕作地も広げ、収穫した野菜を親しい人に配れば、大層喜ばれるものですからますます没頭していきます。特に夏場、天候が悪くても作業をし、体力を擦り減らすようになります。

 限界はどこで見極めればいいのでしょうか?朝の目覚めが悪い場合や体重が増えてないのに体が重く感じて機敏な動作に苦痛が伴うようになったら、そこで悟らなくてはなりません。

 後期高齢者といわれる75歳が節目かなと思います。農作業の一つ一つがスローペースになっていくのを実感し、一畝を作るにしても3度の休憩が必要となりました。持久力がなくなるのですね。

 そしたら思い切って縮小するのです。私はいよいよとなったと感じ、『体力が持たなくなりまして、来年は期待しないでください』と最後の野菜を届けて回りました。

 今は、夫婦二人が食べる分だけ育てております。畑は小高い山間地にあり、これといった作業の無い日にも出掛けていきます。そこには一本の大木があり、その木陰に腰を下ろして風にあたります。真夏でも涼しく、とても心地よい風なのです。エアコンの風とは全く違います。澄んだ空気が体に入ってきます。こんな時、この素晴らしい自然環境に自分は守られているのを感じずにはいられません。

 畑の恩恵は様々ありますが、血液検査は満点で、薬を飲むことは一切無くなりました。

 日本人の高齢者が寝たきりになる原因は認知症、脳卒中、転倒・骨折の3つが大きな比率を占めるそうで、起きてから寝るまで一日の合計歩数が8000歩、その中に早歩き20分が組み込まれていれば多くの病気を予防出来、寝たきりも防げるとされています。私の一日の歩数は約7000歩になります。畑までの傾斜地を登り下りするので8000歩の効果は出ていると思っています」

2016年9月21日のお話より


 

文江さん(当時56歳)の場合

000061-c.jpg 「1996年3月末のことでした。微熱が続き、体がだるくてだるくてどうしようもないのです。食欲もありません。胃の辺りがドスンと重く、時々ズキーンと痛みが走りました。無理して食べると込み上げてくる感じです。つわりのような不快感といったらよいのでしょうか。近所のクリニックで処方された胃腸薬では良くなりません。

 4月に入って、赤十字病院で血液検査をすると肝機能が低下していると言われました。そこで消化器内科に移され、超音波検査とCT検査、念を入れてMRI検査も受けたのです。結果が出るのは1週間後ということでした。

 振り返るとこれまでの半年間は、大きなストレスを抱えて暮らしていました。11月には自律神経失調症からくる頭痛に悩まされ、声もかすれるようになり、2週間前からはかぜがなかなか治らず通院を繰り返していました。抗生物質も服用しました。かぜがようやく抜けてくれたかなと思った矢先、入れ替わるようにこの胃の辺りのたまらない症状です。

 改善される兆しもないまま約束の4月11日を迎え、結果を聞きに出掛けました。診察室にはすでにMRIの写真が用意されていて、そこには膵臓にくっきりと影が写し出されていました。先生はそれを見ながら図解で説明してくれて、そのときいただいた用紙がこちらになります。

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 先生は真剣なまなざしで、『これはすぐに入院してもらって、膵臓の細胞を取って調べなくてはなりません』とおっしゃるんです。私は入院と聞いてとっさに年老いた姑のことが頭に浮かび、『ちょっと考えさせてください』とだけ言って病院を後にしました。『長期間家を離れるわけにはいかないな』という気持ちでした。

 娘に相談すると『お母さん、膵臓ガンかもしれないよ』と言うんです。そして、『友達のお父さんの胃ガンが良くなって、すごく元気でいるんだけど、日本冬虫夏草というのを飲んだって聞いたよ』とも。それより以前、私は美容院に行ったとき、手にした週刊誌の中に日本冬虫夏草の記事を見つけ興味を持ったことを思い出しました。娘の言っているのは『それのことか!』とさらに興味が湧きました。

 日本冬虫夏草を飲み始めたのは4月27日からです。それを口にしたとき膵臓がピリピリするように感じ、何となく変化の予感がしました。それと同時に食生活にも気をつけるようにしました。乳製品や油っこいものは食べないことにしました。毎朝バタートーストを欠かしませんでしたが、バターを塗るのは止めました。代わりに野菜をたっぷり取るように心掛けました。具だくさんの野菜のおみそ汁を作り、毎朝いただくようにしたのです。昼も夜も野菜料理が中心です。甘いものはもともと食べないし、間食もしません。日本冬虫夏草は日中はもちろんのこと、夜中にも飲みました。ガンなら困るという気持ちで必死でした。
 3、4日続けますと、あのドスンとした重さやズキーンとした痛みがなくなっていきました。1週間すると食事も普通に食べられるようになっていったのです。
 不思議に思ったのは、次第に感覚が研ぎ澄まされていくということでした。体に悪いものが敏感にわかるのです。法事に出席したときのこと、仕出し料理をいただいているとき、口元に近づけただけで気分が悪くなるものがありました。あとで分かったのですが、ラード油で揚げた料理ということでした。それまでは感覚が麻痺しているからどんなものでも口に入れることができたんですね。
 日本冬虫夏草を飲み始めてから2週間が過ぎた頃、体調も良く、安定しているのでそろそろ病院に行ってみようかなと思い立ち、前出の先生に『MRIを写してください』と申し出ました。
 すると、できあがった写真を見ながら先生は『あれっ、おかしいなー』と首をひねったのです。例の影がきれいに消失していたからです。その画像診断の報告書がこちらになります。

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 あれから膵臓に再び異常が現れることもなく、12年の歳月が流れようとしています。日本冬虫夏草は6年は続けたと思います。現在も主人と二人、和食中心で野菜をよく食べています。魚は食べますが、肉はあまり食べません。何より手作りを心掛けています。日々、感謝の気持ちを忘れずに、この頃はゴルフを楽しみながら元気に暮らしています」

2008年3月10日のお話より

 

【経緯】

1996年3月半ば
かぜをひく。抗生物質を服用、なかなか治らず。
3月末
かぜがようやく治る。
入れ替わるように胃の辺りがドスンと重く、
時々ズキーンという痛みも走る。微熱も出る。
4月初め
血液検査で肝機能低下。
超音波、CT、MRI検査をする。
4月11日
検査の結果を聞く。
膵臓に影。
4月27日
日本冬虫夏草を飲み始める。
食事療法も始める。
4月29〜30日
胃にドスンとした重さやズキーンとした痛みがなくなる。
5月3日
本来の食欲が戻り、普通に食べられるようになる。
5月13日
MRI検査。
あったはずの影が消失。
日本冬虫夏草を飲み始めてから17日目。

大友純一さん(仮名)の場合

000049-a.jpg 「悪性リンパ腫になったことは、衝撃ではありましたけれど、自分自身を見つめ直す良いきっかけになりました。健康で生き抜き、天寿をまっとうするにはどうしたらよいのか。多くの方達が求め続けているテーマですが、私の経験が少しでもお役に立つのであれば、30年前に遡り、お話しさせていただきたいと思います。

 それまで病気らしい病気をしたことのない私に片頭痛というやっかい者がふいにやってきたのは1975年、20歳のときでした。それは左頭部からやってきて右に移り、目の奥へと進んでいきました。そしてついには首の後ろから目頭に向けてヤリを突き刺されるような激痛に変化したのです。食べた物はすべて吐き出し、それでも吐き気は治まらず、胃液だけが何度も出てくる状態で、2日間起き上がることができませんでした。

 それからというもの、片頭痛は週に1度のペースでやって来るようになりました。その頃から私は機械のメンテナンスの仕事をしていましたが、5日間働いては2日間寝て過ごすというような繰り返し。無事である5日間は仕事を挽回しなくてはという焦りもあって、休憩も取らず必死で働きます。そのストレスや疲労がまた片頭痛を呼び込むのでしょうか。今思えば悪循環を自ら作っていたように思います。

 頭部の精密検査も受けましたが、『普通の人の脳よりずっときれいだから心配ないよ』と言われるだけ。病院からは鎮痛剤が出されました。3年間痛みのない日でも毎日服用し続け、結局は改善されなかったので痛み始めのときだけ服用することに勝手に切り替えました。片頭痛の去った後は嵐の去った後と同じ。暗雲が一気に吹き飛び、パァーッと青空が広がるような爽快さ。好きなことのできるありがたさをしみじみ噛み締めます。寝込んでいたのがウソのようにケロリと元気になるのです。

 それから不眠症というやっかい者が加わるのは20年後のこと。1995年、40歳のときでした。社交ダンスの練習を本格的に始めた頃です。競技会の当日、まんじりともできないまま朝を迎えました。全く眠れないなんてそれまでには経験がなかったことです。競技会は無事に終えましたが、2日後に予定より早く片頭痛がやって来ました。眠れない日があるとすぐに片頭痛の発作が出るようになったので、やむなく睡眠薬の力を借りるようになりました。

 ダンスは若い頃から興味を持っていて多少経験がありましたが、本格的に始めてみるとどこまでやっても底の無い魅力にますます惹かれていきました。仕事を終えてからダンススクールに直行して、帰宅が夜11時過ぎになる生活。疲れているとか、体調とかそんなことはどうでもよくて、熱にうなされてるかのように練習に励みました。ダンスに没頭できたのは妻の理解があってこそで、好きなようにさせてくれた妻にはとても感謝しています。意外な自分にも気付きました。人前でダンスを披露することはとても嬉しいことで、観客が少ないと張り合いがありません。つまり目立ちたがり屋だったということですね。(笑)

000049-b.jpg 40歳を越えると体力的な衰えはごまかせません。若い頃と同じような無茶はできなくなり、何かを削って体を労るようになって当たり前なのに、私はより無理をかけていったわけです。体は悲鳴を上げ始めていたはずです。偏頭痛や不眠症をかかえ、薬でなだめながら仕事もダンスもと欲張る。鎮痛剤や睡眠薬は一層手放せなくなりました。

腹部のしこりに気付き、ろ胞性リンパ腫の診断を受けるのはそれから7年後の2002年のことです。『この病気は治らない』と言われました。『この病気になった人の平均余命は7年』とも。(2009年までの命か...)でもしこり以外に自覚症状は無いし、人ごとのように思いました。私のタイプはろ胞性リンパ腫の中でも進行の遅い種類らしく、治療のために入院するのはさらに2年後、2004年5月12日のことになります。しこりが尿道を圧迫するようになり、片方の腎臓が水腎症になったためです。日本冬虫夏草との出会いはその1ヶ月まえでした。

 2004年5月12日。10月まで7クールの抗ガン剤治療のスケジュールが組まれました。1クールは6時間かけて抗ガン剤4種類、吐き気止め1種類を点滴で投与していきます。点滴は1日で終わりです。投与後3週間空けて2クール目に入るのです。

 1回目の抗ガン剤投与後、5日間ぐらい左腎の周囲が痛みました。2回目からはこのような痛みは全く現れずこれっきりでしたので、これは患部が十分に攻撃された痛みで、私はこの1回目で腫瘍が消失したのではと感じていました。4月以来検査はなく、3回目の抗ガン剤投与後にようやくCT検査をするのですが、案の定、腫瘍はきれいに消失していました。それでも残り4クールの治療は続きます」

朝日ウィル(北燈社)2005年8月2日号より

 

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  「抗ガン剤治療は2004年10月まで。抗ガン剤による治療は5ヶ月以上に及びました。何よりありがたかったのは食欲が衰えなかったということです。それから『投与後2週間すると熱が出るよ』と言われていたのにこれが全然無い。抗ガン剤による免疫力低下で何かに感染しても不思議ではないのに、無菌室に入らずとも全く大丈夫。おまけに今まで苦しめられてきた偏頭痛も無くなったのです。

 思えば二十歳のころからずっと、立ち止まることなく走り続けてきたように思います。こんなに長い間のんびり過ごすことはありませんでした。長いバケーションを取って病院にいるように上げ膳据え膳でベッドにのんびり横になって過ごすことでもあったら、入院するほどの一大事は起きなかったかもしれません。ガン患者さんの中には『仕事をしながらがんばって治すぞ!』なんて人もいますが、無茶だと言いたい。何よりも休養が治すための最短の道。日頃から病気の時に十分に休めるための備えをしておくことが必要です。自分一人が欠けても会社は回っていくもの、自らの反省を込めてそう思います。

 

000049-c.jpg(写真右)2005年4月3日撮影の右足の親指。未だ5本の線が残り、指先の違和感も残っている。


 そんな中でも抗ガン剤のリスクが全く出なかったわけではありません。髪の毛は2クール目で抜けましたし、それを掃除しようとわずか1本の細い毛に触れただけでも指先に痛みが走るようになり、爪には7本の横線が刻まれていきました。冬の間、成長が抑えられるためにできる木の年輪のよう。投与の度にダメージを受けていたことを示す印、7クールの治療の記録です。

 そして何よりショックだったのは、点滴で使用した血管が失われるということでした。赤く着色されたアドリアシンという抗ガン剤を投与した際、液が漏れると皮膚がただれて危険なので、動きすぎて点滴を外すことの無いようにと厳重に注意を受けました。

 右手側の太い血管を3クールまで使用しましたが、血液が通っているのを見てとれる青色のスジではなくなり、白いスジに変質してしまいました。あれからもう二度と血液が通うことはありません。4クール目では左の腕に場所を替えましたが、細い血管を使用すると1回でダメになりました。こちらは赤茶けた色に変色しています。そこで太い血管を交互に使うように私の方から頼むようにしました。同様の治療を始める患者仲間にもアドバイスをしました。血管が消えるとこれから先、簡単な採血をするにも一苦労です。

 4クール目からリツキサンという薬剤が加わりました。6時間の抗ガン剤投与に2時間プラスされるので今度は8時間もの長い間点滴につながれたままになります。これは精神的にもしんどいので、リツキサンは翌日に回して2日に分散してほしいと頼みました。

 現場に患者の意志が取り入れられて、医療がより良くなっていくのが理想ですが、現実には意見を言うのに勇気が必要だったり、言えば機嫌を損ねる医師もいますから簡単ではありません。一部では医療改革が進んでいると耳にしますが、患者の我慢や気苦労がまだまだたくさんあることを知りました。

 入院してからも日本冬虫夏草は続けていましたが、差し障りのないようにウーロン茶のペットボトルに移し換えて飲んでいました。病院側にだって立場や言い分はあるでしょう。『健康に留意してこんな所に来なきゃいいでしょ』と言われたら確かにその通りで、私としては二度と腫瘍を作らないために自ら努力をしなくてはなりません。それは退院してからの過ごし方にかかっています」

朝日ウィル(北燈社)2005年9月13日号より

 


 「7クールの抗ガン剤治療がスケジュール通りに終わり、退院できたのは10月27日のことでした。気になっていた我が家の稲刈りも知人に頼み、終えていました。まずまずの収穫でした。本業のメンテナンスの仕事は4ヶ月先まで休みを入れていますので、しばらくは自宅で養生することになります。

 悪性リンパ腫は血液のガンですから、汚れのない健全な血液を造っていくため、自らの工夫が必要と思いました。血液の中には、病原体や異物やガン細胞などを掃除する白血球の仲間たちが働いていますが、私の病気はその中のリンパ球:B細胞という部隊が不良品のまま出動してしまうために問題が生じたものです。

 その不良品を造ってしまう工場は骨髄で、1種類の造血幹細胞を原料にしてさまざまな血液成分を生産しています。ここは細胞分裂がとても盛んでデリケートな場所。放射線やウィルス、薬物などの影響を受けやすいところです。あえて治療に抗ガン剤を使うのは、不良品でガン化したリンパ球:B細胞を破壊し、骨髄自体を破壊して空っぽにし、まともなリンパ球:B細胞が新たに造られるのを待つため。応急的な手法といえます。

 これは一方では素晴らしい力を発揮するけれど、同時に自分自身を切ってしまいかねない両刃の剣。傷つけられた細胞が新たにガン化したり、そのガン細胞を掃除したくても肝腎の白血球の掃除部隊も破壊されているのでは立ち行かなくなります。不良品のリンパ球:B細胞からまともな細胞を造れる体に立て直してくれる万全な方法ではありません。

 私は骨髄にダメージを与える可能性のあるものをできるだけ排除していこうと考えたときに、睡眠薬や鎮痛剤を長年服用してきたことを振り返らないわけにはいきませんでした。睡眠薬は10年、鎮痛剤にいたっては30年間体の中に入れてきたわけですから。それでも鎮痛剤とはちょうど縁が切れたところでした。片頭痛が入院中にウソのように現れなくなったからです。手放せないのは一方の睡眠薬。私は血液を浄化し体質を変えるため、すぐに取りかかれるものとして食事療法を始めました。

 これまで頻繁に食べていたインスタント食品、甘い菓子類、缶ジュース類、肉類や卵、乳製品、そして魚や塩までも排除しました。そしてゲルソン食をお手本にして、穀類と芋類を主食にし、たっぷりの野菜、豆類、豆製品、海草類、黒ゴマ、ニンジンジュース(リンゴ、レモン、野菜を加えたもの)などで献立を考えいきました。入院前から飲んでいた日本冬虫夏草もそのまま続けることにしました。これを始めて4ヶ月目、とうとう睡眠薬と縁の切れる日がやってきました。就寝前に緑茶を飲んでもすんなり眠れるようになったのです。抗ガン剤の後遺症だった貧血も治りました。鉄分補給のサプリメントではパッとしなかったのにです。


000049-d.jpg その後も化学的な薬剤は一切服用していません。治療が終了してからこれまで、腫瘍マーカーは正常値を維持したままです。退院の際『2~3ヶ月後に再発するかも』と言っていた主治医も『2~3年は大丈夫でしょう』と改めたほど。2005年4月、ダンス競技会に不死鳥のごとく(笑)復活しました。

 ダンスの練習は週1回に減らし、仕事の面では1時間早く退社させてもらい、がむしゃらな生き方はもう止めました。今年の我が家の稲刈りも、晴れた日を待ってのんびりやろうと思います」

朝日ウィル(北燈社)2005年10月12日号より

 

 これで終わりではなく、病気との付き合いはその後もしばらく続きます。
 2005年10月に再発し、2006年11月に消失。2008年7月に再々発し、2009年6月に消失については以下の経緯をご覧ください。

 

   大友純一さんの経緯

1975年20歳 片頭痛との付き合い始まる。
週に一度の発作に痛みのない日も鎮痛剤を毎日服用。
3年続けるが改善されず。
その後は自らの判断で痛み始めの時だけ服用することに。
1995年40歳 社交ダンスを本格的に始める。
不眠症になり、睡眠薬を服用も始める。
2000年 腹部の固さに気付く。病院ではたいしたことはないとの診断。
2002年47歳 腹部に野球ボールぐらいのしこり。
腫瘍であり、ろ胞性リンパ腫との診断。
その中でも進行の遅いタイプということで治療せずにそのまま様子を観察することに。
『ろ胞性は治らない』と言われた。『この病気の平均余命は7年』とも。
進行の早いものだと治り易いという。
2004年49歳  
4月19日 腫瘍マーカーが4,800の異常値に。
腫瘍の大きさは20cm。
尿路が圧迫されて片側の腎臓が水腎症になっている。
4月20日 5種類の日本冬虫夏草の混合を飲み始める。
5月19日 入院。
7クールの抗ガン剤治療のスケジュールが組まれる。
1クール終了後すでに腫瘍消失を実感する。
7月5日 3クール目終了後にCTで腫瘍消失を確認。
治療中、食欲も衰えず、発熱もなし。
免疫力を維持できたためか、無菌室に入らずとも感染症にならなかった。
片頭痛も無くなった。
しかし髪の毛が抜け、点滴を入れた血管も強い薬のせいで失った。
爪には抗ガン剤投与回数と同じ7本の横スジが刻まれた。
8月17日 一旦減った体重が戻ってくる。
10月27日 7クールまでスケジュール通り終了し、退院。
腫瘍マーカー580(正常値)
血液の浄化に取り組む。
常用していた鎮痛剤と睡眠薬を止め、食事療法をし、再発防止につなげたい.
ゲルソン食を基本に、かなり厳しい食事療法を行う。インスタント食品などの加工品全般、菓子類、缶ジュース類、肉類、卵、乳製品、魚、塩分:ナトリウムま でも排除するやり方。日本冬虫夏草は継続。
12月 腫瘍マーカー400台(正常値)
2005年  
1月 腫瘍マーカー400台(正常値)
3月 睡眠薬なしで眠れるようになる。就寝前に緑茶を飲んでも眠れるほど。
抗ガン剤治療の後遺症の貧血も治る。
鉄剤の必要なし。
鎮痛剤は入院中からここまで世話になることなく、一切の化学薬剤と縁が切れる。
腫瘍マーカー469(正常値)
3月14日 職場復帰。
 3月28日 『元気すぎてかえって心配』と奥さんの話。
5月15日 妻と息子の手を借りて無事に田植えを終える。
ダンス復帰。競技会出場

 

   腫瘍再発

2005年  
7月 肉体的に好調で何の痛みもなくマーカーも正常値(707)。
ただ再び腹部にしこりを感じるようになる。
8月26日

これまでの日本冬虫夏草に日本冬虫夏草のCY16番を多く加え飲むことに。

9月26日 食事療法、厳格にやり過ぎなのでは。
食べようとすると吐き気をもよおすようになる。
塩分:ナトリウムを摂ってもいいのでは。
ゲルソン食にこだわりすぎず、自分に合った食事療法を確立する必要があるかも。
10月19日 気になっていた腹部のしこり、CTで腫瘍と診断。
画像では尿路が圧迫されて片側の腎臓が再び水腎症になっているように見える。
マーカー(925)も高くないが再び入院して抗ガン剤治療やることに。
肉体的には好調で痛いところ何処もなし。
これを機に退職。
10月31日 6クールの抗ガン剤治療開始。
これまでの日本冬虫夏草にコウボエキス、落花生種皮抽出物を加え治療を乗り切ることに。
12月 2クール目の途中、腹部を触れるとしこりが小さくなっているのを実感する。
2006年  
1月31日 3クール目終了後、腹水溜まり膀胱炎にもなる。
治るまで3週間かかる。
2月 5クール目に頭痛。ゾーミックという薬を服用し、改善。
白血球500に低下。腹痛が6日間続き、抗生物質投与。
半隔離状態。
3月3日 白血球1300に上昇、半隔離から解放。
2005年に比べ抗ガン剤の副作用がきつくなってきている。
抗ガン剤はもうこりごりと思う。
3月8日 マーカー正常値、500台。
しこりも小さくなっているとの診断。
3月17日 抗ガン剤治療終了。
4月20日 退院。
食欲もあり、もりもり食べる。
6月 マーカー430(正常値)
白血球は1,500〜2,000とまだ少ない。
2005年に比べ、抜けた頭髪の回復が遅く気がかり。
8月28日

血液検査で腎臓のデータに問題なし。
他の数値も正常。ただし白血球数は調べない。

 

消失

11月15日 マーカー正常値、700。
白血球数は4,000に増加。
CTとエコー検査。
残っていた腫瘍がきれいに消失しているとの診断。
退院時より良くなっていることに先生の意外そうな顔。
知り合いの美容師さんから教えてもらったシャンプーとリンスを使っていたところ頭髪も戻ってきた。
オリザジュンAOXシャンプー
オリザジュンAOXスカルプパック
(株)リアル 問078-682-8091
神戸市兵庫区御所通1-3-18
2回シャンプーして、マッサージ200回。パックして10分置き、その後洗い流す。
血液浄化のため、福岡県久留米市の病院で医師の指導のもと、断食療法を行う。
1度目は7日間の日程、
2度目は11日間の日程で行った。
2度目の時、3〜4日目に宿便が出る。
ネズミのフンのような黒〜灰色の粒。
手で触れても付着せずサラッとしている。
臭いは全くない。つぶすと砂のようにサラサラしている。
体重は8kg減。
自宅での食生活:1日2食。
以前のような塩断ちは止めて塩分を取るようにする。
玄米菜食、ゲルソン食のニンジンニュースは続ける。
魚、肉、卵、乳製品は食べないが、ジャコは食べる。
12月24日 抗ガン剤をたくさん体に入れたので肝臓の毒消しにコーヒー浣腸を行う。
2007年  
1月22日 かぜをひくことなく元気。
かぜひきさんの隣にいてもうつらない。
時折心配になり腹部にしこりがないか触るが、ないのを確認してホッとする。
6月7日 昔の体に戻った気がする。
昔のように力が出せるようになった。
それでも稲作の仕事は人手を借りて無理をしないことに。
無理をして体調を崩し、周囲の人に迷惑をかけては元も子もない。
11月15日 稲刈りも終了。

 

    腫瘍再々発

2008年  
1月8日 腹部のしこりを感じるようになる。玉子大。
1月28日 腫瘍マーカー、12月の結果が出て、1,210と異常値。
しこりは若干小さくなっているように感じる。
2月15日 日本冬虫夏草の新しい種類、日本冬虫夏草のCY262番を追加。
4月 腫瘍マーカー2,650に上昇。
6月 あわただしい春の農作業終えホッとする間もなく久留米の病院に入る。
腫瘍マーカー3,390。しこりも大きくなる。
6月10日 温熱療法を行っている近くの病院に移り、温熱療法を試すことに。
全国から患者さんが集まってくる。
2つの病院を行ったり来たりして治療する。
検査では悪い状態と出ているが、体調はいつもと変わりなく元気そのもの。
温熱療法を行いながら、通常の1/5〜1/10の量の抗ガン剤を投与するのが一般的だが、白血球数が少ないため抗ガン剤は使用しないことになった。
6月〜8月に12回の温熱療法を受けることに。
温熱療法3回目。
腫瘍マーカー1,800に低下。
7月1日 PET検査。腹部、頸椎〜胸椎、心臓の裏に腫瘍を確認。
7月25日 日本冬虫夏草の種類を日本冬虫夏草のCY262番、CY10番、CY11番の組み合わせに全面的に変更。同じ組み合わせの粉末も使用。
8月27日 温熱療法12回目。
10回目の時の腫瘍マーカーが3,300と知らされる。また上昇。どうしたら良いのか分からなくなって、頭にきて今までやってきたことを全て止めようと思 う。
8月29日 CT検査。しこりがひと回り小さくなったかなとの見立て。
輪切りでみると所々黒く写って、そこはガンではなくなって石灰化しているものだとの説明。
10月 10月〜11月に抗ガン剤なしで5回の温熱療法を受けることに。
11月6日 自宅に戻る。
腫瘍マーカー2,900。
11月30日 ダンス競技、2種目で決勝まで残る。
2009年  
1月21日 久留米の病院に入る。
エコー検査、しこりが6cmから3cmに縮小。
腫瘍マーカーも463と正常値に。
日本冬虫夏草の別の種類CY113番の粉末を追加。
2月18日 腹部のしこりが触っても無くなった。
心臓のうしろにあったしこりも無くなった。
『温熱療法でこんなに良い結果が出るのは珍しい』と先生は驚く。
日本冬虫夏草を飲んでいることは伏せている。
その後温熱療法を3回やる。白血球が上昇したので、ここで初めて微量の抗ガン剤投与。
4月25日 触ってもしこりが全く無くなった。
6月2日

良くなったので温熱療法は1回で打ち切りに。ここでも微量の抗ガン剤投与。

 

6月6日

消失

腫瘍マーカー383(正常値)
PET検査。全身くまなく調べる。
腹部、頸椎〜胸椎、心臓の裏の腫瘍、全て消失を確認。

 

  再々発腫瘍の消失について

 「2008年7月1日にPET検で腹部、頸椎〜胸椎、心臓の裏に腫瘍が確認されてから、翌年6月6日の検査で、腫瘍マーカーは300(正常値)と下がっておりました。再びPET検査を行い、腹部の腫瘍はどうなっているか、他に現れていないか全身くまなく調べましたが、腹部にあったものは全く見あたらなくなり、消失。頸椎~胸椎、心臓の裏にあったものも消失し、他のどこにも腫瘍らしき異常は見つかりませんでした。その証拠データがこちらです。

000049-e.gif

 

 先の、2月の検査でも先生は、『なんでこう良くなったのか分からない。何が効いたのかわからない』、今回も『奇跡としか言いようがない』と申しておりました。『このように良くなられた方は先生のところで何人ぐらいおられますか』と尋ねると『あなたで2人目です』という答えでした。

 この頃は、白血球数も4,200とこれまでになく増えました。リンパ球の割合も3倍になりました。2002年に余命7年と言われ、その年を迎えましたが、このような日が訪れるとは。大変嬉しく思っています。今現在、ガンと向かい合っている多くの方達に『希望を持って』と伝えたいです」

2009年7月13日のお電話より

 


000049-f.jpg大友さんが精魂込めて育てられた枝豆をいただきました。あまりの美味しさにやめられなくなった程です。

2009年9月8日。

 

 「2009年10月から11月にかけて久留米の病院で断食療法を行いましたが、これまでになく楽に終えることができ、大変驚きました。もっと長くやれそうな程、十分に余力が残っていたのです。この度の血液検査ではほぼ満点の結果でした。
血色素量が若干低かったのですが、病気になる前から血小板か血色素量のどちらかが低いというのがあって気にはしてません。今は自宅のある宮城に戻っています」

2009年 11月11日のお電話より

 

 「2010年の2月に左の耳の後ろにしこりを感じました。久留米の病院でも、宮城の病院でも脂肪細胞というとで心配ないとの診断でした。触るとコロコロと動くしこりです。ガンだったら動かないはずだと自分なりに考えてました。しかし気になるので結局、久留米の病院で摘出してもらいました。すると中心だけにガン細胞がわずかにあり、何かでコーティングされてるというか、ガン細胞が封じ込まれてる状態になっていました」

          2010年11月18日のお話より

 「8月の健康診断で異常なしで、9月のCT検査でも異常なしでした。マーカーも正常値を維持しています。この頃は、いくら働いても疲れず、若い頃の体に戻った気がします。日本冬虫夏草は現在も続けています。日本冬虫夏草との付き合いもかれこれ7年半になります」

20011年9月26日のお話より

 



 

【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。

当研究所の技術を真似た偽造品やコピー品にご注意下さい。

ご注意下さい