CASE8 : 持病と一緒に解決された方

高橋光威さん(神奈川県在住)の場合

 「日本の若い人気俳優が膀胱がんに倒れたとき、そのニュースがマスコミで盛んに取り上げられましてね。お気の毒なことと思いまし

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た。私がブドウ酒色の血尿が出たのもこの頃です。息子たちは連日のマスコミ報道を見ていて心配になったんでしょうね。検査を熱心にすすめるんです。それならばと病院に行き、内視鏡で調べていきました。すると、カリフラワーの形をした大豆大の腫瘍が1つ見つかったのです。膀胱がんということでした。

 自覚症状は血尿が出るまでは何もなかったんですよね。治療は患部をレーザーで焼く手術だけで、抗ガン剤や放射線といった治療は一切ありませんでした。1990年(48歳)のことです。それからというもの、定期的に検査を行うようになりました。

 仕事をしながら3年半が過ぎた頃です。再び腫瘍が現れました。最初の再発です。前回と同じようにレーザー処置だけ行うと、主治医から『これから再発までの間隔は短くなるけど、長くはならないよ』と言われたんです。案の定、2度目の再発は1年10ヶ月後にやってきました。腫瘍は3個。レーザーで処置しましたが、今度は術後2ヶ月経ってもウーロン茶色したおしっこがきれいにならないんです。

 心配した義兄が、日本冬虫夏草研究の第一人者である近藤嘉和先生に日本冬虫夏草の話を聞きに行ってくれました。義兄は東北大学の理工学部にいて、近藤先生も大学で研究しておいででした。そのような縁で日本冬虫夏草を飲むに至ったのです。

 飲み始めて2週間目、どういうわけかおしっこの色が透明に澄んできました。そしてこれまで検査の度にモニターに手術傷が消えずに写 っていたものですが、飲み始めて6ヶ月もすると5個あった手術痕は無くなり、全く写 らなくなっていったのです。

 さらに変化は続きました。実は日本冬虫夏草を飲む以前は、血圧は上が170以上、下が125以上常にあったんです。そのせいで頭痛もあり、医師から『今死んでもおかしくないよ』と言われてました。私は東北の生まれで、30歳ぐらいまでは塩辛いものを好んで食べてましてね。父は脳いっ血で亡くしています。その血圧が上135、下85まで下がっていたのです。体重も74kgから62kgまで減っていきました。

 でも体重がこれ程まで減ってしまうと、他の臓器に転移してるのではないかと急に心配になるものです。東京の慈恵医大の先生に診てもらいました。すると『あんたが病気だったら、国民1億2千万人皆が病気だよっ!』と言われてしまいました。

 代謝異常ががんの原因のひとつといわれてますが、食欲が増して以前よりよく食べるのに、新陳代謝が活発で体重が減っていくというのであれば、がん体質から遠ざかっていることになります。新陳代謝の良かった、こんな病気とは無縁であった20代の頃の体型に戻り、洋服がどれもぶかぶかになってしまいました。50代になったのに、外見で30代後半に間違われることもありました。

 私の仕事は、親御さんから大切な息子さんたちを預かる会社の独身寮の責任者で、身の上相談までも引き受ける、いわゆる25人の息子の東京のおやじをやっていました。息子が25人もいるというのは大変ですよ。寮の中ではけんかはあるし、裁判所の人はやってくるし、パトカーもやって来るし、警報装置はなるわ...でいつでも飛び出せるようにとパジャマで寝たためしがありませんでした。1本の髪の毛がはらりと顔に落ちただけでも目が覚める程、ある種の緊張を保ってなければならなかったのです。あと1ヶ月したらこの仕事はやめよう、子供が高校を卒業したらやめようなどという思いを繰り返しているうち、25年の歳月が流れてました。

 そして周囲に惜しまれながら、ようやく退職にこぎつけました。精一杯やってきたので未練はありませんね。現在、とてもリラックスして過ごしています。検査ではどこの内臓も正常で、モニターに映る膀胱内壁は相変わらずなめらかできれいです。最後の再発から2年3ヶ月が過ぎ、再発しない記録を更新中。そしてついに主治医から、しばらく検査に来なくても良いと言われてしまいました」

朝日ウィル(北燈社)1998年1月新春合併号より

 

4年6か月で再発

 2001年3月、高橋光威さん(神奈川県・59歳)は、膀胱がんの最後の手術から再発もなく、元気に4年6か月を迎えていました。主治医から『5年再発しなかったらもう大丈夫』と言われてあと一歩というところ、検査でマッチ棒の頭よりひとまわり小さい腫瘍が見つかったのです。

000053-b.jpg 「日本冬虫夏草を最近飲むのを2年ぐらい休んだでしょうか、今年の3月に再発したのです。再発しない4年半は夢のようでした。先月から日本冬虫夏草を再開。再び5年再発なしに挑戦です。この度の再発は、おかしいなと思える自覚症状が全くなく、心身ともに充実していて、術後も病院内を持ち前の芸で沸かせて『夕日のガンマン・タカハシ、病気でないのにどうしてここにいる?』と皆に不思議がられました」

 がんのステージに関わらず、がんになっても治りの早い人とそうでない人との分かれ目には生活スタイルが深く関わっているような気がします。高橋さんは自分の食生活のことをキリギリスのようだと表現しています。野菜中心で、魚は食べますが動物性の肉類はまず食べません。年に1度、奥さんが作ったハンバーグを猫のこぶしぐらい食べるか食べないかで、牛乳などの乳製品やインスタント食品などの加工食品も摂らないし、白砂糖の入った甘いものも一切食べません。

 高橋さんは、健康のために意識して食べているのではないと言います。体の内なる声を聞いていたら自然とそうなったと言うのです。肉や甘いものは食べたくないから食べないのであって、30歳を過ぎた頃から塩分も自然に控えるようになりました。若さが保たれて外見上は40代に間違われることもあるそうです。

 「がんなんかでヒトは簡単に死にはしません。私と同じ手術を20回繰り返した人はもうお亡くなりになりましたが、死因はガンではなく、天寿を全うした老衰でした。それでも主治医はこの病気のことを『これは怖い病気でないから怖いんだ』と言います。なめてかかるなということでしょう。

 現在は再就職して老人ホームの調理師の仕事をしています。早番の時は朝5時半に家を出て、休憩なしで8時間働きます。体もよく動くし、疲れるということがありません。でも私の最大の武器は、落ち込んでも5分でケロッとする性格でしょうかね」と陽気に話してくださいました。

朝日ウィル(北燈社)2001年9月1日号より

 


 「3月の検査では、どこにも異常は見つからず、元気にしています」とお電話をいただきました。

2002年5月のお話より

 


「テレビは主人も私も拝見させていただき、素晴らしい研究の場面 を知ることができました。主人は毎日元気にしております」

2002年12月10日お便りより

 



「桜の花が満開で、もっとも美しい季節となりました。日本冬虫夏草を続け、主人は元気で暮らしています。 3度目の再発から何事もなく2年が経ちました」

2003年4月5日お便りより

 

「主人はパートの仕事を辞め、家におります。食欲が少し落ちたこともありましたが、この頃は食欲も出てきております。いずれにしても日本冬虫夏草のお陰で病気の方は心配ないのがうれしいです」

2004年3月11日お便りより

 

000053-c.jpg 「日本冬虫夏草を再開してから4年が経ちました。そして、再発なく元気に4年5ヶ月を迎えました。5年まであと少しです」 奥様から手作りの押し花の暑中見舞いカードが届きました。

2005年7月31日

 

 

 

目標の5年を超えた

 「再発なく元気に目標の5年がとうとう過ぎました。64歳になって、いろいろな場所でシルバー料金のサービスを受けられるようになりましたが、白髪もないし、40代ぐらいに見られるものですから、しょっちゅう疑われてます(笑)。身分証明書を出して納得してもらわなくてはなりません。

 だいたいがプラス思考で、心配しても仕方がないという性格ゆえかもしれませんね。これは母親譲りです。母から戦後のひどい混乱の中、中国から引き揚げた時の話を聞きました。子供の中で末っ子の私を養子に欲しいと中国人から懇願されたといいます。それでも母は、何とかなるさというような性格だから、私を抱いて帰国したということです。母の性格がマイナス思考だったら、私は残留孤児になっていたかもしれません。亡くなった両親や先祖には、毎晩感謝し、手を合わせてから就寝します。元気で生かされていることに感謝しています。日本冬虫夏草は今後も続けていくつもりです」

2006年6月6日のお話より

 

 「73kgあった体重が、日本冬虫夏草との出会いを経て65歳になった現在は51kg台で安定しています。体の切れはいいですよ。炊事、洗濯、お風呂掃除、何でもやります。じっとしてると、人生サボってる気がするんです。そして『奥さんは床の間に飾ってる』と答えることにしています(笑)。

 最近になってようやく、『寮の管理人の仕事はきつかった』と、あの頃のことを妻に話せるようになりました。北海道から九州までそれぞれ全く違う教育を親御さんから受けてきた人間の集合体ですからね。それぞれのタイプに合わせて接しなければなりません。それでも社会人として外れた行為をした時は容赦はしません。もう鬼になって怒ります。心底その子のおやじになってね。毎日が真剣勝負の繰り返しでした。

 寮を卒業してからおやじとして慕ってくれることはうれしいことです。もうひとりの東京に住むおやじとして、しょっちゅう結婚式に接待されるものだから、管理人仲間から『そんな人はめずらしい』とうらやましがられました。

 当時を懐かしく、静かな気持ちで振り返ることができるのも、再発の心配をせず、健康で穏やかな暮らしがあればこそで、感謝しています。最近は近所の幼い子供たちに、ドラえもんのモノマネやイナバウアー等あれこれ披露して、いかにウケるかを励みにして暮らしています(笑)」

2007年2月9日のお話より

 

000053-d.jpg 「5月27日は江ノ島海岸にボランティアでゴミ拾いに行きました。今年は五百世帯の住宅の生活環境部長になり毎日忙しくしております。主人もおかげ様で毎日元気に暮らしております」奥様から手作りの押し花のおはがきが届きました。     

2007年6月5日

 「もう7年出てないんですよ。先生から『膀胱がんは取っても取っても現れて、その間隔がだんだん狭くなっていくものなのに、再発がなくてこんなに元気で、あんた1億円の宝くじ当てたのと同じだよ』と言われました。

夜8時に就寝、4時には起きてウォーキングをしています。台風と大雪以外は毎日です。歩かないとヒザの調子も悪いように思います。出会うのは猫と新聞配達の人、キジ、ヘビ、食用蛙たち。この辺は神奈川県でも特に緑の多いところ。小動物に話しかけながら、澄んだ空気と雑音のない静かな街をひとりじめする贅沢を満喫しています」

2008年7月1日のお話より

 

再発無く、ついに10年を超えた

  「再発無く、無事に10年が過ぎました。8月で70才になりました。夫婦共々暑さに負けず元気で暮らしております。泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生、だから二人で笑う方を選びました。3月の震災では、人生でこんなことが起きるのかという事が現実になってしまいました。被災地の方々の事を考えると頭が下がります。この度の事で人間の力強さ、人間の素晴らしさを学んだ気がします。命の日本冬虫夏草、これからも続けていきます」

                                                                   2011年9月2日のお話より

  「2013年は、血糖値が上昇して1ヶ月間程入院しました。当初、1日4回、インシュリンを打っていましたが、今は1日1回となり、9割9分元に戻ってきています。甘いものは食べませんが、お酒の飲み過ぎでした。ウィスキー、日本酒、ビール、焼酎、オールマイティで何でもござれ。侮っていました。役者やったり、調理師やってたり、お酒の飲む環境に長年身を置いてましたからね。反省しています。
 

入院中に泌尿器科の看護師さんに『がんで4回程入院したよ』と言うと、『本当にがんだったんですか!』とビックリされました。最後の再発から12年以上もがんは出ていません。前にもお話しましたが、医師からは再び『一億円拾ったと思いなさい』 と言われるくらい珍しいことのようです。治療には笑いが最高の薬と思っていますので、病院内をジョークで湧かせて人気者でした(笑)。看護師さんからも『退院しないでください』と惜しまれた程です(笑)。

 現在は1日40分のウォーキングを続けています。出会った人達、動物達に挨拶して、さんざん笑顔を振り撒いております(笑い)。日本冬虫夏草も続けています」

                                                                                            2013年12月2日のお話より

 「主人は再発が止まってから13年。がんとは無縁で暮らしています」

2014年6月24日の奥様のお話より

  「再発が止まってから15年以上経ちました。がんとは無縁で暮らしています。出来るだけ外に出て笑顔を振りまいております(笑い)」

 2016年12月12日のお話より

 

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 「お世話になっております。おかげ様で二人とも元気に暮らしております」奥様より絵手紙年賀状が届きました。

2017年1月1日

小林祥子さんの場合

 ※花粉症は中盤。腎結石のお話は末尾にございます。

 「2008年9月12日に子宮がん検診を受けました。結果は異常なし。気になっていた生理不順も自分の中で『更年期のせいかな』と片付けていました。この時、1年間の予定で休職にも入っています。

 翌年2009年5月。生理が2か月ぶりにやってきたのですが、普段とは違っていました。出血が1か月経っても一向に止まらないのです。これは何かが起きているなと思い病院で調べてもらうことにしました。GK056_L.jpg

検査したのは6月25日。病院では『後日、結果を報告します』ということで、その日はホルモン剤と鉄剤を受け取って帰りました。実は30年前に遡りますが、ホルモン剤を注射して具合が悪くなり倒れた経験があったのです。そこで鉄剤だけの服用にとどめておくことにしました。
  
このことを薬剤師をしている友人にも相談しています。彼女は私の症状を聞き、まだ結果が出てないにしろ、すぐにでもなにか対処したほうがいいと考えてくれたようです。その時、日本冬虫夏草の話が出ました。子宮筋腫にしろ、子宮がんにしろ、自然に治った人が日本冬虫夏草を飲んでたのを知っているというのです。

私も6月30日から日本冬虫夏草を飲み始めました。翌日『元気だな』と感じました。明らかに前日と体調が違います。それから一週間して、過日の結果を聞きに行くと『子宮壁が厚くなっています。子宮体にポリープも見つかりました。これががんに変化していく可能性があるので経過を観察していきましょう。3か月に一度検査に来て下さい』と言われました。

 実家の母に報告すると『悪い方に考えたら悪くなるから良い方に考えたらいいのよ』という言葉が返ってきました。母はとてもポジティブな人間です。子育てで迷っていた時も『いい子いい子と言って育てればいいのよ』といった調子。今になってそれは間違いではなかったと実感しています。この度も、『病気のことをくよくよ考えるのはよそう、忘れて過ごそう』と決めました。

そうしてるうちにいつの間にか出血が止まっていったのです。

 9月に入ると予定通り職場に復帰しました。GK056_L_2.jpg仕事は事務のデスクワーク。9時~5時のフルタイムで働きます。当初『病気を抱えてるし、久々の職場で体が慣れるまでしんどいだろうな』と思っていました。ところが、一日が終わる頃に全く疲れを感じないのです。元気なままなのです。しばらくして仕事量が増えてきてもそれは変わりませんでした。以前働いてた時もこのような感覚はありませんでした。

 10月に入ると息子の通う中学校で新型インフルエンザが流行し、学級閉鎖という事態になりました。息子も感染し、症状が出て寝込みました。ところがたちどころに回復していったのです。息子は日本冬虫夏草を350ccは飲んだと思います。私は、息子を隔離することなく、咳をされてもマスクもせず普段通り接してたのですが、発症することなく済みました。何事もなかったかのようにこの危機が通り過ぎて行ってくれました。

 そんな諸事情があって、10月は検査のタイミングを逃し、4か月の月日が流れていました。でも『早く病院に行かなくては』とあせる気持ちはなくて、『こんなに元気なんだし、生理も正常に戻ったし、自分は大丈夫』という自信のようなものがあったのです。

 

ポリープ消失。手術必要なし。

 当初の『手術と言われたらどうしよう』という心細さは無くなり、同行をお願いした薬剤師の友人にも頼ることなく、11月7日にスケジュールの都合が付き、一人で病院に行きました。検査後、医師から『子宮体にあるポリープが消えて子宮壁の厚さが正常に戻っています。きれいになっていますよ。3か月に一度の検査にはもう来なくていいですよ』と告げられました。予想はしてたものの正直びっくりしました。

 病気の原因は何だったのかなと振り返ると、人間関係のストレスが大きかったのではと思います。くよくよ考えずに忘れること。考えるときは物事を良い方向で考えるよう心のコントロールをすること。それらが功を奏したのではと思います。それと日本冬虫夏草を飲んだことぐらいしか思い当たる節がありません。日本冬虫夏草は量を減らして現在も続けています。

 この頃は肌の調子も良く、顔がつるつるで柔らかくなった気がします。馴染みの化粧品屋さんを訪ねた際、機械で肌診断をしてもらったら『以前より弾力が増しましたね』と言われました。若返ったということでしょうか。女性にとっては何より嬉しいことです」

2010年2月1日のお話より

 

花粉症から解放された。

 「毎年、スギ花粉が飛散する頃になると鼻水やのどのゴロゴロ、涙や目のかゆみに悩まされてきました。花粉症との付き合いは20年間にも及びます。今年も薬をいただき、心の準備をしながら待ち構えておりました。花粉は2月の中旬から飛び始めたと思います。
 ところがこの度は、目のゴロゴロを感じるぐらいで他に何も症状が出ないのです。あんなに苦しんでいたのがウソのようにピタリと治まっているのです。薬も飲まず仕舞いです。身近に花粉症の方が結構おりまして、皆さん症状がひどいようですから、私も確実に花粉を浴びているはずです。
 子宮ポリープと一緒に花粉症も治ってしまいました。何かやったかと尋ねられれば、日本冬虫夏草を続けてることぐらいです」

2010年2月29日のお話より

 

【経緯】

2008年 9月 1年の休職に入る。生理不順有り。
  9月12日 子宮体がん子宮頸がんの検診。異常なし。
2009年 5月 2ヶ月ぶりの生理。出血が止まらない。
  6月25日 出血が1ヶ月経っても止まらず病院で検査。結果は後日とのこと。
  6月30日 日本冬虫夏草を飲み始める。
  7月7日 6月25日の検査結果を聞きに行く。子宮壁が厚くなり、子宮体にポリープ見つかる。これががんに変化する可能性有り。3か月に一度経過を観察することに。
  9月 職場に復帰も疲れ知らずで元気なのが不思議。
  10月 息子が新型インフルエンザに感染、発症するが自身は無事。
  11月7日 4ヶ月以上経っての検査。ポリープは消え、子宮壁の厚さも正常。きれいになっている。
2010年 2月1日 肌が若返る。
  2月29日 20年間悩み続けた花粉症がピタリと治まった。

 

「現在、休職していまして、自宅でのんびりと過ごしております。あれから再発とも無縁で元気にしております」

2012年5月28日のお話より

 

腎結石が再発。前回のような苦痛は無く。

 「2007年に腎結石を経験しました。痛みを表現するとしたら、死ぬほどの痛み。痛み止めを処方されたものの治療は無くて、先生から『水を飲んで治しましょう』と言われ、そうやって治まりました。自然排泄されたのだと思います。『5年後に再発の可能性あるよ』とクギを刺されたのを覚えています。

 HS185_L_SP0000.jpg それからまさに5年後、2012年10月。会社の人間ドックで再び結石が見つかりました。自覚症状は全くありませんでした。ですからほったらかしにしていたのです。痛みが出たのはクリスマスの夜中。病院で調べると尿管にある結石は1㎝以上の大きさで、腎臓内にも複数見つかりました。

衝撃波を当てて破砕する方法を提案されましたが、年末年始は予約でいっぱい。2013年1月4日に何とか予約をすべり込ませました。しばらく休んでいた日本冬虫夏草から別の菌類に変更して飲み始めたのは12月31日からです。破砕治療に備えようと思ったのです。この間、痛み止めの座薬を使ったのは2回だったでしょうか?

 2013年1月4日。45分で2000発の衝撃波を照射して尿管の結石を砕きました。この治療は、輪ゴムで軽くはじかれるような皮膚感覚があるだけです。腎内の結石には当てていません。直後に血尿が出ますが、3回ほどトイレに行った後は正常に戻ってました。5年前は確認できなかったのを反省して、おしっこをビーカーに採って観察することにしました。最初薄っぺらな結晶が現れてから粉状のものが出てくるようになりました。排泄する際、出口でピリッとする痛みがあったのも最初だけです。振り返ると2007年のような耐え難い苦痛は皆無でした。以前より石のサイズが大きかったにもかかわらずです。

破砕治療は1回で終了ではなく、次の予定もありましたが、レントゲンで確認すると全て排泄されたということで1回で済みました。そして腎臓内にあった結石まで消えていたのです。予想外のことでした。

 その頃、主人が会社を早退して帰ってきたことがありました。熱を測ると39度を超えています。すぐさま安静にさせ、自分が飲んでいたものを飲ませました。翌日には病院に行きインフルエンザの診断を受けるのですが、この時すでに平熱に戻って元気になっていたのです。考えられない程の急回復でした。

 私は比較的日中トイレに行かない方ですし、水分もあまり摂らない方だと思います。この頃は再発のないように生活改善に努めております」

2013年4月12日のお話より

 

須田為義さん(島根県在住 2005年当時75歳)の場合

 「2005年4月13日のことでした。尿意があっても排泄ができないのです。すぐ病院へ行き、カテーテルを通して出しました。500㏄は溜まっていました。それは鮮血も無くきれいなおしっこでした。

 病名を告げられたのは翌日です。『前立腺がんの末期』ということでした。そして、『骨盤に転移してるので手の施しようがない。2か月の命』とまで言われたのです。確かに腫瘍マーカーPSA値は41.8(正常値3以下)と高く、MRIの画像では右骨盤の半分にがんが広がってるのが分かりました。先生からは、治せないけれど延命のためといったところでしょうか。『ただちに入院して放射線治療をしていきましょう』との提案がありました。

 IMG_1333_SP0000.jpg実は、余命宣告にショックを受けることはありませんでした。私は、ぶどう農園を営んでいます。4月からその年の手入れを開始したばかりで、頭の中はぶどうのことでいっぱい。自分のことを考える余地など無かったのです。

そこで『入院するのはぶどうの収穫が終わる10月まで待ってください』と申し出ました。すると先生は黙り込んでしまわれて。『もう勝手にせい』ということだったのでしょうね。

その後、カテーテルを装着したまま、農園で5日間働き続けました。外してみてさらに5日間過ごしました。でも再び排泄が出来なくなり、カテーテルのお世話にならざるを得ませんでした。その際、自分なりに考えてデポカボチャの種を7日間食べることにしました。1か月分の目安量を1週間で食べました。7日目にカテーテルを外してから自然排泄が出来るようになり、その後カテーテルを必要とすることは二度と無くなりました。

 5月に入ってもPSA値は43.9と高いまま。6月に入って心配した義弟が私のもとにやってきました。そして、『こういうものがあるらしいよ』とパソコンを開いて見せてくれたのです。それが日本冬虫夏草でした。

 6月21日の晩に前出の先生とは異なる、カテーテルを管理してくれていた先生から突然電話が入りました。『MRIより精密なMRSという機械が入ったので検査に来ませんか?』というお誘いです。22日の晩は病院に泊まり、23日に検査を受けることにしました。日本冬虫夏草を飲み始めたのは検査前日の朝からです。病院に持参して検査の直前までちびりちびりと飲み続けました。一日半で875ccは飲みました。

 

骨転移が消失

 結果は驚くべきものでした。MRSでは異常はどこにも見つからず、あの骨盤の影がきれいに消えていたのです。農園ではその頃既に秋の収穫予想が出ていました。ぶどうの小さな粒が育ち始めるからす。

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この年は例年になく素晴らしい稔りになると確信出来ました。私は、長年慈しみ、苦楽を共にしてきたぶどうの木が助けてくれたのだと思いました。あのまま入院して放射線治療をやっていたら農園にも体にも良い結果が得られたのだろうか。運命とは不思議なものです。

その日は経口のホルモン剤(錠剤)を受け取って帰宅しました。服用後、途端に体調に変化が現れました。体がだるくなって力が出ないのです。剪定が出来なくなってしまいました。ホルモン剤は10日服用して止めました。

 

がんが消失したと診断

7月のPSA値は6。8月は2.6。9月は2.5と下がり続け、正常値に落ち着きました。9月のMRS検査と生検でも異常なし。がんは消えたままです。翌年2006年3月のMRI、MRS、生検でも変わらず異常なしでがんは消失したと診断されました。それでもホルモン治療はついて回りました。注射を3か月に一度のペースで3年間打ち続ける提案です。やってみるとこの副作用にも再びがっかりさせられました。体が太って疲れやすくなり、仕事に支障をきたすのです。だから断ったり延期したりの繰り返し。経口のホルモン剤の処方箋を受け取っても薬局に寄らずに帰ったりもしました。

(薬によっては自己判断で止めると危険なものもあります。医師、薬剤師に相談が必要です) 

ホルモン剤が体内から抜けると体がしまり、力が出るようになります。収穫の最盛期にはそうでなければやっていけません。

 PSA値には波がありました。安定していた数値が、仕事に精を出し過ぎると上昇するようでした。その都度生活改善を試みました。作業の合間に必ず昼寝を取り入れて習慣にしたり、長い間飲み続けていた薬を止めることもありました。実は、メニエール症候群の薬と肩こりの鎮痛剤を5年間飲み続けていました。それより若干短いのですが、睡眠薬も常用していました。2007年の7月に全て止めました。そして、止めたからといって、困ることは無かったのです。薬によっては自己判断で止めると危険なものもあります。医師、薬剤師に相談が必要です)

2008年4月にPSA値が41.28まで跳ね上がったことがあります。すぐに骨シンチ検査、CT検査を受けましたがどちらも異常無し。この時は大人しくホルモン注射を受けました。日本冬虫夏草の量を増やして飲みました。翌月検査をすると、15.76まで下降していて、『がんは何処にもないから心配いらないよ。ましてがんがあったらマーカーはこんなふうには下がんないから』と言うのです。そして、『何か飲んでるの?』と初めて聞かれました。『何も飲んでない』と答えても良かったのですが、『日本冬虫夏草を飲んでいます』と打明けました。すると『漢方薬で前立腺がんが治ることはないよ』と言われました。

 その後も日本冬虫夏草は続けました。2か月の命と言われてからはや7年が経ちました。力仕事を変わらずこなせています。有難いことです。周囲の人達は私の顔を見て、『色つやがとてもいいね』とも『10歳~20歳は若く見えるよ』とも言ってくれます。 

  『定年退職して、暇になったから人間ドックでもやってみた』という話をよく聞きます。病気を未然に防いでラッキーな人もいれば、その逆の人もいます。がんが見つかってくよくよ悩み続ける人はことさら深刻です。なにせ考える時間が有り余るほどあるのですから。精神状態は免疫力を左右します。落ち込んで免疫力が低下すれば治る病気も治りません。

私には夢中になるものがあり幸運でした。私の心はいつもぶどう農園にあり、研究と改良を重ね、毎年毎年、上を目指した質の高いぶどうを作っていくことに生き甲斐を感じています。アルギット農法はそのために取り組んだ栽培技術で、ノルウェーの海でたくましく育った海藻でミネラル豊かな土壌を作ります。

2011年は、申し分のない出来ばえでした。今までにないほど高い評価も受けました。これまでぶどうの食べなかった孫がパクパク食べいたのですから間違いないのでしょう。これだからぶどう作りは奥深くてやめられない。夢中になってしまうのです」

                                                                 2012年5月29日のお話より

 

                     【  経     緯  】

2005年4月13日  排尿困難のため病院で検査。

            4月14日  末期の前立腺がんと診断。
                              PSA値は41.8、骨盤にも転移。
                              2か月の命と告げられる。

            5月            デポカボチャの種を7日間食べる。
                              自然排泄に戻る。
                              PSA値は43.6。

            6月22日  日本冬虫夏草を飲み始める。
                              検査直前まで875ccを飲む。

            6月23日  MRS検査、異常なし。
                              骨盤への転移も消失

           9月              PSA値は2.5。            
                              MRS、生検、いずれも異常なし。

2006年3月            MRI、MRS、生検、いずれも異常なし。
                             がん消失と診断される。

 

 

 

 「暑い日が続いていますが、元気にしております。病院の先生もこれまでの私の経緯に『不思議だなー。不思議だなー』としきりに首をかしげています」

2012年7月21日のお話より

 

「お陰様で今年も美味しいぶどうが出来ました。お召し上がりください」

2012年9月2日のお手紙より

 

 丸々と稔ったぶどうにお手紙が添えてありました。早速、一粒口にすると、目の覚めるような美味しさです。ジューシーで濃厚、最高にバランスが整った奥深い味です。このようなぶどうは、正直、店頭ではまずお目にかかれません。同じ品種でも作り手によって全く味が違うのですね。須田さんの並々ならぬ情熱と愛情がダイレクトに伝わってきました。

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 「余命2か月と宣告されてからもう8年です。毎年変わらずぶどうを作り続けてきました。32歳の時から50年以上ぶどうの生産組合長をやっています。私のところには、若手の組合員がさまざまな悩みを抱えて相談に訪れます。帰る時は、前向きになって元気な顔つきに変わっています。『心が豊かになる』と言ってくれる部下もいます。私はあえて、今生きてぶどう作りをしていることが奇跡だという8年前の話をするのです。すると、皆、『自分の悩みは大したことじゃないな。へこたれてちゃいけないな』と思ってくれるようです。今年のぶどうを送りました。召し上がってください」

2013年9月2日のお話より

 

 

 須田さんが育てた見事なぶどうが届きました。今年もご馳走様です。余命2か月の宣告から10年の歳月が過ぎたそうです。

2015年8月24日のお話より

 

 「今年5月、作業中に転倒し、頭を打ちました。1か月して病院で検査をしますと背骨にヒビが入ってるとのこと。そのまま入院となり、45日間ベットの上におりました。リハビリをして、現在は杖無しで歩けるまでになりました。前立腺の方は心配なく推移しています。86歳になりました」

2016年7月26日のお話より

 

 「先日、医師から『前立腺がんの患者さんの余命は7年くらいです』と聞きました。私は11年経ちました。この頃は、家の中は杖なしで。外出する際は念のため、杖を使うようにしています。食欲もあり元気です」

2016年11月19日のお話より

 

 「ついにぶどう作りからの引退を決めました。そうゆうわけで長い間酷使してきた体を労り、この春はのんびりゆったり過ごしています。元気でおります」

2017年4月8日のお話より

 

今村晴美さん(宮城県在住)の場合

「下腹部に尋常ではない痛みが走り、病院に行ったのは1999年(37歳)春のことです。この時、『他にも悪いところがないか、この際だから全身くまなく検査しましょう』という話になり承諾しました。すると次々と異常が見つかっていったのです。まずは乳房にしこり、そして甲状腺に腫瘍、さらに腸骨に影...。

 

 乳房のしこりは良性と悪性の中間レベル、グレーといったところで、すぐに摘出。甲状腺の腫瘍はクロ。広がっていたリンパも含めて摘出しました。腸骨の影はシロの判断でした。

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 今はどうか分かりませんが、当時の検査は肉体的、精神的負担が伴いました。手術よりしんどかったかな。私は、その病院で幸運にも心の支えになってくれる素晴らしい看護師さんと巡り会っていました。生検の際は病院側に頼み込み、その看護師さんに担当で付いてもらいました。検査中ずっと手を握ってもらっていたほどです。白衣の天使って本当にいるのですね。彼女がいなければ、次から次に起こる現実を乗り越えられなかったと思います。

 

 さて、唯一症状が出ていた子宮内膜症の話に戻りますが、片方の卵巣と卵管を摘出しました。子宮には筋腫が3個ありましたが、残して経過観察していくことになりました。甲状腺の術後も、抗がん剤の投与等無かったですし、投薬されたものといえば退院後の鉄剤とホルモン剤ぐらいですかね。

 

 その後しばらくして、副鼻腔炎の手術もやっています。このように、次々とやってくる大病に休み無く立ち向かっていかなくてはなりませんでした。

 

   2001年になると、今度は息子の肺にがんが見つかりました。当時18歳。転移ガンでした。手術の前に抗がん剤を投与し、患部を小さくしてから根っこを手術で摘出するというプランに沿い、抗がん剤投与が始まりました。すると全身の毛が抜けました。眉毛もです。並外れた食いしん坊だったのに食事はできず、飲み物さえ受け付けない。胃の中は空っぽなのに吐くのですから見てられませんでした。自分のことより辛かったです。

 

 そこにある人物が見舞いに訪れました。山内正徳さんという方です。そして『これ飲んでみて』と何か差し出したのです。それが日本冬虫夏草と私の初めての出会いでした。

 

 覚悟を決めた息子は、ひとくち口にしました。すると食べ物も飲み物も一切受け付けなかったのにスンナリ飲めたではないですか。それから先も他の物は無理でも日本冬虫夏草だけは飲めるということでした。不思議な物があるもんだわと思いました。

 

 その後、息子の手術は成功し、再発や転移と無縁で今日まで元気に過ごしています。日本冬虫夏草は現在も続けています。

 

  さて、2005年の話になります。仕事中のことでした。ずいぶん前から左耳が聞こえずらいなと思っていたのですが、秋になって、電話の受話器を持った時、発信音が全く聞こえなくなったのです。右耳にあてるGH127_L_SP0001.JPGと確かに発信音は鳴っています。音の種類によって全く聞こえない音とかすかに聞こえる音があるようでした。

 

 すぐに耳鼻科で診てもらうと『耳自体は何ともない。耳の裏も問題ない。他に問題があるのではないか』ということでMRIで頭部を調べると『何かあるね』と言われたのです。頭の中が真っ白になりました。診察が終わったらデパートに寄って帰ろう。そんなあたり前の日常が一遍に吹っ飛んでしまったようでした。老舗デパートが閉店セールをやっていた時だったのでよく覚えてます。1129日のことでした。

 

 そんな時、あの日本冬虫夏草を思い出したのです。再び山内正徳さんに相談し、私も早速日本冬虫夏草を試すことになりました。病院からは『腫瘍が耳の神経と顔面神経と三叉神経にかかっていますので手術のリスクがかなり大きく、万が一神経が切れてしまうと。顔の半分が落ちてくるでしょう』と言われました。そして、脳外科医の福島孝徳先生に執刀してもらうように手配してくれました。福島先生は海外で活躍されていて、鍵穴手術で癒着や神経を巻き込んだ腫瘍を上手く剥がす技術をもっている方らしく、来日する2週間の間に45件もの手術をするといわれています。その代わり、手術を1年近く待たなければなりませんでした。

 

 手術の準備として貧血を改善しなければならず、鉄剤を渡されました。日本冬虫夏草は無理なく続けられました。フルタイムで働くのを止め、時間をセーブして仕事を続けました。

 

  半年後の20065月。脳腫瘍の診断直後からあった頭痛が無くなっていました。血液検査をすると、『貧血が良くなってる』と言われました。『子宮筋腫も大きくなっていない』ということでした。頭痛は、『ここに腫瘍がある』という精神的なものに起因した痛みだったのかなとも思います。20069月には、貧血は改善され、子宮筋腫も大きくならず止まったまま。子宮筋腫の方は『このまま手術なしでいけそう』との診断。難聴はまだありました。

 

  20061027日、脳腫瘍の摘出手術の日です。前もって『腫瘍は神経に絡まっているので元のように聞こえるようにはならないよ』と釘を刺されていました。病室を朝9時前に出て、手術室から戻ったのが夜の8時。手術は10時間に及びました。後で知ったのですが、この日は私のために10名程の親戚縁者が駆けつけ、見守ってくれてたそうです。術後、頭の中に空気が入ったために起こる頭痛が続きました。そのため1か月は薬を服用しています。薬はそれだけです。

 

 

戻らないと言われていた耳が元に戻った

 

しだいに頭の重苦しさや痛みから解放されていきました。そして、なんと左耳が昔の耳に戻ったのです。電話の受話器をあて、普通に会話が出来るようになったのです。耳は元には戻らないと覚悟してましたから、信じられないことでした。

 

 私の感想ですが、腫瘍が神経から剥がれ易くなってたのではないかと思うのです。手術まで長い時間がありました。その間、日本冬虫夏草をはGW115_L_SP0001.JPGじめ、食事に気をつけたり、仕事をセーブしたり、できるだけ体をいたわる事に努めました。乳製品断ちもしました。それまではチーズが大好物で頻繁に食べていました。これらの試みが無駄ではなかったのだと思いました。仕事はひと月休んだだけで、復帰することができました。

 

  20077月。持病の子宮筋腫にも変化が現れました。

筋腫3個がそれぞれ小さくなっているのです。先生も『このまま閉経していけば大きくなることはありませんし、手術の心配はもうありませんよ』と言ってくれました。血液の状態も『献血できるほどです』と言われました。この年の暮れには転職してフルタイムで働き始めています。

 

 持病の子宮筋腫はさらに小さくなっていき、2010年の夏から週に1度スポーツジムに通い始めました。40分のランニングが出来るほどの体力が身につきました。私の実年齢を知った人が『えっー!若い!』と驚いてくれます。孫と一緒にいると母親と勘違いされることもしばしばです。日本冬虫夏草との付き合いも5年を超えました。2006年の脳腫瘍の手術が終わってから手術を必要とするような大病が全く無くなりました。暮らしの中にはいつも日本冬虫夏草があります。

 

 

 

  振り返ると、経済的問題を抱えていて、それが引き金になったかなと思います。20年間苦しみました。がむしゃらに働き続けなくてはなりませんでした。休んだという記憶がほとんどありません。体が悲鳴を上げるはずです。今では全てが片付き楽になりました。一方で人に恵まれました。健康を取り戻せたのは周囲の温かい方々に支えてもらったお陰だと思っています。

 

私は、自分の事情や悩みを隠したり、ひとりで抱え込んだりしない性格です。それゆえ、皆からヒントやアドバイスを貰えたのかなと思います。皆、色々な経験や知識を必ずお持ちです。今度は私が病気で苦しんでる方の力になり、世の中にお返したいと思いました。私の経験が役立ってくれたらこんな嬉しいことはありません。そのため実名のまま、隠さず話させていただいたつもりです」

 

                                                                       201124日のお話より

 

 

 

【経   緯】
1999年  日付記録無し 乳房のしこり摘出。
   4月15日 子宮内膜症で卵巣・卵管摘出手術。子宮筋腫は残す。
   5月11 左腸骨腫瘍生検。
   5月24 甲状腺がん手術
2000年  10月30 副鼻腔炎手術。
2005年  11月29 脳腫瘍見つかる。
2006年  5月 脳腫瘍の診断直後からあった頭痛が解消。
子宮筋腫の大きさはそのまま。貧血改善方向へ。
   9月 子宮筋腫の大きさはそのまま。貧血改善。
   10月27 脳腫瘍摘出手術。本来の聴力に戻る。
2007年  7 子宮筋腫が縮小し、完全に手術の必要無くなる。
2010年  10月 子宮筋腫がさらに縮小。

 

 「立ちくらみのようなめまいがしたので、検査をするとコレステロールと中性脂肪の数値が高いことが分かりました。CT画像には脳梗塞の跡が写っていると言われました。いつ起こったのか気が付きませんでした。こういうことは多くの方にあるようです。体調に自信があったので、ここしばらくは、食事に気をつけることも無く、自由に食べてました。気を抜いて油断してました。職場の同僚に健康アドバイザーがおりまして、コレステロールを下げる食材、血液をサラサラにする食材を教えてもらいました。運動と組み合わせて、体質改善に努める決意を新たにしています」

 

                                2011年2月10日のお話より

                                               

 

 

3.11東日本大震災で次男家族が九死に一生を得ました。

            

 「巨大地震の直後、名取市閖上(ゆりあげ)に住む次男家族の安否が気になりました。海沿いの街ですから津波によって壊滅したという話です。連絡も取れず、一部の望みも無いとあきらめかけてたその時、当人達が現れました。孫を抱きしめて号泣しました。地震から3日目のことです。IMG_0797_SP0001.JPG

 

我家は今、非難してきた他の親族も合わせて10人暮らし。次男は職場が流され、仕事を失った状態ですが、目下のところ大所帯で賑やかに過ごしております」

            2011年3月16日のお話より

 

 

 

名取市にある仙台空港ターミナルの様子。津波によって運ばれた瓦礫の山。止まったままの電車が見える。329日撮影。瓦礫の撤去が急ピッチで進められていた。米軍200人が作業にあたり413日に一部国内線で運行再開。当初、開港に一年といわれていた。驚異の速さに世界中が驚いた。


 

 

 「疲れがでたのでしょうか?首に痛みが出たので脳外科で診察してもらうと、帯状疱疹と分かりました。発疹が出る前だったのですぐに治療し、事なきを得ました。次男は新しい仕事に就き、再スタートを切りました。今は5人所帯となり、日常生活も落ち着きを取り戻しつつあります」

                               2011年6月3日のお話より

 

 


 

 市の乳ガン検診で『影のようなものがある』とのことで再検査に行ってきました。正直ちょっと心配でしたが...今日の検査で異常なし。安心して帰ってきました。めまいからは解放され、血糖値だけ高く、今、本気で食事療法を始めたので体調が良いです。息子は私より日本冬虫夏草を多く飲んでいて元気にしています」                           

2012年5月8日のメールより

 今日、検査のため病院に行ってきました。2か月前から薬は出されていたのですが正常値に届かず、ここにきてついに血糖値が正常になりました。真面目に食事療法に取り組んだ成果だと思います。コレステロール値もOK!嬉しいです」

                                                                 2012年6月28日のメールより

 「両親や孫たちと大所帯で楽天と日ハムのゲーム観戦に行ってきました。延長戦にはなるし、孫たちは飽きてくるし、冷えてくるし、途中で帰宅して正解でした。無理をせず、家族でイベントを楽しみながら過ごしています。脳腫瘍の手術から8年が経過しました。元気で過ごしております」

 2015年5月21日のお話より

 

肺がんを克服した長男が結婚

  「昨年11月末に副鼻腔炎になり、ポリープも一つみつかったため手術しました。その後 、大晦日に40度、1月末にも38度の高熱が出ました。病院での検査で、インフルエンザでないことが分かっています。でもそれからなんですよね。体の調子が良くなったのは。発熱の産物かもしれません。

EN166_L.jpgこの度、肺がんを克服した長男が良縁に恵まれ結婚いたしました。9月には子供も生まれます。18歳の時に抗がん剤を大量投与してましたから、子宝に恵まれることなど考えていませんでした。驚いています。みんな元気で働いております」

 2016年5月3日のお話より

 

「予定より一か月早く孫が産まれました。2400gと小さめでしたが元気な男の子です。私のところにお嫁さんが里帰りしたようなかたちになっていましたが、今日から本来の住まいに戻り、3人の生活が始まります」

 2016年9月18日のEメールより

 

 

田辺裕一さん(仮名)の場合

 「私は長い間、『病気とは無縁な人間だ』と思っていました。会社の健康診断ではいつも満点、言うことなし。たった一度だけ、単身赴任中に高脂血症(2007年に脂質異常症と改名された)の一歩手前と注意された時も、脂っこいものや魚卵類・鶏卵を控え、ウォーキングを続けることですぐに数値が正常値に戻りました。『タバコが止められなくたってそれくらいではびくともしない、他の人とは体のデキが違うんだ』という確固たる自信をもっていたのです。

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 その自信が揺らぎ始めたのは60歳の時、2000年の暮れ、友人の送別会に出席した時のことでした。私はビールを飲みながら、話に夢中になり、長いことトイレを我慢していました。ようやく席を立ってトイレに行くと、おしっこが赤く染まっているのです。どういう色かといえば、郵便ポストの色。『ずいぶん酔っ払ったもんだな。こんなに眼がおかしくなっちゃって』と思い、天井のライトを見上げればそれはいつもと変わらぬ色。そこでようやく異変に気付きました。

しかし、血尿は翌日には治まっていて、その後かすかな出血が2日続いてそれっきり。病院で検査してもなかなか原因がつかめません。右の腎臓に豆粒ぐらいの腫瘍があると分かったのは年が明けた2001年1月19日のこと。右の腎臓から尿管にかけて全摘手術をすすめられました。それを知った兄は慌てて酵素という飲みものを抱えてやって来ました。精神的にずいぶん弱っていましたから兄の提案に勇気をもらい、酵素を飲み始めました。

 

 手術は2001年2月26日に行いました。細胞を調べると悪性度がレベル2で、最終的な病名は右腎孟がんとなりました。その後は3か月かけて3クールの抗がん剤治療を受けました。薬の副作用で髪の毛は若干抜けたものの食欲もそこそこで、術後の回復は早く、周囲を驚かせました。酵素飲料は6月まで続けていましたが、とても甘いものでしたし、検査で血糖値が高く出たため続けることが出来なくなりました。それと入れ替わるように同じ病室のお隣さんの話から、アガリクスの粉末を飲むことにしました。

入院中、主治医に『やっぱりタバコは止めた方がいいですよね』と尋ねたことがあります。すると『私も吸ってるから何とも言えないよ』という返事。そのまま毎日喫煙室に通い続けました。ちょっと前まで世の中はタバコには寛容で、病院の食堂でも患者さんが堂々と吸っていました。タバコを取り巻く環境がガラリと変わったのはここ2、3年のことと思います。2002年ぐらいからですかね。

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主治医は退院する際も、『お酒やビールは少しなら大丈夫。何を食べても構わないよ』と言ってくれました。それとは対照的に後に訪れた漢方薬局では、タバコはもちろんアルコール類はダメ、動物性の脂肪や肉類は止めて、穀類を中心とした食事にするなど厳しいアドバイスで、私はこの際できる限り摂生してみようという気持ちになり、主食は白米から、玄米を1/2と1分づきを1/2混ぜたものに替え、タバコは2001年8月13日にスッパリと止めました。

 

病院では、いずれ膀胱に転移することを想定してるようでした。そして手術から11か月後、膀胱に4個のポリープが現れました。電気メスで患部を切除し、抗がん剤を4クール膀胱内に注入する治療を行いました。続けていたアガリクスの粉末はこの頃に止め、煎じて飲む乾燥アガリクスと、13種類の生薬を組み合わせた漢方薬に替えています。その漢方薬は有名な政治家も飲んでいるとのことでした。松葉、クマ笹、朝鮮人参も飲み始めています。

 そしてそのポリープからわずか5か月後、今度は膀胱内にカリフラワー状の悪性腫瘍が見つかったのです。膀胱がんです。これは再発の間隔がだんだん縮まっていくという話を聞きました。なんとかこの間隔を伸ばせないものか。できれば再発の心配なく暮らしたい。そんな頃出会ったのが日本冬虫夏草でした。

朝日ウィル(北燈社)2005年11月8日号より

 

【経   緯】
1997年
人間ドックでC型肝炎ウィルスのキャリアーだと知るが、たいしたことではないと思ったし、自覚症状もなく、以降手術をするまで全く忘れて暮らすこ とに。
2000年
12月20日
友人の送別会に出席、血尿が出る。
12月21日
血尿止まる。
12月22日
かすかに血尿。
12月23日
かすかに血尿。それ以降血尿なし。
2001年
1月19日
右の腎臓に豆粒大の腫瘍見つかる。
1月28日
酵素飲み始める。
1月30日
入院。
2月26日
右の腎臓から尿管まで全摘手術。術後、抗がん剤治療4クール。
3月15日
細胞検査の結果出る。腫瘍はレベル2の悪性で、病名は右腎孟がんとなる。
6月21日
血糖値上昇。酵素止める。アガリクス粉末を飲み始める。
6月30日
退院。
8月13日
タバコを止める。主食を玄米1/2、1分づき1/2の混合米にする。
2002年
1月
膀胱にポリープ4個現れる。
2月4日
電気メスで手術。
2月23日
漢方薬(13種の生薬)を飲み始める。
3月16日
アガリクス粉末止める。
3月17日
乾燥アガリクスを煎じて飲むものに替える。
3月22日
松葉、クマ笹、朝鮮人参を飲み始める。
6月20日
膀胱がんが見つかる。
6月24日
日本冬虫夏草を飲み始める。

 

 「膀胱がんの手術は2002年7月1日のこと。カリフラワー状の腫瘍をひとつ電気メスで切除しました。その後BCGを膀胱内に注入する治療を受けています。これは計6回の注入で、1回終わるごとに7日間の休みを入れてひと月半かけて行うのです。事前に、主治医からは『この治療のリスクは、耐性を持ったがん細胞がしばらくして出てくるという可能性があることです。このたちの悪いがんが現れたら大変です』という話がありました。ただ、排尿痛や白血球上昇といった治療中の副作用は全く現れませんでした。日本冬虫夏草は手術の前から飲み続けていました。煎じて飲む乾燥アガリクスと漢方薬、松葉、クマ笹、朝鮮人参はそのまま継続していました。

000048-c.jpg 手術と治療を終えて退院してから、リフレッシュするつもりで玉川温泉に出かけました。そして3日間のんびりと過ごしました。森林浴もできました。再発のことなど考えないで暮らせたらどんなにいいだろうと思いましたが、主治医は私以上に再発が念頭にあるようでした。検査も頻繁にありますから病気のことを忘れる時間がありません。
  

 その後は2年余り再発なく過ごしました。途中、ゴマ粒ぐらいのイボが出たり、ポリープが現れたりはしたもののいずれもがん細胞が出てくることはなく、そろそろがんとは縁が切れたかなと思い始めた矢先のこと。2004年8月12日、短い縫糸のようなものが現れ、とうとうがん細胞が見つかったのです。9月には、波状放射状に急速に広がっていく、悪性度が最高レベルであるグレード3の膀胱上皮がんと診断されました。前回の腫瘍はつまめば取れるものでしたから、横にどんどん這っていく今回のものとは人相がまるで違います。

 

病院の治療を一切やらずに膀胱がんが自然消失

 治療法をどうするか、じっくりと話し合うことになりました。私は、2002年にポリープ切除後、抗がん剤を注入し、5か月後に膀胱がんになっているので、その頃から『抗がん剤の治療はもうやりたくない』と断っていました。BCG注入後も、結果的このようになっているので、それも選択しにくい。そうなると膀胱そのものを摘出する手術しか残っていません。乾燥アガリクスや漢方薬も止めていましたし、もう何もかも頭にきて日本冬虫夏草も止めようと思いました。
 それでもキッパリ止めてしまう前に、種類の全く違う日本冬虫夏草のCY16番を、これまで飲んでいた知名度の高いCY11番に加えて飲んでみようという気持ちになったのです。日本冬虫夏草は国内に350種以上生息するといわれています。松葉、クマ笹、朝鮮人参も続けることにしました。手術まで2か月あります。その間、病院の治療は一切ありません。

 2004年12月13日、膀胱の摘出手術を行いました。摘出部はすぐに細胞検査にまわされました。そしてその結果は驚くべきものでした。どこを探してもがん細胞が見つからないというのです。探しても探してもどこにも無いということです。それから検査は続けてますが、がん細胞がどこかに現れるということもありません。
 そもそも発がんの原因は何だったのでしょう。思い当たるのは長年の喫煙です。1日25本、40年間休まず吸い続けてきたのです。タバコを止めたからといって、すぐに発がんのリスクが消えるものでないのも分かっています。ただ仕事の面では週に2日ほど職場に出かける程度ですから、ここ5年間は無理をせず、のんびり暮らせたのはとても良かったと思います。食事は、自家栽培の野菜をたくさん食べるようになりました。農薬をほとんど使用せず、有機肥料を使って20種類ぐらいの野菜を楽しみながら作っています。

 笑うと免疫力が上がると聞いて、コメディ映画やお笑い番組を見たことがありますが、どうしても笑えない。時代劇や西部劇のような痛快活劇の方が気持ちがスカッとして私には合うのも分かりました。心にためたりしないで言いたいこと、質問したいことを病院側にズバズバ言いました。注射が得意でない医師がいれば、『ヘタクソ、自分達で練習してから出直してこい』なんて言ったこともあります。我慢して陰で文句を言っている患者さんがよくいますが、これはお互いの為にならないと思うのです。そんな私にも病院のスタッフの皆さんはいつも親切で、丁寧でした。面倒な質問にもとことん答えてくれました。注射のヘタだった先生も、仲間内で練習していました。その先生が数年後には偉くなって戻ってきたのは、ちょっと予想外のことでした。

000048-d.jpg 2005年のお正月は、大きな手術の後だけあって、養生の為、子供や孫達に遠慮してもらって妻と二人だけで過ごしました。手術では、膀胱を取り出して小腸の一部を膀胱の替わりにしました。それは月日とともに体になじんできてますが、排尿の回数はまだ多くて不便もあります。本来の膀胱がある時と完全に同じ様には戻らないのもいたしかたないことです。がんが消失してから何事も無く、1年が経ちました。来年のお正月は子供や孫たちがやってきて、いつものように賑やかな正月となりそうです。
 引き続き、体に溜めてた毒を出し、新たに体に入れないよう食事でもって浄化に務めています。松葉、クマ笹、朝鮮人参と日本冬虫夏草は現在も続けています」

朝日ウィル(北燈社)2005年12月13日号より

 

【経   緯】
2002年
6月24日
日本冬虫夏草を飲み始める。
7月1日
膀胱がんの手術。その後BCGの治療。
7月17日
乾燥アガリクス止める。
10月15日
テレビモニターで膀胱内壁を見る。手術跡も消え、なめらかできれい。日本冬虫夏草は飲む量を減らす。
2003年
3月20日
膀胱の入り口が赤く腫れる。細胞検査をするが問題なし。
6月29日
手術から1年。日本冬虫夏草の量をさらに減らす。
8月15日
同じ漢方薬を飲んでた政治家が肺がんで世を去ったことを知る。その後、漢方薬を止める。
9月4日
ゴマ粒ぐらいのイボが現れる。細胞検査するが問題なし。
12月19日
日本冬虫夏草の量を増やす。
2004年
1月15日
3つのポリープ現れ、手術前
1月26日
血液検査、HCV(C型肝炎ウィルス)抗体陽性。3つのポリープ切除。
8月12日
短い縫糸のようなもの現れる。がん細胞見つかり、膀胱がんの手術から2年余りで再発。血液検査、 HCV(C型肝炎ウィルス)抗体陽性。
9月10日
通院で縫糸のようなもの切除。
9月13日
波状放射状に広がる進行の速い、悪性度が最高レベルのグレード3のがんとわかり、膀胱上皮がんとの診断が下る。
10月14日
これまで飲んでたのは日本冬虫夏草の中のCY11番という種。種類の違う日本冬虫夏草のCY16番を加えて飲み始める。
12月3日
血液検査、HCV(C型肝炎ウィルス)抗体陽性。
12月13日
膀胱摘出手術。がん細胞はどこにも見当たらず、消失。

 

 「なかなか簡単にはいきませんが、病気を治す環境を作るとしたら、心を解放することと、夢を持つことのように思います。

000048-e.jpg 私にとって心休まる場所がどこかといえば、森の中といえるかもしれません。森林組合が行ってる事業に山林オーナー制というものがあります。住まいの近くに1haの山林を区分し、一般の人に貸し出してる場所があり、私は年2万円の契約料で300坪の山林オーナーとなりました。

 木を伐採してもいいし、小屋を建てるのも自由です。そこでナラの木を切ってキノコ栽培を始めることにしました。10年かけてキノコの森に育てていくつもりです。
 森の中は、心が穏やかになり、免疫力が高まるように思います。そして自然の中で育った採れたてのキノコを食べ、さらに元気をもらうつもりでいます。私の夢も広がります」

000048-f.jpg 森の中を散策することは、病気を防ぎ、健康を保つ効果があるとして、自然療法の1つとして確立され、健康保険の中に組み込んでる国があります。森林療法セラピーの先進国はドイツです。日本でも森林の効力を軽視できなくなり、林野庁等によって全国31カ所の候補地の中から『森林セラピー基地』の選定が始まりました。
「2006年2月16日に、血液、尿、レントゲン、CT検査を行いました。レントゲン検査は、結核の検査で使用している簡単なものではなく、全身を写せる大がかりなものです。

 

(1)あおむけにレントゲン撮影
 ↓
(2)造影剤投与
 ↓
(3)CT撮影
 ↓
(4)再びレントゲン撮影の行程 で行いました。

 


 

 1か月後、その結果を聞きに行きました。どこにも異常は認められず、何も心配ないとのことでした。この冬も一度も風邪をひくことなく、元気で過ごせました」

2006年3月20日のお話より

 

 「2004年12月の手術から再発、転移もなく、2年半が経とうとしています。5年を目標にしていますので、折り返し地点にちょうど立ったところです。その最後の手術からは、日本冬虫夏草は量を減らさず毎日続けてきました。キノコの森作りは着実に進行していまして、ナメコ、シイタケ、マイタケの植菌を済ませ、この秋初めての収穫となります」

2007年5月12日のお話より

 

C型肝炎ウイルスが自然消滅

 「1997年に人間ドックに入って血液検査をした時、C型肝炎ウイルスに感染していることを知りました。いつ感染したのかは不明です。たいしたことではないと思ったし、それまでも、それ以降も自覚症状は全くなかったものですから、すっかり忘れて暮らしてきました。

 でも2002年の膀胱がんの手術日には、手術の順番が最後に回され、C型肝炎ウイルスのキャリアーだったことを思い知らされました。私を最後に手術するのは他の人に感染させないようにという病院側の配慮だったわけです。

 ところが2006年の夏の人間ドックで、ウイルスが陰性と出て、2007年の夏にも同様の検査で陰性と出たのです。内科の医師は『こんなことはめったにないことだなぁ』と信じられない様子でした。ワンランク上の定性分析検査を行いました。現在のところこれ以上精度の高い方法はないそうです。その結果が出てきまして、やはりすべて陰性ということでした。そのデータをお送りします。膀胱がんの手術でがん細胞が消失しているのを確認してからまもなく3年が経とうとしています。食事療法をしながら、松葉、クマ笹、朝鮮人参と日本冬虫夏草は今も続けています」

2007年10月15日のお話より

 

田辺裕一さんのHCV抗体検査の推移

検体(血液)採取日
HCV(C型肝炎ウイルス)抗体
 
1997年日付不明
陽性
人間ドック
2004年1月15日
陽性
手術前検査
8月12日
陽性
手術前検査
12月3日
陽性
手術前検査
2006年8月10日
陰性
人間ドック
2007年8月6日
陰性
人間ドック
9月18日
陰性
最終確認

 

 

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 「再発なく無事に4年が経とうとしています。手作りのキノコの森でなめこを収穫しました。稔りの秋を楽しんでいます」

2008年11月4日のお話より

 

 「2月3日のCT検査でも異常なし、2月10日の血液検査と膀胱鏡検査でも異常なしでがん細胞の消失から何事もなく無事に4年2か月が経ちました。日本冬虫夏草も変わらず続けています」

2009年2月12日のお話より

 

 「がんを経験し、自分の健康を考えた時、自分の口に入る野菜は自分で作ろうと思いました。虫が付いてもいいから無農薬で。野菜作りをするようになって毎日張り合いと楽しみが生まれました。この気持ちが免疫力を高めるのに一役かってくれてるようです。
退職して『今日は何をしていいかわからない』という人がいます。それはもったいないことだと思います。野菜作りは今日はこの作業、明日はこの作業、と次々とやることが出てきます。
でも年齢とともに手入れする面積を縮小することが必要と思っています。同じようにやり続ければ必ず無理をします。それでは健康のために始めたのにもとも子もありません。
 12月13日で膀胱がんの消失から5年、C型肝炎ウイルスの自然消滅から2年、何事もなく過ぎました。腎盂がんや膀胱がんは克服したといって良いでしょう。病院からは、検査の間隔を2倍に延ばされました。今後は日本冬虫夏草の量を1/2に減らして続けていくつもりです。ますます元気に過ごしております」

2009年12月29日 のお話より

 「私ががんになった時、友人達は病気に無縁で元気そのもの。うらやましいと思ったものでした。それからというもの私は健康のために努力を続けてきました。今は、痛いところも悪いところも何もありません。幸せな毎日です。一方、元気だった友人達は皆、体のあちこちが悪いとボヤいています。彼らは体に自信があって努力するきっかけが無かったのでしょう。努力の差は長い年月をかけるとはっきり出てくるものなんですね。毎日の努力の積み重ねとはこわいものです。

 膀胱がんの焼失から5年半、C型肝炎ウィルスの自然消滅から2年半、再発なく元気に経過しました。日本冬虫夏草は今も続けています」                                      

2010年6月22日のお話より

 「この度の検査でどこにも異常が無く、この12月で膀胱がんの消失から7年が経とうとしています。C型肝炎ウィルスの自然消滅からは4年が経ちました。この頃は年に4回の検査を続けていましたが、『これからは、年に1回(CT、膀胱鏡、血液検査、尿検査)にしましょう』と言われました。来年の9月13日に予約を入れてきました。

 無農薬、有機肥料の野菜作りを続けています。食べてくれる友人達は『甘くて、特別旨いよ!』と絶賛してくれます。孫達も野菜嫌いの者はおらず、バクバク食べてくれます。私の食生活は完全和食です。お肉は滅多に口にしません。それでも鶏肉だけはたまに食べます。薬を使わない採れたての新鮮野菜と完全和食が、私に正常な細胞1コ1コを作ってくれてると思っています。日本冬虫夏草も続けています」

2011年10月1日のお話より

 

胃がんの再発がストップ

 「2年続けて胃壁にがん細胞が見つかり、2012年8月と2013年10月に削り取る手術をしました。2012年の2月にはすでにピロリ菌の除菌は済ませていました。

 冬虫夏草属の胃がん細胞に対するスクリーニングの結果が出てきたのは2013年に入ってからです。日本冬虫夏草CY157番が胃がん細胞に選択的に働いたというものでした。これまで飲んでいた日本冬虫夏草の一部をCY157番に切り替えることにしました。2014年の秋と2015年の秋の検査では異常無しで、再発無く3年目を迎えています。

 耳鼻咽喉科の先生に聞いたところ、タバコをやめてもその影響は長く残るということらしく、肺の場合は一生だそうです。他の臓器は、禁煙してから15年経てば、吸ってない人と同じになるそうです。私が止めたのは、2001年8月13日のことでした。

 さて、今年も野菜作りを元気に続けていますが、畑をやっていると思わぬ窮地に陥ることがあります。自分にとってどの辺が限度なのか分からなくなってくるのです。作物の種類がどんどん増え、耕作地も広げ、収穫した野菜を親しい人に配れば、大層喜ばれるものですからますます没頭していきます。特に夏場、天候が悪くても作業をし、体力を擦り減らすようになります。

 限界はどこで見極めればいいのでしょうか?朝の目覚めが悪い場合や体重が増えてないのに体が重く感じて機敏な動作に苦痛が伴うようになったら、そこで悟らなくてはなりません。

 後期高齢者といわれる75歳が節目かなと思います。農作業の一つ一つがスローペースになっていくのを実感し、一畝を作るにしても3度の休憩が必要となりました。持久力がなくなるのですね。

 そしたら思い切って縮小するのです。私はいよいよとなったと感じ、『体力が持たなくなりまして、来年は期待しないでください』と最後の野菜を届けて回りました。

 今は、夫婦二人が食べる分だけ育てております。畑は小高い山間地にあり、これといった作業の無い日にも出掛けていきます。そこには一本の大木があり、その木陰に腰を下ろして風にあたります。真夏でも涼しく、とても心地よい風なのです。エアコンの風とは全く違います。澄んだ空気が体に入ってきます。こんな時、この素晴らしい自然環境に自分は守られているのを感じずにはいられません。

 畑の恩恵は様々ありますが、血液検査は満点で、薬を飲むことは一切無くなりました。

 日本人の高齢者が寝たきりになる原因は認知症、脳卒中、転倒・骨折の3つが大きな比率を占めるそうで、起きてから寝るまで一日の合計歩数が8000歩、その中に早歩き20分が組み込まれていれば多くの病気を予防出来、寝たきりも防げるとされています。私の一日の歩数は約7000歩になります。畑までの傾斜地を登り下りするので8000歩の効果は出ていると思っています」

2016年9月21日のお話より


 

【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。

当研究所の技術を真似た偽造品やコピー品にご注意下さい。

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