CASE6 : がん血統かもしれないと考えられた方

山下邦雄さん(薬剤師 東京都在住)の場合

 「我が家は両親および兄、妹の身内4人が、がん死(4人とも胃摘出手術をうけ、内3人は胃がんが直接の死因)するというがん家系らしく、私も用心して20年以上毎年胃検診(X線、又は胃内視鏡)を受けてきました。2009年は胃X線透視後要精密検査といわれ、内視鏡検査を受け、異常なしとなりました。2010年は要精密検査なしで済みました。

001.jpg2011年は、6月初旬に直接内視鏡検査を受けたところ肉眼でも胃がんといわれ、病理組織検査では印環細胞がん、即ち未分化のスキルスタイプと診断されました。通常がんと診断されると、一瞬頭の中が真っ白になって呆然とするといわれていますが、私の場合には、いよいよ来るものが来たかという冷静な受け止め方ができました。

発見者はごく近隣の久米川病院の内科医でしたが、すぐに、近くの公的病院の外科を紹介されました。外科の諸検査の結果、ステージⅠaの早期胃がんと診断されて、手術の準備をされました。しかし、私は新潟大学の安保徹教授の教えに従って、内視鏡手術(ESD)なら受けるが、開腹手術は辞退したい旨を申し出て、内科の内視鏡手術医を紹介してもらいました。

ところがこの内科医は理由も明らかにすることなく、いきなりこの症例は外科手術適応として有無をいわさない剣幕で外科逆送と独断で決めようとしました。私はステージⅠaの早期胃がんであるなら、内視鏡手術を受けた後、足りない部分を自律神経免疫療法と日本冬虫夏草を2本柱とし、その他多くの代替療法で療養するつもりでおりました。

 

 実は胃内視鏡手術の適応にはガイドラインがあります。それは①分化型細胞がんであること、②潰瘍又は潰瘍痕がないこと、③腫瘍が2cm未満であることなどです。私の場合は、未分化型がんであることからこのガイドラインから外れていることが、後程判明しました。私は自分の信奉する代替療法を続けながら、この公的病院との意見の相違等のため、当該病院での手術を断念し、結局最初の久米川病院に戻される形となりました。

この時、発見から約4ヶ月の月日が流れていました。病院での治療はやってませんので、自分の実行する療法がどうだったか確認するつもりで再度胃内視鏡検査を受けたところ、医師は先入観があったせいか、前回と同様の診断結果を出し、改めて2つ目の公的病院外科を紹介しました。

その紹介状には未分化型のスキルスタイプの胃がんと記されておりました。通常スキルスタイプの胃がんは進行が早く、早期の手術が必要と医学書には書かれています。

 

 私が行なってきた代替療法は先の2つに加えて、漢方薬の補中益気湯と十全大補湯、ビタミンCの大量内服(10g/日)、健康食品のフコイダン、抗潰瘍剤ガスロンN(4mg 1T/日)、ビワの葉罨法(あんぽう)と生姜湯湿布、足湯、それに飲尿療法です。

飲尿療法はがん発見直後から朝一番の尿約30ccを一気に飲み干すものです。日本冬虫夏草の飲用は少し遅れて始めています。数日してそれまでの無味だった尿がすごく塩辛くなって、飲めなくなりました。これは日本冬虫夏草の新しい作用機序ではなかろうかと思います。尿中に体中の塩分が排泄されることは無塩食事療法で有名なゲルソン療法に通じる作用効果で、この療法では体内の細胞内のNaをすべてKにおき代えることを目的にしています。

私の実践した代替療法
01.日本冬虫夏草
02.補中益気湯エキス
03.十全大補湯エキス
04.フコイダン
05.ビタミンC
06.ガスロンN
07.自律神経免疫療法
08.ビワの葉罨法
09.生姜湿布
10.足湯
11.飲尿療法

日本冬虫夏草は液体で、2か月間毎日180mLを分4で飲用しましたが、2か月で一応飲用を中止して、飲尿を再開すると数日後から尿の塩辛さが全て無くなったことから、日本冬虫夏草が原因であったことが明確になりました。

 

スキルス胃がん細胞消失。外科手術必要なし。

 2011年10月6日。2つ目の公的病院でも外科には受診せず内科を受診し、ここでも内視鏡手術が駄目なら外科手術も止むを得ないと観念して、5回目の内視鏡検査を受けました。その結果が10月14日に判明しました。

 医師は首をかしげて不思議そうな面持ちで『がん細胞が見当たらない』と発言。外科に送るためには、再確認のため、もう1回内視鏡検査を実施したいとの意向で6回目の内視鏡検査とCT検査を受けました。勿論組織を採っての病理検査も併行して行われました。その結果が判明したのは10月24日。やはり、がん細胞は見つかりませんでした。ですから外科手術も必要ありません。

私が勉強し、信奉してきた各種の代替療法の勝利です。天にも昇る心地というのはこのようなことを言うのでしょうか。

002.jpgこの4か月以上にわたって4、5名の医師より早期の外科手術をすすめられてきたのを何とか先延ばしにしてきました。

一部の臓器でも手術で切除されたらQOLが低下し、一生死ぬまで何らかの身体的不具合を感じながらの生活となったでしょう。望外の喜びです。その場に同席していた家内も大変な喜びようで、その夜は赤飯を炊いて二人で祝杯を挙げました。

 

 

 

 

生き方を変えてみる

 一度がんにかかって治癒した人はがんを経験したことのない人に比べて8~16倍も他の部位臓器のがんにかかり易いという統計もあるようです。過去の生活環境、性格、食事、考え方等あらゆる面で反省し、改善し、ストレスをためないように心掛けようと思いました。

その後は、①漢方薬の補中益気湯7.5g/日分3、②抗潰瘍剤ガスロンN1T/日、③ビタミンC原末5g/日分1、④日本冬虫夏草を粉末に変えて1g/日分2、⑤Se 30.2μgを含むマルチミネラル3T/日分1、⑥ウコン100%3g/日分3、⑦ニューフットウェル使用による手足指先の微小振動刺戟(しげき)を利用した自律神経免疫療法1日2回毎回手足指各2分、⑧ビワの葉罨法(あんぽう)1日1回30分、⑨生姜湿布1日1回30分、⑩湯タンポ使用による就寝時の足指先保温、⑪毎日の入浴、⑫その他発がん防止が期待される玄米菜食、塩分控え目食、獣肉控え目食、緑茶、みかん、ヨーグルト、各種野菜の多食、大豆製品の多食、ニンニク・生姜の常食、茸類の多食、精製白糖・三温糖の使用制限等の食事療法を実践してきました。

 最近、精神・神経・免疫腫瘍学(英語ではPsycho-neuro-immuno-oncology)という学問が急展開して、がんには精神的要素が大きく関わっていることが分かってきました。心の持ち方次第では自然治癒もありうるし、奇跡ではないのです。精神的にゆとりのある毎日を愉快に、朗らかに、明るく笑って感謝の日々を送ることが、がんにかかり難く、かかっても治り易く、高い生存率が得られることが分かってきました。

名古屋に末期がんから生還した元がん患者の数百人規模の「いずみの会」という会があるそうです。その会合に出席する人々はとても元がん患者とは思えないほど、明るい表情で活発な発言をし、大きく笑い、周囲に対する思いやりの深い方ばかりで、年間のがん死亡率が数パーセントだそうで、多くの方が天寿を全うするそうです。

発がんの大きな原因の一つに精神的、肉体的ストレスがあります。そのストレスがなくなればがんが消滅することは自然の道理であります。また、適度な運動は発がん抑制とがん治療の一翼を担っています。私の場合2011年8 月半ばで退職したために、人間関係のストレスから解放されたのは、治るために良い条件でした。そして運動ですが、従来より実行していた水泳、アスレチック運動を継続しています。

 先の1つ目の公的病院で乱暴な対応をした内科医には後日談があります。それは私が『内視鏡手術で足りない部分は自律神経免疫療法その他の代替療法で補足したい』と発言した途端に不快感を示し、『免疫療法でがんが治癒する実例があるのか』と反問して来たことです。西洋医学一辺倒の病院の医師はあらゆる代替療法に不信感を抱き、反感を持っていることが見て取れました。その後の私の経緯は直接その内科医には通知していませんが、内科のナースにはがん細胞発見せずとの文書を提供しています。

 

既製概念にとらわれず、自ら情報収集、自ら選択

 本稿の教訓は定期的な健診と西洋医学の三大療法(手術・抗がん剤・放射線の通常療法)に頼らない治療法です。従って、がんが発見されても病院の医師の指示、発言に惑わされずに、独自の情報網を使って、多くの情報を集め、003.jpg多くの選択肢の中から最適の治療法を自分が選ぶことでしょう。医師からの情報も必要な場合があるかも知れませんが、それを盲信せず、独自の判断で情報を選択することでしょう。

 早期の胃がんでは腫瘍マーカー(CA19-9とCEA)はほとんど陰性で、診断の決め手にはなり得ず、やはり胃内視鏡と組織の病理検査が決め手です。今回の私の場合、最終診断に至るまでには6回も検査を重ねました。最初の4回では胃がん陽性、5回と6回目で陰性と出たわけですが、3つの病院でそれぞれ2回ずつ行ったことになります。費用も馬鹿になりません。公的保険でカバーされている部分はたかが知れています。自律神経免疫療法と健康食品も高価で、かなりのダメージでしたが、命には代えられません。

 

スキルス胃がんの通常療法について

 2011年の当時の専門雑誌から引用すると、スキルス胃がんは胃がん全体の7~10%を占め、比較的若い女性に発症例が多いという。早期発見は困難で、腹膜に転移しやすいという。スキルス胃がんと診断された患者の半数余りは既に腹膜に転移した進行がんというデータもある。スキルス胃がんが発見された時に腹膜播種等の転移がなければ治療の基本は手術。術後に腹膜播種の形で再発のケースが多いという。手術時腹膜播種が肉眼で見えないケースでも、微小転移が既に起きていて、時間の経過とともに大きく増殖する。

スキルス胃がんの病院での標準治療は普通の胃がんと同様、転移がなければ、胃切除。その後一年間は再発予防のためTS-1を経口投与。術後の化学療法で、普通の胃がんの場合、3年生存率70~80%、5年生存率60~70%。スキルス胃ガンでは3年生存が20~30%、5年生存はデータがないので10~20%と推定。最新のスキルス胃がんの治療法は手術+術後のTS-1とシスプラチン、タキソールの併用。

既に転移陽性例や術後再発例ではTS-1とシスプラチンの併用が標準治療とされている。この治療での生存期間の中央値は13か月とされている。但し術前にTS-1とシスプラチンを1クール実施して手術すると、根治の可能性もあるという。タキソール(iv)は消化器毒性が低く、術直後からの使用も可。一般的に術後化学療法は6週後から始めるという。

以上のようにスキルス胃がんは予後不良例が多いようです。これらの治療を一切受けなかった私のようなケースは非常に稀ではないかと思われます」

山下邦雄さん2011年執筆の原稿より

 

カルチノイド腫瘍消失

  「その後の経緯ですが、2012年12月14日にカルチノイド腫瘍細胞が見つかりました。通常の胃がん細胞とは性質が異なり、穏やかで成長も遅いことからカルチノイド(がんもどき)と呼ばれています。治療としては、所在場所の関係から内視鏡手術は不可能であり、内科的薬物療法もなく、外科手術のみだそうです。

 私が実行した代替療法は以下の通り、3か月間継続しました。2013年4月5日の病理組織検査ではカルチノイド腫瘍細胞が見つからず、この件についても医師からは『ありえないこと』と不思議がられました」

Ⅰ 医薬品
(1)本草十全大補湯エキス顆粒           9g/日 分3
(2)本草補中益気湯エキス顆粒          7.5g/日 分3
(3)カイトロン 10mg                   3T/日 分3
(4)セレガスロン 4mg                  1T/日 分1
(5)バイアスピリン 100mg               1T/日 分1
(6)ビタミンC純末                    10g/日 分2

Ⅱ 健康食品
(1)日本冬虫夏草粉末                 2g/日 分2
(2)Se30.2μgを含むマルチミネラル         3T/日 分1
(3)ウコン100%粉末                  3g/日 分3

私の実践した代替療法
01.十全大補湯エキス
02.補中益気湯エキス
03.カイトロン
04.セレガスロン
05.バイアスピリン
06.ビタミンC
07.日本冬虫夏草粉末
08.マルチミネラル
09.ウコン

Ⅲ 物理療法
(1)自律神経免疫療法として両手指爪もみ 各指         各10回 1日数回
(2)自律神経免疫療法として両手指先電気微振動刺戟     1回2分 1日1回
(3)ヘルストロン全身通電 6000V                  1日1回20分 1週4~5日

Ⅳ 運動療法
水泳とアスレチック                       1回2時間夫々週2回

Ⅴ ストレス解消のための精神療法
(1)薬局における調剤と患者服薬指導           1日約6時間 週2回
(2)詩吟練習                             1日30分 毎日
(3)デイサービスにおける高齢者対象のボランティア活動 1回2時間 週1回
(4)音楽と絵書画鑑賞                       随時
(5)お笑い(TVとCD等による落語、漫才等)          随時

Ⅵ 食事療法
玄米菜食、低塩味付け、ヨーグルトとにんにく多食、豆乳飲用、緑茶葉の徹底利用、獣肉と精白糖排除、完全咀嚼、生水の飲用禁止

Ⅶ 温熱療法
湯たんぽ使用による足温、生姜紅茶飲用
追記:3月中旬より瘀血対策と冷え対策目的の本草桂枝茯苓丸エキス顆粒
    7.5g/日 分3

私の実践した代替療法 つづき
10.両手指爪もみ
11.両手指先電気微振動刺激
12.ヘルストロン全身通電
13.水泳とアスレチック
14.仕事
15.詩吟
16.ボランティア活動
17.音楽と絵書画鑑賞
18.落語、漫才
19.食事療法
20.湯たんぽ足温
21.生姜紅茶
22.桂枝茯苓丸エキス

山下邦雄さん2013年執筆の原稿より抜粋

 

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あとがき

 「身内4人の胃がんの治療は、病院での一般的な(通常)療法でした。医師に全ておまかせでした。代替療法なるものは全くやってなかったのです。そんなことがあって、私は、高齢を意識するようになった頃、世の中にあるあらゆる療法を試してみようと思いました。

 知識の土台が無いと、いざ『がん』と告知された時、パニックになり、落ち込み、頼みの綱である免疫力まで下げてしまう。いざという時、取り乱さず、静かな姿勢で立ち向かいたい。努力をしたいと思ったのです。そのための準備というわけです。

 病院の通常療法は、治そうとする自分に対して、悪いところを切り取ってくれたり、小さくしてくれたり、あくまで手助けに過ぎません。最終的に病気を治すのは自分の力だということ。そして、その力を引き出すには努力が欠かせないこと。そんな原理原則を理解している人が非常に少ないように思います。

 私は、スキルス胃がんになる1~2年前に図書館で日本冬虫夏草の本と出合い、知識の一つとして備えていました。

CX138_L.jpg水泳やアスレチック、自転車の運動は10年以上続けています。水泳は週に2度、合計4000mは泳ぎます。一日で体重が0.5~1kg減ります。

肉体を鍛えることによって思わぬ副産物がありました。自信というものが身に付きました。信念を貫く強さも身に付いたのです。

人間は本来弱いものです。周囲から否定されたり、様々な意見に翻弄されたりして、簡単に心が揺れ動いてしまいます。思わぬ攻撃にも合います。信念を貫くことほど難しいことはありません。肉体を鍛えてるかどうかは、大きな差です。運命が変わってしまいます。

 胃がんの原因にピロリ菌やタバコが取り沙汰されますが、2003年頃、検査でピロリ菌陽性と分かり除菌治療を受けました。でも除菌しきれなかったのです。除菌治療も万全ではありません。2011年にピロリ菌が指摘されましたが、その後は触れられることはありませんでした。タバコは25~26歳の頃に葉巻をくゆらした程度でした。

 病名を告げられた時もそうですが、自覚症状は全く無く、これまで食欲が落ちたことは一度もありません。毎日晩酌も欠かしませんし、日本酒なら一合程度いただきます。お気に入りの地酒を求め、年に一度蔵元まで赴くのを楽しみにしています。常に美味しく食事をしてきました。幸せなことです。

 2013年12月12日。訪問看護師さん主催の『がんカフェ』で私の闘病記を配布し、概略の説明をしました。聞き手は、元がん患者さんと医療関係者の方々です。病気になった時、慌てないように準備しておくことの大切さを説いています。準備とは知識の土台と肉体の鍛錬です。

 週に一度は老人ホームやデイケアセンターでボランティア活動をしています。紙芝居をしたり、本を朗読したり、肩もみをさせていただいたりです。この頃はお世話になった社会にお返しすることが私の生きがいとなっております。

2014年2月10日のお話より

 2月24日に病理検査を受けました。8検体いずれからも悪性細胞なしとの判定をいただきました。

2014年3月11日のお便りより

004.jpg 山下邦雄氏1934生。1957年3月千葉大学薬学部卒。20年間製薬会社に勤務後 管理薬剤師として複数の商事会社、医薬品販売会社等勤務。1961年通訳案内 士資格(英)取得、2003年ケアマネジャー資格取得。現在は調剤薬局に週2日パート勤務。2013年には全国の病院や調剤薬局で読まれている専門誌「ファーマ トリビューン」に自身の『薬剤師の闘病記』が掲載され大きな反響を呼ぶ。→ 008.jpg

 

 

眞壁秀夫さんの場合

※前立腺、膵臓がんは中盤。肺がん、乳がんのお話は末尾にございます。

 「私はもともと胃が弱く、疲れると痔になりやすい体質でした。2001年4月から出血が始まり、いつもの痔と思って暮らしていました。でも一向に良くならないんです。近くの総合病院で診てもらうとあっさり何ともないと言われてしまって。それから釈然としないまま4ヶ月が経過しました。痛みは全くないのですが、出血はさらにひどくなっていきました。

000044-a.jpg 8月30日。いよいよ県内でも有名な肛門科の個人病院で診てもらうことにしました。そこは18年前に痔の手術をしたところでもありました。内視鏡で調べてもらったらモニターに一瞬やけどのただれのような部分が映ったんです。内視鏡はゆっくり移動して、腸壁をモニターに映し出していきますが、どういうわけか肝心な部分にさしかかると先生はさりげなくサササーッとスピードを上げちゃうんですよね(笑)。これは見逃しちゃいけないと思ってね、私も必死です。問題の部分は赤黒く変色していて周囲が白くなっているのが分かりました。細胞検査もやって、すぐに大学病院を紹介されました。

 6日後。個人病院の検査をもとに、大学病院でようやく直腸がんの診断が下りました。『手術で開いてみて、患部が肛門に近ければ人工肛門になるよ』と言われました。
手術までは1ヵ月以上あるので、自宅でやれることはやってみようと思いました。日本冬虫夏草を飲み始めたのは翌日からです。腸に負担をかけないよう、主食をモチ米質の少ない粘り気のない米に切り替えることにしました。それはキヨニシキという銘柄で無農薬無肥料米。日本冬虫夏草の浣腸もやってみました。そして出血量が徐々に減っていくこととなり、開始から25日目、ピタリと止まったのです。それ以降出血は全くありません。

 私はこの病気を機に、体の変化についてメモをとるようになりました。

 

2001年4月
出血が見られるようになり、総合病院で検査するが問題ないとのこと。
8月30日
再び個人病院での検査後、大学病院を紹介される。
9月5日
大学病院では直腸がんの診断。
9月6日
日本冬虫夏草を飲み始める。日本冬虫夏草の浣腸を思いついて試してみる。膿みたいなものが出てくる。
9月8日
胃の弱いのが気になっていたが、負担が無いようだ。
9月9日
なんとなく調子がよい。足がポッカポッカと温かくなる。まるで湯たんぽをあててるようだ。夜はすぐに熟睡。朝までぐっすり。
9月11日
便器いっぱい真っ赤になってたのが、出血が減って真っ赤な血が便に薄くつく程度になった。
9月17日
便が黄金色になってきた。便には赤茶色の血のスジが入る程度。
9月27日
腸に負担をかけないよう、粘り気のないキヨニシキという 銘柄の無農薬無肥料米を主食にする。
10月1日
キヨニシキを食べてから5日目。便に血のスジもなくなった。
10月3日
入院。相変わらず出血はない。以後出血はなし。主治医は日本冬虫夏草もキヨニシキも自由にやってくださいと言う。


000044-b.jpg 10月15日に手術。人工肛門は避けることができました。以前、身内がこの同じ病院で大腸がんの手術をした際、摘出した部分を見せてもらったことがありました。患部は黒ずんだ紫色で、500g~800gはあったでしょうか。両手でないと収まりきれない量でした。今回はどういうわけか、摘出した部分は家族の誰にも見せてくれませんでした。何センチ切ったのかもわかりません。赤黒くただれていた部分がどう変化したか見たかったですね。

 

前立腺に異常発見!消失!

   手術から5日目。残尿検査を受けていると、CTに影が映ったことがありました。前立腺のところです。腫瘍マーカーは6.5の異常値。あせって日本冬虫夏草の量を増やして毎日700cc~1050cc飲みました。1週間して再びCTを撮ると、今度は影は消失していてマーカーも2.5の正常値。先生は『あれっー。不思議だねー』とずいぶん驚いていました。すぐに『眞壁さん、何飲んだの?』と聞いてくるから、私はドキッとしてとっさに、この泌尿器科の先生には『何も飲んでません』と答えてしまいました。そしてこの2枚の写真のコピーをいただきたいと申し出ると、『病院間でのやり取りで必要があれば出すけど、それ以外はお渡しできない決まりになっています』と断られました。写真を見れば変化が一目瞭然なので、皆さんにお見せできないのが残念です。

 

10月15日 
手術。人工肛門を免れる。
10月20日 
前立腺の腫瘍マーカー6.5の異常値で、CT検査で影が見つかる。日本 冬虫夏草の量を2〜3倍に増やす。
10月27日 
腫瘍マーカーは2.5の正常値に下がり、CTの画像から影が消失。3年 越しの低温やけどの患部がきれいに治る。

  それからもう一つ、不思議なことがありました。私は3年前にカイロで低温やけどを負っていました。足の患部はそれからずっと炎症が治まらないままだったのですが、退院する頃にはきれいに治っていたのです。

 他の治療は一切なく、手術から1年が過ぎ、長いこと悩みの種だった胃の調子も良く快便の毎日です。昨年、告知を受けた時、すぐに社長のイスを息子に譲りました。私は10年前にサラリーマンを辞めて現在の会社を興したんです。睡眠時間は毎日4~5時間。とにかく働きました。肉類が好物でよく食べていましたね。病気を治すためにそれを止めて、野菜をたっぷり摂るようにしました。お酒は4、5年前から飲んでませんし、タバコはもともと吸いません。

 仕事をやめてから体調のコントロールが利くようになりました。外に出たくない雨の日には終日家で休み、睡眠不足の日は日中自由に眠ることができるわけですから。仕事をしていたら休みたいときに休むことは不可能で、必ず無理をします。これでは自分自身を裏切ってることになりますよね。この病気は痛みがなく、働くこともできますから、あなどってしまうことが非常に怖いんです。

 

000044-c.jpg 近頃は、野菜を作ったり、魚を釣りに海に出たり、自分のペースでやっています。来年は米作りに挑戦しようかと思っています。最近、腸に良いレシピを発見しました。シシトウの佃煮です。とても良い便がでますよ」

朝日ウィル(北燈社)2002年11月19日号より


 「間もなく手術から2年になります。この度のCT、MRI、マーカー、肝機能検査ですべてが正常で、『検査の間隔を伸ばしましょう』と言われました」

2004年9月2日のお話より


 「2006年3月の検査でγ-GPT(肝の状態をみる数値:正常値0~50)が200以上あったのが、この度の検査では60まで下がっていました。その他はどこも正常で、主治医から『もう検査に来なくていいよ』と言われました。そう言われてもまた行くつもりです(笑)。

 γ-GTPの数値が気になってから、日本冬虫夏草の種類をCY42番に変えて飲みました。又、今年になってからお酢療法を始めて肩こりがなくなりました。

 1日1錠の血圧の薬(10年前から)と1日2回2錠ずつの尿酸を下げる薬(20年前から)は続けています。血圧はしばらく安定していて服用を忘れることもしばしばです。もし上昇したとしても肩のあたりが重苦しくなるのですぐ分かります。肩にサロンパスを貼ると血圧がスーッと下がるので不思議です。根を詰めることをするとどうしても血圧は上がるようです。

 自分の体とは長い付き合いなので、くせを心得ていてその都度コントロールしているつもりですが、とことんがんばってしまう性格はたまにコントロール不能となり、ここが反省するところなのでしょう」

2006年8月2日のお話より


000044-d.jpg 「ここ1年は疲れるということがありません。ゴルフに行ってもそうです。若いときの体に戻った気がします。今年は同級会がありました。自分で言うのも何ですが、級友たちは顔が皆しわくちゃで、私だけ顔がピチピチしてたので『どうなってるの?』と思いました。

 日本冬虫夏草は量を減らしながらも続けています。手術から5年が過ぎました」

2006年11月24日のお話より

 

膵管に異常発見!消失!

 「2007年4月に心臓の血管にステントを入れる手術をしました。血管が詰まって倒れたのです。心臓の薬が追加され、一日に服用する薬は7種類となりました。しばらくして、γ-GTP(肝機能数値:正常値0~50)が749まで上昇したので検査を続けていくうち、膵管狭窄と肺に影が見つかります。そしてどちらも治療なしで解決していくのですが、その経緯を報告させていただきたいと思います。

 

【経緯】
2007年4月
ステント手術。これまでの血圧と痛風の薬に心臓の薬が追加され、7種類に。
6月

γ-GTPが749まで上昇。

9月10日
 

膵臓の内部、膵管に異常発見!

 

MRIで膵管の狭窄が見つかり、医師から『ここに出るのはまずがんなんだ』と説明を受ける。
細胞を取って調べる予定。姉と弟を共に膵臓がんで亡くしている。二人とも54歳の若さだった。医師はこの点を重要視。日本冬虫夏草をこれまでと比べて多め に飲むことに。毎日350ccを1ヶ月は続ける。日本冬虫夏草のCY16番の割合も増やす。

 
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11月13日

消失!

ERP(ERCP)検査を行う。これはファイバースコープを膵管まで通して調べるもの。先端のブラシで狭窄の部分から細 胞を取ることになっていたが、膵管の狭窄がきれいに治っている。
CT写真でも異常なし。大学病院では、写真のコピーをもらうことができないので証拠になるものとして、診断書を書いてもらう。

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肺に異常発見!消失!

 

11月31日

肺に異常発見!

PET検査。右の肺に光るものが見つかった。
9月のレントゲン検査では何も写らなかったのに。
肺以外は全身異常なし。
家電屋で吸入器を購入し日本冬虫夏草の吸入も試すことに。

12月11日
旧型のCT機械で撮影。何も写らず。
12月20日
レントゲンに影が出る。
2008年1月30日
レントゲンでやはり影が写し出される。
『こういうのは間違いなくがんなんだ』と言われる。拡大してみると患部がはっきり浮き出る。それでも12月より薄くなっているようだ。3cmのモミジ形の影有り。(これは画面から外れてしまう)
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2月1日
γ-GTPは78まで低下。肝臓の薬ウルソ出される。
血液データ、その他全て異常なし。
3月12日
新型のCT機械が導入される。
やはりプチプチと影が写る。
3cmのモミジ形の影もプチプチと点となって散らばり、消えかかっているようだ。
3月26日

γ-GTPは33の正常値に。

9月16日

消失!

新型のCT機械で撮影。
プチプチが写っていない。
かすかに写っているようにも見えるが、『この程度のものならレントゲンでは全く写らない。異常なしとの診断になりますよ』と言われ。『次回またCT写してください』と申し出ると、『このように良い状態だし、CTといっても放射線を浴びることだからそれで刺激されるし、そっとしておきましょう。PETもレ ントゲンも皆放射線です。検査はこれで打ち切りです』と断られた。

 

 写真のコピーは入手不可能でしたが、意外にも『家族が心配しているので、携帯のカメラに写させてください。これを見せたら安心すると思います』と申し出ると、快くOKが出たので驚きました。割合きれいに写りましたのでメール送りました。これが証拠写真になります。それから日本冬虫夏草を飲んだことは、先生には伏せております。

 昨年来、体中をくまなく検査して全身異常なしのところまで漕ぎ着けました。安堵しているところです」

2008年9月22日のお話より

 

 「一昨年膵管狭窄が治り、昨年は肺の影が消失。それ以来変わらず元気にしています」

2009年3月4日のお話より

 

 「今年は知り合い2人が膵臓がんと乳がんになり、手術前から日本冬虫夏草を試しました。両者とも術後元気に仕事をしているというから驚いています。私は、変わらず元気にしています」

2009年12月12日のお電話より

 

知り合いが末期のすい臓がんに。末期の乳がんの女性も現れ。

 「変わらず元気に過ごしております。約一年前、知り合いが膵臓がんの末期と診断され、家族皆『もう助からない』とあきらめていたところ、『私のようなものがいるからあきらめるな』と励まし、手術前に日本冬虫夏草を飲むことになりました。
 すぐにおしっこがジャーと出てびっくりしたそうです。膵臓がんの検査では尿量が重要視されます。おまけに土色だったおしっこも無色透明になりました。

 そして、ずっと上がり続けていた腫瘍マーカーが1週間程で下がり始めたのです。吐き気も治まってごはんも食べられるようになりました。術前にはGM031_L.jpg痛みも無くなり、鎮痛剤とも縁が切れていました。それでも手術は当初のプラン通り行われました。膵臓と脾臓、十二指腸と胆のう・胆管まで全部取りました。

 それなのに現在はトラクターを運転し、農作業に励んでるというから驚きです。無理はして欲しくないですが、具合が悪かったら動けないだろうし、余程体調が良いのだと思います。病院の治療は現在何もしてないそうです。

 また、昨夏、乳がんの末期と診断された知り合いを訪ねたところ『もう助からないと』家族が泣いていました。同様に励まし、日本冬虫夏草を飲むことになりました。手術前のCT画像に変化が現れ、『何か飲んでるの?』と尋ねられました。そこで『何も飲んでません』と面倒を避けるために用意しておいた答でとぼけたそうです。術中の細胞検査で『がん細胞は陰性』と出て、術後の抗がん剤、放射線治療はスケジュールから外されました。今年2月の検査では『がんは体から無くなったよ。どこにも無いよ』と言われたそうです」

2010年4月2日のお話より

 

 「今年の夏は異常に暑かったですね。でも一切バテることなく畑仕事ができたのですから本当に不思議です。私の場合は日本冬虫夏草を飲むと体温が上がってくるようで、気温との差が縮まって暑さが気にならなくなるというか、肉体労働が全く苦にならなかったのです。そのとき蒔いた種がいよいよ育って、大根と白菜の収穫の時期となりました。味には自信があります。こんな幸せなことはないです」

2010年11月12日のお話より

 「被災された方々にいくらかでも野菜をお届けしようという思いがあって、趣味だった畑は、作物を増やし本格的になってきています。今年は、6月から暑くなりました。梅雨入りは平年より9日遅く、梅雨明けは平年より16日早くて、観測史上最も短い18日間。平年の4割の長さしか無かったようです。(梅雨期間:6/21~7/9)

8月になると30度を超える日照りが2週間ほど続きました。作物のためには、手間を惜しみません。根元に穴を開け、空気を入れてやります。その後、丹念にじょうろで水を流し込んでいきます。すぐに穴は塞がってしまうので、翌日にはまた一から始めなくてはなりません。その繰り返しです。移植ベラで根切りも行います。根を切ると根を張ろうとがんばってくれます。良い根が地面にはびこり作物が良く実るのです。

 昨年もそうでしたが、不思議なことにいくら畑で身体を動かしても疲れを全く感じないのです。畑でやることは毎日新しく出てきて、朝5時から夕方5時まで動きっぱなしの時もあります。海に出掛け、その足で畑の作業という日もあります。健康面での不安は全くありませんでした。 

 そんな中、8月12日の未明に異変が起きたのです。その日は、パジャマの上着を脱いで何も掛けず窓を開けっ放しでうっかり寝入ってしまいました。そして、40度の熱と体中の痛みで飛び起きたのです。左足も、ふくらはぎからつま先まで驚くほど腫れています。

すぐに病院に行って血液検査をすると、CRP値が19と異常値。白血球も1万を超えていました。感染症、リウマチ、通風、心臓疾患などを疑い、数日かけて消化器内科、整形外科、循環器科、皮膚科専門の個人病院と検査を受けて回りましたが、どこも悪いところが無く、原因がつかめないまま時間が経過していきました。薬剤の投与もありましたし、日本冬虫夏草もいつもより多めに飲みました。IMG_0920_SP0000.JPG

足の腫れはそのままでしたが、15日には平熱に戻り、CRP値も白血球数も下がっていきました。24日にはその数値も正常になりました。この頃には『もう病院に来なくていいから』と言われてしまいました。足の腫れもしだいに引いていきました。

 いったい何だったのでしょうね。炎天下で畑をやり過ぎたのですかね。本当は疲れてるのに疲れてる感覚が分からなくなっていたのですかね。結局この件で、CTもMRIも心電図も血液検査もさんざんやったお陰でどこも異常がないというお墨付きをいただきました。もちろんがんの心配も無いということです。自己コントロールが効かず、ついついがんばってしまう性分こそ病気ですかね。これは一生治らないかもしれません」

2011年9月1日のお話より


img020.jpg 「すこぶる元気にしております。検査データーを見て主治医が驚くほどです。『何やってんの?』と聞かれます。この頃は、腕や足に筋肉が付いたのを実感しています。畑作業で出来た筋肉です。ジムで鍛えるのと違い、畑だと野菜というご褒美が出ます。

皆、健康になりたかったら畑をやりなさい。きれいな空気と、筋トレ、ビタミン・ミネラルたっぷりの新鮮野菜。健康になるための要素が揃っています」

2012年6月20日のお話より
 

 「1000~2000坪の畑を一人でやっています。その作業に慣れるまでは大変でした。この頃は45~46才ぐらいの体に戻った気がしています。体重も4kg減って68kgです。健康を実感しております。」

2014年7月3日のお話より

 

 「2011年の夏のようにCRP値が上昇して、3月初めに発熱と下痢で緊急入院しました。コウモリの糞を掃除したのが原因かと考えています。病院の診たては原因不明。今は、元気になり、農耕に精を出しております」

2016年3月29日のお話より

今村晴美さん(宮城県在住)の場合

「下腹部に尋常ではない痛みが走り、病院に行ったのは1999年(37歳)春のことです。この時、『他にも悪いところがないか、この際だから全身くまなく検査しましょう』という話になり承諾しました。すると次々と異常が見つかっていったのです。まずは乳房にしこり、そして甲状腺に腫瘍、さらに腸骨に影...。

 

 乳房のしこりは良性と悪性の中間レベル、グレーといったところで、すぐに摘出。甲状腺の腫瘍はクロ。広がっていたリンパも含めて摘出しました。腸骨の影はシロの判断でした。

 HQ154_L_SP0001.JPG

 今はどうか分かりませんが、当時の検査は肉体的、精神的負担が伴いました。手術よりしんどかったかな。私は、その病院で幸運にも心の支えになってくれる素晴らしい看護師さんと巡り会っていました。生検の際は病院側に頼み込み、その看護師さんに担当で付いてもらいました。検査中ずっと手を握ってもらっていたほどです。白衣の天使って本当にいるのですね。彼女がいなければ、次から次に起こる現実を乗り越えられなかったと思います。

 

 さて、唯一症状が出ていた子宮内膜症の話に戻りますが、片方の卵巣と卵管を摘出しました。子宮には筋腫が3個ありましたが、残して経過観察していくことになりました。甲状腺の術後も、抗がん剤の投与等無かったですし、投薬されたものといえば退院後の鉄剤とホルモン剤ぐらいですかね。

 

 その後しばらくして、副鼻腔炎の手術もやっています。このように、次々とやってくる大病に休み無く立ち向かっていかなくてはなりませんでした。

 

   2001年になると、今度は息子の肺にがんが見つかりました。当時18歳。転移ガンでした。手術の前に抗がん剤を投与し、患部を小さくしてから根っこを手術で摘出するというプランに沿い、抗がん剤投与が始まりました。すると全身の毛が抜けました。眉毛もです。並外れた食いしん坊だったのに食事はできず、飲み物さえ受け付けない。胃の中は空っぽなのに吐くのですから見てられませんでした。自分のことより辛かったです。

 

 そこにある人物が見舞いに訪れました。山内正徳さんという方です。そして『これ飲んでみて』と何か差し出したのです。それが日本冬虫夏草と私の初めての出会いでした。

 

 覚悟を決めた息子は、ひとくち口にしました。すると食べ物も飲み物も一切受け付けなかったのにスンナリ飲めたではないですか。それから先も他の物は無理でも日本冬虫夏草だけは飲めるということでした。不思議な物があるもんだわと思いました。

 

 その後、息子の手術は成功し、再発や転移と無縁で今日まで元気に過ごしています。日本冬虫夏草は現在も続けています。

 

  さて、2005年の話になります。仕事中のことでした。ずいぶん前から左耳が聞こえずらいなと思っていたのですが、秋になって、電話の受話器を持った時、発信音が全く聞こえなくなったのです。右耳にあてるGH127_L_SP0001.JPGと確かに発信音は鳴っています。音の種類によって全く聞こえない音とかすかに聞こえる音があるようでした。

 

 すぐに耳鼻科で診てもらうと『耳自体は何ともない。耳の裏も問題ない。他に問題があるのではないか』ということでMRIで頭部を調べると『何かあるね』と言われたのです。頭の中が真っ白になりました。診察が終わったらデパートに寄って帰ろう。そんなあたり前の日常が一遍に吹っ飛んでしまったようでした。老舗デパートが閉店セールをやっていた時だったのでよく覚えてます。1129日のことでした。

 

 そんな時、あの日本冬虫夏草を思い出したのです。再び山内正徳さんに相談し、私も早速日本冬虫夏草を試すことになりました。病院からは『腫瘍が耳の神経と顔面神経と三叉神経にかかっていますので手術のリスクがかなり大きく、万が一神経が切れてしまうと。顔の半分が落ちてくるでしょう』と言われました。そして、脳外科医の福島孝徳先生に執刀してもらうように手配してくれました。福島先生は海外で活躍されていて、鍵穴手術で癒着や神経を巻き込んだ腫瘍を上手く剥がす技術をもっている方らしく、来日する2週間の間に45件もの手術をするといわれています。その代わり、手術を1年近く待たなければなりませんでした。

 

 手術の準備として貧血を改善しなければならず、鉄剤を渡されました。日本冬虫夏草は無理なく続けられました。フルタイムで働くのを止め、時間をセーブして仕事を続けました。

 

  半年後の20065月。脳腫瘍の診断直後からあった頭痛が無くなっていました。血液検査をすると、『貧血が良くなってる』と言われました。『子宮筋腫も大きくなっていない』ということでした。頭痛は、『ここに腫瘍がある』という精神的なものに起因した痛みだったのかなとも思います。20069月には、貧血は改善され、子宮筋腫も大きくならず止まったまま。子宮筋腫の方は『このまま手術なしでいけそう』との診断。難聴はまだありました。

 

  20061027日、脳腫瘍の摘出手術の日です。前もって『腫瘍は神経に絡まっているので元のように聞こえるようにはならないよ』と釘を刺されていました。病室を朝9時前に出て、手術室から戻ったのが夜の8時。手術は10時間に及びました。後で知ったのですが、この日は私のために10名程の親戚縁者が駆けつけ、見守ってくれてたそうです。術後、頭の中に空気が入ったために起こる頭痛が続きました。そのため1か月は薬を服用しています。薬はそれだけです。

 

 

戻らないと言われていた耳が元に戻った

 

しだいに頭の重苦しさや痛みから解放されていきました。そして、なんと左耳が昔の耳に戻ったのです。電話の受話器をあて、普通に会話が出来るようになったのです。耳は元には戻らないと覚悟してましたから、信じられないことでした。

 

 私の感想ですが、腫瘍が神経から剥がれ易くなってたのではないかと思うのです。手術まで長い時間がありました。その間、日本冬虫夏草をはGW115_L_SP0001.JPGじめ、食事に気をつけたり、仕事をセーブしたり、できるだけ体をいたわる事に努めました。乳製品断ちもしました。それまではチーズが大好物で頻繁に食べていました。これらの試みが無駄ではなかったのだと思いました。仕事はひと月休んだだけで、復帰することができました。

 

  20077月。持病の子宮筋腫にも変化が現れました。

筋腫3個がそれぞれ小さくなっているのです。先生も『このまま閉経していけば大きくなることはありませんし、手術の心配はもうありませんよ』と言ってくれました。血液の状態も『献血できるほどです』と言われました。この年の暮れには転職してフルタイムで働き始めています。

 

 持病の子宮筋腫はさらに小さくなっていき、2010年の夏から週に1度スポーツジムに通い始めました。40分のランニングが出来るほどの体力が身につきました。私の実年齢を知った人が『えっー!若い!』と驚いてくれます。孫と一緒にいると母親と勘違いされることもしばしばです。日本冬虫夏草との付き合いも5年を超えました。2006年の脳腫瘍の手術が終わってから手術を必要とするような大病が全く無くなりました。暮らしの中にはいつも日本冬虫夏草があります。

 

 

 

  振り返ると、経済的問題を抱えていて、それが引き金になったかなと思います。20年間苦しみました。がむしゃらに働き続けなくてはなりませんでした。休んだという記憶がほとんどありません。体が悲鳴を上げるはずです。今では全てが片付き楽になりました。一方で人に恵まれました。健康を取り戻せたのは周囲の温かい方々に支えてもらったお陰だと思っています。

 

私は、自分の事情や悩みを隠したり、ひとりで抱え込んだりしない性格です。それゆえ、皆からヒントやアドバイスを貰えたのかなと思います。皆、色々な経験や知識を必ずお持ちです。今度は私が病気で苦しんでる方の力になり、世の中にお返したいと思いました。私の経験が役立ってくれたらこんな嬉しいことはありません。そのため実名のまま、隠さず話させていただいたつもりです」

 

                                                                       201124日のお話より

 

 

 

【経   緯】
1999年  日付記録無し 乳房のしこり摘出。
   4月15日 子宮内膜症で卵巣・卵管摘出手術。子宮筋腫は残す。
   5月11 左腸骨腫瘍生検。
   5月24 甲状腺がん手術
2000年  10月30 副鼻腔炎手術。
2005年  11月29 脳腫瘍見つかる。
2006年  5月 脳腫瘍の診断直後からあった頭痛が解消。
子宮筋腫の大きさはそのまま。貧血改善方向へ。
   9月 子宮筋腫の大きさはそのまま。貧血改善。
   10月27 脳腫瘍摘出手術。本来の聴力に戻る。
2007年  7 子宮筋腫が縮小し、完全に手術の必要無くなる。
2010年  10月 子宮筋腫がさらに縮小。

 

 「立ちくらみのようなめまいがしたので、検査をするとコレステロールと中性脂肪の数値が高いことが分かりました。CT画像には脳梗塞の跡が写っていると言われました。いつ起こったのか気が付きませんでした。こういうことは多くの方にあるようです。体調に自信があったので、ここしばらくは、食事に気をつけることも無く、自由に食べてました。気を抜いて油断してました。職場の同僚に健康アドバイザーがおりまして、コレステロールを下げる食材、血液をサラサラにする食材を教えてもらいました。運動と組み合わせて、体質改善に努める決意を新たにしています」

 

                                2011年2月10日のお話より

                                               

 

 

3.11東日本大震災で次男家族が九死に一生を得ました。

            

 「巨大地震の直後、名取市閖上(ゆりあげ)に住む次男家族の安否が気になりました。海沿いの街ですから津波によって壊滅したという話です。連絡も取れず、一部の望みも無いとあきらめかけてたその時、当人達が現れました。孫を抱きしめて号泣しました。地震から3日目のことです。IMG_0797_SP0001.JPG

 

我家は今、非難してきた他の親族も合わせて10人暮らし。次男は職場が流され、仕事を失った状態ですが、目下のところ大所帯で賑やかに過ごしております」

            2011年3月16日のお話より

 

 

 

名取市にある仙台空港ターミナルの様子。津波によって運ばれた瓦礫の山。止まったままの電車が見える。329日撮影。瓦礫の撤去が急ピッチで進められていた。米軍200人が作業にあたり413日に一部国内線で運行再開。当初、開港に一年といわれていた。驚異の速さに世界中が驚いた。


 

 

 「疲れがでたのでしょうか?首に痛みが出たので脳外科で診察してもらうと、帯状疱疹と分かりました。発疹が出る前だったのですぐに治療し、事なきを得ました。次男は新しい仕事に就き、再スタートを切りました。今は5人所帯となり、日常生活も落ち着きを取り戻しつつあります」

                               2011年6月3日のお話より

 

 


 

 市の乳ガン検診で『影のようなものがある』とのことで再検査に行ってきました。正直ちょっと心配でしたが...今日の検査で異常なし。安心して帰ってきました。めまいからは解放され、血糖値だけ高く、今、本気で食事療法を始めたので体調が良いです。息子は私より日本冬虫夏草を多く飲んでいて元気にしています」                           

2012年5月8日のメールより

 今日、検査のため病院に行ってきました。2か月前から薬は出されていたのですが正常値に届かず、ここにきてついに血糖値が正常になりました。真面目に食事療法に取り組んだ成果だと思います。コレステロール値もOK!嬉しいです」

                                                                 2012年6月28日のメールより

 「両親や孫たちと大所帯で楽天と日ハムのゲーム観戦に行ってきました。延長戦にはなるし、孫たちは飽きてくるし、冷えてくるし、途中で帰宅して正解でした。無理をせず、家族でイベントを楽しみながら過ごしています。脳腫瘍の手術から8年が経過しました。元気で過ごしております」

 2015年5月21日のお話より

 

肺がんを克服した長男が結婚

  「昨年11月末に副鼻腔炎になり、ポリープも一つみつかったため手術しました。その後 、大晦日に40度、1月末にも38度の高熱が出ました。病院での検査で、インフルエンザでないことが分かっています。でもそれからなんですよね。体の調子が良くなったのは。発熱の産物かもしれません。

EN166_L.jpgこの度、肺がんを克服した長男が良縁に恵まれ結婚いたしました。9月には子供も生まれます。18歳の時に抗がん剤を大量投与してましたから、子宝に恵まれることなど考えていませんでした。驚いています。みんな元気で働いております」

 2016年5月3日のお話より

 

「予定より一か月早く孫が産まれました。2400gと小さめでしたが元気な男の子です。私のところにお嫁さんが里帰りしたようなかたちになっていましたが、今日から本来の住まいに戻り、3人の生活が始まります」

 2016年9月18日のEメールより

 

 

赤川学さん(当時64歳・仮名)の場合

000047-a.jpg 「あれは1994年の暮れのことでした。頭痛が続いたので病院で検査を受けることにしたんです。

 子どもの頃から偏頭痛持ちで、ずっと悩まされてきましたが、35歳を過ぎた頃、どういうわけかそれから解放されて、偏頭痛のことは64歳になるまですっかり忘れていました。

 病院で頭部にCTをかけて調べると、呆気なく『なんともないよ』という答えでした。ついでに腹部にエコーをかけて調べることにしました。すると右の腎臓の下部にポリープのようなものがたまたま発見されたのです。半年したら再検査をするようにと言われて病院を後にしました。

 その半年間は、腎臓のことを全く気にすることもなく過ごしました。そして再検査の日がやってきました。右の腎臓は、ポリープのようなものが消えて正常に戻っていましたが、左の腎臓を調べていくと、今度ははっきりと腫瘍が見つかったのです。半年前は何もなかったところにです。最終的には腎臓ガンと診断されました。

 原因を考えた時、タバコも一度だって吸ったことがないし、お酒もほとんど飲まない。仕事もうまくいっていたし、苦労や悩みをかかえることもなく、思い当たることがありませんでした。ただ9人の兄弟姉妹のうち、4人が発ガンしてますので、家系が関係しているのかもしれないと思いました。

 手術前に、気心の知れた昔からの知人と、仕事で付き合いのあった人に病気のことを話すと、偶然にも同じ話をしてくれました。日本冬虫夏草の話でした。1995年5月半ば、手術は8時間かかりました。途中副腎を傷つけたということで、副腎もとられてしまいました。治療は手術のみで、抗ガン剤、放射線等のほかの治療は一切ありませんでした。

 日本冬虫夏草を飲み始めたのは退院した翌日からです。あれから日本冬虫夏草は今日まで毎日飲んでいます。1日1本ずつ。夜中に目が覚めた時も飲みました。その時は内臓にジワッとしみ込む感じがします。手術から今年で7年目。再発もなく、めったに風邪を引くこともなく元気で過ごしています」

 赤川さんは、自分でおっしゃるようにくよくよしないタイプだといえます。ガンになったからといって恐怖や不安を持たず、むしろガンを味方に考えるようにしました。素晴らしいパートナーである奥様の協力があって、日常的にも塩辛いもの、油っこいもの、肉類は食べず、魚とたっぷりの野菜中心の食事を肩肘張らずにごく自然にやっているとのことです。

000047-b.jpg「ここしばらくは、絵を描いたり、大好きなガーデニングにいそしむ毎日です。絵を描いている時は、頭の中は空っぽで熱中していて、自分が何をしているかさえ意識しません。そういう時は免疫力はずいぶん上がっているのでしょうね」

 病気の前と後では世の中が違って見えましたかという質問に、赤川さんは「何も変わっていませんね」とあっさり答えます。自分というものを持っていて、あくまでマイペースで飾らず、無理をせず、自分の熱中できる楽しいことをやる。そういう生き方にガン克服のヒントがあるように思います。

 それから、兄弟姉妹の中でガンでおなくなりになっている方は一人もいないそうです。

朝日ウィル(北燈社)2001年6月13日号より

 


 

 再発なく元気に今年で10年目を迎えます。「暑中お見舞い申し上げます。今年の暑さは格別です。ご自愛のほどお祈り申し上げます。私はお陰様で元気で今月はじめに礼文、利尻の花を見に行って来ました。船上からの利尻富士です。レブンウスユキソウが咲いていました」

2004年7月20日絵ハガキより


 「変わらず元気にしております。手術をしてから5月で14年目に入ります」

2008年4月7日のお電話より

 


岸久子さん(48歳)の場合

000066-a.jpg「1996年の1月から不正出血が続きまして、病院に行ったのは8月になってからのことでした。翌月に細胞検査の結果が出て、子宮がんと分かり、手術を勧められたんです。

 告知を受けた時、これといって動揺はありませんでした。というのも血縁者にがんの人が多くいましてね。その皆が手術後、元気で暮らしているのを見てたからでしょう。子宮を失ってでも、悪いところを取ってしまえば大丈夫という気持ちでいたんです。性格はもともと楽天的で、くよくよしないタイプと言えるかもしれません。
 それでも手術に際して一つだけ条件がありました。この時、季節は実りの秋の真っ只中。私にとっては職場を離れることのできない季節でもありました。田んぼを持っているスタッフが稲刈りで休みを取るため、人手不足になるのです。『稲刈りの終わる10月半ばに手術を延ばしてほしい』とお願いしました。

 手術まで1ヵ月余りの時間ができた時、日本冬虫夏草を譲ってくれた知人がいました。普段、ジュースやお茶などをほとんど口にしないのですが、日本冬虫夏草だけはスンナリ飲め、1か月の間、毎日たっぷりいただきました。

000066-b.jpg 発病までの3年間を振り返ると、ずいぶん体に無理をかけていたようです。父の介護に始まり、母、姑の介護と次々続きました。二人の母を同時に看てたときもあります。仕事を続けながらでしたので、睡眠時間は毎日4~5時間程度。ようやく解放されたという時、たまった疲れがこういう形で現れたのでしょう。がん血統というのも思いあたりました。

 10月26日にいよいよ入院。10月28日に前段階の簡単な手術を行いました。子宮以外にどこまで摘出するか判断するため、局所麻酔をかけて患部をはがして調べるのです。

 

がん細胞消失。手術取り止め。

 11月5日、その結果が出てきました。先生は『がん細胞がどこにも見当たらないんだよね』と不思議がっていました。そして『岸さん、帰っていいよ』と言われてしまったのです。それならばと、さっさと退院させてもらいました。薬は一切飲んでないし、治療も一切やってこなかったですからね。退院する際も、薬の処方はありませんでした。

 

【経緯】

1996年1月 不正出血有り。
8月 ようやく病院に行く。
子宮がんの診断。
日本冬虫夏草を飲み始める。
10月26日 入院。
28日 組織検査。
11月5日 がん細胞がどこにも見当たらず消失。

 

 平常の生活に戻って1か月半が過ぎ、やれやれといった頃、今度は主人が町の検診でひっかかり、左肺に影が見つかりました。細胞を取って調べると、腺がんで悪性ということが分かりました。2.5cmの大きさでした。主人はお酒をたくさん飲みましたし、タバコを1日に3箱も吸う30年来のヘビースモーカーでしたが、翌日からタバコもお酒もピタリと止め、日本冬虫夏草を飲み始めて、患部近くに擦り込んだり、吸入器で吸入したりもしてました。

 仕事をしながらできる限りのことをして過ごすうち、患部は次第に小さくなっていったようです。3ヵ月が過ぎた頃には2.5cmから1cmまでに縮小していました。1cmになったところで、患部の摘出手術を行いました。左胸の3ヵ所に小さな穴を開けて内視鏡を使って患部を切り取るもので、従来の手術と比べると、体の負担が極めて少ない方法です。

 

もはやがんではなくなっていた。

 切り取られた患部を見せてもらうと、白っぽくカッテージチーズのようでもあり、石灰化してました。痕跡は残っていたものの姿が変わり、もはや『ガンではない』と言われたのです。主人も病院の治療は一切やっていませんでした。

 

【ご主人の経緯】

1996年12月 ご主人が肺がんと診断され、日本冬虫夏草を飲み始める。
タバコとお酒をピタリと止める。
1997年3月 患部が2.5cmから1cmに縮小している。
内視鏡手術。患部は石灰化していて「がんではなくなっている」と言われる。

 

 がんが消失してから二人とも再発なく元気に暮らしています。私が7年目、主人が6年目に入りました。私が気を付けていることといえば、食事は常に腹7、8分目に抑えるということでしょうか。


000066-c.jpg(写真左)岸さんの趣味はお裁縫だそうで、ローラアシュレイの生地で作った素敵なエプロンをいただきました。

 仕事を終えた後、夜中までやってた趣味を最近は控えて、睡眠時間は6時間以上取っています。以前と比べると体をずいぶん労わっていますね。時には仕事から離れて旅行に出かけ、リフレッシュすることも大事にしていることの一つです。

朝日ウィル(北燈社)2003年2月18日号より

 「再発なく元気で、13年目に入りました。主人は12年目です。この度、主人が肺炎で入院しまして、実は昨日退院してきたばかりなんです。仕事で頑張りすぎたからだと思います。その病院に同じ症状で入院している方が2人、あっという間に次々に亡くなられてこわくなりました。入院すると同時に日本冬虫夏草を毎日飲むようにしました」
 ご主人にお会いしましたが、顔色も良く元気そうなので安心しました。

2008年3月8日お二人にお会いして

 

【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。

当研究所の技術を真似た偽造品やコピー品にご注意下さい。

ご注意下さい