CASE5 : 抗がん剤・放射線治療を受けた人・・・

高橋初子さん(57才)の場合

HQ156_L_SP0000.JPG 「2000年4月半ばのことです。親戚の不幸が続いて休養もなく過ごしていました。そんな中、多量の不正出血が起こったのです。閉経後3年目のことでした。そして、腹部がひどく痛み、握りこぶし程のレバーのような固まりが出てきました。でも、まもなく正常に戻ったので、気に止めずそのまま過ごしていました。

 それから10日程経った頃、突然歩けなくなってしまいました。ひどいめまいにおそわれたためです。こうなるとさすがに放っておけなくなり、病院で検査を受けることにしました。そして、子宮体ガンと診断されたのです。

 思い起こせば、前年の夏にも少し、この年のお正月にも少し出血がありました。兆候があったんですね。でも忙しくて気にかける余裕はありませんでした。主治医は『子宮体ガンだけだったら手術して治るからね』と言ってくれましたが、精密検査で、子宮頸やリンパ腺にも広がっていることが分かったのです。卵巣も腫れていました。『難しい手術なので万全の態勢で臨みたい。腕の良いスタッフが海外出張から戻るのを待って手術しましょう』というのが、その時の病院側の説明でした。手術まで3週間という時間が与えられました。

 自分で何とかしなくては、ここで負けてはいられないと思いました。以前から日本冬虫夏草のことは知っていたので、早速、矢萩先生を尋ねました。悪いことは一切考えないように努め、自宅ではリラックスしながら日本冬虫夏草を毎日飲み続けました。


000068-b.jpg これまでの自分自身を振り返ると、発病の原因はストレスではないかと思いました。ここ20年間というもの特に後半の10年は娘の学費のために必死で働きました。もう少しというときに働いていた工場が海外移転をしたため、職を失いました。その後はやむなく内職を始め、休むことなく毎日ミシンに向かいました。同じ姿勢も良くなかったですね。工場勤めのときと違い、家に一日中いますから来客も多くなり、断れない性格なので仕事や夕飯の支度をとても気にしながらお付き合いします。さまざまなストレスが次第に自分のいちばん弱いところに歪みを作っていったのかもしれません。肉体的にも精神的にもギリギリでした。ようやく娘を大学院まで出して、やれやれと思った矢先でした。

 手術では子宮、卵巣、リンパ腺を1本摘出し、その後3回の抗ガン剤を投与することになりました。周りに同じような治療を受けている女性が4人いました。(4人の方のその後の様子は末尾に記述しております)しばらくすると、その人たちと自分には明らかな差があることに気付きました。皆は抗ガン剤の副作用でツルリと髪が抜けて帽子をかぶっているのに自分は目立った抜け毛がないし、あちこちで吐いているのに自分は一度も吐くこともない。看護師さんからは『初子さんは、どこが悪いのか分からないね』と言われる始末でした。不思議なほど呆気なく以前の健康を取り戻し、あれから8ヵ月が過ぎようとしています」

 初子さんは現在、顔色も良くとても元気です。仕事は辞め、大好きな読書をしながらのんびり暮らしているそうです。

朝日ウィル(北燈社)2001年2月13日号より

【経緯】

2000年4月半ば 多量の不正出血。
10日後 子宮体ガンの診断。
手術まで3週間あり。
日本冬虫夏草を飲み始める。
5月 手術後、3回の抗ガン剤投与。
抜け毛もなく、吐き気もなし。
同室の人たちとの違いに病院のスタッフが驚く。

 

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 「4月に病院で検査を受けて、先生から大変良い状態と褒められました。最近は野山に入り、山菜採りを楽しんでいます」

2002年5月22日のお話より

 

 「この度の検査でも全く問題なしで、再発もなく元気に3年5ヶ月が過ぎようとしています。日本冬虫夏草は現在でも続けています」
以前より体が引き締まり、さらに健康になられたという印象でした。

2003年10月1日にお会いして

 

 「手術から再発なく6年が経過しました。相変わらず元気で過ごしています」お嬢さんと一緒でした。

2007年1月2日にお会いして

 

 「手術から再発なく7年が経過しました。この夏、心臓に水が溜まり、短期間でしたが入院しました。医師に体重を減らすように言われ、7~8kg落としました。この頃は日本冬虫夏草をわずかしか飲んでいませんでしたが、しばらくは量を増やして飲んでみるつもりです。

 一方ガンについては、担当の先生が不思議がるほど完治して、心配はいらないそうです。2000年に手術のために入院した際、私の他に4人の女性が同室でした。皆、同じ病気です。3人は私の前に手術が済んでいて、もう1人の方は私の後に予定が入っていました。先の3人の方は残念ながら全員亡くなられています。もう1人の方の消息は分かりません。生かされていることに感謝しながら、同室で仲間だった皆のためにも健康維持に努め、長生きしなければならないという気持ちでおります」

2007年9月4日のお話より

 

 「検査が3ヶ月から6ヶ月間隔に伸び、『きれいに治ってるねー』と先生も驚いています。心臓の方も問題なく、日本冬虫夏草を飲みながらのんびりを心掛けて暮らしております」

2008年11月20日のお話より

 

 「手術から再発なく12年半が経過しました。定期検査も完全に卒業しています。今は全身痛いところも何も無く、健康で暮らしています。最近、自分の愛車を手放しました。歩かざるを得ない状況を作ったのです。老いは足からといいます。コースは違いますが、夫婦でウォーキングも楽しんでいます」                             

                                                                                                                                                                                                                                                2012年10月31日のお話より

                                                             

  心臓にトラブルが生じ、尿毒症のため72年の生涯を閉じました。寝たのは3日間だけで、それ以前はお元気だったそうです。がんについては『きれいに治ってるねー』と太鼓判を押されていました。お心優しく、最期まで多くの方に尽くされた人生でした。ご病気で苦しんでおられる方の力になりたいとご自身のお写真を添えて、体験談を実名で公開してくださいました。多くの方の心を照らしてくださいました。心より感謝申し上げます。ご冥福をお祈りしています。

 2014年8月29日ご訃報より

斎藤康夫さん(72)の場合

000041-a.jpg 神奈川県茅ヶ崎市在住の斉藤康夫さん(72歳)は、肺ガンを克服されてから再発もなく、お元気で過ごされています。ご本人にこれまでのお話を伺いました。

 「朝、痰の中に赤い血が混ざっているのに気付いたのは、1998年の10月末のことでした。診てもらうために、その日のうちにひとりで病院に出かけました。そしたら入院と言われましてね。一週間、検査入院しました。検査結果 は、私と家族の揃ったところで告げられました。肺と肺のつなぎめのところに腫瘍があって、肺ガンということなんです。レントゲン写 真を見ると管のところに影があって、その中の3箇所部分がさらに濃く写 し出されていました。

 先生から、『ここは手術のできない場所なんですよね』と言われて。抗ガン剤と放射線治療をやるということでした。告知された時、初めはびっくりしましたけど、もともとくよくよしない性格というか、開き直って『まな板の鯉になったつもりで先生にお任せしますよ』と言ったんです。家族は、『お父さんにきちんと告知してくださったということは、治るということだから大丈夫よ』と励ますんです。それでも家内は心配だったのでしょうね。姉に相談したら、姉の提案で、日本冬虫夏草とサルノコシカケを送ってもらうことになったようです。

 病院の治療開始と同時に日本冬虫夏草は1日350cc、サルノコシカケは家で煎じたのを病院に持ってきてもらい、1日1リットルは飲みました。病院側には番茶を飲んでるとだけ言ってね。3ヵ月の入院の間に、1日1回の抗ガン剤投与が全部で3回、放射線は約30回あてました。こういった治療は副作用がきついはずでしょ。不思議なのは髪の毛が若干抜けた程度で吐き気は一度も無く、弱るというのが全く無かったことです。とにかく元気でしたから退屈で、5階にいた私は、1階の売店まで散歩に出かけたり、病院内をあちこち歩き回っていました。一度だけ動きすぎて熱が出ました(笑)。孫が学校帰りにいつも様子を見に寄ってくれました。入院生活は、毎日気分良く、笑って過ごしたという記憶しかないですね。

 開始から20日目。レントゲン写真を見ながら先生は、『進行してないよ。良くなってきてるよ』と言うのです。さらに10日後のことでした。黒いドロッとしたものが口から出てきたのです。これまで時々、きれいな赤い血の混ざった痰は出てきましたが、こんな色のものは初めてでした。それが2、3日続きました。吐き終わったらなんだかとてもすっきりして、体が軽くなったので驚きました。それまでの体調は、自分では気付かなかったけれど、実際のところ本調子ではなかったのでしょうね。その時は、肺の悪いところがはがれて全部吐き出されたんだなと思いました。その後、血痰のでることは二度となくなりました。

 それから2ヵ月病院にいて、最終的に言い渡されたのは『斉藤さん、治ったから退院していいよ』という言葉でした。そして2枚のレントゲン写 真を見せてくれました。1枚は一番最初に写したもの。もう1枚は最近のものです。あの影もあの3つの濃い固まりもきれいに取れていました。先生は『治りが早いなあ。信じられないなあ』と驚いていました。そして薬も一切出されることなく退院しました。

 日本冬虫夏草とサルノコシカケは量を減らして現在も続けています。私は体だけは丈夫でそれまで病気をしたことがなく、薬を飲んだこともありませんでした。ただタバコだけは人一倍吸いました。多い時は1日100本ぐらい。それも国産の一番強いタバコをです。そんなことを40年続けてきたので肺も悲鳴をあげたのでしょうね。病気になってスパッとタバコと縁を切りました。あれから1本も吸ってません。仕事の方は、すでに社長職から退いて、のんびりしていました。仕事の心配をしないで体のことをゆっくり考えられる時間が持てたことは良かったと思います。この病気になって変わったことは、自分を管理するようになったということかもしれません。

 大人は、病気は自分で作ったというのを忘れがちで、病気になったら誰かに治してもらおうとばかり考えます。自分で作った病気なんですから自分で治そうという努力なしでは治るものも治りません。そのためには自己反省と自己管理は欠かせません。薬は、助けにはなってくれるかもしれませんが、結局、治すのは自分の力なわけで、体が思う存分自然治癒力を発揮できる環境を整えてあげなければなりません。まな板の鯉ではダメなのです(笑)」

朝日ウィル(北燈社)2002年2月19日号より

 


 

 「今でも1ヶ月半おきに検査をしておりまして、6月28日にも検査がありました。主治医から『大丈夫、問題なし』と太鼓判を押されました」

2002年7月17日のお電話より

 


清水洋一さん(仮名・50代)の場合

000042-a.jpg 清水洋一さん(仮名・50代)は、1ヵ月程前から食欲がなくなり、咳をすると胸が痛み、階段を登ると息が乱れるといった自覚症状が続いていました。それでも当時、重要な仕事を手掛けていたために体調不良を感じながらも仕事を続け、さまざまな会合にも頻繁に出席していたといいます。

 「仕事が完成した時、まず喉に異常を感じたので、耳鼻咽喉科で検査をしてもらうことにしました。そしたら『たいしたことないよ』と言われて。でもどうも釈然としません。そこでレントゲンを撮ってほしいと頼み、肺に影を見つけてもらったんです。大きさは握り拳大。組織検査をすると、悪性の腫瘍であることが分かりました。手術は無理と言われました。

 2001年11月21日、内科に入院となりました。治療のスケジュールは、初めに抗ガン剤を4クール。そして放射線を35回。肺ガンが治ったところで頭部にさらに15回の放射線をあてるというものでした。頭部にあてるのは、肺ガンの人の再発は脳に出るらしく、事前に放射線で予防しておくということらしいです。

 私はこういう病気になるのも無理もないことだなと考えていました。ずいぶん長い間、肉体を痛めつけてきましたから。睡眠は毎日3~4時間。普通 の人が2~3日でやる仕事を1日でこなすようなことをしていました。また、ヘビースモーカーでもありました。1日に40本~60本のタバコを吸っていました。お酒も量 はいける方でした。ですから病名を告げられた時、肉体にかかるストレスをゆるめて、いたわってあげたら治るだろうと確信のようなものがあったんです。今までの生活の対極に身を置いて、とにかく治せばいいんだからと落ち込むこともありませんでした。

 抗ガン剤投与が開始されると同時に、中国パセリ、エーコーシーに加えて、肺ガンを治したという知人の紹介で日本冬虫夏草を毎日飲むことになりました。そして1ヵ月後、抗ガン剤の1回目が終わった時点で、肺の影が9割方消失するということが起こったのです。気がつけば胸の痛みはなくなり、食欲も普通 に戻っていました。肺の音も正常になって呼吸が楽になり、これまでになくスッキリとした気分でした。残った影は、かさぶたのようなものがCTに映し出されることはよくあるので、腫瘍マーカーが正常値になったことで、最終的にそっちの方でしょうと言われました。CTや骨シンチ検査で体中を調べましたが、脳も含めてどこにも転移は見つかっていません。

000042-b.jpg 初め『髪がばっさり抜けますよ』と治療の副作用を聞かされていたんです。でもそんなことは起こらず『あら抜けませんね』と不思議がられました。ですから副作用が出たために治療が中断したり延期したりすることもなくスケジュール通 り進んでいきました。現在は会社に復帰して、通院しながら最終段階に入っています。船酔い現象が起こりますが、ちょうど5回目の頭部への放射線照射が終わったところです。日本冬虫夏草を風呂上がりに頭にすり込んでみてはどうかと試しています。肺の治療の時は胸と背中にすり込んでいました。

 4ヵ月余りの入院中、朝食後に毎日朝寝をしました。これまでの生活からは考えられないことでした。その後2時間、病室で仕事をして、夕方にも社員を呼んで2~3時間仕事をしました。仕事がストレスの人は逆効果 ですが、体を安静にしながら病気のことを忘れて、精神は静かに仕事に集中していましたから、免疫力も維持できたのではないかと思うのです。不安や恐怖が生まれたら免疫力は低下しますしね。仕事がやれたのも毎日気分よく元気だったおかげです。 病気を機会にタバコもお酒もやめました。仕事も2分の1に減らしています。最近は食欲がありすぎて太ってしまって。でも残りの放射線がありますから体力がないと持たないと思いましてね。終了したらダイエットするつもりでいるんです(笑)」

朝日ウィル(北燈社)2002年5月21日号より

 

【経   緯】
2001年10月 
食欲不振、胸の痛み、息の乱れなど自覚症状が現れる。
11月12日 
肺に握り拳大の悪性腫瘍が見つかり入院。手術は無理と言われる。
抗ガン剤と放射線治療のスケジュールが組まれる。
治療開始と同時に中国パセリ、エーコーシー、
日本冬虫夏草を飲み始める。
12月 
飲み始めてから1ヶ月後、1クール目の抗がん剤治療済みの時点でCT検 査。
すると、腫瘍の9割が消失。
腫瘍マーカーが正常値になったことで残りの影はかさぶたのようなものとして診断される。
2002年5月23日 
スケジュール通り、治療が終了。

 

 


 

  奥様から、洋一さんの最近の様子をうかがいました。「昨年の5月23日に放射線治療が無事終了してから、これまで再発もなく元気に暮らしています。仕事の方も以前のような無理はしなくなりました。今まで長距離を自分で運転してたところを、運転手さんに代わってもらっています。睡眠時間は9時間。以前の2倍以上取っています。野菜をよく食べるようになり、お肉が好きな人ですが、これからは肉より魚。いわし等を献立に頻繁に取り入れていくつもりです。夜遅い食事も避けるようになりました。9時に帰宅して食事がまだのときは食べないで休みます。日々、自分の体をいたわってあげてるようです」

2003年1月10日奥様のお電話より
 


「この度、仕事で海外へ出掛けることができるのも健康であればこそ。再発もなく元気にここまできました」

2003年12月11日のお電話より

 

「治療が終了してから再発なく元気に3年以上が経ちました。この度、仕事で海外進出の計画がありましたが、体のことを考えて断念しました。この選択は間違っていないと思っています」

2005年7月12日の連絡より

 

「治療が終了してから再発なく元気に5年以上が経ちました。主人は相変わらず仕事熱中人ですが、毎日遅くとも11時には就寝し、睡眠時間を多く確保し、食生活では野菜をよく取るよう心掛けています。他県に出張で帰宅が遅い日は、夕食用のお弁当を手作りします。仕事に夢中になると外食する時間ももったいなくて、食べなかったりするものですから。これまでの血液検査は正常でいうことなしです。日本冬虫夏草は現在も続けています」

2007年8月3日奥様のお話より

 

 「変わらず元気にしています。昨年、主治医から完治のお墨付をいただきました。ここまで来るのにがんばったという感じはないですね」がんばらなかったのが良かったのかもしれませんね。

2008年5月25日のお電話より

 


関口要久さん(62歳)の場合

000089-a.jpg 埼玉県在住の関口要久さん(62歳)は、遡ること24年前にガンと診断されました。その頃のお話と、克服されてから今日までを追取材しました。

 「あれは1978年のことで、私は38歳でした。睾丸が腫れたので、病院で検査してもらうと、ガンと診断され、すぐさまガンセンターを紹介されました。告知された時、不思議と恐怖感はなくて、大丈夫という気持ちでいました。でも妻はずいぶん心配したんでしょうね。伯父に相談してるんですよ。

 その1年程前に、親戚に胃ガンの方(男性)がおりましてね。開腹手術をしてるんです。開けてみたら、肺や膵臓、肝臓にまで転移していてもはや手遅れだったそうです。手術中、そのまま閉じようという話になった時、介助にあたっていた看護師の姪が『それではあんまりだから、せめて原発巣の胃だけは取ってください』と願い出たそうです。そしてそのとおりにして、治療法はないからと、消化剤だけ処方されて自宅に帰されたということでした。ところが帰宅してからみるみる体力を取り戻し、元気になって、3ヵ月後に検査してみると、肺や膵臓、肝臓の転移の痕跡が全く見当たらなくなったというのです。伯父は、その方の自宅での生活をつぶさに観察していて、毎日お茶代わりに日本冬虫夏草を飲んでいる姿を見ていました。

 妻の勧めで、私も日本冬虫夏草を飲み始めて9日目のことです。ガンセンターで片方の睾丸を取り細胞検査をすると、手術チームの中で意見が二つに分かれるという事態が起きました。悪性であるという側と、そうでないとする側にです。結局、悪性の方の意見がとられて、それなら間違いなくリンパ管にも広がっているからと、リンパ管を取る手術が1ヵ月後に予定されました。その間、他に広がらないよう予防のためと言われて、放射線を10回ほどあてました。日本冬虫夏草は毎日飲み続けていました。そして実際に手術で開いてみると、リンパ管はきれいで、どこにも腫瘍は見つからないのです。伯父は私の話を聞いて『やっぱりな』とあまり驚かない様子でした。

000089-b.jpg 私はあれから一度も再発なく元気に暮らしています。24年の間に検査も進歩したし、ガンに対する見方も変化してきました。親戚 の男性は、あの時、もう命がないと言われてたのに、その後17年生きました。公務員の勤めも果 たし、78歳の天寿を全うしました。

 20代、30代の頃は、日本中の誰もがそうであったように、私もガムシャラに働きました。経営者としてのストレスも発病の原因に加わっていったのかもしれません。ただタバコは吸わないし、お酒もあまり飲みませんでした。病気をしてからは一日一日を大切に生きてきました。仕事は悔いが残らないよう、その都度現場で片付けてきました。社員には真剣で本音で向かい合うから、どうしても毒舌できつくなります。それでも理解して受け止めてくれる社員に恵まれたことに感謝しています。仕事の問題は現場解決。家に持ち込まない。愚痴は言わない。逆に妻からたまには仕事の話をしてほしいと言われます。仕事のために休日は遊び、そして休日のために仕事をします。


000089-c.jpg 空の仲間、海の仲間、山の仲間がいて、土日に誘いがあれば絶対断りません。この歳だから、断ると次から誘われなくなるから、どんなことしてでも行くの(笑)。孫と一緒の空の散歩、潮干狩り、山中での源泉探し、楽しみは尽きません。今度はスカイダイビングに挑戦するつもりです。ガン予防には、ストレスを溜めないこと、溜まったら発散すること、治すために恐怖心を持たないということでしょうか。日本冬虫夏草は今も飲み続けています」

朝日ウィル(北燈社)2002年10月22日号より

 

奥様からお話を伺いました。「大変元気に過ごしております。ライトプレーンでの空の散歩も相変わらず楽しんでやっているようです」

2004年3月18日のお電話より

 

「再発なく29年が経ちました。現在は、息子が頼れる存在となって一緒に働いてくれています」

2007年10月31日のお電話より

 

「趣味仲間と集い、充実した時間が過ごせるのも、健康なればこそで、元気に飛び回っています」

2008年5月3日のお電話より

佐々木由美さん(1998年当時14才・仮名)の場合

000092-a.jpg 温暖な千葉県には珍しくドカ雪が降った1998年の冬のこと。中学校に通う佐々木由美さん(14歳・仮名)は、生理出血が止まらなかったため、病院で検査を受けることになりました。すると止血の役目をする血小板が2千(正常値13万/mm3~35万/mm3)まで減少しており、急性骨髄性白血病と診断されました。

 赤血球、白血球、血小板を作る工場として骨髄がありますが、造血幹細胞を原料にして、これらの血液細胞を生産しています。しかし、ウイルスや放射線、抗ガン剤などの発ガン性を持つ薬物などが体内に入ってくると、生産ラインに故障が生じて、まともな製品が作り出せなくなり、工場の内外が不良品であふれかえってしまいます。かといって迅速に工場をストップさせることもできない。それがこの病気で、不良品のことを白血病細胞と呼んでいます。

このように血液細胞のバランスが崩れるために、白血病の判断材料の一つとして末梢血中の白血球数が1万/mm3以上、(白血球が減る場合もあります)赤血球中の血色素量が10g/dl以下、血小板が10万/mm3以下という数値が目安になります。

 由美さんは発病の直前に、インフルエンザに感染し、寝込むという経緯がありました。積雪や厳しい寒さに慣れていない土地柄もあったのでしょうか、中学では防寒着なしで雪はきをさせられたり、一部の生徒の責任問題で教室の暖房を丸一日切られたこともありました。運動部での厳しい練習に耐えるなど肉体的ストレスもあり、免疫力が弱っていたのでしょう。インフルエンザは1週間で治りますが、その間抗生剤と解熱鎮痛剤の使用がありました。

 すぐに入院が決まり、第1回の抗ガン剤を投与するまで4、5日ありました。その間、日本冬虫夏草を飲みました。すると1万6千あった白血球が1万2千まで減ったので、母親の洋子さんはこのまま様子をみようかと思ったそうですが、病院の治療と縁を切る勇気はなかったそうです。

 治療は、抗ガン剤で不良品の白血病細胞を壊し、工場自体も空っぽにしていくという方法です。その後、正常な細胞が生まれるのを待ち、再び抗ガン剤で空っぽにするのを約8回ほど繰り返します。この治療は約1年の行程になります。場合によっては骨髄移植もありますが、体とそりが合わず受け入れてもらえないため、拒絶反応に苦しむことも少なくありません。これらの治療は、抗ガン剤の副作用で食事がとれずに体重が減少し、治療が終わってようやく食欲が出始める頃に次の治療に入るわけで、太る暇がありません。1年後には骨と皮ばかりになって、退院しても体力的に学業についていけないのが現状だそうです。

母親の洋子さんは周りを見渡したとき、医療現場だけに求めてもこのリスクは回避できないと感じていました。そこで由美さんが1年後に体重減少なく元気一杯で退院するまで、ある工夫を続けることになりました。

朝日ウィル(北燈社)2000年9月19日号より

 

病院任せにしない。フォローする。

 抗ガン剤というのは、細胞分裂の盛んな骨髄、毛根、腸、胃、精巣、卵巣などにダメージを与えていきます。急性骨髄性白血病の佐々木由美さん(14歳・仮名)も初回の治療で頭髪が抜け始めました。しかしすぐに一転。予想外のスピードで生え出し、旺盛な食欲もすぐに戻り、減少した血小板も予定していた輸血がキャンセルされるほどの回復ぶりで、周囲を驚かせました。問題の白血病細胞は消滅して0になっていましたが、体のどこかに残っている可能性を考えて、治療は8回繰り返すことになります。8回というのは、白血病細胞の再発生の可能性が無くなるかなという目安です。

母親の洋子さんは、この治療は抗ガン剤の副作用との戦いであり、ダメージをいかに減らせるか、受けたダメージからいかに早く立ち直せるかが勝敗の鍵を握ると考えていました。初回の出来事は、そのために行った自分のフォローが間違いではなかったと確信させるものでした。


000092-c.jpg 白血病細胞を叩くことだけに集中しがちな現在の治療は片手落ちで、造血機能を活性化するもの、免疫を上げるもの、速やかに血に造り変わる食材、薬剤の代謝を助けるもの、薬剤で死滅した体内の微生物を補うもの、粘膜など正常細胞の傷害を予防し、治すものが抜け落ちている気がします。由美さんは、日本冬虫夏草、コウボエキス、玄米、丸麦、ヒエ、アワの雑穀類などの自然物を毎日摂取しました。

 昔の水疱瘡のウイルスが再燃するアクシデントがあったものの、心配していた感染症もなく退院する頃には1年の月日が流れていました。中学2年の丸1年登校していないことになりますが、最近は不登校の生徒が多いせいもあって、中学3年にすんなり進級できました。ただ中学3年になるとすぐに受験態勢に突入するわけで、病院側からは受験勉強するのは無謀、体力的についていけないから無理しないようにと厳重注意されました。

 「実は娘は、入院中もベッドで勉強しておりました。さすがに抗ガン剤を投与している最中はできませんでしたが...。体力のことを心配されて、病院側から勉強しないようにと注意を受けることもありました。しかし自分の娘だから良くわかるのですが、子供ですし、気分が悪く、弱っているのであればやる気なんて起きてこないものです。娘は体力が落ちないように数々のテクニックに支えられてたようです」

 そして1年後に手紙が届きました。「由美は長い闘病にもかかわらず、学校に復帰してからは寸時を惜しんで勉学に励み、志望校に合格することができました。同じ中学から若干名だけが合格という狭き門でした。思えば闘病中は高校入試が受けられるなどとは思いもよらず、ただ生きていてくれさえすれば何もいらないという思いで看病してまいりました。入学式の写真を送らせていただきます」

 現在由美さんは生徒会役員で、この度の文化祭でも大活躍だったとか。その後の血液検査では正常を保っており、母親の洋子さん療法は継続中で、家族の皆が風邪をひいても由美さんだけはひかないというお話をうかがいました。

朝日ウィル(北燈社)2000年10月24日号より

 

 由美さんは、その後再発もなくお元気で、日本冬虫夏草の方も続けています。お母様の洋子さんよりお手紙が届きましたのでご紹介させていただきます。「娘はお陰様でとても元気に高校生活を謳歌しております。勉強に、生徒会に、友達との付き合いに、全てに生き生きと明るく・・・(中略)・・・ 三年前、突然の発病に気も動転し、わらをもすがる思いで矢萩先生にお電話をかけたことが、昨日のように蘇ります。まだまだ気の抜けない毎日ですが、精一杯守っていきたいと思っております」

2001年9月7日

 

 お母様の洋子さんよりお手紙が届きました。
「一応、医者から言われている退院後5年の目標まであと1年半。気を抜くことなく日々の生活を送らねばと思っております。お陰様で由美は今のところ風邪ひとつひかず元気に過ごしております。現在高3ですが、高1から高3の1学期までの通算の成績が全校で4番でした(生徒数300人中だそうです)。塾等も通わずひとりでコツコツと努力した成果と、娘の頑張りを褒めてやりました。親としては成績よりも体の方に気が向いてしまい、勉強の方はノータッチなのですが、由美は本当にひとりでよく頑張る子に育っております。当初から矢萩先生の励ましがなければ、母子ともにここまでこれなかったと心より感謝いたしております」

2002年7月31日

 

 早いもので高校3年生ですか。進学するとなると受験勉強が大変ですね。体のことが心配です。
母親の洋子さんの話:「学校の授業が終わってから塾に通うというのは、体のこともありますからね。これまでやらせてこなかったんです。娘の勉強に関してはノータッチで通していました。その代わり娘は自宅で地道に日々努力していたんですね。この度それが報われまして、推薦を受けて大学に進学となりそうなんです」 無理な受験勉強を避けられたんですね。賢明ですね、日々の努力の積み重ねに優るものはありませんね。

2002年8月25日のお電話より

 

 「退院から3年10ヶ月が経ちました。この間大きな風邪等もひくことなく元気に過ごすことができましたこと、心より嬉しく、皆様のお蔭と手を合わせる毎日です。 また、今年は受験を前に推薦で希望大学への入学を早々と決めることができました」

2002年12月31日のお手紙より

 

000092-d.jpg 4月から大学生となりこれまでと変わらずお元気に過ごされているということです。

2003年8月14日のお電話より

 

 由美さんは変わらず元気に大学生活を送っているそうです。再発もなく4年9ヶ月が経過、まもなく5年を迎えます。

2003年12月9日のお電話より

 

再発なく元気に5年が経過。

 「大学も2年になり、最近は外を飛び回っていて、家に落ち着くということがありません。元気良すぎるくらいです。変わらず元気に過ごしています。目標だった5年がついに経過しました。さらに7年目を目指します。振り返ると発病したときは地獄に突き落とされた思いがしたものです。このような日々が迎えられるとは、想像もできませんでした。感謝の毎日です」

2004年8月5日 お母様の洋子さんのお手紙より

 

 「大学4年になり、就職活動を精力的に頑張っています。目標の7年を越えました。最近では発病した当時のこと、お世話になった人たちの話を理解できるようになり、感謝の気持ちも生まれてきているようです」

2006年8月11日のお電話より

 

 「実は、娘は医療ソーシャルワーカーを目指して専門学校に通っておりました。お陰様でで来年の4月から病院で働くことになりそうです。もらった命と思っています。今度は病気をかかえる人の相談役として返していけるものがあればと思っています」

2007年12月16日のお母様のお電話より

 

 「娘は親元を離れて暮らし、病院のソーシャルワーカーとして元気に務めを果たしております。再発なく10年が過ぎました。」

2009年9月8日お母様のお電話より

  「中学生の頃から今日まで大変お世話になっております。お蔭様で元気に働いています。今、千葉に帰省しています。お正月は両親と一緒に過ごすつもりです」  お元気な由美さんご本人の声が聞けました。さわやかなお声でした。とても嬉しかったです。

2009年12月31日のお話より

 「異常に暑い日が続いておりますが、変わらず元気にしています」     

2010年9月4日お母様のお話より

 「ソーシャルワーカーの仕事は大変ですが、とてもやりがいがあります。今年も元気で働くことが出来ました。中学生だった当時のことはよく覚えていますよ」   再発無く元気でもう11年の歳月を越えられたのですね。            

2010年12月29日の由美さんのお話より

 「娘は、暑さに負けず元気で働いております。再発無く、12年になります」                          

  2011年9月3日お母様のお話より

 「この冬も元気に頑張っています」        

     2011年12月31日お母様のお話より

          GQ078_L.jpg                           

 「娘はとても良い方と巡り会うことができまして今年結婚いたしました。幸せに暮らしております。」

2012年12月25日お母様のお話より

 

 

元気な男の子を出産。

 「9月半ばに無事男の子を出産いたしました。母子ともに元気でおります」

2013年9月27日の由美さんのお話より

 「孫は、娘の母乳が良く出てますのでたっぷり飲んで大きくなりました。表情も豊かです。白血病の治療で薬を使ってますから、娘が子供を授かることは、これまで考えられませんでしたし、考えていませんでした。また、妊娠が分かって出産するまでずっと心配でした。一方、娘は動じない性格といいますか、のほほんとしてるんです(笑)。15年前の治療の時もそうでした。大人でさえきついといわれる検査でも決して弱音をはかない。入院中は笑顔を絶やすことなく、笑ってばかりで。この性格は誰に似たのか分かりません(笑)」

2013年12月29日のお母様のお話より

 

 「息子はよちよち歩きができるようになりました。みんな元気でおります」

2015年1月1日の由美さんの年賀状より 

 

 「由美も孫もとても元気に幸せに過ごしております。孫はもうすぐ2歳になります。」

2015年9月14日 お母様の洋子さんのお手紙より

 「由美は今年の2月に第2子を出産いたしました。元気な女の子です。早いもので、長男の方はもうすぐ4歳になります」

2017年7月15日 お母様の洋子さんのお話より

山川さゆりさん(仮名)の場合

 「私が左の乳房のしこりに気付き、宇都宮の病院で検査を受けたのは1995年10月のことでした。結果 が出るのは1週間後。不安でしかたなく、すぐに母親のところに走りました。というのも、以前母が人間ドックで肺に異常が見つかった時、日本冬虫夏草を取り寄せ飲んでいたのを思い出したからです。早速譲ってもらって飲み始めました。(母はその後異常なしとの診断をもらっています。影は幼少の頃からあったものだそうです)

000085-a.jpg 矢萩さんにも電話をしました。すると『山川さん、ちょっと仕事を休んで、好きな時に寝て、好きな時に食べて、好きな時にお風呂に入って自由にのんびりやればいいんですよ』とおっしゃる。その頃の私は、ガンというものの本質が分かってなくて『いったいこの人は何を言ってんだろう?』と理解に苦しんだのを覚えています(笑)

 1週間後、結果を聞きに行くと『乳ガン。2cmと4cmくらいの腫瘍』と診断されました。そこで乳房を全摘してリンパも取る手術を勧められたのです。手術は3週間後と決まりました。女性なら誰でも願うように乳房は失いたくないと思いました。手術まで時間があるので、ガンに関わるものであれば、本でも雑誌でも何でも読みあさりました。ガンというものはどうしてできるのか、どうすれば消えるのか、病院の治療は、治った人はどういう道を辿っていったか、経験者からも遠慮なく話を聞きました。

 日本冬虫夏草は毎日350cc、チビリチビリと飲み続けました。それは私のお守りのような存在でした。間もなくして、長い間悩んでいた便秘が解消されていることに気付きました。また、私は昔から手首に脂肪の固まりのコブを持っていて、久しぶりに会った伯母が『どうしたの?コブが小さくなってるよ』と言うのです。食事療法も始めました。主食は玄米、野菜をよく摂って、乳製品と白砂糖の入った甘いものは食べないようにしました。それから血行をよくしなければと、スタイルを意識して身に付けてたボディスーツを脱ぎ捨てました。

000085-b.jpg 休暇届を出して自宅療養と決め込みましたが、夜はなかなか寝付かれず、眠りに就くのが12時過ぎ、朝は5時には目が覚めてしまいます。でも、主人と息子たちに朝食の用意をして、送り出して、日本冬虫夏草を飲むとようやくリラックスして眠くなってきます。そこから朝風呂に入って、テレビを見ながらご飯をゆっくりいただきます。そして日本冬虫夏草を胸にシップして9時から昼まで朝寝をするのです。誰にもわずらわされずにこのようにリラックスしてひとりの時間を持てるとは、今までの生活からは考えられないことでした。

 その頃の私は、4月に転勤となってから、新しい職場での上司や同僚との確執に、家庭での夫やその親戚 との確執が加わり、毎日イライラして仲の良い友人ともうまくいかなくなっていました。まさに八方ふさがりの中、心休まる場所はどこにもなく、そのストレスが免疫力を低下させて発病の引き金になったのでしょう。突然手に入った日中のひとりの時間は、かけがえのないものに思えました。

 日本冬虫夏草を飲み始めてから2週間目、胸のしこりを自分でチェックしてみると、二つあった腫瘍のうち2cmのものはどこにもなく、4cmのものもよく探さないと分からないほど小さくなっていました。

 いよいよ手術前日という時、診察室で私は主治医に頼みました。わずかに残った患部だけを摘出して乳房は温存してもらえないかと。でも『予定通 りやります。乳房やリンパは今後転移する可能性が高いので事前にとってしまった方が安全ですから』と取り合ってくれませんでした。転移どころか実際に患部の一つは消えて、もう一つは小さくなっているのに、これから転移すると言われてもピンときません。父と主人は『胸の一つや二つより命の方が大事』と説得にかかります。私を心配する気持ちはとてもよく分かりました。

 虚しい気持ちで病室に戻ると、私に面会したい人がロビーで待っていると連絡が入りました。その人は、この病気がきっかけで友達になった同じ病気をもつ女性でした。下に降りていくとご主人と一緒にたたずんでいました。それは私が真夜中に病院を脱走する12時間前の出来事でした」(2003年4月15日号に続く)

朝日ウィル(北燈社)2003年3月18日号より

 

「彼女は手術の跡を見せてくれました。明日、私が同様の手術をすることを知って駆けつけてくれたのです。『転移や再発がないようにと、乳房もリンパも取り、ホルモン注射を続け、検査のために何度もレントゲンを当て、その結果 がこの度の再発です』私のようになってはいけないよ。彼女の思いが伝わってきました。

 心は揺れました。夜が明ければ手術です。眠れるはずもなく、病室の薄明りの中でパラパラと週刊誌をめくっていました。すると乳房温存療法に取り組んでいる病院の記事が目に飛び込んできたのです。自分の望む治療をやってくれる病院はある。もうここにはいられない。ようやく決心がつきました。そのまま病院を抜け出しました。

 1995年11月4日、午前2時のことでした。そして4時間後には東京行きの電車に乗っていました。週刊誌に載っていた病院に向かうためです。私は、車中であろうとプラットホームであろうと、日本冬虫夏草のビンを抱えて始終チビチビ飲んでいました。周囲からどう見られようと、そんなの関係ないの。今思えば、近寄るのをためらうようなちょっと異様な姿だったと思いますよ(笑)

 病院は大塚にありました。受け付けを済ませて主人に電話を入れると、私宛てにFAXが入っていると言うんです。それは温存療法に取り組んでいる病院のリストでした。送り主は、いつも私のことを心配し、励ましてくれている人です。私がそういった病院を探しているのを知って、見つけてくれたのでした。すぐに電話を入れ、大塚の病院に来ていることを告げると『そこはダメ、温存療法をやらないどころか抗ガン剤も一所懸命使うところ。すぐに出てK病院に行きなさい』診察室から呼ばれる寸前でした。保険証を奪い取るようにして病院を出、電車に飛び乗りました。2度目の危機一髪でした。

000085-c.jpg 3番目に辿り着いた病院は、土曜の午後ということもあって診察はもう終わりでした。予約を入れて1週間後に改めて診てもらうことになりました。地下に売店があったので、担当してくれる先生の書かれた本を購入して帰りました。電車の中で本を開くと、私の中で釈然としなかった数々の疑問が、明確に解かれていました。私の考えは間違っていない、そう思ったら急に涙があふれてきました。長い長い1日でした。黄昏の車中で、何度も涙を拭きました。とうとう念願の温存療法をしてくれる病院に行き着いたのです。

  ここに至るまで、良いという療法があれば何でも試しました。音楽で病気が癒されると聞いて錦糸町にも行きました。食事療法やカイロプラクティックも試しました。習志野にある香澄診療所へも伺いました。日本冬虫夏草を治療の中に取り入れていると聞いたからです。

 何回かの治療の中で廣瀬薫先生は、私に、本人から許可を得た1枚のカルテを差し出しました。乳ガンの末期患者で、ガンセンターに見放されたという女性のものでした。ところが日本冬虫夏草を飲み続け、元気だというのです。死と向かい合っていた私に、光が差し込みました。明るい幕張の海岸沿いの風景を眺めながら、心の迷いが消えて、自分らしく歩き出せることの幸せをかみしめていました。

000085-d.jpg 1995年12月7日。希望通り、患部だけを取る手術を行いました。乳房は残りました。形もほとんど変わりません。その病院には、乳房を残したいという一心で、探し当ててやってきた女性ばかり9人が入院していました。 その後、その方たちとの会話の中から、いろいろなことを学んでいくことになるのです」

朝日ウィル(北燈社)2003年4月15日号より

 

 左の乳房に2cmと4cmの腫瘍がありましたが、手術の前には2cmのものはすでに消失して、4cmのものはよく探さないと分からないまでに小さくなっていました。さらにその患部はやわらかく変化していました。

 「手術は3時間を要したものの痛みもなく、次の日には外出できるほどの簡単なものでした。何とか乳房はそのまま残すことができました。実は摘出した患部は見てないんですよ。うっかりしました。頼んで見せてもらえばよかったですね。ひょっとしたらガンではなくなっていたかもしれません。

 その病院には、乳房を残したいという一心で、全国から集まってきた女性ばかり9人が入院していました。彼女たちは食事療法はやっていて当たり前、教養があってパワフルで、病気や治療についてかなり勉強されてるという印象でした。ぼんやりしてる人は誰ひとりいなかった。治すことに決して受け身じゃないんです。『うゎ~、先生にそこまで要求しちゃうわけ?』と驚くこともありました。私は相変わらず日本冬虫夏草のビンを抱えてチビチビやってましたから『冬虫夏草の山川さん』と皆に呼ばれていました(笑)

 できるだけ自然療法でと思っていた私も、術後の25回の放射線照射は避けられませんでした。それでも抗ガン剤投与は、1回やったところで断りました。そのためには少々知恵を絞らなくてはなりませんでした。同じ病院でも、先生によって考え方が少しずつ違うということが判ったからです。私を担当してくださった先生は、実際には本の著者とは違う先生で、抗ガン剤をよく使われていました。完全に西洋医学寄りで、病室で自然療法や食事療法などの本を見つけた時なんかは、一言皮肉を言って帰られましたから。直接断っても無理と判断し、東洋医学や食事療法の理解ある助手の先生に相談したんです。そしたらスンナリ抗ガン剤は中止となりました。

 入院中に皆と明らかに違うと感じたのは、生理が普通にやってきた時です。他の人は皆止まりましたからね。10人中9人が止まったのです。また抗ガン剤を投与した回数に関わらず、抗ガン剤の最後の投与が終わった時点から3週間目になって、皆さん髪が抜け始めるのでした。『お風呂の排水溝に髪の毛が詰まるわよ』と言われて、髪を洗わないでおこうと思いました。でもさすがに我慢できなくなって洗うと、これが抜けてこなかったんですよ。髪が抜けた人たちは揃って真っ白い顔をしていました。それでも皆で言いたい放題おしゃべりして笑っていたからでしょうか。比較的元気でした。

 ガン仲間であり、現在も交友を続けているSさんが、乳ガンの女性の共通 点を分析していました。明るい人も、太っている人も痩せている人も胸の大きい人も小さい人も関係なくガンになっている。共通 点はなかなか見つからない。そんな中でようやく掴んだのは、皆さんが発病する前に『眠れない日が続いた』ということでした。心の平穏をしばらく失っていた時期があるのです。

000085-e.jpg 外泊も含めて入院生活は2ヵ月に及びましたが、歳いった人から若い人まで全国津々浦々からやってきた女性たちとの出会いがあり、どの方のお話も大変興味深く、毎日ワクワクして過ごしました。素晴らしい女性たちばかりでした。あの時ほど面 白かったことは生涯ないかもしれません。病院に運んでくれた東武電車を見かける度、今でも懐かしさと楽しさが込み上げてきます。治療を探し求めて歩く旅もとても幸福な時間でした。私にとってはバケーションそのものだったのです。

 あれから再発もなく元気で、今年で8年目を迎えました。仕事に忙しい毎日ですが、追い詰められた状況にしないこと、食べ物に気を付けること、そして何よりもクヨクヨしないようにと心がけています。

 病気になったことで得たものは多く、ガンは克服できること、治す力は誰にでもあって、引き出せるかどうかは自分次第、諦めてはいけないこと、そして何事にも感謝する心を持つことを学びました。病気で悩んでいる人がいれば、できるだけ力になりたい。

  私は今、職場の管理職試験を受けようと頑張っています。また書道の師範の資格も取ろうと思っています。健康に不安があっても日本冬虫夏草があるという安心感は、私の何よりのお守りだと思っています。もしかしたらその安心感が私を健康にさせてくれるのかもしれませんね」

朝日ウィル(北燈社)2003年5月20日号より

【経緯】
1995年10月13日 片方の乳房のしこりに気付き、検査に行く。
日本冬虫夏草を飲み始める。
10月19日 検査結果が出て乳ガンと告げられる。
2cmと4cmの腫瘍。
10月26日 2cmの腫瘍はどこにもなく、4cmのものはよく探さないとわからない程小さくなる。
11月3日 入院先で、主治医に乳房温存療法を願い出るも聞いてもらえず。
11月4日 手術日。未明に病院から抜け出す。
K病院に行く。
12月7日 患部だけの摘出手術。乳房は残る。
その後25回の放射線照射。
抗ガン剤投与1回終わった時点で中断。

 昨年9月に父が脳梗塞で倒れ、介護の一年を送っていました。医師からは何度も危篤状態を告げられましたが、その度に父は復活し、その生命力には驚かれます。それでも先月は、肺炎に加えて腸からの下血があり、『再び出血したら命はないでしょう』と言われ、親族を呼び寄せる事態となりました。腸が壊死しているということでした。でも不思議なことに父に面会した皆は『顔色いいよね』と口々に言うのです。それを主治医に話すと『体の外と内は違いますからね』と言い返されました。

 それでもあきらめきれなくて、知り合いの気功の先生を頻繁に病室に呼んで気をあててもらったり、飲ませていた日本冬虫夏草を今度は浣腸してみることにしました。市販のイチジク浣腸の中身を捨てて代わりに日本冬虫夏草を入れて。一番多い時(危篤時)で1日4回、2本ずつ浣腸しました。『お父さん、これで良くなるからね』と常に声をかけながら...。床ずれした部分にはオトギリソウをつけてあげました。39度まで熱が上昇した時も、めげずに自分でやれることを続けました。すると次第に、酸素マスクが外され、鼻にあてる簡単なものになり、それも外され、水枕も取れて楽になっていったのです。肺炎も治り、床ずれも治っていきました。

 そしてこの度のCT検査。腸の画像を見て、主治医は大変驚いていました。『壊死した部分が治っている』と言うのです。そのことを気功の先生に話すと、『人間の体には信じられない程の治す力があって、まだ科学では解明されていないことが多いのです。つまりまだ見えていないものの中にこそ真実があるのです。その力を抑えるのではなく、引き出せる環境であるといいですね』と励ましてくださいました。

「私は手術から再発なく12年が過ぎました。ここを元気で乗り越えて行かなくてはなりません。日本冬虫夏草は父と一緒に飲んでいます」

2007年10月11日のお電話より

 

「がんばっていた父でしたが、とうとう旅立つ日がやってきました。2008年4月19日のことです。最愛の父との別れにひどく取り乱す自分を想像したこともありましたが、悲しみは全くなく、不思議なほど静かに受け止めることができました。1年前の自分だったらこうはいきませんでした。IMGP1632_SP0000.JPG

 そういう心の境地に導いてくれたのは父の力です。ここまで到達するのを力を振りしぼって待ってくれたのだと思います。私も仕事と介護の両方に力を振りしぼって振りしぼってもう何もでないところまできていました。二人で精一杯やった先に辿り着くこのように静かで穏やかな場所があるとは考えもしないことでした。

 私は何の宗教も信じていませんが、これまでの人生を振り返ると出会いや出来事ががすべて組み込まれているのではないかと思えて仕方がないのです。すべてが完璧なタイミングで現れて、その意味を後になって知るというような繰り返し。苦難も苦労も有難く思えてきます。

 最期に父と交わした言葉は『ご苦労さん、ありがとう』でした」

2008年5月25日のお電話より

【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。

当研究所の技術を真似た偽造品やコピー品にご注意下さい。

ご注意下さい