CASE4 : 手術だけで他の治療はない…

何傑さん(かけつ 北京市在住)の場合

 「2010年頃から肺に影があるのを指摘されていて、検査を続けていたのですが、大きくならずにいたのでそのままにしていました。

2014になると、とうとう医師から『何かあってからでは遅いので、切っておいた方がいいよ』

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と言われてしまい、心穏やかではいられなくなりました。検査入院をしてる間、肺がんの患者さん3名と知り合いになりました。日本冬虫夏草は7月から飲み始めました。

 

 手術する病院は、自分なりにいろいろ考えた末、日本の病院に決めました。 2014年10月に脇の下から胸腔鏡を入れて、開胸することなく腫瘍を摘出しました。

 

手術中に腫瘍の細胞検査をすると、がん細胞があるということでした。そして、一週間後、保管していた腫瘍で再び同様の検査をすると、がん細胞は無く、『がんでは無い』と言われたのです。その後も日本冬虫夏草は飲み続けました。

 

父が胆管がんで一週間の命

 やれやれとひと息ついたのも束の間。今度は『父ががん』という知らせが待っていました。83歳の父が胆管がんで『このままだと一週間の命』という知らせでした。しかし、父はそこから大逆転の人生を辿ることになるのです。 何傑さんのお父様のお話はこちらです。

 

 私の方は、2016年9月の検査結果では異常無しということでした。検査入院の際に知り合った肺がんの患者さんは一年経たないうちに皆無くなりました。

いろいろお世話になりました。感謝しています。たくさんの人に日本冬虫夏草を知ってほしいし、健康の内に飲んでほしい。弱った人、歳とった人も飲んでほしいと思います」

2017年6月4日のお話より

黒坂 和子さん(アトランタ在住 2005年当時77歳)の場合

kurosaka_1.jpg 「アメリカに住んで50年以上になります。2005年6月16日のの話になりますが、メモグラム検査で『乳がんの疑いがある』といわれたのです。左の乳房にごく小さなケシ粒のようなしこりが散らばってるということでした。

 

夫婦で娘が住むアトランタに引っ越す前は、ウィスコン州のグリーンベイに住んでいました。当時から年に一度はメモグラムの検査を受けていて、一回だけ検査に引っかかり、バイアプシー検査(生検)までやったことがあります。その時は苦痛を感じることもなく、がん細胞も見つかりませんでした。跡が残るということもありませんでした。

 

その経験がありましたから、再びアトランタでバイアプシー検査をすすめられた際も、気楽にひとりで出かけていったのです。

 

がん細胞見つかる

 ところが、部分麻酔をかけて針の先のような道具でしこりをとっていく間、女医さんのおしゃべりが止まりません。スタッフのひとりと話に夢中で集中してない様子でした。案の定、見当はずれのところを2,3回取り間違えたり、以前は経験のなかった痛みも感じたのです。たまらずその真摯でない姿勢に中断を申し出ました。(この時の傷はしばらく残ることになります)そして、取り除いたしこりの一部からがん細胞が見つかったのです。私は、彼女のボスに掛け合って、後日改めて残りのしこりを取り除く約束を取り付けました。担当医はボスです。

 自宅に戻り、『またがん細胞が見つかるのかな。どうしよう』と考えてると、ふと以前耳にした日本冬虫夏草のことを思い出しました。日本冬虫夏草を飲んだのは残りのしこりを取る2日前。正確には1日半、粉末にしたものを飲みました。

 

がん細胞がどこからも検出されない

 77日、今度は娘に同伴してもらい、残りのしこりを取り除きました。家族がいれば、いやがうえにも相手にプレッシャーがかかります。いい加減には出来ないというのがあるかもしれません。全身麻酔をかけ、メスを使った昔の方法でやってもらいました。前回のような痛みはなく、跡も細いかすかな線が残っただけ。そして細胞を調べると今度はどこからもがん細胞が出てこないのです。『キモ(抗がん剤治療)する必要はありませんからこれで終了です』と言われました。

それから半年に一度の検査を続け、2008年からは検査は1年に一度でよくなりました。日本冬虫夏草はずっと続けています。あれから胸に再びしこりが現れることなく順調に5年が経過しています。

 

 さてもうひとつ、自分に降りかかった大きな事件の話をしなければなりません。

がんより困難。転倒による後遺症

 20061021日のことでした。どん底につき落とされる出来事が起きたのです。友人宅でのパーティーに呼ばれた時のことでした。キッチンにまるめて置いてあったカーペットにつまずいて大転倒してしまったのです。床に後頭部をガツンとぶつけました。すぐに救急病院に行き検査をし、翌日も念を入れて調べましたがこれといった異常はありませんでした。症状も何も出てません。

 

ところが転倒から3日目、急激に気持ちが悪くなって立っていられなくなったのです。しだいに両手両足がしびれ出し、ひどい船酔い現象におそわれ、食欲もなくなり、眠ることすら出来なくなっていきました。脚気になったように自分の手なのにどこに置いたらいいか分からない。自分の体であって自分の体でないような感覚、こればっかりはなってみた人でないと分からない。あちこちの病院で診てもらいましたが、一向に異常な場所は特定できず、治療法もわからずじまいで良くなる気配もないまま闇の中を数カ月の間さ迷い続けることになるのです。がんの方がまだましだと思いました。その間、夫は毎日手足のマッサージを続けてくれました。

 

 年が明けて2007124日。これまで頭部ばかり検査していましたが、首はどうなのか調べることになりました。そしたら首の骨のスパイン(椎骨)6個がずれていることがわかりました。そのうち1つは細くもろくなっているようでした。

 ドクターから『このスパインに補強材入れたら現在の症状がなくなるかもしれない。手術には半身不随になるリスクが伴います』と言われました。高すぎるリスクです。グリーンベイに腕のいい友人のドクターがいたので相談すると『手術できるかもしれないよ』という返事。ただこの季節、この状態で極寒のグリーンベイに行く自信は無く、躊躇せざるをえませんでした。

 

劇的な回復

 2月に入ってすぐ、これまで飲んでいた日本冬虫夏草とは違う別の菌類に変えてみることにしました。その頃から変化が現れてきました。

img023_SP0001.JPGまずはじめに両手のしびれが取れてきました。そして次に肩こりが取れてきて、次に両足のしびれが治ってきたのです。223日にはウォーターエキササイズを15分やれるまでに回復していました。その後、チャーチで食事の準備を手伝いながら4時間もの間平気で立っていられたのです。大好きな庭の手入れも出来るようになりました。急激な回復でした。

 

 アトランタには毎年ジャパニーズフェスティバルという催しがあります。私は、アトランタで花水木ガーデンクラブに所属してるのですが、そのフェステバルで仲間と盆踊りを披露しました。20083月のことです。あの時のことがウソのように思えました。右はその写真です。

 200912月の血液検査でも20103月の血液検査でも満点の成績でした。薬を服用してもかんばしくなかったコレステロール値もミドルからロウに良くなっていました。自分で言うのもなんですが、若く見られることが多く、高齢者のサービスを受けようとすると『あなたはまだその資格ない』と注意されるのです。身分証明書を見せて私の本当の年齢を知ってもらうと相手の方は信じられないといった様子で目を丸くします(笑い)。

2010年6月12日のお話より

 

 「このところエキササイズは週に5日やっております。日本の文化を広めるために大学やハイスクールで盆踊りを教えております。日本冬虫夏草なども続けております。明日からバケーションで娘が出掛けます。そのため犬を預かることになり、ちょうど今、犬の散歩から帰ってきたところです。元気でやっています」

201083日のお話より

 

  「この度、年に一度のメモグラム検査があり、結果は異常なしでした。お陰様で乳ガンとは無縁で5年が経過しました。日本冬虫夏草は現在も続けています」

2010年9月23日のお話より

 

 「昨年12月、ベットに横になってる時、左の腰の辺りを後ろから誰かに押されてるような違和感があり、CT検査をしたところ、『膵臓が腫れてるようですね。3ヶ月経ってさらに異変があったらバイアプシー検査をしましょう』と言われました。いつも思うことなんですが、このドクターは大げさなんです。いつの間にか横になった際の違和感は消えていったし、食欲も排泄も普段どおり、ウォーターエキササイズも週に4、5日は無理なくこなして快調そのもの。3ヶ月経って膵臓の大きさはそのままでしたが、全く気にしてません。バイアプシー検査なんてもってのほかと思っています。

 

 日本の震災に心を痛めています。仲間で義援金を募り日本に送りました。日本の被災地の映像を見る度、涙があふれます。そんな折、こちらでも天災に見舞われました。427日~428日にかけて、アメリカ南部6州を竜巻と暴風雨が襲ったのです。一晩で150もの竜巻が発生。340人の尊い命が犠牲になりました。被害現場は瓦礫の山と化しており、メディアでは『日本の被災地を見るようだ』と伝えています。オバマ大統領は29日には現地に入り『これほどの惨状は今まで見たことがない。胸が張り裂けそうだ』と語りました。

 

嬉しいニュースもありました。1970年代、ニューヨーク州のシラキュース市に住んでいた頃、根岸英一夫妻と親しくしていました。人間的に素晴らしいご夫婦でした。夜の10時頃、突然電話が入ったのです。奥さんのすみれさんからでした。『黒坂さんお久しぶりです。今アトランタに来ています』江戸っ子で気取らず気さくなところが昔と全く変わっていませんでした。根岸さんが2つの有機化合物をひとつにつなげて新しい化学物質を作り出す合成技術(カップリング技術)で2010年のノーベル化学賞を受賞したらしいのですが、私はそれを長いこと知りませんでした。アメリカでは日本のようにメディアで派手に報じられることが無いものですから。あの根岸さんがね...。この一年は夫婦そろって世界各地を講演して回らなくてはならないそうで、スケジュールがびっしり。自由な時間が取れないとぼやいてました。ノーベル賞なんて滅多に取れるもんじゃないですよね。自分のことのようにすごく嬉しかったです」

 

2011年5月2日のお話より

 

pool.jpg 「9月に年に一度のメモグラム検査があり、結果は異常なしでした。血液検査の結果も満点でした。週に5日のウォーターエクササイズも変わらず続けています。乳がんとは無縁で6年が経過しました。お陰様で何の心配もなく新しい年を迎えられます。日本冬虫夏草は現在も続けています。」

2011年12月22日のお話より

 

  「12月の末にメモグラム検査があり、結果は異常なしでした。それより前の血液検査ではコレステロール値が若干高いものの、80項目ある数値は皆正常値。元気で新年を迎えました。今年の3月3日で87歳になります。」

2015年1月3日のお話より

 

 「庭では50~60本の水仙がつぼみをつけて、いよいよ春めいてきました。庭木に鳥の餌をぶら下げて野鳥観察をしています。穀物の種や牛脂などを4か所に設置しています。毎日窓から鳥をながめながらの朝食は至福のひとときです。ブルージェィやカーデナルがよくやってきます。ときには、リスが餌をうばっていくこともあります。朝食の後はウォーターエキササイズに出かけます」

    2015年2月18日のお話より

 「春の嵐がやってきました。庭の木々からは枯れ枝がちぎれ飛び、地面に山となりました。それを一人で片づけました。2~3時間はかかったと思います。『あの年で良くやるなぁ!』と周囲の人たちは驚いています。乳がん細胞が消えてから再発無く10年、転倒の後遺症から解放されて9年が経ちました。時差があるのでこちらはまだ3月3日の雛祭り。私の誕生日です。88歳になりました」

2016年3月4日のお話より

眞壁秀夫さんの場合

※前立腺、膵臓がんは中盤。肺がん、乳がんのお話は末尾にございます。

 「私はもともと胃が弱く、疲れると痔になりやすい体質でした。2001年4月から出血が始まり、いつもの痔と思って暮らしていました。でも一向に良くならないんです。近くの総合病院で診てもらうとあっさり何ともないと言われてしまって。それから釈然としないまま4ヶ月が経過しました。痛みは全くないのですが、出血はさらにひどくなっていきました。

000044-a.jpg 8月30日。いよいよ県内でも有名な肛門科の個人病院で診てもらうことにしました。そこは18年前に痔の手術をしたところでもありました。内視鏡で調べてもらったらモニターに一瞬やけどのただれのような部分が映ったんです。内視鏡はゆっくり移動して、腸壁をモニターに映し出していきますが、どういうわけか肝心な部分にさしかかると先生はさりげなくサササーッとスピードを上げちゃうんですよね(笑)。これは見逃しちゃいけないと思ってね、私も必死です。問題の部分は赤黒く変色していて周囲が白くなっているのが分かりました。細胞検査もやって、すぐに大学病院を紹介されました。

 6日後。個人病院の検査をもとに、大学病院でようやく直腸がんの診断が下りました。『手術で開いてみて、患部が肛門に近ければ人工肛門になるよ』と言われました。
手術までは1ヵ月以上あるので、自宅でやれることはやってみようと思いました。日本冬虫夏草を飲み始めたのは翌日からです。腸に負担をかけないよう、主食をモチ米質の少ない粘り気のない米に切り替えることにしました。それはキヨニシキという銘柄で無農薬無肥料米。日本冬虫夏草の浣腸もやってみました。そして出血量が徐々に減っていくこととなり、開始から25日目、ピタリと止まったのです。それ以降出血は全くありません。

 私はこの病気を機に、体の変化についてメモをとるようになりました。

 

2001年4月
出血が見られるようになり、総合病院で検査するが問題ないとのこと。
8月30日
再び個人病院での検査後、大学病院を紹介される。
9月5日
大学病院では直腸がんの診断。
9月6日
日本冬虫夏草を飲み始める。日本冬虫夏草の浣腸を思いついて試してみる。膿みたいなものが出てくる。
9月8日
胃の弱いのが気になっていたが、負担が無いようだ。
9月9日
なんとなく調子がよい。足がポッカポッカと温かくなる。まるで湯たんぽをあててるようだ。夜はすぐに熟睡。朝までぐっすり。
9月11日
便器いっぱい真っ赤になってたのが、出血が減って真っ赤な血が便に薄くつく程度になった。
9月17日
便が黄金色になってきた。便には赤茶色の血のスジが入る程度。
9月27日
腸に負担をかけないよう、粘り気のないキヨニシキという 銘柄の無農薬無肥料米を主食にする。
10月1日
キヨニシキを食べてから5日目。便に血のスジもなくなった。
10月3日
入院。相変わらず出血はない。以後出血はなし。主治医は日本冬虫夏草もキヨニシキも自由にやってくださいと言う。


000044-b.jpg 10月15日に手術。人工肛門は避けることができました。以前、身内がこの同じ病院で大腸がんの手術をした際、摘出した部分を見せてもらったことがありました。患部は黒ずんだ紫色で、500g~800gはあったでしょうか。両手でないと収まりきれない量でした。今回はどういうわけか、摘出した部分は家族の誰にも見せてくれませんでした。何センチ切ったのかもわかりません。赤黒くただれていた部分がどう変化したか見たかったですね。

 

前立腺に異常発見!消失!

   手術から5日目。残尿検査を受けていると、CTに影が映ったことがありました。前立腺のところです。腫瘍マーカーは6.5の異常値。あせって日本冬虫夏草の量を増やして毎日700cc~1050cc飲みました。1週間して再びCTを撮ると、今度は影は消失していてマーカーも2.5の正常値。先生は『あれっー。不思議だねー』とずいぶん驚いていました。すぐに『眞壁さん、何飲んだの?』と聞いてくるから、私はドキッとしてとっさに、この泌尿器科の先生には『何も飲んでません』と答えてしまいました。そしてこの2枚の写真のコピーをいただきたいと申し出ると、『病院間でのやり取りで必要があれば出すけど、それ以外はお渡しできない決まりになっています』と断られました。写真を見れば変化が一目瞭然なので、皆さんにお見せできないのが残念です。

 

10月15日 
手術。人工肛門を免れる。
10月20日 
前立腺の腫瘍マーカー6.5の異常値で、CT検査で影が見つかる。日本 冬虫夏草の量を2〜3倍に増やす。
10月27日 
腫瘍マーカーは2.5の正常値に下がり、CTの画像から影が消失。3年 越しの低温やけどの患部がきれいに治る。

  それからもう一つ、不思議なことがありました。私は3年前にカイロで低温やけどを負っていました。足の患部はそれからずっと炎症が治まらないままだったのですが、退院する頃にはきれいに治っていたのです。

 他の治療は一切なく、手術から1年が過ぎ、長いこと悩みの種だった胃の調子も良く快便の毎日です。昨年、告知を受けた時、すぐに社長のイスを息子に譲りました。私は10年前にサラリーマンを辞めて現在の会社を興したんです。睡眠時間は毎日4~5時間。とにかく働きました。肉類が好物でよく食べていましたね。病気を治すためにそれを止めて、野菜をたっぷり摂るようにしました。お酒は4、5年前から飲んでませんし、タバコはもともと吸いません。

 仕事をやめてから体調のコントロールが利くようになりました。外に出たくない雨の日には終日家で休み、睡眠不足の日は日中自由に眠ることができるわけですから。仕事をしていたら休みたいときに休むことは不可能で、必ず無理をします。これでは自分自身を裏切ってることになりますよね。この病気は痛みがなく、働くこともできますから、あなどってしまうことが非常に怖いんです。

 

000044-c.jpg 近頃は、野菜を作ったり、魚を釣りに海に出たり、自分のペースでやっています。来年は米作りに挑戦しようかと思っています。最近、腸に良いレシピを発見しました。シシトウの佃煮です。とても良い便がでますよ」

朝日ウィル(北燈社)2002年11月19日号より


 「間もなく手術から2年になります。この度のCT、MRI、マーカー、肝機能検査ですべてが正常で、『検査の間隔を伸ばしましょう』と言われました」

2004年9月2日のお話より


 「2006年3月の検査でγ-GPT(肝の状態をみる数値:正常値0~50)が200以上あったのが、この度の検査では60まで下がっていました。その他はどこも正常で、主治医から『もう検査に来なくていいよ』と言われました。そう言われてもまた行くつもりです(笑)。

 γ-GTPの数値が気になってから、日本冬虫夏草の種類をCY42番に変えて飲みました。又、今年になってからお酢療法を始めて肩こりがなくなりました。

 1日1錠の血圧の薬(10年前から)と1日2回2錠ずつの尿酸を下げる薬(20年前から)は続けています。血圧はしばらく安定していて服用を忘れることもしばしばです。もし上昇したとしても肩のあたりが重苦しくなるのですぐ分かります。肩にサロンパスを貼ると血圧がスーッと下がるので不思議です。根を詰めることをするとどうしても血圧は上がるようです。

 自分の体とは長い付き合いなので、くせを心得ていてその都度コントロールしているつもりですが、とことんがんばってしまう性格はたまにコントロール不能となり、ここが反省するところなのでしょう」

2006年8月2日のお話より


000044-d.jpg 「ここ1年は疲れるということがありません。ゴルフに行ってもそうです。若いときの体に戻った気がします。今年は同級会がありました。自分で言うのも何ですが、級友たちは顔が皆しわくちゃで、私だけ顔がピチピチしてたので『どうなってるの?』と思いました。

 日本冬虫夏草は量を減らしながらも続けています。手術から5年が過ぎました」

2006年11月24日のお話より

 

膵管に異常発見!消失!

 「2007年4月に心臓の血管にステントを入れる手術をしました。血管が詰まって倒れたのです。心臓の薬が追加され、一日に服用する薬は7種類となりました。しばらくして、γ-GTP(肝機能数値:正常値0~50)が749まで上昇したので検査を続けていくうち、膵管狭窄と肺に影が見つかります。そしてどちらも治療なしで解決していくのですが、その経緯を報告させていただきたいと思います。

 

【経緯】
2007年4月
ステント手術。これまでの血圧と痛風の薬に心臓の薬が追加され、7種類に。
6月

γ-GTPが749まで上昇。

9月10日
 

膵臓の内部、膵管に異常発見!

 

MRIで膵管の狭窄が見つかり、医師から『ここに出るのはまずがんなんだ』と説明を受ける。
細胞を取って調べる予定。姉と弟を共に膵臓がんで亡くしている。二人とも54歳の若さだった。医師はこの点を重要視。日本冬虫夏草をこれまでと比べて多め に飲むことに。毎日350ccを1ヶ月は続ける。日本冬虫夏草のCY16番の割合も増やす。

 
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11月13日

消失!

ERP(ERCP)検査を行う。これはファイバースコープを膵管まで通して調べるもの。先端のブラシで狭窄の部分から細 胞を取ることになっていたが、膵管の狭窄がきれいに治っている。
CT写真でも異常なし。大学病院では、写真のコピーをもらうことができないので証拠になるものとして、診断書を書いてもらう。

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※画像をクリックすると大きい画像がご覧になれます。

 

 

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肺に異常発見!消失!

 

11月31日

肺に異常発見!

PET検査。右の肺に光るものが見つかった。
9月のレントゲン検査では何も写らなかったのに。
肺以外は全身異常なし。
家電屋で吸入器を購入し日本冬虫夏草の吸入も試すことに。

12月11日
旧型のCT機械で撮影。何も写らず。
12月20日
レントゲンに影が出る。
2008年1月30日
レントゲンでやはり影が写し出される。
『こういうのは間違いなくがんなんだ』と言われる。拡大してみると患部がはっきり浮き出る。それでも12月より薄くなっているようだ。3cmのモミジ形の影有り。(これは画面から外れてしまう)
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2月1日
γ-GTPは78まで低下。肝臓の薬ウルソ出される。
血液データ、その他全て異常なし。
3月12日
新型のCT機械が導入される。
やはりプチプチと影が写る。
3cmのモミジ形の影もプチプチと点となって散らばり、消えかかっているようだ。
3月26日

γ-GTPは33の正常値に。

9月16日

消失!

新型のCT機械で撮影。
プチプチが写っていない。
かすかに写っているようにも見えるが、『この程度のものならレントゲンでは全く写らない。異常なしとの診断になりますよ』と言われ。『次回またCT写してください』と申し出ると、『このように良い状態だし、CTといっても放射線を浴びることだからそれで刺激されるし、そっとしておきましょう。PETもレ ントゲンも皆放射線です。検査はこれで打ち切りです』と断られた。

 

 写真のコピーは入手不可能でしたが、意外にも『家族が心配しているので、携帯のカメラに写させてください。これを見せたら安心すると思います』と申し出ると、快くOKが出たので驚きました。割合きれいに写りましたのでメール送りました。これが証拠写真になります。それから日本冬虫夏草を飲んだことは、先生には伏せております。

 昨年来、体中をくまなく検査して全身異常なしのところまで漕ぎ着けました。安堵しているところです」

2008年9月22日のお話より

 

 「一昨年膵管狭窄が治り、昨年は肺の影が消失。それ以来変わらず元気にしています」

2009年3月4日のお話より

 

 「今年は知り合い2人が膵臓がんと乳がんになり、手術前から日本冬虫夏草を試しました。両者とも術後元気に仕事をしているというから驚いています。私は、変わらず元気にしています」

2009年12月12日のお電話より

 

知り合いが末期のすい臓がんに。末期の乳がんの女性も現れ。

 「変わらず元気に過ごしております。約一年前、知り合いが膵臓がんの末期と診断され、家族皆『もう助からない』とあきらめていたところ、『私のようなものがいるからあきらめるな』と励まし、手術前に日本冬虫夏草を飲むことになりました。
 すぐにおしっこがジャーと出てびっくりしたそうです。膵臓がんの検査では尿量が重要視されます。おまけに土色だったおしっこも無色透明になりました。

 そして、ずっと上がり続けていた腫瘍マーカーが1週間程で下がり始めたのです。吐き気も治まってごはんも食べられるようになりました。術前にはGM031_L.jpg痛みも無くなり、鎮痛剤とも縁が切れていました。それでも手術は当初のプラン通り行われました。膵臓と脾臓、十二指腸と胆のう・胆管まで全部取りました。

 それなのに現在はトラクターを運転し、農作業に励んでるというから驚きです。無理はして欲しくないですが、具合が悪かったら動けないだろうし、余程体調が良いのだと思います。病院の治療は現在何もしてないそうです。

 また、昨夏、乳がんの末期と診断された知り合いを訪ねたところ『もう助からないと』家族が泣いていました。同様に励まし、日本冬虫夏草を飲むことになりました。手術前のCT画像に変化が現れ、『何か飲んでるの?』と尋ねられました。そこで『何も飲んでません』と面倒を避けるために用意しておいた答でとぼけたそうです。術中の細胞検査で『がん細胞は陰性』と出て、術後の抗がん剤、放射線治療はスケジュールから外されました。今年2月の検査では『がんは体から無くなったよ。どこにも無いよ』と言われたそうです」

2010年4月2日のお話より

 

 「今年の夏は異常に暑かったですね。でも一切バテることなく畑仕事ができたのですから本当に不思議です。私の場合は日本冬虫夏草を飲むと体温が上がってくるようで、気温との差が縮まって暑さが気にならなくなるというか、肉体労働が全く苦にならなかったのです。そのとき蒔いた種がいよいよ育って、大根と白菜の収穫の時期となりました。味には自信があります。こんな幸せなことはないです」

2010年11月12日のお話より

 「被災された方々にいくらかでも野菜をお届けしようという思いがあって、趣味だった畑は、作物を増やし本格的になってきています。今年は、6月から暑くなりました。梅雨入りは平年より9日遅く、梅雨明けは平年より16日早くて、観測史上最も短い18日間。平年の4割の長さしか無かったようです。(梅雨期間:6/21~7/9)

8月になると30度を超える日照りが2週間ほど続きました。作物のためには、手間を惜しみません。根元に穴を開け、空気を入れてやります。その後、丹念にじょうろで水を流し込んでいきます。すぐに穴は塞がってしまうので、翌日にはまた一から始めなくてはなりません。その繰り返しです。移植ベラで根切りも行います。根を切ると根を張ろうとがんばってくれます。良い根が地面にはびこり作物が良く実るのです。

 昨年もそうでしたが、不思議なことにいくら畑で身体を動かしても疲れを全く感じないのです。畑でやることは毎日新しく出てきて、朝5時から夕方5時まで動きっぱなしの時もあります。海に出掛け、その足で畑の作業という日もあります。健康面での不安は全くありませんでした。 

 そんな中、8月12日の未明に異変が起きたのです。その日は、パジャマの上着を脱いで何も掛けず窓を開けっ放しでうっかり寝入ってしまいました。そして、40度の熱と体中の痛みで飛び起きたのです。左足も、ふくらはぎからつま先まで驚くほど腫れています。

すぐに病院に行って血液検査をすると、CRP値が19と異常値。白血球も1万を超えていました。感染症、リウマチ、通風、心臓疾患などを疑い、数日かけて消化器内科、整形外科、循環器科、皮膚科専門の個人病院と検査を受けて回りましたが、どこも悪いところが無く、原因がつかめないまま時間が経過していきました。薬剤の投与もありましたし、日本冬虫夏草もいつもより多めに飲みました。IMG_0920_SP0000.JPG

足の腫れはそのままでしたが、15日には平熱に戻り、CRP値も白血球数も下がっていきました。24日にはその数値も正常になりました。この頃には『もう病院に来なくていいから』と言われてしまいました。足の腫れもしだいに引いていきました。

 いったい何だったのでしょうね。炎天下で畑をやり過ぎたのですかね。本当は疲れてるのに疲れてる感覚が分からなくなっていたのですかね。結局この件で、CTもMRIも心電図も血液検査もさんざんやったお陰でどこも異常がないというお墨付きをいただきました。もちろんがんの心配も無いということです。自己コントロールが効かず、ついついがんばってしまう性分こそ病気ですかね。これは一生治らないかもしれません」

2011年9月1日のお話より


img020.jpg 「すこぶる元気にしております。検査データーを見て主治医が驚くほどです。『何やってんの?』と聞かれます。この頃は、腕や足に筋肉が付いたのを実感しています。畑作業で出来た筋肉です。ジムで鍛えるのと違い、畑だと野菜というご褒美が出ます。

皆、健康になりたかったら畑をやりなさい。きれいな空気と、筋トレ、ビタミン・ミネラルたっぷりの新鮮野菜。健康になるための要素が揃っています」

2012年6月20日のお話より
 

 「1000~2000坪の畑を一人でやっています。その作業に慣れるまでは大変でした。この頃は45~46才ぐらいの体に戻った気がしています。体重も4kg減って68kgです。健康を実感しております。」

2014年7月3日のお話より

 

 「2011年の夏のようにCRP値が上昇して、3月初めに発熱と下痢で緊急入院しました。コウモリの糞を掃除したのが原因かと考えています。病院の診たては原因不明。今は、元気になり、農耕に精を出しております」

2016年3月29日のお話より

今村晴美さん(宮城県在住)の場合

「下腹部に尋常ではない痛みが走り、病院に行ったのは1999年(37歳)春のことです。この時、『他にも悪いところがないか、この際だから全身くまなく検査しましょう』という話になり承諾しました。すると次々と異常が見つかっていったのです。まずは乳房にしこり、そして甲状腺に腫瘍、さらに腸骨に影...。

 

 乳房のしこりは良性と悪性の中間レベル、グレーといったところで、すぐに摘出。甲状腺の腫瘍はクロ。広がっていたリンパも含めて摘出しました。腸骨の影はシロの判断でした。

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 今はどうか分かりませんが、当時の検査は肉体的、精神的負担が伴いました。手術よりしんどかったかな。私は、その病院で幸運にも心の支えになってくれる素晴らしい看護師さんと巡り会っていました。生検の際は病院側に頼み込み、その看護師さんに担当で付いてもらいました。検査中ずっと手を握ってもらっていたほどです。白衣の天使って本当にいるのですね。彼女がいなければ、次から次に起こる現実を乗り越えられなかったと思います。

 

 さて、唯一症状が出ていた子宮内膜症の話に戻りますが、片方の卵巣と卵管を摘出しました。子宮には筋腫が3個ありましたが、残して経過観察していくことになりました。甲状腺の術後も、抗がん剤の投与等無かったですし、投薬されたものといえば退院後の鉄剤とホルモン剤ぐらいですかね。

 

 その後しばらくして、副鼻腔炎の手術もやっています。このように、次々とやってくる大病に休み無く立ち向かっていかなくてはなりませんでした。

 

   2001年になると、今度は息子の肺にがんが見つかりました。当時18歳。転移ガンでした。手術の前に抗がん剤を投与し、患部を小さくしてから根っこを手術で摘出するというプランに沿い、抗がん剤投与が始まりました。すると全身の毛が抜けました。眉毛もです。並外れた食いしん坊だったのに食事はできず、飲み物さえ受け付けない。胃の中は空っぽなのに吐くのですから見てられませんでした。自分のことより辛かったです。

 

 そこにある人物が見舞いに訪れました。山内正徳さんという方です。そして『これ飲んでみて』と何か差し出したのです。それが日本冬虫夏草と私の初めての出会いでした。

 

 覚悟を決めた息子は、ひとくち口にしました。すると食べ物も飲み物も一切受け付けなかったのにスンナリ飲めたではないですか。それから先も他の物は無理でも日本冬虫夏草だけは飲めるということでした。不思議な物があるもんだわと思いました。

 

 その後、息子の手術は成功し、再発や転移と無縁で今日まで元気に過ごしています。日本冬虫夏草は現在も続けています。

 

  さて、2005年の話になります。仕事中のことでした。ずいぶん前から左耳が聞こえずらいなと思っていたのですが、秋になって、電話の受話器を持った時、発信音が全く聞こえなくなったのです。右耳にあてるGH127_L_SP0001.JPGと確かに発信音は鳴っています。音の種類によって全く聞こえない音とかすかに聞こえる音があるようでした。

 

 すぐに耳鼻科で診てもらうと『耳自体は何ともない。耳の裏も問題ない。他に問題があるのではないか』ということでMRIで頭部を調べると『何かあるね』と言われたのです。頭の中が真っ白になりました。診察が終わったらデパートに寄って帰ろう。そんなあたり前の日常が一遍に吹っ飛んでしまったようでした。老舗デパートが閉店セールをやっていた時だったのでよく覚えてます。1129日のことでした。

 

 そんな時、あの日本冬虫夏草を思い出したのです。再び山内正徳さんに相談し、私も早速日本冬虫夏草を試すことになりました。病院からは『腫瘍が耳の神経と顔面神経と三叉神経にかかっていますので手術のリスクがかなり大きく、万が一神経が切れてしまうと。顔の半分が落ちてくるでしょう』と言われました。そして、脳外科医の福島孝徳先生に執刀してもらうように手配してくれました。福島先生は海外で活躍されていて、鍵穴手術で癒着や神経を巻き込んだ腫瘍を上手く剥がす技術をもっている方らしく、来日する2週間の間に45件もの手術をするといわれています。その代わり、手術を1年近く待たなければなりませんでした。

 

 手術の準備として貧血を改善しなければならず、鉄剤を渡されました。日本冬虫夏草は無理なく続けられました。フルタイムで働くのを止め、時間をセーブして仕事を続けました。

 

  半年後の20065月。脳腫瘍の診断直後からあった頭痛が無くなっていました。血液検査をすると、『貧血が良くなってる』と言われました。『子宮筋腫も大きくなっていない』ということでした。頭痛は、『ここに腫瘍がある』という精神的なものに起因した痛みだったのかなとも思います。20069月には、貧血は改善され、子宮筋腫も大きくならず止まったまま。子宮筋腫の方は『このまま手術なしでいけそう』との診断。難聴はまだありました。

 

  20061027日、脳腫瘍の摘出手術の日です。前もって『腫瘍は神経に絡まっているので元のように聞こえるようにはならないよ』と釘を刺されていました。病室を朝9時前に出て、手術室から戻ったのが夜の8時。手術は10時間に及びました。後で知ったのですが、この日は私のために10名程の親戚縁者が駆けつけ、見守ってくれてたそうです。術後、頭の中に空気が入ったために起こる頭痛が続きました。そのため1か月は薬を服用しています。薬はそれだけです。

 

 

戻らないと言われていた耳が元に戻った

 

しだいに頭の重苦しさや痛みから解放されていきました。そして、なんと左耳が昔の耳に戻ったのです。電話の受話器をあて、普通に会話が出来るようになったのです。耳は元には戻らないと覚悟してましたから、信じられないことでした。

 

 私の感想ですが、腫瘍が神経から剥がれ易くなってたのではないかと思うのです。手術まで長い時間がありました。その間、日本冬虫夏草をはGW115_L_SP0001.JPGじめ、食事に気をつけたり、仕事をセーブしたり、できるだけ体をいたわる事に努めました。乳製品断ちもしました。それまではチーズが大好物で頻繁に食べていました。これらの試みが無駄ではなかったのだと思いました。仕事はひと月休んだだけで、復帰することができました。

 

  20077月。持病の子宮筋腫にも変化が現れました。

筋腫3個がそれぞれ小さくなっているのです。先生も『このまま閉経していけば大きくなることはありませんし、手術の心配はもうありませんよ』と言ってくれました。血液の状態も『献血できるほどです』と言われました。この年の暮れには転職してフルタイムで働き始めています。

 

 持病の子宮筋腫はさらに小さくなっていき、2010年の夏から週に1度スポーツジムに通い始めました。40分のランニングが出来るほどの体力が身につきました。私の実年齢を知った人が『えっー!若い!』と驚いてくれます。孫と一緒にいると母親と勘違いされることもしばしばです。日本冬虫夏草との付き合いも5年を超えました。2006年の脳腫瘍の手術が終わってから手術を必要とするような大病が全く無くなりました。暮らしの中にはいつも日本冬虫夏草があります。

 

 

 

  振り返ると、経済的問題を抱えていて、それが引き金になったかなと思います。20年間苦しみました。がむしゃらに働き続けなくてはなりませんでした。休んだという記憶がほとんどありません。体が悲鳴を上げるはずです。今では全てが片付き楽になりました。一方で人に恵まれました。健康を取り戻せたのは周囲の温かい方々に支えてもらったお陰だと思っています。

 

私は、自分の事情や悩みを隠したり、ひとりで抱え込んだりしない性格です。それゆえ、皆からヒントやアドバイスを貰えたのかなと思います。皆、色々な経験や知識を必ずお持ちです。今度は私が病気で苦しんでる方の力になり、世の中にお返したいと思いました。私の経験が役立ってくれたらこんな嬉しいことはありません。そのため実名のまま、隠さず話させていただいたつもりです」

 

                                                                       201124日のお話より

 

 

 

【経   緯】
1999年  日付記録無し 乳房のしこり摘出。
   4月15日 子宮内膜症で卵巣・卵管摘出手術。子宮筋腫は残す。
   5月11 左腸骨腫瘍生検。
   5月24 甲状腺がん手術
2000年  10月30 副鼻腔炎手術。
2005年  11月29 脳腫瘍見つかる。
2006年  5月 脳腫瘍の診断直後からあった頭痛が解消。
子宮筋腫の大きさはそのまま。貧血改善方向へ。
   9月 子宮筋腫の大きさはそのまま。貧血改善。
   10月27 脳腫瘍摘出手術。本来の聴力に戻る。
2007年  7 子宮筋腫が縮小し、完全に手術の必要無くなる。
2010年  10月 子宮筋腫がさらに縮小。

 

 「立ちくらみのようなめまいがしたので、検査をするとコレステロールと中性脂肪の数値が高いことが分かりました。CT画像には脳梗塞の跡が写っていると言われました。いつ起こったのか気が付きませんでした。こういうことは多くの方にあるようです。体調に自信があったので、ここしばらくは、食事に気をつけることも無く、自由に食べてました。気を抜いて油断してました。職場の同僚に健康アドバイザーがおりまして、コレステロールを下げる食材、血液をサラサラにする食材を教えてもらいました。運動と組み合わせて、体質改善に努める決意を新たにしています」

 

                                2011年2月10日のお話より

                                               

 

 

3.11東日本大震災で次男家族が九死に一生を得ました。

            

 「巨大地震の直後、名取市閖上(ゆりあげ)に住む次男家族の安否が気になりました。海沿いの街ですから津波によって壊滅したという話です。連絡も取れず、一部の望みも無いとあきらめかけてたその時、当人達が現れました。孫を抱きしめて号泣しました。地震から3日目のことです。IMG_0797_SP0001.JPG

 

我家は今、非難してきた他の親族も合わせて10人暮らし。次男は職場が流され、仕事を失った状態ですが、目下のところ大所帯で賑やかに過ごしております」

            2011年3月16日のお話より

 

 

 

名取市にある仙台空港ターミナルの様子。津波によって運ばれた瓦礫の山。止まったままの電車が見える。329日撮影。瓦礫の撤去が急ピッチで進められていた。米軍200人が作業にあたり413日に一部国内線で運行再開。当初、開港に一年といわれていた。驚異の速さに世界中が驚いた。


 

 

 「疲れがでたのでしょうか?首に痛みが出たので脳外科で診察してもらうと、帯状疱疹と分かりました。発疹が出る前だったのですぐに治療し、事なきを得ました。次男は新しい仕事に就き、再スタートを切りました。今は5人所帯となり、日常生活も落ち着きを取り戻しつつあります」

                               2011年6月3日のお話より

 

 


 

 市の乳ガン検診で『影のようなものがある』とのことで再検査に行ってきました。正直ちょっと心配でしたが...今日の検査で異常なし。安心して帰ってきました。めまいからは解放され、血糖値だけ高く、今、本気で食事療法を始めたので体調が良いです。息子は私より日本冬虫夏草を多く飲んでいて元気にしています」                           

2012年5月8日のメールより

 今日、検査のため病院に行ってきました。2か月前から薬は出されていたのですが正常値に届かず、ここにきてついに血糖値が正常になりました。真面目に食事療法に取り組んだ成果だと思います。コレステロール値もOK!嬉しいです」

                                                                 2012年6月28日のメールより

 「両親や孫たちと大所帯で楽天と日ハムのゲーム観戦に行ってきました。延長戦にはなるし、孫たちは飽きてくるし、冷えてくるし、途中で帰宅して正解でした。無理をせず、家族でイベントを楽しみながら過ごしています。脳腫瘍の手術から8年が経過しました。元気で過ごしております」

 2015年5月21日のお話より

 

肺がんを克服した長男が結婚

  「昨年11月末に副鼻腔炎になり、ポリープも一つみつかったため手術しました。その後 、大晦日に40度、1月末にも38度の高熱が出ました。病院での検査で、インフルエンザでないことが分かっています。でもそれからなんですよね。体の調子が良くなったのは。発熱の産物かもしれません。

EN166_L.jpgこの度、肺がんを克服した長男が良縁に恵まれ結婚いたしました。9月には子供も生まれます。18歳の時に抗がん剤を大量投与してましたから、子宝に恵まれることなど考えていませんでした。驚いています。みんな元気で働いております」

 2016年5月3日のお話より

 

「予定より一か月早く孫が産まれました。2400gと小さめでしたが元気な男の子です。私のところにお嫁さんが里帰りしたようなかたちになっていましたが、今日から本来の住まいに戻り、3人の生活が始まります」

 2016年9月18日のEメールより

 

 

赤川学さん(当時64歳・仮名)の場合

000047-a.jpg 「あれは1994年の暮れのことでした。頭痛が続いたので病院で検査を受けることにしたんです。

 子どもの頃から偏頭痛持ちで、ずっと悩まされてきましたが、35歳を過ぎた頃、どういうわけかそれから解放されて、偏頭痛のことは64歳になるまですっかり忘れていました。

 病院で頭部にCTをかけて調べると、呆気なく『なんともないよ』という答えでした。ついでに腹部にエコーをかけて調べることにしました。すると右の腎臓の下部にポリープのようなものがたまたま発見されたのです。半年したら再検査をするようにと言われて病院を後にしました。

 その半年間は、腎臓のことを全く気にすることもなく過ごしました。そして再検査の日がやってきました。右の腎臓は、ポリープのようなものが消えて正常に戻っていましたが、左の腎臓を調べていくと、今度ははっきりと腫瘍が見つかったのです。半年前は何もなかったところにです。最終的には腎臓ガンと診断されました。

 原因を考えた時、タバコも一度だって吸ったことがないし、お酒もほとんど飲まない。仕事もうまくいっていたし、苦労や悩みをかかえることもなく、思い当たることがありませんでした。ただ9人の兄弟姉妹のうち、4人が発ガンしてますので、家系が関係しているのかもしれないと思いました。

 手術前に、気心の知れた昔からの知人と、仕事で付き合いのあった人に病気のことを話すと、偶然にも同じ話をしてくれました。日本冬虫夏草の話でした。1995年5月半ば、手術は8時間かかりました。途中副腎を傷つけたということで、副腎もとられてしまいました。治療は手術のみで、抗ガン剤、放射線等のほかの治療は一切ありませんでした。

 日本冬虫夏草を飲み始めたのは退院した翌日からです。あれから日本冬虫夏草は今日まで毎日飲んでいます。1日1本ずつ。夜中に目が覚めた時も飲みました。その時は内臓にジワッとしみ込む感じがします。手術から今年で7年目。再発もなく、めったに風邪を引くこともなく元気で過ごしています」

 赤川さんは、自分でおっしゃるようにくよくよしないタイプだといえます。ガンになったからといって恐怖や不安を持たず、むしろガンを味方に考えるようにしました。素晴らしいパートナーである奥様の協力があって、日常的にも塩辛いもの、油っこいもの、肉類は食べず、魚とたっぷりの野菜中心の食事を肩肘張らずにごく自然にやっているとのことです。

000047-b.jpg「ここしばらくは、絵を描いたり、大好きなガーデニングにいそしむ毎日です。絵を描いている時は、頭の中は空っぽで熱中していて、自分が何をしているかさえ意識しません。そういう時は免疫力はずいぶん上がっているのでしょうね」

 病気の前と後では世の中が違って見えましたかという質問に、赤川さんは「何も変わっていませんね」とあっさり答えます。自分というものを持っていて、あくまでマイペースで飾らず、無理をせず、自分の熱中できる楽しいことをやる。そういう生き方にガン克服のヒントがあるように思います。

 それから、兄弟姉妹の中でガンでおなくなりになっている方は一人もいないそうです。

朝日ウィル(北燈社)2001年6月13日号より

 


 

 再発なく元気に今年で10年目を迎えます。「暑中お見舞い申し上げます。今年の暑さは格別です。ご自愛のほどお祈り申し上げます。私はお陰様で元気で今月はじめに礼文、利尻の花を見に行って来ました。船上からの利尻富士です。レブンウスユキソウが咲いていました」

2004年7月20日絵ハガキより


 「変わらず元気にしております。手術をしてから5月で14年目に入ります」

2008年4月7日のお電話より

 


浜松多津子さんの場合

000074-a.jpg 1996年5月頃の浜松多津子さん(鳥取県米子市在住)は、毎日体がだるく、特に食後はすぐに横にならなくてはいけないほどで、便秘も続いていました。それでもご本人は、更年期のせいかなぐらいに考えていたといいます。

 「病院で検査してみると、思いもしない答えが返ってきました。『腸が破れて土手ができてますよ』と言うんです。S字結腸ガンということでした。これまで痛みや出血は全く無かったんです。さらにリンパ節と肝臓にも転移していて、肝臓には3つの腫瘍のほかに、ポツポツと小さな腫瘍が全体に散らばっていて『肝臓の方は手術はできないよ』と言われました。それからの1週間は、めまぐるしく状況が変化していきました。

1996年5月24日(金) 初めての検査 すぐに入院して手術ということに。
5月27日(月) 入院  
5月28日(火) 再検査 わずか4日の間に肝臓の上半分の腫瘍が消えていると言われ、手術ができるかもしれないということに。
5月29日(水) 手術 今度は肝臓の腫瘍全てが消失。リンパ節への転移もなしで腸も20cm切除の予定が3cm短い17cmの切除にとどまった。もともとあった子宮筋腫 もついでに摘出。

 日本冬虫夏草を飲み始めたのは術後のことです。主人が週刊誌から切り抜いて、一年前にファイルしていた記事を思い出し、二人で読み直してみたんです。そして飲んでみようということになったんです。悪いところはみな取ったという気持ちで退院という時に、抗ガン剤をどうするかという話になりました。主人と私の気持ちは、肝臓に病気を持っていたわけですから抗ガン剤は肝臓に悪いし、やりたくないということで断わりました。そして日本冬虫夏草を使っていきたいと話しましたら、さすがに先生の顔色が変わりましたね(笑)。そんな得体の知れないものと思われたんでしょう(笑)。後日、本を読んでもらったところ、納得していただいて、逆に先生の方から『まだ飲んでるの』と声をかけてくださるようになりました。ですから抗ガン剤や放射線といった治療は一切やってないんです。

 ガンと知った時、驚くというより『ああそうか』という気持ちでいました。『死んだら楽になる』とさえ思ったんです。というのも私は長い間、実母との間に確執を抱えて生きておりました。母は大変ワンマンな性格で厳しい人でした。その両親とは同居していて、私は日常的に感情を抑えてこざるをえなかったのです。どんどんお腹にストレスをため込んでいって、それが次第に病んでいったのでしょう。その頃になるともう限界を越えてました。いろいろなしがらみから開放されたいと願ったのです。でも不思議なもんですね。日がたつうちに死んではいけないと思うようになりました。そして術後、初めて重湯を口にした時、ありがたいことだと思いました。自分を取り戻したという感じでした。病気をしてみて人の温かさにも触れました。ひとりの力ではどうにもならない、感謝しなくてはと思いました。恨むという感情は、心と肉体を蝕んでしまう決して抱いてはいけない感情だと思いました。

 2年半後の1998年11月には、再び肝臓に腫瘍があると言われ、結局何ともないということで手術の前日になって手術がキャンセルされるというアクシデントがあったものの、おかげさまでこれまで一度も再発なく元気に暮らしてこれました。風邪を引くということもありません。本当のことを言いますと、当初日本冬虫夏草を飲むのに、冬虫夏草なんて気味の悪いキノコと思って(笑)抵抗があったんです。でもそれから6年以上飲み続けているんですものね。主人はどこも悪くないのに一緒になって飲んでいます。食事は、肉類はできるだけ食べないようにして、甘いものを控え、野菜をたくさん取るようになりました。以前は油っこいものを好み、甘いものや肉類をたくさん食べていました。食べることでストレスを発散させようとしてたかもしれません。

 病気になったのを機会に両親とは別居することになりました。現在母は80歳。歳を重ねるごとに性格も温和になってきた気がします。週に4日は母のところを訪ねて面 倒をみています。毎日穏やかな気持ちで暮らしていけるのも皆さんのおかげと思って感謝の気持ちを忘れずに暮らしています」

朝日ウィル(北燈社)2002年9月17日号より

佐藤満さんの場合

※大腸がんについては後半をご覧ください。近況は末尾にございます。  

 「私がノドに異常を感じたのは1992年1月のことでした。町内会の集まりでカラオケをやっていると、突然声が出なくなったのです。これは普通ではないと思い、病院で診てもらうと、やはり声帯に異常があるということでした。

 それからしばらくの間通院が続きました。最終的には喉頭がんの診断が下り、患部を2度ほどレーザー光線で焼く治療を行いました。img114_SP0001.jpgそれでも良くなる気配は一向に見えてきません。そんな折、心配する友人たちが、矢萩先生の研究している日本冬虫夏草の話をしてくれたのです。

 日本冬虫夏草を飲み始めたのは1993年の2月半ばからです。初診から1年以上が経っていました。初め飲むのに抵抗がありましたが、お茶だと思って飲みました。他に薬草茶も作り、それにブレンドして毎日飲みました。山から採ってきたサルノコシカケ、ドクダミ、オトギリソウ、ヨモギを土瓶で煎じて。

 2週間後、主治医からある決断を迫られました。患部の摘出手術の話で、それは声帯まで全部取り、ノドには穴が開いたまま二度と声が出せないというリスクを伴うものでした。

 妻はそれを聞いたとき、『お父さんにとって声を失うことがどんなに不自由なことか、なんとしても声帯を残してあげなくちゃ』と思ったそうです。とはいってもどうしたらいいものか...。理容師の仕事をしている妻はたまりかねて、あるお客さんに私の病気を打ち明けたそうです。

 すると思いがけない答えが返ってきたのです。『私の娘は千葉県柏市の国立がんセンターで看護婦長をしております。その分野の名医がいると聞いてますから娘に相談してみましょう』なんでも娘さんは看護の勉強のために海外留学までされた方で、名医とは、海老原医師です。声帯を少しでも残せる可能性があるならそれにかけてみよう。心が決まりました。

 一方で、主治医にこのことを話したら、かなりもめるのではないか、妻がけんかする覚悟で面談に出掛けたのは1週間後のことです。すると結果はあっけないものでした。『海老原先生は、私たちなど及ぶ相手ではなく、日本で1、2位の腕を持つ方です。どのような方法で知りましたか?誰の紹介ですか?』と逆に尋ねられて、あっさり紹介状を書いてくださいました。『治療後、帰られたら一度私に診察させてください』とまで言ってくれました。

 柏市国立がんセンターに向かったのは1993年4月1日。前日には県の退職者辞令交付式典があり、夫婦で出席しました。定年のこの日まで勤め上げた満足感でいっぱいになり、幸せな一日でした。そこで矢萩先生夫妻にもお目にかかり、記念撮影などもご一緒して、誠に不思議な縁を感じました。


000077-b.jpg 上野駅でそれまで止められなかったタバコを捨てました。病院に到着し、その建造物を目の前にしたとき、はたして生きて帰れるものやらと心細さが募りました。それでも婦長たちスタッフが玄関先まで出迎えてくださっていて、その笑顔にすくわれる思いがしました。

 執刀してくださるのは海老原医師。俳優の中村錦之助さんや勝新太郎さんの手術も手がけられています。私の病状を11名が診て、一人一人が所見を述べ、それをもとに大先生が最終決断をするという方針でした。そして『できるだけ声帯は残して欲しい』という妻の切実な申し出に『分かりました。半分残しましょう』と約束してくれたのです。

 主治医は浅井医師が担当となりました。今まで服用していた薬は全部取り上げられましたが、日本冬虫夏草だけはこっそり飲み続けました。

 4月16日に手術。大成功ということで1ヵ月余りで退院。声を失うことは一度もありませんでした。ただノドには穴が開いており、これは再発を確認する窓穴といったところで、数ヵ月このままで過ごさなければなりません。

【佐藤 満さんの経緯】

1992年1月 カラオケ中に声が出なくなる。通院開始。喉頭がんの診断。1年の間に2度のレーザー治療を行う。
1993年2月半ば 日本冬虫夏草を飲み始める。薬草茶も合わせて飲む。
3月 主治医から、患部の摘出手術の話があり、声帯は残せず声も失うとのこと。声帯を一部でも残したい一念で他の病院を探す。
3月31日 定年退職の日。県の退職者辞令交付式典に夫婦で出席。
4月1日 千葉県の国立がんセンターに向かう。
タバコを止める。
4月16日 手術。声帯の半分が残り、声も失わず。

 その頃の私は、無傷のときと違って世間に見せる自分の姿や気持ちが未練がましく思え、人に会うことができませんでした。でも日が経つにつれて、そういった思いは薄れていき、観念のようなものが生まれていったのです。

 8月。術後の経過が順調だったことで穴を閉じる手術が行われました。これまでの治療には、抗がん剤や放射線など手術以外の治療は一切なく、薬も術後に鎮痛剤を使用した以外は何もありません。

 発病は、原因が3つ重なって起こったのだと思います。(1)タバコ、(2)仕事上責任あるポジションでストレスを感じていたこと、(3)環境の悪い職場で長年汚れた空気を吸ってきたことなどです。県立病院の四方に窓のない、わずかに空調だけの職場でクリーニングの仕事を30年間勤めてきました。後に県の病院管理課に掛け合って改善を求め、現在は、たいへん理想的な職場に姿を変えています。

 手術から今年で9年目。再発もなく、めったに風邪をひくこともなく、週に何日かはハイテク会社の運転手の仕事をしています。日本冬虫夏草と薬草茶は続けており、晴れた日はできるだけ野山に出かけ、新鮮な空気を吸うことを心がけています」

朝日ウィル(北燈社)2001年7月17日号より

 

「手術から14年が経とうとしています。術後3年目で『もう心配いらないよ』と医師から太鼓判を押されましたが、念の為5年目までは検査してもらいました。

 ここまで再発なく、元気で過ごしてきました。今年で74歳となります。仕事は辞めましたが、妻と一緒に幼い孫の面倒をみてますから、毎日とても忙しく、体力も使います。その孫も来月から保育園に入園するので、これからはゆっくりする時間も取れると思います。

 当時を振り返ると、病気を一人でかかえこまず、周囲の人たちに打ちあけて相談したのが良かったと思います。経験者もいるし、必ず何らかのヒントやアドバイスをもらえるものです。妻にも感謝しています。彼女のお客さんからの提案で私の運命も変わりました。これは妻が長い間、確かな技術で温かく誠実な接客サービスを心掛けてきてくれたおかげだと思っています。どのように生きてきたかという真価が問われるのは、こういう瞬間なのかもしれません。

 これまでずっと薬草茶と日本冬虫夏草が傍らにありました。最近は健康に自信がついてきたものですから、あまり飲まなくなりました。妻からは『お父さん、飲んでくださいよ』と言われています」

2007年3月2日のお電話より


                 大腸がん                    

 「2007年12月29日に下血があり、明けて2008年1月22日に大学病院で大腸がんと診断されました。翌日から日本冬虫夏草を再開し、1日400ccを飲み、主食は無農薬無肥料のキヨニシキ玄米、お酒と肉は止め、日本冬虫夏草の浣腸も試してみました。生活を変えてから1週間もすると便がきれいになっていったので良い方向に変化しているなと感じました。

 手術は2月13日のことです。大腸を20cm切りました。摘出部分は黒ずんでいたということです。リンパ腺に転移しているかどうか、この時点ではまだ分かりません。術後、私の回復力のすごさに担当の先生も看護師さんも目を丸くしてたまげていました。『もう少し置いてください』と申し出ると『何ともない人は帰ってください』と言われ、2月24日に退院しました。GA050_L.jpg

 その後も自己管理を続けました。キヨニシキ玄米にはすっかりはまってしまい、おいしくておかずがいらない程です。一時期5kg減った体重もみるみる戻っていきました。

4月15日にようやくリンパ腺への転移なしとの検査結果が返ってきました。抗がん剤投与の話は入院当初からずっと持ち上がっていましたが、5月13日になると『75歳になるし、抗がん剤は止めておきましょう』と言われ、15年前の喉頭がんのときと同様、手術のみの治療で終了しました。

実は、抗がん剤の話が出る度、『やりたくない』と意向を伝えていたのです。それでも『(自宅で服用する)抗がん剤を出しますか?』と再び話が持ち上がった時は、妻に加勢してもらって意志を貫きました。7月22日のCT検査でも、異常なしとの診断が下りました。
 

 振り返ると3人の息子のことで幸せを願うばかりに心を痛めた時期がありました。思うようにならないことにいら立ったりしました。そして毎日、ビールと焼酎と日本酒のちゃんぽんで晩酌を欠かすことはありませんでした。先生にお酒のことを尋ねたことがあります。『お酒は飲んでも構わないよ』と言いますが、大腸がんになったことをきっかけにスッパリ止めました。がんを経験した人は、止めるに越したことはないと思います。止めるに勝る薬なしです。
 2度のがんを経験して神経が大分図太くなったように思います。この先何があろうとドンと来いといったような。それでも何もないようにと食事療法を中心として、体の改革に努力し続けておりますので、どうぞご安心ください」

2008年8月18日のお話より

2007年12月29日 下血。
2008年1月22日 大腸がんの診断。
1月23日 日本冬虫夏草を再開。主食は無農薬無肥料のキヨニシキ玄米。お酒と肉は止める。日本冬虫夏草の浣腸を試す。
1月29日 便がきれいになってくる。
2月13日 手術。20cm切除。
2月24日 退院。
4月15日 リンパ腺への移転なしと分かる。
5月13日 抗がん剤投与はやらないことに決定。
7月22日 CT検査、異常なし。

 

 FJ310012_SP0001.jpg「秋田県の玉川温泉で1週間の湯治を体験してきました。鍋釜持参の炊事でテレビ・ラジオ無しの生活、岩盤浴に明け暮れて不思議な世界を肌で感じました。九州から北海道まで何かしら体の悪い方々が毎日500人の出入りがあり、異様なお山の景観を拝してきました。家内も体が軽くなったと言っていました。現在私は服用している薬も一切無く、全く元気に過ごしております」

2008年11月4日のお手紙より

 

 「服用している薬も一切無く、変わらず元気に過ごしております」

2009年4月2日のお手紙より



 「大腸がんの手術から間もなく3年が経とうとしています。再発や転移とは無縁で、すこぶる元気に過ごしております。1月5日から毎日雪が降り続いております。毎日雪かきです。でも主なところは息子にやってもらってますので、頑張り過ぎることなく力を抜いて続けています」

2010年1月24日の奥様のお話より



 「変わらず元気にしております。検査からも卒業できました。山菜採りの季節になりました。天気の良い日は、新鮮な山の空気を吸いに出かけるつもりです」

2013年5月7日のお話より


 

【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。

当研究所の技術を真似た偽造品やコピー品にご注意下さい。

ご注意下さい