CASE3 : 再発を繰り返し、再発を止めた…

高橋光威さん(神奈川県在住)の場合

 「日本の若い人気俳優が膀胱がんに倒れたとき、そのニュースがマスコミで盛んに取り上げられましてね。お気の毒なことと思いまし

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た。私がブドウ酒色の血尿が出たのもこの頃です。息子たちは連日のマスコミ報道を見ていて心配になったんでしょうね。検査を熱心にすすめるんです。それならばと病院に行き、内視鏡で調べていきました。すると、カリフラワーの形をした大豆大の腫瘍が1つ見つかったのです。膀胱がんということでした。

 自覚症状は血尿が出るまでは何もなかったんですよね。治療は患部をレーザーで焼く手術だけで、抗ガン剤や放射線といった治療は一切ありませんでした。1990年(48歳)のことです。それからというもの、定期的に検査を行うようになりました。

 仕事をしながら3年半が過ぎた頃です。再び腫瘍が現れました。最初の再発です。前回と同じようにレーザー処置だけ行うと、主治医から『これから再発までの間隔は短くなるけど、長くはならないよ』と言われたんです。案の定、2度目の再発は1年10ヶ月後にやってきました。腫瘍は3個。レーザーで処置しましたが、今度は術後2ヶ月経ってもウーロン茶色したおしっこがきれいにならないんです。

 心配した義兄が、日本冬虫夏草研究の第一人者である近藤嘉和先生に日本冬虫夏草の話を聞きに行ってくれました。義兄は東北大学の理工学部にいて、近藤先生も大学で研究しておいででした。そのような縁で日本冬虫夏草を飲むに至ったのです。

 飲み始めて2週間目、どういうわけかおしっこの色が透明に澄んできました。そしてこれまで検査の度にモニターに手術傷が消えずに写 っていたものですが、飲み始めて6ヶ月もすると5個あった手術痕は無くなり、全く写 らなくなっていったのです。

 さらに変化は続きました。実は日本冬虫夏草を飲む以前は、血圧は上が170以上、下が125以上常にあったんです。そのせいで頭痛もあり、医師から『今死んでもおかしくないよ』と言われてました。私は東北の生まれで、30歳ぐらいまでは塩辛いものを好んで食べてましてね。父は脳いっ血で亡くしています。その血圧が上135、下85まで下がっていたのです。体重も74kgから62kgまで減っていきました。

 でも体重がこれ程まで減ってしまうと、他の臓器に転移してるのではないかと急に心配になるものです。東京の慈恵医大の先生に診てもらいました。すると『あんたが病気だったら、国民1億2千万人皆が病気だよっ!』と言われてしまいました。

 代謝異常ががんの原因のひとつといわれてますが、食欲が増して以前よりよく食べるのに、新陳代謝が活発で体重が減っていくというのであれば、がん体質から遠ざかっていることになります。新陳代謝の良かった、こんな病気とは無縁であった20代の頃の体型に戻り、洋服がどれもぶかぶかになってしまいました。50代になったのに、外見で30代後半に間違われることもありました。

 私の仕事は、親御さんから大切な息子さんたちを預かる会社の独身寮の責任者で、身の上相談までも引き受ける、いわゆる25人の息子の東京のおやじをやっていました。息子が25人もいるというのは大変ですよ。寮の中ではけんかはあるし、裁判所の人はやってくるし、パトカーもやって来るし、警報装置はなるわ...でいつでも飛び出せるようにとパジャマで寝たためしがありませんでした。1本の髪の毛がはらりと顔に落ちただけでも目が覚める程、ある種の緊張を保ってなければならなかったのです。あと1ヶ月したらこの仕事はやめよう、子供が高校を卒業したらやめようなどという思いを繰り返しているうち、25年の歳月が流れてました。

 そして周囲に惜しまれながら、ようやく退職にこぎつけました。精一杯やってきたので未練はありませんね。現在、とてもリラックスして過ごしています。検査ではどこの内臓も正常で、モニターに映る膀胱内壁は相変わらずなめらかできれいです。最後の再発から2年3ヶ月が過ぎ、再発しない記録を更新中。そしてついに主治医から、しばらく検査に来なくても良いと言われてしまいました」

朝日ウィル(北燈社)1998年1月新春合併号より

 

4年6か月で再発

 2001年3月、高橋光威さん(神奈川県・59歳)は、膀胱がんの最後の手術から再発もなく、元気に4年6か月を迎えていました。主治医から『5年再発しなかったらもう大丈夫』と言われてあと一歩というところ、検査でマッチ棒の頭よりひとまわり小さい腫瘍が見つかったのです。

000053-b.jpg 「日本冬虫夏草を最近飲むのを2年ぐらい休んだでしょうか、今年の3月に再発したのです。再発しない4年半は夢のようでした。先月から日本冬虫夏草を再開。再び5年再発なしに挑戦です。この度の再発は、おかしいなと思える自覚症状が全くなく、心身ともに充実していて、術後も病院内を持ち前の芸で沸かせて『夕日のガンマン・タカハシ、病気でないのにどうしてここにいる?』と皆に不思議がられました」

 がんのステージに関わらず、がんになっても治りの早い人とそうでない人との分かれ目には生活スタイルが深く関わっているような気がします。高橋さんは自分の食生活のことをキリギリスのようだと表現しています。野菜中心で、魚は食べますが動物性の肉類はまず食べません。年に1度、奥さんが作ったハンバーグを猫のこぶしぐらい食べるか食べないかで、牛乳などの乳製品やインスタント食品などの加工食品も摂らないし、白砂糖の入った甘いものも一切食べません。

 高橋さんは、健康のために意識して食べているのではないと言います。体の内なる声を聞いていたら自然とそうなったと言うのです。肉や甘いものは食べたくないから食べないのであって、30歳を過ぎた頃から塩分も自然に控えるようになりました。若さが保たれて外見上は40代に間違われることもあるそうです。

 「がんなんかでヒトは簡単に死にはしません。私と同じ手術を20回繰り返した人はもうお亡くなりになりましたが、死因はガンではなく、天寿を全うした老衰でした。それでも主治医はこの病気のことを『これは怖い病気でないから怖いんだ』と言います。なめてかかるなということでしょう。

 現在は再就職して老人ホームの調理師の仕事をしています。早番の時は朝5時半に家を出て、休憩なしで8時間働きます。体もよく動くし、疲れるということがありません。でも私の最大の武器は、落ち込んでも5分でケロッとする性格でしょうかね」と陽気に話してくださいました。

朝日ウィル(北燈社)2001年9月1日号より

 


 「3月の検査では、どこにも異常は見つからず、元気にしています」とお電話をいただきました。

2002年5月のお話より

 


「テレビは主人も私も拝見させていただき、素晴らしい研究の場面 を知ることができました。主人は毎日元気にしております」

2002年12月10日お便りより

 



「桜の花が満開で、もっとも美しい季節となりました。日本冬虫夏草を続け、主人は元気で暮らしています。 3度目の再発から何事もなく2年が経ちました」

2003年4月5日お便りより

 

「主人はパートの仕事を辞め、家におります。食欲が少し落ちたこともありましたが、この頃は食欲も出てきております。いずれにしても日本冬虫夏草のお陰で病気の方は心配ないのがうれしいです」

2004年3月11日お便りより

 

000053-c.jpg 「日本冬虫夏草を再開してから4年が経ちました。そして、再発なく元気に4年5ヶ月を迎えました。5年まであと少しです」 奥様から手作りの押し花の暑中見舞いカードが届きました。

2005年7月31日

 

 

 

目標の5年を超えた

 「再発なく元気に目標の5年がとうとう過ぎました。64歳になって、いろいろな場所でシルバー料金のサービスを受けられるようになりましたが、白髪もないし、40代ぐらいに見られるものですから、しょっちゅう疑われてます(笑)。身分証明書を出して納得してもらわなくてはなりません。

 だいたいがプラス思考で、心配しても仕方がないという性格ゆえかもしれませんね。これは母親譲りです。母から戦後のひどい混乱の中、中国から引き揚げた時の話を聞きました。子供の中で末っ子の私を養子に欲しいと中国人から懇願されたといいます。それでも母は、何とかなるさというような性格だから、私を抱いて帰国したということです。母の性格がマイナス思考だったら、私は残留孤児になっていたかもしれません。亡くなった両親や先祖には、毎晩感謝し、手を合わせてから就寝します。元気で生かされていることに感謝しています。日本冬虫夏草は今後も続けていくつもりです」

2006年6月6日のお話より

 

 「73kgあった体重が、日本冬虫夏草との出会いを経て65歳になった現在は51kg台で安定しています。体の切れはいいですよ。炊事、洗濯、お風呂掃除、何でもやります。じっとしてると、人生サボってる気がするんです。そして『奥さんは床の間に飾ってる』と答えることにしています(笑)。

 最近になってようやく、『寮の管理人の仕事はきつかった』と、あの頃のことを妻に話せるようになりました。北海道から九州までそれぞれ全く違う教育を親御さんから受けてきた人間の集合体ですからね。それぞれのタイプに合わせて接しなければなりません。それでも社会人として外れた行為をした時は容赦はしません。もう鬼になって怒ります。心底その子のおやじになってね。毎日が真剣勝負の繰り返しでした。

 寮を卒業してからおやじとして慕ってくれることはうれしいことです。もうひとりの東京に住むおやじとして、しょっちゅう結婚式に接待されるものだから、管理人仲間から『そんな人はめずらしい』とうらやましがられました。

 当時を懐かしく、静かな気持ちで振り返ることができるのも、再発の心配をせず、健康で穏やかな暮らしがあればこそで、感謝しています。最近は近所の幼い子供たちに、ドラえもんのモノマネやイナバウアー等あれこれ披露して、いかにウケるかを励みにして暮らしています(笑)」

2007年2月9日のお話より

 

000053-d.jpg 「5月27日は江ノ島海岸にボランティアでゴミ拾いに行きました。今年は五百世帯の住宅の生活環境部長になり毎日忙しくしております。主人もおかげ様で毎日元気に暮らしております」奥様から手作りの押し花のおはがきが届きました。     

2007年6月5日

 「もう7年出てないんですよ。先生から『膀胱がんは取っても取っても現れて、その間隔がだんだん狭くなっていくものなのに、再発がなくてこんなに元気で、あんた1億円の宝くじ当てたのと同じだよ』と言われました。

夜8時に就寝、4時には起きてウォーキングをしています。台風と大雪以外は毎日です。歩かないとヒザの調子も悪いように思います。出会うのは猫と新聞配達の人、キジ、ヘビ、食用蛙たち。この辺は神奈川県でも特に緑の多いところ。小動物に話しかけながら、澄んだ空気と雑音のない静かな街をひとりじめする贅沢を満喫しています」

2008年7月1日のお話より

 

再発無く、ついに10年を超えた

  「再発無く、無事に10年が過ぎました。8月で70才になりました。夫婦共々暑さに負けず元気で暮らしております。泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生、だから二人で笑う方を選びました。3月の震災では、人生でこんなことが起きるのかという事が現実になってしまいました。被災地の方々の事を考えると頭が下がります。この度の事で人間の力強さ、人間の素晴らしさを学んだ気がします。命の日本冬虫夏草、これからも続けていきます」

                                                                   2011年9月2日のお話より

  「2013年は、血糖値が上昇して1ヶ月間程入院しました。当初、1日4回、インシュリンを打っていましたが、今は1日1回となり、9割9分元に戻ってきています。甘いものは食べませんが、お酒の飲み過ぎでした。ウィスキー、日本酒、ビール、焼酎、オールマイティで何でもござれ。侮っていました。役者やったり、調理師やってたり、お酒の飲む環境に長年身を置いてましたからね。反省しています。
 

入院中に泌尿器科の看護師さんに『がんで4回程入院したよ』と言うと、『本当にがんだったんですか!』とビックリされました。最後の再発から12年以上もがんは出ていません。前にもお話しましたが、医師からは再び『一億円拾ったと思いなさい』 と言われるくらい珍しいことのようです。治療には笑いが最高の薬と思っていますので、病院内をジョークで湧かせて人気者でした(笑)。看護師さんからも『退院しないでください』と惜しまれた程です(笑)。

 現在は1日40分のウォーキングを続けています。出会った人達、動物達に挨拶して、さんざん笑顔を振り撒いております(笑い)。日本冬虫夏草も続けています」

                                                                                            2013年12月2日のお話より

 「主人は再発が止まってから13年。がんとは無縁で暮らしています」

2014年6月24日の奥様のお話より

  「再発が止まってから15年以上経ちました。がんとは無縁で暮らしています。出来るだけ外に出て笑顔を振りまいております(笑い)」

 2016年12月12日のお話より

 

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 「お世話になっております。おかげ様で二人とも元気に暮らしております」奥様より絵手紙年賀状が届きました。

2017年1月1日

庄司トミエさんの場合

000079-a.jpg 「1988年に、横浜に住む弟の看病をしていました。もうひとりいる弟の住まいから、バスと電車を乗り継いで病院まで通う毎日でした。電車に乗っているとき、過労のせいでしょう。何度か気を失いかけたことがあります。

 それでも無我夢中でしたから自分のことなど忘れていました。慣れない土地での病院通いが、いかにきついものなのか気付かされたのは退院する1週間前。病院内の施設を借り、そこに寝泊まりできた時です。体が幾分楽になったことでハッとしました。横浜での生活から自宅のある山形に戻るまで、3ヶ月の月日が流れていました。

 普段の生活を取り戻し、ホッと一息ついた頃でした。左あごのあたりにゴロゴロしたしこりがあるのに気がついたのです。痛みはないけど、底苦しさがある。顔の左側にしびれも感じました。

 早速、外科で診察してもらうと、『ホルモンバランスが崩れたため』と言われました。念のため耳鼻科でも調べてもらうと、今度は『唾液腺腫瘍』という聞き慣れない病名。主治医の説明では『良性だけれど一部に悪性の部分もある』ということでした。

 最終的に手術に踏み切り、腫瘍部分を摘出しました。それは黒豆ぐらいの大きさがありました。唾液腺は左右に2本ずつあるんですね。この手術で1本を失いました。術前術後は抗ガン剤も放射線治療も一切やらず、その後の2年間は何事もなく無事に過ごしました。


000079-b.jpg 1991年になると、当時を再現するような出来事が起こりました。今度は姉が病に倒れ、自宅から病院まで電車で通う毎日が始まりました。以前とは違い、慣れた土地でのことですが、病院から戻ればすぐに夕飯の仕度などの家事が待ちかまえています。その生活は40日間に及びました。そして一段落ついた頃、同じ場所に同じ症状が現れました。診断はリンパ管への転移。今度の手術は大がかりで拳大のものが摘出されました。これから先の転移を想定して、摘出範囲を広げたためです。

 今回も抗ガン剤や放射線治療は一切やりませんでしたが、神経や筋肉が切断されたため、術後、左手が動かないという後遺症に悩まされました。術後から日本冬虫夏草を飲み始めました。病院のベッドの上で毎日200ccは飲んだと思います。退院してからも2年間は飲み続けました。そして今年の7月で5年目を迎えました。その間、転移も再発もなく元気に過ごしました。左手もだるさは残っていますが動くようになりました。

 そして1996年の今年。母がクモ膜下出血で倒れ、現在看護の毎日を送っています。3度目にならぬ ようこの場を切り抜けたい。しばらく休んでいた日本冬虫夏草を先週から再び飲み始めました。 病は過労の後にやってきます。過労を避けて生きる工夫も必要でしょうが、ライフスタイルを変えるのは無理という人もいます。でも自分が病気になってからでは遅いんですよね」

朝日ウィル(北燈社)1996年12月3日号より

 

 以後、トミエさんは自宅介護を11年近くされたそうです。現在、お母様は介護老人ホームに入居し、車イスでどこへでも行くし、とてもおしゃべりで、ホームの人たちとも会話を楽しんでおられるそうです。

1988年 弟の看病で毎日バスと電車で病院に通う。
3ヶ月後看病が終わり、普段の生活を取り戻す。
左あごあたりにしこりを発見。
唾液腺腫瘍との診断、黒豆大くらいの腫瘍摘出。
抗ガン剤や放射線治療はしない。
1991年 姉の看病で毎日電車で病院に通う生活40日間。
前回と同じ場所にしこりを発見。
リンパ管への転移との診断、腫瘍周囲含めた拳大の部位を摘出。
今回も抗ガン剤や放射線治療はしない。
日本冬虫夏草を飲み始める。
1996年 母の介護生活始まる。
3度同じことにならぬよう、再び日本冬虫夏草を飲み始める。

 

 「1996年に母がクモ膜下出血で倒れて入院し、危とく状態に近いまま退院してから、ここまで回復するとは誰も想像できませんでした。退院した際、母にはひどい床ずれが出来ていました。それを自宅で7年かけて治しました。ここまでやってこれたのは、主人がよく手伝ってくれたおかげです。今は、体はいく分楽になりましたが、気持ちは常に母のところにあるので、それほど変わりません。

000079-c.jpg 母の生命力には皆さん驚かれます。私の家は代々農家なので無農薬栽培のお米も作っておりますし、新鮮な採れたての野菜もふんだんに食べられます。長期出張から帰ってきた息子などは、「我家の野菜はやっぱり他と違うね。本当にうまいね』とバクバク食べてくれます。

 そういう姿を見るにつけ、母の命を支えてくれたのも、私の再発を防いでくれたのも、こういった野菜を美味しくたっぷりいただく生活が一役買ってくれていたように思います。

 再発なく無事に16年経過しました。冬虫夏草は今でも飲んでいます」

2007年6月28日ご本人の訪問より

 

「変わらず元気にしています」

2008年5月22日のお電話より

【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。

当研究所の技術を真似た偽造品やコピー品にご注意下さい。

ご注意下さい