CASE1 : 検査したばかり、治療前にガンが消失…
- 千葉トミエさん(当時80歳)の場合
- 田辺裕一さん(仮名)の場合
- 黒坂 和子さん(アトランタ在住 2005年当時77歳)の場合
- 小村幸子さん(当時51歳)の場合
- 花田一郎さん(仮名)の場合
- 尾原正芳さんの場合
- 片山茂さんの場合
- 鈴木ひろ子さん(当時66才・仮名)の場合
- 姉崎トクエさん(92才)の場合
- 岸久子さん(48歳)の場合
千葉トミエさん(当時80歳)の場合
千葉トミエさんは、1993年8月、町の検診で胃にポリープが見つかりました。再検査してみると実は胃ガンとの診断。胃の全摘手術をすすめられました。
その時、お孫さんの結婚式を間近に控えてました。話し合いの結果、手術は式を終えてからとなったそうです。当時トミエさんは80歳。息子さんの千葉廣さんからお話を伺いました。
「私は母に本当の病名を伝えることができませんでした。というのも母の兄弟4人がいずれも胃ガンで亡くなっていたからです。告知は本人にとって絶望的な話になります。ただ、兄弟と同じ治療をやったところで母も同じ道をたどるのではないかという思いがありました。手術はまだ先のことだし、全く新しい療法を試してみようと思いました。助けたい一心であちこち探しているうち、手にした週刊誌に日本冬虫夏草の記事を見つけました。そして早速試すことになったのです。
身内にガンの人がいる場合、自分も遺伝しているのではないかと気になります。それまでガン細胞をきれいに掃除できていたはずが、行き届かなくなる年齢、つまり免疫装置が弱ってくる時期が巡ってくるのかもしれません。身内の病歴を参考にしながら、予想される発症年齢のせめて2年前から気を付けなければと思います。
たとえば免疫を上げる食事療法や、よく眠ることを心掛ける。そのためには心配事は作れないし、寝ずに働くような生活も避ける。余裕のある暮らしに整えておかなくてはなりません。なかなか難しいことですけどね。免疫を上げてくれる決定的なものが側にあれば心強いです。
日本冬虫夏草を飲み始めたのは8月22日からです。40日余りを経て、10月3日には孫の結婚式に普通に出席しました。それから4日後の10月7日に検査のため病院に行きました。
すると、先生は胃カメラで胃壁を眺めながら言ったのです。『変だ、おかしい。確かにここにあったはずだ。影も形もない』。病院の治療は一切無いのにわずか1ヶ月半の間に患部が消失していたのです」
朝日ウィル(北燈社)1997年2月4日号より
【経緯】
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1993年8月 |
胃ガンと分かる |
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8月22日
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日本冬虫夏草を飲み始める。 |
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10月3日
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孫の結婚式に出席。 |
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10月7日
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胃カメラで検査、患部消失。 |
「あの時、先生から『何かやりましたか?何か飲みましたか?』と尋ねられたのを覚えています。面倒を避けるため、『何も飲んでいませんよ』と答えています。何処を探してもガンは見当たらないし、特別な療法もやって無いと言うわけだから、『おかしいなー。へんだなー』と納得できないご様子でした。
母はガンが消失してから11年目、今年で90歳になりました。腰は曲がりましたが、身の回りのことはだいたい自分でやっています。あれから再発もなく食事もしっかりとっています。
5年程前に『実はあの時胃ガンだったんだよ』と本人に告げました。すると母は『あらそう』と言っただけで全く驚くことはありませんでした。今はもうそのことを忘れているのではと思います(笑)。100歳目指してこれからも元気でいて欲しいですね」
2003年10月4日息子さんの訪問より
「母は、2007年の1月30日に他界しました。94歳でした。咳無し熱無しの肺炎でした。1ヶ月ほど入院しましたが、苦しむことなくすーっと旅立ちました。直前まで楽しく会話もしてたのです。母にも家族にも大変満足な最期でした」
2009年11月12日息子さんのお話より
田辺裕一さん(仮名)の場合
「私は長い間、病気とは無関係な人間と思っていました。会社の健康診断ではいつも満点、言うことなし。たった一度だけ、単身赴任中に高脂血症の一歩手前と注意された時も脂っこいものや魚卵類・鶏卵を控え、ウォーキングを続けることですぐに数値が戻りました。タバコが止められなくてもそんなことぐらいではびくともしない、他の人とは体のできが違うんだという自信過剰なところがありました。
その自信が揺らぎ始めたのは60歳の時、2000年の暮れ、友人の送別会に出席した時のことでした。私はビールを飲みながら、話に夢中になり、長いことトイレを我慢してました。ようやく席を立ってトイレに行くと、おしっこが赤く染まっているのです。どういう色かといったら、郵便ポストの色。『ずいぶん酔っ払ったもんだな。こんなに眼がおかしくなっちゃって』と思い、天井のライトを見上げればそれはいつもと変わらぬ色。ようやく異変に気付きました。
それでも血尿は翌日には治まっていて、その後かすかな出血が2日続いてそれっきり。病院で検査してもなかなか原因が分かりません。右の腎臓に豆粒ぐらいの腫瘍があると分かったのは年が明けた2001年1月19日のこと。右の腎臓から尿管にかけて全摘手術をすすめられました。それを聞いた兄は慌てて酵素という飲みものを抱えてやって来ました。精神的にずいぶん弱っていた私は兄の提案に勇気をもらい、酵素を飲み始めました。
手術は2001年2月26日に行いました。細胞を調べると悪性度がレベル2で、最終的な病名は右腎孟ガンとなりました。その後は3ヶ月かけて3クールの抗ガン剤治療を受けました。薬の副作用で髪の毛は若干抜けたものの食欲もそこそこで、術後の回復は早く、周囲を驚かせました。酵素飲料は6月まで続けていましたが、とても甘いものでしたし、検査で血糖値が高く出たことで続けることが出来なくなりました。それと入れ替わるように隣のベッドの患者さんの話に励まされて、アガリクスの粉末を飲むことにしました。
入院中、主治医に「やっぱりタバコは止めた方がいいんでしょうね」と尋ねたことがあります。すると「私も吸ってるから何とも言えないよ」という返事。そのまま毎日喫煙室に通い続けました。ちょっと前まで世の中はタバコには寛容で、病院の食堂でも患者が堂々と吸ってました。タバコを取り巻く環境がガラリと変わったのはここ2、3年のことと思います。
主治医は退院する際も、『お酒やビールは少しなら大丈夫。何を食べても構わないよ』と言ってくれました。それとは対照的に後に訪れた漢方薬局では、タバコはもちろんアルコール類はダメ、動物性の脂肪や肉類は止めて、穀類を中心とした食事にするなど厳しいアドバイスで、私はこの際できる限り摂生してみようという気持ちになり、主食は白米から、玄米を1/2と1分づきを1/2混ぜたものに替え、タバコは2001年8月13日にスッパリと止めました。
病院では、いずれ膀胱に転移することを想定してるようでした。そして手術から11ヶ月後、膀胱に4個のポリープが現れました。電気メスで患部を切除し、抗ガン剤を4クール膀胱内に注入する治療を行いました。続けていたアガリクスの粉末はこの頃に止め、煎じて飲む乾燥アガリクスと、13種類の生薬を組み合わせた漢方薬に替えています。その漢方薬は有名な政治家も飲んでいるとのことでした。松葉、クマ笹、朝鮮人参も飲み始めています。
そしてそのポリープからわずか5ヶ月後、今度は膀胱内にカリフラワー状の悪性腫瘍が見つかったのです。膀胱ガンです。これは再発の間隔がだんだん縮まっていくという話を聞きました。なんとかこの間隔を伸ばせないものか。できれば再発の心配なく暮らしたい。そんな頃出会ったのが日本冬虫夏草でした。
朝日ウィル(北燈社)2005年11月8日号より
| 【経緯】 | |
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1997年
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人間ドックでC型肝炎ウィルスのキャリアーだと知るが、たいしたことではないと思ったし、自覚症状もなく、以降手術をするまで全く忘れて暮らすこ とに。 |
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12月20日
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友人の送別会に出席、血尿が出る。 |
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12月21日
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血尿止まる。 |
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12月22日
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かすかに血尿。 |
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12月23日
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かすかに血尿。それ以降血尿なし。 |
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2001年
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1月19日
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右の腎臓に豆粒大の腫瘍見つかる。 |
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1月28日
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酵素飲み始める。 |
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1月30日
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入院。 |
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2月26日
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右の腎臓から尿管まで全摘手術。術後、抗ガン剤治療4クール。 |
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3月15日
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細胞検査の結果出る。腫瘍はレベル2の悪性で、病名は右腎孟ガンとなる。 |
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6月21日
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血糖値上昇。酵素止める。アガリクス粉末を飲み始める。 |
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6月30日
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退院。 |
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8月13日
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タバコを止める。主食を玄米1/2、1分づき1/2の混合米にする。 |
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2002年
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1月
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膀胱にポリープ4個現れる。 |
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2月4日
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電気メスで手術。 |
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2月23日
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漢方薬(13種の生薬)を飲み始める。 |
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3月16日
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アガリクス粉末止める。 |
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3月17日
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乾燥アガリクスを煎じて飲むものに替える。 |
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3月22日
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松葉、クマ笹、朝鮮人参を飲み始める。 |
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6月20日
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膀胱ガンが見つかる。 |
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6月24日
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日本冬虫夏草を飲み始める。 |
「膀胱ガンの手術は2002年7月1日のこと。カリフラワー状の腫瘍をひとつ電気メスで切除しました。その後BCGを膀胱内に注入する治療を受けています。これは計6回の注入で、1回終わるごとに7日間の休みを入れてひと月半かけて行うのです。事前に、主治医からは『この治療のリスクは、耐性を持ったガン細胞がしばらくして出てくるという可能性があることです。このたちの悪いガンが現れたら大変です』という話がありました。ただ、排尿痛や白血球上昇といった治療中の副作用は全く現れませんでした。日本冬虫夏草は手術の前から飲み続けていました。煎じて飲む乾燥アガリクスと漢方薬、松葉、クマ笹、朝鮮人参はそのまま継続していました。
退院してからは、リフレッシュするつもりで玉川温泉に出かけ、3日間のんびりと過ごしました。森林浴もできました。再発のことなど考えないで暮らせたらどんなにいいだろうと思いましたが、主治医は私以上に常に再発を気にかけているようでした。検査も頻繁にありますから病気のことを思い出さないわけにはいきません。
その後は2年余り再発なく過ごしました。途中、ゴマ粒ぐらいのイボが出たり、ポリープが現れたりはしたもののいづれもガン細胞が出てくることはなく、そろそろガンとは縁が切れたかなと思い始めた矢先のこと。2004年8月12日、短い縫糸のようなものが現れ、とうとうガン細胞が見つかったのです。9月には、波状放射状に急速に広がっていく、悪性度が最高レベルであるグレード3の膀胱上皮ガンと診断されました。前回の腫瘍はつまめば取れるものでしたから、横にどんどん這っていく今回のものとは人相がまるで違います。
病院の治療を一切やらずに消失
治療法をどうするか、じっくりと話し合うことになりました。私は、2002年にポリープ切除後、抗ガン剤を注入し、5ヶ月後に膀胱ガンになっているので、その頃から『抗ガン剤の治療はもうやりたくない』と断っていました。BCG注入後も、結果的このようになっているので、それも選択しにくい。そうなると膀胱そのものを摘出する手術しか残っていません。乾燥アガリクスや漢方薬も止めていましたし、もう何もかも頭にきて日本冬虫夏草も止めようと思いました。
それでもキッパリ止めてしまう前に、種類の全く違うトサカイモムシタケを、これまで飲んでいた知名度の高いハナサナギタケに加えて飲んでみようという気持ちになったのです。日本冬虫夏草は国内に350種以上生息するといわれています。松葉、クマ笹、朝鮮人参も続けることにしました。手術まで2ヶ月あります。その間、病院の治療は一切ありません。
2004年12月13日、膀胱の摘出手術を行いました。摘出部はすぐに細胞検査にまわされました。そしてその結果は驚くべきものでした。どこを探してもガン細胞が見つからないというのです。探しても探してもどこにも無いということです。それから検査は続けてますが、ガン細胞がどこかに現れるということもありません。
そもそも発ガンの原因は何だったのでしょう。思い当たるのは長年の喫煙です。1日25本、40年間休まず吸い続けてきたのです。タバコを止めたからといって、すぐに発ガンのリスクが消えるものでないのも分かっています。ただ仕事の面では週に2日ほど職場に出かける程度ですから、ここ5年間は無理をせず、のんびり暮らせたのはとても良かったと思います。食事は、自家栽培の野菜をたくさん食べるようになりました。農薬をほとんど使用せず、有機肥料を使って20種類ぐらいの野菜を楽しみながら作っています。
笑うと免疫力が上がると聞いて、コメディ映画やお笑い番組を見たことがありますが、どうしても笑えない。時代劇や西部劇のような痛快活劇の方が気持ちがスカッとして私には合うのも分かりました。心にためたりしないで言いたいこと、質問したいことを病院側にズバズバ言いました。注射が得意でない医師がいれば、『ヘタクソ、自分達で練習してから出直してこい!』なんて言ったこともあります。我慢して陰で文句を言ってる患者さんがおりますが、これはお互いの為にならないと思うのです。そんな私にも病院のスタッフの皆さんはいつも親切で、丁寧でした。面倒な質問にもとことん答えてくれました。注射のヘタだった先生も、仲間内で練習していました。その先生が数年後には偉くなって戻ってきたのは、ちょっと予想外のことでした。
2005年のお正月は、大きな手術の後だけあって、養生の為、子供や孫達に遠慮してもらって妻と二人だけで過ごしました。手術では、膀胱を取り出して小腸の一部を膀胱の替わりにしました。それは月日とともに体になじんできてますが、排尿の回数はまだ多くて不便もあります。本来の膀胱がある時と完全に同じ様には戻らないのもいたしかたないことです。ガンが消失してから何事も無く、1年が経ちました。来年のお正月は子供や孫たちがやってきて、いつものように賑やかな正月となりそうです。
引き続き、体に溜めてた毒を出し、新たに体に入れないよう食事でもって浄化に務めています。松葉、クマ笹、朝鮮人参と日本冬虫夏草は現在も続けています」
朝日ウィル(北燈社)2005年12月13日号より
| 【経緯】 | |
| 2002年 | |
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6月24日
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日本冬虫夏草を飲み始める。 |
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7月1日
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膀胱ガンの手術。その後BCGの治療。 |
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7月17日
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乾燥アガリクス止める。 |
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10月15日
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テレビモニターで膀胱内壁を見る。手術跡も消え、なめらかできれい。日本冬虫夏草は飲む量を減らす。 |
| 2003年 | |
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3月20日
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膀胱の入り口が赤く腫れる。細胞検査をするが問題なし。 |
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6月29日
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手術から1年。日本冬虫夏草の量をさらに減らす。 |
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8月15日
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同じ漢方薬を飲んでた政治家が肺ガンで世を去ったことを知る。その後、漢方薬を止める。 |
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9月4日
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ゴマ粒ぐらいのイボが現れる。細胞検査するが問題なし。 |
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12月19日
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日本冬虫夏草の量を増やす。 |
| 2004年 | |
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1月15日
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3つのポリープ現れ、手術前 |
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1月26日
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血液検査、HCV(C型肝炎ウィルス)抗体陽性。3つのポリープ切除。 |
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8月12日
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短い縫糸のようなもの現れる。ガン細胞見つかり、膀胱ガンの手術から2年余りで再発。血液検査、 HCV(C型肝炎ウィルス)抗体陽性。 |
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9月10日
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通院で縫糸のようなもの切除。 |
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9月13日
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波状放射状に広がる進行の速い、悪性度が最高レベルのグレード3のガンとわかり、膀胱上皮ガンとの診断が下る。 |
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10月14日
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これまで飲んでたのは日本冬虫夏草の中のハナサナギタケという種。種類の違うトサカイモムシタケを加えて飲み始める。 |
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12月3日
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血液検査、HCV(C型肝炎ウィルス)抗体陽性。 |
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12月13日
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膀胱摘出手術。ガン細胞はどこにも見当たらず、消失。 |
「なかなか簡単にはいきませんが、病気を治す環境を作るとしたら、心を解放することと、夢を持つことのように思います。
私にとって心休まる場所がどこかといえば、森の中といえるかもしれません。森林組合が行ってる事業に山林オーナー制というものがあります。住まいの近くに1haの山林を区分し、一般の人に貸し出してる場所があり、私は年2万円の契約料で300坪の山林オーナーとなりました。
木を伐採してもいいし、小屋を建てるのも自由です。そこでナラの木を切ってキノコ栽培を始めることにしました。10年かけてキノコの森に育てていくつもりです。
森の中は、心が穏やかになり、免疫力が高まるように思います。そして自然の中で育った採れたてのキノコを食べ、さらに元気をもらうつもりでいます。私の夢も広がります」
森の中を散策することは、病気を防ぎ、健康を保つ効果があるとして、自然療法の1つとして確立され、健康保険の中に組み込んでる国があります。森林療法セラピーの先進国はドイツです。日本でも森林の効力を軽視できなくなり、林野庁等によって全国31カ所の候補地の中から『森林セラピー基地』の選定が始まりました。
2006年2月16日に、血液、尿、レントゲン、CT検査を行いました。レントゲン検査は、結核の検査で使用している簡単なものではなく、全身を写せる大がかりなものです。
(1)あおむけにレントゲン撮影
↓
(2)造影剤投与
↓
(3)CT撮影
↓
(4)再びレントゲン撮影の行程 で行いました。
1ヶ月後、その結果を聞きに行きました。どこにも異常は認められず、何も心配ないとのことでした。この冬も一度も風邪をひくことなく、元気で過ごせました」
2006年3月20日のお電話より
「2004年12月の手術から再発、転移もなく、2年半が経とうとしています。5年を目標にしていますので、折り返し地点にちょうど立ったところです。その最後の手術からは、日本冬虫夏草は量を減らさず毎日続けてきました。キノコの森作りは着実に進行していまして、ナメコ、シイタケ、マイタケの植菌を済ませ、この秋初めての収穫となります」
2007年5月12日のお電話より
C型肝炎ウィルスが自然消滅
「1997年に人間ドックに入って血液検査をした時、C型肝炎ウィルスに感染していることを知りました。いつ感染したのかは不明です。たいしたことではないと思ったし、それまでも、それ以降も自覚症状は全くなかったものですから、すっかり忘れて暮らしてきました。
でも2002年の膀胱ガンの手術日には、手術の順番が最後に回され、C型肝炎ウィルスのキャリアーだったことを思い知らされました。私を最後に手術するのは他の人に感染させないようにという病院側の配慮だったわけです。
ところが2006年の夏の人間ドックで、ウィルスが陰性と出て、2007年の夏にも同様の検査で陰性と出たのです。内科の医師は『こんなことはめったにないなぁ』と信じられない様子でした。ワンランク上の定性分析検査を行いました。現在のところこれ以上精度の高い方法はないそうです。その結果が出てきまして、やはりすべて陰性ということでした。そのデータをお送りします。膀胱ガンの手術でガン細胞が消失しているのを確認してからまもなく3年が経とうとしています。食事療法をしながら、松葉、クマ笹、朝鮮人参と日本冬虫夏草は今も続けています」
2007年10月15日のお電話より
田辺裕一さんのHCV抗体検査の推移
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検体(血液)採取日
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HCV(C型肝炎ウイルス)抗体
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1997年日付不明
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陽性
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人間ドック
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2004年1月15日
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陽性
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手術前検査
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8月12日
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陽性
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手術前検査
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12月3日
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陽性
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手術前検査
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2006年8月10日
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陰性
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人間ドック
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2007年8月6日
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陰性
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人間ドック
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9月18日
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陰性
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最終確認
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「再発なく無事に4年が経とうとしています。手作りのキノコの森でなめこを収穫しました。稔りの秋を楽しんでいます」
2008年11月4日のお電話より
「2月3日のCT検査でも異常なし、2月10日の血液検査と膀胱鏡検査でも異常なしでガン細胞の消失から何事もなく無事に4年2ヶ月が経ちました。日本冬虫夏草も変わらず続けています」
2009年2月12日のお電話より
「ガンを経験し、自分の健康を考えた時、自分の口に入る野菜は自分で作ろうと思いました。虫が付いてもいいから無農薬で。野菜作りをするようになって毎日張り合いと楽しみが生まれました。この気持ちが免疫力を高めるのに一役かってくれてるようです。
退職して『今日は何をしていいかわからない』という人がいます。それはもったいないことと思います。野菜作りは今日はこの作業、明日はこの作業、と次々とやることが出てきます。
でも年齢とともに手入れする面積を縮小することが必要と思っています。同じようにやり続ければ必ず無理をします。それでは健康のために始めたのにもとも子もありません。
12月13日で膀胱ガンの消失から5年、C型肝炎ウィルスの自然消滅から2年、何事もなく過ぎました。病院からは、検査の間隔を2倍に延ばされました。今後は日本冬虫夏草の量を1/2に減らして続けていくつもりです。ますます元気に過ごしております」
2009年12月29日 のお電話より
「私がガンになった時、友人達は病気に無縁で元気そのもの。うらやましいと思ったものでした。それからというもの私は健康のために努力を続けてきました。今は、痛いところも悪いところも何もありません。幸せな毎日です。一方、元気だった友人達は皆、体のあちこちが悪いとボヤいています。彼らは体に自信があって努力するきっかけが無かった人達。努力の差は長い年月をかけるとはっきり出てくるものなんですね。努力というのはこわいものです。
膀胱ガンの消失から5年半、C型肝炎ウィルスの自然消滅から2年半、再発なく元気に経過しました。 日本冬虫夏草は今も続けています」
2010年6月22日のお話より
「この度の検査でどこにも異常が無く、この12月で膀胱ガンの消失から7年が経とうとしています。C型肝炎ウイルスの自然消滅からは4年が経ちました。この頃は年に4回の検査を続けていましたが、『これからは、年に1回(CT、膀胱鏡、血液検査)にしましょう』と言われました。来年の9月13日に予約を入れてきました。
無農薬、有機肥料の野菜作りを続けています。食べてくれる友人達は『甘くて、特別旨いよ!』と絶賛してくれます。孫達も野菜嫌いの者はおらず、バクバク食べてくれます。私の食生活は完全和食です。鶏肉をたまにはいただくことがありますが、それ以外のお肉は全く口にしません。薬を使わない採れたての新鮮野菜と完全和食が、私に正常な細胞1コ1コを作ってくれてると思っています。日本冬虫夏草も続けています」
2011年10月1日のお話より
黒坂 和子さん(アトランタ在住 2005年当時77歳)の場合
「アメリカに住んで50年以上になります。2005年6月16日のことでした。メモグラム検査で『乳ガンの疑いがある』と言われたのです。左の乳房にごく小さなケシ粒のようなしこりが散らばってると言うのです。
その経験がありましたから、再びアトランタでバイアプシー検査をするように言われた際も、気楽な気持ちでひとりで出かけていったのです。
ところが、部分麻酔をかけて針の先のような物でしこりをとっていく間、女性の担当医はスタッフのひとりとずっとおしゃべりをしているのです。集中してない様子でした。案の定、見当はずれのところを2,3回取り間違えたり、以前は経験しなかった痛みも感じたのです。たまらずその真摯でない姿勢に中断を申し出ました。この時の傷はしばらく残ることになります。そして、取り除いたしこりの一部からガン細胞が見つかったのです。
私は、彼女のボスに掛け合って、後日改めて残りのしこりを取り除く約束を取り付けました。担当医はボスです。
帰宅してからしばらく『ガン細胞も見つかったしどうしようかな』と考えてると、以前聞いた日本冬虫夏草のことを思い出しました。日本冬虫夏草を飲んだのは残りのしこりを取る2日前。正確には1 自宅庭での写真 80歳 日半、粉末にしたものを飲みました。
7月7日、今度は娘に同伴してもらい、残りのしこりを取り除きました。家族がいれば、いやがうえにも相手にプレッシャーがかかります。いい加減には出来ないというのがあるかもしれません。全身麻酔をかけ、メスを使った昔の方法でやってもらいました。前回のような痛みはなく、跡も細いかすかな線が残っただけ。そして細胞を調べると今度はどこからもガン細胞が出てこないのです。『キモ(抗ガン剤治療)する必要はありませんからこれで終了です』と言われました。
それから半年に一度の検査を続け、2008年からは検査は1年に一度でよくなりました。日本冬虫夏草はずっと続けています。あれから胸に再びしこりが現れることなく順調に5年が経過しています。
さてもうひとつ、自分に降りかかった大きな事件の話をしなければなりません。
2006年10月21日のことでした。どん底につき落とされる出来事が起きたのです。友人宅でのパーティーに呼ばれた時のことでした。キッチンにまるめて置いてあったカーペットにつまずいて大転倒してしまったのです。床に後頭部をガツンとぶつけました。すぐに救急病院に行き検査をし、翌日も念を入れて調べましたがこれといった異常はありませんでした。症状も何も出てません。
ところが転倒から3日目、急激に気持ちが悪くなって立っていられなくなったのです。しだいに両手両足がしびれ出し、ひどい船酔い現象におそわれ、食欲もなくなり、眠ることすら出来なくなっていきました。脚気になったように自分の手なのにどこに置いたらいいか分からない。自分の体であって自分の体でないような感覚、こればっかりはなってみた人でないと分からない。あちこちの病院で診てもらいましたが、一向に異常な場所は特定できず、治療法もわからずじまいで良くなる気配もないまま闇の中を数カ月の間さ迷い続けることになるのです。ガンの方がまだましだと思いました。その間、夫は毎日手足のマッサージを続けてくれました。
年が明けて2007年1月24日。これまで頭部ばかり検査していましたが、首はどうなのか調べることになりました。そしたら首の骨のスパイン(椎骨)6個がずれていることがわかりました。そのうち1つは細くもろくなっているようでした。
ドクターから『このスパインに補強材入れたら現在の症状がなくなるかもしれない。手術には半身不随になるリスクが伴います』と言われました。高すぎるリスクです。グリーンベイに腕のいい友人のドクターがいたので相談すると『手術できるかもしれないよ』という返事。ただこの季節、この状態で極寒のグリーンベイに行く自信は無く、躊躇せざるをえなかったのです。
2月に入ってすぐ、これまで飲んでいた日本冬虫夏草の種類を変えてみることにしました。その頃から変化が現れてきました。まずはじめに両手のしびれが取れてきました。そして次に肩こりが取れてきて、次に両足のしびれが治ってきたのです。2月23日にはウォーターエキササイズを15分やれるまでに回復していました。その後、チャーチで食事の用意を手伝って4時間もの間平気で立っていられたのです。大好きな庭の手入れも出来るようになりました。急激な回復でした。
2009年12月の血液検査でも2010年3月の血液検査でも満点の成績でした。薬を服用してもかんばしくなかったコレステロール値もミドルからロウに良くなっていました。自分で言うのもなんですが、若く見られることが多く、高齢者のサービスを受けようとすると『あなたはまだその資格ない』と注意されるのです。身分証明書を見せて私の本当の年齢を知ってもらうと相手の方は信じられないといった様子で目を丸くします(笑い)。
2010年6月12日のお話より
このところエキササイズは週に5日やっております。日本の文化を広めるために大学やハイスクールで盆踊りを教えております。日本冬虫夏草も続けております。明日からバケーションで娘が出掛けます。そのため犬を預かることになり、ちょうど今、犬の散歩から帰ってきたところです。元気でやっています」
2010年8月3日のお話より
「この度、年に一度のメモグラム検査があり、結果は異常なしでした。お陰様で乳ガンとは無縁で5年が経過しました。日本冬虫夏草は現在も続けています」
2010年9月23日のお話より
「昨年12月、ベットに横になってる時、左の腰の辺りを後ろから誰かに押されてるような違和感があり、CT検査をしたところ、『膵臓が腫れてるようですね。3ヶ月経ってさらに異変があったらバイアプシー検査をしましょう』と言われました。いつも思うことなんですが、このドクターは大げさなんです。いつの間にか横になった際の違和感は消えていったし、食欲も排泄も普段どおり、ウォーターエキササイズも週に4、5日は無理なくこなして快調そのもの。3ヶ月経って膵臓の大きさはそのままでしたが、全く気にしてません。バイアプシー検査なんてもってのほかと思っています。
日本の震災に心を痛めています。仲間で義援金を募り日本に送りました。日本の被災地の映像を見る度、涙があふれます。そんな折、こちらでも天災に見舞われました。4月27日~4月28日にかけて、アメリカ南部6州を竜巻と暴風雨が襲ったのです。一晩で150もの竜巻が発生。340人の尊い命が犠牲になりました。被害現場は瓦礫の山と化しており、メディアでは『日本の被災地を見るようだ』と伝えています。オバマ大統領は29日には現地に入り『これほどの惨状は今まで見たことがない。胸が張り裂けそうだ』と語りました。
嬉しいニュースもありました。1970年代、ニューヨーク州のシラキュース市に住んでいた頃、根岸英一夫妻と親しくしていました。人間的に素晴らしいご夫婦でした。夜の10時頃、突然電話が入ったのです。奥さんのすみれさんからでした。『黒坂さんお久しぶりです。今アトランタに来ています』江戸っ子で気取らず気さくなところが昔と全く変わっていませんでした。根岸さんが2つの有機化合物をひとつにつなげて新しい化学物質を作り出す合成技術(カップリング技術)で2010年のノーベル化学賞を受賞したらしいのですが、私は長いこと知りませんでした。あの根岸さんがね...。この一年は夫婦そろって世界各地を講演して回らなくてはならないそうで、スケジュールがびっしり。自由な時間が取れないとぼやいてました。ノーベル賞なんて滅多に取れるもんじゃないですよね。自分のことのようにすごく嬉しかったです」
2011年5月2日のお話より
小村幸子さん(当時51歳)の場合
「1995年の3月末のことでした。濃いワイン色の血尿が出たんです。ずいぶん前に尿管結石をやりまして、淡いピンク色の血尿が出たことがあったんですが、明らかにそれとは違ってて、何やら悪い予感がしたんです。それでも仕事は休めなくて。病院に行ったのは3日後のことでした。
CT検査をすると片腎の中央にハッキリと影が映し出されていました。先生がガンという言葉を口にするより早く『先生、これは何センチぐらいのガンですか?』と私の方からお尋ねしたんです。すると『4、5ミリありますね。片腎を摘出する手術をした方がいいでしょう』と答えが返ってきました。私は、この事実をどちらかというと冷静に受け止めていました。というのも20年前に姉が乳ガンになり、それを克服。元気に暮らしている姿を見ていたからです。
姉が乳ガンだと知った当初はかなりうろたえました。入院した姉を看病しながら、居ても立ってもいられず、自分がしてあげられることはないものかと必死に探しておりました。そして病室で読んだ『主婦の友』に矢萩先生を紹介した記事があって目に止まったのです。
すぐに当時住んでいた神戸から矢萩先生のところに向かいました。1975年12月17日のことでした。駅に着いたとき、雪が舞っていました。翌朝には妹さんの結婚式を控えているというのに、夜中まで私の話に付き合ってくださって。結婚式のことは一切おっしゃらなかったんですよね。それを知ったのは後になってからで、申し訳ないことをしたと思いました。先生のお母様からおみそ汁をごちそうになりましてね、具だくさんだったので驚きました。野菜をたくさん摂るための工夫だそうです。それ以来、我が家のおみそ汁も具だくさんになりました。
姉にはサルノコシカケを術後すぐに飲ませました。治療はその後放射線を少しあてましたが、抗ガン剤等の薬剤は一切与えられませんでした。その後もサルノコシカケに日本冬虫夏草を加えながらずっと飲み続けてきました。
さて、私の話に戻りますが、腫瘍発見の日から退院までを日を追って説明することにいたします。
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【経 緯】
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| 1995年3月27日 | CT検査で初めて腫瘍が発見され、手術をすすめられる。 |
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3月29日 <発見から3日目> |
日本冬虫夏草を飲み始める。 |
| <発見から5日目> | 血尿が止まる。 |
| <発見から8日目> | 手術のため設備の整った別の病院に入院。日本冬虫夏草をこっそり持ち込む。 |
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4月6日 <発見から11日目> |
MRIで腫瘍を再確認。3人の医師から悪性だからと改めて手術をすすめられる。腎は片方あれば大丈夫と言われたが、両方あるにこしたことがない。 できれば切りたくないと思う。 |
| <発見から12日目> | 先生に頼んで何とか外泊許可をもらい帰宅。 |
| <発見から13日目> | 里心がついて病院には戻りたくなくなる。理由をつけて戻れないという電話を入れる。 日本冬虫夏草は1日に700cc〜1050cc。夜中にも飲む。夜中に飲んだ時は腎に染み込む感覚。日本冬虫夏草を胸腺に塗ったり、コンニャクハップで腎 を温めたり、病室でできないことも自宅では大胆にやれる。 |
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4月12日 <発見から17日目> |
このまま戻らないわけにもいかず、気を取り直して病院に戻る。CTとMRIで再度検査。するとあったはずの腫瘍がきれいに消失している。 日本冬虫夏草を飲み始めてから15日目。 |

先生が病室に検査のフィルムを持ってきましてね、『小村さん、不思議なんですよね。影がなくなっているんですよね』と首をひねっていらっしゃるんです。病院での治療はこれまで一切なかったわけですしね。血管造影検査をさせて欲しいとも頼まれましたが、痛いのや苦しいのは何よりイヤでしたから、消えてるんだし、そのまま退院させてもらいました。
発病の原因を振り返るとオーバーワークにあると思いました。毎日10時間は立ちっぱなしで働いていましたし、責任あるポジションにいて職場のストレスもありました。食事もきちんと取れてなかったし、接客業ですから思うようにトイレに行けず我慢して、腎臓に負担をかけていました。体は声は出せないけれど、赤い血を出してやりすぎだよと教えてくれてたんですね。
現在は退職してのんびりと暮らしております。姉と一緒に日本冬虫夏草は今も続けていて、最近は運動不足が気になって、ウォーキングを始めています。宮崎は今、桜が咲いて春本番といったところです」
朝日ウィル(北燈社)2002年3月19日号より
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「宮崎は厳しい残暑が続いていますが、元気でおります。再発なく今年で8年目を迎えました。 この度、結腸ガンの知人が人工肛門を免れました。手術で開いてみると患部が小さくなっていたそうです。手術前に日本冬虫夏草を飲んでいます」
2003年9月3日のお話より
「今年は腎臓移植のスキャンダルが世の中を騒がせましたが、『腎臓は片方あれば大丈夫』と簡単に摘出を勧められた当時のことを思い出しました。間一髪で2つ残せて幸運でした。あれから今日まで私は11年、姉は30年、再発と無縁で暮らしています。日本冬虫夏草は現在も続けています」
2006年12月21日のお話より
「私が庭で育てた日向夏を送りました。農薬を使っていないので皮もマーマレードにして食べられますよ」
2008年5月26日のお話より
「宮崎も、今年の春は寒くてえんどう豆が不作です。大好物なので食べられないのがとても残念です。庭の日向夏の方は無事に実りました。お送りしますね。腎臓ガンが消失してから再発なく15年が経過しました。姉は乳ガンの手術から再発無く34年です。日本冬虫夏草とは長い長い付き合いになりました。今も傍らにおいて二人で飲んでいます」
2010年4月29日のお話より
「早朝、新燃岳の大きな爆発がありました。空震も続いていて、火山灰がひどく、眼が痛いのには困りました。もちろん、空を仰ぐことも洗濯物も干せません。ここは避難勧告が出てないのでまだましですが、非難されて不自由な思いをされてる方々を思うと心が痛みます。1月は宮崎もずいぶん寒かったです。氷も張るし、霜柱も立ちました。例年だと、2日寒いと3日目がほわんと暖かいのに、今年はそれがありません。噴火が、窓やドアを開け放して暮らすようになる春までにおさまってくれるといいのですが...。ガンが消失してからこの4月で16年になります」
2011年2月1日のお話より
花田一郎さん(仮名)の場合
63歳になるまで、これとした病気もなく、元気に過ごしてきましたが、2004年12月の検査で、腎に嚢胞が見つかり、嚢胞の中からガン細胞が検出されました。(※嚢胞(のうほう):液体を内容として壁に囲まれた袋状の腫瘍。臓器の中などに発生する)
医師には『本当にガンかどうかは開腹手術をして、嚢胞の組織を検査してみなければわからない』と言われました。
今までそのような自覚症状無かったのですが。その結果を受けて2005年1月、健康が第一と考え、入院する準備を始めました。
ところがちょうどそのとき、息子から日本冬虫夏草のことを聞いたこともあって、翌2月から日本冬虫夏草を飲み始めました。入院は中止しました。
そして、自分でできることはしようと思いアルコールを控えたり、ストレスなくリラックスして毎日を過ごしたりと、健康に気をつかうようになりました。
それから4ヶ月後、2005年6月に前回と同様の再検査がありました。ガン細胞がまだあるのではないかとちょっと不安はありましたが、今までの自分がしてきたことに自信を持ち、明るい気持ちで病院に出向きました。検査の結果は異常なし。良かったなという気持ちでいっぱいでした。このまま日本冬虫夏草は続けていくつもりです。
2005年8月のお便りより
【経 緯】
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2004年12月
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検査で嚢胞ガンのおそれがあるとの診断。 |
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2005年1月
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手術入院の準備をする。 |
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2005年2月
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日本冬虫夏草を飲み始める。 入院を中止する。 |
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2005年6月
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再検査の結果、異常なし。 |
「今年は例年より暑い夏でしたが、父は夏バテも無かったですし、夏の疲れも出ることなく『この頃は以前よりとても調子がいいよ』と言って秋を満喫しています。『手術をしなくて良かったよ』とも言っていました」
2005年11月17日 息子さんのお話より
「その後定期的に検査をしていますが、異常はありません。CT検査でも問題ありません。再検査で異常なしの結果が出てから無事に2年が経ちました。日本冬虫夏草は今も続けています」
2007年7月21日 奥様のお話より
「主人は最近、卓球にはまっています。ボーリングもやっています。若い頃、スケートをやっていたことがあって、『スケートをまた始めようかな』とも言っています。食欲は旺盛です。食事はカロリーの少ない和食中心で、お肉はめったに食べません。とにかく元気いっぱいといったところです」
2007年12月19日 奥様のお電話より
「主人はクラシックギターのレッスンに通っています。これまで独学で弾いていたのですが、プロの先生について基本から学びたいということらしいです。いつも前向きな人です。元気にしております」
2008年5月28日 奥様のお電話より
「ガン細胞が見つからず異常なしと診断されてから3年半経ちますが、主人は本当に元気にしております」
「ガン細胞が見つからず異常なしと診断されてから4年半経ちますが、主人は本当に元気にしています」
「この度の血液検査では気になっていたコレステロール値も血圧も正常で、言うことなしの満点。食事はお魚と野菜が中心です。お肉は食べたくないようです。心掛けているというより、食べたいものを食べたらこうなりました。日本冬虫夏草は変わらず飲んでいます。ガン細胞が見つからず異常なしの診断から無事に4年半が過ぎました。クラシックギターも楽しんで続けております」
2009年12月22日 奥様のお電話より
尾原正芳さんの場合
「C型肝炎ウイルスに感染したのは19歳の時でした。肺結核を患いましてね。手術の際に受けた輸血が原因なんです。肺結核の方は完治しまして、10年間は何事もなく過ごしました。
30歳になって、肝機能の検査データに異常が出始めた時、『A型肝炎ウイルスでもなければ、B型肝炎ウイルスでもないね。それでも確かに何者かが住みついてますね』という非A非B型という診断をされたんです。まだ世の中でC型ウイルスが発見されてなかった頃ですからね。C型ウイルスと確定されたのはそれから15年後の1992年のことです。
C型のキャリアーとわかってから長野県に転勤になり、単身赴任を余儀なくされました。茨城の自宅は新築したばかり、子どもたちは受験を控えていて経済的にも一番きつい時期でもありました。
1996年初夏。とうとう肝臓に2センチ大の腫瘍が発生しました。患部は手術によって切除されましたが、これが1回目の手術となります。以前からインターフェロンの勧めはありました。でもうつ病等、精神的な副作用も出るきつい治療というでしょう。単身赴任の身の上であったし、避けて通ってたんです。
手術から3ヵ月して、やむにやまれずインターフェロンの投与をスタートさせました。皮膚に薬疹が出て、痒みに悩まされましたが、私の場合はC型ウイルスの中でもインターフェロンが効き易い2b型ということで、3ヵ月でウイルスは陰性になりました。ウイルスがいなくなってもすでに肝細胞のあちこちが傷ついてるということなんでしょうね。手術から1年後に再び肝臓の5ヵ所に腫瘍が現れました。妻の勧めもあって、日本冬虫夏草を飲み始めたのはこの直後のことです。
2度目の手術は10時間以上を要しました。朝8時に病室を出て戻れたのは夜中の12時。『手術はこれが最後。3度目はできないよ』と言われました。そんな中、不思議なことが一つありました。切除した5ヵ所のうち3ヵ所からガン細胞が全く見つからなかったというのです。大変な手術だったにもかかわらず、傷口の治り具合も前回より早いように思いました。
このとき、同じように入院して手術をされた方が3名おりました。ところが1~2年の間に全員亡くなられたそうです。それを知ったときはとても残念で、手術だけでは不十分なのかなと思いました。
その後もミリ単位~数センチ大の腫瘍が1年ごとに発生しますが、その都度、肝動脈塞栓術、エタノール注入、放射線治療で対応し、仕事を続けながらその場を切り抜けてきました。
ところで、塞栓術では抗ガン剤も使用されますが、約2週間の治療の間、副作用がとても少なく、スケジュール通りの治療ができたことに主治医もビックリしていました。妻は『仕事の代わりはいくらでもいるんだから休んじゃえばいいのよ』と言っていましたね。私は典型的な仕事人間で帰宅するのはいつも10時~11時。結婚当初からそうでした。たまに8時、9時に帰宅したものなら子どもたちから『お父さん、今日は早いけどどうしたの?』と不思議がられる始末です。妻はせめて単身赴任がなかったら発ガンは避けられたのではないかと思ってたようです。
病院の治療を一切やらずに消失
2001年6月。5~6ミリ大の腫瘍がまたしても現れました。そして、『3ヵ月後に再検査して、それから治療しましょう』ということになったのです。その頃私は、単身赴任から解放されて、いいかげんだった食生活を妻の考案した健肝食にガラリと変えていました。無農薬野菜、玄米、自家製のシジミエキス、ゴマ等の種子類、海草類です。肉は1ヵ月に1回食べるかどうかです。また、一人の時と違って、家族と一緒ですと仕事上の責任や対人関係のトラブルからくるストレスもずいぶん軽くなるんですね。飲んでいた日本冬虫夏草の内容を変えたこともありました。
そうしたら3ヵ月してMRIで再検査をすると、『あれっ、この辺にあったのに見当たらないね』と言われて。あったはずの腫瘍がきれいに消えていたのです。この間、病院の治療は一切ありません。それからというもの、再発とは無縁で今日に至っています。私は、タバコとお酒は全くやりませんが、仕事中毒はやめられないようです。それでもストレス解消、日本冬虫夏草、妻の健肝食にささえられて再発しない記録をこれから先ものばしていきたいと思ってます」
朝日ウィル(北燈社)2002年4月16日号より
【経緯】
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1966年 19歳
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肺結核の手術。輸血あり。 肺結核は完治。 |
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1977年 30歳
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輸血から肝炎ウィルスに感染したことを知る。 ウィルスの型は非A非B型とされた。 |
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1992年 45歳
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C型肝炎ウィルスのキャリアーと確定。 |
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1996年6月 49歳
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肝臓に2cmの腫瘍。 |
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9月17日
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1回目の手術。切除。 |
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12月20日
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インターフェロン投与開始。 |
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1997年3月
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C型肝炎ウィルスがなくなり、陰性。 |
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6月20日
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インターフェロン投与終了。 |
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9月2日 50歳
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肝臓に5つの腫瘍。 「手術は最後、3度目はできないよ」と言われる。 |
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9月6日
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日本冬虫夏草を飲み始める。 |
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10月7日
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2回目の手術。 切除した5ヶ所のうち3ヶ所からガン細胞見つからず。 |
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1998年〜2000年
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その後も1年ごとに腫瘍発生。 肝動脈塞栓術、エタノール注入、放射線治療で対処。 塞栓術では抗ガン剤も使用するが、副作用がとても少なくスケジュール通りの治療ができたことにビックリされる。 |
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2001年6月 53歳
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5〜6ミリ大の腫瘍発生。 食事を健肝食に変更。 飲んでいた日本冬虫夏草の内容を変える。 |
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9月
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MRI検査で腫瘍消滅。 この腫瘍に限り病院の治療一切なし。 |
「腫瘍が消失してから再発なく5年8ヶ月が経過しました。仕事人間の主人も来年3月で定年を迎えます。元気でやっております」
2007年5月30日奥様のお電話より
「6年以上再発がなく、定年まで残り1ヶ月となった2008年2月。CT検査で2cmの腫瘍が見つかり、5月にラジオ波での治療を行いました。これはお腹を切る必要がなく、ラジオ波の熱でもって患部を焼く治療です。(エコー画像を見ながら)患部まで針を通す必要がありますが、痛みはなく、1時間で終了しました。
時代とともにさまざまな治療法を試してきました。外科手術に肝動脈塞栓術(ガンの兵糧攻め)、エタノール注入に放射線照射。肝臓ガンの治療法は進歩を続けていて、ラジオ波は現時点で最先端の方法といえます。
先生は『焼き残しがあるかな』と何度か言ってましたけど、2008年10月のCT検査ではきれいに消失していました。2009年1月末の検査ではγ-GTPの数値が高い以外は肝機能のデーターは全て正常、腫瘍マーカーも正常です。
振り返ると再発の直前には必ず大きなストレスがありました。休日も携帯で呼び出されることは珍しくなく、休みなく働きました。2008年3月に定年を迎えてからも同じ職場に通い、仕事を手伝っていますが以前とは全く違います。責任が外れて精神的にずいぶん楽になりました。ようやく肝臓に良い環境となりました。
先生からは『あなた2回死んでてもおかしくないよ』と言われています。仕事しながらここまでこれたのは、事あるごとに日本冬虫夏草が側にあったからでしょうか。今は不思議なくらい疲れないし、何の自覚症状もなく元気で働いています」
2009年2月1日のお電話より
片山茂さんの場合
「始まりは1994年の前立腺炎からだったように思います。その時はひと月入院して薬で治療したわけですが、退院する際、病院側から今後のことをとりたてて警告されるわけでもなかったし、自分自身も病気の原因を振り返ったり反省することもありませんでした。退院できる喜びだけで、その後も以前と変わらない暮らしに戻り、忙しい仕事の現場に復帰しました。
それから2年後の1996年1月12日。突然排尿困難になり再び病院を訪ねることになりました。そして組織検査で、今度は前立腺ガンと診断されたのです。腹部にメスを入れて前立腺からリンパ腺まで摘出し、人工肛門をつくる大掛かりな手術を薦められました。その後、念のため病院を変えて細胞検査を2回行いましたが、いづれもクロでした。
ガンと聞いて即座に命はないと思いました。でも何ていうんでしょう。根っからプラス思考が強いというんでしょうか、『ちょっと待てよ。ガン即、死と考えてしまうのは狭い知識のせいではないのか。どこかに治す方法は必ずあるはず』と頭を切り換えることにしたのです。
私はそれまで尿管や尿道の位置さえ分からず、前立腺の役割さえも知りませんでした。つまづいてしまったけれど、これから先の健康のためにも、この病気を知識を得るチャンスに変えようと思うことにしました。入院するにあたって、夜遅くまで本を読んでも周りに迷惑をかけずに済むようにと個室を希望しました。そしたら1ヵ月以上先まで空きが無いと言われて、それまで自宅で待機することになったのです。
日本冬虫夏草を飲み始めたのはこの頃からです。妻が銀行で順番待ちをしている時、たまたま開いた週刊誌に日本冬虫夏草の記事を見つけたのがきっかけです。そして以前から加入していたガン保険がすぐに降りてきました。ほかの保険会社の給付金がプラスされて、数ヵ月はたとえ病院の最高級の特別 室を借りたにしてもあり余るほどの経済的余裕が生まれたのです。仕事を休んで情報収集を続けました。
病院の通常療法は、決してガン体質を根本から治してくれるものではないこと。そういう体の環境を作ったのも自分、治すのも自分ということ。食べ物から体の細胞が作られているけれど、細胞の病気であるガンを治すには食べ物が深く関わっているということ。さまざまな本を読んでいくうちに頭の中が整理されていって心が静まり、体にとって何が良くて何が悪いのか明確になっていきました。
玄米菜食を心掛け、主食であるお米にもこだわって、粘り気のないキヨニシキという品種の無農薬無肥料米を食べました。食品添加物のような化学的なものは排除し、食事は家族の分まで1日3食作りました。『薬は毒だ/田村豊幸著(農文協 現在廃刊)』(※最近では「薬をやめると病気が治る/安保徹著(マキノ出版)などがあります)という本に影響を受けて、病院から渡された薬は一切飲まないということもありました。今も記念に取っておいてますが、渡された薬の量 は半端ではありませんでした。
そして、次第に体に変化が現れ始めました。
| 【経緯1】 | ||
| 1996年1月12日 | 組織検査でガン細胞が見つかり、前立腺ガンと診断。 | |
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1月25日 <発見から14日目> |
日本冬虫夏草を飲み始める。食事療法も開始。おしっこが勢い良く出るようになる。 | |
| 2月9日 | 日本冬虫夏草を浣腸してみる。瞬間的にスッキリしたので続けることに。 | |
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2月22日 |
血便が出る。 | |
| 2月29日 | 7日間続いた血便がピタリと止まり、一転きれいな便に。悪いところが全部出て、ひょっとしたら治ったのではと思う。 | |
| 3月1日 |
病院に行き腫瘍マーカー検査。正常値になっている。 日本冬虫夏草を飲み始めてから1ヶ月余り。 |
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そして、それから2ヵ月後の手術当日。ガンが消失したため、急遽手術が取り止めの事態になるとは。誰も予想してなかったことが起こるんです」
朝日ウイル(北燈社)2002年6月18日号より
1996年3月1日のこと。前立腺ガンの腫瘍マーカーが、異常値から正常値に下がっても手術の予定が変更されることはありませんでした。
「先生は『1月の病理組織検査で前立腺ガンが確定されていることですし、数値が正常になっても腫瘍マーカーは腫瘍そのものを示すのではないので、予定通り大きな病院で手術しましょう』とおっしゃって、紹介されていた山口大学付属病院の個室が空くのをそのまま待つことになりました。
ここ1ヵ月ほどは、前にもお話したように健康やガンに関する本であれば片っ端から読んで、入院まで充分時間があるのだから、黙ってないで自分にできる自然療法をやってみようと、自ら調理して食事療法の研究に取り組んだり、日本冬虫夏草を試したりしました。日本冬虫夏草は1日に700cc飲んで夜中にも飲み、浣腸法も編み出しました。この頃になるとすでにおしっこは勢いよく出るようになっていましたし、病気の自覚症状が全く無くなっていたのです。
4月16日になってようやく入院にこぎつけました。早速、手術日が5月13日に決まり、再び組織検査、骨シンチ検査等、1ヵ月かけて行っていくのです。私が入ることのできた部屋は、ナースセンターのほぼ真向かいにあって、冷蔵庫もテレビも電話もお風呂もトイレも何もかも揃っていて、おそらく大臣が利用するであろうというようなところだったんですよ(笑)。ここでなら自宅でやっていた療法を誰に気兼ねすることなく、そのまま続けられるというものです。もともと肉や乳製品は食べられないので、そのメニューのある病院食にはほとんど手をつけず、妻が自宅から運んでくれる食事を毎日食べていました。ルームランナーを入れて毎日1万歩歩いたり、1階から7階まで、階段の登り降りを毎日2往復したり、ちょっとやり過ぎだったかもしれませんが、とにかく元気だから体を動かしたいし、やったところで疲れるというよりはむしろ快調だったように思います。
そんな中、とうとう手術の前日を迎えることになりました。手術が避けられたらという思いできたわけですが、ここまできたら腹をくくるしかありません。翌朝9時からの手術に備えてその晩は早く休み、ぐっすり寝入っていました。夜中の1時を過ぎた頃でしょうか。ぞろぞろと部屋に誰かが入ってくる気配に起こされました。手術チーム5名がベッド脇に並んでいるようです。そして『片山さん、今まで会議してようやく結論が出ました。外部に出していた組織検査の結果から、ガン細胞が全く見つからなかったので手術は中止にします』と言うのです。
| 【経緯2】 | |
| 4月16日 | ようやくベッドが空き入院。 |
| 4月18日 | 組織検査。5月12日にこの結果が出ることに。その後も検査が続く。 |
| 5月13日 | 組織検査の結果が出て、ガン細胞が全く見つからず、長時間の会議の末、手術日当日の未明に手術取り止めとなる。 |
治療を何もしないでガンが治ったわけですから不思議な人ということで病院内ではたちまち話題になりました。スタッフの中には『片山さんは何の宗教を信仰しているのですか』と質問する人まで現れて。でも私のような人がいたら、祈ったり気力で立ち向かおうとする前に、少し落ち着いて健康とは何かをぜひ勉強してほしいと思うのです。
治癒は努力の結果でまぐれ当りではないという証拠に、日本冬虫夏草を飲み、同じように生活した妻は、すぐにでも子宮摘出手術が必要な程、大きな子宮筋腫をかかえていましたが、みるみる縮小し、手術の必要がまったくなくなってしまったのです。この生活をやる以前は、筋腫は赤ん坊の頭程ありました。そして、85歳になる母の白髪が根元から黒くなっていったのはちょっと予想外のことでした。
私は、大学で声楽を学び、元レコード歌手だったこともあって、自宅でカラオケ教室を営んでいます。生徒さんの中には歌を習う以上に健康談義を楽しみに通う人も多いんですよ。歌うことは横隔膜を動かしてそのバイブレーションで脳を刺激し、ガン細胞を掃除する免疫力をアップさせます。ここに通うようになってから健康になったと喜ばれるのは、私にとっていちばんの嬉しいことで、体験を生かして、人に幸せを分けてあげれることが自分の幸せと感じています」
朝日ウイル(北燈社)2002年7月16日号より
片山さんから「ぶち元気です」(山口弁で大変元気という意味だそうです)とお電話をいただきました。奥さんのまきさんも、92歳になられたお母様もお元気ということでした。
2003年12月12日
お母様は95才の高齢になり、まきさんは退職され、お母様の傍で茂さんと一緒に元気に面倒をみていらっしゃるそうです。「母は10年前に日本冬虫夏草を飲んだ影響が大きく、何度も元気が復活するので、医師も不思議がってます」
2005年12月16日のお電話より
「国民体育大会がある一方で、国民文化祭というものがあるのをご存知でしょうか。今年で21回目となり、今回は地元の山口県で開催されます。数々のコンクールの中に歌の部門があり、47都道府県の代表が自慢のノドを競い合います。本選の前にオーディションが進められ、すでに47名から20名にしぼられています。
私はその20名に残ることができまして、11月4日の本選(美祢市、芸術村)では「霧の摩周湖」を唄うつもりでいます。生演奏で気持ち良く唄えるのを思い描いて、今からわくわく楽しみにしています。これも元気でいればこそで、健康に感謝しています」
2006年8月4日のお電話より
「11月の国民文化祭は大変盛りあがり、その時応援にかけつけてくれた生徒の皆と私の姉夫婦、弟夫婦も加わって、クリスマスパーティを賑やかに開催しました。
張り合いを持って楽しく過ごすことができるのも健康であればこそで、先日の基礎検診では血液は100点満点でしたし、骨密度は20代後半という結果でした。58歳の妻にいたっては20歳とまで出てしまって、おかしいから足を2回洗って、3度検査したほどです。妻は、牛乳やヨーグルトなどの乳製品は一切食べませんし、特別カルシウムを意識して摂っているわけでもありません。代謝も若返ったのか、体重も5kg減ったというのです。
我が家では、15種類の野菜を庭の一角に栽培しています。朝食はそれらの採れたての野菜に、玄米黒酢、キダチアロエ、フルーツを加え、ジューサーにかけた飲みものだけで済ませます。他に作ってるのは根こんぶ水とビワ葉酒。毎日摂る水も、こだわって選んだ海洋深層水を使っています
ガンが消失してから元気に10年が過ぎました。日本冬虫夏草は現在も続けています」
2006年12月6日のお電話より
「母(享年97歳)の四十九日も無事終わり、このごろはボランティア活動に励んでいます。最愛の母と別れた直後は妻と二人で途方に暮れる毎日でした。最期まで母は自宅で過ごしました。十二年間の介護もとうとう終わってしまいました。
ボランティア活動とは歌の指導です。ひとりでも多くの人の心が元気になり、心の中に希望が生まれることを願っています。これから先の私も歌と共にあります」
2008年3月12日のお葉書より
「ますます元気にしております。週に3、4日は妻とウォーキングをしています。1回のウォーキングで1万歩歩きます。今年はゴルフコンペで4勝しました。妻も最近ゴルフを始めました。30分の体操から1日が始まります。食事に気を付けたり運動を取り入れたりするようになったのはガンになってからです。前立腺ガンが消えてから13年になります」
2009年12月7日のお電話より
鈴木ひろ子さん(当時66才・仮名)の場合
「排便時に時々出血がみられるようになったのは、1994年の暮れのことでした。出血がなかなかおさまらなくて。2ヵ月ぐらいして病院で検査を受けました。すると肛門から10cm奥のところに2cm大の腫瘍が見つかったのです。直腸ガンという診断でした。担当の先生は『すぐにでも手術して人工肛門をつけましょう』と言います。その時私は、人工肛門でも元気で活躍されている人はたくさんいるけれども、できることなら人工肛門は避けたいという思いでいました。側にいた娘も同感でした。
そんな折、卵巣ガンをすっかり治したという人の話を偶然聞く機会がありました。そこで日本冬虫夏草のことも知ったのです。娘と話し合って、手術までの時間があるわけだし、黙っていないで自分のやれる自然療法をできるだけ試してみようということになったのです。
1995年、3月に入ってすぐ日本冬虫夏草を毎日700ccずつ飲み始めました。それから10日余り経って手術前日の3月13日。内視鏡で再検査を行いました。すると主治医は『あれっ』と驚くのです。『山がないね。山がつぶれてる。頭の方からはがれてきてますよ』という説明。
そこで急遽、局部麻酔をかけて肛門から内視鏡を入れ患部をはがす簡単な手術を行いました。そして、その先生は『全部除去できたとはいえないので、きちんと開腹手術をして人工肛門にすべきですね』と言い残したまま術後すぐに病院を辞めてしまったのです。私もお彼岸の日を避けて退院しました。
4月に入って病院に行くと、新しい先生は前任の先生の人工肛門手術の意向を受け継いでおられるようでした。しかし、その時の検査結果は、腫瘍マーカーも正常値で他のデータにも問題はなく、元気な人の血液と全く変わりないもので、再手術の話はなくなりました。それでも信じられない様子で『念のため抗ガン剤を出しときましょうか』とまでおっしゃる。母娘とも頑張ってそれだけは勘弁してもらいました。5月に入ると確認のためCT検査を行いました。腸にも肝臓にも悪いところは一切見つからず、結局この時点で完治の診断をいただいたのです。
あれから再発もなく、今年で7年目を迎えました。内視鏡で自分の腸壁の画像を見ることもありました。手術の跡もなく、なめらかでとてもきれいです。定期的に検診は続けていましたが、今年の6月には『鈴木さん、病院は卒業だよ。もう来なくていいよ』と言われてしまいました。
日本冬虫夏草は現在も続けています。この7年間を振り返ると、病気の時も含めて仕事を休んだという記憶が無いんですよ。73歳になった現在も、自分で車を運転して化粧品のセールスの仕事をしております。免疫力を高めることといったらカラオケで、お腹の底から大きな声を出して、何もかも忘れ、歌うことに熱中することでしょうか。カラオケ教室には20年間通 っています。
そういった仲間や友人と2、3日の旅行に行くのも楽しみの一つとなっています。車で出かけて夜中じゅう走って朝現地に到着なんてこともよくあります。旅行するにはとても良い季節になりました。今も、一泊旅行から帰ってきたばかりです。
これからも再発しないように体に気をつけて、できる限り仕事の方は続けていくつもりでいます」
朝日ウィル(北燈社)2001年10月16日号より
| 【経緯】 | |
| 1994年12月末 | 排便時に出血。 |
| 1995年2月 | 直腸ガンの診断。 |
| 3月初め | 日本冬虫夏草を飲み始める。 |
| 3月13日 | 患部が剥がれているのでそのまま除去。 |
| 5月 | 検査結果より完治の診断下る。 |
「完治と言われてから、再発なく11年以上が経ちました。1年ほど前から認知症の症状が現れ、MRI等の検査で初期~中期位と診断されました。それでもこの1年は、進行していない状態を維持しています」
2007年2月5日お嬢様からのお手紙より
「ちょっと今のことを忘れてしまう傾向があるようですが、家族や親戚のことは認識できますし、身の回りのことも全て自分でできています。体は至って健康です」
2008年6月4日お嬢様のお電話より
「これまで12年間、再発なく元気に過ごしてきました」
2008年6月9日のお電話より
姉崎トクエさん(92才)の場合
96年の春、卵巣に悪性腫瘍が見つかった。以前からしこりに気付いていたが、少しづつ大きくなってきているようだった。公立病院の主治医は手のくだしようがないと言った。手術をしても寝たきりになるか、ボケてしまうのが関の山で、好きなことをして家族と静かに暮らす方がいい。のちのち腹水や痛みが出た時に来てくださいと、薬を出すこともなかった。
6月になるとフキを採りに山に入った。はけごいっぱいにして担いで帰宅すると、腹部が苦しくてどうにもならない。病院に行くと、「こんなになるまで放っておいて!」と叱られた。サッカーボールぐらいの腹水が溜っていた。腹水を抜くと、一時的に楽になるが、確実に衰弱していくのがわかる。娘さんは、これは何度もやるようなものではないことを悟った。しかし、それから3ヵ月後、再び腹水が溜った。この時も抜くのはやむおえない選択だった。
トクエさんは、10回の出産を経験している。当時は産めよ育てよの時代だった。便秘持ちで長いこと便秘の薬を使用していたことなど、娘さんは発病の原因をあれこれ考えたという。
97年の夏になると、再び腹水が溜りはじめた。今度は抜くわけにはいかない。知人の紹介で日本冬虫夏草を試してみることにした。あれから1年近く経つが、腹水は知らない間に引いていったし、溜ることもない。しこりも外からさわって小さくなってきているのがわかる。苦しいということも痛いということもない。畑を耕したり、山菜を採りに山に入ったり、草履や藁靴やはけごを編んでお店に売ったり、2年前より元気で、近所の人たちはあきれて怪物みたいと言っている。
トクエさんの家族は3世代同居。かといってあえて面 倒をみてもらうことはしない。自分のことはすべて自分でやり、やりすぎだと怒られる。彼女は思ったことをハッキリ言う性格。おせじは言わない。さっぱりしている。一家も皆同じだ。家族の愛情が一番の薬というのは今さら言うまでもないが、本人自身が愛されるべき魅力的な人。
今のところ、検査してもしょうがないし、とにかく痛いところもなく、ごはんも食べられるんだからこのままでいくつもり、と話してくれた。
朝日ウィル(北燈社)1998年6月2日号より
前回紹介した、卵巣腫瘍が良くなった92歳の姉崎トクエさんは、体はまっすぐで、シャキッとして見ほれるほどである。
腫瘍にかかる原因は、一般に言われているもののほかに、ウイルス感染などもある。ヒトはいつもウイルス侵入にさらされて暮らしているが、自身が元気であれば、負けてしまうことはない。正常な状況にあるほとんどすべての細胞の表面 は免疫力で悪魔をやっつけたり、回復させたりする力を持っている。そのためには免疫力をつける正しい食事を毎日摂るように心がける事が必要だ。例えば、近頃騒がれているダイオキシンなどを分解する微生物が見つかっているが、キノコもそんな微生物のひとつである。
私たちが毎日のようにみそ汁として食べている大豆に、癌を抑制する成分が含まれている。それは植物ホルモンの一種でゲニスティンと呼ばれているが、癌細胞が急速に分裂増殖をするために必要とする栄養を摂りこむために、血管まで新しく作ってしまおうとする力を阻止するというのである。さらにゲニスティンは私たちの正常分裂細胞には全く関係しないと言うからすごい。自然界には、病気を治す食べ物がたくさんあり、互いに補いあっているのだ。
7月に発売される新刊本の中に、やはり90歳くらいの女性の記録がある。この人は皮膚癌が骨まで侵し、歩けなくなり、もう使うクスリがないと言われた婦人である。しかし、特殊な自然物を摂取する生活に変えていくうちに、骨が回復して歩けるようになったのには驚かされた。
朝日ウィル(北燈社)1998年7月7日号より
※日本経済新聞(2006.3.6)記事 続忍び寄る感染症「がん発症ウイルス」
予防策続々、制圧へ道
日本人の死因トップを占めるがん。その中にはウイルスや細菌の感染がきっかけとなって発症するものもある。正体は分かっており、感染は特定のケースに限られるため、予防策が次々に試みられている。制圧への道筋が見え始めた。
血液がんの一種、成人T細胞白血病(ATL)で命を落とす人が長崎県で激減-将来、こんな成果が達成されるかもしれない。同県と大学や医師会などが手を組み、がんにつながるウイルスの感染経路を遮断する世界でも例のない試みを始めたのは約20年前。制圧の一歩手前までこぎ着けている。
この原因ウイルスの主な感染経路は母乳。母から子へと感染し、数十年の時を経てATLを引き起こすことがある。同県では1987年から妊婦を対象にウイルス検査を実施。感染者の場合は「母乳を子供に与えない」「授乳機関を減らす」といった感染予防策を助言をしてきた。これまでに検査を受けた妊婦は約20万人。母乳を与えなかった子の感染率は、与えた子の約6分の1の2.7%にとどまった。感染者が経れば将来、ATLを発症する人も当然減る。「感染の連鎖を断ち切れば、このがんを撲滅できる」と長崎大学の片峰茂副学長は話す。
年間3万人強の命を奪い、早期発見が難しい難治がんの代表格といわれる肝臓がんも、いずれ患者が激減して「珍しいがんになる」と国立がんセンタ0の津金昌一郎予防研究部長は予想する。
患者の大半は肝炎ウイルスが持続感染した結果、肝臓がんを発症する、中でも多いのがC型肝炎から肝硬変を経て肝臓がんになるケース。C型肝炎の患者は国内で150万-200万人以上いるとされる。
2004年末、特殊なインターフェロンと抗ウイルス剤の併用療法が始まった。約7割の患者でウイルスが消える。病気を治せなくても進行を止めれば、肝臓がんにまでならないと期待される。
がんと関係が深いとされる主な病原体
| 病原体の名前 | 主な感染経路 | 発症するがんの種類 |
| B型肝炎ウイルス | 輸血(現在はほぼなし)、注入器使い回し | 肝臓がん |
| C型肝炎ウイルス | 輸血(現在はほぼなし)、注入器使い回し | 肝臓がん |
| ヒトパピローマウイルス | 性交渉 | 子宮頸がん |
| ヒトTリンパ球好性ウイルス | 母乳 | 成人T細胞白血病 |
| ピロリ菌 | 口から感染するが、詳細は未解明 | 胃がん |
二十代の患者が増えている子宮頸がんも抑え込む可能性が見えてきた。英医薬大手のグラクソ・スミスクラインは、原因とされるピトパピローマウイルスの感染を予防するワクチンの臨床実験を早ければ4月に日本で始める。
ピトパピローマウイルスは性交渉で感染し、女性の5割-7割が感染経験者と推定される。そのうち発症するのは5%程度だが、性交渉を開始する年齢が下がり、感染のリスクは高まっている。
ワクチンは感染者を減らす決め手。米メルクも海外で同種のワクチンを開発しており、日本でも国立感染症研究所が新タイプの開発を進めている。
ただ、治療法や予防法が確立されても、それを生かすかどうかは本人次第だ。C型肝炎ウイルスに持続感染していても知らずにいる人は多い。「検査を受けて、感染していないかどうか知っておけば、肝臓がんにならずに済むのだが」と津金部長は残念がる。
感染症とどう向き合うのか、一人ひとりの意識が問われている。
共同研究をしている広瀬医師は、全身を不調にする化学療法では、回復しようと働いている正常な細胞を活性化できるはずがないと言います。代替療法や健康食品なども、その効果 について明確な理論が必要であり、それがないから、どうしてもガンセンターで治療を受けるのが当然になるのだとも言います。
10月には23歳の女性が乳ガンのため、最高といわれる近代治療の甲斐もなく他界した知らせを受けました。もうひとりは19歳で、卵巣腫瘍で苦しみつつ逝ってしまいました。どちらも3カ月の間に、あれよあれよという間の事でした。ここに数回登場してもらった姉崎トクエさんは卵巣ガンでしたが、高齢のため手術も抗ガン剤も放射線もやらず、たまに溜まる腹水を抜く以外は平常の生活を続けながら今年で95歳になり、発病してから5年たちました。ご飯もおいしいし、山道の散歩もひとりで毎日続けています。また同様に、通 常療法を一切やらない98歳の乳ガンの女性は発病して4年たちますが、毎日ご飯をもりもり食べて元気で、その病巣のために別 段命をとられそうになることもなく今日を迎えています。そういう方を取材する度、ヒトは簡単にガンで死ぬ ことはないんだなと思い知らされます。若い人はガンの進行が速いといわれていますが、本当かなと疑問を持ちます。
今日、高齢者や治療法のない膵臓ガンなどの人に対しては、クオリティオブライフが優先され、成果 を上げているように思います。通常療法を用いて勇敢に闘いを挑んだ若い体力のある人が命を落とす現状を今さらながら検証する時期に来ているのではないかと思います。
朝日ウィル(北燈社)2000年12月19日号より
今年で96歳になる姉崎トクエさん(山形県在住)の家族とは長い付き合いで、トクエさんの取材は6年前から続けています。 トクエさんは、1996年の春に卵巣ガンになり、いちばん最近の2002年5月の検査では、もともとの病巣である卵巣ガンはもう死んで大きくならず、固まってしまったと判定されました。これまで高齢ということで通 常療法(手術・抗ガン剤・放射線)は一切やらず、たまに腹水が溜まったときに抜く程度でした。それでもここ1年は間隔が短くなって、月に1回のペースで抜いているそうです。水を抜くと弱りますが、輸血も同時に受けて、みるみる元気を取り戻して帰宅するそうです。
2002年11月19日。病院で輸血中の彼女を見舞いました。写 真はそのとき二人で写したものです。小ぢんまりした清潔な個室でした。70歳近いお嫁さんと40歳の孫嫁さん、近くに住む70歳の実の娘さんとが交代で輸血の管が抜けることのないように見守っていました。トクエさんは、ニコニコと、とってもよい笑顔で私を迎えてくれて、冗談を盛んに飛ばしました。私も図に乗って盛んにそれに合わせたので、病室は笑いに包まれました。
トクエさんが6年前に卵巣ガンと分かった時、もはや手遅れと言われていました。2ヵ月の命とまで言われたのです。でもその通 りにはならないものです。自宅で平常の生活を続けて、日本冬虫夏草を飲み始めたのは、それから1年後のことです。腹水が自然に引いていって、外から触って分かる固い患部も小さくなっていきました。ますます元気になって畑を耕し、山菜を採り、草履やわらぐつ、はけごを編んでそれをお金に換えたり、近所の人に怪物と言われるまでになったのです。
トクエさんは、山に囲まれた豪雪地帯のたいへん美しい地域に3世代同居で暮らしています。40歳の頃にご主人を心臓で亡くしてから女手で懸命に働いて、10人の子を立派に育て上げました。そのためかとても頑丈な体格をしています。ご自宅に伺うと、採れたての野菜で作った郷土料理がテーブルに所狭しと並んで、家のところどころにトクエさんの元気を支える家族の愛情があふれていて、こちらも自然と温かい気持ちにさせられます。
さて病院を後にしようとした時、携帯に連絡が入りました。同じく6年前に乳ガンになり、ガン治療は一切受けず、病気とうまく付き合いながら今年でとうとう100歳を超えられた女性が、明け方近くに亡くなったという訃報でした。5日前に食べ物にむせて、それが気管に入り、肺炎になったのが原因だそうです。それでも安らかで静かな最後だったと言います。この女性は、優しい息子さんをはじめ、いつも家族の温かい愛情に包まれて、何よりお嫁さんの手料理を毎日楽しみに、旺盛な食欲が衰えず、終生聡明な方でした。肺や骨への転移は全く無かったと後になって聞きました。
ガンだからといって、必ずしもガンで命を取られるわけでもないんですね。お二人を見ていると、つまりは命の謎が解けそうで、でもまだまだ難しい。命の火が燃え尽きるその瞬間まで元気で歩ける。最終的にそこに辿り着く研究が、我々の目指すところでもあります。
朝日ウィル(北燈社)2002年12月17日号より
岸久子さん(48歳)の場合
「1996年の1月から不正出血が続きまして、病院に行ったのは8月になってからのことでした。翌月に細胞検査の結果が出て、子宮ガンと分かり、手術を勧められたんです。
告知を受けた時、これといって動揺はありませんでした。というのも血縁者にガンの人が多くいましてね。その皆が手術後、元気で暮らしているのを見てたからでしょうか。子宮を失ってでも、悪いところは取ってしまえば大丈夫という気持ちでいたんです。性格はもともと楽天的で、くよくよしないタイプと言えるかもしれません。
それでも手術に際して一つだけ条件がありました。この時、季節は実りの秋の真っ只中。私にとっては職場を離れることのできない季節でもありました。田んぼを持っているスタッフが稲刈りで休みを取るため、人手不足になるんです。稲刈りの終わる10月半ばに手術を延ばしてほしいとお願いしたんです。
手術まで1ヵ月余りの時間ができた時、日本冬虫夏草を譲ってくれた知人がいました。私はジュースやお茶などをほとんど口にしないのですが、日本冬虫夏草だけはスンナリ飲め、1ヵ月の間、毎日たっぷりいただきました。
発病までの3年間を振り返ると、ずいぶん体に無理をかけていたようです。父の介護に始まり、実母、主人の母の介護と次々続きました。二人の母を同時に看てたときもあります。仕事を続けながらでしたので、睡眠時間は毎日4~5時間程度。ようやく解放されたという時、たまった疲れがこういう形で現れたのでしょう。ガン血統というのも思いあたりました。
10月26日にいよいよ入院。10月28日に前段階の簡単な手術を行いました。子宮以外にどこまで摘出するか判断するため、局所麻酔をかけて患部をはがして調べるのです。
11月5日、その結果が出てきました。先生は『ガン細胞がどこにも見当たらないんだよね』と不思議がっていました。そして『岸さん、帰っていいよ』と言われてしまったのです。それならばと、さっさと退院させてもらいました。薬は一切飲んでないし、治療も一切やってこなかったですからね。退院する際も、薬の処方はありませんでした。
【経緯】
| 1996年1月 | 不正出血有り。 |
| 8月 |
ようやく病院に行く。 子宮ガンの診断。 日本冬虫夏草を飲み始める。 |
| 10月26日 | 入院。 |
| 28日 | 組織検査。 |
| 11月5日 | ガン細胞がどこにも見当たらず消失。 |
平常の生活に戻って1ヵ月半が過ぎ、やれやれといった頃、今度は主人が町の検診でひっかかり、左肺に影が見つかりました。細胞を取って調べると、腺ガンで悪性ということが分かりました。2.5cmの大きさでした。主人はお酒をたくさん飲みましたし、タバコを1日に3箱も吸う30年来のヘビースモーカーでしたが、翌日からタバコもお酒もピタリと止め、日本冬虫夏草を飲み始めて、患部近くに擦り込んだり、吸入器で吸入したりもしてました。
仕事をしながらできる限りのことをして過ごすうち、患部は次第に小さくなっていったようです。3ヵ月が過ぎた頃には2.5cmから1cmまでに縮小していました。1cmになったところで、患部の摘出手術を行いました。左胸の3ヵ所に小さな穴を開けて内視鏡を使って患部を切り取るもので、従来の手術と比べると、体の負担が極めて少ない方法です。
切り取られた患部を見せてもらうと、白っぽくカッテージチーズのようでもあり、石灰化してました。痕跡は残っていたものの姿が変わり、もはや『ガンではない』と言われたのです。主人も病院の治療は一切やっていませんでした。
【ご主人の経緯】
| 1996年12月 |
ご主人が肺ガンと診断され、日本冬虫夏草を飲み始める。 タバコとお酒をピタリと止める。 |
| 1997年3月 |
患部が2.5cmから1cmに縮小している。 内視鏡手術。患部は石灰化していて「ガンではなくなっている」と言われる。 |
ガンが消失してから二人とも再発なく元気で暮らしています。私が7年目、主人が6年目に入りました。私が気を付けていることといえば、食事は常に腹7、8分目に抑えるということでしょうか。
(写真左)岸さんの趣味はお裁縫だそうで、ローラアシュレイの生地で作った素敵なエプロンをいただきました。
仕事を終えた後、夜中までやってた趣味を最近は控えて、睡眠時間は6時間以上取っています。以前と比べると体をずいぶんいたわってますね。時には仕事から離れて旅行に出かけ、リフレッシュすることも大事にしていることの一つです。
朝日ウィル(北燈社)2003年2月18日号より
「再発なく元気で、13年目に入りました。主人は12年目です。この度、主人が肺炎で入院しまして、実は昨日退院してきたばかりなんです。仕事で頑張りすぎたからだと思います。その病院に同じ症状で入院している方が2人、あっという間に次々に亡くなられてこわくなりました。入院すると同時に日本冬虫夏草を毎日飲むようにしました」
ご主人にお会いしましたが、顔色も良く元気そうなので安心しました。
2008年3月8日お二人にお会いして
【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になったヒトはどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を否定したり、特定の商品について推奨するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。


