CASE1 : 検査したばかり、治療前にガンが消失…

何傑さん(かけつ 北京市在住)のお父様の場合

 「2015年6月12日のことでした。実家のある江蘇省南通市の病院から連絡が入ったのです。83歳の父が胆管がんで『このままだと一週間の命』という知らせでした。北京から空路で父のもとへ飛びました。面会すると、痩せて黄疸が出ていました。

 

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 『このところ、何を食べても砂を噛んでいるようでまずいんだ。食事をする気になんかならないよ』とボヤいています。そこで私は、父に日本冬虫夏草を差し出しました。

 

 実はさかのぼること8か月前、私は肺の腫瘍摘出手術をしていました。日本冬虫夏草は術前から飲み続けていました。検査入院した病院では、肺がんの患者さん3人と知り合いになりましたが、1年経たないうちに皆亡くなって、自分だけピンピンしていたのです。何傑さんご本人のお話はこちらです。

 

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 『飲みたくない』と子供のように駄々をこねる父に、『日本からいろんな人の手を介して届いたものなんだよ。苦労したんだよ』と説得し続け、口にしてもらいました。傍らで看護していた弟は、半信半疑といった様子でした。

 

 医師は、『黄疸の数値が165ではもうここでは何もできないよ』と言いました。そして、上海の病院に転院させる方針でした。一方、日本冬虫夏草を飲ませることには賛同してくれました。そんな医師の言葉を聞いて弟の態度も変わっていったのです。

 

黄疸が治り、手術が中止に。

 受け入れ態勢が整い、上海の病院に移ったのは6月28日です。そこは、肝と胆の専門病院でした。黄疸の数値は135に低下していました。すぐに手術に入ることになりましたが、私は、『2日、待ってほしい』と願い出ました。というのも、年齢的に手術はリスクが大き過ぎると思ったのです。医師も理解を示してくれました。その2日間は、日本冬虫夏草を1日700cc飲ませました。すると数値が110まで低下し、運よく手術が中止になったのです。

 

 医師は、『がんだったら、数値は上昇していくしかないから不思議だ』と言いました。そして、ついには胆管がんも小さくなって胆汁が通るようになり、食事もおいしく食べられるようになっていったのです。そして、7月15日にはめでたく退院の運びとなったのです。

 

 実家に戻った父は、お粥は自分で作って食べていました。スープは友人のレストランからいただいて来るようでした。常に油抜きの食事を心がけていました。それ以外は普段通りの暮しです。

 

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 父は文化人で器用な人でした。書道の腕前もすごかったし、編み物も出来て、私と弟にセーターとズボンを編んでくれたことがあります。まっすぐで勤勉な人でした。『国のお金を頼りにしてはいけないよ。自分の力で頑張るんだ』と常に私たちに言い聞かせました。

 

 2016年に入って間もなく、トイレで倒れて入院するアクシデントがありましたが、すぐに退院して普段の暮らしに戻っていました。

 

そして再び2016年4月5日にトイレまで歩いて行って、戻るところで倒れました。弟が心臓の鼓動が止まってるのに気付いてすぐに心臓マッサージを施すと、脈を打ち始めました。そのまま救急車で病院に運びましたが、どうしても血圧が50から上がらず、翌朝8:46に心肺停止となりました。

 

多くの人の手が最高のゴールに導いてくれた

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 父は痛くも無く、苦しくも無く、見事な最期を迎えました。幸せな最期と言っていいでしょう。前日まで、美味しく食事をして、排泄も自分で出来て、心地よく眠れてましたからね。一流企業に勤めていたのに、離職して父を見守り続けてくれた弟に感謝しています。

 

 また、父のために日本冬虫夏草を運んでくださった方々、食事をサポートして下った方々、息子の私の提案に敬意を払ってくださった病院の先生方など、多くの人の手が父をこのゴールへと導いてくれたのだと思います。心より感謝申し上げます」

2017年6月4日のお話より

 

黒坂 和子さん(アトランタ在住 2005年当時77歳)の場合

kurosaka_1.jpg 「アメリカに住んで50年以上になります。2005年6月16日のの話になりますが、メモグラム検査で『乳がんの疑いがある』といわれたのです。左の乳房にごく小さなケシ粒のようなしこりが散らばってるということでした。

 

夫婦で娘が住むアトランタに引っ越す前は、ウィスコン州のグリーンベイに住んでいました。当時から年に一度はメモグラムの検査を受けていて、一回だけ検査に引っかかり、バイアプシー検査(生検)までやったことがあります。その時は苦痛を感じることもなく、がん細胞も見つかりませんでした。跡が残るということもありませんでした。

 

その経験がありましたから、再びアトランタでバイアプシー検査をすすめられた際も、気楽にひとりで出かけていったのです。

 

がん細胞見つかる

 ところが、部分麻酔をかけて針の先のような道具でしこりをとっていく間、女医さんのおしゃべりが止まりません。スタッフのひとりと話に夢中で集中してない様子でした。案の定、見当はずれのところを2,3回取り間違えたり、以前は経験のなかった痛みも感じたのです。たまらずその真摯でない姿勢に中断を申し出ました。(この時の傷はしばらく残ることになります)そして、取り除いたしこりの一部からがん細胞が見つかったのです。私は、彼女のボスに掛け合って、後日改めて残りのしこりを取り除く約束を取り付けました。担当医はボスです。

 自宅に戻り、『またがん細胞が見つかるのかな。どうしよう』と考えてると、ふと以前耳にした日本冬虫夏草のことを思い出しました。日本冬虫夏草を飲んだのは残りのしこりを取る2日前。正確には1日半、粉末にしたものを飲みました。

 

がん細胞がどこからも検出されない

 77日、今度は娘に同伴してもらい、残りのしこりを取り除きました。家族がいれば、いやがうえにも相手にプレッシャーがかかります。いい加減には出来ないというのがあるかもしれません。全身麻酔をかけ、メスを使った昔の方法でやってもらいました。前回のような痛みはなく、跡も細いかすかな線が残っただけ。そして細胞を調べると今度はどこからもがん細胞が出てこないのです。『キモ(抗がん剤治療)する必要はありませんからこれで終了です』と言われました。

それから半年に一度の検査を続け、2008年からは検査は1年に一度でよくなりました。日本冬虫夏草はずっと続けています。あれから胸に再びしこりが現れることなく順調に5年が経過しています。

 

 さてもうひとつ、自分に降りかかった大きな事件の話をしなければなりません。

がんより困難。転倒による後遺症

 20061021日のことでした。どん底につき落とされる出来事が起きたのです。友人宅でのパーティーに呼ばれた時のことでした。キッチンにまるめて置いてあったカーペットにつまずいて大転倒してしまったのです。床に後頭部をガツンとぶつけました。すぐに救急病院に行き検査をし、翌日も念を入れて調べましたがこれといった異常はありませんでした。症状も何も出てません。

 

ところが転倒から3日目、急激に気持ちが悪くなって立っていられなくなったのです。しだいに両手両足がしびれ出し、ひどい船酔い現象におそわれ、食欲もなくなり、眠ることすら出来なくなっていきました。脚気になったように自分の手なのにどこに置いたらいいか分からない。自分の体であって自分の体でないような感覚、こればっかりはなってみた人でないと分からない。あちこちの病院で診てもらいましたが、一向に異常な場所は特定できず、治療法もわからずじまいで良くなる気配もないまま闇の中を数カ月の間さ迷い続けることになるのです。がんの方がまだましだと思いました。その間、夫は毎日手足のマッサージを続けてくれました。

 

 年が明けて2007124日。これまで頭部ばかり検査していましたが、首はどうなのか調べることになりました。そしたら首の骨のスパイン(椎骨)6個がずれていることがわかりました。そのうち1つは細くもろくなっているようでした。

 ドクターから『このスパインに補強材入れたら現在の症状がなくなるかもしれない。手術には半身不随になるリスクが伴います』と言われました。高すぎるリスクです。グリーンベイに腕のいい友人のドクターがいたので相談すると『手術できるかもしれないよ』という返事。ただこの季節、この状態で極寒のグリーンベイに行く自信は無く、躊躇せざるをえませんでした。

 

劇的な回復

 2月に入ってすぐ、これまで飲んでいた日本冬虫夏草とは違う別の菌類に変えてみることにしました。その頃から変化が現れてきました。

img023_SP0001.JPGまずはじめに両手のしびれが取れてきました。そして次に肩こりが取れてきて、次に両足のしびれが治ってきたのです。223日にはウォーターエキササイズを15分やれるまでに回復していました。その後、チャーチで食事の準備を手伝いながら4時間もの間平気で立っていられたのです。大好きな庭の手入れも出来るようになりました。急激な回復でした。

 

 アトランタには毎年ジャパニーズフェスティバルという催しがあります。私は、アトランタで花水木ガーデンクラブに所属してるのですが、そのフェステバルで仲間と盆踊りを披露しました。20083月のことです。あの時のことがウソのように思えました。右はその写真です。

 200912月の血液検査でも20103月の血液検査でも満点の成績でした。薬を服用してもかんばしくなかったコレステロール値もミドルからロウに良くなっていました。自分で言うのもなんですが、若く見られることが多く、高齢者のサービスを受けようとすると『あなたはまだその資格ない』と注意されるのです。身分証明書を見せて私の本当の年齢を知ってもらうと相手の方は信じられないといった様子で目を丸くします(笑い)。

2010年6月12日のお話より

 

 「このところエキササイズは週に5日やっております。日本の文化を広めるために大学やハイスクールで盆踊りを教えております。日本冬虫夏草なども続けております。明日からバケーションで娘が出掛けます。そのため犬を預かることになり、ちょうど今、犬の散歩から帰ってきたところです。元気でやっています」

201083日のお話より

 

  「この度、年に一度のメモグラム検査があり、結果は異常なしでした。お陰様で乳ガンとは無縁で5年が経過しました。日本冬虫夏草は現在も続けています」

2010年9月23日のお話より

 

 「昨年12月、ベットに横になってる時、左の腰の辺りを後ろから誰かに押されてるような違和感があり、CT検査をしたところ、『膵臓が腫れてるようですね。3ヶ月経ってさらに異変があったらバイアプシー検査をしましょう』と言われました。いつも思うことなんですが、このドクターは大げさなんです。いつの間にか横になった際の違和感は消えていったし、食欲も排泄も普段どおり、ウォーターエキササイズも週に4、5日は無理なくこなして快調そのもの。3ヶ月経って膵臓の大きさはそのままでしたが、全く気にしてません。バイアプシー検査なんてもってのほかと思っています。

 

 日本の震災に心を痛めています。仲間で義援金を募り日本に送りました。日本の被災地の映像を見る度、涙があふれます。そんな折、こちらでも天災に見舞われました。427日~428日にかけて、アメリカ南部6州を竜巻と暴風雨が襲ったのです。一晩で150もの竜巻が発生。340人の尊い命が犠牲になりました。被害現場は瓦礫の山と化しており、メディアでは『日本の被災地を見るようだ』と伝えています。オバマ大統領は29日には現地に入り『これほどの惨状は今まで見たことがない。胸が張り裂けそうだ』と語りました。

 

嬉しいニュースもありました。1970年代、ニューヨーク州のシラキュース市に住んでいた頃、根岸英一夫妻と親しくしていました。人間的に素晴らしいご夫婦でした。夜の10時頃、突然電話が入ったのです。奥さんのすみれさんからでした。『黒坂さんお久しぶりです。今アトランタに来ています』江戸っ子で気取らず気さくなところが昔と全く変わっていませんでした。根岸さんが2つの有機化合物をひとつにつなげて新しい化学物質を作り出す合成技術(カップリング技術)で2010年のノーベル化学賞を受賞したらしいのですが、私はそれを長いこと知りませんでした。アメリカでは日本のようにメディアで派手に報じられることが無いものですから。あの根岸さんがね...。この一年は夫婦そろって世界各地を講演して回らなくてはならないそうで、スケジュールがびっしり。自由な時間が取れないとぼやいてました。ノーベル賞なんて滅多に取れるもんじゃないですよね。自分のことのようにすごく嬉しかったです」

 

2011年5月2日のお話より

 

pool.jpg 「9月に年に一度のメモグラム検査があり、結果は異常なしでした。血液検査の結果も満点でした。週に5日のウォーターエクササイズも変わらず続けています。乳がんとは無縁で6年が経過しました。お陰様で何の心配もなく新しい年を迎えられます。日本冬虫夏草は現在も続けています。」

2011年12月22日のお話より

 

  「12月の末にメモグラム検査があり、結果は異常なしでした。それより前の血液検査ではコレステロール値が若干高いものの、80項目ある数値は皆正常値。元気で新年を迎えました。今年の3月3日で87歳になります。」

2015年1月3日のお話より

 

 「庭では50~60本の水仙がつぼみをつけて、いよいよ春めいてきました。庭木に鳥の餌をぶら下げて野鳥観察をしています。穀物の種や牛脂などを4か所に設置しています。毎日窓から鳥をながめながらの朝食は至福のひとときです。ブルージェィやカーデナルがよくやってきます。ときには、リスが餌をうばっていくこともあります。朝食の後はウォーターエキササイズに出かけます」

    2015年2月18日のお話より

 「春の嵐がやってきました。庭の木々からは枯れ枝がちぎれ飛び、地面に山となりました。それを一人で片づけました。2~3時間はかかったと思います。『あの年で良くやるなぁ!』と周囲の人たちは驚いています。乳がん細胞が消えてから再発無く10年、転倒の後遺症から解放されて9年が経ちました。時差があるのでこちらはまだ3月3日の雛祭り。私の誕生日です。88歳になりました」

2016年3月4日のお話より

山下邦雄さん(薬剤師 東京都在住)の場合

 「我が家は両親および兄、妹の身内4人が、がん死(4人とも胃摘出手術をうけ、内3人は胃がんが直接の死因)するというがん家系らしく、私も用心して20年以上毎年胃検診(X線、又は胃内視鏡)を受けてきました。2009年は胃X線透視後要精密検査といわれ、内視鏡検査を受け、異常なしとなりました。2010年は要精密検査なしで済みました。

001.jpg2011年は、6月初旬に直接内視鏡検査を受けたところ肉眼でも胃がんといわれ、病理組織検査では印環細胞がん、即ち未分化のスキルスタイプと診断されました。通常がんと診断されると、一瞬頭の中が真っ白になって呆然とするといわれていますが、私の場合には、いよいよ来るものが来たかという冷静な受け止め方ができました。

発見者はごく近隣の久米川病院の内科医でしたが、すぐに、近くの公的病院の外科を紹介されました。外科の諸検査の結果、ステージⅠaの早期胃がんと診断されて、手術の準備をされました。しかし、私は新潟大学の安保徹教授の教えに従って、内視鏡手術(ESD)なら受けるが、開腹手術は辞退したい旨を申し出て、内科の内視鏡手術医を紹介してもらいました。

ところがこの内科医は理由も明らかにすることなく、いきなりこの症例は外科手術適応として有無をいわさない剣幕で外科逆送と独断で決めようとしました。私はステージⅠaの早期胃がんであるなら、内視鏡手術を受けた後、足りない部分を自律神経免疫療法と日本冬虫夏草を2本柱とし、その他多くの代替療法で療養するつもりでおりました。

 

 実は胃内視鏡手術の適応にはガイドラインがあります。それは①分化型細胞がんであること、②潰瘍又は潰瘍痕がないこと、③腫瘍が2cm未満であることなどです。私の場合は、未分化型がんであることからこのガイドラインから外れていることが、後程判明しました。私は自分の信奉する代替療法を続けながら、この公的病院との意見の相違等のため、当該病院での手術を断念し、結局最初の久米川病院に戻される形となりました。

この時、発見から約4ヶ月の月日が流れていました。病院での治療はやってませんので、自分の実行する療法がどうだったか確認するつもりで再度胃内視鏡検査を受けたところ、医師は先入観があったせいか、前回と同様の診断結果を出し、改めて2つ目の公的病院外科を紹介しました。

その紹介状には未分化型のスキルスタイプの胃がんと記されておりました。通常スキルスタイプの胃がんは進行が早く、早期の手術が必要と医学書には書かれています。

 

 私が行なってきた代替療法は先の2つに加えて、漢方薬の補中益気湯と十全大補湯、ビタミンCの大量内服(10g/日)、健康食品のフコイダン、抗潰瘍剤ガスロンN(4mg 1T/日)、ビワの葉罨法(あんぽう)と生姜湯湿布、足湯、それに飲尿療法です。

飲尿療法はがん発見直後から朝一番の尿約30ccを一気に飲み干すものです。日本冬虫夏草の飲用は少し遅れて始めています。数日してそれまでの無味だった尿がすごく塩辛くなって、飲めなくなりました。これは日本冬虫夏草の新しい作用機序ではなかろうかと思います。尿中に体中の塩分が排泄されることは無塩食事療法で有名なゲルソン療法に通じる作用効果で、この療法では体内の細胞内のNaをすべてKにおき代えることを目的にしています。

私の実践した代替療法
01.日本冬虫夏草
02.補中益気湯エキス
03.十全大補湯エキス
04.フコイダン
05.ビタミンC
06.ガスロンN
07.自律神経免疫療法
08.ビワの葉罨法
09.生姜湿布
10.足湯
11.飲尿療法

日本冬虫夏草は液体で、2か月間毎日180mLを分4で飲用しましたが、2か月で一応飲用を中止して、飲尿を再開すると数日後から尿の塩辛さが全て無くなったことから、日本冬虫夏草が原因であったことが明確になりました。

 

スキルス胃がん細胞消失。外科手術必要なし。

 2011年10月6日。2つ目の公的病院でも外科には受診せず内科を受診し、ここでも内視鏡手術が駄目なら外科手術も止むを得ないと観念して、5回目の内視鏡検査を受けました。その結果が10月14日に判明しました。

 医師は首をかしげて不思議そうな面持ちで『がん細胞が見当たらない』と発言。外科に送るためには、再確認のため、もう1回内視鏡検査を実施したいとの意向で6回目の内視鏡検査とCT検査を受けました。勿論組織を採っての病理検査も併行して行われました。その結果が判明したのは10月24日。やはり、がん細胞は見つかりませんでした。ですから外科手術も必要ありません。

私が勉強し、信奉してきた各種の代替療法の勝利です。天にも昇る心地というのはこのようなことを言うのでしょうか。

002.jpgこの4か月以上にわたって4、5名の医師より早期の外科手術をすすめられてきたのを何とか先延ばしにしてきました。

一部の臓器でも手術で切除されたらQOLが低下し、一生死ぬまで何らかの身体的不具合を感じながらの生活となったでしょう。望外の喜びです。その場に同席していた家内も大変な喜びようで、その夜は赤飯を炊いて二人で祝杯を挙げました。

 

 

 

 

生き方を変えてみる

 一度がんにかかって治癒した人はがんを経験したことのない人に比べて8~16倍も他の部位臓器のがんにかかり易いという統計もあるようです。過去の生活環境、性格、食事、考え方等あらゆる面で反省し、改善し、ストレスをためないように心掛けようと思いました。

その後は、①漢方薬の補中益気湯7.5g/日分3、②抗潰瘍剤ガスロンN1T/日、③ビタミンC原末5g/日分1、④日本冬虫夏草を粉末に変えて1g/日分2、⑤Se 30.2μgを含むマルチミネラル3T/日分1、⑥ウコン100%3g/日分3、⑦ニューフットウェル使用による手足指先の微小振動刺戟(しげき)を利用した自律神経免疫療法1日2回毎回手足指各2分、⑧ビワの葉罨法(あんぽう)1日1回30分、⑨生姜湿布1日1回30分、⑩湯タンポ使用による就寝時の足指先保温、⑪毎日の入浴、⑫その他発がん防止が期待される玄米菜食、塩分控え目食、獣肉控え目食、緑茶、みかん、ヨーグルト、各種野菜の多食、大豆製品の多食、ニンニク・生姜の常食、茸類の多食、精製白糖・三温糖の使用制限等の食事療法を実践してきました。

 最近、精神・神経・免疫腫瘍学(英語ではPsycho-neuro-immuno-oncology)という学問が急展開して、がんには精神的要素が大きく関わっていることが分かってきました。心の持ち方次第では自然治癒もありうるし、奇跡ではないのです。精神的にゆとりのある毎日を愉快に、朗らかに、明るく笑って感謝の日々を送ることが、がんにかかり難く、かかっても治り易く、高い生存率が得られることが分かってきました。

名古屋に末期がんから生還した元がん患者の数百人規模の「いずみの会」という会があるそうです。その会合に出席する人々はとても元がん患者とは思えないほど、明るい表情で活発な発言をし、大きく笑い、周囲に対する思いやりの深い方ばかりで、年間のがん死亡率が数パーセントだそうで、多くの方が天寿を全うするそうです。

発がんの大きな原因の一つに精神的、肉体的ストレスがあります。そのストレスがなくなればがんが消滅することは自然の道理であります。また、適度な運動は発がん抑制とがん治療の一翼を担っています。私の場合2011年8 月半ばで退職したために、人間関係のストレスから解放されたのは、治るために良い条件でした。そして運動ですが、従来より実行していた水泳、アスレチック運動を継続しています。

 先の1つ目の公的病院で乱暴な対応をした内科医には後日談があります。それは私が『内視鏡手術で足りない部分は自律神経免疫療法その他の代替療法で補足したい』と発言した途端に不快感を示し、『免疫療法でがんが治癒する実例があるのか』と反問して来たことです。西洋医学一辺倒の病院の医師はあらゆる代替療法に不信感を抱き、反感を持っていることが見て取れました。その後の私の経緯は直接その内科医には通知していませんが、内科のナースにはがん細胞発見せずとの文書を提供しています。

 

既製概念にとらわれず、自ら情報収集、自ら選択

 本稿の教訓は定期的な健診と西洋医学の三大療法(手術・抗がん剤・放射線の通常療法)に頼らない治療法です。従って、がんが発見されても病院の医師の指示、発言に惑わされずに、独自の情報網を使って、多くの情報を集め、003.jpg多くの選択肢の中から最適の治療法を自分が選ぶことでしょう。医師からの情報も必要な場合があるかも知れませんが、それを盲信せず、独自の判断で情報を選択することでしょう。

 早期の胃がんでは腫瘍マーカー(CA19-9とCEA)はほとんど陰性で、診断の決め手にはなり得ず、やはり胃内視鏡と組織の病理検査が決め手です。今回の私の場合、最終診断に至るまでには6回も検査を重ねました。最初の4回では胃がん陽性、5回と6回目で陰性と出たわけですが、3つの病院でそれぞれ2回ずつ行ったことになります。費用も馬鹿になりません。公的保険でカバーされている部分はたかが知れています。自律神経免疫療法と健康食品も高価で、かなりのダメージでしたが、命には代えられません。

 

スキルス胃がんの通常療法について

 2011年の当時の専門雑誌から引用すると、スキルス胃がんは胃がん全体の7~10%を占め、比較的若い女性に発症例が多いという。早期発見は困難で、腹膜に転移しやすいという。スキルス胃がんと診断された患者の半数余りは既に腹膜に転移した進行がんというデータもある。スキルス胃がんが発見された時に腹膜播種等の転移がなければ治療の基本は手術。術後に腹膜播種の形で再発のケースが多いという。手術時腹膜播種が肉眼で見えないケースでも、微小転移が既に起きていて、時間の経過とともに大きく増殖する。

スキルス胃がんの病院での標準治療は普通の胃がんと同様、転移がなければ、胃切除。その後一年間は再発予防のためTS-1を経口投与。術後の化学療法で、普通の胃がんの場合、3年生存率70~80%、5年生存率60~70%。スキルス胃ガンでは3年生存が20~30%、5年生存はデータがないので10~20%と推定。最新のスキルス胃がんの治療法は手術+術後のTS-1とシスプラチン、タキソールの併用。

既に転移陽性例や術後再発例ではTS-1とシスプラチンの併用が標準治療とされている。この治療での生存期間の中央値は13か月とされている。但し術前にTS-1とシスプラチンを1クール実施して手術すると、根治の可能性もあるという。タキソール(iv)は消化器毒性が低く、術直後からの使用も可。一般的に術後化学療法は6週後から始めるという。

以上のようにスキルス胃がんは予後不良例が多いようです。これらの治療を一切受けなかった私のようなケースは非常に稀ではないかと思われます」

山下邦雄さん2011年執筆の原稿より

 

カルチノイド腫瘍消失

  「その後の経緯ですが、2012年12月14日にカルチノイド腫瘍細胞が見つかりました。通常の胃がん細胞とは性質が異なり、穏やかで成長も遅いことからカルチノイド(がんもどき)と呼ばれています。治療としては、所在場所の関係から内視鏡手術は不可能であり、内科的薬物療法もなく、外科手術のみだそうです。

 私が実行した代替療法は以下の通り、3か月間継続しました。2013年4月5日の病理組織検査ではカルチノイド腫瘍細胞が見つからず、この件についても医師からは『ありえないこと』と不思議がられました」

Ⅰ 医薬品
(1)本草十全大補湯エキス顆粒           9g/日 分3
(2)本草補中益気湯エキス顆粒          7.5g/日 分3
(3)カイトロン 10mg                   3T/日 分3
(4)セレガスロン 4mg                  1T/日 分1
(5)バイアスピリン 100mg               1T/日 分1
(6)ビタミンC純末                    10g/日 分2

Ⅱ 健康食品
(1)日本冬虫夏草粉末                 2g/日 分2
(2)Se30.2μgを含むマルチミネラル         3T/日 分1
(3)ウコン100%粉末                  3g/日 分3

私の実践した代替療法
01.十全大補湯エキス
02.補中益気湯エキス
03.カイトロン
04.セレガスロン
05.バイアスピリン
06.ビタミンC
07.日本冬虫夏草粉末
08.マルチミネラル
09.ウコン

Ⅲ 物理療法
(1)自律神経免疫療法として両手指爪もみ 各指         各10回 1日数回
(2)自律神経免疫療法として両手指先電気微振動刺戟     1回2分 1日1回
(3)ヘルストロン全身通電 6000V                  1日1回20分 1週4~5日

Ⅳ 運動療法
水泳とアスレチック                       1回2時間夫々週2回

Ⅴ ストレス解消のための精神療法
(1)薬局における調剤と患者服薬指導           1日約6時間 週2回
(2)詩吟練習                             1日30分 毎日
(3)デイサービスにおける高齢者対象のボランティア活動 1回2時間 週1回
(4)音楽と絵書画鑑賞                       随時
(5)お笑い(TVとCD等による落語、漫才等)          随時

Ⅵ 食事療法
玄米菜食、低塩味付け、ヨーグルトとにんにく多食、豆乳飲用、緑茶葉の徹底利用、獣肉と精白糖排除、完全咀嚼、生水の飲用禁止

Ⅶ 温熱療法
湯たんぽ使用による足温、生姜紅茶飲用
追記:3月中旬より瘀血対策と冷え対策目的の本草桂枝茯苓丸エキス顆粒
    7.5g/日 分3

私の実践した代替療法 つづき
10.両手指爪もみ
11.両手指先電気微振動刺激
12.ヘルストロン全身通電
13.水泳とアスレチック
14.仕事
15.詩吟
16.ボランティア活動
17.音楽と絵書画鑑賞
18.落語、漫才
19.食事療法
20.湯たんぽ足温
21.生姜紅茶
22.桂枝茯苓丸エキス

山下邦雄さん2013年執筆の原稿より抜粋

 

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あとがき

 「身内4人の胃がんの治療は、病院での一般的な(通常)療法でした。医師に全ておまかせでした。代替療法なるものは全くやってなかったのです。そんなことがあって、私は、高齢を意識するようになった頃、世の中にあるあらゆる療法を試してみようと思いました。

 知識の土台が無いと、いざ『がん』と告知された時、パニックになり、落ち込み、頼みの綱である免疫力まで下げてしまう。いざという時、取り乱さず、静かな姿勢で立ち向かいたい。努力をしたいと思ったのです。そのための準備というわけです。

 病院の通常療法は、治そうとする自分に対して、悪いところを切り取ってくれたり、小さくしてくれたり、あくまで手助けに過ぎません。最終的に病気を治すのは自分の力だということ。そして、その力を引き出すには努力が欠かせないこと。そんな原理原則を理解している人が非常に少ないように思います。

 私は、スキルス胃がんになる1~2年前に図書館で日本冬虫夏草の本と出合い、知識の一つとして備えていました。

CX138_L.jpg水泳やアスレチック、自転車の運動は10年以上続けています。水泳は週に2度、合計4000mは泳ぎます。一日で体重が0.5~1kg減ります。

肉体を鍛えることによって思わぬ副産物がありました。自信というものが身に付きました。信念を貫く強さも身に付いたのです。

人間は本来弱いものです。周囲から否定されたり、様々な意見に翻弄されたりして、簡単に心が揺れ動いてしまいます。思わぬ攻撃にも合います。信念を貫くことほど難しいことはありません。肉体を鍛えてるかどうかは、大きな差です。運命が変わってしまいます。

 胃がんの原因にピロリ菌やタバコが取り沙汰されますが、2003年頃、検査でピロリ菌陽性と分かり除菌治療を受けました。でも除菌しきれなかったのです。除菌治療も万全ではありません。2011年にピロリ菌が指摘されましたが、その後は触れられることはありませんでした。タバコは25~26歳の頃に葉巻をくゆらした程度でした。

 病名を告げられた時もそうですが、自覚症状は全く無く、これまで食欲が落ちたことは一度もありません。毎日晩酌も欠かしませんし、日本酒なら一合程度いただきます。お気に入りの地酒を求め、年に一度蔵元まで赴くのを楽しみにしています。常に美味しく食事をしてきました。幸せなことです。

 2013年12月12日。訪問看護師さん主催の『がんカフェ』で私の闘病記を配布し、概略の説明をしました。聞き手は、元がん患者さんと医療関係者の方々です。病気になった時、慌てないように準備しておくことの大切さを説いています。準備とは知識の土台と肉体の鍛錬です。

 週に一度は老人ホームやデイケアセンターでボランティア活動をしています。紙芝居をしたり、本を朗読したり、肩もみをさせていただいたりです。この頃はお世話になった社会にお返しすることが私の生きがいとなっております。

2014年2月10日のお話より

 2月24日に病理検査を受けました。8検体いずれからも悪性細胞なしとの判定をいただきました。

2014年3月11日のお便りより

004.jpg 山下邦雄氏1934生。1957年3月千葉大学薬学部卒。20年間製薬会社に勤務後 管理薬剤師として複数の商事会社、医薬品販売会社等勤務。1961年通訳案内 士資格(英)取得、2003年ケアマネジャー資格取得。現在は調剤薬局に週2日パート勤務。2013年には全国の病院や調剤薬局で読まれている専門誌「ファーマ トリビューン」に自身の『薬剤師の闘病記』が掲載され大きな反響を呼ぶ。→ 008.jpg

 

 

須田為義さん(島根県在住 2005年当時75歳)の場合

 「2005年4月13日のことでした。尿意があっても排泄ができないのです。すぐ病院へ行き、カテーテルを通して出しました。500㏄は溜まっていました。それは鮮血も無くきれいなおしっこでした。

 病名を告げられたのは翌日です。『前立腺がんの末期』ということでした。そして、『骨盤に転移してるので手の施しようがない。2か月の命』とまで言われたのです。確かに腫瘍マーカーPSA値は41.8(正常値3以下)と高く、MRIの画像では右骨盤の半分にがんが広がってるのが分かりました。先生からは、治せないけれど延命のためといったところでしょうか。『ただちに入院して放射線治療をしていきましょう』との提案がありました。

 IMG_1333_SP0000.jpg実は、余命宣告にショックを受けることはありませんでした。私は、ぶどう農園を営んでいます。4月からその年の手入れを開始したばかりで、頭の中はぶどうのことでいっぱい。自分のことを考える余地など無かったのです。

そこで『入院するのはぶどうの収穫が終わる10月まで待ってください』と申し出ました。すると先生は黙り込んでしまわれて。『もう勝手にせい』ということだったのでしょうね。

その後、カテーテルを装着したまま、農園で5日間働き続けました。外してみてさらに5日間過ごしました。でも再び排泄が出来なくなり、カテーテルのお世話にならざるを得ませんでした。その際、自分なりに考えてデポカボチャの種を7日間食べることにしました。1か月分の目安量を1週間で食べました。7日目にカテーテルを外してから自然排泄が出来るようになり、その後カテーテルを必要とすることは二度と無くなりました。

 5月に入ってもPSA値は43.9と高いまま。6月に入って心配した義弟が私のもとにやってきました。そして、『こういうものがあるらしいよ』とパソコンを開いて見せてくれたのです。それが日本冬虫夏草でした。

 6月21日の晩に前出の先生とは異なる、カテーテルを管理してくれていた先生から突然電話が入りました。『MRIより精密なMRSという機械が入ったので検査に来ませんか?』というお誘いです。22日の晩は病院に泊まり、23日に検査を受けることにしました。日本冬虫夏草を飲み始めたのは検査前日の朝からです。病院に持参して検査の直前までちびりちびりと飲み続けました。一日半で875ccは飲みました。

 

骨転移が消失

 結果は驚くべきものでした。MRSでは異常はどこにも見つからず、あの骨盤の影がきれいに消えていたのです。農園ではその頃既に秋の収穫予想が出ていました。ぶどうの小さな粒が育ち始めるからす。

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この年は例年になく素晴らしい稔りになると確信出来ました。私は、長年慈しみ、苦楽を共にしてきたぶどうの木が助けてくれたのだと思いました。あのまま入院して放射線治療をやっていたら農園にも体にも良い結果が得られたのだろうか。運命とは不思議なものです。

その日は経口のホルモン剤(錠剤)を受け取って帰宅しました。服用後、途端に体調に変化が現れました。体がだるくなって力が出ないのです。剪定が出来なくなってしまいました。ホルモン剤は10日服用して止めました。

 

がんが消失したと診断

7月のPSA値は6。8月は2.6。9月は2.5と下がり続け、正常値に落ち着きました。9月のMRS検査と生検でも異常なし。がんは消えたままです。翌年2006年3月のMRI、MRS、生検でも変わらず異常なしでがんは消失したと診断されました。それでもホルモン治療はついて回りました。注射を3か月に一度のペースで3年間打ち続ける提案です。やってみるとこの副作用にも再びがっかりさせられました。体が太って疲れやすくなり、仕事に支障をきたすのです。だから断ったり延期したりの繰り返し。経口のホルモン剤の処方箋を受け取っても薬局に寄らずに帰ったりもしました。

(薬によっては自己判断で止めると危険なものもあります。医師、薬剤師に相談が必要です) 

ホルモン剤が体内から抜けると体がしまり、力が出るようになります。収穫の最盛期にはそうでなければやっていけません。

 PSA値には波がありました。安定していた数値が、仕事に精を出し過ぎると上昇するようでした。その都度生活改善を試みました。作業の合間に必ず昼寝を取り入れて習慣にしたり、長い間飲み続けていた薬を止めることもありました。実は、メニエール症候群の薬と肩こりの鎮痛剤を5年間飲み続けていました。それより若干短いのですが、睡眠薬も常用していました。2007年の7月に全て止めました。そして、止めたからといって、困ることは無かったのです。薬によっては自己判断で止めると危険なものもあります。医師、薬剤師に相談が必要です)

2008年4月にPSA値が41.28まで跳ね上がったことがあります。すぐに骨シンチ検査、CT検査を受けましたがどちらも異常無し。この時は大人しくホルモン注射を受けました。日本冬虫夏草の量を増やして飲みました。翌月検査をすると、15.76まで下降していて、『がんは何処にもないから心配いらないよ。ましてがんがあったらマーカーはこんなふうには下がんないから』と言うのです。そして、『何か飲んでるの?』と初めて聞かれました。『何も飲んでない』と答えても良かったのですが、『日本冬虫夏草を飲んでいます』と打明けました。すると『漢方薬で前立腺がんが治ることはないよ』と言われました。

 その後も日本冬虫夏草は続けました。2か月の命と言われてからはや7年が経ちました。力仕事を変わらずこなせています。有難いことです。周囲の人達は私の顔を見て、『色つやがとてもいいね』とも『10歳~20歳は若く見えるよ』とも言ってくれます。 

  『定年退職して、暇になったから人間ドックでもやってみた』という話をよく聞きます。病気を未然に防いでラッキーな人もいれば、その逆の人もいます。がんが見つかってくよくよ悩み続ける人はことさら深刻です。なにせ考える時間が有り余るほどあるのですから。精神状態は免疫力を左右します。落ち込んで免疫力が低下すれば治る病気も治りません。

私には夢中になるものがあり幸運でした。私の心はいつもぶどう農園にあり、研究と改良を重ね、毎年毎年、上を目指した質の高いぶどうを作っていくことに生き甲斐を感じています。アルギット農法はそのために取り組んだ栽培技術で、ノルウェーの海でたくましく育った海藻でミネラル豊かな土壌を作ります。

2011年は、申し分のない出来ばえでした。今までにないほど高い評価も受けました。これまでぶどうの食べなかった孫がパクパク食べいたのですから間違いないのでしょう。これだからぶどう作りは奥深くてやめられない。夢中になってしまうのです」

                                                                 2012年5月29日のお話より

 

                     【  経     緯  】

2005年4月13日  排尿困難のため病院で検査。

            4月14日  末期の前立腺がんと診断。
                              PSA値は41.8、骨盤にも転移。
                              2か月の命と告げられる。

            5月            デポカボチャの種を7日間食べる。
                              自然排泄に戻る。
                              PSA値は43.6。

            6月22日  日本冬虫夏草を飲み始める。
                              検査直前まで875ccを飲む。

            6月23日  MRS検査、異常なし。
                              骨盤への転移も消失

           9月              PSA値は2.5。            
                              MRS、生検、いずれも異常なし。

2006年3月            MRI、MRS、生検、いずれも異常なし。
                             がん消失と診断される。

 

 

 

 「暑い日が続いていますが、元気にしております。病院の先生もこれまでの私の経緯に『不思議だなー。不思議だなー』としきりに首をかしげています」

2012年7月21日のお話より

 

「お陰様で今年も美味しいぶどうが出来ました。お召し上がりください」

2012年9月2日のお手紙より

 

 丸々と稔ったぶどうにお手紙が添えてありました。早速、一粒口にすると、目の覚めるような美味しさです。ジューシーで濃厚、最高にバランスが整った奥深い味です。このようなぶどうは、正直、店頭ではまずお目にかかれません。同じ品種でも作り手によって全く味が違うのですね。須田さんの並々ならぬ情熱と愛情がダイレクトに伝わってきました。

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 「余命2か月と宣告されてからもう8年です。毎年変わらずぶどうを作り続けてきました。32歳の時から50年以上ぶどうの生産組合長をやっています。私のところには、若手の組合員がさまざまな悩みを抱えて相談に訪れます。帰る時は、前向きになって元気な顔つきに変わっています。『心が豊かになる』と言ってくれる部下もいます。私はあえて、今生きてぶどう作りをしていることが奇跡だという8年前の話をするのです。すると、皆、『自分の悩みは大したことじゃないな。へこたれてちゃいけないな』と思ってくれるようです。今年のぶどうを送りました。召し上がってください」

2013年9月2日のお話より

 

 

 須田さんが育てた見事なぶどうが届きました。今年もご馳走様です。余命2か月の宣告から10年の歳月が過ぎたそうです。

2015年8月24日のお話より

 

 「今年5月、作業中に転倒し、頭を打ちました。1か月して病院で検査をしますと背骨にヒビが入ってるとのこと。そのまま入院となり、45日間ベットの上におりました。リハビリをして、現在は杖無しで歩けるまでになりました。前立腺の方は心配なく推移しています。86歳になりました」

2016年7月26日のお話より

 

 「先日、医師から『前立腺がんの患者さんの余命は7年くらいです』と聞きました。私は11年経ちました。この頃は、家の中は杖なしで。外出する際は念のため、杖を使うようにしています。食欲もあり元気です」

2016年11月19日のお話より

 

 「ついにぶどう作りからの引退を決めました。そうゆうわけで長い間酷使してきた体を労り、この春はのんびりゆったり過ごしています。元気でおります」

2017年4月8日のお話より

 

花田一郎さん(仮名)の場合

000065-a.jpg 63歳になるまで、これとした病気もなく、元気に過ごしてきましたが、2004年12月の検査で、腎に嚢胞が見つかり、嚢胞の中からガン細胞が検出されました。(※嚢胞(のうほう):液体を内容として壁に囲まれた袋状の腫瘍。臓器の中などに発生する)

 医師には『本当にガンかどうかは開腹手術をして、嚢胞の組織を検査してみなければわからない』と言われました。

 今までそのような自覚症状無かったのですが。その結果を受けて2005年1月、健康が第一と考え、入院する準備を始めました。

 ところがちょうどそのとき、息子から日本冬虫夏草のことを聞いたこともあって、翌2月から日本冬虫夏草を飲み始めました。入院は中止しました。

 そして、自分でできることはしようと思いアルコールを控えたり、ストレスなくリラックスして毎日を過ごしたりと、健康に気をつかうようになりました。

 それから4ヶ月後、2005年6月に前回と同様の再検査がありました。ガン細胞がまだあるのではないかとちょっと不安はありましたが、今までの自分がしてきたことに自信を持ち、明るい気持ちで病院に出向きました。検査の結果は異常なし。良かったなという気持ちでいっぱいでした。このまま日本冬虫夏草は続けていくつもりです。

2005年8月のお便りより


【経   緯】

2004年12月
検査で嚢胞ガンのおそれがあるとの診断。
2005年1月
手術入院の準備をする。
2005年2月
日本冬虫夏草を飲み始める。
入院を中止する。
2005年6月
再検査の結果、異常なし。


000065-b.jpg 「今年は例年より暑い夏でしたが、父は夏バテも無かったですし、夏の疲れも出ることなく『この頃は以前よりとても調子がいいよ』と言って秋を満喫しています。『手術をしなくて良かったよ』とも言っていました」

 

 

2005年11月17日 息子さんのお話より

「その後定期的に検査をしていますが、異常はありません。CT検査でも問題ありません。再検査で異常なしの結果が出てから無事に2年が経ちました。日本冬虫夏草は今も続けています」

2007年7月21日 奥様のお話より

「主人は最近、卓球にはまっています。ボーリングもやっています。若い頃、スケートをやっていたことがあって、『スケートをまた始めようかな』とも言っています。食欲は旺盛です。食事はカロリーの少ない和食中心で、お肉はめったに食べません。とにかく元気いっぱいといったところです」

2007年12月19日 奥様のお電話より

「主人はクラシックギターのレッスンに通っています。これまで独学で弾いていたのですが、プロの先生について基本から学びたいということらしいです。いつも前向きな人です。元気にしております」

2008年5月28日 奥様のお電話より

「ガン細胞が見つからず異常なしと診断されてから3年半経ちますが、主人は本当に元気にしております」

「ガン細胞が見つからず異常なしと診断されてから4年半経ちますが、主人は本当に元気にしています」

「この度の血液検査では気になっていたコレステロール値も血圧も正常で、言うことなしの満点。食事はお魚と野菜が中心です。お肉は食べたくないようです。心掛けているというより、食べたいものを食べたらこうなりました。日本冬虫夏草は変わらず飲んでいます。ガン細胞が見つからず異常なしの診断から無事に4年半が過ぎました。クラシックギターも楽しんで続けております」

2009年12月22日 奥様のお電話より

尾原正芳さんの場合

 「C型肝炎ウイルスに感染したのは19歳の時でした。肺結核を患いましてね。手術の際に受けた輸血が原因なんです。肺結核の方は完治しまして、10年間は何事もなく過ごしました。

 30歳になって、肝機能の検査データに異常が出始めた時、『A型肝炎ウイルスでもなければ、B型肝炎ウイルスでもないね。それでも確かに何者かが住みついてますね』という非A非B型という診断をされたんです。まだ世の中でC型ウイルスが発見されてなかった頃ですからね。C型ウイルスと確定されたのはそれから15年後の1992年のことです。


000052-a.jpg C型のキャリアーとわかってから長野県に転勤になり、単身赴任を余儀なくされました。茨城の自宅は新築したばかり、子どもたちは受験を控えていて経済的にも一番きつい時期でもありました。

 1996年初夏。とうとう肝臓に2センチ大の腫瘍が発生しました。患部は手術によって切除されましたが、これが1回目の手術となります。以前からインターフェロンの勧めはありました。でもうつ病等、精神的な副作用も出るきつい治療というでしょう。単身赴任の身の上であったし、避けて通ってたんです。

 手術から3ヵ月して、やむにやまれずインターフェロンの投与をスタートさせました。皮膚に薬疹が出て、痒みに悩まされましたが、私の場合はC型ウイルスの中でもインターフェロンが効き易い2b型ということで、3ヵ月でウイルスは陰性になりました。ウイルスがいなくなってもすでに肝細胞のあちこちが傷ついてるということなんでしょうね。手術から1年後に再び肝臓の5ヵ所に腫瘍が現れました。妻の勧めもあって、日本冬虫夏草を飲み始めたのはこの直後のことです。

 2度目の手術は10時間以上を要しました。朝8時に病室を出て戻れたのは夜中の12時。『手術はこれが最後。3度目はできないよ』と言われました。そんな中、不思議なことが一つありました。切除した5ヵ所のうち3ヵ所からガン細胞が全く見つからなかったというのです。大変な手術だったにもかかわらず、傷口の治り具合も前回より早いように思いました。

 このとき、同じように入院して手術をされた方が3名おりました。ところが1~2年の間に全員亡くなられたそうです。それを知ったときはとても残念で、手術だけでは不十分なのかなと思いました。

 その後もミリ単位~数センチ大の腫瘍が1年ごとに発生しますが、その都度、肝動脈塞栓術、エタノール注入、放射線治療で対応し、仕事を続けながらその場を切り抜けてきました。

 ところで、塞栓術では抗ガン剤も使用されますが、約2週間の治療の間、副作用がとても少なく、スケジュール通りの治療ができたことに主治医もビックリしていました。妻は『仕事の代わりはいくらでもいるんだから休んじゃえばいいのよ』と言っていましたね。私は典型的な仕事人間で帰宅するのはいつも10時~11時。結婚当初からそうでした。たまに8時、9時に帰宅したものなら子どもたちから『お父さん、今日は早いけどどうしたの?』と不思議がられる始末です。妻はせめて単身赴任がなかったら発ガンは避けられたのではないかと思ってたようです。 
 

病院の治療を一切やらずに消失

000052-b.jpg 2001年6月。5~6ミリ大の腫瘍がまたしても現れました。そして、『3ヵ月後に再検査して、それから治療しましょう』ということになったのです。その頃私は、単身赴任から解放されて、いいかげんだった食生活を妻の考案した健肝食にガラリと変えていました。無農薬野菜、玄米、自家製のシジミエキス、ゴマ等の種子類、海草類です。肉は1ヵ月に1回食べるかどうかです。また、一人の時と違って、家族と一緒ですと仕事上の責任や対人関係のトラブルからくるストレスもずいぶん軽くなるんですね。飲んでいた日本冬虫夏草の内容を変えたこともありました。

そうしたら3ヵ月してMRIで再検査をすると、『あれっ、この辺にあったのに見当たらないね』と言われて。あったはずの腫瘍がきれいに消えていたのです。この間、病院の治療は一切ありません。それからというもの、再発とは無縁で今日に至っています。私は、タバコとお酒は全くやりませんが、仕事中毒はやめられないようです。それでもストレス解消、日本冬虫夏草、妻の健肝食にささえられて再発しない記録をこれから先ものばしていきたいと思ってます」

朝日ウィル(北燈社)2002年4月16日号より

 

【経緯】

1966年 19歳
肺結核の手術。輸血あり。
肺結核は完治。
1977年 30歳
輸血から肝炎ウィルスに感染したことを知る。
ウィルスの型は非A非B型とされた。
1992年 45歳
C型肝炎ウィルスのキャリアーと確定。
1996年6月 49歳
肝臓に2cmの腫瘍。
9月17日
1回目の手術。切除。
12月20日
インターフェロン投与開始。
1997年3月
C型肝炎ウィルスがなくなり、陰性。
6月20日
インターフェロン投与終了。
9月2日 50歳
肝臓に5つの腫瘍。
「手術は最後、3度目はできないよ」と言われる。
9月6日
日本冬虫夏草を飲み始める。
10月7日
2回目の手術。
切除した5ヶ所のうち3ヶ所からガン細胞見つからず。
1998年〜2000年
その後も1年ごとに腫瘍発生。
肝動脈塞栓術、エタノール注入、放射線治療で対処。
塞栓術では抗ガン剤も使用するが、副作用がとても少なくスケジュール通りの治療ができたことにビックリされる。
2001年6月 53歳
5〜6ミリ大の腫瘍発生。
食事を健肝食に変更。
飲んでいた日本冬虫夏草の内容を変える。
9月
MRI検査で腫瘍消滅。
この腫瘍に限り病院の治療一切なし。

 


 

「腫瘍が消失してから再発なく5年8ヶ月が経過しました。仕事人間の主人も来年3月で定年を迎えます。元気でやっております」

2007年5月30日奥様のお電話より

 

「6年以上再発がなく、定年まで残り1ヶ月となった2008年2月。CT検査で2cmの腫瘍が見つかり、5月にラジオ波での治療を行いました。これはお腹を切る必要がなく、ラジオ波の熱でもって患部を焼く治療です。(エコー画像を見ながら)患部まで針を通す必要がありますが、痛みはなく、1時間で終了しました。

 時代とともにさまざまな治療法を試してきました。外科手術に肝動脈塞栓術(ガンの兵糧攻め)、エタノール注入に放射線照射。肝臓ガンの治療法は進歩を続けていて、ラジオ波は現時点で最先端の方法といえます。

 先生は『焼き残しがあるかな』と何度か言ってましたけど、2008年10月のCT検査ではきれいに消失していました。2009年1月末の検査ではγ-GTPの数値が高い以外は肝機能のデーターは全て正常、腫瘍マーカーも正常です。

 振り返ると再発の直前には必ず大きなストレスがありました。休日も携帯で呼び出されることは珍しくなく、休みなく働きました。2008年3月に定年を迎えてからも同じ職場に通い、仕事を手伝っていますが以前とは全く違います。責任が外れて精神的にずいぶん楽になりました。ようやく肝臓に良い環境となりました。

 先生からは『あなた2回死んでてもおかしくないよ』と言われています。仕事しながらここまでこれたのは、事あるごとに日本冬虫夏草が側にあったからでしょうか。今は不思議なくらい疲れないし、何の自覚症状もなく元気で働いています」

2009年2月1日のお電話より

 


小村幸子さん(宮崎県在住 1995年当時51歳)の場合

000046-a.jpg 「1995年の3月末のことでした。濃いワイン色の血尿が出たんです。ずいぶん前に尿管結石をやりまして、淡いピンク色の血尿が出たことがあったんですが、明らかにそれとは違ってて、何やら悪い予感がしたんです。それでも仕事は休めなくて。病院に行ったのは3日後のことでした。

 CT検査をすると片腎の中央にハッキリと影が映し出されていました。先生がガンという言葉を口にするより早く『先生、これは何センチぐらいのガンですか?』と私の方からお尋ねしたんです。すると『4、5ミリありますね。片腎を摘出する手術をした方がいいでしょう』と答えが返ってきました。私は、この事実をどちらかというと冷静に受け止めていました。というのも20年前に姉が乳ガンになり、それを克服。元気に暮らしている姿を見ていたからです。

 姉が乳ガンだと知った当初はかなりうろたえました。入院した姉を看病しながら、居ても立ってもいられず、自分がしてあげられることはないものかと必死に探しておりました。そして病室で読んだ『主婦の友』に矢萩先生を紹介した記事があって目に止まったのです。

000046-b.jpg すぐに当時住んでいた神戸から矢萩先生のところに向かいました。1975年12月17日のことでした。駅に着いたとき、雪が舞っていました。翌朝には妹さんの結婚式を控えているというのに、夜中まで私の話に付き合ってくださって。結婚式のことは一切おっしゃらなかったんですよね。それを知ったのは後になってからで、申し訳ないことをしたと思いました。先生のお母様からおみそ汁をごちそうになりましてね、具だくさんだったので驚きました。野菜をたくさん摂るための工夫だそうです。それ以来、我が家のおみそ汁も具だくさんになりました。

 姉にはサルノコシカケを術後すぐに飲ませました。治療はその後放射線を少しあてましたが、抗ガン剤等の薬剤は一切与えられませんでした。その後もサルノコシカケに日本冬虫夏草を加えながらずっと飲み続けてきました。

 さて、私の話に戻りますが、腫瘍発見の日から退院までを日を追って説明することにいたします。

 

【経   緯】
1995年3月27日 CT検査で初めて腫瘍が発見され、手術をすすめられる。
3月29日
<発見から3日目>
日本冬虫夏草を飲み始める。
<発見から5日目> 血尿が止まる。
<発見から8日目> 手術のため設備の整った別の病院に入院。日本冬虫夏草をこっそり持ち込む。
4月6日
<発見から11日目>
MRIで腫瘍を再確認。3人の医師から悪性だからと改めて手術をすすめられる。腎は片方あれば大丈夫と言われたが、両方あるにこしたことがない。 できれば切りたくないと思う。
<発見から12日目> 先生に頼んで何とか外泊許可をもらい帰宅。
<発見から13日目> 里心がついて病院には戻りたくなくなる。理由をつけて戻れないという電話を入れる。 日本冬虫夏草は1日に700cc〜1050cc。夜中にも飲む。夜中に飲んだ時は腎に染み込む感覚。日本冬虫夏草を胸腺に塗ったり、コンニャクハップで腎 を温めたり、病室でできないことも自宅では大胆にやれる。
4月12日
<発見から17日目>
このまま戻らないわけにもいかず、気を取り直して病院に戻る。CTとMRIで再度検査。するとあったはずの腫瘍がきれいに消失している。 日本冬虫夏草を飲み始めてから15日目。

 

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000046-d.jpg 先生が病室に検査のフィルムを持ってきましてね、『小村さん、不思議なんですよね。影がなくなっているんですよね』と首をひねっていらっしゃるんです。病院での治療はこれまで一切なかったわけですしね。血管造影検査をさせて欲しいとも頼まれましたが、痛いのや苦しいのは何よりイヤでしたから、消えてるんだし、そのまま退院させてもらいました。

 発病の原因を振り返るとオーバーワークにあると思いました。毎日10時間は立ちっぱなしで働いていましたし、責任あるポジションにいて職場のストレスもありました。食事もきちんと取れてなかったし、接客業ですから思うようにトイレに行けず我慢して、腎臓に負担をかけていました。体は声は出せないけれど、赤い血を出してやりすぎだよと教えてくれてたんですね。

 

 

 現在は退職してのんびりと暮らしております。姉と一緒に日本冬虫夏草は今も続けていて、最近は運動不足が気になって、ウォーキングを始めています。宮崎は今、桜が咲いて春本番といったところです」

朝日ウィル(北燈社)2002年3月19日号より

 

 

 

 「宮崎は厳しい残暑が続いていますが、元気でおります。再発なく今年で8年目を迎えました。 この度、結腸ガンの知人が人工肛門を免れました。手術で開いてみると患部が小さくなっていたそうです。手術前に日本冬虫夏草を飲んでいます」

2003年9月3日のお話より

 

 「今年は腎臓移植のスキャンダルが世の中を騒がせましたが、『腎臓は片方あれば大丈夫』と簡単に摘出を勧められた当時のことを思い出しました。間一髪で2つ残せて幸運でした。あれから今日まで私は11年、姉は30年、再発と無縁で暮らしています。日本冬虫夏草は現在も続けています」

2006年12月21日のお話より

 

000046-e.jpg 「私が庭で育てた日向夏を送りました。農薬を使っていないので皮もマーマレードにして食べられますよ」

2008年5月26日のお話より

 

 「宮崎も、今年の春は寒くてえんどう豆が不作です。大好物なので食べられないのがとても残念です。庭の日向夏の方は無事に実りました。お送りしますね。腎臓ガンが消失してから再発なく15年が経過しました。姉は乳ガンの手術から再発無く34年です。日本冬虫夏草とは長い長い付き合いになりました。今も傍らにおいて二人で飲んでいます」

                        2010年4月29日のお話より

 「早朝、新燃岳の大きな爆発がありました。空震も続いていて、火山灰がひどく、眼が痛いのには困りました。もちろん、空を仰ぐことも洗濯物も干せません。ここは避難勧告が出てないのでまだましですが、非難されて不自由な思いをされてる方々を思うと心が痛みます。1月は宮崎もずいぶん寒かったです。氷も張るし、霜柱も立ちました。例年だと、2日寒いと3日目がほわんと暖かいのに、今年はそれがありません。噴火が、窓やドアを開け放して暮らすようになる春までにおさまってくれるといいのですが...。ガンが消失してからこの4月で16年になります」

                                     2011年2月1日のお話より

 「暖かい日差しに恵まれ、姉と二人で窓を開けてドライブしました。今年初めてウグイスの美声を聞くことが出来ました。春を知らせるさえずりです。ガンが消失してからこの4月で18年になります」                     

2013年2月25日のお話より

 「宮崎の暑さは格別です。時々雨は降りますが、けっして涼しくはなりません。湿度が上がってサウナのようになるだけです。暑さとたたかってるような毎日です。農学者の小泉武夫先生は、『甘酒は飲む点滴です』と言っておられます。この夏、私は一旦沸かした甘酒を冷やして飲むのを習慣にしております。なんとか元気で乗り越えられそうな気がします。日本冬虫夏草も一緒に飲んでいます」

                       2013年8月23日のお話より

  「この頃は姉の介護しながら過ごしております。姉妹共々がんの再発とは無縁でここまでやってきました。海藻が大好きで三陸のワカメを毎日いただきながら過ごしております」

                       2017年5月21日のお話より

 

千葉トミエさん(当時80歳)の場合

000055-a.jpg 千葉トミエさんは、1993年8月、町の検診で胃にポリープが見つかりました。再検査してみると実は胃ガンとの診断。胃の全摘手術をすすめられました。
 

その時、お孫さんの結婚式を間近に控えてました。話し合いの結果、手術は式を終えてからとなったそうです。当時トミエさんは80歳。息子さんの 千葉廣 さんからお話を伺いました。

 「私は母に本当の病名を伝えることができませんでした。というのも母の兄弟4人がいずれも胃ガンで亡くなっていたからです。告知は本人にとって絶望的な話になります。ただ、兄弟と同じ治療をやったところで母も同じ道をたどるのではないかという思いがありました。手術はまだ先のことだし、全く新しい療法を試してみようと思いました。助けたい一心であちこち探しているうち、手にした週刊誌に日本冬虫夏草の記事を見つけました。そして早速試すことになったのです。

 身内にガンの人がいる場合、自分も遺伝しているのではないかと気になります。それまでガン細胞をきれいに掃除できていたはずが、行き届かなくなる年齢、つまり免疫装置が弱ってくる時期が巡ってくるのかもしれません。身内の病歴を参考にしながら、予想される発症年齢のせめて2年前から気を付けなければと思います。

 たとえば免疫を上げる食事療法や、よく眠ることを心掛ける。そのためには心配事は作れないし、寝ずに働くような生活も避ける。余裕のある暮らしに整えておかなくてはなりません。なかなか難しいことですけどね。免疫を上げてくれる決定的なものが側にあれば心強いです。


 日本冬虫夏草を飲み始めたのは8月22日からです。40日余りを経て、10月3日には孫の結婚式に普通に出席しました。それから4日後の10月7日に検査のため病院に行きました。

 すると、先生は胃カメラで胃壁を眺めながら言ったのです。『変だ、おかしい。確かにここにあったはずだ。影も形もない』。病院の治療は一切無いのにわずか1ヶ月半の間に患部が消失していたのです」

朝日ウィル(北燈社)1997年2月4日号より

 

         【経緯】

1993年8月  

胃ガンと分かる

8月22日
日本冬虫夏草を飲み始める。
10月3日
孫の結婚式に出席。
10月7日
胃カメラで検査、患部消失。

 

 


 「あの時、先生から『何かやりましたか?何か飲みましたか?』と尋ねられたのを覚えています。面倒を避けるため、『何も飲んでいませんよ』と答えています。何処を探してもガンは見当たらないし、特別な療法もやって無いと言うわけだから、『おかしいなー。へんだなー』と納得できないご様子でした。
 

 母はガンが消失してから11年目、今年で90歳になりました。腰は曲がりましたが、身の回りのことはだいたい自分でやっています。あれから再発もなく食事もしっかりとっています。000055-b.jpg
 5年程前に『実はあの時胃ガンだったんだよ』と本人に告げました。すると母は『あらそう』と言っただけで全く驚くことはありませんでした。今はもうそのことを忘れているのではと思います(笑)。100歳目指してこれからも元気でいて欲しいですね」

2003年10月4日息子さんの訪問より

 

 「母は、2007年の1月30日に他界しました。94歳でした。咳無し熱無しの肺炎でした。1ヶ月ほど入院しましたが、苦しむことなくすーっと旅立ちました。直前まで楽しく会話もしてたのです。母にも家族にも大変満足な最期でした」

2009年11月12日息子さんのお話より

田辺裕一さん(仮名)の場合

 「私は長い間、『病気とは無縁な人間だ』と思っていました。会社の健康診断ではいつも満点、言うことなし。たった一度だけ、単身赴任中に高脂血症(2007年に脂質異常症と改名された)の一歩手前と注意された時も、脂っこいものや魚卵類・鶏卵を控え、ウォーキングを続けることですぐに数値が正常値に戻りました。『タバコが止められなくたってそれくらいではびくともしない、他の人とは体のデキが違うんだ』という確固たる自信をもっていたのです。

000048-a.jpg 

 その自信が揺らぎ始めたのは60歳の時、2000年の暮れ、友人の送別会に出席した時のことでした。私はビールを飲みながら、話に夢中になり、長いことトイレを我慢していました。ようやく席を立ってトイレに行くと、おしっこが赤く染まっているのです。どういう色かといえば、郵便ポストの色。『ずいぶん酔っ払ったもんだな。こんなに眼がおかしくなっちゃって』と思い、天井のライトを見上げればそれはいつもと変わらぬ色。そこでようやく異変に気付きました。

しかし、血尿は翌日には治まっていて、その後かすかな出血が2日続いてそれっきり。病院で検査してもなかなか原因がつかめません。右の腎臓に豆粒ぐらいの腫瘍があると分かったのは年が明けた2001年1月19日のこと。右の腎臓から尿管にかけて全摘手術をすすめられました。それを知った兄は慌てて酵素という飲みものを抱えてやって来ました。精神的にずいぶん弱っていましたから兄の提案に勇気をもらい、酵素を飲み始めました。

 

 手術は2001年2月26日に行いました。細胞を調べると悪性度がレベル2で、最終的な病名は右腎孟がんとなりました。その後は3か月かけて3クールの抗がん剤治療を受けました。薬の副作用で髪の毛は若干抜けたものの食欲もそこそこで、術後の回復は早く、周囲を驚かせました。酵素飲料は6月まで続けていましたが、とても甘いものでしたし、検査で血糖値が高く出たため続けることが出来なくなりました。それと入れ替わるように同じ病室のお隣さんの話から、アガリクスの粉末を飲むことにしました。

入院中、主治医に『やっぱりタバコは止めた方がいいですよね』と尋ねたことがあります。すると『私も吸ってるから何とも言えないよ』という返事。そのまま毎日喫煙室に通い続けました。ちょっと前まで世の中はタバコには寛容で、病院の食堂でも患者さんが堂々と吸っていました。タバコを取り巻く環境がガラリと変わったのはここ2、3年のことと思います。2002年ぐらいからですかね。

000048-b.jpg

 

主治医は退院する際も、『お酒やビールは少しなら大丈夫。何を食べても構わないよ』と言ってくれました。それとは対照的に後に訪れた漢方薬局では、タバコはもちろんアルコール類はダメ、動物性の脂肪や肉類は止めて、穀類を中心とした食事にするなど厳しいアドバイスで、私はこの際できる限り摂生してみようという気持ちになり、主食は白米から、玄米を1/2と1分づきを1/2混ぜたものに替え、タバコは2001年8月13日にスッパリと止めました。

 

病院では、いずれ膀胱に転移することを想定してるようでした。そして手術から11か月後、膀胱に4個のポリープが現れました。電気メスで患部を切除し、抗がん剤を4クール膀胱内に注入する治療を行いました。続けていたアガリクスの粉末はこの頃に止め、煎じて飲む乾燥アガリクスと、13種類の生薬を組み合わせた漢方薬に替えています。その漢方薬は有名な政治家も飲んでいるとのことでした。松葉、クマ笹、朝鮮人参も飲み始めています。

 そしてそのポリープからわずか5か月後、今度は膀胱内にカリフラワー状の悪性腫瘍が見つかったのです。膀胱がんです。これは再発の間隔がだんだん縮まっていくという話を聞きました。なんとかこの間隔を伸ばせないものか。できれば再発の心配なく暮らしたい。そんな頃出会ったのが日本冬虫夏草でした。

朝日ウィル(北燈社)2005年11月8日号より

 

【経   緯】
1997年
人間ドックでC型肝炎ウィルスのキャリアーだと知るが、たいしたことではないと思ったし、自覚症状もなく、以降手術をするまで全く忘れて暮らすこ とに。
2000年
12月20日
友人の送別会に出席、血尿が出る。
12月21日
血尿止まる。
12月22日
かすかに血尿。
12月23日
かすかに血尿。それ以降血尿なし。
2001年
1月19日
右の腎臓に豆粒大の腫瘍見つかる。
1月28日
酵素飲み始める。
1月30日
入院。
2月26日
右の腎臓から尿管まで全摘手術。術後、抗がん剤治療4クール。
3月15日
細胞検査の結果出る。腫瘍はレベル2の悪性で、病名は右腎孟がんとなる。
6月21日
血糖値上昇。酵素止める。アガリクス粉末を飲み始める。
6月30日
退院。
8月13日
タバコを止める。主食を玄米1/2、1分づき1/2の混合米にする。
2002年
1月
膀胱にポリープ4個現れる。
2月4日
電気メスで手術。
2月23日
漢方薬(13種の生薬)を飲み始める。
3月16日
アガリクス粉末止める。
3月17日
乾燥アガリクスを煎じて飲むものに替える。
3月22日
松葉、クマ笹、朝鮮人参を飲み始める。
6月20日
膀胱がんが見つかる。
6月24日
日本冬虫夏草を飲み始める。

 

 「膀胱がんの手術は2002年7月1日のこと。カリフラワー状の腫瘍をひとつ電気メスで切除しました。その後BCGを膀胱内に注入する治療を受けています。これは計6回の注入で、1回終わるごとに7日間の休みを入れてひと月半かけて行うのです。事前に、主治医からは『この治療のリスクは、耐性を持ったがん細胞がしばらくして出てくるという可能性があることです。このたちの悪いがんが現れたら大変です』という話がありました。ただ、排尿痛や白血球上昇といった治療中の副作用は全く現れませんでした。日本冬虫夏草は手術の前から飲み続けていました。煎じて飲む乾燥アガリクスと漢方薬、松葉、クマ笹、朝鮮人参はそのまま継続していました。

000048-c.jpg 手術と治療を終えて退院してから、リフレッシュするつもりで玉川温泉に出かけました。そして3日間のんびりと過ごしました。森林浴もできました。再発のことなど考えないで暮らせたらどんなにいいだろうと思いましたが、主治医は私以上に再発が念頭にあるようでした。検査も頻繁にありますから病気のことを忘れる時間がありません。
  

 その後は2年余り再発なく過ごしました。途中、ゴマ粒ぐらいのイボが出たり、ポリープが現れたりはしたもののいずれもがん細胞が出てくることはなく、そろそろがんとは縁が切れたかなと思い始めた矢先のこと。2004年8月12日、短い縫糸のようなものが現れ、とうとうがん細胞が見つかったのです。9月には、波状放射状に急速に広がっていく、悪性度が最高レベルであるグレード3の膀胱上皮がんと診断されました。前回の腫瘍はつまめば取れるものでしたから、横にどんどん這っていく今回のものとは人相がまるで違います。

 

病院の治療を一切やらずに膀胱がんが自然消失

 治療法をどうするか、じっくりと話し合うことになりました。私は、2002年にポリープ切除後、抗がん剤を注入し、5か月後に膀胱がんになっているので、その頃から『抗がん剤の治療はもうやりたくない』と断っていました。BCG注入後も、結果的このようになっているので、それも選択しにくい。そうなると膀胱そのものを摘出する手術しか残っていません。乾燥アガリクスや漢方薬も止めていましたし、もう何もかも頭にきて日本冬虫夏草も止めようと思いました。
 それでもキッパリ止めてしまう前に、種類の全く違う日本冬虫夏草のCY16番を、これまで飲んでいた知名度の高いCY11番に加えて飲んでみようという気持ちになったのです。日本冬虫夏草は国内に350種以上生息するといわれています。松葉、クマ笹、朝鮮人参も続けることにしました。手術まで2か月あります。その間、病院の治療は一切ありません。

 2004年12月13日、膀胱の摘出手術を行いました。摘出部はすぐに細胞検査にまわされました。そしてその結果は驚くべきものでした。どこを探してもがん細胞が見つからないというのです。探しても探してもどこにも無いということです。それから検査は続けてますが、がん細胞がどこかに現れるということもありません。
 そもそも発がんの原因は何だったのでしょう。思い当たるのは長年の喫煙です。1日25本、40年間休まず吸い続けてきたのです。タバコを止めたからといって、すぐに発がんのリスクが消えるものでないのも分かっています。ただ仕事の面では週に2日ほど職場に出かける程度ですから、ここ5年間は無理をせず、のんびり暮らせたのはとても良かったと思います。食事は、自家栽培の野菜をたくさん食べるようになりました。農薬をほとんど使用せず、有機肥料を使って20種類ぐらいの野菜を楽しみながら作っています。

 笑うと免疫力が上がると聞いて、コメディ映画やお笑い番組を見たことがありますが、どうしても笑えない。時代劇や西部劇のような痛快活劇の方が気持ちがスカッとして私には合うのも分かりました。心にためたりしないで言いたいこと、質問したいことを病院側にズバズバ言いました。注射が得意でない医師がいれば、『ヘタクソ、自分達で練習してから出直してこい』なんて言ったこともあります。我慢して陰で文句を言っている患者さんがよくいますが、これはお互いの為にならないと思うのです。そんな私にも病院のスタッフの皆さんはいつも親切で、丁寧でした。面倒な質問にもとことん答えてくれました。注射のヘタだった先生も、仲間内で練習していました。その先生が数年後には偉くなって戻ってきたのは、ちょっと予想外のことでした。

000048-d.jpg 2005年のお正月は、大きな手術の後だけあって、養生の為、子供や孫達に遠慮してもらって妻と二人だけで過ごしました。手術では、膀胱を取り出して小腸の一部を膀胱の替わりにしました。それは月日とともに体になじんできてますが、排尿の回数はまだ多くて不便もあります。本来の膀胱がある時と完全に同じ様には戻らないのもいたしかたないことです。がんが消失してから何事も無く、1年が経ちました。来年のお正月は子供や孫たちがやってきて、いつものように賑やかな正月となりそうです。
 引き続き、体に溜めてた毒を出し、新たに体に入れないよう食事でもって浄化に務めています。松葉、クマ笹、朝鮮人参と日本冬虫夏草は現在も続けています」

朝日ウィル(北燈社)2005年12月13日号より

 

【経   緯】
2002年
6月24日
日本冬虫夏草を飲み始める。
7月1日
膀胱がんの手術。その後BCGの治療。
7月17日
乾燥アガリクス止める。
10月15日
テレビモニターで膀胱内壁を見る。手術跡も消え、なめらかできれい。日本冬虫夏草は飲む量を減らす。
2003年
3月20日
膀胱の入り口が赤く腫れる。細胞検査をするが問題なし。
6月29日
手術から1年。日本冬虫夏草の量をさらに減らす。
8月15日
同じ漢方薬を飲んでた政治家が肺がんで世を去ったことを知る。その後、漢方薬を止める。
9月4日
ゴマ粒ぐらいのイボが現れる。細胞検査するが問題なし。
12月19日
日本冬虫夏草の量を増やす。
2004年
1月15日
3つのポリープ現れ、手術前
1月26日
血液検査、HCV(C型肝炎ウィルス)抗体陽性。3つのポリープ切除。
8月12日
短い縫糸のようなもの現れる。がん細胞見つかり、膀胱がんの手術から2年余りで再発。血液検査、 HCV(C型肝炎ウィルス)抗体陽性。
9月10日
通院で縫糸のようなもの切除。
9月13日
波状放射状に広がる進行の速い、悪性度が最高レベルのグレード3のがんとわかり、膀胱上皮がんとの診断が下る。
10月14日
これまで飲んでたのは日本冬虫夏草の中のCY11番という種。種類の違う日本冬虫夏草のCY16番を加えて飲み始める。
12月3日
血液検査、HCV(C型肝炎ウィルス)抗体陽性。
12月13日
膀胱摘出手術。がん細胞はどこにも見当たらず、消失。

 

 「なかなか簡単にはいきませんが、病気を治す環境を作るとしたら、心を解放することと、夢を持つことのように思います。

000048-e.jpg 私にとって心休まる場所がどこかといえば、森の中といえるかもしれません。森林組合が行ってる事業に山林オーナー制というものがあります。住まいの近くに1haの山林を区分し、一般の人に貸し出してる場所があり、私は年2万円の契約料で300坪の山林オーナーとなりました。

 木を伐採してもいいし、小屋を建てるのも自由です。そこでナラの木を切ってキノコ栽培を始めることにしました。10年かけてキノコの森に育てていくつもりです。
 森の中は、心が穏やかになり、免疫力が高まるように思います。そして自然の中で育った採れたてのキノコを食べ、さらに元気をもらうつもりでいます。私の夢も広がります」

000048-f.jpg 森の中を散策することは、病気を防ぎ、健康を保つ効果があるとして、自然療法の1つとして確立され、健康保険の中に組み込んでる国があります。森林療法セラピーの先進国はドイツです。日本でも森林の効力を軽視できなくなり、林野庁等によって全国31カ所の候補地の中から『森林セラピー基地』の選定が始まりました。
「2006年2月16日に、血液、尿、レントゲン、CT検査を行いました。レントゲン検査は、結核の検査で使用している簡単なものではなく、全身を写せる大がかりなものです。

 

(1)あおむけにレントゲン撮影
 ↓
(2)造影剤投与
 ↓
(3)CT撮影
 ↓
(4)再びレントゲン撮影の行程 で行いました。

 


 

 1か月後、その結果を聞きに行きました。どこにも異常は認められず、何も心配ないとのことでした。この冬も一度も風邪をひくことなく、元気で過ごせました」

2006年3月20日のお話より

 

 「2004年12月の手術から再発、転移もなく、2年半が経とうとしています。5年を目標にしていますので、折り返し地点にちょうど立ったところです。その最後の手術からは、日本冬虫夏草は量を減らさず毎日続けてきました。キノコの森作りは着実に進行していまして、ナメコ、シイタケ、マイタケの植菌を済ませ、この秋初めての収穫となります」

2007年5月12日のお話より

 

C型肝炎ウイルスが自然消滅

 「1997年に人間ドックに入って血液検査をした時、C型肝炎ウイルスに感染していることを知りました。いつ感染したのかは不明です。たいしたことではないと思ったし、それまでも、それ以降も自覚症状は全くなかったものですから、すっかり忘れて暮らしてきました。

 でも2002年の膀胱がんの手術日には、手術の順番が最後に回され、C型肝炎ウイルスのキャリアーだったことを思い知らされました。私を最後に手術するのは他の人に感染させないようにという病院側の配慮だったわけです。

 ところが2006年の夏の人間ドックで、ウイルスが陰性と出て、2007年の夏にも同様の検査で陰性と出たのです。内科の医師は『こんなことはめったにないことだなぁ』と信じられない様子でした。ワンランク上の定性分析検査を行いました。現在のところこれ以上精度の高い方法はないそうです。その結果が出てきまして、やはりすべて陰性ということでした。そのデータをお送りします。膀胱がんの手術でがん細胞が消失しているのを確認してからまもなく3年が経とうとしています。食事療法をしながら、松葉、クマ笹、朝鮮人参と日本冬虫夏草は今も続けています」

2007年10月15日のお話より

 

田辺裕一さんのHCV抗体検査の推移

検体(血液)採取日
HCV(C型肝炎ウイルス)抗体
 
1997年日付不明
陽性
人間ドック
2004年1月15日
陽性
手術前検査
8月12日
陽性
手術前検査
12月3日
陽性
手術前検査
2006年8月10日
陰性
人間ドック
2007年8月6日
陰性
人間ドック
9月18日
陰性
最終確認

 

 

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 「再発なく無事に4年が経とうとしています。手作りのキノコの森でなめこを収穫しました。稔りの秋を楽しんでいます」

2008年11月4日のお話より

 

 「2月3日のCT検査でも異常なし、2月10日の血液検査と膀胱鏡検査でも異常なしでがん細胞の消失から何事もなく無事に4年2か月が経ちました。日本冬虫夏草も変わらず続けています」

2009年2月12日のお話より

 

 「がんを経験し、自分の健康を考えた時、自分の口に入る野菜は自分で作ろうと思いました。虫が付いてもいいから無農薬で。野菜作りをするようになって毎日張り合いと楽しみが生まれました。この気持ちが免疫力を高めるのに一役かってくれてるようです。
退職して『今日は何をしていいかわからない』という人がいます。それはもったいないことだと思います。野菜作りは今日はこの作業、明日はこの作業、と次々とやることが出てきます。
でも年齢とともに手入れする面積を縮小することが必要と思っています。同じようにやり続ければ必ず無理をします。それでは健康のために始めたのにもとも子もありません。
 12月13日で膀胱がんの消失から5年、C型肝炎ウイルスの自然消滅から2年、何事もなく過ぎました。腎盂がんや膀胱がんは克服したといって良いでしょう。病院からは、検査の間隔を2倍に延ばされました。今後は日本冬虫夏草の量を1/2に減らして続けていくつもりです。ますます元気に過ごしております」

2009年12月29日 のお話より

 「私ががんになった時、友人達は病気に無縁で元気そのもの。うらやましいと思ったものでした。それからというもの私は健康のために努力を続けてきました。今は、痛いところも悪いところも何もありません。幸せな毎日です。一方、元気だった友人達は皆、体のあちこちが悪いとボヤいています。彼らは体に自信があって努力するきっかけが無かったのでしょう。努力の差は長い年月をかけるとはっきり出てくるものなんですね。毎日の努力の積み重ねとはこわいものです。

 膀胱がんの焼失から5年半、C型肝炎ウィルスの自然消滅から2年半、再発なく元気に経過しました。日本冬虫夏草は今も続けています」                                      

2010年6月22日のお話より

 「この度の検査でどこにも異常が無く、この12月で膀胱がんの消失から7年が経とうとしています。C型肝炎ウィルスの自然消滅からは4年が経ちました。この頃は年に4回の検査を続けていましたが、『これからは、年に1回(CT、膀胱鏡、血液検査、尿検査)にしましょう』と言われました。来年の9月13日に予約を入れてきました。

 無農薬、有機肥料の野菜作りを続けています。食べてくれる友人達は『甘くて、特別旨いよ!』と絶賛してくれます。孫達も野菜嫌いの者はおらず、バクバク食べてくれます。私の食生活は完全和食です。お肉は滅多に口にしません。それでも鶏肉だけはたまに食べます。薬を使わない採れたての新鮮野菜と完全和食が、私に正常な細胞1コ1コを作ってくれてると思っています。日本冬虫夏草も続けています」

2011年10月1日のお話より

 

胃がんの再発がストップ

 「2年続けて胃壁にがん細胞が見つかり、2012年8月と2013年10月に削り取る手術をしました。2012年の2月にはすでにピロリ菌の除菌は済ませていました。

 冬虫夏草属の胃がん細胞に対するスクリーニングの結果が出てきたのは2013年に入ってからです。日本冬虫夏草CY157番が胃がん細胞に選択的に働いたというものでした。これまで飲んでいた日本冬虫夏草の一部をCY157番に切り替えることにしました。2014年の秋と2015年の秋の検査では異常無しで、再発無く3年目を迎えています。

 耳鼻咽喉科の先生に聞いたところ、タバコをやめてもその影響は長く残るということらしく、肺の場合は一生だそうです。他の臓器は、禁煙してから15年経てば、吸ってない人と同じになるそうです。私が止めたのは、2001年8月13日のことでした。

 さて、今年も野菜作りを元気に続けていますが、畑をやっていると思わぬ窮地に陥ることがあります。自分にとってどの辺が限度なのか分からなくなってくるのです。作物の種類がどんどん増え、耕作地も広げ、収穫した野菜を親しい人に配れば、大層喜ばれるものですからますます没頭していきます。特に夏場、天候が悪くても作業をし、体力を擦り減らすようになります。

 限界はどこで見極めればいいのでしょうか?朝の目覚めが悪い場合や体重が増えてないのに体が重く感じて機敏な動作に苦痛が伴うようになったら、そこで悟らなくてはなりません。

 後期高齢者といわれる75歳が節目かなと思います。農作業の一つ一つがスローペースになっていくのを実感し、一畝を作るにしても3度の休憩が必要となりました。持久力がなくなるのですね。

 そしたら思い切って縮小するのです。私はいよいよとなったと感じ、『体力が持たなくなりまして、来年は期待しないでください』と最後の野菜を届けて回りました。

 今は、夫婦二人が食べる分だけ育てております。畑は小高い山間地にあり、これといった作業の無い日にも出掛けていきます。そこには一本の大木があり、その木陰に腰を下ろして風にあたります。真夏でも涼しく、とても心地よい風なのです。エアコンの風とは全く違います。澄んだ空気が体に入ってきます。こんな時、この素晴らしい自然環境に自分は守られているのを感じずにはいられません。

 畑の恩恵は様々ありますが、血液検査は満点で、薬を飲むことは一切無くなりました。

 日本人の高齢者が寝たきりになる原因は認知症、脳卒中、転倒・骨折の3つが大きな比率を占めるそうで、起きてから寝るまで一日の合計歩数が8000歩、その中に早歩き20分が組み込まれていれば多くの病気を予防出来、寝たきりも防げるとされています。私の一日の歩数は約7000歩になります。畑までの傾斜地を登り下りするので8000歩の効果は出ていると思っています」

2016年9月21日のお話より


 

片山茂さんの場合

000081-a.jpg  「始まりは1994年の前立腺炎からだったように思います。その時はひと月入院して薬で治療したわけですが、退院する際、病院側から今後のことをとりたてて警告されるわけでもなかったし、自分自身も病気の原因を振り返ったり反省することもありませんでした。退院できる喜びだけで、その後も以前と変わらない暮らしに戻り、忙しい仕事の現場に復帰しました。


 それから2年後の1996年1月12日。突然排尿困難になり再び病院を訪ねることになりました。そして組織検査で、今度は前立腺がんと診断されたのです。腹部にメスを入れて前立腺からリンパ腺まで摘出し、人工肛門をつくる大掛かりな手術を薦められました。その後、念のため病院を変えて細胞検査を2回行いましたが、いづれもクロでした。

 ガンと聞いて即座に命はないと思いました。でも何ていうんでしょう。根っからプラス思考が強いというんでしょうか、『ちょっと待てよ。がん即、死と考えてしまうのは狭い知識のせいではないのか。どこかに治す方法は必ずあるはず』と頭を切り換えることにしたのです。

 私はそれまで尿管や尿道の位置さえ分からず、前立腺の役割さえも知りませんでした。つまづいてしまったけれど、これから先の健康のためにも、この病気を知識を得るチャンスに変えようと思うことにしました。入院するにあたって、夜遅くまで本を読んでも周りに迷惑をかけずに済むようにと個室を希望しました。そしたら1ヵ月以上先まで空きが無いと言われて、それまで自宅で待機することになったのです。

 日本冬虫夏草を飲み始めたのはこの頃からです。妻が銀行で順番待ちをしている時、たまたま開いた週刊誌に日本冬虫夏草の記事を見つけたのがきっかけです。そして以前から加入していたガン保険がすぐに降りてきました。ほかの保険会社の給付金がプラスされて、数ヵ月はたとえ病院の最高級の特別 室を借りたにしてもあり余るほどの経済的余裕が生まれたのです。仕事を休んで情報収集を続けました。


000081-b.jpg 病院の通常療法は、決してがん体質を根本から治してくれるものではないこと。そういう体の環境を作ったのも自分、治すのも自分ということ。食べ物から体の細胞が作られているけれど、細胞の病気であるガンを治すには食べ物が深く関わっているということ。さまざまな本を読んでいくうちに頭の中が整理されていって心が静まり、体にとって何が良くて何が悪いのか明確になっていきました。

 玄米菜食を心掛け、主食であるお米にもこだわって、粘り気のないキヨニシキという品種の無農薬無肥料米を食べました。食品添加物のような化学的なものは排除し、食事は家族の分まで1日3食作りました。『薬は毒だ/田村豊幸著(農文協 現在廃刊)』(※最近では「薬をやめると病気が治る/安保徹著(マキノ出版)などがあります)という本に影響を受けて、病院から渡された薬は一切飲まないということもありました。今も記念に取っておいてますが、渡された薬の量 は半端ではありませんでした。

 そして、次第に体に変化が現れ始めました。

【経緯1】
1996年1月12日 組織検査でがん細胞が見つかり、前立腺がんと診断。
1月25日
<発見から14日目>
日本冬虫夏草を飲み始める。食事療法も開始。おしっこが勢い良く出るようになる。
2月9日 日本冬虫夏草を浣腸してみる。瞬間的にスッキリしたので続けることに。
2月22日 血便が出る。
2月29日 7日間続いた血便がピタリと止まり、一転きれいな便に。悪いところが全部出て、ひょっとしたら治ったのではと思う。
3月1日 病院に行き腫瘍マーカー検査。正常値になっている。
日本冬虫夏草を飲み始めてから1ヵ月余り。

 そして、それから2ヵ月後の手術当日。がんが消失したため、急遽手術が取り止めの事態になるとは。誰も予想してなかったことが起こるんです」

朝日ウイル(北燈社)2002年6月18日号より

 

000081-c.jpg 1996年3月1日のこと。前立腺がんの腫瘍マーカーが、異常値から正常値に下がっても手術の予定が変更されることはありませんでした。

 「先生は『1月の病理組織検査で前立腺ガンが確定されていることですし、数値が正常になっても腫瘍マーカーは腫瘍そのものを示すのではないので、予定通り大きな病院で手術しましょう』とおっしゃって、紹介されていた山口大学付属病院の個室が空くのをそのまま待つことになりました。

 ここ1ヵ月ほどは、前にもお話したように健康やガンに関する本であれば片っ端から読んで、入院まで充分時間があるのだから、黙ってないで自分にできる自然療法をやってみようと、自ら調理して食事療法の研究に取り組んだり、日本冬虫夏草を試したりしました。日本冬虫夏草は1日に700cc飲んで夜中にも飲み、浣腸法も編み出しました。この頃になるとすでにおしっこは勢いよく出るようになっていましたし、病気の自覚症状が全く無くなっていたのです。

 

000081-d.jpg 4月16日になってようやく入院にこぎつけました。早速、手術日が5月13日に決まり、再び組織検査、骨シンチ検査等、1ヵ月かけて行っていくのです。私が入ることのできた部屋は、ナースセンターのほぼ真向かいにあって、冷蔵庫もテレビも電話もお風呂もトイレも何もかも揃っていて、おそらく大臣が利用するであろうというようなところだったんですよ(笑)。ここでなら自宅でやっていた療法を誰に気兼ねすることなく、そのまま続けられるというものです。もともと肉や乳製品は食べられないので、そのメニューのある病院食にはほとんど手をつけず、妻が自宅から運んでくれる食事を毎日食べていました。ルームランナーを入れて毎日1万歩歩いたり、1階から7階まで、階段の登り降りを毎日2往復したり、ちょっとやり過ぎだったかもしれませんが、とにかく元気だから体を動かしたいし、やったところで疲れるというよりはむしろ快調だったように思います。

 そんな中、とうとう手術の前日を迎えることになりました。手術が避けられたらという思いできたわけですが、ここまできたら腹をくくるしかありません。翌朝9時からの手術に備えてその晩は早く休み、ぐっすり寝入っていました。夜中の1時を過ぎた頃でしょうか。ぞろぞろと部屋に誰かが入ってくる気配に起こされました。手術チーム5名がベッド脇に並んでいるようです。そして『片山さん、今まで会議してようやく結論が出ました。外部に出していた組織検査の結果から、がん細胞が全く見つからなかったので手術は中止にします』と言うのです。

【経緯2】
4月16日 ようやくベッドが空き入院。
4月18日 組織検査。5月12日にこの結果が出ることに。その後も検査が続く。
5月13日 組織検査の結果が出て、ガン細胞が全く見つからず、長時間の会議の末、手術日当日の未明に手術取り止めとなる。

 治療を何もしないでがんが治ったわけですから不思議な人ということで病院内ではたちまち話題になりました。スタッフの中には『片山さんは何の宗教を信仰しているのですか』と質問する人まで現れて。でも私のような人がいたら、祈ったり気力で立ち向かおうとする前に、少し落ち着いて健康とは何かをぜひ勉強してほしいと思うのです。

 治癒は努力の結果でまぐれ当りではないという証拠に、日本冬虫夏草を飲み、同じように生活した妻は、すぐにでも子宮摘出手術が必要な程、大きな子宮筋腫をかかえていましたが、みるみる縮小し、手術の必要がまったくなくなってしまったのです。この生活をやる以前は、筋腫は赤ん坊の頭程ありました。そして、85歳になる母の白髪が根元から黒くなっていったのはちょっと予想外のことでした。


000081-e.jpg 私は、大学で声楽を学び、元レコード歌手だったこともあって、自宅でカラオケ教室を営んでいます。生徒さんの中には歌を習う以上に健康談義を楽しみに通う人も多いんですよ。歌うことは横隔膜を動かしてそのバイブレーションで脳を刺激し、がん細胞を掃除する免疫力をアップさせます。ここに通うようになってから健康になったと喜ばれるのは、私にとっていちばんの嬉しいことで、体験を生かして、人に幸せを分けてあげれることが自分の幸せと感じています」

朝日ウイル(北燈社)2002年7月16日号より

 

片山さんから「ぶち元気です」(山口弁で大変元気という意味だそうです)とお電話をいただきました。奥さんのまきさんも、92歳になられたお母様もお元気ということでした。

2003年12月12日

 

 お母様は95才の高齢になり、まきさんは退職され、お母様の傍で茂さんと一緒に元気に面倒をみていらっしゃるそうです。「母は10年前に日本冬虫夏草を飲んだ影響が大きく、何度も元気が復活するので、医師も不思議がってます」

2005年12月16日のお話より

 

 「国民体育大会がある一方で、国民文化祭というものがあるのをご存知でしょうか。今年で21回目となり、今回は地元の山口県で開催されます。数々のコンクールの中に歌の部門があり、47都道府県の代表が自慢のノドを競い合います。本選の前にオーディションが進められ、すでに47名から20名にしぼられています。

 私はその20名に残ることができまして、11月4日の本選(美祢市、芸術村)では「霧の摩周湖」を唄うつもりでいます。生演奏で気持ち良く唄えるのを思い描いて、今からわくわく楽しみにしています。これも元気でいればこそで、健康に感謝しています」

2006年8月4日のお話より

 

 「11月の国民文化祭は大変盛りあがり、その時応援にかけつけてくれた生徒の皆と私の姉夫婦、弟夫婦も加わって、クリスマスパーティを賑やかに開催しました。

 張り合いを持って楽しく過ごすことができるのも健康であればこそで、先日の基礎検診では血液は100点満点でしたし、骨密度は20代後半という結果でした。58歳の妻にいたっては20歳とまで出てしまって、おかしいから足を2回洗って、3度検査したほどです。妻は、牛乳やヨーグルトなどの乳製品は一切食べませんし、特別カルシウムを意識して摂っているわけでもありません。代謝も若返ったのか、体重も5kg減ったというのです。

 我が家では、15種類の野菜を庭の一角に栽培しています。朝食はそれらの採れたての野菜に、玄米黒酢、キダチアロエ、フルーツを加え、ジューサーにかけた飲みものだけで済ませます。他に作ってるのは根こんぶ水とビワ葉酒。毎日摂る水も、こだわって選んだ海洋深層水を使っています。

がんが消失してから元気に10年が過ぎました。日本冬虫夏草は現在も続けています」

2006年12月6日のお話より

 

 「母(享年97歳)の四十九日も無事終わり、このごろはボランティア活動に励んでいます。最愛の母と別れた直後は妻と二人で途方に暮れる毎日でした。最期まで母は自宅で過ごしました。12年間の介護もとうとう終わってしまいました。

 ボランティア活動とは歌の指導です。ひとりでも多くの人の心が元気になり、心の中に希望が生まれることを願っています。これから先の私も歌と共にあります」

2008年3月12日のお便りより

 

 「ますます元気にしております。週に3、4日は妻とウォーキングをしています。1回のウォーキングで10000歩歩きます。今年はゴルフコンペで4勝しました。妻も最近ゴルフを始めました。30分の体操から1日が始まります。食事に気を付けたり運動を取り入れたりするようになったのはがんになってからです。前立腺ガンが消えてから13年になります」

2009年12月7日のお話より

 「ここ3~4年は若い頃より元気なんです。10000歩のウォーキングを週に5日実践しています。健康に自信を持って生きています。それでも怪我をしたら元も子もありませんからね(笑い)。交通事故には極力気を付けて、私自身も安全運転を心掛けています。前立腺がんが消えてから18年経ちました」 

20014年7月7日のお話より

 「76歳になりました。血液検査は満点です。死ぬまで筋肉は鍛えられると思っていて、間接の可動域を広げる運動、股関節や体幹を鍛える運動は朝のルーティンとして欠かしません。ゴルフコースに出て15000歩歩いても疲れや筋肉痛は皆無でよく眠れます。週に5日は料理をして頭の方も鍛えています。『認知症の予防には料理が一番』とはなるほどよく言ったものだなと実感しています。前立腺が消えてから20年が経過しました」

 20016年11月16日のお話より

 

鈴木ひろ子さん(当時66才・仮名)の場合

000075-a.jpg 「排便時に時々出血がみられるようになったのは、1994年の暮れのことでした。出血がなかなかおさまらなくて。2ヵ月ぐらいして病院で検査を受けました。すると肛門から10cm奥のところに2cm大の腫瘍が見つかったのです。直腸ガンという診断でした。担当の先生は『すぐにでも手術して人工肛門をつけましょう』と言います。その時私は、人工肛門でも元気で活躍されている人はたくさんいるけれども、できることなら人工肛門は避けたいという思いでいました。側にいた娘も同感でした。

 そんな折、卵巣ガンをすっかり治したという人の話を偶然聞く機会がありました。そこで日本冬虫夏草のことも知ったのです。娘と話し合って、手術までの時間があるわけだし、黙っていないで自分のやれる自然療法をできるだけ試してみようということになったのです。

 1995年、3月に入ってすぐ日本冬虫夏草を毎日700ccずつ飲み始めました。それから10日余り経って手術前日の3月13日。内視鏡で再検査を行いました。すると主治医は『あれっ』と驚くのです。『山がないね。山がつぶれてる。頭の方からはがれてきてますよ』という説明。

 そこで急遽、局部麻酔をかけて肛門から内視鏡を入れ患部をはがす簡単な手術を行いました。そして、その先生は『全部除去できたとはいえないので、きちんと開腹手術をして人工肛門にすべきですね』と言い残したまま術後すぐに病院を辞めてしまったのです。私もお彼岸の日を避けて退院しました。

 4月に入って病院に行くと、新しい先生は前任の先生の人工肛門手術の意向を受け継いでおられるようでした。しかし、その時の検査結果は、腫瘍マーカーも正常値で他のデータにも問題はなく、元気な人の血液と全く変わりないもので、再手術の話はなくなりました。それでも信じられない様子で『念のため抗ガン剤を出しときましょうか』とまでおっしゃる。母娘とも頑張ってそれだけは勘弁してもらいました。5月に入ると確認のためCT検査を行いました。腸にも肝臓にも悪いところは一切見つからず、結局この時点で完治の診断をいただいたのです。

 あれから再発もなく、今年で7年目を迎えました。内視鏡で自分の腸壁の画像を見ることもありました。手術の跡もなく、なめらかでとてもきれいです。定期的に検診は続けていましたが、今年の6月には『鈴木さん、病院は卒業だよ。もう来なくていいよ』と言われてしまいました。


000075-b.jpg 日本冬虫夏草は現在も続けています。この7年間を振り返ると、病気の時も含めて仕事を休んだという記憶が無いんですよ。73歳になった現在も、自分で車を運転して化粧品のセールスの仕事をしております。免疫力を高めることといったらカラオケで、お腹の底から大きな声を出して、何もかも忘れ、歌うことに熱中することでしょうか。カラオケ教室には20年間通 っています。

そういった仲間や友人と2、3日の旅行に行くのも楽しみの一つとなっています。車で出かけて夜中じゅう走って朝現地に到着なんてこともよくあります。旅行するにはとても良い季節になりました。今も、一泊旅行から帰ってきたばかりです。

 これからも再発しないように体に気をつけて、できる限り仕事の方は続けていくつもりでいます」

朝日ウィル(北燈社)2001年10月16日号より

【経緯】
1994年12月末 排便時に出血。
1995年2月 直腸ガンの診断。
3月初め 日本冬虫夏草を飲み始める。
3月13日 患部が剥がれているのでそのまま除去。
5月 検査結果より完治の診断下る。

 

 「完治と言われてから、再発なく11年以上が経ちました。1年ほど前から認知症の症状が現れ、MRI等の検査で初期~中期位と診断されました。それでもこの1年は、進行していない状態を維持しています」

2007年2月5日お嬢様からのお手紙より

 

 「ちょっと今のことを忘れてしまう傾向があるようですが、家族や親戚のことは認識できますし、身の回りのことも全て自分でできています。体は至って健康です」

2008年6月4日お嬢様のお電話より

 

「これまで12年間、再発なく元気に過ごしてきました」

2008年6月9日のお電話より

姉崎トクエさん(92才)の場合

000072-a.jpg96年の春、卵巣に悪性腫瘍が見つかった。以前からしこりに気付いていたが、少しづつ大きくなってきているようだった。公立病院の主治医は手のくだしようがないと言った。手術をしても寝たきりになるか、ボケてしまうのが関の山で、好きなことをして家族と静かに暮らす方がいい。のちのち腹水や痛みが出た時に来てくださいと、薬を出すこともなかった。

 6月になるとフキを採りに山に入った。はけごいっぱいにして担いで帰宅すると、腹部が苦しくてどうにもならない。病院に行くと、「こんなになるまで放っておいて!」と叱られた。サッカーボールぐらいの腹水が溜っていた。腹水を抜くと、一時的に楽になるが、確実に衰弱していくのがわかる。娘さんは、これは何度もやるようなものではないことを悟った。しかし、それから3ヵ月後、再び腹水が溜った。この時も抜くのはやむおえない選択だった。

 トクエさんは、10回の出産を経験している。当時は産めよ育てよの時代だった。便秘持ちで長いこと便秘の薬を使用していたことなど、娘さんは発病の原因をあれこれ考えたという。

  97年の夏になると、再び腹水が溜りはじめた。今度は抜くわけにはいかない。知人の紹介で日本冬虫夏草を試してみることにした。あれから1年近く経つが、腹水は知らない間に引いていったし、溜ることもない。しこりも外からさわって小さくなってきているのがわかる。苦しいということも痛いということもない。畑を耕したり、山菜を採りに山に入ったり、草履や藁靴やはけごを編んでお店に売ったり、2年前より元気で、近所の人たちはあきれて怪物みたいと言っている。

 トクエさんの家族は3世代同居。かといってあえて面 倒をみてもらうことはしない。自分のことはすべて自分でやり、やりすぎだと怒られる。彼女は思ったことをハッキリ言う性格。おせじは言わない。さっぱりしている。一家も皆同じだ。家族の愛情が一番の薬というのは今さら言うまでもないが、本人自身が愛されるべき魅力的な人。
 今のところ、検査してもしょうがないし、とにかく痛いところもなく、ごはんも食べられるんだからこのままでいくつもり、と話してくれた。

朝日ウィル(北燈社)1998年6月2日号より

 

 前回紹介した、卵巣腫瘍が良くなった92歳の姉崎トクエさんは、体はまっすぐで、シャキッとして見ほれるほどである。

 腫瘍にかかる原因は、一般に言われているもののほかに、ウイルス感染などもある。ヒトはいつもウイルス侵入にさらされて暮らしているが、自身が元気であれば、負けてしまうことはない。正常な状況にあるほとんどすべての細胞の表面 は免疫力で悪魔をやっつけたり、回復させたりする力を持っている。そのためには免疫力をつける正しい食事を毎日摂るように心がける事が必要だ。例えば、近頃騒がれているダイオキシンなどを分解する微生物が見つかっているが、キノコもそんな微生物のひとつである。

 私たちが毎日のようにみそ汁として食べている大豆に、癌を抑制する成分が含まれている。それは植物ホルモンの一種でゲニスティンと呼ばれているが、癌細胞が急速に分裂増殖をするために必要とする栄養を摂りこむために、血管まで新しく作ってしまおうとする力を阻止するというのである。さらにゲニスティンは私たちの正常分裂細胞には全く関係しないと言うからすごい。自然界には、病気を治す食べ物がたくさんあり、互いに補いあっているのだ。

 7月に発売される新刊本の中に、やはり90歳くらいの女性の記録がある。この人は皮膚癌が骨まで侵し、歩けなくなり、もう使うクスリがないと言われた婦人である。しかし、特殊な自然物を摂取する生活に変えていくうちに、骨が回復して歩けるようになったのには驚かされた。

朝日ウィル(北燈社)1998年7月7日号より


 

※日本経済新聞(2006.3.6)記事 続忍び寄る感染症「がん発症ウイルス」

予防策続々、制圧へ道

 日本人の死因トップを占めるがん。その中にはウイルスや細菌の感染がきっかけとなって発症するものもある。正体は分かっており、感染は特定のケースに限られるため、予防策が次々に試みられている。制圧への道筋が見え始めた。

 血液がんの一種、成人T細胞白血病(ATL)で命を落とす人が長崎県で激減-将来、こんな成果が達成されるかもしれない。同県と大学や医師会などが手を組み、がんにつながるウイルスの感染経路を遮断する世界でも例のない試みを始めたのは約20年前。制圧の一歩手前までこぎ着けている。

 この原因ウイルスの主な感染経路は母乳。母から子へと感染し、数十年の時を経てATLを引き起こすことがある。同県では1987年から妊婦を対象にウイルス検査を実施。感染者の場合は「母乳を子供に与えない」「授乳機関を減らす」といった感染予防策を助言をしてきた。これまでに検査を受けた妊婦は約20万人。母乳を与えなかった子の感染率は、与えた子の約6分の1の2.7%にとどまった。感染者が経れば将来、ATLを発症する人も当然減る。「感染の連鎖を断ち切れば、このがんを撲滅できる」と長崎大学の片峰茂副学長は話す。

 年間3万人強の命を奪い、早期発見が難しい難治がんの代表格といわれる肝臓がんも、いずれ患者が激減して「珍しいがんになる」と国立がんセンタ0の津金昌一郎予防研究部長は予想する。

 患者の大半は肝炎ウイルスが持続感染した結果、肝臓がんを発症する、中でも多いのがC型肝炎から肝硬変を経て肝臓がんになるケース。C型肝炎の患者は国内で150万-200万人以上いるとされる。

 2004年末、特殊なインターフェロンと抗ウイルス剤の併用療法が始まった。約7割の患者でウイルスが消える。病気を治せなくても進行を止めれば、肝臓がんにまでならないと期待される。

がんと関係が深いとされる主な病原体

病原体の名前 主な感染経路 発症するがんの種類
B型肝炎ウイルス 輸血(現在はほぼなし)、注入器使い回し 肝臓がん
C型肝炎ウイルス 輸血(現在はほぼなし)、注入器使い回し 肝臓がん
ヒトパピローマウイルス 性交渉 子宮頸がん
ヒトTリンパ球好性ウイルス 母乳 成人T細胞白血病
ピロリ菌 口から感染するが、詳細は未解明 胃がん

 二十代の患者が増えている子宮頸がんも抑え込む可能性が見えてきた。英医薬大手のグラクソ・スミスクラインは、原因とされるピトパピローマウイルスの感染を予防するワクチンの臨床実験を早ければ4月に日本で始める。

 ピトパピローマウイルスは性交渉で感染し、女性の5割-7割が感染経験者と推定される。そのうち発症するのは5%程度だが、性交渉を開始する年齢が下がり、感染のリスクは高まっている。

 ワクチンは感染者を減らす決め手。米メルクも海外で同種のワクチンを開発しており、日本でも国立感染症研究所が新タイプの開発を進めている。

 ただ、治療法や予防法が確立されても、それを生かすかどうかは本人次第だ。C型肝炎ウイルスに持続感染していても知らずにいる人は多い。「検査を受けて、感染していないかどうか知っておけば、肝臓がんにならずに済むのだが」と津金部長は残念がる。

 感染症とどう向き合うのか、一人ひとりの意識が問われている。


 

 共同研究をしている広瀬医師は、全身を不調にする化学療法では、回復しようと働いている正常な細胞を活性化できるはずがないと言います。代替療法や健康食品なども、その効果 について明確な理論が必要であり、それがないから、どうしてもガンセンターで治療を受けるのが当然になるのだとも言います。

 10月には23歳の女性が乳ガンのため、最高といわれる近代治療の甲斐もなく他界した知らせを受けました。もうひとりは19歳で、卵巣腫瘍で苦しみつつ逝ってしまいました。どちらも3カ月の間に、あれよあれよという間の事でした。ここに数回登場してもらった姉崎トクエさんは卵巣ガンでしたが、高齢のため手術も抗ガン剤も放射線もやらず、たまに溜まる腹水を抜く以外は平常の生活を続けながら今年で95歳になり、発病してから5年たちました。ご飯もおいしいし、山道の散歩もひとりで毎日続けています。また同様に、通 常療法を一切やらない98歳の乳ガンの女性は発病して4年たちますが、毎日ご飯をもりもり食べて元気で、その病巣のために別 段命をとられそうになることもなく今日を迎えています。そういう方を取材する度、ヒトは簡単にガンで死ぬ ことはないんだなと思い知らされます。若い人はガンの進行が速いといわれていますが、本当かなと疑問を持ちます。

  今日、高齢者や治療法のない膵臓ガンなどの人に対しては、クオリティオブライフが優先され、成果 を上げているように思います。通常療法を用いて勇敢に闘いを挑んだ若い体力のある人が命を落とす現状を今さらながら検証する時期に来ているのではないかと思います。

朝日ウィル(北燈社)2000年12月19日号より

 

 今年で96歳になる姉崎トクエさん(山形県在住)の家族とは長い付き合いで、トクエさんの取材は6年前から続けています。 トクエさんは、1996年の春に卵巣ガンになり、いちばん最近の2002年5月の検査では、もともとの病巣である卵巣ガンはもう死んで大きくならず、固まってしまったと判定されました。これまで高齢ということで通 常療法(手術・抗ガン剤・放射線)は一切やらず、たまに腹水が溜まったときに抜く程度でした。それでもここ1年は間隔が短くなって、月に1回のペースで抜いているそうです。水を抜くと弱りますが、輸血も同時に受けて、みるみる元気を取り戻して帰宅するそうです。


000072-b.jpg 2002年11月19日。病院で輸血中の彼女を見舞いました。写 真はそのとき二人で写したものです。小ぢんまりした清潔な個室でした。70歳近いお嫁さんと40歳の孫嫁さん、近くに住む70歳の実の娘さんとが交代で輸血の管が抜けることのないように見守っていました。トクエさんは、ニコニコと、とってもよい笑顔で私を迎えてくれて、冗談を盛んに飛ばしました。私も図に乗って盛んにそれに合わせたので、病室は笑いに包まれました。

 トクエさんが6年前に卵巣ガンと分かった時、もはや手遅れと言われていました。2ヵ月の命とまで言われたのです。でもその通 りにはならないものです。自宅で平常の生活を続けて、日本冬虫夏草を飲み始めたのは、それから1年後のことです。腹水が自然に引いていって、外から触って分かる固い患部も小さくなっていきました。ますます元気になって畑を耕し、山菜を採り、草履やわらぐつ、はけごを編んでそれをお金に換えたり、近所の人に怪物と言われるまでになったのです。

 トクエさんは、山に囲まれた豪雪地帯のたいへん美しい地域に3世代同居で暮らしています。40歳の頃にご主人を心臓で亡くしてから女手で懸命に働いて、10人の子を立派に育て上げました。そのためかとても頑丈な体格をしています。ご自宅に伺うと、採れたての野菜で作った郷土料理がテーブルに所狭しと並んで、家のところどころにトクエさんの元気を支える家族の愛情があふれていて、こちらも自然と温かい気持ちにさせられます。

 さて病院を後にしようとした時、携帯に連絡が入りました。同じく6年前に乳ガンになり、ガン治療は一切受けず、病気とうまく付き合いながら今年でとうとう100歳を超えられた女性が、明け方近くに亡くなったという訃報でした。5日前に食べ物にむせて、それが気管に入り、肺炎になったのが原因だそうです。それでも安らかで静かな最後だったと言います。この女性は、優しい息子さんをはじめ、いつも家族の温かい愛情に包まれて、何よりお嫁さんの手料理を毎日楽しみに、旺盛な食欲が衰えず、終生聡明な方でした。肺や骨への転移は全く無かったと後になって聞きました。

 ガンだからといって、必ずしもガンで命を取られるわけでもないんですね。お二人を見ていると、つまりは命の謎が解けそうで、でもまだまだ難しい。命の火が燃え尽きるその瞬間まで元気で歩ける。最終的にそこに辿り着く研究が、我々の目指すところでもあります。

朝日ウィル(北燈社)2002年12月17日号より

岸久子さん(48歳)の場合

000066-a.jpg「1996年の1月から不正出血が続きまして、病院に行ったのは8月になってからのことでした。翌月に細胞検査の結果が出て、子宮がんと分かり、手術を勧められたんです。

 告知を受けた時、これといって動揺はありませんでした。というのも血縁者にがんの人が多くいましてね。その皆が手術後、元気で暮らしているのを見てたからでしょう。子宮を失ってでも、悪いところを取ってしまえば大丈夫という気持ちでいたんです。性格はもともと楽天的で、くよくよしないタイプと言えるかもしれません。
 それでも手術に際して一つだけ条件がありました。この時、季節は実りの秋の真っ只中。私にとっては職場を離れることのできない季節でもありました。田んぼを持っているスタッフが稲刈りで休みを取るため、人手不足になるのです。『稲刈りの終わる10月半ばに手術を延ばしてほしい』とお願いしました。

 手術まで1ヵ月余りの時間ができた時、日本冬虫夏草を譲ってくれた知人がいました。普段、ジュースやお茶などをほとんど口にしないのですが、日本冬虫夏草だけはスンナリ飲め、1か月の間、毎日たっぷりいただきました。

000066-b.jpg 発病までの3年間を振り返ると、ずいぶん体に無理をかけていたようです。父の介護に始まり、母、姑の介護と次々続きました。二人の母を同時に看てたときもあります。仕事を続けながらでしたので、睡眠時間は毎日4~5時間程度。ようやく解放されたという時、たまった疲れがこういう形で現れたのでしょう。がん血統というのも思いあたりました。

 10月26日にいよいよ入院。10月28日に前段階の簡単な手術を行いました。子宮以外にどこまで摘出するか判断するため、局所麻酔をかけて患部をはがして調べるのです。

 

がん細胞消失。手術取り止め。

 11月5日、その結果が出てきました。先生は『がん細胞がどこにも見当たらないんだよね』と不思議がっていました。そして『岸さん、帰っていいよ』と言われてしまったのです。それならばと、さっさと退院させてもらいました。薬は一切飲んでないし、治療も一切やってこなかったですからね。退院する際も、薬の処方はありませんでした。

 

【経緯】

1996年1月 不正出血有り。
8月 ようやく病院に行く。
子宮がんの診断。
日本冬虫夏草を飲み始める。
10月26日 入院。
28日 組織検査。
11月5日 がん細胞がどこにも見当たらず消失。

 

 平常の生活に戻って1か月半が過ぎ、やれやれといった頃、今度は主人が町の検診でひっかかり、左肺に影が見つかりました。細胞を取って調べると、腺がんで悪性ということが分かりました。2.5cmの大きさでした。主人はお酒をたくさん飲みましたし、タバコを1日に3箱も吸う30年来のヘビースモーカーでしたが、翌日からタバコもお酒もピタリと止め、日本冬虫夏草を飲み始めて、患部近くに擦り込んだり、吸入器で吸入したりもしてました。

 仕事をしながらできる限りのことをして過ごすうち、患部は次第に小さくなっていったようです。3ヵ月が過ぎた頃には2.5cmから1cmまでに縮小していました。1cmになったところで、患部の摘出手術を行いました。左胸の3ヵ所に小さな穴を開けて内視鏡を使って患部を切り取るもので、従来の手術と比べると、体の負担が極めて少ない方法です。

 

もはやがんではなくなっていた。

 切り取られた患部を見せてもらうと、白っぽくカッテージチーズのようでもあり、石灰化してました。痕跡は残っていたものの姿が変わり、もはや『ガンではない』と言われたのです。主人も病院の治療は一切やっていませんでした。

 

【ご主人の経緯】

1996年12月 ご主人が肺がんと診断され、日本冬虫夏草を飲み始める。
タバコとお酒をピタリと止める。
1997年3月 患部が2.5cmから1cmに縮小している。
内視鏡手術。患部は石灰化していて「がんではなくなっている」と言われる。

 

 がんが消失してから二人とも再発なく元気に暮らしています。私が7年目、主人が6年目に入りました。私が気を付けていることといえば、食事は常に腹7、8分目に抑えるということでしょうか。


000066-c.jpg(写真左)岸さんの趣味はお裁縫だそうで、ローラアシュレイの生地で作った素敵なエプロンをいただきました。

 仕事を終えた後、夜中までやってた趣味を最近は控えて、睡眠時間は6時間以上取っています。以前と比べると体をずいぶん労わっていますね。時には仕事から離れて旅行に出かけ、リフレッシュすることも大事にしていることの一つです。

朝日ウィル(北燈社)2003年2月18日号より

 「再発なく元気で、13年目に入りました。主人は12年目です。この度、主人が肺炎で入院しまして、実は昨日退院してきたばかりなんです。仕事で頑張りすぎたからだと思います。その病院に同じ症状で入院している方が2人、あっという間に次々に亡くなられてこわくなりました。入院すると同時に日本冬虫夏草を毎日飲むようにしました」
 ご主人にお会いしましたが、顔色も良く元気そうなので安心しました。

2008年3月8日お二人にお会いして

 

【あとがき】
病気になったとき、本人や家族がかかえる不安と動揺ははかり知れません。できることなら静かな気持ちでより良い治療を選択し、原因をつきとめ、生活改善にも取り組んでほしい。そのためには、同じ病気になった人はどのような医療を受け、どのような経緯を辿るのかをよく知ることが前提となるはずです。そのような思いから、自らの経験が役立つのならと貴重な情報を寄せてくださった方々です。特定の治療を推奨したり、特定の治療を否定するものではございません。
体験談の虚偽記載は一切ございません。

当研究所の技術を真似た偽造品やコピー品にご注意下さい。

ご注意下さい